南直哉(みなみ・じきさい)老師との対談のために東京へ。
南老師は福井の曹洞宗霊泉寺のご住職と恐山(!)の院代を兼務されている「仏教界最左派」の「論僧」である。
ご著書も『語る禅僧』、『日常生活の中の禅』など多数。
このたび新潮社から『老師と少年』という本を出されるのを記念して、『波』のために、私との対談が企画されたのである。
ご存知のとおり、内田家の菩提寺は鶴岡の宗傳寺であり、多田先生の道場は吉祥寺の月窓寺境内にある。いずれも曹洞宗のお寺である。
そんな仏縁浅からぬ南老師は「著者紹介」を見ると、58年生まれ、早稲田の文学部を卒業後、サラリーマン生活を経て、84年に出家得度し、永平寺で20年修行生活を送った異色にしてダイハードな宗教家である。
『老師と少年』は、師弟について、悟りについて、自我について、学びの主体性について、思考のたどりうる極限まで一気に肉迫するまことに稀有の書物である。
どんな人かな〜とどきどきして新潮社まで行くと、180センチを優に越す長身痩躯の僧にご紹介いただく。
私よりでかい人と対談するのは橋本治さん以来二人目である。
行雲流水の禅僧であるから、老師も墨染めの衣を翻し、お荷物も袋一つ。
中村錦之助主演の『宮本武蔵』で三國連太郎が演じた澤庵禅師のように「かっかっか」と身体をよじるようにして、呵呵大笑せられる。
すごい迫力である。
新潮社クラブにて対座して、さっそく「問答」が始まる。
話がはずんで、あっというまに3時間。
老師は修行、私は武道、それぞれに具体的な身体技法を基礎にして理論構築をしているので、筋目がところどころでぴたりと合う。
それもそのはず、老師は永平寺での修行の日々のあいま、87年にすでに拙訳『困難な自由』を読んでおられた古手のレヴィナシアンだったのである。
私は仏教のことは何も知らない。
キリスト教とユダヤ教についてわずかばかりの知識を持つだけである。
だが、まことに意外なことに、どうやらレヴィナスと仏教は「相性」がよいようである。
ヨーロッパ的知性からすれば「存在するとは別の仕方」とか「絶対的他者」というのは思量の困難なものであろうが、仏教ではそれこそが中心的な論件である。
レヴィナス老師は私の知る限り仏教についてその著作で言及したことがないし、もちろん『正法眼蔵』や『教行信証』など読まれたことなどないはずである。
にもかかわらず、老師の述べることのうちもっとも噛み砕きにくい考想が仏教の哲理と深いところでシンクロするというのがまことに興味深い。
先日は、釈先生に応典院の秋田住職をご紹介いただいた。
秋田老師はかつて石井聡互の『狂い咲きサンダーロード』や『爆裂都市』のプロデューサーとして知られ、今は家業を継がれてお寺をベースにさまざまな文化活動を展開している異色の宗教人である。
釈先生とその応典院で対談をすることになっているので、そのご挨拶に見えたのである。
秋田老師もまことに迫力のあるお僧であった。
どうも当今、やたらに面白い人たちが仏教界に「ダマ」になっているようである。
これは鎌倉期以来の仏教ルネサンスの時代が到来しつつあることの予兆なのではないか。
私にはなんだかそんな気がする。
投稿者 uchida : 2006年10月05日 15:58
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トラックバック時刻: 2006年10月26日 06:59
す、すみません。
エントリの仕方を間違えて、同じテクストを二度アップロードしてしまいましたので、一つを削除したら、コメントもいっしょに削除されてしまいました。ごめんなさい!
コメントがついてない方を削除しないといけなかったんですね。
書き込んでくださったみなさん、トラックバックをはってくれたみなさん、ごめんなさい。
お手数ですけれど、よろしければまた書き込んでください。
投稿者 uchida
: 2006年10月06日 15:13
(以前のコメントと重複、あるいは的外れならスミマセン): 中沢新一が『芸術人類学』で、「量子論での『マトリックス』的世界認識は、東洋の哲学的思考と共通点が多い」とし、とくに華厳経の「マトリックス」性を詳述していました。世界はようわからんからすげえ、と(たぶん)。 私は先日マドリードで行われた、津軽三味線の吉田兄弟&フラメンコのステージ上での、ぷるぷるに太った中年カンタオーラの豊饒を思い出しました。
投稿者 カナ (inSpain)
: 2006年10月06日 16:25
内田先生こんにちは。
えー、チョーくだらん内容を”あえて”書かせていただきますがお許しを。
是非、内田先生にご覧になっていただきたい映像があります。
小田和正の名曲「言葉にできない」のYoutubeで観れる映像です。
その中に、興味深いショットがあります。駅の構内の電光掲示板に「☆日本はもう終わりました☆」とあるんですよね。こんなメッセージがでたら、多くのニッポン人はやるせない思いに浸るでしょう。「これから私たちはアイデンティティをどう建て直したらよいのだろうか?」と。
この件を友人と話していたのですが、私の回答はあっさりとしていました。
「心配ない。ニッポンを”フランス”にすればいいだけの話じゃないか(笑)」。
そして、こう続けました。
「”フランス”は漢字表記だと”仏蘭西”と書くではないか。この”仏”を”仏教”として解釈してだね、”日本列島”が”フランス”でありながら、”仏教国”となって、世界に例を見ない”美しい国”になるのだよ。」と。
まぁ、こんな戯言を言っていたわけですが、あながち侮れない戯言だと思います。
内田先生ならば、このオレの戯言に見る”離れ技エスプリ”から、何か重要なエッセンスを嗅ぎとっていただけるはずであります。
もし、機会がおありでしたら、このオクセの戯言を内田先生の高度な思考のプロセスを経て、今後の”ニッポン”の指針となるべき論稿の一本でもブログ上に書いていただけたならな、と思う所存でございます。