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2007年10月 アーカイブ

2007.10.01

九条と柳北

日曜なのであるが、締め切りが二本あるので、朝からモーツァルトの『フィガロの結婚』を聴きながら、こりこりと原稿書き。
ひとつは文藝春秋の『日本の論点』という本のための憲法九条論。ひとつは中央公論から今度出ることになった森銑三選集の『明治人物閑話』のための解説。
九条論は『九条どうでしょう』の焼き直しである。
こういう論件については、あまりころころと言うことが変わってはまずいので、だいたい「焼き直し」にしかならないんだけど。
安倍首相の退陣で、「戦後レジームからの脱却」も改憲運動も尻すぼみになって、その点は慶賀の至りなのであるが、改憲は自民党の党是であるから、改憲という考え方がレアールポリティーク的にどうダメなのかをまめにアナウンスしておかないといけない。
面倒なことである。

自民党の改憲案は九条一項はそのまま残し、二項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を廃し、これに代えて、「自衛軍」条項を新たに書き加えようとするものである。
内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍は「法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」
とするのが改憲案の文言である。
九条一項を手つかずに残しておく、というところが「せこい」と私は思う。
改めてご教示するまでもないが、一項の条文はこうである。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
これは1928年の不戦条約をそのまま引き写したものである。
不戦条約の第一条は「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス」とある。アメリカ、イギリス、フランスはじめこれに世界の63カ国が(もちろん大日本帝国も)調印した。
だが、加盟国はどこもこの不戦条約は「自衛のための交戦権」は制限していないという解釈を採用した。
だから、歴史が教えるところでは、不戦条約の規定を遵守して戦争を断念した国はこれまでに一つも存在しない。
日本自身も、この条約に調印した2年後の満州事変以後、15年にわたって「自衛戦争」を戦い続けた。
不戦条約は今でも国際条約として有効であるから、加盟国がこれまで行ってきた戦争は(敗戦国のものを除いて)すべて「不戦」の枠内での「自衛戦争」なのである。
不戦条約の空文化というこの歴史的経験が私たちに教えてくれる有用な知見は一つしかない。
それは「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という九条第一項はあってもなくても戦争する上では何の支障もないということである。
九条一項というのは「世界人類が平和でありますように」とか「いつもニコニコ守る締め切り」と一般で、普遍的に正しいけれど、現実的実効性がゼロの空語に過ぎぬのである。
というわけで問題は九条二項なのであるが、これは第一項の空疎さに比べて、また奇妙なほどリアルである。
どうリアルであるかは、ここに「日本は交戦権を持っているのか?」という問いを補助線に引いてみるとよくわかる。
改憲後の日本は交戦権を有しているのか?
交戦権というのは平たく言えば「こちらの好きなときに、どこの国とも戦争を始める権利」のことである。
国力の差や外交関係の得失を勘案して「とりあえず戦争をしないほうがいい国」はある。
だが、「いついかなる場合も戦争してはならない国」というものは存在しないはずである。
そのような国の存在は「交戦権」という語の定義と背馳するからである。
その上で私が訊ねたいのは「アメリカと戦争をする権利」をこの改憲案は担保しているのか、ということである。
例えばの話、「国際社会の平和と安全を確保するために」アメリカを攻撃するということに「国際社会」が同意した場合には、法理上アメリカと戦争することもできるのか、ということである。
「できる」ということを改憲派は議論に先立って、国民の前に断言する必要があるだろう。
もちろん、現実的には日本がアメリカに向けて戦端を開く可能性はきわめて低いし、私自身はそのような事態の到来をまったく望んでいない。
けれども、私が問うているのは現実的可能性ではなくて、法理上の権利問題である。
もし、法理上も日本はアメリカとは戦争ができないというのであれば話が変わってくる。
この改憲案の「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態」という文言は「アメリカの平和と安全を確保するためにアメリカと協調して行われる活動及び緊急事態」と書き改めなければ整合性が取れない。
いや、実際の話、改憲派の諸君はこの改憲案の文言を頭の中ではそのように読み替えて理解しているはずである。
私は別にその意見を改めろというような非道なことを言わない。
ただ、そう思っているなら、思っていることをそのまま文言に反映した方がよいと言っているだけである。
だが、「アメリカの平和と安全を確保するためにアメリカと協調して行われる活動及び緊急事態」を「自衛」と称する国があったとすれば、それは論理的には「アメリカの軍事的属国」以外にはありえない。
改憲案によって、日本はアメリカの同意抜きでは動くことができず、アメリカに向けては決して交戦権を発動しない「自衛軍」を持つということを全世界に対してカミングアウトすることになる。
その告白によってわが国がどのような外交上の利益を得ることになるのか、それがどのようなかたちでわが国の国益を増大させることになるのか、それについてエビデンス・ベーストでのご回答をお願いしているのである。
改憲派の方々は「憲法九条のように恥ずかしいほど非現実的な憲法条文は他に存在しない」とよく言う。
同じように、自民党改憲案のように「恥ずかしいほど現実的な憲法条文は他に存在しない」と私は思う。
どちらがより恥ずかしいのか。
これは一考を要する論件であろう。
何度も言うように、私は「現状維持」派である。
このままでいいんじゃないの、別に、オレ的には困ってないから。という立場である。
それを是非変えたいという方々がおられるわけである。
こういう場合は「是非現状を変えたい」ということを主張する側に「変えることによってもたらされる種々の利益」についての挙証責任はある。
だが、私は改憲派の人々のうちにこの挙証責任をきっぱり引き受けて発言する人のあることを知らない。
現状を変えたいのだが、それによって「何が起こるか」については何も申し上げられない、というような政治的主張に賛同を求められても、私は困る。
驚いたことに、それでも「困らない」という方が有権者の60%くらいおられると今年の初め頃の世論調査が報告していた。
なんだ、「見る前に跳べ」かよ。
こりゃまた日本の有権者のみなさんはずいぶん「大胆」な政治的ご判断をなされるのだなと私はびっくりしたのであった。
というようなことを書く。
これを読んでこめかみに青筋を立てて怒る人がたくさんいるだろうなと想像すると筆の走りがよろしい。

続いて心を落ち着けて森銑三選集の解説を書く。
私は森銑三、吉川幸次郎、中島敦、白川静といった明治生まれの文人の漢文崩しの文体が好きである。
とくに森銑三には成島柳北という人の思想を教えて頂いたという厚恩がある。
『明治人物閑話』はタイトル通り、明治人のプロフィールをぱらぱらと書き連ねたものである。
閑人閑話。
世間無用の文たることを断固たる決意のもとに貫いている。
この風儀を森銑三は柳北から受け継いだと私は思う。
『柳橋新誌』の跋文に柳北はこう書いている。
「仙史此の編を草するの際、一客偸かに之を読み額を蹙め眉を攅めて曰く、子の書は世教に益なくして徒に人を罵詈す。無用の文を作つて以て世の怒りに触る。何の故に狂愚此の若きの事を為す也。子其れ悔有らん乎。仙史笑つて曰く、吾は固より無用の人なり。何の暇か能く有用の事を為さん。」
仙史とは柳北の号である。
柳北の文章は、その恐るべき学識と語彙を駆使して、「ど~でもいい話」を延々と書き連ねて、真綿で針をくるむように、その行間に寸鉄人を刺すような批評の言を記すことを骨法とする。
私はその批評性の滋味において成島柳北をポール・ヴァレリーよりもモーリス・ブランショよりも上位に置く。
惜しむらくは、現代日本人のうちに柳北の文を解する国語能力を備えたものがすみやかに「絶滅危惧種」になりつつあることである。
小学校から英語を教えるよりも漢詩の音読でもさせた方が日本人の知的能力の向上には資するところが大きいだろうと私は思うが、もちろん同意してくれる人はどこにもいないのである。

2007.10.02

とりあえず安定だよね

福田新首相の所信表明があって、小泉・安倍二代の政権によってひっかきまわされたシステムの安定が回復されるという期待から、メディアはおおむねこれを好意的に受け止めている。
改革を持ち上げたり、安定に期待したり、お忙しいことである。
しかし、世の中というのは現にそういうものなのである。
小泉さんは「改革なくして成長なし」と言ったがこれは半分だけ真理という点では、「安定なくして成長なし」と言うのと変わらない。
社保庁の年金問題が起きたときに市場では何が起きたか。
ぱたりと車が売れなくなったのである。
車というのはだいたい割賦で購入するものである。
だから、将来的に安定した収入の当てがなければ大きな買い物はできない。
年金問題を安倍首相が当初は些事としてやりすごそうとしたのに、途中からあわてて信頼回復を言い出したのは別に社保庁の職員の怠業があまりに目に余ったからではない(どこだってお役人の勤務態度は似たようなものである)。
財界が激怒したからである。
年金不安になったせいで、いきなり消費が鈍化したじゃないか。
せっかく景気が回復しかけたのに、それに水かけるようなことをするなと首相を叱責したのである(想像)。
政治はおおかたが幻想的であるということはつねづね申し上げているとおりであるが、消費行動はさらに幻想的である。
あまり言われないことだが、消費行動は「現在手元にある金」ではなく、「将来的に手元にあるであろう金」を基準になされる。
経済学者はそういうことを言わない(だって「将来手元にあるであろう金」なんてひとりひとりが夢想している「画餅」なわけであるから、そのようなものを統計的に数値で示すことはいかなる経済学者にも不可能だからである)。
だが、このことは経験的にはたしかである。
みなさんも私に同意されるであろう。
人間は「明日の米櫃」のことしか考えない。
そういうものである。
手元にどれほど余剰資金があっても明日の収入のめどが立たなければ私たちは消費行動を抑制する。
手元にぜんぜん金がなくても、明日のめどが立てば私たちは金を借りても湯水のように金を使う。
現に、メディアが「景気回復の兆し」と報道すると、とたんにその次の連休に高速道路はワンボックスカーで渋滞するようになる。
連休に遊びにでかける善男善女はべつに財布の中身が突然潤沢になったわけではない。
テレビのニュースでの景況報道をぼんやり見ているうちに「明日の米櫃」についての楽観が忍びより、彼らをして「たまにはちょっと温泉でも行ってみるか、おい?」的な気分にさせるのである。
それが一気に集団的な規模で起きる。
バブルのときには時給750円のラーメン屋のバイトの少年がロレックスをはめていた。上野毛の家賃3万円の木造アパートの駐車場にはベンツやBMWが停めてあった。
別に彼らに金があったわけではない。
「明日の収入は今日より多いだろう」という儚い期待だけで人間はそういう無謀な消費行動をしてしまうことができるのである。
国民経済の帰趨はこの「明日の米櫃についての期待」によって決する。
だから、ようやく政府は年金や保険や介護について、総じて「生活不安の払拭」にわりと本気で取り組む気になったのである。
別に与党議員たちが急に博愛的な気分になったからではない。
「将来の収入についての安定した見通し」が立たないと、人々は消費を手控え、消費が抑制されると株価も雇用も不動産価格も知的イノベーションも全部衰退してしまうということを思い知ったからである。
日本には1500兆円の個人金融資産がある。
爺さん婆さんたちが老後の生活のために蓄えているものである。
老人の蓄えが多いというのは行政の老人福祉に対する信頼が低いということである。
福祉が充実すればこの金が市場に流れ出て高額の消費財の購入に当てられる。
だから年金制度や介護や医療や高齢者福祉の充実は短期的には財政に負荷をかけるが、長期的にはそれなしには経済の持続的成長もありえないのである。
老人がじゃんじゃん金を使わないと若者たちの雇用が確保できない。
そのことに与党の政治家諸君もようやく気づいてきたのである。
その結果、きわめて興味深いことだが、資本主義の繁栄を希う自民党の政策は次第に社会主義政党の政策に接近することになった。
これは「少子高齢化社会で、ヴォリュームゾーンの老人に社会的資源が集中している」というわが国の特殊な人口構成事情も与っているわけであるが、おそらく世界経済史上に前例を見ない事態ではないかと思う。
「老人にどうやって金を使わせるか?」という問いに電通や博報堂のプランナー諸君はいろいろな妙案をご提案してくださったであろうが、結局答えは年金、医療、介護制度の充実というたいへんシンプルなものに帰したのである。
人間は自分が欲するものをまず他人に贈与することでしか手に入れることができない。
ブラジルでのフィールドワークの結論として、レヴィ=ストロースはそう書いている。
マトグロッソのインディオも高度消費社会の日本人も、人間である以上行動パターンに違いはないのである。

2007.10.03

生きていてくれさえすればいい

大学院の演習が始まる。
後期のお題は「家族論」。
この授業はこのまま講談社から『街場の家族論』となって刊行される運命にある。
街場シリーズはミシマくんの独占販売なのであるが、『下流志向』で講談社に拉致されたときに「07年度後期は講談社に売ります」という約束をしたらしい。
おそらくシャンペンなどを奢って頂いていい気分になっていたのであろう。
もちろん、私のことであるから、そんな約束は三歩歩いて忘れてしまった。
先日、講談社の編集者が3名神戸までいらして、ステーキハウスKOKUBUで「お店からのシャンペン」を飲んでいるときに約束を確認されて一驚を喫したのである。
「覚えていないねえ」という私も「たしかに言いました」と3人に言われては衆寡敵せず。
私は私個人の歴史認識問題においては基本的に「私の記憶」を棄却し、「ひとのいうこと」に従うことにしている。
ミシマくんにはまことに相済まぬ事をした。
ごめんね。
その「青田買い」の演習がちゃんと本になるような授業であるのかどうかをチェックするために講談社のA川さんが初回の演習を見に来る。
ところが初回の発表の渡邊さんは前期に発表ができなかったので、後期の第一回に教育論の仕上げとして「寺子屋論」をお願いしていたのを私は忘れていたのである(なんでも忘れる人間である)。
まあ、子どもの教育について論じるわけであるから、家族論と言えなくもない。

近世日本が世界でも例外的に「子どもをかわいがる社会」であったことは、幕末に日本に来た西欧の人々が仰天した記録がたくさん残っていることから知られている。
これほど子どもが幸福そうに暮らしている社会を他に知らないとさえ書かれている。
寺子屋についても記録はたくさん残っているが、絵を見ると、今の学校であれば「学級崩壊」的な状況である。
子どもたちはてんでに好きなことをしている(これは寺子屋の授業が全級一斉ではなく、子どもひとりひとりに与えられた課題が違うせいである)。手習いなんかしないでそこらへんを走り回ったり、まわりの子どもの邪魔をしたり、障子を蹴破ったり、上がり框から転げ落ちたりしている子どもいる。
もちろんおおかたの子どもたちはまじめに勉強しているんだけど。
総じて江戸時代までの日本人は子どもに甘かったようである。
理由の一つは幼児死亡率が高かったことにある。
江戸時代の平均余命は男子が20歳、女子が28歳である。
これほど低いのは、生まれた子供の7割が乳児幼児のうちに死んだからである。
だから、元気で遊んでいる子どもというのは「よくぞここまで育ってくれた」という感懐と同時に「この子は明日も生きているだろうか?」という不安とを同時に親にもたらす存在であったのである。
そういうときには、あまり子どもをびしびし鍛えるとか、そういう気分にはならぬものである。
もちろん西欧だって幼児死亡率は日本と似たようなものであるから、それだけでは日本人が例外的に子どもを甘やかしたことの理由にはならない。
だが、少なくとも現代日本の親たちの口から、わが子について「生きてくれさえすればそれでいい」というところまでラディカルな愛情表現のことばを聴くことはまれである。
それだけ子どもをとりまく衛生環境が向上したからである。
子どもが「生物学的に生き残ることが当たり前」になると、今度は「どのような付加価値をつけて、子どもを社会的に生き残らせるか」ということが親にとって切実な問題になる。
今の日本では、「子どもをどうやって社会的に生き残らせるか」という問いは「子どもにどうやって金を稼がせるか」という問いに書き換えられる。
「生き延びる力」と「金を稼ぐ力」は私たちの社会ではイコールに置かれている。
繰り返しここでも書いていることだが、これは人類史の中ではごくごく例外的なことである。
人類史の99%において、「生き延びる力」とは文字通り「生き延びる力」のことであった。
細菌や飢餓や肉食獣や敵対部族の襲撃や同胞からの嫉妬をどうやって「生き延びるか」ということが最優先の人間的課題であり、そのために必要な資質を子どもたちは最優先で開発させられたのである。
環境適応性が高いのでどこでも寝られ、なんでも食べられる、危機感知能力が高いので危ない目に遭わない、同胞との共感力が高いので誰とでも友だちになれる・・・そういう能力が「生き延びる」ためにはいちばん有用である。
けれども、これらの能力は「金を稼ぐ」という抽象的な作業には直結しない。
だから、現代日本のような極度に安全な社会においては、「生物が生き残るために最優先に開発すべき資質」の開発は顧みられることなく、ごく例外的な歴史的条件下でのみ有意である「金を稼ぐ能力」の開発に教育資源のほとんどが投じられることになったのである。
私はこのような歪みは日本社会が人類史上例外的に安全な社会になったことの「コスト」として甘受せねばならないと考えている。
つねに死の危険に脅かされているために「生物学的に強い子ども」でならなければならない社会と、とりあえず生き死にの心配がないので「生物学的に弱い子ども」でいても平気な社会のどちらが子どもにとって幸福かという問いに答えるのに逡巡する親はいないであろう。
でも、毎日の新聞を読んでいると、ローンが払えないせいで一家心中したり、進路のことで意見が違ったので親を殺したり、生活態度が怠惰なので子どもを殺したり、いじめを苦にして自殺する事件が起きている。
ローンとか生活態度とか進路とかいじめとかいうのは、すべて社会関係の中で起きている「記号」レベルの出来事であり、生物学的・生理学的な人間の存在にはほとんど触れることがない。
でも、そのような記号レベルの出来事で現に毎日のように人間が死ぬ。
社会が安全になったせいで、命の重さについて真剣に考慮する必要がなくなった社会では、逆に命が貨幣と同じように記号的に使われる。
社会はあまりに安全になりすぎると却って危険になる。
そういうこともあるのかも知れない。
「生きていてくれさえすればいい」というのが親が子どもに対するときのもっとも根源的な構えだということを日本人はもう一度思い出した方がいいのではないか。
寺子屋の話を聴きながら、そんなことを考えた。

完成!甲南麻雀連盟会歌

オフなので、家の掃除をする。
書棚に文庫本を並べて、ようやく最後の段ボール群が片づく。
ふう。
なんで私はこんなに疲れることを19回もやっているのであろうか。
ローリングストーンズに「19回目の神経衰弱」(19th nervous breakdown)という名曲があるが、私も引越のたびにちょっとずつナーバスにブレークダウンしているような気がする。
気を取り直してメールに返事を書く。
返信を要するものが30通ほど来ている。
一通書いているうちにもう次のメールが来る。
これでは「いたちごっこ」である。
メールのほとんどが仕事の依頼である。
「x月x日はお時間ありますでしょうか?」という問い合わせがくるとグーグルカレンダーを拡げる。
何も書いていなかったり、授業だけの日だったりすれば、「時間ぜんぜんありません」とは言えない。
嘘がつけないのが私の弱みである。
法螺はいくらでも吹けるのだが、嘘がつけない。
針小棒大話10倍は得意技なのであるが、白を黒と言いくるめる術を習得していないのである。
しかし、「法螺吹きでかつ嘘つき」と二枚揃ってはほとんど天下無敵となってしまい、それはそれで「アラブの石油王から融資話が・・・」とか「M資金にいささかコネがありまして、しっ、声が大きい」というような話を縦横に繰り出して世上はた迷惑なこと必至である。
「ふふふ、詰めが甘いね、ウチダくん」とワルモノの憫笑を誘っているあたりが私の分際である。
お掃除が終わったので、ヤマちゃん本の校正をする。
これは9月までというのを頼み込んで11月まで締め切りを延ばしてもらったのである。
だって、8-9月には『村上春樹にご用心』、『大人は愉しい』、『私の身体は頭がいい』、『疲れすぎて眠れぬ夜のために』、『合気道とラグビーを貫くもの』と5冊も出るのである。
いくらなんでも出し過ぎである。
本学には教員が出版した書籍については、これをお買い上げくださって同僚に無料配布するという美風がある。
しかし、最近この美風について、「いかがなものか」という疑惑が一部の同僚の胸裡に兆したとしてもどうして私にそれを咎めることができよう。
だって、10月なんか「研究所配付本」のうち5冊がウチダ本なのである。
年間の研究所「お買い上げ」経費の相当部分を単一教員に投じてよろしいのであろうか。
私が研究所員であれば(あるが)、研究所長のヤマモト先生に熟慮を求めたいところである。
午後はAERAの「現代の肖像」のための写真撮影。
御影の街を物憂げに散策したり、「甲南麻雀連盟会歌」を作詞したり、晩ご飯のポテトサラダのためにドレッシングを作ったりしているところをぱちぱちと撮る。
作詞とドレッシングはほんとうであるが、私はふだん「物憂げに散策」などしない。
歩いて50メートルのクリーニング屋に行くのにもバイクに乗るような「イラチ」なのである。
写真撮影しながら、川上盾牧師のご依頼により「甲南麻雀連盟会歌」の2番、3番を作詞する。
これは来る10月20日の「祝賀会」で川上牧師の作曲で披露されるのである。
この祝賀会は小林賞の受賞を甲南合気会、甲南麻雀連盟の共催で祝ってくださるという趣旨のものである。
幹事のホリノ社長がぐっと気合いが入っているので、どのような壮絶な宴会になるのか想像するだにオソロシイ。
この機会であるので、甲南麻雀連盟会歌の全歌詞をここで公開
しておこう。
「ポンといったら手を出すな
早い立直は一四索
出るかヒロキの字一色
嗚呼、ドラ槓に上がりなし」
これが1番。
本日作詞の2番は
「『満貫だけ』でも不満顔
『聴牌するな』とベソをかき
『西ドラ6』と大笑い
救いは老師のバクシーシ」
ついでに3番
「タンピン三色一並刻
六万切ってペン三万
四暗刻より七対子
それでも勝てない人もいる。
嗚呼、それでも勝てない人もいる(リフレイン)」
内輪ネタなので、何の話がわからぬ方も多いかと思うが、江さん、画伯、弱雀小僧、釈老師、かんちきくんという会員諸氏の雀歴を詠み込んだものである。
特にかんちきくんの場合は、二代目総長ということもあって、3番全曲を彼のために捧げているあたりに先代の心づくしを重く受け止めていただき、ますますの雀道精進を期すのである。

2007.10.04

コーヒーブレイク

今年もノーベル賞の季節が近づいてきた。
12日前後に発表があるらしい。
村上春樹氏はブックメイカーによると今年は文学賞の「第六位」につけているそうである(何でも賭けにしてしまうのだ)。
というわけで、去年と同じ新聞社から「予定原稿」を受注する。
「奉祝!村上春樹氏ノーベル文学賞受賞」である。
去年書いた予定原稿は結局使われぬままに『村上春樹にご用心』の冒頭を飾ることになった。
「ありものの使い回しでいいですか?」と訊いたら、別にいいすよというご返答をいただいた。
感じの良い新聞社である。
朝日新聞ではこうはゆかない(だいたい私のところに頼みに来ないし)。
もちろん、「ありものの使い回しでいいですか?」というのは私のいやがらせであって(私はそれができる機会があればとっさに「いやがらせ」を口にしてしまう人間なのである。サガなのでなかなか治らない)、ちゃんと新作(自著の宣伝も入れ込んだのを)を書き下ろすつもりであるから心配ご無用である。
「サガ」と言えば、昔見たテレビドラマの中で「出身どこ?」「佐賀」というやりとりのあとに、その二人が相手を指さしあって「うぉううぉ!」と歌い出すというのがあった。
いまどきに若い人には意味不明であろうが、セラマサノリというひとがその頃「性」という歌をヒットさせていたのである。
あれはよいギャグであった。
そういえば、私の娘のるんちゃんのともだちにナイスちゃんという子がいて、二人がはじめてあったときに、「この子、ナイスちゃん。こっちはるんちゃんね」と紹介されて、二人で「やっほう」と挨拶を交わしたのだが、二人ともそれをあだ名だと思っていて、仲良くなってずいぶん経ってから「ところで本名なんていうの?」とお互いに訊ねたことがあるそうである。
どこが「そういえば」で前段と繋がるのかわかりにくい話であるが、「二人が相手を指さして」というところが何となくイメージ的に「そういえば」なのである。
さて、朝のコーヒーも飲んだし、バッハを聴きながらアイロンでもかけるか。

2007.10.07

小林秀雄賞授賞式

小林秀雄賞の授賞式がホテルオークラであるので、東京まででかける。
午前中にゼミをひとつ済ませて、1時からの会議を25分で終わらせて、タクシーに飛び乗る。14時27分ののぞみで品川へ。
品川駅のホームに新潮社の足立さんが待っていてくれるので、そのままハイヤーで会場へ。
ハイヤーというのは私のようなものはとんと乗る機会のないものであるが、たいへんに乗り心地のよろしいものである。
ひとから「先生、先生」と呼ばれ、「ハイヤーをお回しします」というようなサービスをされることに鷹揚に「うむ、すまぬのう」などと応えているうちに、だんだん人間として堕落してゆきそうな気がする。
だが、刻苦勉励人格陶冶に励むのと、ちやほやされているうちに人間としてダメになるのでは「どっちがいい?」と訊かれれば、私は答えに迷わない。
ぐふぐふ、乗り心地がよいのう。
会場の控え室で甲野善紀先生、名越康文先生にお会いしてご挨拶。
名越先生はご令息誕生以来はじめてお会いするので、お祝いを申し上げる。生後3ヶ月の由。
選考委員代表でスピーチをしてくださる橋本治さんがスーツで登場。
いつもTシャツにジーンズの橋本先生であるが、今日は「ベルサーチが生きていたころのベルサーチ」のスーツをご着用である。
エッセイにも書かれているように、橋本先生はベルサーチのワードローブを1シーズン350万円、3シーズン分締めて1000万円ご購入という無謀な買い物をされたことがある。
たいへんお似合いである。
関川夏央さんがいらしたので、さっそくビジネスライクに仕事の打ち合わせ。12月13日に「メディアと知」の授業においでいただくことになる。
釈老師、山本画伯と森永さん、平尾さんたちが続々おいでになり、会場に移動。
最初に新潮社の佐藤隆信社長のご挨拶があり、それから橋本さんが選考委員を代表して、『私家版ユダヤ文化論』についてご講評。
「二十歳のときに、メルロー=ポンティとカルロ=ポンティのどちらの名前を先に知ったかで人生は不可逆的な分岐をたどる」という橋本先生の持説をマクラに、ユダヤ文化論は「続編が書かれねばならぬ」という重要なご指摘を頂く。
レヴィナス三部作の「時間論」が橋本先生のご期待に沿うものとなるとよいのだが。
副賞と目録(和光の置時計)を頂き、ひとこと謝辞を申し述べる。
ユダヤ文化論は「私家版」とタイトルにあるように、私の個人的な学問的歴程をかなり忠実に映し出したものである。
ブランショについての修士論文の中のユダヤについての言及の浅さを竹信悦夫に指摘されて「ユダヤは奥が深いぞ」という畏友のことばに背中を押されて、ユダヤ教思想と反ユダヤ主義の研究を始めた。都立大時代の15年は「ユダヤ漬け」だったと言ってよいだろう。
その後レヴィナス先生の翻訳だけは続けたが、次第にユダヤとは疎遠になっていた。
それが何の因縁か2005年に女学院の授業でふと「ユダヤ文化論」を半期担当することになり、それまでの研究のうち、ユダヤの「ゆ」も知らない女子学生たちにもわかるような論件を選びだして講義をした。その、講義ノートがもののはずみで『文学界』に連載されることになり、それがやがて文春新書になった。
その仕事が養老孟司、橋本治、加藤典洋、関川夏央という私の敬愛する先輩(というよりアイドル)たちと、堀江敏幸という若く怜悧な作家に認めていただいた。
橋本さんが私の仕事について論評しているのを聞きながら、不思議な感じがした。
喩えて言えば、ジョン・レノンに「ウチダくんの作ったこの曲のコード進行の独創的な点は・・・」と解説されるのを聴いているアマチュアバンドのギタリストのような気分といえばよろしいであろうか。
ほっぺたをつねりたい気分、ということである。
なんで、私はこんな場所にいるのか。
よくわからない。
私が来たくて来た場所ではない。
みんなにひっぱられて、気がついたらこんなところでこんなことをしているのである。
「ご縁」の不思議である。
新潮ドキュメント賞の受賞作は福田ますみさんの『でっちあげ』.
こちらの選考委員は藤原正彦、藤原新也、櫻井よしこ、柳田邦男、柳美里。選考経過について藤原新也さんが話す。
福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』と最後まで競ったそうである。
そうか、福岡さんが受賞していたら、ここでお会いできたんだなあと思う。
授賞式が終わってパーティになる。
このような晴れがましい席は私には生まれてはじめてである。
私は高校は卒業してないし、大学は入学式も卒業式もなく、入社式も結婚式も、およそ「式」という名のつくものをしたことがない。
これまでいちばん盛大に祝ってもらったのは50歳の誕生日で、このときは同窓会館を借りきって、合気道部員全員がSF超大作やミュージカルを演じてくれた。
というわけで、家族のほかに何人かの友人と共著者のみなさんにお集まりいただいた。
この授賞式の次にこの方々が顔を合わせるのはおそらく私の葬式であろうと思われる。
友人は平川くん、山本画伯、釈老師と江さん。
平川君と釈老師はそれぞれ『東京ファイティングキッズ』、『いきなり始める浄土真宗』の共著者であり、画伯は私の長年にわたる「パートナー」である。江さんには「関西地区のすべての友人を代表して」というかたちでお越しいただいた。
川上牧師には行きのJR西宮駅でばったりお会いした。翌日東京で用事があるということなので、それならぜひ授賞式にも来てくださいとお誘いしたので、平尾さんを入れて甲南麻雀連盟の会員だけで5人になってしまった。
共著者としておいでいただいたのは
鈴木晶(『大人は愉しい』)、三砂ちづる(『身体知』)、甲野善紀(『身体を通して時代を読む』)、名越康文(『14歳の子をもつ親のために』)、春日武彦(『健全な肉体に狂気は宿る』)、平尾剛(『合気道とラグビーを貫くもの』)、小田嶋隆(『九条どうでしょう』)の諸氏。
共著者で拝顔の機会を得られなかったのは松下正己くん(『映画は死んだ』)と池上六朗先生(『身体の言い分』)と町山智浩さん『九条どうでしょう』)。
池上先生は最上さんといっしょに来てくれるはずだったが、日程が講習会と重なってしまい、無念の欠席。
町山さんはカリフォルニアから毎日新聞の中野さんにお祝いメッセージを託してくれた(どうもありがとうございます!)
難波江和英(『現代思想のパフォーマンス』)さんはお父上の介護でお疲れなので、声をかけなかった。
選考委員でもある養老孟司先生(『逆立ち日本論』)は一年前からブッキングされていた講演があって残念ながらご欠席。
小田嶋さんはブログで書かれているようにテレビの毒に当たってしばらく調子が悪かったようだし、こういう賑やかなところにはあまり出てこられない方なのであるが、私のためにわざわざ会場までお運びくださった。ありがたいことである。
高橋源一郎さんも『ワンコイン悦楽堂』の共著者だから、共著者リストに入れておくべきだったけれど、当然新潮社から招待状が送られるだろうと思って、ご本人に確認するのを忘れてしまった・・もしかして、招待状がいってなかったら、ごめんなさい!
それにしてもずいぶんいろいろな方々と共著を出したものである。
「共著好き」というのはいったいどういう性向なのであろうか。
自分のバンドでオリジナル曲をごりごりやるよりも、ひとのバンドに「トラ」で入って、むこうの色に合わせる仕方をあれこれと工夫するというのが性に合っているのかもしれない。
レッキング・クルー・タイプの物書き。
私がハル・ブレインに惹かれるのはそのせいかもしれない。
なるほど。
各出版社の方々と名刺を47枚交換する。
小林秀雄の著作権継承者である白洲明子さんにご挨拶をする。
白洲明子さんは白洲次郎と正子ご夫妻のお嬢さんである(知らなかった)。
『新潮』時代の小林秀雄の担当編集者、小林秀雄全集の編纂者などという「生ける文学史」のような出版人の方々ともご挨拶をする。
散会の直前にようやく名刺交換攻勢が一段落して、母兄るんちゃんのいる席に行って、ビールを一杯のみ、寿司をつまむ。
るんちゃんとは3月20日のアゲイン以来である。
ども、と親子で軽くご挨拶する。
るんちゃんが「お祝いカードだよ」とジャケットのポケットにカードを一枚そっと入れてくれる。
ありがと。
ゼミのタムラくんが朝日のコバヤシさんに連れられて来ていて、花束をもらう。
それまで社交的笑顔をふりまいていたのであるが、急に教師の顔にもどって「タムラくん、キミは火曜日の卒論中間発表の用意はできているんだろうね」と説教モードに切り換える。タムラただちに逃走。
逃げ足のはやい学生である。
二次会は赤坂のスペイン料理屋。
最初は30人くらいの予定で場所をおさえたのであるが、最終的に50人を超えてしまい、立錐の余地もなし。
関川夏央さんが乾杯の音頭を取ってくださって会が始まる。
医学書院のワルモノ白石さん、鳥居くん、杉本くん、バジリコの安藤さん足立さん、ミシマ社の三島さん、大越くん、講談社の小沢さん、岡本さん、佐藤さん、『週刊現代』の加藤編集長、文春の山ちゃん、角川の伊達さん、江澤さん、アルテスの鈴木さん、船山さん、魔性の女フジモト、京都から駆けつけてくれた橋本麻里さん・・・とまあ、ずいぶんたくさんの編集者たちと仕事をしてきたものである。
来てくださったみなさんに順番にご挨拶しようと思うが、一箇所で話し始めると、あまりに面白いのでそのまま20分くらい話し込んでしまう。
甲野善紀先生、三砂ちづるさん、名越康文先生のテーブルで「解離性人格障害の多発の社会的原因」について語ったあとに、堀江敏幸さん、加藤典洋さん、春日武彦さんのテーブルでは「石原慎太郎を訴える原告団メンバーである私が都庁での講演に呼ばれた話」。
どうにも切りがない。
たちまち2時間余が過ぎ。
平川くん、釈老師からご懇篤なスピーチがあり、川上牧師が「ウチダのためのトリビュートソング」をアカペラで御披露くださり(これは20日の神仙閣の祝賀会で「甲南麻雀連盟会歌」とともに御披露くださるそうである)、版元文春から「『マルコ・ポーロ』廃刊のユダヤトラウマがこの本の受賞で癒されました」というちょっぴり切ない謝辞があり、最後に私が「こんなにたくさん人が集まってくれたのはひとえに私の人徳の賜ではないかと思わせてくれて、みなさんどうもありがとう」というなんだかよくわからない謝辞を申し述べる。
最初から最後まですべてを取り仕切ってくれた新潮社の足立真穂さんにこの場を借りてお礼を申し上げますとともに、個人的に「ザ・ベスト・エディター・オブ・ジ・イヤー」の称号を贈りたいと思います。
足立さん、ほんとにどうもありがとう。


2007.10.08

三連休のはずだが・・・

明けて土曜日は学士会館で取材が二つ。
一つは旧友阿部安治くんの会社、教育開発出版株式会社の仕事で、教育問題について。
阿部くんはアゲイン店主石川“針切りボーイ”茂樹くんの青学仏文時代の友人の過激派文学青年で、私も二十歳頃からの長いおつきあいである。
夭逝した妻のみさぶーが「名前からして『治安』をひっくり返すんだから」と長嘆していたとおり、出版会社に入ってからも組合の委員長をやって経営者たちの心胆を寒からしめていたが、いつのまにかその会社の社長になっていた。
平川くんの跡を継いで、サンケイに「ビジネスアイ」というコラムを書いているので、名前をご存じのかたも多いであろう。
どうして子どもたちはこんなに学力が低下してしまったのでしょう?
というインタビュアーの質問から始まって、1時間半ほど「学ばない子どもたち、働かない若者たち」の「モチベーションの崩壊」がどのようなダイナミックな構造をもって再生産されているかについて自説を述べる。
つとにロラン・バルトが指摘しているとおり、「無知」というのは単なる知識の欠如ではなく、そのつど力動的に、主体的な関与を俟って構成されている。
人は断固たる決意のもとにおのれの無知を構成するのであって、怠惰や不注意のために無知であるわけではない。
学力の低下は『階層化日本と教育危機』で苅谷剛彦さんが述べているとおり、自身の学力の低下に満足感や達成感を覚える社会集団の出現の帰結である。
学力の不足はひさしく自己評価を下げる要因であったけれど、学力の不足を「無意味なことをしない、合理的な生き方をする私」に対するプラス評価としてカウントする社会集団が統計的には90年代末に出現したことが知られている。
この集団は現在学齢期の子どもたちの相当数に達していると思う。
同じことは「うまく働けない若ものたち」にも見ることができる。
この場合は、就労していないことを直接的に「合理的な生き方」としてプラス評価することにはいささか無理がある。
社会評価が低いし、金も入ってこない。
そこで彼らはちょっと変わったカードを切ってくる。
それは「格差社会の本質と構造についての洞察は、格差社会の最底辺にいる人間がもっとも深い」というロジックである。
私が格差社会論とかニート、フリーター論を書くと、自称「格差の最底辺」にいる人々から罵倒に近い言葉がどっと寄せられる。
それらのすべてに共通するのは、「お前は格差社会の実情を知らないが、私は知っている」という「知的優越」のポジションを検証抜きで前提にしていることである。
このロジックは古くはマルクス主義者が、近年ではフェミニストが愛用したものである。
差別されている人間は差別社会の構造を熟知しているが、差別する側の人間は差別社会がどう構造化されているかを知らない。
マルクス主義者や第三世界論者やフェミニストたちの知的な明晰性が運動の過程でどのように劣化していったのか、私は四十年ほど前から注意深く見守ってきたが、その主因のひとつが、この「被迫害者は当該社会における『神の視点』を先取しうる」という仮説にあるというのが経験的に得られた教訓の一つである。
あるゲームでつねに勝つ人間とつねに負ける人間がいた場合に、そのゲームが「アンフェアなルール」で行われていると推論することは間違っていない。
しかし、つねに負け続けている人間はつねに勝ち続けている人間よりもゲームのルールを熟知していると推論することは間違っている。
通常、ゲームのルールを熟知している人間はそうでない人間よりもゲームに勝つ可能性が高いからである。
格差社会において下位階層に釘付けにされている人間は、格差社会における階層化の力学法則についてあまりよくわかっていないと私は推論する。
よくわかっていれば、階層上位に上昇する方法についても熟知しているはずであり、当然その方法を試しているはずだからである。
「階層上位に上昇する方法を熟知していながら、それを試さない」理由として合理的なものは一つしかない。
それは「階層上位に上昇する方法は、階層上位のものにしかアクセスできない方法である」という説明である。
現に、ほとんどの格差論者はその説明を採用している。
しかし、これはよく考えればわかるとおり、何も説明していない。
「世界が今のようであるのは、世界が今のようであるからだ」という命題は無謬であるが、世界の成り立ちについては何一つ情報をもたらさない。
私はそれよりは階層化社会の下位に釘付けにされている人々は「階層上位に上昇する方法」は自分たちには構造的に与えられないという説明を鵜呑みにすることによって階層社会の下位におのれ自身を釘付けにしているという解釈の方が生産的ではないかと思う。
「被害者は全能である」というのは今私たちの社会にひろく流布している一つの「ドクサ」である。
それゆえ誰もが「被害者」の立場を先取しようと、必死に競い合っている。
だが、被害者の立場からの出来事の記述は、そうでない人間の記述よりも正確であり、被害者の立場から提示される解決策は、そうでない人間が提示する解決策より合理的であるという判断には論理的には根拠がない。
特に今論じている格差社会のケースでは、格差社会の被害者である階層下位のものが「私はこの社会の構造を熟知している」という「全知」の視座を請求した場合、階層上昇のチャンスは原理的に失われる。
もし階層上昇のチャンスが彼らにも与えられていたのだとしたら、それを試さなかったことは彼ら自身の自己責任になってしまう。
だから、「階層上昇のチャンスは階層下位者には構造的に与えられていない」ということは自動的に真理とならねばならない。
その命題の真理性は、「現に階層上昇ができていない」という事実によってのみ証明されるのであるから、この理説を採用した人々は、全力を尽くして階層下位に踏みとどまろうとする。
社会改革を語るすべての理説はこれと同じアポリアに陥る。
社会改革の緊急であることを主張する人は論拠として、「眼を覆わんばかりに悲惨な事実」を列挙しようとする。
被迫害者の悲惨だけが彼の理説の正しさを証明するからである。
結果的に、社会改革の喫緊であることを主張する人々は、彼が救おうとしている当の被迫害者たちができる限り悲惨な状況のうちにとどまることを無意識のうちに願うようになる。
格差論も同じアポリアに落ち込んでいる。
「格差社会に対する知的・批評的な構えは、格差社会の下位にとどまることによって担保される」という考え方はメディアの格差論を通じて若者たちに大量に投与されている。
この事態は「学歴社会に対する批評性は、学歴社会の下位にあくまでとどまることで構築される」というイデオロギーによって子どもたちが「学びからの逃走」のうちに満足感と達成感を得ているのと同型的である。
しかし、このイデオロギーは社会全体にではなく、社会の一部、それも階層下位をピンポイントして投与されていることを人々は忘れがちである。
現にそのイデオロギー操作の結果、階層の流動性は失われ、「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というポジティヴ・フィードバックがかかって、社会の二極化は急速に進行しているのである。
繰り返し言うように、今の私たちの社会は「アンフェアなルール」でゲームが進められている。
その「アンフェアネス」の最たるものは、「このゲームは『ゲームのルールをいちばんよく理解している人間』が負けるゲームなのだ」という偽りのアナウンスが一部のプレイヤーにだけ選択的になされているということである。
あらゆる社会は階層化されているが、その階層化の力学は格差論者が考えているほど単純なものではない。
階層化は「このゲームのルールはどういうふうになっているんですか?」と訊いたら負けというルールで行われている(と、多くの人々は信じているので、「私はこのゲームのルールを誰よりもよく知っている」と競って主張する)。
でも、残念ながら、誰かに訊かなければゲームのルールはわからない。
ゲームのルールがわからない人はたいてい負ける。
もし、階層化社会をラディカルに審問しようと思うのなら、「『このゲームのルールはどういうふうになっているんですか?』と訊いたら負け」というこのルールは誰が負け続けるために作られているルールなのか、を問わなければならない。
というような話をする。

続いてサンケイ新聞から武道の取材。
これも紹介すると論文一本分になるので、割愛。またの機会にね。
新幹線で爆睡しつつ帰宅。そのまま死に寝。
日曜はフランス語教育学会。芦屋大学という近場なので、昼過ぎにふらふらと出かける。
お題は「フランス語教育と人文・社会『知』」。
シンポジウムの相方は立花英裕(早稲田大学)、工藤庸子(放送大学)、澤田直(立教大学)、水林章(上智大学)というみなさん。
仏文学会をやめてずいぶんになるので、お目にかかるのは久しぶりという方々ばかりである。
工藤先生は都立大学時代に非常勤で来られていた。
「ウチダくんて万年助手だったから、ずいぶん若いのかと思っていたけど、けっこういい年なのね」と言われる。
偉い先輩なので、へへへと頭を掻く。
2時間半ほどのシンポジウムでぐったり疲れて、芦屋の街に下り、相方のみなさんたちと生ビールでプチ宴会。
みなさん帰ったあとに、ジローくんとふたりで摂津本山でワインを飲む。
この15年ほどジローくんと二人でワインを飲むのは主にパリにおいてであるので、なんだかパリにいるような気分になる。
ああ、よく働いた。

2007.10.09

地球温暖化で何か問題でも?

1年生のゼミで「地球温暖化」が取り上げられた。
地球温暖化を防ぐために、京都議定書の規定を守り、急ブレーキ、急発進を自制し、わりばしをやめてマイ箸を使いましょう・・・というような話を聴いているうちに既視感で目の前がくらくらしてきた。
「地球温暖化の原因は二酸化炭素の排出」と学生さんたちはすらすら言うけれど、温暖化と二酸化炭素のあいだの因果関係はまだ科学的には証明されていない。
というと、みんなびっくりする。
気象というのはきわめて複雑な現象である。
「バタフライ効果」という言葉で知られているように、北京で蝶がはばたきをしたことによる大気圧の変化が、カリフォルニアに暴風をもたらすことがある。
複雑系ではわずかな入力差に対して巨大な出力差が生じる。
この場合に「北京の蝶のはばたき」を暴風の「原因」と名づけることには無理があるだろう。
排ガスと温暖化の関係もそれに似ている。
池田清彦さんによると、二酸化炭素の排出が急激に増加したのは、1940年から70年までであるが、この時期に気温は低下している。
温暖化の主因はむしろ太陽の活動の変化にあるのではないかと池田さんは書いていた。
たしかに地球の温度にいちばん関係があるのは太陽活動である。
太陽は63億年後には赤色巨星段階に入り、膨張を開始する。水星と金星はこの段階で太陽に呑み込まれて消滅する。
一度縮んだあと、また膨張を始め、最終的には現在の200倍にまで膨張し、その外層は地球軌道に近づく。
このとき地球にまだ人類がいたとして、「温暖化」などと悠長なことは言ってはおれないであろう。
そのあとは白色矮星となって、何十億年かかけて冷えてゆく。
最終的には地球はたいへん寒い状態になる。
なにしろ太陽がもうないんだから。
地質学的なスケールで考えても、現在は「間氷期」である。
地球は氷期と間氷期を交互に経験する。
最後の氷期が終わったのが、約1万年前。
黙っていても、いずれ次の氷期が訪れて、骨が凍えるほど地球は寒くなる。
そのときには海岸線がはるか遠くに退き、陸の大部分は氷に覆われ、動植物種も激減するであろう。
だから、私は温暖化には類的な立場からはそれほど怯えることもないのではないかと思っている。
地球寒冷化よりずっとましだと思う。
寒冷化した地球を想像してみたまえ。
夏が寒いんだよ。冬は豪雪で零下数十度。
冷夏では作物がとれないから、すぐに飢饉になる。
食料が高騰する。
いくら夏が暑いとはいっても、河原でも森の中でも、どこか涼しいところを探せば、なんとかしのげる。
でも、寒いときには「温かいところ」には必ず人間がいて、金を出さないとそこには入れない。
寒冷化した地球では、食料と暖房を買うことのできる人間しか生き残れない。
貧しい人間たち(つまり人類のほとんど)は遠からず凍死するか餓死する。
温暖化ではたしかに北極のシロクマさんたちは生活を脅かされて困っているであろうが、寒冷化で、人間たちが(もちろん動物植物たちも)ばたばたと凍死餓死するという未来もあまり想像したくない。
適当なところで落ち着いて欲しいものである。
似たことで「人口問題」というのがあった。
1970年代の「人口問題」は「人口爆発」をどう制御するかという問題であった。
2000年代の「人口問題」は「少子化」をどう防ぐかという問題に変わった。
人口は増えると政府は困り、人口が減ると政府は困った。
何が起きても、「現状と違うこと」が起きると政府はいつでも「困ったことになった」と言うのである。
だから、あまり政府の人々のしかめっ面を真に受けない方がいいと思う。
温暖化対策もそれほどヒステリックになる必要はないと思う。
「温暖化対策が成功しすぎて寒冷化した場合の対策」について考えている政治家はたぶん世界に一人もいないからである。

2007.10.10

卒論中間発表です

卒論の中間発表がある。
うちのゼミ生は15人なので、正午から始めて終わったのが午後6時過ぎ。
ふう、疲れた。
でも、面白かった。
女子学生たちの選ぶ論題は「身近なもの」が多い。
「食の崩れ」「家庭崩壊」「学力低下」「ニート」「おひとりさま」などなど・・・
中には「映画の構造分析」や「存在するとは別の仕方」というようなちょっと抽象的な主題を扱う学生もいる。
いろいろ。
別に何だっていいんだよ。
メディアで流布している「説明」に対して「ちょっと、それは違うんじゃないのかな・・・」という違和感があるときに、自分を納得させることのできる、身体的な実感のあることばを自力で書いてみること。
それがたいせつだ。
誰かの語る「正しい説明」を丸暗記して、腹話術の人形のように繰り返しても、あまりいいことはない。
「正しい説明を丸暗記して、そのまま繰り返すのは間違っている」のではない(だって「正しい」んだから間違っているはずがない)。
そうではなくて、「あまりいいことがない」のである。
「正しいこと」と「いいこと」は違う。
「正しいこと」はしばしば多くの人を不幸にするが、「いいこと」の場合は(定義上)いいことしかないのが手柄である。
レヴィナス老師のたいせつな教えの中に「世界を一気に救おうとする考えは人間の人間性を損なう」というものがある。
すべての不幸を解決する「最終的解決」の方法を私は知っているという人間を信じてはいけないと老師は教えている。
というのは、あらゆる不正がただちに罰され、あらゆる誤謬がただちに訂正される完璧な社会が実現したら、個人の仕事がなくなってしまうからだ。
政府がすべての弱者を救う完璧な福祉社会に生きる人は「身銭を切って」弱者に手を差し伸べる必要がなくなる(だって、その仕事は行政が個人がやるよりはるかに手際よくやってくれるからだ)。
100%倫理的な社会システムの中で生きる人は心おきなく自己利益の追求を最優先することができる。
同じように、あらゆる悪事を警察がただちに発見して処罰する社会システムでは、目の前でどのような凶行がなされていようとも、私たちは安心してそれを拱手傍観することが許される。
だって、すぐに警察がやってきて、てきぱきとワルモノを逮捕してくれることが確実だからだ。
何も自分がしゃしゃり出て、「やめたまえ」などと言う必要はない。
だから、『月光仮面』的な正義が成就している世界では、(ドラマの中で子どもたちがまさにそうしたように)、悪事が起こると人々は「月光仮面はやく助けに来て~」と泣訴するだけで、ヒーローの登場が少しでも遅れると「バカヤロー、この役立たず!おまえなんかもうヒーローじゃないやい」と石を投げたりするのである。
老師が教えているのは、世界に少しでも「よいこと」を積み増ししたいと思うなら、「ほうっておいても、どんどん世界をよくする非人称的なシステム」について考えるよりも、とりあえず自分の足元のゴミを拾いなさい、ということである。
老師はこう述べておられる。
「正義は一つところにとどまるものではなく、正義は開かれたものであるというふうに考えることが、世の中をすこしずつよくしてゆく叡智そのものにとって重要なのです。ある社会を一気に慈愛深いものにしようとか、慈愛が支配する体制を一気に打ち立てようとかすることは、スターリン主義の危険を増すことです。(・・・)スターリン主義とはつまり、個人的な慈悲なしでも私たちはやっていけるという考え方なのです。慈悲の実践にはある種の個人的創意が必要ですが、そんなものはなくてもすませられるという考え方なのです。そのつどの個人的な慈愛や愛情の行為を通じてしか実現できないものを、永続的に、法律によって確実にすることは可能であるとする考え方なのです。」(『暴力と聖性』、127-8頁)
脚下照顧。
多田先生の教えといっしょである。
武道についても哲学についても、師たちの教えは同じである。
一つの問題に対して正解は一つしかない、というのが「正しい理説」の構えである。
「正しさいろいろ」ということはありえない。
全員が同一の「正しさ」に帰一することを「正しい理説」は求める。
困ったことに、正しい理説は一つしかないので、その宣布者はしだいに個体識別がきかなくなる。
「正しい理説」のピットフォールは「正しい理説の宣布者」はいくらでも替えがきくということである。
キミなんかべつに存在しなくてもいいんだよ。だって、いくらも替えがいるから。
と言われても反論できないというのが「正しいこと」を言い続けることのコストである。
「正しいこと」を言うのは、だから本人にとってはあまり「いいことばかりじゃない」のである。
私が「正しいこと」は「いいこと」とは違う、というのはそういう意味である。
私は学生たちも「キミは正しい人だね」と言われるよりは、「キミはかけがえのない人だ」と言われる方がこの先幸福な人生を送れるだろうと思っている。
別に私がそんなことを思わなくても、学生諸君はてんでかってにそれぞれの個性を爆発的に開花させてくれているけれど。

家にもどって、ドンペリを開けて、学生たちと寄せ鍋、鉄板焼きなどを貪り喰う。
徹夜明けの子たちもいて、異常にハイテンションである。
お腹がいっぱいになったころに、バースデーケーキが出て来て、みんなでハッピーバースデーを歌ってくれる。
うるうる。
猫柄のネクタイと猫柄のキーケースと猫柄の寄せ書きをいただく。
よい子たちである。
この子たちともあと半年でお別れである。
うるうる。

卒論中間発表打ち上げ

2007.10.12

たくさんの人と出会ってしまった日

水曜日。AERAの「現代の肖像」のための二度目の取材で後藤正治さんが来る。
今回は夙川学院大学の同僚である若い二人の哲学者を同道された。
中真生さんと原一樹さん。
ふたりとも東大の哲学科を出た気鋭の学者である。
たいへん礼儀正しい若者で、私のような老狐にていねいにご挨拶をしてくださる。
中さんはなんとレヴィナシエンヌ(!)である。
名刺代わりに「こんなの書きました」とCahiers d’Etudes Levinassiennes の抜き刷りをいただく。
カイエはレヴィナス研究の国際的な学術誌である。
私もちゃんと定期購入しているのであるが、実は読んだことがない。
年に一度紀伊国屋のネットの洋書カタログでLevinas で検索をかけて、ヒットした書籍をまとめ買いするという手荒な資料収集をしているせいであろう。
そこに中さんが共著で「神なき文化の中で:日本におけるレヴィナス」という研究論文を書いている(もちろんフランス語で書いている)。
わお、すごいなあ。
日本におけるレヴィナス受容について、もう歴史的な考察が論文として書かれる時代になったのであるか・・・とぱらりとめくるとそこには(考えてみると当たり前であるが)私の名前が出てくる。
自分の研究業績について人がフランス語で書いたものを読むというのはたいへん奇妙な気分のものである。
そうか、私は「そんなこと」をした人間として研究史的には認知されているのか・・・
どんなことをした人間だと思われているかについては、実際に原文に就かれたい。
それにしてもひとさまの研究論文の中に「歴史上の人物」として自分が登場するというのは非常に奇妙な気分のものである。
指摘されているのはいちいちそのとおりなのであるが、それがまったく自分のこととは思われぬのである。
お二人は私の家宝であるところのレヴィナス老師からのお手紙ご真蹟を見て「ほおおお」と感嘆してくれる。
たしかにこれは若い世代の哲学者からすれば「ジョン・レノンのご真筆」に類するレアもの「おたから」であろう。
後藤さんの取材は前回の補足取材で、これはさくさくと進んで1時間半ほどで終わる。
理論社の浅井さんがそこに合流して、一同で三宮に出る。
当然のようにステーキハウスKOKUBUへ。
国分さんにご挨拶して、ブルーノくんから託された(正確にはブルーノくんが国分さんに渡すつもりで私の家の冷蔵庫に置き忘れていった)ジュラのワインをお渡しする。
彼は去年このステーキハウスに来たときに「次回は必ずジュラのワインを持ってきます」と国分さんに約束したので、(かばんにワインを6本も詰めてきて)その約束を果たしたのである。律儀な青年である。
とりあえずシャンペンを飲んで、ぱくぱくステーキを食べる。
美味であるので、しばらく沈黙が続く。
N山さんとI田くんが「へへへ」と顔を出す。
しばらくすると谷尾さんとクーも顔を出す(どちらも「顔を出す」だけで、そのままドアからひっこんでしまう)。
あの方たちは誰ですかと後藤さんに尋ねられたので、みんな合気道の連中ですという。ここのシェフも合気道仲間なんです。
後藤さんには合気道というのはフリーメーソンみたいなものだと思われたかもしれない。
その後Resetに河岸をかえる。
実は原さんはこちらの常連で、国分さんとも旧知なのである。
もちろん私のブログを読んで「Resetという三宮駅前のワインバー」の存在を知ったからなのである。
私はそのような仕方で国分さんの店の売り上げ増にひそやかに寄与していたわけである。
知らなかった。
そこに谷尾さんとクーも加わって、じゃんじゃん飲む。
合気道の話からブルース・リーはいかに偉大かという話になり、「アチョ~」という怪鳥音を実演してばたばたしているうちに気づくと深更となっている。
泥酔状態で「天皇制についての本を書く」という約束をどうやら浅井さんにしてしまったらしい。
夢かも知れない。

2007.10.15

キャリア教育再論

大学教授会研修会。
キャリア教育について。
私は大学のキャリア・デザイン・プログラム委員会のメンバーで、今回の現代GPの起案者のひとりであるので、「大学教育におけるキャリア教育の意味」について基調報告を行う。
話はわりと簡単である。
なぜ、文科省は「キャリア教育の充実」を高等教育機関に求めるのか。
前に書いたように、これは「入り口」における「リメディアル教育」と対をなしている。
「リメディアル教育」が大学教育にキャッチアップできない学生たちに対する補習であるのと同じように、キャリア教育は大学を卒業したあとにうまく就労することができない学生たちに対する「補習」である。
人間はどうして労働しなければならないのか。
この社会にはどのような職種が存在するのか。
あなたにとっての適職は何か。
その職業に就くためには在学中にどのような知識やスキルを身につけなければならないのか。
まあ、そういうことを「手取り足取り」教えるわけである。
どうしてそういう補習が必要であるかというと、それをしないと、学生たちは放っておくと就労のモチベーションを発見できないままに卒業後に(あるいは中退後に)その大半がフリーター化する可能性があるからである。
フリーター問題が行政が青ざめるほどに喫緊の政治課題となったのは、当初は安価で雇用調整の容易な不正規労働力の供給元としてもちあげられたフリーター諸君が(可処分所得が生活を支えるぎりぎりであるため)消費活動がきわめて不活発であるのみならず、結婚するだけの資力がないために国民の再生産そのものが危殆に瀕してきたからである。
いくら安い労働力が潤沢にあるせいで短期的には人件費コストが削減できても、「マーケットそのもの」が縮小しては、ロングスパンでは資本主義に生きる道はない。
若いひとたちがフリーター化・ニート化するのを「自己責任」と放置しておいたら、日本資本主義の弔鐘の音が遠くから聞こえてきたので、産業界も行政も尻に火がついて、慌て始めたのである。それくらいのこと、誰でも少し考えればわかりそうなものであるが、なかなかわからないのが不思議である。
それで日本の子どもたちが卒業後にフリーターにならず、ちゃんと正社員になって永年勤続して、ちゃんと結婚もして、子供も作って、末永く健全な消費活動を行って資本主義市場を支えてくれるように、「キャリア教育」ということをやれと大学に対してうるさく言い立てるようになったのである。
めんどうな話である。
人件費削減のために雇用形態を激変させて、若者たちの労働するモチベーションを致命的に損なったのは、「そちら」の台所事情のゆえであって、大学のあずかり知らぬことである。
その「尻拭い」をどうして大学がせにゃならんのか・・・とちょっと「むかっ」とするけれど、仕方がない。
ほかにそういうことを代替する公的機関が存在しない以上、大学がやるしかない。
しかし、文科省が旗を振って始めてキャリア教育は10年ほどの試行錯誤の末、結局ほとんど水泡に帰した。
当たり前である。
だって、学生たちに「労働することのたいせつさ」を理解させるために、「自己利益の追求」を最優先しないと「脱落するぞ」と脅かしただけなんだから。
他人をおしのけて、とにかく自分だけは勝ち残れ、敗残者はみじめだぞ・・・というようなことを教え込むことのどこが「キャリア教育」なのか、私には理解できない。
たしかにそう教えれば、若い人たちはますますエゴイスティックになり、ますます共同生活や集団的作業に不適応な人間になってゆくであろう。
しかし、現在の若年労働者たちが置かれている劣悪な労働環境は、「自社の利益さえ上がれば、日本の若者たちなんかどうなってもいい」と思ってきた企業人たちの近視眼的な自己利益追求行動の帰結そのものなのである。
自己利益の追求のためには共同体を解体することを辞さず、断固として他者との共生を拒むようなタイプ人間が社会に増えすぎたせいで、若者たちの労働するモチベーションが低下しているときに、当の若者たちにむかって、「そういう人間」になって、他人を競争で蹴落とせ・・・と教えることが日本社会全体にとって、どれほどリスキーな選択であるのか、キャリア教育関係者はお考えになったことがあるのであろうか。
しかし、実際には「キャリア教育」の名のもとに、正社員に比べてフリーターはどれほど労働条件が不利であるか、とか休職期間が長いとどれくらい生涯賃金が目減りするか、とかそういうことが「労働のモチベーション」を鼓舞するためのデータとして学生に開示されている。
「あなたがた、こんなふうになりたくないでしょう?」と脅しをかけている。
それは要するに「金がないこと」が諸悪の根源であり、「金さえあれば」おおかたの問題はかたがつくという、私たちの時代にあまねく伏流し、そのせいで子どもたちが学びと労働への意欲を失い、他者との共生能力の開発を止めてしまった当のイデオロギーに同意署名することである。
もしほんとうの意味で学生たちに生涯にわたって労働し続けるモチベーションを賦活するような「キャリア教育」があるとすれば、それは「私の労働を喜びとする他者がいる、私からの労働の贈り物を嘉納してくれる他者がいる」という考え方を内面化することに尽くされると私は考えている。
自己利益の追求は人々が思っているほどにオールマイティなものではない。
というのは、人間は「自己利益の追求を後回しに、共同体全体のパフォーマンスを向上させることに快楽を感じる」能力によって、他の生物を圧倒する「強さ」を獲得した生き物だからである。
共同体の利益よりも自己利益の追求を優先させることが許されるのは、人類の歴史の中でも例外的に平和な社会に限定される。
もちろんそのような社会に生きられたことはたいへん幸福なことであるという判断に私は喜んで同意する。
絶えず餓死や凍死や肉食獣や敵対部族の襲撃におびえているせいで、共同体が一つの身体のように緊密に結びついている社会に生きるより、そのようなフィジカルな恐怖がないので、いくらでも孤独でいられる社会に生きられることのほうが100倍も幸福である。
だが、現代の日本はもうそれほど「例外的に平和な社会」ではなくなりつつある。
サポートしてくれる集団をもたない孤独な若者たちはしだいに「フィジカルな恐怖」の接近を予感しはじめている。
百万規模の日本人が、このままではいずれ金もなく、職もなく、家族もなく、誰からも尊敬されず、誰からも信頼されない孤独な老人として死ぬ可能性がある。
敗戦後の日本は今よりはるかに貧しかったが、45年―46年の冬はほとんど餓死者を出さなかった。
それは貧しい日本人たちがその貧しい食料をわかち合ったからである。
今のフリーターたちが老齢に達する頃に、彼らを扶養することを市民として「当然の義務」と考える日本人が何人いるだろうか。
もし「キャリア教育」というのが、十分な社会性を備えた共同体のフルメンバーを育て上げることを意味するのであれば、学生たちの利己心を選択的に強化するような教育には害だけがあって利がないと私は思う。
私たちの社会組織はオーバー・アチーブする20%と「とんとん」の60%と、「アンダー・アチーブ」の20%を含んでいる。
オーバーアチーブする人間はしばしば標準の5倍10倍のパフォーマンスの高さを示すことがある。
それはアンダー・アチーブの人々の不足分を補って余りある。
だから、つねづね申し上げているように、人間のつくる組織は「5人に1人がオーバーアチーブする」だけで回るように設計されているのである。
5人に2人がオーバーアチーブしないと動かない組織というのは、制度設計自体が間違っているのである。
そして、この「5人に1人」も別に固定メンバーではない。
どれほどポテンシャルが高い人間でも、誰もがかつては非力な幼児であったし、これからだって、病気になることもあるし、怪我をすることもあるし、トラウマ的経験に遭遇して生きる意欲を失うことだってあるし、いずれは老齢化して、足腰にがたが来るようになる。
そのような「アンダー・アチーブ状態の私」に対して、今の自分自身に対するのと同じような配慮を示すことが(いきなり実行できなくとも、とりあえず)必要であるということが理解できるというのが共同体の成員条件である。
「社会人になる」ということを単純に「金を稼ぐ」ということだと思っている人間は長期にわたって労働を続けることはできない。
そんな基本的なことを私たちは久しく忘れてきたのである。

『かもめ食堂』を見たら塩鮭が食べたくなった

土曜はゼミの96年卒イシモリくんの結婚パーティがある。
この代は、オガワくんとカナ姫といっしょに語学研修のおまけのイタリア旅行でベネチアに行き、ほかの諸君とはみんなでぞろぞろとランカウイで泳いでクアラルンプールでハイティーをしたので、全員の顔と名前を私がちゃんと覚えている稀有の卒業生世代である。
やはりゼミ旅行はたいせつである(卒業後10年しても私に名前と顔を覚えておいてほしかったら、「とんでもないところ」にゼミ旅行に行くのが効果的である)。
イシモリくんは親孝行の島原娘であるが、このたび良縁を得て、長崎に嫁がれたのである。
去年の三月に同期のバッシーが神戸で結婚式を挙げて、そのときにイシモリくんとはひさしぶりにお会いした。それ以来である。
バッシーのパーティではハチスくんとイシモリくんの二人にしか会えなかったが、今回はゼミ生5人(バッシー、ハチスくん、アイコさん、アキラさん、リナちゃん)にまとめて会えた。
その場にいない同期生たちのことが話題になる。
私はそれぞれと個別的に連絡をとっているので、けっこう事情に通じている。
知っていることを教えてあげる。
7月にはオガワくんの結婚式に岡山まで行ったし、8月は引越しのどたばたのさ中にイタリアのブタさんが生ハムをもって遊びに来た。
最近ちょっと音信が途絶えている人たちもいるが、みんな元気で暮らしているだろうか。
新郎が司会をするという、たいへんフレンドリーで暖かいパーティであった。
新郎に「ふつつかな娘ですが、末永くよろしく」とお願いする。
どうも、そういう気分になってしまうのが不思議である。
一同河岸を換えて、またもResetへ。
当然の流れで、どのようにして結婚生活をハッピーにすごすかについて私が講義を行う。未婚のテラダくんにはどのようにして男性を籠絡するのかについて実践的なテクニックをいくつかご教示する。
一同「そんなこととはつゆ知りませんでした」と驚く。
そうだろうとも。
帰りしなに、今年の卒業生のフクダ(チナツじゃないよトモカだよ)が来たので、また座りなおして、人生いかに生きるべきかについて長説教をする。
さすがに最後のころは酔眼朦朧として、何を話しているのか自分でもよくわからない。
日曜は当然ながら二日酔いで目覚める。
今日は明石で講演をしなければならない。
二日酔いのときは「朝ごはん(できればご飯、納豆、味噌汁、漬物など和食めにうのもの)をしっかり食べて、ぬるめのお風呂にだらだら浸かり、頭を洗って、さっぱりしてからパジャマを着替えて二度寝する」というのがいちばん回復が早い。
今回もその手で11時過ぎには八分目ほど人間に復する。
半睡状態で明石へ。
今回は明石市生涯学習センターのお招きで、現代社会と若者たちについて論じるのである。
何を話すかだいたい決めていったのであるが、やはりぜんぜんそういう話にはならず、「そういえば、おとといのことですが・・・」というマクラを振ったら、勢いでそのまま「おとといの話」で45分ほどひっぱってしまった。
志ん生というよりは牧伸二である。
でも、個人的な趣味を言わせてもらえば、「そういえば、さきほどずいぶんと奇妙なものを見かけまして・・・あれはいったいなんなんでしょうか」というような話をだらだらしているときがいちばん楽しい。
講演を終えて、神戸から来てくれた渡邉仁さんといっしょにJRで帰る。
多田塾合宿に行った諸君から新潟土産の「妻有そば」をもらったので、家でとろろ蕎麦を作って食べる。
めちゃ美味である。
玉垣製麺所の妻有そばは日本一美味い。
あまり食べ過ぎて苦しくて死にそうになる。
しばらく「牛」になってから、アマゾンから届いた『かもめ食堂』を見る。
タムラくんの卒論が『かもめ食堂』の構造分析だというので、見たのである。
たいへん雰囲気のよい映画であったが、これを構造分析しろといわれたら私はちょっと困る。
「牛」になった直後であるにもかかわらず塩鮭が食べたくなったというところがさすが映画の手柄である。
タムラくんにはぜひがんばってほしいものである。
月曜は会議が二つ、授業が一つ、取材が二つ。
取材の一つは「子供とお金」。
もう一つは「スポーツ論」。
児童心理学者になったあとは、スポーツ評論家になる。
子供にうかつにお金を持たせると人間的成長が阻害されるが、まるで持たせないと人間的に成長できないという話のあとに、スポーツは人間性に反し、健康にもよくないが、その点がまことに人間的であるというどちらも似たような話をする。
「・・・は人間の本性に反する。その点が人間の本性にかなっているのである」という話型は汎用性が高い
人間というのは自分の本性に反することを熱心に行うという点において際立って人間的なのである(そういうことをサルはしない)。
自分で言ってみてから、ほんとうにそんな気がしてきた。
この手でしばらく行けそうである。

2007.10.20

「あの国」のやるべきことは

イラク特措法をめぐっていろいろな議論がなされている。
「テロのない平和な世界」を望むことについては(武器メーカーと武器商人を除いて)世界中これに反対する人はいない。
問題は「テロのない平和な世界」を実現するためにどのような方法を採用すべきかについては国際社会の合意が存在しないということである。
現在日本政府が採用している「平和への道」はアメリカの対テロ軍事行動を支援するというものである。
この軍事行動が対テロ対策として成功しているのかどうかは判定がむずかしい(「成功している」とするためには、それ以外の条件をすべて同じにして、軍事行動以外のオプションを採用したときの世界情勢と比較するしかない)。
だが、現在のアフガンやイラクの国内状態を冷静に見て、これが「軍事行動以外のどのオプションを採択した場合よりも世界平和に効果的に貢献した」という判断に与する人は決して多くないであろう。少なくとも私はしない。
理由はテロリストを「国民国家の構成員」に同定し、その「テロリスト国家」を攻撃し、「反テロリスト的政府」を支援して「国土」を実効支配する戦略を対テロ軍事行動の根幹とするという発想そのものが間違っているからである。
現代のテロリストたちには固定した領土もないし、権力や情報がそこに集中している首都もないし、巨大な行政組織もないし、護るべき国民もいない。
テロリストを相手に古典的な意味での「戦争」をしかけることはできない。
過去に国際社会がテロ活動を軍事行動や経済制裁で効果的に抑制しえた例があるだろうか。
私にはリビアくらいしか思いつかないが、リビアは地理的に釘付けにされた古典的な意味での国民国家である。
リビアや北朝鮮相手にする場合と同じ軍略は変幻自在のトランス・ボーダー・テロリスト相手には通じないと思う(現に通じていない)。
私は対テロのためにはまったく別の方法を案出すべきだと思っている。
その方法は国内でのテロ活動の頻発を効果的に抑止することに現に成功している国に学ぶのが合理的であろう。
さて、民主主義の発達した先進国中で、国内でのテロの抑止にほぼ完全に成功している国といえば、誰もが思いつくのは「水と安全がただ」の「あの国」である。
「あの国」はこのごろ外国からの観光客が年々増えている。
スキー場も温泉宿も海外からの旅行客でにぎわっているし、外国資本による国内リゾート地の買占めを着々と進行している。
理由を訊くと「この国は清潔だし、サービスがいいし、銃器を携行する人間がいないし、地下鉄車内で居眠りをしていてもかばんが盗まれないないし、第一テロの心配がない。そんな国、他にありますか?」とのことである。
なるほど。
「あの国」のテロ抑止実績に対する国際的評価はずいぶん高いのである。
その成功の理由は「陸海空軍を持たない。交戦権は持たない」と謳った憲法にある。
その憲法が「あの国」をテロリストにとってさえ「安全な国」たらしめているのである。
たしかに「あの国」はテロ活動に対して無防備である。
歴戦のテロリストであれば、「あの国」の首都機能を麻痺させ、経済活動を混乱させ、国民を不安のうちに叩き込むことは容易であろう。
けれども、これまでのところテロ活動は行われていない。
なぜか。
それはテロ活動を行うことによってテロリストが期待できる「利益」と、しないことによって現に確保されている「利益」を考量したときに、後者の方が大であると彼らが判断しているからである。
「あの国」に今テロを仕掛けることは容易である。
だが、それをした場合に「あの国」の国民の圧倒的多数は「交戦権の放棄」を謳った憲法を棄て、増税を受け容れても軍備の増強に国力を傾注し、テロリストとの平和的交渉を支持する言論を圧殺し、対テロリスト報復に国民が撃って一丸となる「復讐国家」が誕生することが確実だからである。
アメリカと共同し、それどころからアメリカでさえ逡巡するような冒険主義的な「対テロ活動」を展開しかねない軍国主義国家を作り出すことから何らかの利益を得るものは国際社会に存在しない。
「あの国」の憲法九条はそれ自体は国際政治上ほとんど無意味な空文である。
けれども、その「空文」である憲法九条がテロを経験したことによって廃されることは国際政治上きわめて重い現実的な意味を持っている。
それは、異常に均質的で付和雷同型の国民性をもった「あの国」が先端的なテクノロジーと強力な経済力とその経済力にふさわしい軍事力をもって「復讐」のために(おそらくは国連の制止など意に介さず)血眼になるであろうという確度の高い予想が成り立つということである。
テロリストたちが「あの国」を襲わないのは、「あの国」に対するテロがテロリスト自身にとっての脅威を爆発的に増大させることを感知しているからである。
しかし、この合理的な計算にもとづく抑制は「あの国」がテロリストたちに対して現に軍事的な「脅威」となった場合にはもう効かない。
人は「いまそこにある危機」を回避するためになら「将来高い確率で予測される脅威」をすぐに勘定に入れ忘れる生き物だからである。
テロリストの思考の合理性を信じるには限度がある(かなり低めに設定しておいたほうがいい)。
「あの国」の対テロ戦略がある閾値(それがどのへんにあるか確実に予測できる人間はどこにもいない)を超えたところで「あの国」は国内におけるテロの可能性を考慮して、対テロのために国家予算の相当部分を投じなければならなくなる。
それがどれほどの社会的コストを要し、「あの国」の経済と国民生活にどれほどの影響を及ぼすことになるのか、計算したことのある政治家は「あの国」にはおそらくひとりもいないだろう。
「あの国」では今対テロ新法の制定をめぐって、「一国平和主義に満足していて、国際社会に顔向けができるのか」という「体面論」が幅を利かせている。
「一国平和主義」というのは興味深い言葉である。
「一国平和主義」の対概念は何であろうか?
「世界戦争主義」か、それとも「世界平和主義」か。
「一国だけが平和のうちに安んじているわけにはゆかない」というのなら、それに続くのは論理的には「わが国も戦争状態の苦しみを他国とわかちあおう」いうセンテンスしかない。
だが、「一国平和主義」が「とりあえず世界の一隅に平和を享受している希有なエリアが存在する」という意味であるなら、それに続くセンテンスは「他の国もわが国のように平和を享受したらどうですか?」となるはずである。
世界の一隅に奇跡的に「安全と水がただ」の国がある。
それは62年にわたる先人の努力の成果である。
少なくとも一国において平和は実現した。
ならば、そのような奇跡的な「一隅」を少しずつでも周辺に拡大することがその国の世界史的使命ではないのか。
そのような「一隅」で特権的に平和を享受することは「国際社会の笑いもの」になるから、そこも他と同じように絶えずテロに怯える場所になるほうが「フェア」であるというのはずいぶんねじれた発想のように私には思われる。
だが、いまメディアの誌面にはそのようないささかヒステリックで自虐的な文言が横行しているように思われる。
「あの国」の将来のために、いささかの危惧を覚えたのでここに贅言を記すのである。

2007.10.21

麻雀宇宙論

対談と宴会の日々。
水曜が釈老師との「ジッポウ対談」。
これは本願寺系の宗教教養誌。プロデュースは当然”魔性の女“フジモトである。
北野の老香港酒家にて、美味しい中華をいただきながら、日本人の霊性についてディープな対話。
発作的に「日本人の宗教は柳田国男の指摘するとおり、『先祖教』であるが、これがホロコーストの死者たちが『存在するとは別の仕方で』生者たちの規矩として機能するユダヤ人の宗教性と親和するのではないか」という変痴奇論を思いつき、暴走。
釈老師は私のどのような暴走的思弁にも、あの温和かつ思慮深い笑顔で応じてくださるので、暴走が止らない。
ちょうど『文藝春秋』から「日本人とユダヤ人」というお題での寄稿を依頼されており、その締め切りが日曜なので、これをそのまま使いまわしすることにする。
木曜は授業を2コやった後、京都へ。
東寺の境内で新作能『一石仙人』を拝見する。
秋の夕方はけっこう肌寒い。
同行のアダチさんは風邪気味。橋本麻里さんに「ホッカイロ」をもらい、ひざ掛けを半分わけてもらって観能。
これは翌日対談の相方であるワキ方の安田登さんが出ているので、ご挨拶をかねて伺ったのである。
「一石仙人」とはアインシュタイン博士のこと。
シテが相対性原理をツレとワキに説明するというたいへん教化的な内容の能である(いや、ほんとに)。
どうしてそれを能で演じなければならないのかがよくわからないけど・・・
終演後に安田さんにご挨拶だけして、解散。
金曜は会議が朝一つ、授業が一つ、それから会議が6つ(入試委員会、学務委員会、人事委員会、合否判定教授会、定例教授会、人事教授会)。
へろへろになって三宮の神仙閣へ。
安田さんと『考える人』のための対談の続き。
(前回の最後にちょっとだけ話題になった)どうして私が能をはじめたのかという話から始まって、能における「複素的身体」の構築、シテとワキの対話的構造、さらにはおどろくべき麻雀の甲骨文的解釈による古代中国のコスモロジーへと話頭は転々奇を窮めて要約することがかなわないのである。
しかし、麻雀については安田師からたいへん裨益するところの多いご教示があったので、この場を借りて甲南麻雀連盟会員諸氏はじめすべての麻雀愛好家にお伝えしておきたい。
諸君はなぜ麻雀には「筒子、索子、萬子」とあるかその理由を考えたことがあるだろうか(私はない)。
安田師は高校生のときに打牌のさなかにふとその疑念に取りつかれたのである。
西欧渡来のトランプは4種13枚で構成されている。
4×13=52
52とはすなわち1年間の週の数である。
ユダヤ・キリスト教文化圏では暦の基本単位は週である(7日に一度の聖なる安息日によって時間は分節される)。
4種は四季であるから、トランプは時の流れそのものを図像化したものと考えることができる。
麻雀はどうか。
東南西北の4種は方位をあらわす。
これはよろしいな。
では、白發中は。
これはよくよく見ると「黒がない」ということに気づくはずである。
ご存知のとおり、古代中国において宇宙は四神すなわち青龍、朱雀、白虎、玄武によって分節される。
これは空間的方位としても理解されるが、時間的表象としては青春、朱夏、白秋、玄冬の四季を表す。
麻雀には白、青、朱があるが、「玄」がないのである。
世界を表象する根本記号のうちのひとつが抜いてあるのである。
同じことは萬子にも言える。
筒子は「竹を輪切りにして見たかたち」である。
索子は「竹を横から見たかたち」である。
この二つは宇宙を空間的に表象するときの座標軸である。
ということは、萬子もまた本来は「何か」と対になっており、その対は論理的に考えると宇宙を時間的に表象するときの座標軸として機能していたはずである。
それが抜かれている。
高校生だった安田師は麻雀を打ちながら、その「失われた萬子の相方」とは何か・・・という底の深い問いに取り憑かれたのである(珍しい高校生である)。
その問いの答えを求めて安田師はなんと大学の専攻に甲骨文・金文解釈を選ばれたのである(珍しい大学生である)。
そこで師は「萬」の古字がある種の爬虫類をかたどったものであり、「亀」と酷似しているという事実を発見した。
「亀」といえば「鶴」。
鶴は千年、亀は万年。
つまり、論理的に言えば、麻雀にはもうひとつ鶴を象った「千子(せんず)」という牌種が存在しなければならないことになる。
結論を述べよう。
東南西北に白發中にもうひとつ「黒」を入れた四元牌、それに空間を表象する筒子と索子に、時間を表象する萬子と千子を揃えたものが古代中国に存在したはずの「原・麻雀」なのである。
このゲームのうちにはおそらく悠久の過去から永劫の未来までの宇宙の運行のすべてが書き込まれており、かつこのゲームを行う人はそれによって宇宙の運行を司っていたのであろう。
麻雀はしだいに洗練されて今日の形態になったのではなく、そもそものはじめから今のようなものとして突然に出現した。
ということは、それまで古代の知者たちがひそかに「原・麻雀」を「宇宙ゲーム」として行っていたものから二種の牌をあえて「控除」することによって「無害化」したものが人間に与えられたのではないかという推理が成り立つのである。
というのが安田師の麻雀宇宙論である。
すごい。
釈老師がかつて看破したごとくまさしく「人生は麻雀の縮図」だったのである。
こうなると、ぜひ三元牌に「黒」を、萬子の対に「千子」を入れた原・麻雀を作り、これで麻雀をした場合に世界にどのような変異が起こるかを試してみたくなるではありませんか。
おそらく「何か」が起こるのであろう。
しかし、せっかく古代の知者があえて禁忌とした「原・麻雀」である。
小人の賢しらをもって封印を解くべきではあるまい。
というような話をする(麻雀をしない人にはまるで意味不明の話なので、おそらく『考える人』には採録されないであろうから、備忘のためにここに記しておくのである)。

土曜日は合気道のお稽古のあと、またまた神仙閣で、今度は私の小林秀雄賞受賞を祝う会がある。
多田塾甲南合気会と甲南麻雀連盟の共催の一大イベントである。詳細についてはいずれ語る機会があるであろうが、今はただ声涙ともにくだる状にて「みなさん、ありがとう」とつぶやくばかりである。
生きてきてよかった・・・と思いました。
ほんとに。

2007.10.24

宴会週末

日曜が仕事だったので、土曜日の受賞祝賀会は二次会で切り上げて、早めに帰る。
橘さんセレクションのワインとブランデーが2ケースにシャンペンクーラーがあったので、かんちきくんに手伝ってもらってタクシーで帰る。
その祝賀会でもっともつよく記憶に残っているのは、「セトッチとおいちゃんの足元しか見ないダンス」(パンク・ミュージックではこのポーズのことをShoe gazer と呼ぶと以前に増田くんに教わったことがある)と「ほとんどカール・ウィルソンみたいなドクターのファルセットとお気楽ダンス」と「甲南麻雀連盟会歌三番を聴いているときのかんちきくんの上気した頬」である。
総じて「かわいい系」の情景が私の記憶には選択的に残されるようである。
会の詳細については、ウッキー青山さんのブログ日記にも証言が記されているのでそれを参照されたい。
発起人のみなさまの氏名をここに記して、感謝の意を表したい。
江“だんじりエディター”弘毅
山本“画伯”浩二
釈“老師”徹宗
川上“歌う牧師”盾
佐藤“ドクター”友亮
飯田“イーダセンセイ”祐子
堀埜“社長”浩二
青山“青ちゃん”ゆみこ
橘“哲学するソムリエ”真
古橋“ウッキー”右希。
ご参列くださったかたがたの全員の氏名を記しておきたいところであるが、60名分書くと大変なので、ご海容を願いたい。
川上先生の連盟会歌、トリビュートソング、『バーバラ・アン』と、エグッチ作詞、ウッキー指揮の『ウチダの分身』は機会があれば(ないが)ぜひCD発売していただきたいものである。
とにかく私のこれまでの人生でもっともハートウォーミングな宴会であったということはここに大書して感謝の意を表するのである。
とりわけ仕切り役の堀埜さん、青山さんとその下で奔走してくれた神吉くん、大迫くん、藤田くんの「むかしのミーツの丁稚どんトリオ」の「雪かき仕事」ぶりには一同深く感銘を受けたのである。
ありがとね。

日曜は東京の青山ブックセンターで柴田元幸さんとの「村上春樹論」。
『村上春樹にご用心』の刊行記念で、柴田さんと1時間半、かの文豪の文学史的重要性を徹底検証するという野心的なプログラムである。
柴田さんと対談するのは3回目(去年の夏にDHCで翻訳の話、今年の五月に日本英文学会でアメリカ文学の話)。
柴田さんとは話のリズムが節目でぴしりぴしりと合うので、話がだんだん深くなる。
自分でもそんなことを考えているとは思わなかった考想がふと脳裏に浮かぶのは、柴田さんのようなすぐれた対話者を得たことの効用である。
私の村上春樹論の軸は「『存在しないもの』のもたらす魅惑と恐怖は文化的な地域性を超えて汎通的である」というものである。
これは私のレヴィナス論の核になる考想であり、(昨日わかったのであるが)小津安二郎論の核でもあった。
どうして私が「存在しないものがすべてを意味として編制する」という逆立した議論に惹きつけられるかというと、それが「実証的な研究」の意味についての再考を迫るからである。
もちろん実証的な研究は学術的に大きな意味をもつ。
けれども、実証的研究に「はまる」と、しばしば学者たちは「存在するものがすべてを意味として編制している」というチープな物語を信じるようになる。
一般に、学者というものは学術情報の蓄積がある閾値を超えたところで「ワイルドでカラフルな仮説を立てる人」と「重箱の隅をつつく人」に二極化する。
それまで自分が蓄積してきた学術情報が「次のレベル」へジャンプするための「カタパルト」とみなして、それを「踏み台にして棄ててゆく」人と、それまで自分が蓄積してきた学術情報を「お宝」とみなして、それを退蔵して飾り立てる人の二種類にわかれるのである。
残念ながら、90%の学者は後者である。
原理的に言えば、あらゆる学術情報は「棄てるため」にある。
必死になって研究するのは、その研究成果が「実は無意味」なものであるということを確認するためなのである。
「無意味なことはできない」という人間は学者には向かない。
あまり知られていないことであるが、私たちにとって「意味のあること」の有意味性はどのように構築されているかではなく、私たちにとって「無意味なこと」の無意味性はなぜ知的に把持され得ないのかを問うことが根源的に学術的な知性のあり方なのである。
真の知性は「存在しないもの」、私たちの意識から絶えず逃れ去ろうとするもの、知性が把持することのできないものを選択的に追う。
実証的な研究というのは『冒険者たち』でアラン・ドロンとリノ・バンチェラが忍耐づよくしていたように「この海域に宝はない」ことを確認するために行うものなのである。
そして、物語が教えるように、「宝を発見した日」ではなく、「『この海域に宝はない』ことを確認しているルーティンの日々」こそが(ジョアンナ・“レティーシャ”・シムカスを含めた)三人の冒険者たちにとって至福の時間だったのである。
実証研究の手柄はそこにあり、そこにある。
講演のあと、聴きに来てくれた平川くん、都甲くん、大和田くんらをまじえてプチ宴会。
“邪魔女”サトウ、“IT秘書室長”フジイなど、在京ゼミ卒業生も応援にきてくれる。
みなさん、どうもありがとう。
『村上春樹にご用心』はよく読むと、なかなか滋味深い本であります。
買ってくださいね~

2007.10.30

演武をしたり狩野永徳を見たり

なかなか日記を更新する暇がない。
くらい忙しいのである。
別に病気とかそういうことではないので、ご心配には及ばない。
備忘のためにこの一週間のことを記しておく。
木曜日、授業後、大学祭準備。そのまま稽古。
金曜日、大学祭演武会。院長、学長がご高覧になる。
「説明演武」にて、合気道の稽古がいかに高等教育において有用なものであるかを述べる。
夕方から同僚の平井雅子先生の通夜に芦屋にでかける。
平井先生は私が本学に就任したときの「第三者委員」であり、私に面接をして、人品骨柄について人事教授会でご報告をされた方である。
もし、平井先生が「ありのまま」のことを報告されていたら、私はあるいはこの大学に職を得られなかった可能性もあり、その点で感謝を忘れることのできぬ人なのである。
着任後も、同じ芦屋にお住まいということもあり、ご令息とるんちゃんと一緒に六甲にハイキングに行ったり、お宅にクリスマス・ディナーに呼ばれたり、親しくご友誼を賜ったのである。
平井先生といえば、忘れることができないのは震災のときのことである。
震災後二週間目に緊急の教授会が開かれることになったが、平井先生から出欠の連絡がない。
もちろん電話は通じない。
教授会が午後から始まるというので、家を知っている私がバイクで松浜町の家まででかけた。
家はかなり傷んでいる。
声を掛けたが返事がない。
しかがたないので、ご令息が通っている中学に行って、担任の先生に会って安否を伺うが、どういうわけか平井家からは震災後連絡がないままなので、安否が確認できていないという。
不安になって芦屋警察署に行って事情を話し、一緒に家の中に立ち入って欲しいとお願いするが、警察にはそんな権限はないという。
しかたがないので、勝手に塀を乗り越えて、ドアを破って家宅侵入した(ほんとは刑法上の犯罪であるがご容赦願いたい)。
さいわい無人であった。
あとから聞けば笑い話なのであるが、そのときは暗い部屋の奥から何が出てくるか想像して、ほんとうにどきどきしたのである。
平井先生の魂の天上での平安をお祈りする。
家に戻って翌日の宴会用にグリーンカレーを仕込む。
作っているうちに空腹になり、ぱくぱく食べる。
美味である。
半分くらい食べてしまう。
土曜日は学祭本番。
甲南合気会の諸君に、気錬会の高雄くん、のぶちゃんも加わって総勢30名余。2時間半近い演武会となる。
みなさんご苦労さまでした。
家に戻って打ち上げ宴会。
40人近い宴会であるので、何が何だかわからないが、とにかく酒と食べ物だけはたいへん潤沢である。
Pちゃんが作るパスタが30秒でなくなる。
みんなで93年の学祭演武会のビデオを見る。
私はまだ43歳。とっても若いし、スレンダーであるし、受け身を取ったあとに起き上がる動作もなめらかである(今は「どっこいしょ」と言わないと立ち上がれない)。
松田先生はまだ白帯で、髪の毛も黒々としているが、所作は今とそっくりである。
満座爆笑。
私にとってはほんのちょっと前のできごとなのであるが、歳月の経過は早いのである。
日曜はひさしぶりの休日なので、橋本麻里さんご推奨の狩野永徳展を見に京都へ行く。
たいへん混んでいると聞いたので、閉館間際を狙って夕方行ったのであるが、それでも30分待ち。
中もぎうぎうである。
でもすごい。
永徳の唐獅子は『昭和残侠伝』のタイトルバックでしか知らなかったが、たいそうなものである。
『洛中洛外図』、新発見の『洛外名所遊楽図』もこれまたたいそうなものである。
この展覧会は「狩野派」のもの(つまり永徳工房製作で、永徳ブランドだけれど、真筆とは判じがたいもの)や「伝・永徳」のものもまとめてどおんと並べてある。
素人が見ても、「おおおお」と「ん?」くらいの違いがある。
それくらい永徳が凄いと言うことである。
もちろん工房製作だって、伝永徳だって技術的には完璧なのである。
でも何かが違う
何が違うのか技術的なことはわからないが、比喩的に言えば「針の穴に手前から糸を通そうとしている絵」と「針の穴にもう糸が通ったあとに糸をひっぱるような絵」の違いに近い。
どういう絵になるのか、細部まで全体の構想ができていて、一気に描いた絵と、そうでない絵の違いといえばよろしいか。
武道では、立ち合いのときにこのあと何が起こるのかがあらかじめ「わかっている」人の体感が場を支配する。
「時間をフライングする人」が先の先を取る。
おそらく芸術でもそうなのであろう。
自分が何を完成させるのか、それを人々がどのように感嘆するのか、数百年後の美術館の観客の嘆息まで「わかって描いている人」の絵はそうでない人の絵とずいぶん質が違う。
それは造型の細部とか筆遣いがどうこうということではなくて、作品のもつ「迫力」としてしか形容しがたいものである。
もう一つ興味深いことがあった。
それは山水を描いたものも洛中洛外図もそうなのだが、「これはいったい誰の視線から見た世界なのか?」ということである。
手前のものも遠方のものも、すべてのものが等距離に見える。
家の中まで見える。
あるいは『花鳥図押絵貼屏風』では鳥も花も虫も「すべてにピントが合っている」。
人間の目に世界はそのようには見えない。
これは「神の視線から見た世界」なのか?
私はそうだと思う。
日本の中世に西欧的な「天なる父」の概念は存在しないから、この「神の視線」はそのような宗教的なものではない。
けれども、狩野永徳がこの絵を描いているときに、彼の脳裏にたしかに京洛や花鳥は「このように」見えたはずである。
遠近法が用いられていないということは、この視座は「遠近」という尺度とは無縁の、無場所的・遍在的なものだということである。
人間は特権的瞬間において、おそらくそのような視座に立つことができるのだ。
それが「小説」という文学形式を可能にしているのではないかということは『村上春樹にご用心』で少しだけ書いた。
狩野永徳展を見て、絵画もまた同様の特権的経験に根ざしていることに気がついた。
私たちがこの二次元の芸術に感動するのは、「私もまたこのようなしかたで世界を見たことがある」という茫漠たる特権的経験の記憶にそれが触れるからではなかろうか。

2007.10.31

礼について

大学院では後期に家族論を講じている。
前期は教育論であった。
『街場の教育論』はミシマ社から、『街場の家族論』は講談社から来年中には出版されるので、私がどのような妄説を教場で獅子吼しているかを知りたい方それらの作物を徴されたい。
先週は小津安二郎に関連して「家族とは何か?」という本質的な問いをめぐって論じた。
だいぶ前に『ミーツ』書いた家族論が『村上春樹にご用心』に再録された。その中に私はこう書いている。
「人々が集まったとき、ある人がいないことに欠落感を覚える人と、その人がいないことを特に気にとめない人がいる。 その人がいないことを『欠落』として感じる人間、それがその人の『家族』である。その欠落感の存否は法律上の親等や血縁の有無とは関係がない。家族とは誰かの不在を悲しみのうちに回想する人々を結びつける制度である。」
〈空虚〉を中心にして人間の運命は形成される。
邪悪さも善良さも不幸も幸福も、その起源は〈空虚〉のうちにある。
〈空虚〉は因習的な意味では「存在しない」ものであるから、あらゆる人間的事象に起源は存在しない。
というより、「起源の不在」を起源とすることが可能だということ知った霊長類の一部が人類になったという言い方の方がより厳密であろう。
老師が教えられたように、欲望は欲望の充足が欲望をさらに亢進させるように構造化されている。
動物には欲求(besoin)はあるが欲望(désir)はない。
欲望がコミュニケーションを起動する。
コミュニケーションには3つのレベルがあると看破したのはレヴィ=ストロースである。
すなわち「女の交換」(親族形成)「記号の交換」(言語)「財貨・サービスの交換」(経済活動)である。
私はこれに副次的なコミュニケーションレベルとして二つのものを書き加えたいと思う。
一つは葬礼であり、一つは動物との共生である。
葬礼というのは「正しい服喪儀礼を行えば死者は鎮魂されるが、誤った服喪儀礼を行えば死者は甦って災いを為す」という信憑のことである。
この信憑を持たない社会集団は存在しない。
この場合「服喪儀礼」を一つの記号とみなせば、記号の違いに応じて、そのつど死者は別種の反応を示すということである。
これを「コミュニケーション」と言わずして何というべきか。
死者ともコミュニケーションすることができる。
これが人間が動物と分岐した決定的なポイント・オブ・ノーリターンだと私は考えている。
「存在しない」死者ともコミュニケーションできるのであれば、異類とのコミュニケーションなどはるかにたやすいことである。
人間以外の霊長類は異種の生物を家畜として共生することをしない。
人間がそれを行うことができるのは、動物の鳴き声や表情を人間の声や表情に準じるものとして記号的に分節できるということである。
おそらく人間の特徴は「他者」(そこには死者も異類も含まれる)と癒合的なしかたで共-身体を形成することができるという点にある。
生物としてきわめて脆弱な人類が地上最強の種として君臨することになったのはこの「共-身体形成能力」によると私は考えている。

それゆえ、古伝のすべての「人間的教養」はこの能力の涵養に焦点化してきた。
例えば、儒家にいう「六芸」とは礼・楽・射・御・書・数であるが、儒における「礼」とは本来的には葬礼のことである。
死者とのコミュニケーションのために践むべき作法とは何か。
それは老師の言葉を借りれば「存在するとは別の仕方で」生者にかかわり来るものといかに応接するかという問いに向き合うことである。
「楽」とは音楽のことである。
音楽とは端的に言えば「もう聞こえなくなった音がまだ聞こえ」、「まだ聞こえない音がもう聞こえる」というかたちで「現存在」の「現」の桎梏を超え出ることである。
これもまた「存在するとは別の仕方で」私たちに触れてくるものとのかかわり方を教えている。
「射」は弓であり、「御」は馬術のことであるから、射・御とはすなわち本邦でいう「弓馬の道」すなわち武術のことである。
なぜ武術が「刀槍の道」と呼ばれず「弓馬の道」と呼ばれることになったのかについては『複素的身体論』に詳らかにしたので、ここでは繰り返さない。
「書・数」はいわゆる「読み書き算盤」のことであり、「言語記号の交換」と「財貨・サービスの交換」という三つのコミュニケーション・レベルのうちの二つを指している(第一のコミュニケーションである「女の交換=親族形成」は「礼」そのものの前提をなしている)。
ご覧のとおり、孔子が人として学ぶべきこととした「六芸」のうち、現在学校教育で教えられているのは楽と書と数だけである。
武術はまだかろうじて形骸が残っているが、その命は旦夕に迫っている。
もっとも重要な人間的教養である「礼」はもはや一部の葬礼のうちに名残りをとどめるばかりである。
人間は〈種の起源〉において人間を人間化した根本要件である「共-身体形成のためのコミュニケーション能力」そのものを失いつつある。

家族というのは、起源的には「礼」を学ぶための集団であると私は考えている。
「そこにいないひと」の「不在」を痛切に感知する訓練が「礼」の基礎となるからである。
それは死者の弔いというかたちをとることもあるし、やがて家族のうちの誰かから生まれてくる子どもへの期待というかたちをとることもある。
「もういない人」の不在と「まだいない人」の不在をともに欠如として感知する人々が「家族」を構成する。
それが解体しつつある。

そういえば、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』という本には、「家族の不在(悼むべき祖先の不在、来るべき子孫の不在)を少しも痛みとして感知しない人間」になるための方法がことこまかに書かれていた。
だが、「もう存在しない他者」「まだ存在しない他者」の現時的な不在を「欠如」として感じとることは人間が種として生き延びるために不可欠の能力である。
この能力の重要性を過小評価すべきではないと私は思う。
あるいは上野はこの能力を選択的に攻撃することによって、人類の「種としての消滅」をめざしているのかもしれない。
たしかに地質学的スケールで考えれば、別に人類が「地上最強の種」として未来永劫地上に君臨すべきであるということはない。
ゴキブリとかウイルスとかが地上に君臨する時代が到来してもよろしいのではないかと上野が考えているとしたら(どういう人間的理由からそう考えるに至ったかは知らないけれど)、それもまた一つの人間的見識としなければならない。

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