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2007年11月 アーカイブ

2007.11.01

たまのオフなのに愚痴ばかり

ひさしぶりの、ほんとうにひさしぶりのオフ。
ゆっくり朝寝をして、卵焼きとソーセージとトーストとスープの朝ご飯を食べて、日だまりで珈琲を喫しつつ新聞を読む。
うう、幸せ。
三宅接骨院に行って身体の補修をしていただく。
だいぶねじれている。
仕事しすぎですよ、と三宅先生にご注意を受ける。
へい。
待合室でいろいろな人に会う。
身体の不調で受診しているということは重要な個人情報に属するらしいので、ここで誰に会ったのかをこのような場では公開することはできぬのである。
不便な世の中になったものだ。
その伝で行けば、映画館で人と会っても、酒場で人と会っても、それはその人の思想信条無意識的欲望などを漏洩することになるから、公開することができぬ道理である。
いったい個人情報保護では(汚職した役人や警察官が実名公開をまぬがれたという以外に)誰がどのような利益を得ているのか、それについて法の制定者には説明責任があると思うのだが、どうなのであろう。
DVDプレイヤーが壊れたので、梅田の○ドバシカメラまで行く。
1年半ほど前に買ったDVDセットの一部なのであるが、店員は「1年過ぎたものなんか、もう売ってませんからね」とこともなげに言う。
そういうものらしい。
修理代がどれくらいかかるかわからないと言う。
修理にもって行くと(時計も鞄もDVDも)、必ず「修理代いくらまでなら出せますか」と訊かれる。
修理代が高額の場合は、新品を買った方が安くつくというのである。
だが、「修理代が新品を買うより高い」ということの意味が私の世代の人間にはどうしても呑み込めない。
DVDプレイヤーの故障だって、たぶん機械の中にダストが入り込んで読み取りが不自由になっているくらいのことであろうから、ばらして掃除すればたいてい直りそうである。
それでも最低3週間は見てくれと言われる。
そればかりか見積もりを訊いて、1万円を超すようなら、廃棄した方がよいというサジェッションを受ける。
このプレイヤーはコンポの一部であるから、これがないと他の機器との接続がうまくゆかない。
でも、もうこの製品は製造されていないのであり、修理部品もない可能性がある。
その場合は、コンポごと全部買い換えろということなのであろうか。
こういうビジネスモデルのどこが「便利」になったのか、私にはうまく理解できない。
むかしは家電なんかは買った店に持ち込むと、おじさんがその場でばらして、「あ、ここのパッキンがへたってるわ」というようなことをぶつぶつ言って、さくさくと直して「そうだな300円ももらっとくか」というふうにしてものの10分くらいで片が付いたのである。
どう考えても、昔のビジネスモデルの方がコストパフォーマンスが高いように私には思われるのであるが、私は間違っているのであろうか(たぶん間違っているのであろう。300円のパッキン交換に、見積もり、在庫確認、搬送などで3週間の手間ひまをかけて、1万円を請求する方がビジネス的には「正解」とされるのであろう)。
○ドバシカメラの店内のあまりの騒音の激しさに耐えられず、よろよろと外へ出る。
どうしてこのようなきちがいじみた騒音の中で働いたり、商品を選んだり、商品のスペックについて店員と話し合うことがそうでない場合よりも効率的であると判断されているのか、私には理解できない。
紀伊国屋で本を買って家に帰る。
次にいつオフの日があるかわからないので、引き続き元町の○丸に行く。
鞄の修理。
アクアスキュータムの鞄で私は気に入っているものなのだが、もちろん(!)もう製造していない。
修理をお願いして、「つなぎ」の鞄を買う。
ついでに靴も買う。
前から眼をつけていたフェラガモの靴。
「あまり外は歩かないでください。雨の日なんかもっての他です」と注意される。
絨毯の上を歩く用の靴なんですね、と訊いたらにっこりわらって「そうです」と答えてくれた。
しかたがないので、大学の「上履き」としてスリッパ代わりに使うことにする。
何か使い方が間違っているような気もするが。
電車で行き来したので、その間に車中で、岩村暢子さんの本『普通の家族がいちばん怖い』(新潮社、2007年)(アダチさんが送ってくれた)を読む。
岩村さんは「スティーブン・キングより怖い」とかの養老先生をして言わしめたほどに怖い本を書く人である。
『変わる家族変わる食卓』(2003年、勁草書房)は主婦数百人を対象に、「一日三食一週間分連続で、毎日の食卓に載ったものについて、使用食材の入手経路やメニュー決定理由、作り方、食べ方、食べた人、食べた時間などを日記と写真で記録してもらう」ものである。
これが怖い。
どう怖いかは実物を徴されたい。
体温が二度くらい下がる。
「ふつうのうち」でこんなものをこんなふうに食べていて日本社会がこの先続くのであろうかと不安になる。
この本の続きが『〈現代家族〉の誕生』(2005年、勁草書房)で、これはさきの調査で集められた主婦たちのメニューをその母親たち世代に見せて感想を聞いたものである。
「幼稚園の娘の朝食はカップ麺とプチトマト、前日はふりかけご飯と野菜ジュース。父は朝抜きで出社。母と息子はカップ麺。3人が食べたカップ麺の種類はばらばら、食べた時間もばらばら」「夕食は昨夜の残りとコンビニ弁当」「母と息子と娘の昼食は手作りカステラとカップ麺、残り物のブロッコリー、胡瓜の酢の物」などなどのメニューを見せられた60-70代の母たちは「こんなことをしているのは、ごく一部の人にちがいない」「これは子どものころからいい加減な食生活をしてきた特殊な人でしょう」といった反応を一様に示した。
「これはあなたの実の娘さんの作ったご飯です」と教えるとみなさん絶句されるそうである。
どうして娘たちがこんな悲惨な食生活をしているかというと、母親たちが彼女たちの娘に料理を教える必要を感じなかったからである。
母の世代からしてすでに「料理なんかどうでもいい」(それより学歴やキャリア形成が大事)がと思っていたのである。
食生活の崩壊は実は3世代がかりの「総力」をあげた努力の成果なのである。
これを「達成」といわずして何と言おうか(なんだか既視感のある言い回しであるが)。
これに似たことを三砂ちづるさんも『オニババ化する女たち』(光文社新書、2004年)の中で指摘していた。
出産育児についていまの30-40代の女性に普及している思想(妊娠出産を「不快な出来事」ととらえる発想)はその母親たちの世代から受け継いだものである。
「六十代、七十代の女性たちの多くは、自分たちのしてきた結婚や出産、そして夫との関係を、『楽しかった』と言いきれるようなものとは考えていないようなのです。『あんな結婚ならしなければよかった』『娘たちは出産を避けて通れるものならそうしてほしい』とさえ思っています。そしてそのような考え方は、現在の二十代から四十代の女性に見事に反映しているようです。」(29頁)
三砂さんが出産育児について指摘していることと、岩村さんが食生活について指摘していることはかなりの部分が重なり合う。
結婚、出産、育児、家事労働など、総じて家庭生活を成り立たせるために不可欠の諸活動は「アンペイド・ワーク(「父権制社会において男性に社会的リソースを占有させるために女性に強制された労働」)」にカテゴライズされるべきものであり、それゆえ女性たちはできる限りこの負荷を軽減し(理想的にはゼロにして)、一方できる限り多くの活動を「自己表現」「自己実現」に資するもの、できれば「有償」たらしめるべきであるというのが私たちの時代を支配している「男女共同参画社会」イデオロギーである。
別に誰に押しつけられたわけでもなく、私たちが嬉々として選びとってきたものである。
この食卓は日本人が総力を挙げて三世代にわたる努力の末に「達成」したものなのである。
クリスマスと正月料理に調査対象を絞った岩村さんの最近刊の本の中でいちばん怖かった話。
「クリスマスに家の窓やベランダにイリュミネーションを飾り立てる家」についての統計である。
「出した年賀状の枚数は電飾をする家(平均134.3枚)の方が電飾をしない家(平均113.3枚)より多くて、家族の写真入り年賀状を出す割合もやや高い。外へ向けて家族をアピールしたい気持ちがやはり強いということであろうか。だが、それよりも電飾をする家と電飾をしない家を比較すると、こんな違いが見えてきて興味深い。
クリスマス料理の種類も手作り率も、クリスマスケーキを手作りする率(電飾あり家庭6.1%、電飾なし家庭20.0%)も、電飾している家の方が低い。そして御節はほとんど全品目にわたって、電飾をしている家の方が手作り率が低く(例:「煮しめ」は、電飾あり家庭29.2%、電飾なし家庭60.8%)、御節の品目数自体少ないし、主婦が雑煮を作っている率も少ない。また自宅で家族で御節を食べている率(電飾あり家庭58.8%、電飾なし家庭70.9%)も低い。
さらに言えば、電飾している家では、親子一緒にクリスマスイベントに参加することも少なく(電飾あり家庭56.0%、電飾なし家庭82.4%)、親族と一緒にクリスマスの会食を楽しむ率も低く(電飾あり家庭4%、電飾なし家庭11.8%)、夫婦間でクリスマスにプレゼントし合う率も低い(電飾あり家庭8.8%、電飾なし家庭13.9%)。」(197-8頁)
まことに「興味深い」
岩村さんが指摘しているのは、外に向けて電飾をしてにぎやかにクリスマスを言祝いでいるかに見える家の方が、そうでない家よりも「家族一緒に」「仲良く」している率が低いということである。
私も「そうだろうな」と思う。
このような家の親たちの主たる関心は家族それ自身よりもむしろ、「この家族が外からどう見えるか」にあるからである。
「家族のひとりひとりの幸福や満足」よりも、「家庭が他人から見て幸福であるように見えること」が優先的に追求されている
それは「家庭の幸福」というものがもっぱら「社会的成功」の記号として機能しているということである。
そういう家ではおそらくすべての家族メンバーが「社会的成功の記号」として機能することを他のメンバーから期待されることになるだろう。
年収や学歴や特技など外形的・数値的なものしか記号的には役に立たない。
記号の条件は「誰が見てもすぐにそれとわかる」ということだからである。
「どこでも寝られる」とか「何でも食べられる」とか「誰ともすぐ友だちになれる」とか「相手の気持ちを配慮できる」というような資質は外形的には無徴候であるから、記号的には役に立たない。
だから、そのような能力の開発には現代の家族たちは誰も資源を投じない。
悲しい時代である。

2007.11.06

人生はミスマッチ

リクルートの出している「RT」という冊子の取材が来て、「高校の先生に言いたいこと」を訊かれる。
中高の現場の先生には基本的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。
現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。
現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよいし、身体の潜在能力が発現して「わくわく」している状態で表現してもよい。
要するに教師自身の心身がアクティヴな状態にあって、「気分がいい」ということだけが確保されれば、初等中等教育の基礎としては十分なのである。
子どもは「気分がいいこと」には敏感に反応する。
それが子どもたちのそれまでの「気分がいいこと」のリストに登録されていない種類の快感であっても、子どもたちは「気分がいいこと」にはすぐに反応する。
教師が知的な向上心を持っていて、それを持っているせいで今すでに「たいへん気分がいい」のであれば、生徒たちにはそれが感染する。教師たちが専門的な知識や技能を備えていて、そのせいで今すでに「たいへん気分がいい」のであれば、生徒たちは自分もそのような知識や技能を欲望するようになる。
教育の本義は「子どもの欲望」を起動させることである。
今の子どもたちが劇的に学びの意欲を失っているのは、教育する側の大人たちが「欲望」の語義を読み違えているからである。
現代の大人たちのほとんどは「子どもの欲望」もまた収入や地位や威信や情報や文化資本という外形的なものでしか起動しないと思っている。
だから、「勉強すればいい学校に入れる」とか「練習すれば県大会に出られる」というような近視眼的な目標設定にすがりつく。
だが、本来の教育の目的は勉強すること自体が快楽であること、知識や技能を身に付けること自体が快楽であること、心身の潜在能力が開花すること自体が快楽であることを子どもたちに実感させることである。
「いわゆる目標」なるものは、そのような本源的快楽を上積みするための「スパイス」にすぎない。
教師の仕事はだから「機嫌良く仕事をすること」に尽くされると私は思っている。
日本の教育がひどいことになっているのは、教師たちが構造的に不機嫌にさせられているからである。
膨大なペーパーワークに文科省や教育委員会からの締め付けに保護者からのクレームに勉強どころか基礎的な生活習慣さえ身についていない生徒たちに囲まれて、それでも「機嫌良く」仕事をしろというのが無理な注文であることは私にもわかっている。
でも、そういうときだからこそ「機嫌よく笑ってみせる」ことが死活的に重要だと私は思う。
というような話をする。
さらにキャリア教育についてお訊ねを受けるので、ここでも持論を語る。
日本の高校や大学でキャリア教育が行われるようになったのはこの10年ほどのことである。
そこでは「自分の適性にあった仕事を探すこと」が組織的に勧奨されてきた。
そういう教育を10年やったら、離職・転職を重ねる“ローリング・ストーン族”、フリーター、ニート、「自分探しの旅人」ばかり増えてしまった。
私はこれをキャリア教育の不十分さの結果であるとは考えない。
これこそ10年のキャリア教育が「達成」した成果であると考える。
大学三年生相手の就職セミナーでリクルートの営業はまず最初に「みなさんは自分の適性に合った仕事を探し当てることがもっとも重要です」と獅子吼する。
その瞬間に若者たちは「この広い世界のどこかに自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事が存在する」という信憑を刷り込まれる。
もちろん、そのような仕事は存在しない。
だから、「自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事」を探して若者たちは終わりのない長い放浪の旅に出ることになる。
就職情報産業は、若者たちが最初のマッチングで「適職」に遭遇することよりも、いくら転職を繰り返しても「適職」に出会えないことから利益を上げるようにビジネスモデルを構築している。
だから、「適職」という概念を発明したことそれ自体がリクルートの奇跡的なサクセスの秘密なのである。
この思考は「自分の個性にぴったり合ったたった一人の配偶者がこの世界のどこかにいる」という信憑と同型のものである。
だから、就職情報産業は結婚紹介業も副業でやっているはずである。
これも「何度見合いしてもぴったりした人に出会えない」人が多ければ多いほど利益が計上されるようにビジネスモデルが構築されている。
もちろんこれはリアルでクールなビジネスワールドの話であるから、リクルートさんがどのように若者たちに刷り込みをしようと、それは先方の自由である。
でも、誰かが「そういう〈物語〉を信じるな」ということをたまにはアナウンスする必要があると私は思う。
人生はミスマッチである。
私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。
それでもけっこう幸福に生きることができる。
チェーホフの『可愛い女』はどんな配偶者とでもそこそこ幸福になることのできる「可愛い女」のキュートな生涯を描いている。
チェーホフが看破したとおり、私たちには誰でもどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっているのである。
それでいいじゃないか。
「自分のオリジナルにしてユニークな適性」や、「その適性にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら、「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるかに有益であると私は思う。
私は仏文学者になんてぜんぜん適性がないし(これについてはかつての指導教員たちの全員が同意してくれるはずである)、ミッション系女子大の教師なんてさらに適性がない(私が女学院に職を得たと聞いたときに、同輩のサノくんは「花園に野獣を解き放つようなものだ」と長嘆したものである)、武道家としての素質も限りなくゼロに近かったと申し上げてよろしいであろう(誰も信じてくれないが私は心臓の弁膜に異常をかかえた「虚弱児」だったのである)。
私が大学で仏文科に進学したのだって、教養のフランス語があまりにできなかったので(オールCであった)、大学卒業までせめてフランス語の基礎文法だけでも理解しておきたいと思ったからなのである。
もっとも適性のないところを選択したら、それが職業になってけっこう楽しくやっているのである。
私の適性は警察官僚とか政治家とか諜報活動とかにおいては間違いなく爆発的に開花したであろうが、私がそのような仕事につかず毒にも薬にもならない文学研究などにかかわって一生を終えたせいで獄窓や窮死から救われた人もきっと多いはずである。
なまじ適性に合った仕事に就いたせいで、世の人々がいっそう不幸になるということだってあるのである。
人生はミスマッチ(@平川克美)。
大学三年生の諸君に贈る言葉はこれである。

2007.11.07

親族の基本構造

大学院では今期は「家族論」をやっている。
今回のお題は「父親」。
発表担当のマスダさんがいろいろな論者の家族論・父親論を引用してくれたので「父親をめぐる言説史」を一覧できた。
日本人の家族論の多くがサル学の知見に依拠しており、精神科医たちまでが霊長類の「延長」として家族をとらえていることに私は一驚を喫した。
人間の家族はゴリラやチンパンジーの「家族」とは成り立ち方が違う。
レヴィ=ストロースは家族論を語るときの必読文献だと私は思うのだけれど、家族論者のどなたもこの人類学者の知見には特段のご配慮を示されておらないようである。
よい機会であるので、レヴィ=ストロースの「親族の基本構造」の考想を簡単にご紹介しておこう。
レヴィ=ストロースはラドクリフ=ブラウンの先行研究をふまえて、親族の基本単位が四項から成ると論じている。
「ラドクリフ=ブラウンによれば、伯叔父権(avunculat)という術語は相反する二つの態度の体系を意味している。第一の場合、母方の伯叔父は家族の権威を表象する。彼はその甥にとって恐るべき人物であり、甥は彼に服従し、彼は甥に対してさまざまな権力を行使することができる。第二の場合、伯叔父に対してさまざまな親しみの特権を行使し、軽んじることが許されるのは甥の方である。そして、母方の伯叔父に対する態度と父親に対する態度のあいだには相関関係がある。いずれの場合でも、われわれは二つの同一の体系を見出すのであるが、それは逆転しているのである。つまり父親と息子の関係が親密である集団においては母方の伯叔夫と甥の関係は冷たいものであり、父親が親族の権威の受託者である場合には、甥が親しくつきあうことができるのは伯叔父の方なのである。この二つの態度集団は音韻論で言うところの対立する一対(couple d’oppositions)をなしているのである。」(Claude Lévi-Strauss, Anthlopologie structurale, Plon, 1958,49-50)
問題は甥と母方の伯叔夫との単独の関係ではなく、「兄弟/姉妹」「夫/妻」「父/子」「母方の伯叔夫/その姉妹の息子」という四つの「対立する一対」の有機的連関なのである。
実例を挙げよう。
母系のトロブリアンド島では、父子はへだてのない親密さで結ばれており、甥と母方の伯叔夫はきびしく対立している。コーカサスのチュルケス族では父と子は非寛容な関係にあり、母方の伯叔夫は甥を支援し、結婚に際して馬を贈る。
また、トロブリアンド島では夫婦は親密であるが兄弟姉妹はきわめて厳格なタブーによって親しく交わることを禁じられている。チュルケス族では逆に兄弟姉妹はきわめて親密であるが、夫婦は人前ではけっして一緒に行動せず、夫に妻の健康を訊ねることはタブーになっている。
などなど。
これらの事例からレヴィ=ストロースはこの二対の親族関係が次のようなルールで律されていることを発見する。
「この構造は二つの相関的な対立関係で結ばれた四つの項(兄弟、姉妹、父、息子)から出来ている。その結果、二世代のそれぞれにおいて、一つのポジティヴな関係と一つのネガティヴな関係が存在することになる。この構造は何か?この構造の存在理由は何か?答えは次のようなものである。この構造は考え得る限り、存在しうる限りもっともシンプルな親族構造である。これがまさしく親族の原基(l’élément de paranté)なのである。」(Ibid., p.56)
どうして二世代にわたって二対の対立関係が存在しなければならないのか。
その理由をレヴィ=ストロースはあっさりと「インセスト・タブー」として説明している。
「人間社会では一人の男は女を別の男から受け取るしかなく、男は別の男に女を娘または姉妹というかたちで譲渡するのである。(・・・)親族は静態的な現象ではない。それが存在する唯一の理由は親族が存続することである。われわれは人種を継続させる欲望について話しているのではない。そうではなくて、われわれが語っているのは、ほとんどの親族体系において、任意のある世代において女を譲り渡したものと女を受け取ったものの間に発生した始原の不均衡は、後続する世代において行われる反対給付(contre-prestation)によって相殺されるしかないという事実である。」(Ibid.,p/57)
相変わらずレヴィ=ストロース先生は鋭くものごとの本質を言い当てている。
親族の存在理由は親族を存続させることであり、四項から成る基本構造は親族のダイナミズムを担保するための必要最低限のかたちである。
女性はどうなるのか、というお訊ねが当然あるだろう。
どうして「母と娘」「父方の伯叔母と姪」の四項より成る親族の基本単位は存在しないのか、と。
現に、多くのフェミニストたちはレヴィ=ストロースの「女の交換」とか「女の譲渡と反対給付」というような言い方に激怒されて、レヴィ=ストロースはセクシストにすぎぬと断罪して『構造人類学』を悪質な妄言に満ちた書物であると断じて焚書坑儒してしまったのである。
愚かなことである。
どうして男が「交換の主体」であり、女が「交換の対象」であるかというと、答えは簡単。
男それ自体には交換物としての価値がないからである。
男は再生産しない。
再生産のためには女100人あたり、男一人いれば十分である。
99%の男には生物学的には価値がない。
無価値なものをもらっても、反対給付の義務は動機づけられない。
それでは親族は形成されない。
父権制というのはフェミニストたちが正しく指摘するように男に「不当に高い価値を賦与するシステム」のことであるが、どうして男に「不当に高い価値を賦与する」のか、その理由は論理的に考えればすぐにわかる通り、男には価値がないからである。
だから、男性にのみ選択的に与えられるすべての価値は原理的に「不当に高い価値」なのである。
と書くと、また「男性が権力も財貨も情報も文化資本も現にすべての価値を独占しているではないか」ということを言い出す方がおられるかもしれない。
だからですね。
つねづね申し上げている通り、国家や貨幣や威信やなどというものはすべて男が作り上げた幻想であって、このようなものに生物学的には鐚一文の価値もないのである。
現にまともな女性はそういうものにぜんぜん価値がないことを知っているので、定期預金の残高を眺めたり、パソコンのディスプレイに見入っている男に向かって「ねえ、私と仕事とどっちが大事なの?」と訊くのである。
むろん、その場合に「仕事」などと答えた男は再生産の機会から永遠に排除されることになる。
まあ、愚痴はやめておこう。
とにかくそういうわけで、親族というのは本来四項から成るものなのである。
レヴィ=ストロースが言っていないことでたいせつなことが一つある。
それは子どもには先行世代に「対立する態度を取る同性の成人」が最低二人は必要だということである。
これは男女ともに変わらないと私は思う。
成熟のロールモデルというのは単独者によっては担われることができない。
タイプの違う二人のロールモデルがいないと人間は成熟できない。
これは私の経験的確信である。
この二人の同性の成人は「違うこと」を言う。
この二つの命題のあいだで葛藤することが成熟の必須条件なのである。
多くの人は単一の無矛盾的な行動規範を与えれば子どもはすくすくと成長すると考えているけれど、これはまったく愚かな考えであって、これこそ子どもを成熟させないための最も効率的な方法なのである。
成熟というのは簡単に言えば「自分がその問題の解き方を習っていない問題を解く能力」を身に付けることである。
成人の条件というのは「どうふるまってよいかわからないときに、どうふるまうかを知っている」ということである。
別に私はひねくれた逆説を弄しているわけではない。
「私はどうふるまってよいかわからない状況に陥っている」という事況そのものを論件として思考の対象にし、それについて記述し、それについて分析し、それについて他の人々と意見の交換をし、それについて有益な情報を引き出すことができるのが成人だと申し上げているのである。
だって、人生というのは「そういうこと」の連続だからである。
けれどもシンプルでクリアカットで無矛盾的な行動規範だけを与えられて育てられた子どもは「そういうこと」に対処できない。
「どうふるまってよいかわからない」ときに、「子ども」はフリーズしてしまう。
フリーズするかしないかはハードでタフな状況においては「生死の分かれ目」となる。
だから、子どもたちは矛盾と謎と葛藤のうちで成長しなければならないのである。
父と伯叔父は「私」に対してまったく違う態度で接し、まったく違う評価を与え、まったく違う生き方をリコメンドする。
この矛盾を止揚するフレームワークはひとつしかない。
それは「この二人の成人のふるまいはいずれも『私を成熟させる』という目的においてはじめて無矛盾的である」という回答に出会うことである。
だが、この父と伯叔父を統合する包括的フレームワークは父も伯叔父もどちらも与えてくれない。
子どもはこれを自力で発見しなければならない。
それは「成熟」という概念を子ども自身が理解しない限り発見できない。
成熟しない限り、「成熟のための装置」としての親族の意味はわからない。
親族は本来そのように構造化されていたのである。

近代の核家族からは「伯叔父」が排除された。
同性を引き裂く二つの原理の対立から、父が代表する父性原理と母が代表する母性原理の性的対立の中に子どもたちは移管された。
性間の葛藤は同性間の二原理の葛藤よりもはるかに処理しやすい。
というのは、人間は自分がどちらの性に帰属しているかを知っており、どちらの性の原理に従うべきかを知っているからである。
後期資本主義社会になったら、母たちがまでが男性原理を内面化するようになってきた。
権力や年収や威信や情報というそれまで男性にとってしか価値ではなかったものに女性たちも親族の存続よりも高い価値を見出すようになったのである。
これが現代の子どもの置かれた状況である。
かつての子どもたちは父と伯叔父と母という三人の先行世代、三つの原理の併存による葛藤のうちに生きていた。
今の子どもたちは「権力と金が価値のすべて」という単一原理のうちに無矛盾的に安らいでる。
このようなシンプルな原理の下では子どもたちは成熟できない。
だから、成熟することを止めてしまったのである。

親族の解体というのは、当今の社会学者が考えているよりもはるかに射程の広い人類学的問題につながっている。
その日本の社会学者たちが「成熟の問題」を論件としてさっぱり取り上げないのはなぜであろうか。
答えは一つしかない。
ここまでをお読みになった方にはすぐにわかるだろうけれど。

2007.11.08

雨ニモマケズ

オフなので、定例により三宅接骨院で身体のメンテをしていただく。
いっしょに松本の池上先生のところに行って温泉入って美味しいもの食べたいですねと三宅先生とため息をつく。
家に戻ってゲラの山をながめるうちに軽く気が遠くなる。
そのままベッドに倒れて『バリバリ伝説』を読む。
グンちゃんも生きていればもう40歳くらいだ。
元気なのであろうか。
高校時代の私自身はひ弱なガリ勉少年であり、バイクになんか乗ったことがなかったのだが、どういうわけか『ろくでなしブルース』とか『ビーバップ・ハイスクール』とか『今日から俺は!』とか『シャコタン・ブルース』とかいう「すったら~」系のマンガに目がないのである。
読み出すと止まらない。
はっと我に返って「おっと、こうしちゃいられない」とゲラの山に取り組む。
とりあえず文藝春秋のヤマちゃん本が仕上がる
タイトルも決定。
『ひとりではいきられないのも芸のうち』。
今回もきっちり5モーラ、8モーラ、5モーラ)。
さくさくと送稿。これは08年1月末に刊行予定。
どうして『羊たちの沈黙』のスターリング捜査官はハンニバル・レクター博士に恋をしてしまうのか・・・ということを人肉嗜食の人類学的・宗教的意味に基づいて考察した(読んだ私も驚いた)「これはびっくり」エッセイが満載。
続いて懸案のレヴィナス老師の『困難な自由』の未訳分に戻る(数ヶ月ぶり)。
あと6頁でおしまい。
こちらもなんとか来春までには本にしたい。
鹿島茂さんの『あの頃、あの詩を』(文藝春秋)の解説を書くという仕事があるので、ゲラを読む。
鹿島さんは私より1コ上の1949年、横浜のお生まれである。
その鹿島さんが中学生、高校生の時代に国語の教科書に掲載されていた詩のアンソロジーである。
これが泣ける。
鹿島さんの言葉を借りれば、それは
「おそらく明治の末年から大正にかけて生まれて戦争をくぐり抜けてきた世代の編者たち(つまりわれわれの親の世代)が、自分たちが思春期(大正末から昭和初期にかけての時期)に感銘を受けた詩を、まだ未来が輝いているように思えた昭和30年代に、自分たちの感情や思想を伝える言葉を子供の世代に託そうと思い、一生懸命に選別し、編纂し、教科書に載せた詩であったということです。」
私も同感である。
九死に一生を得て戦場から戻ってきたこの編者たちは「二度と戦争があってはならないという思いから、自分たちの心の原点であった昭和初期の平和な時代の詩を重点的に選んだ」のである。
だから詩の主題はきわめて傾向的である。
それは「太陽」であり、「朝」であり、「青空」であり、「春」である。
自然と四季の変化を歌ったものと「労働歌」が多い。
私が「じん」と来たのは「おさなご」(大木実)という一編であった。

おもちゃ屋の前を通ると
毬を買ってね
本屋の前を通ると
ごほん買ってね と子供が言う
あとで買ってあげようね
きょうはお銭をもって来なかったから
わたしの答えもきまっている
子供はうなずいてせがみはしない
のぞいて通るだけである
いつも買って貰えないのを知っているから
ゆうがた
ゆうげの仕度ができるまで
晴れた日は子供の手をひき
近くの踏切へ汽車を見にゆく
その往きかえり 通りすがりの店をのぞいて
私を見上げて 子供が言う 
毬を買ってね
ごほん買ってね

私はこの一編を読んでいるうちに不覚にも胸が熱くなってしまった。
昭和30年代の下丸子の商店街を父に手を引かれて歩きながら、私もまた控えめに(否定的な答えが返ってくるのを知りながら)、それでも飽くことなく「ねえ、ほん買って」と父を見上げてつぶやいていたことを思い出したからである。
昭和30年代の「戦後教育」の中で、教師たちは15年にわたる戦争のことはとりあえず「かっこにいれて」、彼らの「原風景」である明治大正の日本の田園や下町の風景に、「まだ見ぬ未来の楽土」の幻想を接ぎ木したものを私たちに差し出した。
「もう存在しないもの」と「まだ存在しないもの」だけが選択的に歌われたという点で、私たちの世代の感傷の形成のされかたは特殊だったと思う。
それにつけても宮沢賢治はよいね。
『雨ニモマケズ』の後半はこんなリフレインである。
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

そういうものに私もなりたい。

2007.11.09

おじいさんおばあさんをたいせつに

テレビを見ていたら長塚京三が背中で嗚咽しているCMに遭遇した。
先週見たCMではいっしょに住友信託銀行に訪れて資産管理の引き継ぎをしていた彼の父が急逝したらしく、たっぷり資産を残してくれた父の遺言状を見て「父さん、ありがとう」と感謝の涙を流している中年の息子の背中をさらにその子供が見つめているという絵柄であった。
私はつい3日前に、「金満家の祖父のおかげで一族が栄えるという絵柄のCMがやがてテレビ画面に登場するであろう」とゼミのクロダくんに予言したばかりなのであるが、これほど早く私の予言が的中しようとは・・・
みなさんももうお気づきになったであろうが、最近の商品カタログなどの表紙は「三世代もの」が多い。
いかにもリッチそうな祖父母、その七光りで豊かな生活をエンジョイしている息子・娘夫婦、その倍の14光りの恩沢を受けて屈託なく微笑んでいる孫たち・・・の集合写真である。
これが意味することがおわかりであろうか。
そう、あの1500兆円の個人金融資産である。
これからの日本経済の趨勢はこの1500兆円をどうやってマーケットに還流させるかによって決すると申し上げても過言ではあるまい。
財界とメディアと電通はこの1500兆円を握りしめている高齢者たちの財布のひもをどうやって緩めるかに戦略をピンポイントしている。
安倍政権の命取りとなったのは年金不祥事であるが、事件発覚直後の安倍首相の対応はきわめて鈍いものであった。明らかに「こんなことはたいした問題ではない」と高を括っている風があった。
ところが「年金不安をすみやかに解消せよ」という財界からすさまじい圧力がかかってきた。
大あわてで対応策を講じたが、ときすでに遅く、このときに実質的には安倍首相の命運は尽きたのである。
どうして財界が「年金不安をすみやかに解消せよ」とすさまじい圧力をかけたかというと、年金不祥事の報道直後に高級自動車の売れ行きが一気に低下したからである。
自動車のセールスは消費意欲のもっともわかりやすい指標である。
私たちはちょっと金回りがよくなると、とりあえず「車でも買い換えるか」という気分になる。
車のグレードアップには家族内で反対する人間がいないからである(「ゴルフバッグでも買い換えるか」とか「毛皮のコートでも買い換えましょうか」とかいう提言は相当な力業を使わないと家庭内合意に達しない)。
車の買い控えはいずれ不動産の買い控えに直結し、やがて消費財全品目の買い控えを帰結し、それによって日本経済はようやく手に入れた浮揚力をふたたび失う恐れがある。
年金不祥事は「年金制度は信用できない」という雰囲気を醸成した。
それは要するに「老後の蓄えには手を付けない方がいい」ということである。
1500兆円の個人資産にこの瞬間に「ロック」がかかったのである。
年金をめぐるどたばたは原理的にはこの「ロック」を解除しなければ日本の経済活動全体が停滞することにいちはやく気づいた財界と、それに気づかず政策の整合性や省益維持にかまけていた政官界との危機感の温度差から生じたのである。
と思う(別に証拠があるわけではなく、ただの推理だけど)。
でも、そうだと思う。
年金制度、高齢者医療、介護などについてこの半年間いろいろな制度上の問題点の指摘がなされて、「膿を出す」ということが行われている。
それはべつにわが国の行政官たちがとつぜん博愛的になったからではない(彼らはそういう人種ではない)。
高齢者が社会制度に対して安心感を持ってくれないと、彼らの「財布のひもが緩まない」という厳然たる事実がエスタブリッシュメント内部で無言のうちに了解されたからそうしているだけである。
ご老人たちが1500兆円を残りなく吐き出してそれが市場に還流すれば日本経済は今後20年は大盤石である。
そのためには、高齢者の耳元に向かって「日本の社会保障制度は安心です。老後の生活には何の不安もありません。行政がまるっと面倒みようじゃありませんか。ですから、みなさんの預貯金、そんなふうに定期預金にして退蔵する必要なんかないんです。もっと利回りのいい(そりゃ多少のリスクはありますけどね)金融商品に移転されるとか、消費財にお使いになられたらどうですか?」と官民一体となって囁くというシナリオが出来たのである。
年金制度と高齢者医療介護制度の整備が喫緊の政治課題であるのは、そうしないと高齢者が金を使ってくれないからそうしているのである。
安倍から福田へのシフトの意味もこれでご理解いただけるであろう。
福田首相の掲げたスローガンは「改革のスローダウン」である。
いろいろな制度でもまだ使い回しがきくものはそうそう急に廃棄したりせずにですね、使い伸ばすと。急な変化はですね、まあどうなるか、よく先を見てですね、軽々に判断しない、と。
これが誰に対するアピールであるかは容易に想像がつくであろう。
福田内閣はなんと「高齢者オリエンテッド内閣」だったのである。
小泉構造改革で日本社会の階層化は急激に進行し、グローバリゼーションによる競争原理の導入で、大量の野心的起業者が出るはずだった年齢層からはニート、フリーターが大量出現した。
この世代では少数のリッチマンに資産が集中し、過半が貧困層に転落した。
この資産配分は市場にとっては少しも好ましいことではない。
一番物が売れるのは「一億総中流幻想」の時代だからである。
いずれにしても本来消費活動がもっとも活発なはずの25-35歳の「ロストジェネレーション」は「金がないので、消費しない」という理由で政策的関心の対象からはずされてしまった(気の毒である)。
もちろん行政的な支援によって彼らがこの先中産階級として自己形成し、家族を作り、税金年金を納め、消費活動を行うということをご確約いただけるのであれば行政とてこの世代に税金を注ぎ込むことにやぶさかではないであろう。
だが、この世代の方々はご意見ご要望を徴しても、どうも「郊外に一軒家を建てて、庭には犬を飼って、週末には子供たちとワンボックスカーでキャンプに・・・」というようなベタな未来像を語らないのである。
再生産や消費活動に夢をいだくには、絶望が深すぎるのかもしれない。
ともあれ、行政は「絶望が深すぎる人間」の救済には優先的には税金を投じない。
効率が悪いからである。
それよりは、「ちょっとの呼び水」で労働意欲、消費欲望に火が点く層に焦点化する。
かくして、「高齢者が孫子のためにお金を豪快に使うことで、家族全員が幸福になる」という新しいタイプの消費行動の理想型がメディアをつうじてひろく流布されることになったのである。
私はここにきっぱりと予言するが、このタイプの〈物語〉がこれから洪水のようにメディアに溢れることであろう。
老人が節度なく金を使うのは「孫」のためだけである。
リッチな老人と孫のあいだに親密な関係を打ち立てることできた家族とそれができなかった家族のあいだには、これから消費余力に大きな差ができる。
だから「(金のある)おじいさん、おばあさんをたいせつにしましょうね」という算盤づくの「家族幻想」がうるさいほどにふりまかれるのである。
80年代には家族解体が消費市場のビッグバンをもたらした。
21世紀初頭は家族再統合が消費の活性化につながる。
もちろんそれは人口構成が逆ピラミッドであり、高齢者に所得が偏っているという本邦の特殊な事情によるのであるが、おそらくこのような事態が出現したのは人類史上前代未聞のことであろう。
まことに不思議な時代に私たちは立ち会っているのである。

2007.11.12

詩人のコピーライトについて

先日のブログ日記で鹿島茂さんの近著の解説を書くことになったという話の中で、大木実という詩人の「おさなご」という詩の全編を載せた。
そしたら、このようなテクスト利用については著作権者から権利侵害のクレームが来る可能性がありますからご注意くださいというご指摘を弁護士の方からいただいた。
これはびっくり。
私は文学研究者であるから、私が文学作品について書く場合、それらは文学的テクストについての「論」であり、そこに引かれたテクストは学術的な「引用」とみなされる(はずである)。
「引用」は著作権の侵害にはならないというのが著作権法の規定である。
しかし、考えてみたら、それが通るのは私が「学者」として社会的に認知されているからである(認知してくれない人もいるが)。もし他の人が私と同じ文章を書いた場合には、それは「学術的引用」とは認められず、著作権侵害に当たるとされる可能性もあるのであろうか。
あるのかもしれない。
よくわからない。
私は日本文藝家協会というところに入会している。
著作権保護は協会の主務の一つである。
協会に入会したら、著作権の管理を協会に一任するという契約書のようなものが送られてきた。
署名捺印して返送すればすむのであるが、いろいろ考えて結局返送しなかった。
自分の著作権は面倒でも自分で管理したいからである。
私が何かを管理するというのは(IT秘書たちが熟知しているように)、それをちゃんと管理しないということを意味している。
というのは、私は著作権を財産権のように扱う態度に対していささか懐疑的だからである。
著作権保護運動の一環として、著作権者の死後50年まで保護対象とする現行規定を70年までに延長するということが要請されている。
70年が世界標準だからだそうである。
著作権者の死後70年も著作権相続者がその恩沢に浴するというのは孫や曾孫が著作権者になるということである。
子々孫々に印税収入を確保できるということが創作のモチベーションを高める作家もあるいは存在するのかも知れない。
顔も知らぬ孫や曾孫にでも「おこづかい」をあげたいという気持ちは私にも想像できないことはない。
けれども、顔も知らぬし、その思想信条も美意識も価値観も知らぬ孫や曾孫に著作権の「管理」を任せるということは、「孫子かわいさ」とは話の次元が違うのではないか。
この子孫諸君が「この著作物をこれこれの仕方で使用することは許すが、こういう使い方はまかりならん」という是々非々の判断を下す権利を持つということに私はどうしても頷くことができない。
文学研究の世界では著作権相続者の拒否権発動のせいで草稿研究が進まなかった事例が多々ある。
こんなものを発表されると個人の「偉大性」が毀損されるかもしれない、というのが理由の多くである。
死んだ芸術家の偉大さについての「幻想」が損なわれない方がご遺族のみなさんだって気楽だろうし、印税収入も安定的に確保されるというのはわかる。
けれども、それはちいとばかり「身勝手」ではないのかと私は思う。
偉大な芸術家はその「偉大じゃないとこ」も含めて人類の財産である。
私はそう思う。
著作権相続者たちが印税を受け取るのは別に構わない。
だが、彼ら自身が創作したのでないものの使い道にまであれこれ口出しする権利までは認めるべきないと私は思う。
私は自分のネット上のテクストについては著作権を主張していない。
今書いているこの文章も含めて、ネット上に掲載されたものは誰でも使用できる「公共財」であるというのが私の考えである。
ネット上の情報を誰でも自由に利用できるということがネットコミュニケーションの最大のメリットなのだから、そこに「私権」を持ち込むのはつまらないことだ。
自分のブログに「コピー禁止」とか「リンクを張る場合には必ず許可を求めること」とか書いている人が多々おられるが、私のブログは「コピーフリー」「盗用・剽窃フリー」である。
私はべつに私の「オリジナリティ」を誇示するためにこのようなところに駄文を記しているのではないからである。
私と「意見」を共にする人を一人でも多く増やしたいがために、このようなものを毎日せっせと書いているのである。
私の望みはできるだけ多くの人に「そんなこと当たり前じゃないか、私だって前からずっとそう思っていたよ」と言わせることであって、「そんなことを考えるのはお前だけだ」と言われるためではない。
「こういう考え方」をする人間は今のところ少数だから、それはさしあたり「ユニークな考え方」と言えるかもしれない。
だが、その「ユニークな考え方」が「ユニーク」なままで終わることを私は少しも望んでいない。
「ついに一人のフォロワーも得ることのなかったユニークさ」には何の価値もない。
「多くのフォロワーを獲得したためにいつのまにか少しもユニークなものでなくなってしまったユニークさ」だけに価値があると私は思っている。
だから、「オリジナリティ」に値札をつける習慣にどうしてもなじむことができないのである。
詩について言えば、詩人がほんとうに求めていたのは読者たちの彼の詩境に対する全面的な共感だろうと私は思う。
理解されず共感されず、それゆえ模倣することもできぬような詩想を有したことでオリジナリティを確立することなど詩人は望んではいない(と思う。詩人じゃないからわからないけれど)。
詩想がひろく共感されるということは、人類の「感受性の財産目録」にそれまでになかった新しい感受性を一つ付け加えるということだと私は考えている。
詩人が求めているのは「人類の詩的資産」を増やすことであり、詩人の著作権相続者の預金残高を増やすことではないと私は思う。
私は間違っているのであろうか(おそらく間違っているのであろう)。


2007.11.13

ショコラ・リパブリック言語論

学校に行く途中、二号線沿いにチョコレート屋の開店の看板が出ていた。
Chocolat Republic
「ショコラ・リパブリック」と読みながら、「変なの」と思った。
「チョコレート共和国」というのを英語で書くならChocolate Republic だろうし、フランス語で通すならRépublique du chocolat とかRépublique chocolatée (あ、これいいな「チョコレートフレイバーの共和国」)であろう。
どうしてこういうデタラメな表記をするのであろう・・・と学者にありがちな定型的な反応をしたあとに、いや待てよと思った。
「こういうデタラメな表記」がすらすらとできるのはもしかすると日本人だけではないのか。
ある種の錯誤行為が「すらすらとできる」というのはあるいは能力の一種と言ってもよろしいのではないか。
そう思い至ったのである。
しかし、それは一体どのような能力と呼ぶべきなのであろう・・・
と思いっているうちに大学に到着。ばたばたとゼミに駆け込む。
今日の発表は「脳内メーカー」。
それは何かね。
学生さまのご説明によると、「診断系お遊びサイト」で、今年の6月に始まって、10月までで5億アクセスに達した人気サイトなのだそうである。
日本人全員が5回アクセスしている勘定である。すごいね。
拝見してみたが、特になんということもないお遊びである。
自分の名前を入力すると、脳内地図のようなものが出てくる。
そこには自分の脳内にうごめくさまざまな妄念が「欲」とか「嘘」とか「秘」とか「遊」とか「休」といった漢字で表記されている。
ふ~ん。
「脳内メーカー」の手柄はこの「脳内に漢字がひしめく」という図像のアイディアにある。
たしかにこれはかなり私たちの実感に近い。
なるほどね・・・
と思ったところで、さきほどの「ショコラ・リパブリック」とつながった。
もしかすると、この遊びは日本人しか思いつかないし、日本人にしか楽しめないものではないのか。
漢字は表意文字(イデオグラム)である。ひらかなやアルファベットは表音文字(フォノグラム)である。
表意文字と表音文字の組み合わせで言語を構築するのは漢字の周辺文化圏の特徴である。
そこでは、ひさしくローカルな表音記号でシンタックス(連辞)を形成して、そこに任意の外来語をはめこむという混淆的な言語をつくってきた。
日本もそうだし、朝鮮半島もそうだし、インドシナもそうである。
でも、隣国の人たちは漢字を捨てて、ハングル表記に切り換えつつある。韓国の若い人はもう漢字で自分の名前を書くのがやっとだそうである。
ベトナムも漢字を捨て、ベトナム文字も捨て、アルファベットに切り換えてしまった。だから、現在のベトナムの若者たちは70年前のベトナム人が書いたものをもう読むことができない。古い建物に行っても扁額も石碑も読めないのだそうである。
その中で日本だけが現地語の表音文字に外来語の表意文字をはめこむというスタイルの孤塁を守っている。
養老孟司先生は「だから、日本でマンガが発達した」という説を述べられている。
マンガの「絵」は表意文字であり、「ふきだし」は表音文字である。
これを組み合わせることは日本人にとってはごくナチュラルなことである。
だが、欧米人にとっては絵はあくまで絵であり、表音文字は言語である。
彼らには、このふたつを「同じ記号」としてすらすらと読む習慣がない。
表意文字と表音文字はそれを操作する脳内部位が違うからである。
それは失読症という病気から伺い知ることができる。
アルファベットで表記する言語の話者は表音文字部位が損傷すると失読症になる。
日本人の場合は、同じ部位が損傷すると「ひらがなは読めなくなるが、漢字は読める」という特異な病態を示すのである。
日本語を読み書きするということは、脳内部位の二箇所を同時に活動させることである。
こんなことをするのは今ではもう日本人だけである。
日本人の識字率は近世以来一貫して世界最高レベルにある。
これはすぐれた教育システムの成果であるとされているが、私はむしろ日本語の構造的特質のせいではないかと思う。
だって、日本人は言語運用に際して脳内の二箇所を同時に使うのである。
欧米人が一人でやっている仕事を二人がかりでやっているようなものである。
それは効率的であるとも言えるし、逆にさまざまな「逸脱」が可能であるとも言える。
『女は何を欲望するか』にも書いたことだが、「女ことば」というのは欧米語には存在しない。
だから、リュス・イリガライのような人が「父権制を打倒するために女性に特化した言語を創造することが必須である」というようなとんちんかんなことを言い出したりするのである。
不思議なのはこれを読んだ日本のフェミニストの中に「あの~、でも日本語には女性に特化した言語ありますけど・・・」と言った人がいなかったということである。
欧米標準でしかものが考えられないその従属的マインドのありようそのものが「父権制における従者の地位」だということにどうして彼女たちは気づかずにいられるのであろう。
そもそも、アジアローカルの言語の話者のことなんか「はなから勘定に入れる気がない」イリガライの知的な構えこそが「父権制的帝国主義者」に固有のものなのではないかという疑念は彼女たちには浮かばなかったのであろうか。
まあ、フェミニストのことはよろしい。
英語ではIはあくまでIである。
子どもが言おうと、老人が言おうと、男が言おうと、女が言おうとIである。
英語話者がIと発語するそのときに、その脳内にはたぶん[ai]という音について、ソシュールのいうところの「聴覚映像」(image acoustique)が浮かんでいるのであろう。
これはある音韻と別の音韻を切り分ける二項対立の記号群(ローマン・ヤコブソンによると12セットある)のようなものである。
[ai]は[ei]でもないし[oi]でもないという音韻的な対立関係が英語話者の場合は優先的に配慮されているはずである(だと思う、英語話者じゃないからわからないけど)。
しかるに、日本人が「私」というときには脳内には「私」という漢字が浮かんでいる(私の場合はそうである)。
「私」は「僕」でもないし「俺」でもないし「拙者」でもないし「みども」でもないし「余」でもないし「おいら」でもないし・・・という相互互換的paradigmatiqueな選択は脳内において「漢字の図像」のうちの一つを選ぶという仕方で行われている。
[watasi]は[vatasi]ではなく[watazi]でもないというような音韻的な差別化は日本人の脳内ではさしあたり主題化していないはずである。
つまり、こういうことだ。
Chocolat Republic という店名を考案した人がいた。
彼の頭では、まず「ショコラ」という「チョコレート」とは意味的に差別化された「ちょっとお洒落なカカオ菓子」がパラディグマティックに選択されたのである。
ついで、World とかLand とかParadiseとか Countryとか、「・・・の国」を意味する語群からRepublicがパラディグマティックに選択された。
そういうふうに話が進んだのではないかと私は想像するのである。
だから、chocolatがフランス語でrepublicが英語であるというような連辞関係的syntagmatiqueな不整合は意識に前景化しなかったのである。
だって、それは「チョコレートの国」という正しい(!)日本語における統辞的な不整合(英語と日本語が統辞上同一語列に並んでいる)と同じものだからである。
う~む、日本語の奥は深い。

2007.11.17

Peer Stress

うう疲れたよ。
鏡を見ると、目の下にくろぐろと隈ができている。
金曜日は会議デーである。
学生相手に笑い話をしているうちに基礎ゼミはあっというまに終わり、専攻ゼミのためのご案内のあとは、入試委員会、学務委員会、人事委員会、合否判定教授会、教授会、人事教授会、ヒミツの会議と7連荘。
1時から始まった会議がノンストップで8時過ぎに終わり、よろよろと帰宅。
帰り道でイカリに寄って鶏肉と野菜と豆腐としらたきを買って、池上先生からいただいたきりたんぽを鍋に仕立てて食べる。
美味である(池上先生ごちそうさまです)。
風呂上がりビールをぐふ~と飲みながら、「どうしてこんなに会議が多いんだ・・・」とためいきをつく。
会議が多いのはそれだけ「解決すべき問題」が多いからである。
「解決すべき問題」が増えるには外的理由と内的理由がある。
少子化による大学淘汰を生き延びるための仕事や文科省や大学基準協会の課すペーパーワークは外的理由である。
これは大学人サイドの主体的努力ではどうにもならない。
あきらめて受け容れるしかない。
もう一つ「内的理由」がある。
これは私たち自身が原因で生じている。
私はこれを「ピア・ストレス」と呼んでいる。
率直に申し上げよう。
私たち大学人にとって最大のストレッサーは同じ大学人である同僚である。
組織内部における同僚たちとの意思疎通・合意形成の不調が私たちの心身のストレスの主因なのである。
会議の80%(もっとかもしれない)の時間は「大学が組織体として何をしようとしているのか」についての学内合意を形成するために費やされている。
独裁制以外のどのような組織体でも合意形成努力は必要である。
けれども、合意形成に要する負荷は経験的に言って二つの理由で不可避的に増大する。
一つは組織構成員の人数が増えることによって。
誰が考えてもわかるが、ステイクホルダーの数が増えれば増えるほど合意形成は困難になる。
先端的な企業では「会議の最大数は4人まで」と言われている。
その会議で新しいアイディアや有用なアイディアが「生まれる」という意味で生産的なのは構成員4人以下の会議までである。
5人以上の会議では「すでに存在しているアイディア」を周知させ、合意形成させるための「手続き」に参加者の時間とエネルギーの過半を取られて、そこで新しい星雲状態のアイディアが生まれるということはほとんど期待できない。
当然ながら、合意形成に要する時間は構成員の数に比して増大する。
というのは、構成員の多い会議では、事前に十分に練り上げた「案」を用意しなければならないからである。
案を用意しないで、白紙から議論したのでは何十時間あっても合意形成なんかできるはずがない。
そして、「生産的な会議は4人まで」の原則に従って、この案の起案作業にかかわったのはどのような規模の組織の場合でも、あまりたくさんはいない。
「起案」にかかわった人間とそこではじめて話を聞く人間のあいだでは情報格差が生じる。
「そこではじめて話を聞いた人間」は「そんな話、ぜんぜんきいてない」ところで根回しが済んでいるという事態に不快感を覚える。
そりゃそうでしょう。
だから「それはどういうことかね」と改めて一から質問してくるということが起こる。「私は聞いてないよ」
会議がはやく終わってほしい人はそんなことはしない。
でも、自分は「シャンシャン大会」で挙手をさせられただけだという印象を持っているから、そこで決定された事業に主体的にコミットしてゆこうという意欲は希薄である。
誰かが決めたことなんだから、誰かがやるんでしょ・・・おれは知らないよ。だって意見、聞かれてないし。
という「無責任」な気分になる。
これはやむを得ない。
繰り返し言うように、起案にかかわれるのはだいたい4人までである。
だから、「意見聞かれてないし・・・」と思っている人の数は、ざっくり言えば、「組織構成員数マイナス4」という公式で得ることができる。
この方たちは採決には参加したけれど、機関決定の履行については自分に責任があるとは実感していない。
全学的な事業が機関決定されながら、なかなか前に進まないのは「自分に責任がない」と思っている人間たちの数が多いせいである。
これは責められないと私は思う(私だってそう思うからである)。
この事態を回避するためには、起案部門では会議に先立って「ひろく意見を聞く」という仕事をしなければならない。
実際には、起案に要する時間と会議に要する時間以上に、このヒアリングに時間とエネルギーは割かれている。
学長はほとんどこれに忙殺されていると言っても過言ではない。
繰り返し言うように、この仕事量は単純に組織構成員数に比例する。
合意形成に要する手間ひまが増えるにはもう一つ理由がある。
だが、それをここで公開してしまうと、学内における合意形成がさらに困難になるので、書くわけにはゆかないのである。
とりあえずの結論を申し上げよう。
私たちの負荷を軽減するために必要なことは、論理的に言えば、組織をダウンサイジングすることである。
同僚の数を減らすことである。
昨日の教授会の議論を徴する限りでは、「同僚の数が増えることによって仕事の負荷が軽減する」ということを自明としている方が多かったようである。
しかし、それはご自身が今経験している現実を勘定に入れ忘れているのではないかと思う。
大学人にとって最大のストレッサーはその同僚である。
現に私たちの心身をすりへらしているのは教育活動でも研究活動でもなく、同僚とのコミュニケーションの不調である。
これは属人的な問題ではなく、構造的に不可避なことだと私は考えている。
コミュニケーション不調がもたらす被害を抑制するためには、組織はある程度以上大きくすべきではない。
大きくしようと思うなら、上意下達システムにするか、学部を「分社化」するか、いずれかの方法を採るしかないだろうと思う。
さしあたり、現在の制度を維持する限り、教員数を増やすことで仕事の負荷が減るだろうという予測は推論の仕方を誤っていると私は思う。
現にこのようなことを書いて、同僚諸君の心理的負荷を過重にしているのが他ならぬ諸君の同僚であるという当の事実が説の正しさを論証しているとは思われぬであろうか。

2007.11.18

土曜日はトークセッション

土曜日は武者小路千家の若宗匠である千宗屋さんをお迎えして、「茶道・武術・舞踊-身体性の教育を探る」が本学講堂において開催された。
朝日新聞社と共催のパートナーズシンポジウムなので、広報活動を朝日新聞がしてくれた。
たちまち整理券はソールドアウト(無料だけど)。
学内外で数日前から「チケットないですか」という悲痛な声が行きかうプラチナチケット状態になったのである(入れなかったみなさん、ごめんなさい)。
千宗屋さんとお会いするのは3回目である。
最初は2004年の4月に鎌倉の鈴木晶先生のお宅で「鈴木先生のお家を、歩いて二分のところにお住まいの高橋源一郎さんと一緒に急襲して、鈴木先生の手作りのごちそうを食べ散らして、ワインセラーのワインを飲み倒す」会(略称「飲み倒す会」)をしたときのことである。
高橋さんがシャンペンのマグナムボトルを持って登場されたときにBBQに飛び入り参加されたのが高橋家に仕事の打ち合わせに来ていた加藤典洋さんと、たまたま遊びに来ていたお嬢さんの橋本麻里さんと、そのお友だちの千宗屋さんであった。
鈴木晶・灰島かりご夫妻に高橋源一郎、加藤典洋、橋本麻里、千宗屋そして私という今にして思うともう一度全員のスケジュールを合わせることのまことに困難なメンバーによる一期一会的BBQであったが、そのときはそんなこととはつゆ知らず、鈴木先生の作る美味しい料理を貪り喰い散らし、「ここだけの話だけどさ」「え・・・!そうなんですか、あの人って・・・」というような文壇論壇「ここだけの話シリーズ」に深更まで打ち興じたのである(おもしろかったなあ)。
二度目にお会いしたのは去年の7月の比叡山で梅若六郎さんの『翁』を見たとき。
このときの企画者は橋本麻里さんで、比叡山が地元(天台宗の僧侶でもある)の千さんに根本中堂をご案内いただいた。
ご一緒したのは、茂木健一郎さん、杉本博司画伯、ギャラリー小柳の小柳敦子さん、上智大学の黒川由紀子さん、デザイナーの原研哉さんと私。
そして、三回目の今回千さんとご一緒するのは甲野善紀先生と島﨑徹先生。
なぜか千さんといるときはいつも「めちゃ濃い」メンバーになる。
どうしてなんだろう。
私の仕切りでは心もとないと思ったのか、橋本麻里さんが長駆東京から応援に来てくれた。
新潮社の足立さん、朝日新書の石川さん、大学ランキングの小林さんもおいでになっている。
みなさん、ほんとに遠いところご苦労さまです。
今回は千さんメインの会である。
千さんをゲストに呼ぶことにしたのは足立さんのサジェッションによる。
半年ほど前にトークセッションのゲストを探しているんですよという話をしたときに足立さんから「千宗屋さんはどう?」と言われたのである。
足立さんは千さんと私が知り合いだということをご存じなかったのである。
言われてみて「おお、それはグッドアイディア」と膝を叩いて、すぐに橋本さんから千さんのアドレスを伺ってメールを送ったところ、ご快諾いただいたのである。
ご快諾の理由には、千さんのお姉さんが本学人間科学部の卒業生、お父さんが評議員をされていたという因縁もあったのである(昨日千さんから教えていただくまで知らなかった)。
実は二重三重の縁によって結ばれたシンポジウムだったのである。
まことに因果は糾える縄の如し。この世に「たまたま」ということはあまりないのである。
まず、千さんにキーノート・スピーチをしていただいてから、後半は四人でのトーク・セッションという構成。
話の内容はおもしろすぎて要約することができない。
私は茶道についてはまるで素人であるが、この伝統文化もまた「共-身体」を構築するための高深度のコミュニケーション技術であるということを知って驚嘆したのである。
そのことは千宗屋という人物自身がそこにいることで座の親密性と緊張感が同時に高まってゆくという事実によって聴衆全員にはっきりとご理解いただけたのではないかと思う。
千さんとは次は『考える人』で対談が予定されている。
そのときには官休庵で茶事を初体験できる。
まことに楽しみなことである。
朝日新聞社ならびに裏方の職員ご一同さま、お手伝いしてくれた学生諸君、懇親会を盛り上げてくれた甲南合気会の諸君、そしてフレンドリーなオーディエンスのみなさまに主催者を代表して(私に代表権はないのであるが)心よりお礼を申し上げたい。
みなさん、どうもありがとう。
次回をお楽しみに!

2007.11.22

岡田山縁起

朝起きて、三宅接骨院に行く。
ぼろぼろですね・・・と三宅先生が悲しそうな顔をする。
戻ってから、共同通信の原稿を送稿。
どうして食品産業では偽装が起きるのかについての人類学的分析。
大学へ行って、オフィスで「大学ランキング」の小林さんの本の解説を書いて送稿。
小林さんの本で本学はある項目で全国一位になっている。
それは「美しいキャンパス」というランキングである。
うれしいことである。
建物がきれいなキャンパスも、緑の多いキャンパスも日本中にいくらもあるが、本学の美しさはそれとは少しものが違う。
「岡田山」という場所がもつ本態的な「勁さ」が本学の建物や植生の美しさを支えているように私には思われるからである。
岡田山に登ると、いつも私は穏やかな「オーラ」を感じる。
岡田山キャンパスは岡田神社を中心に作られている。
よく「どうしてミッションスクールの中に神社があるのですか?」と訊かれるけれど、これは問題の立て方が間違っていて、先方は延喜式内社であるから紀元927年にはすでに朝廷によって神社として認知されていたのである。
1000年前から神社があるところに私たちは後からやってきた。
だからこの問いは「どうしてこの神社のあるところにミッションスクールを建てたのですか?」と立て直されなければならない。
岡田神社建立当時の岡田山は、その麓を大阪湾の水が浸していた「岬」である。
『アースダイバー』で中沢新一さんが指摘していたように、「ミサキ」は現世と来世の境界線である。
だから、古い寺社はほとんど例外なしにかつての海岸線上に勧進されている。
去年の卒業生のアサイヒフミくんの卒論は大阪周辺の「縄文時代の海岸線上」には今何かがあるかを調べたものである(『アースダイバー』大阪編)。
地図を片手に大阪兵庫を歩き回ったアサイくんの報告によれば、「ミサキ」に集中しているのは寺社、墓地、ラブホテル、病院、そして大学であった。
これらはいずれも「ある世界」と「別の世界」を架橋するはたらきをしている。
ラブホテルだってもとはといえば「新しい生命を生み出すための行為」に特化された場である。
興味深いのは大学がやはり「架橋」のための制度として人類学的には認知されているということである。
大学は本来は「この世」のものでもなく、「あの世」のものでもなく、そのふたつを取り結ぶ結節点として機能するのである。
だから、70余年前に岡田山をキャンパスに選んだとき(他に須磨のほうにも有力な候補地があった)、選択者はこの地のオーラが「架橋するための制度」にふさわしいものであることを感知したに違いない。
日本広しといえども、1000年前から神社があった霊的特権空間にキャンパスが展開している大学はおそらく本学だけであろう。
その霊的威徳をあらわす現代語が存在しないので、おそらく小林さんは「美しい」というエステティックな形容詞を選ばれたのではないかと私は思うのである。

1時から5時まで4時間ゼミ面接。
これで49人。
終わってから音楽館の斉藤先生のレッスン室で8時まで石黒晶先生のオリジナル歌曲の歌唱指導を受ける。
どうして私がソプラノ歌手の歌唱指導を受けることになったのかについては長い話があるのだが、それを言うと見に来る人がいるので、教えない。
石黒先生の作曲された琉球旋律の美しいメロディと耳元で響く斉藤先生の美声にぼおっとしたまま2時間のレッスンが終わって帰宅。
締め切りを過ぎていた『映画秘宝』のオールタイムベスト10のアンケートを書いて送稿。
ちなみに私が選んだオールタイムベスト10は
1秋刀魚の味
2晩春
3燃えよドラゴン
4七人の侍
5荒野の七人
6大脱走
7ウェストサイド物語
8昭和残侠伝 血染めの唐獅子
9仁義なき戦い 代理戦争
10 ビートルズがやって来る
選出の理由はみなさんで考えてみてください。

2007.11.24

フッサールと「だんじり」

こたつ(をついにセッティング)に入って、永谷園の「煮込みラーメンしょうゆ味」に茸をたくさん入れたのを食べていたら、江さんから電話がかかってきた。
岸和田でだんじりの寄り合いで飲んでいるところなのだが、フッサールの間主観性概念を「遣り回し」の共-身体に適用するとどうなるかということを議論していて、「家の前面にいるときに家の側面や家の裏面に他我がいて、同時にそれらを認識しているので、それが『家の前面である』ということが直観される」という、あれを現象学の術語で何と言いましたかねというお問い合わせである。
ちょっと思いだせんので、こういうときはウチダ先生に直接訊くのが早いとおもて電話したんですわ。
煮込みラーメンを食べてビールを飲んでいるときに、そんなことを訊かれても困る。
とりあえず『レヴィナスと愛の現象学』をとりだして「非・観想的現象学」の章をぱらりとめくり、探してみると、それは「間接的呈示」のことであった。
だそうです、とご返事をして受話器を置く。
岸和田はディープだ。
自分が書いた本なのに、何が書いてあるのか覚えていないというのはいささか問題である。
反省して、ラーメン終了後に『レヴィナスと愛の現象学』をひもとく。
すると「ノエマとノエシス」とか「間主観性」とかたいへんにむずかしいことが書いてある。
筆致から推すに、この著者はそのような概念の意味について熟知されているようである。
たいしたものである。
このような本を今「書け」といわれても、私にはもう書けない。
フッサールのこともハイデガーのことも、あらかた忘れてしまったからである。
しかし、それはボケタとか忘れたというより、むしろ主題化しないほどに深く「血肉化した」と申し上げた方がよろしいかも知れない。
現に江さんはフッサールの間主観性=共同主観性構造の端的なあらわれを「鑓り回し」のうちに見た。
あのような複雑な運動は数百人が一種の「共身体」を形成して、中の一人が現に経験している体感が全体で共有されるということが起こらないと成り立たない。
これはフッサールの挙げた「家を見る」例よりはるかにダイナミックに間主観的な経験である。
フッサールや廣松渉は「だんじり」的な共同主観的体験というのを、おそらく身体レベルでは実感したことがないのではないか。
もちろん、想像でも近似的に体感することはできる。
でも、想像的体感と「万有共生」の実感のあいだには千里の径庭がある。
さいころを凝視しつつ、その「見えない三面」を間主観的に本質直観しているフッサールに「さいころは私であり、私はさいころであり、私とさいころはもはや一つのものである」という種類の感覚が訪れることはない(と思う)。
けれども、間主観性の経験のもっとも豊かなところは「そこ」である。
私は他我であり、他我は私であり、私と他我はあわせてひとつのものである。
こういう実感は「私」を基礎づけるというよりはむしろ「『私』なんて、どうでもいいじゃん」という涼しい諦観へと私たちを導く。
昨日多田先生の講習会で印象深い話をうかがった。
「合気道家は入れ歯がよく合う」という話である。
歯科医に言わせると、合気道をしている人たちは義歯との「なじみ」がよいのだそうである。
義歯はもとより異物である。
そのような人工物が口腔中にあれば、異物感がつねにともなうのは当然である。
歯科医によると、義歯が合わない人はいくら作り直しても合わないのだそうである。
それは口腔の解剖学的構造の問題ではなく、「自我」の境界線をどのくらい「半開き」状態にできるかという形而上学の問題であると私は思う(多田先生もそう思われたからこの話をされたはずである)。
「義歯が合わない人」は共同主観的に未熟であると判じてよろしいであろう。
そして、義歯と涼しく「なじむ」という自我の融通無碍こそがわれわれが武道や「だんじり」で学ぼうとしている当の目的ではないのであろうか。
フッサールのことを私が忘れてしまったのは、フッサールがあまり考究していないことが私の関心事になってしまったからであろう(希望的観測)。
上記のごとく、私は現在東京に来ている。
23日が多田先生の特別講習会と池上六朗先生とのご会食。24日が日本文学協会のシンポジウムと高橋源一郎、橋本麻里ご父子とのご会食。25日が大瀧詠一師匠とのラジオ収録というハードにして濃~いスケジュールなのである。
昨日は3時間半ほど稽古をつけていただいたあとに、多田先生にお茶をごちそうになって対馬藩の昔話をお聞きした。
10月の多田塾合宿に行けなかったので、自由が丘道場、気錬会のみなさんとお会いするのは5月の全日本演武会と五月祭以来である。
ひさしぶりですね。
多田塾のみなさんに囲まれていると「共身体」という概念がしみじみと実感せられるのである。
学士会館に荷物を置いてから、西新宿のアシュラムノヴァへ。
池上先生に開口一番「あ、日本で一番不幸な人が来た」と言われる。
池上先生からすれば、遊びたいこともできずに東奔西走働きづめの私はそう見えるのであろう。
うう。
ここで池上先生にまたまた不可思議なる治療をしていただく。
身体が相当にねじれているようで、そのために右手の肘に痛みが出ている。
30分ほどあちこち触っていただいたら、なんだかほんわか体が軽くなった。
池上先生最新の治療具(トランプみたいなやつ)をプレゼントしてもらう。
それから歯科医の石田先生(からも不可思議なる治療具をプレゼントしていただいた)と三人で晩御飯。
ごくごくビールを飲んで、それから三軸のみなさんとバーで合流。
石田先生に手相を見ていただき、ついでに「金運」と「健康運」のところの筋をゴールドの油性ペンでごしごし「強化」してもらう。
これでだいぶ人生が開けそうである。
わいわいおしゃべりしているうちにすでに深更。


2007.11.25

さよなら主体たち

ロード二日目は日本文学協会でのシンポジウム「言葉の力」。
会場が学士会館のお向かいの共立女子大。昼まで寝ていても間に合うというグッドロケーションである。
それでも打ち合わせ時間に遅刻(ありがちなことである)。
司会の須貝千里先生、丹藤博文先生、パネリストの馬場重行先生、横山信幸先生とお昼を食べ食べご挨拶。
シンポジウムは1時半から5時まで、なんと3時間半一本勝負という長丁場である。
主題はどのようにして文学テクストのうちに棲まう「他者」をして語らしめるか、というたいへんにヘビーなものであった。
これはびっくり。
私の知らないうちに、日本の文学研究は「主体が語る」という近代主義のパラダイムから「他者が語る」というポスト・モダンのパラダイムにしっかり移動中のようである。
しかし、「どのようにして他者をして語らしめるか」という問題の立て方にはいまだ「主体性」のシッポが覗いている。
「主体性なんかブタに食わせろ」ということは簡単であるが、その場合「ブタさん」に主体性を給餌しているところの「誰か」がやはり存在せねばならぬわけであり、それは「主体」ではないとしたら誰なのかという難問は手付かずのまま残るのである。
私の場合は、「ここで『私』という一人称代名詞を主語として語っているのはすでにして『他者さん』です」というスキームを採用させていただいているので、そのような齟齬は起こらない。
語りにおける私と他者との関係は、『サウスパーク』におけるギャリソン先生とハット君の関係と類比的であるといえばおわかりになる方はおわかりになるであろうし、おわかりにならない方にはぜんぜんおわかりにならないであろう。
でも、今こうして語っているのは「ハット君」の方なので、そんなことは「ギャリソン先生」である当の私にはかかわりないのである(態度悪いよ、ハット君!)。
ともあれ(なにが「ともあれ」だか)、現代における文学研究・国語教育研究のキーワードが「他者」であるということを知って私は一驚を喫したのである。
しかし、他者問題はさきに申し上げたとおり、「他者との架橋をいかにして果たすか」という「架橋問題」に書き換えてしまうと、ひたすら主体を強化することになりかねない。
そうではなくて、一方で「私のうちなる他者」が語り、一方で「他者のうちなる私」が語るという「主体-他者関係のぐちゃぐちゃ化プロセス」として構想されねばならないのではないか。
レヴィナス老師はそう教えておられたかに思う。
「ぐちゃぐちゃ」にするというのは特段アナーキーなことを申し上げているのではない。
もともと「主体」とか「他者」というのは、アモルファスな絡み合いのうちから便宜的に二つの項を極化してとりだしてみせたものであって、そういう名前をつけると「そういうものがあるような気になる」という言語記号の事後的効果にすぎない(おお、大胆な断定)。
いかにして主体は他者の声を聴き取るか・・・というような問題設定をしている限り、主体と他者の極化は強化されるだけである。そんな暇があったら、主体と他者をまとめて「生ゴミ」に出した方がよほど話が早いのではないかということを私はせんから申し上げているのであるが、なかなかご理解いただけないのである。
もちろんシンポジウムではこんな話をしたわけではない。
シンポジウムに来ていたウッキー、トガワさん、タカハタさんにご挨拶して、学士会館に戻る。
ここで『BRUTUS』のために写真撮影をぱしぱしと済ませて(学士会館から叱られて)から、橋本麻里さんにつれられて麻布十番のミシュラン☆のイタリアン・レストランへ。
高橋源一郎・橋本麻里父子とのディナー。
高橋さんは育児と執筆に疲れ果てて、小林秀雄賞の受賞パーティに来られなかったので、それを埋め合わせるために個人的に私のためのパーティを(橋本麻里さんの誕生パーティも兼ねて)開いてくださったのである(ほんとうによい人である)。
シャンペン、ワインなどをぐいぐいといただき、トリュフを齧り、あわびを食べ、鰤をつつき、鯛をせせる。
最初の話題は高橋さんの新作のプロットについて。
これはかっこいいタイトルから想像されるのと、ぜんぜん違う内容でびっくり。
それから高橋さんの宿業となった引越しの話。
そして、期せずして主体性の話。
主体性は純理的には整合的であるのだが、世界のエコノミーの中では使い物にならない。
「エコノミー」というレヴィナスの用語を高橋さんは期せずして使われた。
「エコノミー」とはギリシャ語「オイコノモス」の派生語で、その本義は「家政」である。
つまり、「家の中の切り盛り」のこと。
「家の中」という条件づけが重要なのである。
「使えるリソースに限りがある」ということである。
「使えるリソースに限りがない」場合と、「限りがある」場合では、正否の記号が反転することがある。
たとえば、資本主義は「使えるリソースに限りがない」ことを前提にして利益追求をわれわれに求めるが、地球上のリソースには限界があるので、どこかで資本主義的であることを止めないと資本主義は生き延びることができない。
主体性も同断である。
主体はどこかで主体的であることを止めないと生き延びることができない。
それが「主体性のエコノミー問題」である。
たいへんわかりにくいことを申し上げているので、お若い方には意味不明であろう。
そのうち年をとって、余命をカウントダウンするようになればおのずとお分かりになるからご心配には及ばない。
ともあれ、「エコノミー」を勘定に入れ忘れたのが近代の病であると考える点で私は高橋さんと老師の知見に深く同意するのである。
美食と美酒に酔いしれて東京漂流二日目の夜もまたしんしんと更けてゆくのでありました。

2007.11.26

ナイアガラー温度

死のロード最終日。
朝一で白夜書房の取材。
『ラグビー魂』とか『野球小僧』というカラフルなタイトルの雑誌を出している出版社である。
平尾剛さんとの共著をお読みになって、スポーツの身体運用について意見を聞きたいということで質疑にお答えする。
コンタクト・プレーはある種のコミュニケーションではないか(ラグビーをしたことがないからタックルされる感じもする感じもわからないけれど)という話をする。
武道的な身体運用の最終目標は「敵を作らない」ということである。
ラグビーでもたぶんその基本の考えは変わらないはずである。
でも、ボールゲームのプレイヤーに「敵を作らない」ということの意味を理解してもらうことはたいへんに困難である。
これまで武道関係の学会や研究会で何度か持論を語ったことがあるけれど、「強弱勝敗を論じない」ということはあまり(というよりぜんぜん)ご理解頂けなかった。
まあ、そうですよね。
「天下無敵」という言葉の語義が「天下に敵がいない」ということであることは誰にでも理解してもらえる。
だが、では「敵がいない」状態というのがどういうものであるかを問うてみると、そのような想像に知的資源を投じる人はほとんどいない。
それを理解するためには「主体」という概念の解体を経由せねばならないのであるが、「主体性の呪縛」に取り憑かれた近代人にはそのハードルがたいへんに超えることの困難なものなのである。
取材が終わってから武蔵小山へ。
AGAINで大瀧詠一さんとのトークセッションの収録。
大瀧さんとは『文藝』のナイアガラ特集で山の上ホテルで対談して以来である。
電話では今年のはじめにおしゃべりしたけれど、新築なった45スタジオをお訪ねする約束を果たさぬままに、今年も暮れようとしている(大瀧さんすみません)。
今回はラジオ・デイズのコンテンツのためのセッションで、平川克美君と石川茂樹君と私の三人(「東京ファイティングキッズプラス1」というか「温泉麻雀メンバーマイナス1」というか)で大瀧さんをお迎えするというかたちである。
石川君はAGAINに大瀧さんが来られるというので、二週間くらい前から興奮してよく眠れなかったそうである。
ナイアガラーとしては当然のことである。
石川君によるとナイアガラーにはいくつか段階があって、81年のA Long Vacation から聴き出したのが「新参ナイアガラー」。Let‘s Ondo Again をリアルタイムで買ったのが「中期ナイアガラー」。ラジオ関東のGo!Go!Niagara を聴いていたのが「初期ナイアガラー」。はっぴいえんどをリアルタイムで聴いていた方々が「プロト・ナイアガラー」ということになる。
石川君も私もはっぴいえんど時代は名前しか知らず、大瀧さんがソロ活動を開始してからの熱狂的リスナーであるので、「初期ナイアガラー」に分類される。
私はあまりこういう「ナイアガラー温度差」ヒエラルヒーにこだわりはないのであるが、石川君は「新参」(といってももう四半世紀を超える大瀧ファンなのに)の方々に対しては「ヒットアルバムが出てから聴き始めた」という点を咎めて許さないのである。
なかなか排他的である。
しかし、私は石川君から20年以上にわたり大量の「ナイアガラお宝音源」のご提供を受けている関係もあって、それに異を唱えることのできる立場にない。
(と書いて日記をアップしたら、石川君からこの説明では誤解のおそれがあるのでは・・・というメールが届いたので、ひとこと補足しておきますね。
石川君は決してロンバケ以後にナイアガラーになった人たちを排斥しているのではありません。
そうではなくて、「ラジオ番組を聴けなかった世代」が「ナイアガラ道」にさらに精進するためにはこの時期の大瀧さんの音楽活動(ほとんどが現在では入手不能の音源です)にアクセスすることが不可欠であると考えている、ということです。
そのために石川君は日本中の若きナイアガラーたちにせっせと「Go!Go!Niagara」のテープをコピーして送っている「ナイアガラ道の伝道師」のつとめを果たされているのであります。
使徒マタイのようなものですね(大瀧さんも昨日そう言っておられました)。
ともあれ、そういうコアな初期ナイアガラー二人と60年代ポップスにはちょっとうるさい(けれどもノン・ナイアガラーの)平川君で大瀧さんから音楽の話と「大瀧詠一的生き方」について存分に伺おうというのである。
内容は・・・申し訳ないけれど、ここで書くわけにはゆかないのである。
なにしろラジオデイズの「売り物」コンテンツですから。
どんな話(なにしろ4時間しゃべったのである)か知りたい人は来月中旬くらいにはラジオデイズにアップロードされるはずなので、それをダウンロードしてお聴き下さい。
いや~面白かったです。
でも、ぼくの出演はほとんど「笑い声」だけですけれど。
大瀧さんほんとうにありがとうございました。
まことに夢のような4時間余でありました。

2007.11.27

そろそろ師走です

大瀧さんと会った「後遺症」がまだしばらく残っていて、ぼおっとしている。
とりあえず大瀧さんにいただいた成瀬巳喜男の『秋立ちぬ』(1960)を見る。
主人公のヒデオくんは6年生、12歳である。つまり大瀧さんと同年ということである。
小学校六年生の眼から見えたオリンピック前の東京の風景。
大瀧さん、これって「あれ」じゃないですか。
『三丁目の夕日』の原作者の西岸良平さんは大瀧さんより1コ上の細野晴臣さんと港区立白金小学校の同級生だそうである。
「風を集めて」が「東京の原風景」のBGMに好んで選択されるというのは、細野さんの「街のはずれの背のびした路地を散歩してたら・・・」という歌詞と西岸マンガのあいだにひそやかな共通点があることを人々がどこかで感知していたからだろう。
いただいたDVDのもう一つは同じ成瀬巳喜男『銀座化粧』。
この二作品には一体大瀧さんはどのような隠されたメッセージを託されたのであろうか。
大瀧さんの場合は、ほとんどすべてのメッセージがダブル・ミーニングになっている。
その表層のメッセージだけ読むか、もう一つ深層のメタメッセージまで読むかで「ナイアガラ・リテラシー」のが生じる(昨日石川君がいっていたのは、この「ダブル・ミーニング読み」の技術習得の必要性のことであろう)。
大瀧さんに「ナイアガラー」として認知されるのはたいへん難度の高い事業であり、私の場合は『文藝』の対談の中で大瀧さんが「山本富士子」の物まねをしたときに、それが「桜井長一郎による山本富士子の物まね」であることに気づいた時点で「ナイアガラー」認定を受けたのである。
けっこうたいへんなのである。わかるでしょ。
ともあれ、『秋立ちぬ』と『銀座化粧』を二つ続けて見ると、大瀧さんから私あての「隠されたメッセージ」が何かが判読できるはずである。
それは何であろうか。
わかったらご報告するので、お楽しみに。
いろいろなところから仕事の依頼が来る。
どんどんお断りする。
ある新聞から「人生相談」の回答者になってほしいという依頼を受ける。
500字で回答してほしいというので、断る。
人生相談に「字数制限」があるというのはなんとなく納得がゆかない。
一行で終わる場合もあるし、5000字書いても足りないこともある。
あるラジオ局から年末特番で1時間しゃべって欲しいという依頼がくる。
年末は煤払いと年賀状書きで忙しいので、東京に収録に行っている暇はないので、これも断る。
あるテレビ局から『先生はえらい』のドラマ化の話(そんなのがありましたね)について続報が届く。
「先生はえらい」というのはただの日本語のフレーズであって、私がコピーライトを持っているわけじゃないので、好きに作られたらよろしいのではないかとお答えする。原作料なんか取りようがないし。
韓国のラジオ局から、『下流志向』の翻訳が出て、けっこう評判になっているそうなので、それについて電話インタビューがある。
翻訳が出るとは聞いていたけれど、もう出たとは知らなかった。
仕事が早いなあ。
韓国でも「学びからの逃走・労働からの逃走」の徴候がすでに感知されているそうである。
子どもたちが「消費者マインド」で教育や労働の現場に登場すれば、そういうことになるのは原理的に不可避である。
別に日本だけの現象ではないはずであると思っていたが、やはりね。
中国語版もはやく出て欲しい(たしか台湾で準備中のはず)。
アジアのみなさんの読後感を聞いてみたいものである。

2007.11.29

トレンドの終わり

ゼミ面接がようやく終わる。
延べ81名。
総合文化学科の2年生は220名であるので、その36.8%と集中的に面談したことになる。
たいへん疲れる仕事であるけれど、いまどきの二十歳の女子学生が「何を学びたいと思っているのか」を定点観測する機会としてこれにまさるものを想像することはむずかしい。
さて、そこでいったい女子学生たちは何を学びたいと思っているのかについて、この場を借りてご報告申し上げたいと思う。
一つは「ファッション」である。
なんだ、そんなことかと思われるかも知れない。
もちろんこれまでもゼミで「ファッションについて研究したい」と言ってきた学生は少なくない。
そして、私はこれまでそういう研究目標を上げた学生はほとんどゼミ選考で落としてきた。
それはそう言う彼女たちご自身が「ブランド」に身を包み、ファッションに身をやつしていたからである。
自分が現にそれを欲望している当のものについて、その欲望の由来と構造を研究するためには超絶的な知的アクロバシーが必要である。
「ファッションについて研究したい」という学生をばんばん落としてきたのは、「ファッション」というテーマがつまらないからではなく、そのように困難なテーマを自分が研究できると思っている自己評価の不適切さを咎めたのである。
ところが今回「ファッションを研究したい」と言ってきた学生たちは、これまでの学生たちとたたずまいが少し違っていた。
彼女たちは「イラついて」いたのである。
どうして女性誌を毎月全巻読破して、最新流行アイテムの記号的意味について習熟し、かつまた自分のコーディネイトの当否について同輩たちから朝夕に非妥協的な査定を受けなければならないのか、それについての「不満」が彼女たちのうちにはあきらかに鬱積しつつある。
どうして、「こんなこと」をしなければならないのか。
この「イラつき」の直接の引き金になったのは私見によれば「ファー」の流行である。
ご存じの方はまだ少ないであろうが、今年の秋冬の最新流行は「ファー」である。
毛皮の襟巻きですね。要するに。
これをくるくると首の回りに巻き付ける。
海外のセレブたちがこの襟巻きをしている写真が今年の春先から集中的に報道され、「今年の秋冬は毛皮の襟巻きが定番」ということが日本中の女子たちに刷り込まれた。
そして夏前にその情報を仕入れたファッション・リーダーを自任する女の子たちはいささかフライング気味にファーの着用に及んだのである。
今年の夏は暑かった。
10月も十分に暑かった。クーラーを入れた日があるほどである。
しかし、秋冬アイテムは10月になったらもう着用せねばならない。
ある日授業に行ったら、西日の差し込むくそ暑い教室で3人の学生が「毛皮の襟巻き」をして額からたらたらと脂汗を流していた。
「それ、暑くないかい」と私は気づかったのだが、彼女たちは苦しげに首を横に振った。
さすがに11月も末になると、このファッションもつきづきしいものとなったが、そこに至るまでの3週間ほど、ファッション・リーダーの女子たちは死ぬ思いをしたのである。おそらく首周りに「あせも」を作って苦しんだ学生も少なくないであろう。
この経験がおそらく彼女たちのうちの「探究心」に点火したのではないかと私は推察するのである。
「なぜこのような思いをしなければならないのか?」
そのわずかな怒気を含んだ「なぜ?」が、今年度のゼミ面接学生たちの「ファッションについて研究したい」という志望理由には含まれているように私には感じられた。
その中で繰り返し登場したのが本学の「真のファッション・リーダー」と目されているある三回生の話である。
聞くところでは、その彼女のモノクロ系コーディネイトは女性誌が定型化するものとはまったく違う、きわめて個性的でシックなものであり、彼女が廊下を通り過ぎるときに学生たちの間にはさざなみのようにひそやかなどよめきが広がるのだそうである。
CanCamやJJを読んで、そのとおりのコーディネイトをしてくる「ファッション・フォロワー」の学生たちは彼女のセンスに遠く及ばないと学生たちは断言していた。
そして、この「女性誌的定型化」を軽々と無視しながら、「ファッション・リーダー」の女の子たちを驚倒させるこの女子学生のセンスの良さをどれほど的確に評価できるかどうかが本学のファッション・リーダーの女の子たちにとっていまや「踏み絵」となっているのである。
「え?そんな人、うちにいた?」というような反応をする学生はもうその段階でペケなのである。
すごいね。
私はここに「ビジネス優先のファッション時代」の終焉のかすかな予兆を感知したのである。
まだ気づいたことはいくつかあるのだが、それはまた別の機会にご報告したいと思う。

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