たくさんの人と出会ってしまった日

2007-10-12 vendredi

水曜日。AERAの「現代の肖像」のための二度目の取材で後藤正治さんが来る。
今回は夙川学院大学の同僚である若い二人の哲学者を同道された。
中真生さんと原一樹さん。
ふたりとも東大の哲学科を出た気鋭の学者である。
たいへん礼儀正しい若者で、私のような老狐にていねいにご挨拶をしてくださる。
中さんはなんとレヴィナシエンヌ(!)である。
名刺代わりに「こんなの書きました」と Cahiers d’Etudes Levinassiennes の抜き刷りをいただく。
カイエはレヴィナス研究の国際的な学術誌である。
私もちゃんと定期購入しているのであるが、実は読んだことがない。
年に一度紀伊国屋のネットの洋書カタログで Levinas で検索をかけて、ヒットした書籍をまとめ買いするという手荒な資料収集をしているせいであろう。
そこに中さんが共著で「神なき文化の中で:日本におけるレヴィナス」という研究論文を書いている(もちろんフランス語で書いている)。
わお、すごいなあ。
日本におけるレヴィナス受容について、もう歴史的な考察が論文として書かれる時代になったのであるか・・・とぱらりとめくるとそこには(考えてみると当たり前であるが)私の名前が出てくる。
自分の研究業績について人がフランス語で書いたものを読むというのはたいへん奇妙な気分のものである。
そうか、私は「そんなこと」をした人間として研究史的には認知されているのか・・・
どんなことをした人間だと思われているかについては、実際に原文に就かれたい。
それにしてもひとさまの研究論文の中に「歴史上の人物」として自分が登場するというのは非常に奇妙な気分のものである。
指摘されているのはいちいちそのとおりなのであるが、それがまったく自分のこととは思われぬのである。
お二人は私の家宝であるところのレヴィナス老師からのお手紙ご真蹟を見て「ほおおお」と感嘆してくれる。
たしかにこれは若い世代の哲学者からすれば「ジョン・レノンのご真筆」に類するレアもの「おたから」であろう。
後藤さんの取材は前回の補足取材で、これはさくさくと進んで1時間半ほどで終わる。
理論社の浅井さんがそこに合流して、一同で三宮に出る。
当然のようにステーキハウスKOKUBUへ。
国分さんにご挨拶して、ブルーノくんから託された(正確にはブルーノくんが国分さんに渡すつもりで私の家の冷蔵庫に置き忘れていった)ジュラのワインをお渡しする。
彼は去年このステーキハウスに来たときに「次回は必ずジュラのワインを持ってきます」と国分さんに約束したので、(かばんにワインを6本も詰めてきて)その約束を果たしたのである。律儀な青年である。
とりあえずシャンペンを飲んで、ぱくぱくステーキを食べる。
美味であるので、しばらく沈黙が続く。
N山さんとI田くんが「へへへ」と顔を出す。
しばらくすると谷尾さんとクーも顔を出す(どちらも「顔を出す」だけで、そのままドアからひっこんでしまう)。
あの方たちは誰ですかと後藤さんに尋ねられたので、みんな合気道の連中ですという。ここのシェフも合気道仲間なんです。
後藤さんには合気道というのはフリーメーソンみたいなものだと思われたかもしれない。
その後Resetに河岸をかえる。
実は原さんはこちらの常連で、国分さんとも旧知なのである。
もちろん私のブログを読んで「Resetという三宮駅前のワインバー」の存在を知ったからなのである。
私はそのような仕方で国分さんの店の売り上げ増にひそやかに寄与していたわけである。
知らなかった。
そこに谷尾さんとクーも加わって、じゃんじゃん飲む。
合気道の話からブルース・リーはいかに偉大かという話になり、「アチョ〜」という怪鳥音を実演してばたばたしているうちに気づくと深更となっている。
泥酔状態で「天皇制についての本を書く」という約束をどうやら浅井さんにしてしまったらしい。
夢かも知れない。
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