演武をしたり狩野永徳を見たり

2007-10-30 mardi

なかなか日記を更新する暇がない。
くらい忙しいのである。
別に病気とかそういうことではないので、ご心配には及ばない。
備忘のためにこの一週間のことを記しておく。
木曜日、授業後、大学祭準備。そのまま稽古。
金曜日、大学祭演武会。院長、学長がご高覧になる。
「説明演武」にて、合気道の稽古がいかに高等教育において有用なものであるかを述べる。
夕方から同僚の平井雅子先生の通夜に芦屋にでかける。
平井先生は私が本学に就任したときの「第三者委員」であり、私に面接をして、人品骨柄について人事教授会でご報告をされた方である。
もし、平井先生が「ありのまま」のことを報告されていたら、私はあるいはこの大学に職を得られなかった可能性もあり、その点で感謝を忘れることのできぬ人なのである。
着任後も、同じ芦屋にお住まいということもあり、ご令息とるんちゃんと一緒に六甲にハイキングに行ったり、お宅にクリスマス・ディナーに呼ばれたり、親しくご友誼を賜ったのである。
平井先生といえば、忘れることができないのは震災のときのことである。
震災後二週間目に緊急の教授会が開かれることになったが、平井先生から出欠の連絡がない。
もちろん電話は通じない。
教授会が午後から始まるというので、家を知っている私がバイクで松浜町の家まででかけた。
家はかなり傷んでいる。
声を掛けたが返事がない。
しかがたないので、ご令息が通っている中学に行って、担任の先生に会って安否を伺うが、どういうわけか平井家からは震災後連絡がないままなので、安否が確認できていないという。
不安になって芦屋警察署に行って事情を話し、一緒に家の中に立ち入って欲しいとお願いするが、警察にはそんな権限はないという。
しかたがないので、勝手に塀を乗り越えて、ドアを破って家宅侵入した(ほんとは刑法上の犯罪であるがご容赦願いたい)。
さいわい無人であった。
あとから聞けば笑い話なのであるが、そのときは暗い部屋の奥から何が出てくるか想像して、ほんとうにどきどきしたのである。
平井先生の魂の天上での平安をお祈りする。
家に戻って翌日の宴会用にグリーンカレーを仕込む。
作っているうちに空腹になり、ぱくぱく食べる。
美味である。
半分くらい食べてしまう。
土曜日は学祭本番。
甲南合気会の諸君に、気錬会の高雄くん、のぶちゃんも加わって総勢30名余。2時間半近い演武会となる。
みなさんご苦労さまでした。

家に戻って打ち上げ宴会。
40人近い宴会であるので、何が何だかわからないが、とにかく酒と食べ物だけはたいへん潤沢である。
Pちゃんが作るパスタが30秒でなくなる。
みんなで93年の学祭演武会のビデオを見る。
私はまだ43歳。とっても若いし、スレンダーであるし、受け身を取ったあとに起き上がる動作もなめらかである(今は「どっこいしょ」と言わないと立ち上がれない)。
松田先生はまだ白帯で、髪の毛も黒々としているが、所作は今とそっくりである。
満座爆笑。
私にとってはほんのちょっと前のできごとなのであるが、歳月の経過は早いのである。

日曜はひさしぶりの休日なので、橋本麻里さんご推奨の狩野永徳展を見に京都へ行く。
たいへん混んでいると聞いたので、閉館間際を狙って夕方行ったのであるが、それでも30分待ち。
中もぎうぎうである。
でもすごい。
永徳の唐獅子は『昭和残侠伝』のタイトルバックでしか知らなかったが、たいそうなものである。
『洛中洛外図』、新発見の『洛外名所遊楽図』もこれまたたいそうなものである。
この展覧会は「狩野派」のもの(つまり永徳工房製作で、永徳ブランドだけれど、真筆とは判じがたいもの)や「伝・永徳」のものもまとめてどおんと並べてある。
素人が見ても、「おおおお」と「ん?」くらいの違いがある。
それくらい永徳が凄いと言うことである。
もちろん工房製作だって、伝永徳だって技術的には完璧なのである。
でも何かが違う
何が違うのか技術的なことはわからないが、比喩的に言えば「針の穴に手前から糸を通そうとしている絵」と「針の穴にもう糸が通ったあとに糸をひっぱるような絵」の違いに近い。
どういう絵になるのか、細部まで全体の構想ができていて、一気に描いた絵と、そうでない絵の違いといえばよろしいか。
武道では、立ち合いのときにこのあと何が起こるのかがあらかじめ「わかっている」人の体感が場を支配する。
「時間をフライングする人」が先の先を取る。
おそらく芸術でもそうなのであろう。
自分が何を完成させるのか、それを人々がどのように感嘆するのか、数百年後の美術館の観客の嘆息まで「わかって描いている人」の絵はそうでない人の絵とずいぶん質が違う。
それは造型の細部とか筆遣いがどうこうということではなくて、作品のもつ「迫力」としてしか形容しがたいものである。
もう一つ興味深いことがあった。
それは山水を描いたものも洛中洛外図もそうなのだが、「これはいったい誰の視線から見た世界なのか?」ということである。
手前のものも遠方のものも、すべてのものが等距離に見える。
家の中まで見える。
あるいは『花鳥図押絵貼屏風』では鳥も花も虫も「すべてにピントが合っている」。
人間の目に世界はそのようには見えない。
これは「神の視線から見た世界」なのか?
私はそうだと思う。
日本の中世に西欧的な「天なる父」の概念は存在しないから、この「神の視線」はそのような宗教的なものではない。
けれども、狩野永徳がこの絵を描いているときに、彼の脳裏にたしかに京洛や花鳥は「このように」見えたはずである。
遠近法が用いられていないということは、この視座は「遠近」という尺度とは無縁の、無場所的・遍在的なものだということである。
人間は特権的瞬間において、おそらくそのような視座に立つことができるのだ。
それが「小説」という文学形式を可能にしているのではないかということは『村上春樹にご用心』で少しだけ書いた。
狩野永徳展を見て、絵画もまた同様の特権的経験に根ざしていることに気がついた。
私たちがこの二次元の芸術に感動するのは、「私もまたこのようなしかたで世界を見たことがある」という茫漠たる特権的経験の記憶にそれが触れるからではなかろうか。
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