岡田山縁起

2007-11-22 jeudi

朝起きて、三宅接骨院に行く。
ぼろぼろですね・・・と三宅先生が悲しそうな顔をする。
戻ってから、共同通信の原稿を送稿。
どうして食品産業では偽装が起きるのかについての人類学的分析。
大学へ行って、オフィスで「大学ランキング」の小林さんの本の解説を書いて送稿。
小林さんの本で本学はある項目で全国一位になっている。
それは「美しいキャンパス」というランキングである。
うれしいことである。
建物がきれいなキャンパスも、緑の多いキャンパスも日本中にいくらもあるが、本学の美しさはそれとは少しものが違う。
「岡田山」という場所がもつ本態的な「勁さ」が本学の建物や植生の美しさを支えているように私には思われるからである。
岡田山に登ると、いつも私は穏やかな「オーラ」を感じる。
岡田山キャンパスは岡田神社を中心に作られている。
よく「どうしてミッションスクールの中に神社があるのですか?」と訊かれるけれど、これは問題の立て方が間違っていて、先方は延喜式内社であるから紀元 927 年にはすでに朝廷によって神社として認知されていたのである。
1000年前から神社があるところに私たちは後からやってきた。
だからこの問いは「どうしてこの神社のあるところにミッションスクールを建てたのですか?」と立て直されなければならない。
岡田神社建立当時の岡田山は、その麓を大阪湾の水が浸していた「岬」である。
『アースダイバー』で中沢新一さんが指摘していたように、「ミサキ」は現世と来世の境界線である。
だから、古い寺社はほとんど例外なしにかつての海岸線上に勧進されている。
去年の卒業生のアサイヒフミくんの卒論は大阪周辺の「縄文時代の海岸線上」には今何かがあるかを調べたものである(『アースダイバー』大阪編)。
地図を片手に大阪兵庫を歩き回ったアサイくんの報告によれば、「ミサキ」に集中しているのは寺社、墓地、ラブホテル、病院、そして大学であった。
これらはいずれも「ある世界」と「別の世界」を架橋するはたらきをしている。
ラブホテルだってもとはといえば「新しい生命を生み出すための行為」に特化された場である。
興味深いのは大学がやはり「架橋」のための制度として人類学的には認知されているということである。
大学は本来は「この世」のものでもなく、「あの世」のものでもなく、そのふたつを取り結ぶ結節点として機能するのである。
だから、70余年前に岡田山をキャンパスに選んだとき(他に須磨のほうにも有力な候補地があった)、選択者はこの地のオーラが「架橋するための制度」にふさわしいものであることを感知したに違いない。
日本広しといえども、1000年前から神社があった霊的特権空間にキャンパスが展開している大学はおそらく本学だけであろう。
その霊的威徳をあらわす現代語が存在しないので、おそらく小林さんは「美しい」というエステティックな形容詞を選ばれたのではないかと私は思うのである。

1時から5時まで4時間ゼミ面接。
これで 49 人。
終わってから音楽館の斉藤先生のレッスン室で 8 時まで石黒晶先生のオリジナル歌曲の歌唱指導を受ける。
どうして私がソプラノ歌手の歌唱指導を受けることになったのかについては長い話があるのだが、それを言うと見に来る人がいるので、教えない。
石黒先生の作曲された琉球旋律の美しいメロディと耳元で響く斉藤先生の美声にぼおっとしたまま 2 時間のレッスンが終わって帰宅。
締め切りを過ぎていた『映画秘宝』のオールタイムベスト10のアンケートを書いて送稿。
ちなみに私が選んだオールタイムベスト10は

1秋刀魚の味
2晩春
3燃えよドラゴン
4七人の侍
5荒野の七人
6大脱走
7ウェストサイド物語
8昭和残侠伝 血染めの唐獅子
9仁義なき戦い 代理戦争
10 ビートルズがやって来る

選出の理由はみなさんで考えてみてください。
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