KOTOBAという雑誌に武道的思考について寄稿した。それを再録。
修行は競争ではない
武道の修行というのは「天下無敵」という、どれほど努力しても絶対に到達できない無限消失点のような目標めざし、先達に従って、ただ淡々と稽古を重ねるという生き方のことです。
「天下無敵」という無限に遠い目標をめざす旅程においては、修行者は誰も「五十歩百歩」です。無限の旅程の中で、自分が他の修行者より何キロ先まで行ったとか、単位時間内にどれだけ走破したとか、そんな相対的な優劣を競うことには何の意味もありません。ですから、武道の稽古では修行者同士の間での、勝敗や強弱や遅速や巧拙を競うということをしません。
オリンピック種目にあるような競技武道では勝敗を競います。ですから、あれは「スポーツ」であって、日本の伝統的な「武道」とは違うものです。もちろん「スポーツ」は人間の心身の可能性を高めるすばらしいメソッドですけれども、相対的優劣を競うことを主眼とする限り、「修行」とは違う。
うちの道場に来て武道の稽古を始めた人がいちばん驚くのは、この「相対的優劣を論じない」という点です。現代人は生まれてからずっと学校でも職場でも、能力や成果を査定され、評点をつけられ、格付けされ、その格付けに基づく資源分配に与ることが「社会的フェアネス」だと教えこまれてきました。あるルールの枠内で高いスコアをとれば、競争相手よりたくさんの資源配分に与ることができる、そう信じてきました。
でも、学校体育で考量できる身体能力は、走る速さとか飛べる高さとかゴールする精度とか、人間の持つ能力のうちのごく一部でしかありません。人間が埋蔵している心身の能力は数えきれないほどの多様であり、その多くは学校体育的な基準では計測不能です。
例えば、わずかな気の変化を感知できる感受性、「邪悪なもの」が接近してきたときに強い違和感を覚える能力などは武道的には非常に貴重な能力ですが、そのような能力は学校体育ではまず評点がつきません。むしろ、そのような能力は「学校に来ない」とか「体育の授業に出たがらない」というかたちで発現する場合さえある。
その結果、学校体育で低い評点をつけられた子どもの中には「自分は身体能力が低い」と思い、ともすれば自分の身体を恥じたり、憎んだりするようになってしまう人がいます。これはあまりにもったいないことだと思います。
子どもが学校体育で学ぶべきことがあるとすれば、いちばん大切なのは、自分の身体が埋蔵している豊かな資源を信じて、それを発掘してゆくことです。自分の身体に対して敬意と好奇心を持つことです。人間の身体がいかに深く複雑なものかに驚き、自分の身体に対して畏怖の念を抱くことです。
稽古で生じる身体の変化は、神経のネットワークが精密化するとか、呼吸が深くなるとか、臓器や関節の働きが最適化するといったレベルで起きることなので、モーションキャプチャーのような最新の計測技術によってもうまくとらえることはできません。丹田、体幹、正中線といった用語を稽古中にわれわれは頻用するわけですけれども、どれも解剖学的実体ではありません。計測機器で考量することもできないし、AIでも分析できない。修行というのは機械的には計測しがたいそういう微小な変化を感知できる心身を作ることです。
新自由主義は、個人の能力や特性を確定して、それを数値的に格付けした上で、資源を傾斜配分するという考え方ですが、これは人間の成長を妨げるものだと僕は考えています。修行というのは連続的な自己刷新のことですから、修行者にとって「アイデンティティー」ということには何の意味もありません。「ほんとうの自分」なるものを見出して、それにしがみつくというのは単なる「我執」「居着き」であり、修行の妨げでしかない。宗教でも武道でも、修行の目的は「我執を去る」ことです。ですから、欧米的な「アイデンティティー・ポリティックス」と修行は食い合わせが悪いんです。
武道の変質の歴史
武道では勝敗強弱巧拙遅速を競うということをしません。人は負けると「負けに居着く」。屈辱感や敗北感にいつまでも囚われて、次のフェーズに進むことができない。あるいは「次は勝つ」という限定的な目標に居着いてしまう。勝てば勝ったで、「勝ちに居着く」ということが起きます。ある意味では「勝ちに居着く」ことの方が、「負けに居着く」ことよりも危険かも知れません。勝ったという成功体験に居着いてしまうからです。人は一度成功すると、その成功体験を手放すことに強い心理的抵抗を覚えます。同じ成功体験を繰り返そうとする。でも、修行とは「居着かないこと」です。「勝ちに居着く」者は「負けに居着く」者と同じく、連続的な自己刷新機会を放棄することで修行から脱落した者なのです。
武道は「生きる知恵と力」を最大化するための技術です。さまざまなリスクを回避して生き延びるための知恵です。
柳生宗矩の『兵法家伝書』には「座を見る 機を見る」という教えが書かれていますが、要するに「いるべき時に、いるべきところにいて、なすべきことをなす」のが武道の要諦だということです。用事のないところに長居して、言わなくても言って命を落とした者も多いと宗矩は書いています。ことさらに敵を作って、ライバルと勝敗を競い、負けて負けに居着き、勝って勝ちに居着いてはならないというのは古くからの教えなのです。
戦国時代までの武道はスポーツではなく、まさに「生き延びるための知恵と技術」だったはずですが、江戸時代になると次第に「効率的な殺傷技術」になってきました。当時の伝書にすでに「最近の人は即席に上達する方法を知りたがる」という嘆きが書かれていますから、修行的な要素は江戸時代からすでに逓減していったことが知れます。しかし、武道の質が一気に変わるのは明治維新によってです。それまで、武道は武士階級だけのものであり、戦場での武勲がただちに一国一城の主としての統治能力を意味したわけですから、武道的な能力の高さは治国平天下の統治の知恵に通じるものとされていました。でも、幕末から武道は侍だけでなく、町人農民もたしなむようになりました。そして、西南戦争以後、全国民を兵士に仕立て上げる「富国強兵」政策が採られるに至り、武道から修行的な要素がほとんど失われ、誰でもある程度までは体系的に習得できる殺傷技術に矮小化されることになりました。
講道館柔道の嘉納治五郎先生は柔道を学校体育に採り入れることを願っておりましたが、最初は審査で不可とされました。型稽古を見たドイツ人の審査員が「ふつうの人間はこんな奇妙な動きをしない」と言って学校体育になじまないとしたのです。翌年の審査で乱取りを見せたところ今度は合格した。レスリングと同じように、筋骨を発達させ、運動能力を引き出すのに有効と判断されたのです。学校体育における柔道はそのせいで乱取り中心のものになりました。型稽古の場合は師弟の対面稽古が基本ですが、乱取りであれば指導者一人いれば全級一斉授業ができます。学校の教科としてはその方がはるかに効率がよい。
嘉納先生はこの傾向を憂えて、「精力善用国民体育」という型中心のプログラムを考案して、型稽古中心の柔道に戻ることを提言しました。でも、教育現場の柔道家で嘉納先生の言葉に耳を貸す人はもうほとんどいませんでした。
明治維新に続いて二度目の武道の受難は敗戦でした。GHQは武道を全面禁止しました。特に剣道は軍国主義イデオロギーの宣布に加担したということで厳しく禁圧されました。やむなく文部省は「しない競技」と名前を変えて、「これは武道ではなくスポーツだ」として剣道の延命を図りました。
緊急避難的にはこれはしかたのない判断だったと思います。でも、それなら占領が終わった時点で「剣道はスポーツではない。武道である」と改めて前言撤回すべきでした。しかし、文部省はそれを怠った。そのせいで以後武道とスポーツの「違い」を主題的に論じることが武道界では忌避されるようなりました。
僕の稽古している合気道は大正末期に体系化された近代武道ですが、古来の武道の伝統にならって競技ということをしません。
開祖植芝盛平先生は飛んでくる銃弾が見えたり、触れずに相手を倒すというような超能力的な技を使われたそうです。現在の合気道はさすがにそのような超人的な能力の開発をめざすことを掲げてはいませんが、勝敗強弱を論ぜず、精密な心身の使い方を探求する修行系の武道として、合気道は今世界各地に多くの修行者を擁しています。
道の場――道場
僕が凱風館という自前の道場を持って十四年が経ちます。毎朝起きると道場に行って、禊教に伝わる呼吸法を行い、三種の祝詞をあげ、般若心経と不動明王の真言を唱え、九字を切り、最後に中村天風先生の今日の誓い「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に・・・」を唱えて、道場を霊的に浄めるのが道場長としての僕の仕事です。
僕はよく道場を自然科学の研究室に喩えて説明します。「君たちは研究者で、それぞれの研究課題を抱えてこのラボに集まってきている。機材や試薬はボスである僕が提供するからみんな好きに研究してくれ。」凱風館はそういうイメージの道場です。僕の仕事はみんなが研究に集中できる環境を整備することです。
そのためにはとにかく低刺激環境を整えることが必須となります。刺激が強い環境では感受性を敏感にすることができません。現代社会では、目に入るものも、耳に聞こえる音も、体に触れるものも、臭いも、決して快適なものばかりではありません。だから、自己防衛上どうしても身体感受性を鈍感にして、外界からの入力を減らそうとする。でも、それでは稽古になりません。
できるだけ身体感受性を高い感度に保ちたい。ですから、道場では目に入るものも、肌に触れるものも、においも、どれも気持ちの良いものでなければなりません。どれだけ敏感になっても不快な入力がないという条件を整えること、それが道場長としての僕の責務です。
敵味方を対立させ、勝敗優劣を競うのはあくまで脳の働きです。細胞レベルには「自己と他者」という対立もありませんし、「どちらが強いか」という競争もありません。むしろ同種の個体が近くにあると、細胞レベルではまず「同期」しようとします。同種のものとはシンクロナイズして、「かたまり」を作る方が生存戦略上有利であるというのは、生物が発生して以来の常識だからです。
合気道は生物が持つこの本性的な「同期」志向を利用する技法と言ってよいと思います。同期においては、どちらかが同期誘発者になり、どちらかが被誘発者になります。同期を誘発するものが「場を主宰する」。生物としてより強く、より速く、より自由度の高い動きをするものが同期を誘発し、場を主宰することができる。これも生物発生以来の基本原則だったはずです。
そのためにはものごとを対立的にとらえる脳の影響をできるだけ排して、細胞レベルで最適と感じられる動きを選択し続ける必要があります。でも、「脳の干渉を排除する」と口で言うのは簡単ですけれど、やるのは難しい。
例えば「手さばき」。手はいちばん脳がコントロールしやすい部位なので、手をうまく使おうと意識すると、そこにリソースが集中して、他の部位にはリソースが行き渡らなくなり、手以外の部位は常同的なあるいは機械的な動きに固着されることになる。
全身がなめらかに連動し、すべての身体部位が等しく高い感受性を享受し、高度な操作性を発揮できるためには、脳に少し「眠って」もらう必要がある。ですから、合気道では動くときに軽い瞑想状態に入るように教えられます。合気道が「動く禅だ」と言われるのはたぶんそのせいです。
稽古では、身体を脳の支配から解放して、自発的に動くように指導します。軽い瞑想状態が続くわけですから、90分の稽古が終わるとみんな風呂上りみたいに、頬が紅潮して、お肌つるつるになります。会社や学校でいやなことがあって、メンタルストレスを抱えてきた人が、稽古が終わった時には自分が何で悩んでいたのかさえ忘れてしまう。
開祖は「合気は禊である」とおっしゃっています。端的に言えば、修行とは心身を浄化し、透明にすることです。汚れや詰まりを洗い去ることです。
僕が稽古指導をしていていちばん嬉しいのは、門人のみなさんが自分の身体を丁寧に扱うようになることです。学校体育で低い評価を受けて、「自分の身体は出来が悪い」と思い込んでいた人が自分の身体に対して敬意と好奇心を持ってくれること。それこそが道場の持つ最も教育的な意義だと僕は思います。
武道はストレスフリーである
僕は七十過ぎて膝に人工関節を入れ、去年はすい臓がんを切りしましたが、抗がん剤治療中でも稽古は休みませんでした。稽古は決して裏切らない。稽古すれば必ず上達する。それは愚直に五十年稽古を積んできた人間として確信を込めて言えます。
入門して最初のうちは術理なんかわかりませんから、ただ投げて投げられて「いい汗かいた」というだけでいい。受け身をとるだけでおもしろいから、それでいいんです。そのうちに少しずつ術理がわかってくる。いきなり「すべてがわかった」というようなことは起きません。一枚一枚薄皮をはぐように変わっていく。だからおもしろいんです。昨日「わかった」と膝を打ったことが翌日になると「いや、違う」と打ち消される。毎日が発見なんです。それがおもしろい。
スポーツでは「プラトー(高原)状態」というのがありますね。技術が「高止まり」することです。武道にはそういう「スランプ」というものがありません。それはすべての技は「謎」として提示されているからです。「できない」ことが前提なのです。術理がわからない、技ができないということがデフォルトなので、できないことがストレスにならない。「ああ、できないなあ」と思うたびに、技が蔵している謎の深さに驚嘆するだけです。
それと同じく、師に対する弟子の立ち位置というのがものを習う上では最も効率的だと僕は思います。師が説くことは初心者のうちはほとんどわかりません。でも、それは師匠が弟子の理解をはるかに超えるほど偉大だからであるので、「わからない」ことを弟子がストレスに感じる必要はないんです。
学校体育では「みんなができること」を「他の人よりうまくやる」ことを競います。武道は違います。「誰もできないこと」を稽古している。だから、相対的に「誰よりうまい」とか「誰より強い」とか査定すること自体ができないんです。
畏怖と同調にむかう道
学力という言葉を僕は「学ぶ力」と解しています。知識や情報の量のことではありません。自分がなにを知らないか、なにができないかを知ること、それが学びの原点です。おのれの無知や無能を自覚することから学びが起動する。ですから、無知無能は全く恥じることではない。
学ぶ力の第二段階は「師に就く力」です。僕は合気道は多田宏先生、哲学はエマニュエル・レヴィナス先生を師と仰いでいです。多田先生は御年95歳になられましたが、今も元気に道場に立っておられます。一人の師に僕は50年就いて修行できました。これは例外的な幸運だったと思います。レヴィナス先生は一九九五年に亡くなりました。今の若い研究者でレヴィナス先生に直接会った方はもうおられないと思います。僕はさいわいお会いして、「弟子にしてください」と頼み込むことができました。先生からは「お好きにどうぞ」と言っていただけました。
僕はこれまでにレヴィナス先生についての本を三冊書いています。でも、これは「レヴィナス研究」ではありません。僕がレヴィナス先生の本を読んで「わからなかったこと」について書いているからです。こんなことは「研究者」には許されません。研究者は「わかったこと」しか論文に書けない。でも、僕は弟子ですから「わからないこと」がほとんどつねに関心の大半を占めている。だから、それについて書く。大事なのは「師の教えのうち、僕にはまだわからないこと」です。それについて「わからない、わからない」とうれしそうに頭を抱えているというありさまは哲学研究でも、武道の修行でも同じなんです。
もちろん独学でもすぐれた業績を上げている人はいます。でも、独学者のつらさは自分が「わかったこと」「知っていること」「できること」を足場にしないといけないということです。弟子にはその必要がありません。弟子は「偉大な師に就いて学んでいる」というだけで身元保証としては十分だからです。自分には何ができるかを証明する必要がない。「あんた、どれくらいできるの?」って訊かれても「さあ、僕にはわからないです。先生に聞いてください」と答えるしかない。
弟子という立ち位置のアドバンテージは自分の弟子たちに向かって「自分ができないことを教えられる」「自分が知らないことを教えられる」ということです。師の教えを縮減しないで済む。
多田先生は「学者には学者の合気道がある。芸術家には芸術家の合気道がある」とつねづねおっしゃいます。道場で学んだことを実生活で展開できないようでは本物の合気道ではない。開祖はそう言われたそうです。
ですから、僕が稽古しているのは「学者としての合気道」であり「物書きとしての合気道」だということになります。本はずいぶん書きましたけれど、これだけ書けたのも弟子という立ち位置にいたからだと思います。自分が学統の創始者であれば、自分が知っていることしか書けない。でも、僕は弟子ですから、師から受けたパスをどんなにへたくそなプレーであっても次の世代に伝える義務がある。「述べて作らず 信じて古を好む」です。だから、自分が知らないことでも、「これは僕にはついにわかりませんでした。僕がどんな苦労をしたのかだけ書き残しておきますから、あとはよろしく」と伝えることができる。
武道修行を通じて身につくのは、超越的なものに対する畏怖の念と、同種の個体と同期できる能力です。その二つが身に具わっていれば、たぶんどんな集団にいても、どんな仕事をしても、愉快に過ごせると思います。
(2025年6月18日)
(2025-06-18 08:08)