BlogNagayaLinkaGuestsColumnsBookMovieSeminarBudoPhotoArchivesProfile

新刊

街場の天皇論
街場の天皇論/東洋経済新報社
これまであちこちに寄稿してきた天皇制についての論考のコンピレーションです。
どうして内田が『天皇主義者』を名乗るに至ったのか、その理路が述べてあります。おまけの書き下ろし『海民と天皇』では釈徹宗先生や安田登先生をひそかに読者に想定した妄想的思弁が暴走しております。

日本の覚醒のために
日本の覚醒のために/晶文社
『最終講義』に続く、講演集その二です。
立憲デモクラシーの会、伊丹十三賞受賞記念講演、立命館大学土曜講座、SEALDs KANSAI の集会でのスピーチなど、さまざまな場所でした講演を収録しています。講演とはいえ、原型をとどめぬほどに加筆しておりますので、「あのとき聞いたよ」という人も「こんな話聞いてないよ」と驚かれることが多々あると思います。ご容赦ください。

直感はわりと正しい
直感はわりと正しい 内田樹の大市民講座/朝日文庫
「大市民講座」というタイトルで出た単行本の文庫化です。
9年前から3年前までの6年分の AERA の連載エッセイが収録されています。 「ああ、こんなこともあったねえ」と古いアルバムを拡げて相好を崩して、時々遠い目をするような感じで読んで頂けるといいかな、と。

アジア辺境論
アジア辺境論 これが日本の生きる道/集英社新書
姜尚中さんとの対談本です。世界の帝国化・中世化という文明史的転換点にあたって、東アジア世界はどう再編されるのか…というスケールの大きな(大風呂敷な)話を姜さんと二人でしました。厳密さはさておき、「話がでかい」という点では保証いたします。

聖地巡礼 コンティニュード
聖地巡礼 コンティニュード/東京書籍
釈徹宗先生との連続企画「聖地巡礼」も回を重ねて四冊目。
「聖地巡礼ビギニング」「ライジング」「リターンズ」とタイトルにいろいろ工夫してます。
大阪上町台地縦走から始まった聖地巡礼、京都異界巡り、三輪山、熊野詣で、長崎に隠れキリシタンの遺跡をたどる…と来て、今回は対馬に日本の宗教性の原型を探る、です。
このあとも「聖地巡礼」は羽黒三山、恐山と続いて国内篇はおしまいの予定です。

2017.10.12

機と座

ある媒体に「武道と能楽」というテーマでエッセイを寄稿した。
ほとんどは「いつもの話」だが、「機と座」については、稽古のときには時々語るけれど、書き物にしたことはない。この機会に合気道の道友たちに読んでもらうつもりでネットに上げておく。

合気道という武道を40年、観世流の能楽20年稽古してきた。いずれも「日暮れて道遠し」だが、この二つの技芸の連関をそれぞれの実践者という立場から語る人があまりいない。この立ち位置を奇貨として、二つの領域の「あわい」から見えるものについて一言書きとめておきたい。
武道と能楽の間には深い繋がりがある。今でも私たちが容易に手に取るこのできる最古の武道の伝書の一つ、柳生宗矩の『兵法家伝書』は能楽の比喩がたいへんに多い。代表的な箇所を引く。

「あふ拍子はあしゝ、あはぬ拍子をよしとす。拍子にあへば、敵の太刀つかひよく成る也。拍子ちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。」(柳生宗矩、『兵法家伝書』、岩波文庫、43頁)

「たとへば、上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也。上手のうたひに下手鼓、上手の鼓に下手うたひの様に、うたひにくゝ、打ちにくき様にしかくるを、大拍子小拍子、小拍子大拍子と云ふ也。」(同書、43-44頁)

いずれも能楽用語が剣の遣い方について用いられている。
私のように能楽を稽古しているものにとっては、こういう喩はたいへんわかりやすいが、これは宗矩が能楽好きだったのでたまたま能楽の比喩を選好したということではないと思う。
というのは、『兵法家伝書』そのものは家伝とはいいながら、柳生新陰流の「パブリックドメイン」として修業者たちに共用されることを意図して書かれたものだからである。個人的趣味の芸能の比喩を頻用することは家伝の継承という点からすれば有害無益なことである。しかし、宗矩はあえて、執拗なほどに能楽の比喩を用いた。
ということは、この時代の剣客たちが、能楽修業が求める技術や心得が剣術と深く通じるものであることを知っていたということである。
逆から言えば、能楽が武士階級のもの以外には観ることも、演じることも禁止されていた時代において、能楽の喩えを用いて剣術の蘊奥を語ることは、暗号によって秘伝を語っていたということを意味している。能楽の比喩を用いて語る限り、武士階級以外のものにはそこで何が語られているのかわからなかったからである。

囃子と謡の拍子がずれると、能楽は物理的に成り立たない。これは能楽を稽古する者には熟知されていることである。
能楽を扱った珍しい小説に泉鏡花の『歌行燈』があるが、この中で天才能楽師恩地喜多八が宗山という伊勢の天狗連を訪れて、その謡を聞きながら、膝を打つ拍子だけで絶息させる印象的な場面がある。
「この膝を丁と叩いて、黙って二ツ三ツ拍子を取ると、この拍子が尋常んじゃない。親なり師匠の叔父きの膝に、小児の時から、抱かれて習った相伝だ。対手の節の隙間を切って、伸縮を緊めつ、緩めつ、声の重味を刎上げて、咽喉の呼吸を突崩す。(…)いささか心得のある対手だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引掛って、節が不状に蹴躓く。(…)あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと衝と汗を流し、死声を振絞ると、頤から胸へ膏を絞った……ものの本をまだ一枚とうたわぬ前、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹へ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。はっと火のような呼吸を吐く、トタンに真俯向まうつむけに突伏す時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を嘗めた。」

「うたひにくゝ」鼓を打てば、素人は知らず、ある程度稽古を積んだものは息ができなくなる。それほどに拍子というのはきびしいということをこれほど鮮やかに伝えたものは珍しい。

能楽と武道の「出会い」について書かれた文献としては松浦静山の『甲子夜話』が知られている。
徳川家光が将軍家御指南番であった柳生宗矩に、シテ方観世大夫の所作について「若し彼が心に透間ありて、こゝを斬るべき所と思はゞ申すべし」と告げたことがあった。舞台を見終えたあとに、宗矩は家光にこう述べた。

「始より心をつけゐ候に、少しも斬るべき際だなく候。しかし舞の中、大臣柱の方にて隅をとり候とき少しく透間の候。あの所にて斬り候はゞ斬りおほすべく候半と言上す。」(松浦静山、『甲子夜話6』、平凡社、1978年、174頁)

観世大夫の方は楽屋に戻ってから、傍らの人にこう訊いた。
「今日見物の中に一人、わが所作を見ゐたる男あり。何者か」。
あれは柳生但馬守だと教えると、観世大夫はこう言った。
「されば社我が所作を目も離さず観ゐられしが、舞の中に隅をとりし所にて少し気を抜きてあるとき、莞爾と咲はれつつが心得ざることよと思ひゐしに、果たして剣術の達人にぞ坐しけれと云ける。」(同書、174頁)

達人の境位がどういうものかを教えてくれる逸話である。
武道における「隙」というのは文字通り空間的・時間的な「隙」のことであり、また「心の隙」のことである。身体の隙も心の隙も、居着きによってもたらされる。身体の一部の過緊張は他のどこかの部位の過弛緩をもたらし、思念の一点への居着きも隙を作る。
居着くというのは、点としての入力に点として「反応」することであり、これは自他を含む場全体を平らかに「観察」することを妨げる。観察とは時間の流れ、場の布置におけるおのれの位置を鳥瞰的に把持することである。これは武道において最も重要な能力である。どれほど凄まじい攻撃であっても、その一瞬前にその場を通り過ぎていれば、その一寸遠くに身をかわしていれば、人を害することができない。
それゆえ、武道では「機」と「座」を重く見る
「機」とは「しかるべきとき」のことであり、「座」とは「しかるべき場所」のことである。その時以外にありえないような必然的な時に、その場以外にはありえない必然的な場において、果たすべきことを果す。それが兵法修業のめざすところである。宗矩は機と座についてこう書いている。

「一座の人の交りも、機を見る心、皆兵法也。機を見ざればあるまじき座に永く居て、故なきとがをかふゞり、人の機を見ずしてものを云ひ、口論をしいだして、身を果す事、皆機を見ると見ざるにかゝれり。座敷に諸道具をつらぬるも、其の所々のよろしきにつかふまつる事、是も其の座を見る事、兵法の心なきにあらず。」(柳生宗矩、前掲書、25頁)
 
「機を見ず」して、「あるまじき座」にいることによって人はしばしば身を滅する。自分がいるべき場にいるのかを配慮するのが「機を見る」であり、必要なものを然るべきところに配置することを「座を見る」と言う。これもまた「兵法の心」なしにはありえない。
「機を見る」「座を見る」これは武道や能楽のみならず人事百般に通じる心得である。 

神戸女学院大学
ラジオデイズ:たぶん月刊はなし半分
辺境ラジオ

アーカイブ


過去日記一覧/検索