フッサールと「だんじり」

2007-11-24 samedi

こたつ(をついにセッティング)に入って、永谷園の「煮込みラーメンしょうゆ味」に茸をたくさん入れたのを食べていたら、江さんから電話がかかってきた。
岸和田でだんじりの寄り合いで飲んでいるところなのだが、フッサールの間主観性概念を「遣り回し」の共-身体に適用するとどうなるかということを議論していて、「家の前面にいるときに家の側面や家の裏面に他我がいて、同時にそれらを認識しているので、それが『家の前面である』ということが直観される」という、あれを現象学の術語で何と言いましたかねというお問い合わせである。
ちょっと思いだせんので、こういうときはウチダ先生に直接訊くのが早いとおもて電話したんですわ。
煮込みラーメンを食べてビールを飲んでいるときに、そんなことを訊かれても困る。
とりあえず『レヴィナスと愛の現象学』をとりだして「非・観想的現象学」の章をぱらりとめくり、探してみると、それは「間接的呈示」のことであった。
だそうです、とご返事をして受話器を置く。
岸和田はディープだ。
自分が書いた本なのに、何が書いてあるのか覚えていないというのはいささか問題である。
反省して、ラーメン終了後に『レヴィナスと愛の現象学』をひもとく。
すると「ノエマとノエシス」とか「間主観性」とかたいへんにむずかしいことが書いてある。
筆致から推すに、この著者はそのような概念の意味について熟知されているようである。
たいしたものである。
このような本を今「書け」といわれても、私にはもう書けない。
フッサールのこともハイデガーのことも、あらかた忘れてしまったからである。
しかし、それはボケタとか忘れたというより、むしろ主題化しないほどに深く「血肉化した」と申し上げた方がよろしいかも知れない。
現に江さんはフッサールの間主観性=共同主観性構造の端的なあらわれを「鑓り回し」のうちに見た。
あのような複雑な運動は数百人が一種の「共身体」を形成して、中の一人が現に経験している体感が全体で共有されるということが起こらないと成り立たない。
これはフッサールの挙げた「家を見る」例よりはるかにダイナミックに間主観的な経験である。
フッサールや廣松渉は「だんじり」的な共同主観的体験というのを、おそらく身体レベルでは実感したことがないのではないか。
もちろん、想像でも近似的に体感することはできる。
でも、想像的体感と「万有共生」の実感のあいだには千里の径庭がある。
さいころを凝視しつつ、その「見えない三面」を間主観的に本質直観しているフッサールに「さいころは私であり、私はさいころであり、私とさいころはもはや一つのものである」という種類の感覚が訪れることはない(と思う)。
けれども、間主観性の経験のもっとも豊かなところは「そこ」である。
私は他我であり、他我は私であり、私と他我はあわせてひとつのものである。
こういう実感は「私」を基礎づけるというよりはむしろ「『私』なんて、どうでもいいじゃん」という涼しい諦観へと私たちを導く。
昨日多田先生の講習会で印象深い話をうかがった。
「合気道家は入れ歯がよく合う」という話である。
歯科医に言わせると、合気道をしている人たちは義歯との「なじみ」がよいのだそうである。
義歯はもとより異物である。
そのような人工物が口腔中にあれば、異物感がつねにともなうのは当然である。
歯科医によると、義歯が合わない人はいくら作り直しても合わないのだそうである。
それは口腔の解剖学的構造の問題ではなく、「自我」の境界線をどのくらい「半開き」状態にできるかという形而上学の問題であると私は思う(多田先生もそう思われたからこの話をされたはずである)。
「義歯が合わない人」は共同主観的に未熟であると判じてよろしいであろう。
そして、義歯と涼しく「なじむ」という自我の融通無碍こそがわれわれが武道や「だんじり」で学ぼうとしている当の目的ではないのであろうか。
フッサールのことを私が忘れてしまったのは、フッサールがあまり考究していないことが私の関心事になってしまったからであろう(希望的観測)。

上記のごとく、私は現在東京に来ている。
23日が多田先生の特別講習会と池上六朗先生とのご会食。24日が日本文学協会のシンポジウムと高橋源一郎、橋本麻里ご父子とのご会食。25日が大瀧詠一師匠とのラジオ収録というハードにして濃〜いスケジュールなのである。
昨日は3時間半ほど稽古をつけていただいたあとに、多田先生にお茶をごちそうになって対馬藩の昔話をお聞きした。
10月の多田塾合宿に行けなかったので、自由が丘道場、気錬会のみなさんとお会いするのは5月の全日本演武会と五月祭以来である。
ひさしぶりですね。
多田塾のみなさんに囲まれていると「共身体」という概念がしみじみと実感せられるのである。

学士会館に荷物を置いてから、西新宿のアシュラムノヴァへ。
池上先生に開口一番「あ、日本で一番不幸な人が来た」と言われる。
池上先生からすれば、遊びたいこともできずに東奔西走働きづめの私はそう見えるのであろう。
うう。
ここで池上先生にまたまた不可思議なる治療をしていただく。
身体が相当にねじれているようで、そのために右手の肘に痛みが出ている。
30分ほどあちこち触っていただいたら、なんだかほんわか体が軽くなった。
池上先生最新の治療具(トランプみたいなやつ)をプレゼントしてもらう。
それから歯科医の石田先生(からも不可思議なる治療具をプレゼントしていただいた)と三人で晩御飯。
ごくごくビールを飲んで、それから三軸のみなさんとバーで合流。
石田先生に手相を見ていただき、ついでに「金運」と「健康運」のところの筋をゴールドの油性ペンでごしごし「強化」してもらう。
これでだいぶ人生が開けそうである。
わいわいおしゃべりしているうちにすでに深更。
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