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2007年09月 アーカイブ

2007.09.01

東京・死のロード

東京ツアー“死のロード”第一日目は築地のスタジオで養老孟司先生と平川君とウェブラジオのための収録。
1時にスタジオにみんな集まる(養老先生は足立さんといっしょ)。
養老先生は日曜にラオス、タイの「虫取りツアー」から帰られたばかりなので、早速「虫」の話となる。
日本人は世界に冠たる虫好きらしく、『月刊虫』という虫好きのための商業誌が刊行されている。昆虫学の学会誌は世界各国に存在するが、「虫屋」(というそうである)のための商業誌が存在しているのは日本だけ。
そのことについて、養老先生はアメリカのメディアに取材をされたことがあるそうである。
どうして日本人は虫好きなんですか?
興味深い問いである。
たしかに欧米の小説に「虫屋」というのは、あまり出てこない。
私たちが思い出したのは『羊たちの沈黙』でスターリング捜査官がもちこんだ蛾の繭の種類を当てるスミソニアン博物館の館員たち(映画ではデブとやぶにらみの二人組で、あきらかに差別的な含意をこめて表象されていた)と『コレクター』の変態男だけ。
虫というのは欧米的基準ではカテゴリー的に「まとめて排除すべきもの」として政治的に処遇されており、その区区たる種別や標本の作成などに知的な人々はあまり興味を示さない。
本邦では養老先生、池田清彦さん、茂木健一郎さんら錚々たる「虫屋」のみなさんが知的イノベーションを担っている。
私の勤務する大学にも「虫屋」「魚屋」「草屋」など、自然を相手にしている方々がおられる。
この人たちはあきらかに知性のフレキシビリティと適用範囲が「人間屋」(私ら人文系の学者)よりも高いように思われる。
震災後の復旧作業のとき、私は「魚屋」である山本先生と「花屋」である中井さんという二人の先達にくっついて土木作業をしていたが、そのとき、この二人が「ノイズをシグナルに聞き取る」きわだった能力をもっていることを知った。
彼らはどこで、誰が、どのような「救難信号」を発信しているのか、わかるのである。
このような能力を彼らは人語を解さぬ魚たちや花たちとの日々の対話を通じて習得せられたのであろうと私は解釈している。
「コミュニケーション能力の開発」というとどうしても私たちは「人語を解する」エリアでの知的活動のことばかり考えてしまうが、むしろ子供たちに花をめでたり、虫をつかまえたり、魚釣りをさせている方が捷径のようである。
養老先生のお話は「なぜ日本には虫屋が多いか」から始まって、地球温暖化の話を経由して、最後は現代文学はどうしてこんなにつまらないのかというところまで疾走。
実際には2時間半しゃべったのだが、録音されたのは1時間半。
残りの1時間は録音の前にご飯を食べながらしゃべっていたのだが、この話が(そういうものだが)いちばん面白かった。
このあと養老先生は講演へ、平川君は朝日新聞の取材、私も取材とそれぞれ次の仕事が待っていたので、ではまた~とご挨拶してタクシーに乗る。
学士会館でAERAの取材。
お題は「嫌中国気分」の分析。
そのようなものが一部メディアで横溢していることは新聞広告で知ってはいたが、「北京五輪をボイコットせよ」というようなことを言い出す人までいたとは知らなかった。
この倦厭感のよって来るところについて知るところを述べよといわれる。
正直、よくわからない。
日本人の対中国感情は対米感情の関数であり、かつ意識的罪責感と無意識的恐怖感に練り上げられているので、一因一果的な説明は容易にはできぬのである。
対中国感情が「崇敬」から「蔑視」へ、「憎悪」から「友好」へ、「優越感」から「競争心」へとめまぐるしく揺れ動き、「政冷経熱」といわれるように外交的離反と経済的親和がねじれることで安定するという不思議なありようそのものがある本態的な疾患の一症状なのであるが、この疾患の深層構造まで遡及するためには本を一冊書かねばならぬ。
AERAには「不快な隣人」との共生がいよいよ不可避になったことに対する「愚痴」のようなものでしょうという解釈を述べるが、もちろんこのようなシンプルな話型に収まる話ではない。
そのあと内閣情報調査室のお役人たちの訪問を受ける。
別に私にスパイ容疑がかかっているわけではなく、グローバリゼーションで解体しかけた日本社会の中間共同体を再構築するためにはどうすればよいのかについての意見聴取である。
どうすればよいのかと急に言われても。
とりあえず教育のことは現場に任せて、行政府は教育についての政策的関与をただちに停止するようにお願いする。
教育現場から過去10年間文科省に提出されたペーパーの総量はトン単位で数える量のはずだが、これらは実質的にはほとんど「ゴミ」である。
この「ゴミ」を生産するために投じられた人的リソースを教育と研究に向けていたら、教育問題のいくつかは存在していなかったであろうし、日本の知的国力はずいぶん増大していたであろう。
行政が何もしないですむなら何もしない方が「まし」である場合も存在する(経験的にはたいへん多い)ということをそろそろ行政府の諸君も理解されたほうがよろしいのではないかということを申し上げる。
ようやく晩飯の時間となるが、何も食べる気がしない。
学士会館横のカウンターだけの蕎麦屋で「冷やしたぬきそば」を食して、部屋に戻る。
ウイスキーのぬるい水割りをのみながら世界陸上を見る。
私の知らないうちに、女性アスリートは全員「へそだし」ファッションになっていた。
おへそを露出することで記録が向上することが経験的に知られたのであろうか。
ありうることである。
観客に注目されてプレイする場合と、まったく注目されずにプレイする場合ではパフォーマンスには有意な差が生じる。
これはサッカーや野球を見ればわかる。
陸上競技でも露出度がパフォーマンスの向上に資するということが証明された(んだと思うけど)以上、今後、アスリートたちの露出はさらに進行し、おそらく次回の世界陸上あたりで「肩ストラップなし」アスリートが出現することが高い確率で予測される。

30日。午前10時にWEDGEの取材。
若者はどうしてこんなに転職するのかというお尋ねである。
今年4月に就職したリクルートの転職サイトへの登録数は前年度の2倍だそうである。
当今の若い方々は入社してすぐに転職先探しを始める。
「キャリアパス」とか「キャリアデザイン」とかいうことを若い人に吹き込むからこんなことになるのである。
転職者が増えることでリクルートは莫大な利益を上げている。
今働いている場所の「耐えがたさ」に対するコンシャスネスが高まり、一つの職場に長期にわたって就業することに困難を覚える人間が増えれば増えるほど利益が上がる会社が就職について提供する情報をどうして学生たちは「客観的事実」だと信じることができるのか。
私にはそれがよく理解できない。
続いて、アルテス・パブリッシングの鈴木船山のお二人が登場。
『村上春樹にご用心』の装幀ができあがってくる。
とってもラブリーな表紙である。
間髪を入れずに日経BPの取材陣が登場。
経営者はどういうマインドをもって若い社員を育てたらいいのでしょうというお話。
「そんなことウチダに訊いてどうすんだよ」とみなさんは思われたであろう。
当然である。
にもかかわらず、私は2時間半もしゃべってしまった。
取材のお二人はたいへん満足してお帰りになったようであるが、よろしいのであろうか。
シャワーを浴びて着替えると、『ENGINE』のスズキさん(「あのスズキさん」といえば文壇と自動車業界では知らない人のいない「あのスズキさん」である)が迎えに来る。
学士会館ロビーに佇むスズキさんの姿はまことにシュールリアリスティックである。
タクシーをつかまえて六本木へ。
どういうわけか今夕は新潮社のお招きで六本木のフレンチレストランで美味しいワインをスズキさんのワイン解説付きでごちそうになるという企画なのである。
多幸感にふるえていると携帯電話が鳴って、アダチさんがこわばた声で「実は・・・」と切り出す。
あまりにこわばった声であったので、これはきっと訃報であろうと直観する。
アダチさんが私に伝える訃報というと・・・もしかして、それって・・・
心臓が喉から飛び出しそうになると、訃報ではなくて小林秀雄賞の選考委員会が今終わって私の『私家版ユダヤ文化論』が受賞作に決まったけれど、お受けいただけるだろうかというお訊ねであった。
おどかさないでよ。
もちろん下さるものは何でも頂きますとご返事する。
そういえば以前ある学芸賞の候補作になったときに、それを出している出版社から電話があって、「選考された場合には受賞していただけるだろうか」というお訊ねがあった(結局もらえなかったけど)。
「断る人っているんですか?」と訊いたら、実際にいるとのことであった。
サルトルがノーベル賞を断るとか、イチローが国民栄誉賞を断るというのとは違って、そういう固有名を冠した賞の場合は「あの人、好きじゃないから」というような理由で断られることもあるのだそうである。
なるほど。
私も○○賞とか、××賞とかいうのがあって(差し障りがあるので特に名を秘すが)、それに選ばれたら断るかもしれない(副賞が1000万円くらいだと「ちょっと待ってね」と逡巡するであろうが)。
小林秀雄賞は選考委員が養老孟司、加藤典洋、関川夏央、堀江敏幸。そして河合隼雄さんが亡くなったので、ことしから橋本治さん(第一回の受賞者)が加わった。
このメンバーに選んでいただいたのである。
たいへんに光栄なことである。
六本木のレストランから急遽ホテル・オークラの懇親会会場に移動。選考委員の諸先生方とご挨拶をして、ただちに記者会見場へ。
受賞作について述べよといわれるが、だいぶ前に書いた本であるし、半年以上手に取ったこともないので、何が書いてあるのかよく覚えていない。
どういう動機で書かれたものかというような質問を受けるが、思い出せない。
冷汗を三斗ほどかいて逃走。
懇親会場に戻って、関川さんと「ちょうどよかった。連絡しようと思ってたんですよ」と後期の「メディアと知」へのご出講をお願いし、ご快諾いただく。
加藤典洋さんに「選考委員相手に仕事を頼んでいる受賞者を見たのははじめてだ」と言われる。
そうかも。
橋本さんともちくまの仕事の打ち合わせ。加藤さんには早速村上春樹論の売り込み。養老先生には前日会ったばかりである。
色白の美青年堀江さんにははじめてお会いする。
東大仏文なので、加藤さんと私の後輩筋に当たる。
こちらの態度が若干「先輩風」になる。
「あ、そうか10年以上僕らより下なんだ。ふーん、修論の主査は誰だったの?」なんて、タメ口で質問する。
態度わる~。
二次会まで行って新潮社のおごりでシャンペンをたくさん飲む。

31日はさすがに軽く二日酔い。
早起きして武蔵小金井まで行く。
観世流シテ方の津村禮次郎師のお宅の稽古舞台をお借りして、下掛宝生流ワキ方の安田登さんとの対談セッションがある。
『考える人』のための連載で、私がホストになって、伝統的な身体技法の実践者の方々にお話をうかがうという趣向のものである。
プロデューサーは足立真穂さん、エディターは橋本麻里さんという現在考えらうる最強の女性エディターコンビである。
安田さんとはお会いするのははじめてであるが、ずっと前からいつかはお会いすることになるであろうと思っていた。
安田さんは予想通りまことに面白い方で、話が面白すぎて録音した話のうちいちばん面白い部分(能楽界あっと驚く裏話および「実は別のペンネームで・・・」話)はどれも泣く泣く「カット」されねばならない。
せっかく安田さんにお会いしたので、舞台で能の所作についてワンポイント・レッスンをしていただく。
ついでに首筋の硬いところをほぐしていただく。
安田さんがさくさくとロルフィングで修正して、「はい、ではこの状態で指シ込ミ開キをしてください」となると、可動域に驚くべき変化がある。
話を伺って、舞の稽古をつけていただいて、おまけにロルフィングまでしてもらった。
話があまりに面白かったので、もうワンセッション、今度は10月に京都でやることになる。
これは楽しみである。
神楽坂の新潮社まで戻り、受賞インタビューを1時間ほど。
それから「受賞の挨拶」を原稿用紙に書いて、タクシーに乗って東京駅に向かう。
29日朝からはじまった「死のロード」がようやく終わる。
まことに長い三日間であった。


2007.09.03

お礼のことば

新聞に受賞記事が出たあと、祝電とか胡蝶蘭とかドンペリとか、さまざまなお祝いの品が家に届く。
お祝いメールもどんどん届く。
とても全員にお礼を書いている暇がない。
本来でありますれば、ご拝顔の上、親しく御礼申すべきところではありますが、ブログ読者の方々には紙上をもちましてご挨拶に代えさせていただきます。
みなさん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくご指導ご鞭撻を賜りますよう伏してお願い申し上げる次第なのであります。


2007.09.04

これはオススメ『グラインドハウス』

本棚とJCOMのチューナとストゥールが同時入荷した。
これで床置きの段ボールが片づくと、ようやく引越が終わる。
やれやれ。
「えぴす」の原稿のため『グラインドハウス』の二本立て『プラネット・テラー』と『デス・プルーフ』をまとめ見する。
こ、これわ面白い。
『プラネット・テラー』はローズ・マッゴーワンちゃんが片足義足にマシンガンを植え込んで空中を飛びながらばりばり撃つ格好いい映画。(空中を飛びながらばりばり銃を撃つ絵がロドちゃんは大好き。『デスペラード』でも『レジェンド・オブ・メキシコ』でもやってましたね)。
その「ばりばり」ローズちゃんは『デス・プルーフ』ではカート・ラッセルに簡単に殺されちゃいます。あらまあ。(ローズちゃんは『スクリーム』でガレージのドアにはさまれて死んじゃう子です)。
『デス・プルーフ』(「耐死仕様」このタイトルでいいのにね)はタラちゃんの「無駄話映画」。
車の中とバーのカウンターで、とにかく意味のない無駄話がエンドレスに続く(『レザボア・ドッグス』でタラちゃんがマドンナの『ライク・ア・ヴァージン』の話をして、スティーヴ・ブシェミが「チップをはらいたくない」理由をくどくど述べるあたりから始まって、『パルプ・フィクション』のジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンの「無駄話コント」で完成をみたあのパターン)。
あまりに無駄話が長いので、観客が「えーかげんにせえよ」と切れかけたころにいきなりドラマは急転直下、死体の山・・・という展開もいつも通りです。
でも、タラちゃん無駄話が退屈しないのは、出てくる女の子たちがかわいいからですね。
私の好みは“バタフライ”の猫眼少女(ヴァネッサ・フェルリト)。最初は「めちゃブス」仕様なんだけれど、映画が進むにつれてだんだん異様にかわいくなってゆくという化け物系女優。
それからシドニー・ターリア・ポワチエ。私たちの世代のものにとってジョアンナ・シムカスというのは『冒険者たち』の「レティーシャ」として永遠に忘れられない美少女なんだけど、彼女がシドニー・ポワチエと結婚して銀幕を去ってから30年余。
娘にはめでたく母のオーラが受け継がれたようであります。
というたのしい『グラインドハウス』ではあるけれど、これは本来二本立て(プラス予告編3本)で上映されるべきものを二本にばらしてそれぞれロードショー公開するという困った興行形態なのである(その事情については町山さんのブログに詳しいです)。
二本同時に見ると、「あれ?この子、さっき死んだんじゃないの・・」という楽しみ方ができるんですけどね。

2007.09.05

It's just another day

また今日もじたばたしているだけで一日が終わってしまった。
机の上に積み上げられたゲラの数々(その数は日ごとに増すばかりであるが)はさっぱりその数を減じる気配がない。
ちなみに今日私が自分に課した仕事は
(1) レヴィナスの『困難な自由』の初校と翻訳を終わらせ、
(2) ロレンス・トーブさんとの対談のゲラを見終わり、
(3) 田口ランディさんとの対談のゲラを安藤さんに送り返し、
(4) 「うほほいシネクラブ」に『グラインドハウス』の原稿を送り、
(5) 「格差社会論」を書き上げ、
(6) 「憲法九条論」と
(7) 森銑三『明治人物閑話』の解説にとりかかり、
(8) 三宅先生のところに行って治療を受け、
(9) 神戸新聞の取材を受ける
というものであったが、それに追加で
(10)「中教審が中等教育に武道を必修化することを内定したけれど、これはどう評価すべきか?」という電話取材が毎日新聞よりあり、それにお答えして日本武道教育史概説を語り、中等教育における武道必修化の是非についてコメントする
という「おまけ」があった。
その間に私は30通のメールに返信を書き、2通封書の手紙を書き、洗濯と掃除と買い物をしたのである。
その上でお訊ねしたい。
さて、ここに書き上げた「お仕事リスト」のどれとどれを私が片付けたでしょうか?
聞いて驚くなかれ。
なんと、私は(3)(4)(5)(6)(8)(9)(10)を終えたのである。
残ったのは(1)(2)(7)であるが、私はこれからお風呂にはいり、晩ご飯を食したのちに、再び机に向かって(2)を終えるつもりでいるのである。
これで生きているのが不思議なくらいである。
あるいは私はもう死んでいて、「死んでいることに気づいていない」だけなのかもしれない。
それでは困るので、やはり(2)は止めにして、お風呂に入ったら、もうカンパリソーダでも飲んで、ベランダでほっこりと落日でも眺めることにしよう・・・あ、もう7時半だ。落日の時間はだいぶ前に終わったようだ。
月でも見るか。

2007.09.06

武道の必修化は必要なのか?

学習指導要領の改定作業を進めている中央教育審議会の体育・保健部会は4日、中学校の体育で選択制の武道を必修化する方針を決めた。
礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙い。
2011年度から実施予定。男子の武道は92年度まで必修だった。女子について必修化するのは戦後初めて。
伝統文化の尊重は、昨年12月に改正された教育基本法にも盛り込まれていた。
同部会主査の浅見俊雄東大名誉教授は「必修化で一層、日本の伝統に親しんでもらいたい」と話している。
武道とともにダンスも必修化される。
というニュースを見る。
不思議なことを考える人たちである。
武道とダンスを必修化・・・って、それって神戸女学院大学の「武術と舞踊で切り開く新しい教育の可能性」と「同じ流れ」なんですか?と訊かれそうであるが、私は(ぜんぜん)違うと思う。
どこが違うのか、その理路を述べたい。

日本の武道は近代において二度、決定的な「断絶」を経験している。
一度目は明治維新、二度目は敗戦である。
明治維新によって戦国時代以来の伝統的な身体文化の大半は消滅した。
剣道が息を吹き返すのは西南戦争において抜刀隊が示した高度な身体能力・殺傷技術によってである。
以後、軍国ニッポンにおいて武道が重きをなしたのは殺傷技術としての有効性が評価されたことと、武士の「忠君」イデオロギーが天皇制の「愛国」イデオロギーと同型のものであったからである。
この「愛国イデオロギーに強化された殺傷技術」としての武道は敗戦によってGHQによって壊滅的に破壊された。
50年代に武道が学校体育で復活するのは「スポーツ」としてである。
何のイデオロギー性もなく、単に筋骨を壮健にすることをめざすスポーツであるという限定条件を受け入れることで武道は復活の許可を得た。
それから半世紀、日本の武道の主流は「スポーツ」であり続け、それは他の外来の競技(フェンシングやボクシングやレスリングなど)と本質的な違いのないものと認定されてオリンピック種目にもなった。
種族に固有の伝統文化であることを放棄する代償として、国際的認知を得たのである。
柔道や相撲における外国人選手の活躍や、トップアスリートが引退後に「K-1」のラスベガスのリングでご活躍になっている様子などを見れば、これらの武道がとりたてて「伝統文化」の精華たらんとする意思を持たないことはうかがい知れる。
だとすると、中教審が「伝統文化」への回帰のための方途として意味する「武道」というのは、現代のこの「スポーツ武道」のことではない、ということになる。
とすれば、彼らが考えているのは大日本武徳会的な「戦前の武道」のことであろう。
しかし、これも私は「伝統文化」だとは思わない。
というのはここには、中世以来洗練されてきた身体文化のうちもっとも枢要な部分が排除されているからである。
それは、人間の蔵するポテンシャルを開花させ、潜在意識レベルでのコミュニケーション能力の開発する技法である呼吸法、瞑想法、錬丹法などである。
それは軍国主義国家における強兵の錬成のためには不要のものだからである。
兵士がふと宇宙的瞑想に入り、戦争のさなかに突然大悟解脱して「万人は愛し合わねばならない」と言い出したりされては困る。
だから、武徳会系武道では伝統文化のうち「霊的成熟」にかかわる技法は組織的に排除されたのである。
中教審の体育・保健部会におられる「武道専門家」の方々は、この点についてはどうお考えなのであろう。
幕末以前の日本の伝統的な身体文化に立ち戻ることをめざしているのなら、私はこの答申に賛成である。
けれども、この中教審の方々は明治維新の武道と以後の武道の間に存在する「クレヴァス」について、どれほど自覚的なのか、それが私には不安である。
上に書いたように、明治維新のときに伝統的な武道文化はほぼ消滅した。
それについて山田次朗吉は『日本剣道史』にこう書いている。
「政治経済軍制教育風俗次第に推移の歩武を運んでゆく中に、剣道は其命脈をいかに維ぎつつあつたか。顧みれば頗る悲惨の影響を蒙つたのである。(・・・)剣術を以て市井に道場を張れる浪人輩の如きは、皆生活の方針に迷はざるを得ざるありさまであつた。(・・・)昔は弓馬槍剣は軍事の唯一の道具であつたが、洋式輸入の後は銃戦と変じて槍剣は第二と下落した。随て之を学ぶ者も自ずから重きを致さぬ所以である。」
明治初年に伝統的な流派のほとんどは消滅し、そのあと復活したのは「強兵」をつくるために特化された「異常な武道」である。
中教審が再興しようとしているのが、この「異常な武道」であるのなら、私はそれに反対する。
このようなものをいくら復興しても、私たちが得るものは何もないからである。
昭和18年、大陸戦線での合気道門人のあまりの「殺傷技術の高さ」に感動した陸軍幹部が合気道の植芝盛平開祖のもとを訪れた。
剣道、柔道を廃し、今後軍事教練では合気道を必修にする計画への協力を申し出たのである。
開祖は激怒して、「それは日本人全員を鬼にするということである」と一喝して、そのまま東京を去って、岩間に隠遁してしまわれた。
この開祖の怒りに共感できた人が当時の日本の武徳会関係者のうちにどれほどいただろうか。
私はきわめて少なかっただろうと思う。
ほとんど存在しなかっただろう。
「日本人全員を鬼にする」ような種類の「異常な武道」を中教審が「復興すべき伝統文化」だと考えているのだとすれば、それは短見であると言わなければならない。

学校体育における武道はどうあるべきかについて明治維新以降もっとも真剣に考えたのは、私の知る限りでは、講道館柔道の開祖である嘉納治五郎先生である。
嘉納先生が大正末年から昭和のはじめにかけて書かれた「学校体育における武道の堕落」を慨嘆する胸痛む文を読んだことのある人は中教審の中に果たして一人でもいるのであろうか。
「武道は日本が誇る伝統文化である」というようなことをしたり顔で言う前に、その「伝統文化」を明治以降私たち日本人自身が国策としてどのように破壊してきたのか、その破壊のすさまじさを確認するところから始めるべきなのではないのか。

2007.09.07

後両肩取心得

炎天下、自主稽古に行く。
1時に道場に行ったが、誰もいない。
あら、今日は稽古がないのか・・・ととぼとぼ帰ろうとしたら、I田主将に行き会った。
やっぱり稽古はあるらしい。
ぱらぱらと学生たちがやってきたので、稽古を始める。
有段者ばかりなので、ひさしぶりに「後ろ両肩取り」をやる。
武道的には相手に後ろに回られて両肩をつかまれるということは「ありえない」状況設定である(そのときにはもう死んでいる)。
だから、これはそういう危機的状況をどう離脱するかというシミュレーションではなくて、相手が視野のとどかない背後にいるときの独特の体感を感知する気の錬磨の稽古だと多田先生からは教わった。
教わったとおりのことを教える。
暗闇の中でも私たちは眼をこすったり、鼻をつまんだりすることができる。
それと同じである。
相手が見えないところにいても、それが自分の身体の一部のように感じられれば、別段不自由はない。
触覚というか気配というか体感というか、そういうものを手がかりにして動く稽古をする。
だいたい私たちの身に及んでくる危険のうち90%以上は「見えないところ」を起点としている。
危険が目に見えるときにはそうとう切羽詰まっていると考えた方がよい。
危険な因子が「見えて」からすばやく反応できる能力を開発するより、危険な因子が「まだ見えない」段階でそれを感知する能力を開発するほうが費用対効果がよい。
いつも言っている例であるが、ライオンと出会ってから走って逃げ切る走力を身につけるよりは、数キロ手前で「なんか、あっちの方にゆくと『いやなこと』がありそうな気がする」という「ざわざわ感」を感知する能力を身につける方がずっと効率的である。
私たちの生存にとって「危険なもの」はごく微細であれ「危険オーラ」の波動を発信している。
生物は(原生動物でも)そのような「オーラ」を感知することができる。
というか、危険を回避し、生存戦略上有利な資源の方にひきつけられる趨向性をもつもののことを「生物」と呼ぶのである。
私たちは生物であるから、危険をもたらすものは回避し、利益をもたらすものには惹きつけられる。
安全な社会(現代日本人は自分たちの社会をそのような社会だと信じている)では、「利益をもたらすもの」に対する嗅覚は敏感になるが、「危険をもたらすもの」に対するアラームは鈍麻する。
毎朝新聞を開くと、政治家の資金管理団体の「記載ミス」の記事が出ている。
政治献金の記載漏れとか同一の領収書の使い回しなどが「事務担当者の単純なミス」だとされて、「問題にならない」と強弁されている。
問題にならないで済むものもあるし、問題になって議員辞職に追い込まれたケースもある。
私が驚くのは政治家の倫理性の低さではない(そんなことはじめから当てにはしていない)。
そうではなくて、彼らの「危険に対する警戒心のなさ」である。
彼らからすれば「はした金」の処理ミスで政治生命を失うこともあるということに対する恐怖心の欠如に驚くのである。
何度も言っていることだが、「みんながやっている」ということと「非合法である」ということは次元の違う話である。
高速道路のスピードオーバーでパトカーにつかまったときに「他の車もみんな100キロで走ってるじゃないか」と言ってもしかたがない。
「なるほどそうだね。他の車もスピード違反しているのに、キミだけから罰金をとるのはアンフェアだよね」と言って放免してくれた警官に私はこれまで会ったことがない。
そのロジックを許したら、「検挙されていない殺人犯がたくさんいるのだから、私だけを逮捕、起訴するのはアンフェアだ」という殺人犯の言い分にも耳を傾けなくてはならなくなるからである。
「みんながやっている非合法はほとんど合法である」というつごうのよい解釈は「危険」よりも「利益」を優先させる思考が落ち込むピットフォールである。
政治家たちのこの「ワキの甘さ」は、「わずかな利益のために致死的な危険を冒す」ことにほとんど心理的抵抗を感じない現代日本人の全体的趨勢を表している。
そういうことにならないように「後ろ両肩取り」の稽古をするのである。


2007.09.08

つまんない一日

県と県下の大学の共催事業があり、その幹事会というのがあるので炎天下神戸まででかける。
近いんだけどね。
車で15分くらいである。
お役人の仕切りで、大学人が30人くらい坐って、お話をうかがい、いくつか議案を承認する(別に挙手をするわけでもない。全員がおし黙っていると「承認された」ことになる)。
事業自体はたいへんよいものだし、役所の準備も遺漏のないものなのだけれど、自分が何のためにここにいるのかの意味がよくわからない。
ここにいるのは各大学を代表して賛意を(無言で)表示する人間なら「とりあえず誰でもいい」というリアルでクールな事実が私を疲労感のうちに沈ませる。
人間は「別にあんたじゃなくても、いいんだよ」と言われると(言われなくても)、出口のない脱力感を覚えるものである。
「あんた程度の人間なら、いくらでも替えが利くんだ」と言われると私たちが深い疲労感に襲われるのは、それが「ほんとうのこと」だからである。
私たちは「いくらでも替えが利く」というのは動かしがたい事実なのであるがゆえに、その事実を示されると哀しくなるのである。
私たちはどんな批判でも、事実ではないことをいくら言われてもあまり傷つかない。
私は「ウチダは堅物だ」とか「ウチダは細かいことにこだわりすぎだ」とか「ウチダは痩せすぎだ」とか言われてもぜんぜん無反応であるが、「ウチダは卑屈なところがある」とか「ウチダは鷹揚に見せているが吝嗇だ」とか「ウチダはデブだ」とか言われると深く落ち込む。
言われて傷つくのはそれが「不当な指摘」だからではなく「妥当な指摘」であることを私が知っているからである。
厄払いに神戸大丸に出かけて、ワイシャツの「大人買い」をする。
帰りにL.L.Beanで秋冬ものをまとめ買いする。
少し気分がよくなる。
家にもどってレヴィナスの翻訳の続き。
『デス・プルーフ』を見たらカート・ラッセルの映画をまとめて見たくなったので、未見の『NYからの脱出』と『LAからの脱出』と『遊星からの物体X』をアマゾンで購入。その第一弾が届いたので、『NY』を見る。
つ・・・つまらん。
1997年にマンハッタン島全体が刑務所と化し、そこに犯罪者は「島流し」されて二度と戻れない。そこに大統領の乗ったエアフォース・ワンが不時着し、アイパッチのスネーク・プリスケン(カート・ラッセル)が恩赦と引き替えに、大統領救出に向かう。制限時間は24時間・・・という物語の設定は最高なんだけれど、犯罪者たちのマンハッタン島での生活ぶりにリアリティがない。
何万人かが暮らしている以上、そこには食料の配給を管理し、上下水道、電気ガスなどのライフラインを整備し、都市衛生をコントロールする人たち、自治警察組織、学校、劇場、賭博場、売春宿などの「都市として必要な機能」が備わっていなければならない。
少なくとも西部劇映画の場合なら、人口数十人規模のフロンティアの果ての街にでも基本的な都市機能は揃っている。
人間はそういう社会的インフラを整備した上でないと、反社会的な行動をとることさえできないほどに「政治的な動物」なのである。
『NY』に描かれたマンハッタン島には「公共的な仕事」をする人間が誰もいない(例外的にタクシードライバー一名と娯楽用の俳優とレスラーがいるだけ)。
これだとたぶん数週間で全員飢餓か伝染病か殺し合いで死亡してしまうであろう。
人間はどんな境遇に陥っても、そこに「公共的な制度」を作って、自己利益の追求よりも公共の福祉を優先させることに同意しなければ、長くは生き延びることができない。
私が見たかったのは「犯罪者の島」に構築されたそれなりに公共性のある「疑似社会」であるのだが、ジョン・カーペンターはあんまりそういうことには興味がなかったみたい。
口直しにケーブルテレビで『ミナミの帝王』を見ようと思ったら、今日はやってなかった。
うう、くるしい。
わてがミナミのマンダだす。うちとこの利息ちいとたこおおまっせ・・・という定型にアディクトしつつあるらしい。

2007.09.10

忙しい日曜日

爆睡から目覚めたら午前10時。
げ。
10時から居合の稽古がある。
ソッコーで芦屋まで行くが30分遅刻。
居合はまだ自主稽古ができる段階ではないので、集まった諸君が困惑されていた。
どうもすみません。
とりあえず基本動作から稽古を始める。
この居合の自主稽古は合気道の稽古の一環をしてやっているので、ふつうの居合とは身体運用が少し違う(ほんとうは同じかもしれないが、現在の全剣連の居合道とは説明の仕方が違う)。
体術で相手を「敵」とみなさないように、剣を「道具」とはみなさない。
剣といかにして複素的身体を構成するか。
人間に比べると剣は構造がシンプルで、自分から勝手に動かないし、関節もないし、筋肉もない。
でも、剣には固有の生理があり、ある初期条件を与えると、そのあとの「最適動線」は自動的に決まる。
剣を抜き、構え、ある種の初期条件(切先の起点と終点)を入力すると、剣は「最適動線」を求めて動き始める。
人間のとりあえずの仕事はこの剣の自発的な動きの邪魔をしないことである。
剣には剣のご事情があり、お立場というものがある。
だから剣の運動に対してレスペクトを示されなければならない。
人間が作為的に操作しようとすると、剣はそのポテンシャルを発揮することができない。
これは体術の場合と同じである。
というか、ビジネスだって、子育てだって、どれも原理は同じである。
「動く」のは剣の仕事であるから、人間の仕事は「止める」ことだけである。
けれども、これはほんとうにむずかしい。
剣の動きが弱々しいものであれば、止めるのは簡単である。
剣がそのポテンシャルを発揮すればするほど、それを止めるのは困難になる。
片手一本の筋肉の力で止められるような剣勢では、そもそも人は斬れない。
剣を止めるためには全身を使わなければならない。
ところが、剣勢がほんとうに強いときには全身をつかっても間に合わない。
というより、操作する人間の全身の筋肉を動員しても止めることができないような剣でなければ、据え物斬りで兜を両断するようなことはできないであろう。
操作する人間の全身の筋肉を動員しても止められないものをどうやって止めるか。
一番簡単なのは、それで何かを「斬ってしまう」ことである。
人間の身体を斬れば、皮膚があり、脂肪があり、筋肉があり、骨格があり、それらの抵抗で剣勢は衰える。
斬る人、剣、斬られる人が「三位一体」の複素的構築物を完成したとき、剣はエネルギーを放出し切って、初期の安定を回復する。
剣はほんらいそのように作られている(と思う。そんなこと書いた伝書を読んだことがないのでわかんないけど)。
ところが居合の稽古の場合、「斬られる人」がいない。
「斬られる人」が担当する「剣勢を殺ぐ障害物」の役割を誰かが担わなければならない。
これを「斬る人」が担当すると、あっというまに肘が破壊され、膝が破壊される。
当たり前といえば、当たり前である。
剣が蔵しているエネルギーはたいへん巨大なものだからである。
居合を長く稽古している人たちの中には肘か膝かあるいはその両方に故障を抱えている人が多いが、これは剣勢を強化する技法の開発に軸足を置いて、剣勢を減殺する技法の工夫に十分なリソースを割かなかったことの結果である。
斬られる人がいないという不利な条件下で、暴走する剣をどうやって止めるか。
これは居合の提示する根源的な「謎」の一つである。
およそあらゆる「道」はいずれも根源的な「謎」を蔵しており、それが修行者たちに(それぞれの技術的な発達段階に応じて)エンドレスの技法上の問題を差し出す。
私が今取り組んでいる「謎」はこの問題である。
斬られる人がいないという不利な条件下で、暴走する剣をどうやって止めるか。
斬る人が止めようとすると身体を壊す、ということはわかっている。
じゃあ、誰が止めるのか。
理論的には剣に止まっていただくしかない。
「止める」という人間を主体とした他動詞的能作を断念して、「止まる」という自動詞的な状態の到成を工夫するのである。
「斬られる人」抜きで、剣と私だけを構成要素とする剣人複合体が、「止まることによって安定を回復する」のはどういう状態においてであるか、それを考える。
理屈はそうである。
「理屈がわかる」ということと、「できる」ということは違う。
理屈はわかるが、実際に「じゃあ、やってみせろ」と言われても私にはできない。
けれども、この方向で稽古して間違わないということはわかる。
剣人複合体をどのようにして構築するか。
とりあえず剣と仲良くする。
古来、武士がほとんど同衾して愛撫するほどに剣を丹念に手入れしたのは、剣との皮膚感覚的なコミュニケーションの重要性を熟知していたからである。
剣に童名をつける、というのもその一つである。
源頼光の愛刀は「膝丸」(途中で改名して「蜘蛛切丸」)、三条小鍛冶宗近が打ったのは「小狐丸」、渡辺綱の愛刀は「鬼切丸」。古来、日本人は剣を「童子」に擬す習慣があった。
童子というのは網野善彦さんの「異形の王権」にあるとおり、中世日本以来、「秩序にまつろわぬもの」のことである。
大江山の「酒呑童子」も「八瀬童子」も子どもではない。
平安時代において牛飼いは童形、童名であったが、これは「牛」という当時最大の野獣とコミュニケーションする能力をもっている人間たちへの違和感と畏怖の存在したことを示していると網野さんは書いている。
半ばは私たちとは別の秩序に属しており、私たちが操作することのできぬ巨大な力にアクセスできるもの、それが「童子」であるとするならば、剣に童名をつける習慣には、そのような魅惑と畏怖の感情が伏流していたと考えることできるであろう。
「剣とのコミュニケーション」という論件は、このあともひさしく私にとっての技法的・理論的な宿題であり続けるであろう。
そう考えると、中教審の「武道必修化」のような安直なプログラムにまた腹が立ってくる。
武道というのは外形的には誰が何といっても、効率的にひとを殺傷する技術である。
それを適切に統御するためには、「よりよく生きるためには他人を殺す技術を学ぶ必要がある」という前提から導かれる必然的な結論「私が最大限の自己実現を果たし得た社会とは私以外のすべての人間が死に絶えた社会である」という根源的なパラドクスに「深く困惑する」ことが必須である。
武道の手柄はそれを学ぶ人をひたすら「深い困惑のうちに叩き込む」ことに存する。
あらゆる術はそういう本態的な「謎」をはらんでいるがゆえに生産的なのである。
中教審の委員たちには、そういうことがご理解いただけているのであろうか。
たぶん考えたこともないのであろう。

居合の稽古を終えて、今度は湊川神社の神戸観世会へ。
能『錦木』の途中から、狂言『萩大名』、仕舞(下川先生の『白楽天』と家元の『江口』)、能『巻絹』。
帰りに芦屋川によって「スミレ」で散髪。
家に戻って、自分が作ったカレー(冷凍)と石川茂樹くんが送ってくれたレトルトカレーを食べ比べつつ、「阪神―巨人」戦を見る。
最後に鳥谷の三塁打で阪神が首位をキープ。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのは武道の古諺である(麻雀の古諺でもある)が、阪神の10連勝は「不思議の勝ち」の方である。
このまま勝ち進んで、飯先生が上機嫌で後期をお迎えになられることができればよいのだが。

2007.09.11

またまた東京へ

またまた東京へ。
こんどは文春のみなさんによる祝賀会である。
『寝ながら学べる構造主義』以来、文春とはけっこう長いお付き合いとなった。
文庫も出してもらったし、『文学界』に連載もしたし、『文藝春秋』にも何度か寄稿した。
今回の受賞作も文春新書で出していただいたものである。
お礼を言わねばならぬのは私の方なのであるが、先方がお祝いをしてくださるというので、ほいほいと東京へ行く。
学士会館にチェックインして、まず『週刊ポスト』の取材。
少子化問題についてコメントを求められる。
どうして私のような門外漢にそのような問題のコメントを求められるのか、いつも疑問である。
専門家の方々がすでに熟知されている以上のことを私が知るはずもない。
人口はマクロな尺度をとっていえば、環境の「キャリング・キャパシティ」にしたがって変動する。
13000万人が現在の日本の自然環境・社会環境にとって負荷が重すぎ、全員にじゅうぶんな資源を分配することができないということが実感されれば、人々は人口の増加を抑制しようとするであろう。
当然のことである。自然環境は食料をふくめてまだいくぶんか余裕がありそうだが、社会的資源の分配についてはすでに不満が鬱積している。資源の供給の急激な増加が見込めない限り、分配しなければならない頭数を減らす方向にシフトするのは生物学的にはごく自然なことである。
その限りでは、少子化は「問題」ではなく、問題に対する「解答」である。
少子化がこれほど急激に進行したのにはほかにも理由がある。
つねづね申し上げているように、1980年代から全般化した「個人の原子化」趨勢がそれである。
親族、地域社会、企業などの中間共同体への帰属を「自己決定・自己実現」の障害要素とみなし、スタンドアロンで生きることを「善」としたさまざまな言説(広告からフェミニズムまで)にあおられて、日本人は「原子化」への道を歩んだ。
個人の原子化は最初は「市場のビッグバン」をもたらした。
四人家族が消費単位だった場合、「家族解散」がもたらすのは消費単位の四倍増である。不動産に対する需要も、家財に対する需要も、サービスに対する需要も、急増する。
消費単位の個人化はそうやってバブル経済を下支えした。
けれども、非妥協的に自分らしい生き方をつらぬく原子化した個人のアキレス腱は「共同体を作れない」ことである。
「共同体を作る」というのは日常的実感としては単に「不愉快な隣人の存在に耐える」ことだからである。
何が悲しくてそのような苦役に耐えねばならぬのか。
配偶者も子供も、原子化した個人にとっては、「自己実現のみごとな成果」(彼または彼女の社会的能力の高さを誇示する記号)であり、そうでない場合は「自己実現の妨害」である。
原子化した個人は他人の「自己実現の成果の記号」であることを受け容れないので、自動的に親族は他のメンバーにとっての「自己実現の妨害者」になる。
というわけで家族は自由な消費活動を求めて解散し、相互に相手を「道具化」しようとするヘーゲル的な主人と奴隷の弁証法的抗争を展開し、最終的に「だったら家族なんか要らない」という合理的な結論に落ち着いたのである。
ひとりひとりが好き勝手な消費行動をとることで市場が拡大することを奨励したのは日本政府である。
自己決定・自己実現・自己責任、そして「自分探し」イデオロギーを宣布したのも日本政府である。
その犯意が日本政府の要路のひとびとにないことが問題なのである。
柳沢厚労相が「産む機械」発言でメディアからバッシングされたが、私はあの発言の中で問題なのは、むしろそれに続く「ひとりひとりにがんばってもらわねば」という部分だったと思う。
ここには少子化はすべて女性個人の決断の結果であり、この事態に日本政府はなんらの責任もないという認識がはしなくも露呈している。
繰り返し言うが、少子化趨勢は日本政府が80年代以来推進してきた国策の「成果」である。
いまさら政府が「少子化問題」などと困ってみせるのは茶番以外のなにものでもない。
少子化問題を論じるなら、まずこのような事態の招来に政府自身がどれほど積極的にコミットしてきたのか、その「失政」のチェックから始めるべきであろう。
彼らが少子化を「問題」だと考えるのは、行政のサイズを今のままに維持するには納税者の数が少なすぎるからである。
納税者の数が減るなら、それにあわせて行政機構をダウンサイジングするのが論理的なソリューションであるが、役人は原理的に「行政機構のダウンサイジング」という発想ができない。
「納税する国民が少なすぎる」のではなく「税金を使う人間が多すぎる」のであるが、そういう状況理解を役人はしないのである。
というような話をする。
私自身は(いつものことだが)わりと楽観的であり、少子化が進行すれば(明治時代の5000万人くらいまで減少すれば)、それはそれで日本社会は今より住みよくなるだろうと思っている。
少子化を食い止めようと思ったら、「人間は共同的にしか生きることができない(だから、不愉快な隣人の存在に耐えよう)」という当たり前の人類学的事実をもう一度国民的規模で再確認するしかないのであるが、それが実現するということは「日本人がみんな大人になる」ということであるから、これまた日本社会はたいへん住みよくなる。
つまり、どちらに転んでも、日本は住みよくなるので、「少子化問題」というのは存在しない、というのが私の暴論なのである。
そのようなものをメディアが掲載してよろしいのであろうか。

『ポスト』の取材が終わったので、文春に。
こんどは『週刊文春』の取材。またばしゃばしゃ写真を撮られる。
どうして、メディアはこんなにひとの顔写真を載せたがるのか。
そんなものを見たからといって、発言内容についての理解が深まるとはどうしても思えない。
むしろほとんどの場合「こんな間抜けな顔したやつなのか・・・」という思いを読者たちに抱かせることで、内容への信頼性は減殺されるはずである。
自社の報道する内容の信頼性を毀損することでメディアはどのような利益を得ているのか、そのあたりのことをいつもスルドク伺うのであるが、あいまいな笑いしか返ってこない。
もうこれからは「写真を撮るなら取材には応じない」ということにしようかしら。
それなら取材依頼は激減するというか、ひとつもなくなる。
ずいぶんせいせいすることであろう。
それから文春の担当者のみなさんと麹町の四川飯店へ。
嶋津さんはじめなじみのみなさんと久闊を叙す。
編集者たちとおしゃべりをすると話題はもちろん作家たちにまつわる「ここだけの話」の数々である。
ええええ~、そうなんですか。あの人、そういう人なんだ・・・
という愉快なバックステージ話に花が咲いたのであるが、もちろんそんなことはここに一言とて書くわけにはゆかぬのである。
当然、彼らはまた違う相手には「ここだけの話ですけど、ウチダってね・・・」と盛り上がるのであろう。
ああ、それを聞きたい。
河岸を変えてホテルニューオータニのバーでさらにおしゃべりが続く。
だんだん酔ってきたので、文学の話はもうやめてロックとVシネマの話に興じる。
新書担当のF越くんが『ミナミの帝王』のヘビー・ウオッチャーであることが知れて、ふたりで竹内力の演技と私生活についてするどく専門的な意見を交換する。
宴の中で、さまざまな機会に「次の仕事」についての言及があるが、どういうわけかそのようなトピックについては突然人語が理解できなくなるのが不思議である。
文藝春秋のみなさん、ごちそうさまでした!

2007.09.12

私は今日も忙しい

健康診断があるので、ひさしぶりに朝から大学へ。
着くや否や「あれこれ」ときびしい職掌上の諸問題について報告を受ける。
うう。
困ったものである。どないしよ。
診断では特に悪いところはないけれど、問診票の「煙草はXX歳から、酒は毎晩がぶがぶ」という自己申告にきびしいご批判をいただく。
煙草を止めて、酒を控えれば中性脂肪やγGTPは標準値に戻りますよと言われる。
はい、ご指摘のとおりです。
だが、その場合私のことであるから当然周囲の喫煙者や飲酒嗜癖者に対して嵩にかかった「おめーらまだ煙草吸ってんのかよ。バカじゃねーの。げ、酒なんか呑んでやんの、死ぬぜ、おい」というような攻撃的コメントを四六時中繰り出すことは避けがたいであろう。
その心理的ストレスに絶えずさらされる私の知人たちは当然その死期を早めることになる。
その場合、人類トータルでの「余命」はむしろ減少するのではないか。
私は共同体全体でのパフォーマンスの高止まりをつねに配慮している「常識ある市民」として、自分自身の潜在的攻撃性を過小評価したくないと思うのである。
私は間違っているであろうか(たぶん間違っているな)。
デスクでメールを開くと返信を求めるメールが30通ほど来ている(スパムメールは117通)。
30通に返信をしていると午後1時。
博報堂の取材。
開口一番「僕ね、広告代理店の仕事はしないことにしてんですよ」と東京からわざわざやってきた4人の紳士の神経をはげしく逆撫でするようなことを言う。
気がつくと私はもうそういうことばを口走っているのである。
業の深い人間である。
1時間半ほど武道と身体的コミュニケーションについて語る。
その間に電話が二本かかってくる。
朝日新聞とサンケイ新聞からの「たった今、安倍首相が辞任の意向を示したらしいんですけど、コメントいただけますか」という電話。
朝日とサンケイに同一人物が同一コメントを語ってもいいのであろうか。
朝日新聞とサンケイ新聞の二紙を購読している人はあまりいないから大丈夫であろう。
当然私には非人情なコメントを期待して電話してくださったのであろうから、期待通りのコメントをする。
首相がこのような理由でこのような時期に辞任し、後継首相選びで与党内が大混乱しているにもかわらずまったく社会不安が起こらず(辞意表明直後に株価は急騰したのである)、日本の政治的空白が国際社会秩序にほとんどネガティヴな影響を与えないということはわが国の社会的インフラがいかに安定しており、市民がいかに政治的に成熟しているかを証し立てている。
政治家が無能で、官僚が腐敗して、メディアが痴呆化しているにもかかわらず日本社会がアナーキーへ転落するであろうと悲観している国民はほとんどいない。
これはほとんど奇跡といってよろしいであろう。
これほど安定した国民国家を世界史は知らない。
豊葦原瑞穂国の弥栄を言祝ぎたい。

2007.09.13

お疲れさまだよね

安倍首相辞任のテレビニュースを見ていたら、ほとんどの人が「罵倒」に近い言葉づかいで政権放棄のていたらくを難じていた。
私は安倍晋三という人はかなり無能な首相であったし、政治的判断を誤り続けていたと私も思うが、ここまで日本中で悪し様に言われると、ちょっと気の毒になってくる。
テレビ・ニュースで、マイクを向けられた渋谷の女子大生が「お疲れさまだよね」とぽつんとつぶやいていた。
思わずテレビ画面にむかって「おまえ、いいやつだな」と声をかけてしまった。
たいせつだよ、そういう態度は。
「水に落ちた犬を打つな」だか「水に落ちた犬は打て」だったか、この魯迅が言い出したということわざの正しい使い方が私にはよくわからないが(麻雀では「水に落ちた犬は打って蹴って沈めろ」が大原則であるが)、今の場合は「水に落ちた犬は打つな」を採りたい。
彼は総理大臣になるべき人ではなかったのである。
多少は彼自身も求めたことであろうが、実質的には「担がれた」のである。
「仲良し」はいても子飼いの一族郎党を持たず、主要閣僚の経験さえない当選5回の51歳の代議士は冷静に考えれば総理大臣には適任ではない。
担いだ諸君は「担ぎやすかった」から担いだのである。
彼を担いだときの自民党議員たちが挙げた第一の理由は「来年七月の参院選の顔」というタレント性だった。
「戦後レジームからの脱却」すなわち改憲と愛国イデオロギー教育の強化はたかだか第二の理由にすぎなかった。
第三の理由は(誰も大きな声では言わないが)、安倍を担いでいるかぎり、首相は「担ぎ手」の動きには一切制約をかけないし注文もつけないという「フリーハンド」が確保されていたことである。
小泉純一郎という「フリーな総裁」の準・強権政治の下で、自民党議員たちは首相の顔色を伺うことにいささかうんざりしていたのである。
顔色を見なくてもいい総裁。
それが安倍晋三を担いだ第三の(けっこう大きな)理由である。
だから、7月29日の大敗で、彼の存在理由はもう実質的にはゼロになっていたのである。
あのときに「続投」という最悪の選択を誰が首相の耳元に囁いたのか、私は知らない。
というのは、あそこで辞任していたら、民主党の岡田克也と同じように、「あのときの引き際がよかったので・・・」ということで「再登板」リストの高い順位に残ることができたからである。
それを「させない」で、安倍晋三の復活の芽を完全にツブすために無意味な続投を勧めたやつがいる。
誰だろう。
少なくとも麻生太郎は続投(という安倍にとって致死的な選択肢)にきっぱりと賛成したはずである。
彼のような党内基盤の弱い総裁候補にとっては、安倍が突然辞任して、政局混乱の中、短期決戦でばたばたと総裁を選出するという局面がいちばん有利だからである。
「結局、誰が安倍をいちばん美味しく料理したのか?」
たぶん、昨日の夜あたり赤坂の料亭では赤ら顔の議員たちがそんな話に興じていたのであろう。
気の毒な話である。
お疲れさまだよね。

2007.09.14

注目する人

今年のはじめに『AERA』の取材があり、そこで「今年注目する人を3人」挙げてくれと言われたことがあった。
個人的には「るんちゃんの結婚」とか「ヤマモト画伯の勝率」とか「K林の卒論」とか「T村の就職」とか気がかりなことはあるのだが、そのような固有名を挙げても『AERA』読者には意味不明であろう。
しかたがないので、とりあえず「福田康夫」と答えた。
安倍政権誕生のときの総裁選出馬引き際を見て、「この人は『あのとき、私は潔く身を引いて町村派内の一本化に協力したでしょ』という『貸し』を派閥のオーナーに作っておいて、『次』のチャンスに利子をつけて引き出す気なんだな」と思っていたからである。
参院選大敗のあとに安倍批判もしなかったかわりに、改造内閣でも入閣を固辞した。
安倍政権は短命であろうと彼も読んでいたのである。
そして文字通り「音無の構え」で1年堪え忍んだあと、突然の首相辞任のあと、水を向けられると遅疑なく「みこし」に乗った。
このあたりの潮目を見る眼の確かさはかなりのものである。
麻生幹事長は「げ、死んだふりをしていた爺にいきなり寝首をかかれた」といまごろ地団駄踏んで悔しがっていることであろう。
政敵にダメージを与えるタイミングのはかり方もなかなかのものである。
福田政権は安倍政権ほど短命ではないであろうと私は思う。
ぎりぎり衆院過半数は維持できる見通しがたつまで衆院解散はしないだろう。
衆院解散のタイミングを決定することが福田に託された第一の政治的使命である。
いつ解散するか。
解散をする「大義名分」があり、かつその時点で内閣支持率が高止まりしているという二つの条件が必要である。
その潮目を見極める眼を自民党は福田康夫の批評性に託そうとしているわけである。
すでにメディアは自民党党内闘争報道一色である。
劇場型政治においては「(功罪を問わず)メディア露出度の高い政治家が知名度において圧倒的に有利」(ということは「次の選挙で有利」)なのであるから、参院選大敗のあと、私は自民党の諸君に激烈な合従連衡の党内闘争をお勧めした(ちょっと遅かったけれど、そうなった)。
自民党の強みは血で血を洗う党内闘争をしながら、首班指名では一本化するということができる点にある。
というより、最終的な党の結束が担保されているからこそ、いくらでも寝首を掻き切り合うような党内闘争ができる。
自民党という政党が最戦後一貫して日本の与党であり続けてこられたのは実はこの政党だけが「自分と意見が違っても、機関決定には従う」という「民主主義のルール」にある意味愚直なまでに忠実だったからなのかも知れない。
そういえば、『AERA』の「今年注目する3人」の残り二人は甲野善紀先生と大瀧詠一師匠でした(今年だけじゃなくて、毎年注目してます)。

2007.09.15

テレビの仕事

福田康夫と麻生太郎が生出演する「報道ステーション」を見る。
私はもともとテレビをまるで見ない人間なのであるが、「選挙速報」を甲野先生たちとわいわいツッコミを入れながら見たときに癖がついて以来、政治番組だけは一人でも見ている。
古舘伊知郎のインタビューを聴きながら、なんだか違和感を覚える。
彼は何か有用な情報を聞き出したいのか、それとも「質問してもきちんと答えない」様子を生放送で全国に放送したいのか、そこのところが私にはよくわからなかった。
相手が答えにくいような質問をして、その絶句するさまや、答えをはぐらかすさまから、その人の人物識見度量などを判定するということはたしかに可能である。
劫を経たジャーナリストの中には「それだけ」しかテクニックがない人(T原S一朗とか)もいる。
セレブたちが思いがけない質問に対応に窮するさまをみて視聴者が溜飲を下げるとか、爽快感を覚えるということもたしかにあるだろう。
けれども、そういうのを継続的に見せられていると、だんだん「いやな感じ」が私はしてくる。
それはそれが「査定する視線」を内蔵させているからである。
「有権者に対して、どう説明責任を果たすおつもりですか?」というような質問は修辞的には質問のかたちをとっているが、実際には相手が答えられないことを知っていて、この窮状をどうしのぐのか、その「お手並み拝見」という高みの見物者で自分があることを確認しているにすぎない。
私はこの種の修辞的質問が嫌いである。
それは負けたチームの監督が選手たちを前にして「どうして負けたのか、お前たちはわかってるのか?」と訊いているのと同型のものである。
この質問に正解すれば、「なぜ、負ける理由がわかっていて、おまえたちは負けたんだ?」というさらに答えにくい次の質問がなされる。
だから、このような質問には誰も答えないで、じっとうつむいている。
その無言の時間が長ければ長いほど、監督と選手のあいだの権力関係の非対称性は強化される。
だから、相手に対して政治的優位に立とうとする人間は、本能的にこの種の「答えることの出来ない質問」を向けて、「査定者」の立場を先取しようとする。
私はそういうゲームを飽きるほど見てきた。
そして、そのゲームが「査定者」の地位を先取りした人間の自己満足以外にほとんど何も生産しないということを学んだ。
相手の話を遮って、選択的に「答えにくい質問」を向ける人間が求めているのは回答ではなく、優位性である。
総裁候補をテレビのスタジオに「呼びつけ」て、答えにくい質問の前で青ざめるのを「ショー」として見せることで、「国民主権」ということのリアリティを私たちは確認しているのかもしれない。
オレたちが「査定者」で、あんたたちは「査定される側」なんだぜ。
古舘くんはそういう甘い幻想を視聴者に提供したいのかも知れない。
それがメディアが大衆に提供できる数少ない快楽の一つであることを私はよろこんで認める。
けれども、敗戦チームの選手たちが黙ってうつむいて監督の罵詈に耐えているとき、彼らが「いつかはちゃんと監督の質問に胸を張って答えられるように、これからはがんばろう」と内心決意を新たにしているというふうに私は考えない。
「うっせーな。ばかやろう。早くおわんねえかな。ああ、くっだねーことばっかねちねちいいやがって」としか私なら考えぬであろう。
福田康夫と麻生太郎の内心を私はいま代弁したのであるが、措辞は多少違っても、これにかなり近いものであったろう。
権力をもつ政治家にメディアが屈辱感を味合わせることができるというのは国民にとって一つの権利である。
しかし、それによって彼らがこの先メディアに対して「より嘘つき」になることはあっても、「胸襟を開いて、率直に真情を吐露する」ようになるということは期待できないと私は思う。
他人の「嘘の付き方」を見破る術に習熟するというのはひとつの社会的能力である。
それがあれば、私たちはその人が嘘をついているということはすぐにわかるようになる。
けれども、それはその人がほんとうは何を考えているのかを知ったということとは別のことである。
テレビは「嘘をついている」徴候を検知する点についてはすぐれたメディアであることをテレビ界の人々は熟知されているであろう。
けれども、テレビが「ほんとうに言いたいこと」を聞き出すためのメディアではないことについて、彼らはどこまで痛みを感じているのだろうか。


2007.09.16

昼寝のすすめ

夏休みもあと一週間でおしまいである。
今年はほとんど休みらしい休みがとれなかった。
海にも山にもゆかなかった。
唯一の夏休みっぽさは「昼寝」を存分にしたことだけである。
昼寝というのは不思議なものである。
抗しがたい眠気に屈して、よろよろとベッドに倒れ込んで眠りに入るときには至福のヨロコビが訪れるのであるが、目が醒めたときにはべっとり汗をかいていて、頭はぼおっとして、日は西にすでに傾き、無為に何時間かを過ごしてしまったことへの悔いに臍を噛む思いをする。
幸せの予感で始まって、後悔と自己嫌悪で終わる。
なんだか人間的経験の縮図のようである。
そのような縮図的経験をほぼ毎日繰り返していたことになる。
ところで、人間というのは「一夜明けると別人」というペースでだいたい変化するわけであるが、昼寝をすると、これが別人になるチャンスが一日二回訪れるということになる。
「昼寝前」に頭の中にぎっしりとひしめいていた思惑やら不安やらは「昼寝後」になると雲散霧消とはいわぬまでも、その圭角を失って、なんだかうすらぼんやりしたものになっている。
「寝る子は育つ」といい、私の小さいころ、子どもたちはむりにでも昼寝をさせられていたものだが、あれは生理学的理由だけではなく、「昼寝をする子どものほうが精神的にも成長が早い」ということが経験的に知られていたからではないだろうか。
基本的に「人間的成長」というものはだいたいが「それまで非常に気になっていたこと」が「後で考えたらどうでもよくなる」という形式でなされるものである。
私の経験からして、昼寝というのはそれに似た心理的効果をもたらす。
だいたい私はリゾートに行っても、ほとんど昼寝している。
2年前にハワイに1週間行ったときも、ひたすら昼寝をし続けて、兄に「よくそれだけ寝られるものだ」と感嘆されたことがある。
温泉でもいちばん気分がいいのは、昼風呂に浸かったあとに、ちょっと昼ビールなどを飲んでそのまま浴衣のままごろんと畳の上で寝てしまうときである。
昼寝から起き出したあとに最初につぶやくことばもそういえばつねにどことなく達観をにじませたものであった。
「さあ、それではしゃきしゃきとことをすすめましょうか」というようなことばは決して口にされず、「なもん、どーでもいいじゃないの」というようなけだるい言葉だけが選択的に口を衝いて出てしまうのである。
イタリアやスペインの諸君があまり働いていないわりには、どうも「大人」っぽい雰囲気を漂わせているのは、彼らがこまめにシエスタをすることと無関係ではないのかもしれぬ。
昼寝は戦争とか投資信託とかM&Aとか、そういう殺伐としてものともなじみがよろしくない。
日本人のとげとげしい社会的未成熟はあるいは昼寝の不足に由来するのやも知れぬ。
「クールビズ」よりも「サマータイム」よりも、「日本中、午後1時から3時までシエスタ」ということにした方が日本の霊的成熟には資するところがあるのではないか。
少子化対策には間違いなく有効である。

好きにしなさい

朝日新聞広告局主宰の「関西・女子大シンポジウム 女性が未来を切り開く-女子大が果たす役割とキャリア形成」というものに出るために肥後橋のリサイタルホールに行く(ここは先月『トランスフォーマー』の試写会に来て、帰りに日清焼きそばUFOのおみやげを頂いたところである)。
第一部は基調報告でフリーキャスターの草野満代さんがNHKアナウンサー時代のご苦労と女性の自立についてお話をされる。
第二部は大阪樟蔭女子大(森田洋司学長)、武庫川女子大(たつみ都志教授)、京都女子大(槇村久子教授)、そして本学から私と関西エリアの女子大4校から1名ずつパネリストが出て、朝日新聞の論説委員の川名紀美さんの司会で女子大の社会的役割とキャリア教育を論題にあれこれと論じるという趣向である。
ご案内のように、私は「女子大の社会的役割」というのは言語化できないというのが持論である。
女子大の社会的役割というのは、ドミナントなイデオロギーと価値観に対するラディカルな批評性のうちに存するのであるからして、それを適切に言い表す語彙が「現代用語」のうちには存在しない(はずなのに、こういうふうにぺらぺら言えてしまうところが不思議である)。
ともあれ、キャリア形成とかエンパワーメントとかいうことを私が好まないのは、それが「現在ドミナントなイデオロギー」を無批判に映し出しているからである。
「女性はどんどん社会に出て、リーダーシップを発揮せねばならない」というフレーズはコンテンツが「現代風」に変わっただけで、「女性はすみやかに結婚して良妻賢母にならねばならない」というフレーズと「言い方がなんか威圧的」という点では変わりがない。
それは、その時代において公認されている「正しい女性像」に全員を規格化しようとすることであり、規格を押しつけられる側からするとあまり愉快な経験ではない(と思う。女子学生じゃないからわかんないけど)。
私は人を「型にはめる」のも他人に「型にはめられる」のもあまり好きではない。
私の場合、楽しくないからである。
もちろん世の中は広く、そういうことが楽しくてしかたがないという人もたくさんいるのであろう(そうでなければドミナントなイデオロギーは「ドミナント」にならない)。
そういう人たちは同好の士を集めて好きにされたらよいかと思う。
その代わりに、「そういうのはどーもね」という人たちのことはできたら放っておいて欲しいと思う。
私のゼミの教育方針はご存じのとおり「好きにしなさい」(fais ce que voudras)というものである。
ラブレーの「テレームの僧院」の戒律といっしょである。
これはたいへんお気楽な戒律である。
というのも、これは「人はいつでも自分の好きなことだけをやらなければならない」という禁則を含まないからである。
「私は・・・しかしない」という禁則があると、人間の生き方はたいへん不自由なものになる。
自由を求める精神はそれゆえ「私はつねに自由でなければならない」というような当為の言葉さえ口にしないのである。
自由というのは「自由という概念をどう定義するかについての自由」をも含んでいるメタ概念だからである(この点で私はハイエクさんといささか意見を異にする)。
例えば、「言論の自由」というのは、「『言論の自由』っていうけどさ、ちょっとそこまで言うのは非常識じゃないですか・・・」という「言論の自由」概念を吟味する言論の自由をも含んでいる。
むろん「『言論の自由』を吟味する言論の自由なんてあるわけねーだろ。非常識なのはお前だよ、バカ」と述べる言論の自由も含んでいる。
自由というのはご覧の通り、実は「一筋縄ではゆかないもの」なのである。
だから「好きにしなさい」というのは、外見ほどにお気楽な戒律ではない。
そもそも知性の自由というのは、「私が自由に思考しているのか思考していないかを私自身は決定することができない」という不能の自覚から始まるからである。
であるから「好きにしなさい」と私に言われたからといって、「わーい」と喜んではいけない。
よくよく考えると、ウチダに「好きにしなさい」と言われたので、「そうか、好きにすればいいのか。よし!今日から好きにしよう」と思ったという当の事実が単に「ウチダに洗脳されただけ」ということかも知れないからである。
「私は好きにしているだろうか?」という自問にそう簡単にイエス、ノーの答えは出ない。
だから、「好きにしなさい」という私の言葉にうっかり従ってしまった人は、それ以後「エンドレスの葛藤」を引き受けることになる。
でも、私は教育の本義というのは若い人たちの精神の中に「終わりなき葛藤」を導き入れることのうちに存すると考えているから、それでよいのである。
私はよいのであるが、学生諸君は困るであろう。
気の毒なことである。
というような話をする(話半分)。

2007.09.18

『卒都婆小町』の分析的効果

湊川神社に神戸観世会の別会に出かける。
下川先生が『卒都婆小町』を披かれるのである。
『卒都婆小町』というのは100歳の乞食女になった老残の小野小町が旅の僧を相手に才知の片鱗を見せるのだが、そこに小町に焦がれ死にした深草少将の霊が憑依して、なんだかすごいことになってしまう・・・という話である。
小町に少将が憑依する瞬間が実に劇的である。
地謡の「今は路頭にさそらひ。往来の人に物を乞ふ。乞ひ得ぬ時は悪心、また狂乱の心つきて。聲変わりけしからず」を請けて、それまで深く沈んだほとんど思索的だった老女の声だったのが、いきなり「なま」な欲望剥き出しの声に変わる。
「なう物賜べなうお僧なう」(ねえ、なんかちょうだいよ、お坊さん)。
まず食欲を示したのち、「小町が許へ通はうよなう」と次は性欲が剥き出しにされる。
静から動へのこの落差が能の序破急のかんどころである。
下川先生の「なう」では見所全体が「びくっ」としたのが私にも感じられた。
私の前の席では7人の学生が並んで観能されていて、そのうちの6人が小町と僧の問答のところで次々と頭を垂れて熟睡に入られていたが、この「なう」で全員起床。
別に声が大きくなったというわけではない。
音質が変わったのである。
同一人物からは同一の声しか出ないという前提で私たちは暮らしているので、同一人物が別人の声を出すとそれだけで現実世界の秩序に亀裂が走る。
眠っていても、秩序に亀裂が走ったことは人間には感知できるのである。
そのあと、深草少将に憑依された小町が立烏帽子に狩衣姿となって物狂いの舞を舞い納めて「悟りの道に入らうよ」となって物語は終わる。
『卒都婆小町』を見るのは二度目であるが、これが解離性人格障害の症例であることに今回気づいた。
能と精神分析というのはもう語り尽くされたテーマであるが、それにしても中世の日本人は現代人よりも人間の狂気の構造と対処法についてははるかに理解が深いように思われる。
小町に憑依した少将の霊というのはもちろん小町の解離した人格であって、そのようなものは実在しない。
少将を死ぬまで苦しめたという事実に対する自責が小町の人格に統合されなかったために「悪霊」として外面化されたのである。
フロイトの『トーテムとタブー』によれば、愛した人が死んだ後に、自分はその死に責任があるのではないか、その人の死をひそかに願っていたのではないか・・・という自責が生まれる。これを「強迫自責」と呼ぶ。
「愛する人の死を願う」という欲望はこの人の人格に統合されえない(当たり前である)。
だからしかたなく外面化されて「悪魔」や「悪霊」にかたちをかえるのであるとフロイトは説明している。
しかし、この理論だけでは少将に憑依された小町が「憑依されたことによって救われる(悟りの道に入らうよ)」という道筋がうまく説明できない。
私は強迫自責も悪霊憑依も基本的には人格再統合のための迂回ではないかというふうに考えている(フロイトもたぶんそう考えていたはずである)。
人間の自我の安定というのは「適度に不安定であること」によって担保されている。
「オレはすみからすみまでオレらしい」というような堅牢な人格統合のされ方はたいへん脆弱である。
人間の自我というのは欲動のマグマの上に浮いた「浮島」のようなものであるから、多孔的な柔構造をもっていて、急激なショックや異物の混入があっても、なんとなく「ゆらゆら」しているのが機能的にははるかに健全なのである。
ところが、小野小町のような過剰に知的であるために中枢的に自我が管理されている人の場合、「小町らしからぬ欲動」(ぐじゅぐじゅしたストーカー男である深草少将に対する小町自身も気づいていない欲望)がうまく人格統合できない。
当然ながら、彼女自身が「自分のもの」であると認めることのできぬ人格要素は抑圧されて症状として迂回的に表現される。
それが少将の悪霊である。
小町を責めさいなむ深草の少将の霊は「深草の少将は私についてこのような否定的評価を下しているであろう(「小町といふ人は余りに色が深うて・・・あら人恋しや」)という小町自身の想像の産物である。
この深草少将の小町評は、実はそのまま小町自身の抑圧された自己評価なのである。
小町自身は自分が才色を鼻に掛けた最低のタカビー女だということを知っているが、その情報は(それを認めてしまうと気分が悪いので)抑圧されていたのである。
その抑圧が少将の死という契機で急激に症候化する。
それが「悪霊」と小町自身の「老残」である。
「老残」は生物学的事実ではなく、この場合は分析的な意味での症状と解すべきであろう。
「卒都婆小町」の小町は現実には老婆である必要はない。
「卒都婆小町」の劇的状況は深草少将が九十九夜通った後に「たいへんです、今朝方玄関先で少将が行き倒れて死んでました」という家人の知らせを聞いた直後の小町の脳裏を一瞬かけめぐった幻想であってもよい。
というか、その方が分析的には真実に近いであろう。
「卒都婆小町」は深草少将の死を知り、「強迫自責」にとらえられた瞬間の小野小町の心象を切り取ったものである。
このとき、小町の内部では、少将に対する嫌悪感と欲望、おのれ自身に対する自尊と自卑の葛藤が始まる。
少将への無意識的な欲望は深草少将の小町への「悪霊的欲望」として外在化される。
これでふつうなら自我はとりあえず安定を回復するはずである。
しかし、フロイトが挙げていたのは「愛する人を失ったときの強迫自責」であって、「愛していない人(けれども無意識には欲望していた人)を失ったときの強迫自責」の症例ではない。
『卒都婆小町』の場合は欲望の外在化だけでは症候が緩解しなかったのである。
それだけ葛藤は複雑で根が深かったのである。
それゆえ、もう一つの症状が必要だったのである。
それが「老残」である。
「食欲と性欲のことしか頭にない老婆である小町」の姿は小町の自己卑下・自己否定の人格要素が解離して構成された、これもまた一つの悪霊である。
少将の悪霊は「私の中には少将に対する抑圧された欲望が存在した」ということを認めない限り消えない。
同じように、「老残」の苦しみは「食欲と性欲のことしか頭にない老婆」もまた私のありうべき姿であるという事実を受け容れることでしか緩解しない。
能の最後に「悟り」が得られたということは、小町がその二つを受け容れたということである。
同一対象にたいする嫌悪と欲望、愛と憎しみ、生と死が同居することが人間の自然であり、人性の常態なのだということを悟ったときに、小町の自我は「不安定のうちの安定」、「バランスのよいバランスの悪さ」を回復する。
だから物語の最後の「これに就けても後の世を。願ふぞ眞なりける。砂を塔と重ねて黄金の膚こまやかに。花を佛に手向けつつ」というときの「黄金の膚」は分析が無事終了して「ああ、よかった。やっぱりまだお肌つるつるだわ、私」と安堵した小町の実感と解釈してよろしいであろう。
中世日本にはフロイト=ラカン派の分析者は存在しなかった。
代わりに能があった。
当時能は一日五番が演じられた。
五番ということは、「五種類の狂気とそれからの回復の物語」が一日のうちに演じられたということである。
おそらく当時の人々はそのうちのどれかもっとも自分の症状に近い曲のシテに無意識に同一化することによってそれと知らずに自己分析を果たしていたのであろう。
能を見るたびに中世の日本文化の人間についての洞察の深さに驚かされる。

2007.09.20

キャリア教育って・・・何?

大学が始まる。
授業は28日からだが、今週からもう会議は始まっている。
木曜は朝の9時半から人事委員会。それからAO委員会。午後は取材が2件、朝日新聞の『大学ランキング』の小林さんと次の仕事の打ち合わせ。それからヒミツの会議が二つ。
ふう。
取材は2件とも今度現代GPに当たった(「GPを取った」というような主体的な表現はどうもはばかられる)副専攻制度について。
リベラルアーツとキャリア教育をジョイントした私どものアイディアが(意外にも)メディアの耳目を集めているのである。
「キャリア教育」というのはどこの大学もだいたい同じことをやっている。
「リメディアル教育」と構造的には変わらない。
「リメディアル教育」というのは「大学には入ったけれど、大学の勉強が理解できないので、困っている学生」がその段階で脱落して不登校とか退学とかしないように、大学の授業がわかるように補習をしてあげることである。
リメディアル教育が「入り口」における学生支援であるのと同じく、キャリア教育は「出口」における学生支援である。
つまり、「大学をもうすぐ出るんだけれど、仕事をするってどういうことかわからないで困っている学生」がその段階で脱落してニート化したり、「自分探しの旅」に彷徨い出たりしないように、大学が「働くっていうのはどういうことか」教えてあげることである。
むかしの大学生は大学に入るときには大学の授業についていけるだけの学力が備わっていたし、大学を出るときは職場で働くための基礎的な社会的能力は備わっていた。
今の大学生はどちらも心許ないので大学が出口と入り口で補習をするのである。
とほほである。
大学教師の仕事が増えるのも道理である。
しかし、「リメディアル」は実質的には高校の授業の「続き」であるから学生たちも自分が何をやっているのかだいたいのことはわかっている。
だが、「キャリア」はこれまで「成人の労働」をしたことがない子どもたちに「仕事をするとはどういうことか」を教えるのである。
これはむずかしい。
さらに問題を困難にしているのは、(あまり大きな声では言われないが)「働くことの意味」を教えねばならない大学教師たちの過半は学生たちがこれから参入することになる会社組織というところで働いた経験がないという事実である。
実は私もないのである。
私は大学卒業後すぐに起業して経営者になったので、新入社員の心情のようなものは理解の外なのである。
事情はどこも同じであるので、いきおいキャリア教育には「実社会で経験を積んだ社会人」のみなさんが教員として招かれることになる。
問題はこの「実社会で経験を積んだ」ということの意味である。
「実社会で経験を積んだ社会人」というのは日本に数千万人いる。
むろんその全員が学生たちにキャリア教育を施す能力があるわけではない。
教壇に立つには条件がある。
それは「実社会で経験を積んで、かつブリリアントな成功を収めた社会人」でなければならないということである。
この条件がむずかしい。
「ブリリアントな成功」を何を基準に計測するか、である。
この査定に大学の「見識」が示されるのである。
3年ほど前に「キャリア教育」のロールモデルとしてホリエくんやムラカミくんが持ち上げられたことがあった。
彼らを特別講師に招聘した大学もいくつかあったはずである。
そのような人選をした大学人諸君ははたして今おのが不明を恥じているであろうか。
たぶんもう忘れたふりをしているであろう。
これは彼らが「成功者」というときに「今、成功している人」を選んでしまうことから引き起こされる失敗である。
今日的成功者たちを「成功モデル」として学生たちに示すのはまことに愚かなことである。
学生たちはこのあと原理的には未知の社会を生きてゆくのである。
未知の経験においては、過去の成功モデルが役に立つこともあるし、役に立たないこともある。
学生でもすぐにその実効性が理解できる程度の成功モデルは現実にはほとんど役に立たない(だって、そんなこと誰でもやるに決まっているからである。誰でもやることをやっていてはブリリアントな成功は期しがたい)。
「どうしてこれが成功の条件だったか理解しがたい」ような成功モデルだけが実際には教育的に機能する。
ここにキャリア教育のパラドクスがある。
キャリア教育の教師というのは「その人が何を言っているのか、学生には意味がぜんぜんわかんない人」でなければ意味がないのである。
とりあえず学生たちがネットの情報やら「就活本」で仕込んだ悲しいほど定型的な「仕事観」を土台からうち崩すようなことを言ってくれる教師でないとキャリア教育の役には立たない。
だって、キャリアというのは就職先が決まったところで「終わる」にではなく、そこから「始まる」ものだからである。
二十歳そこそこで仕事を始めて、それをあと40年50年継続してゆくためのモチベーションはネットのリクルート情報などでは得ることができない。
仕事をするとはどういうことかについて徹底的に考え抜いて、現場で自分の仕事観の適切さを検証した人のたたずまいから学ぶしかない。
当今の学生諸君は「就職をするモチベーション」は高いが、「労働するモチベーション」は低い。
低いというか、そういうものが必要だということを学校でも家庭でも、たぶん誰からも教えられたことがないのである。
それを教えなくてはいけない。
大学教師の仕事がますます増えるわけである。

2007.09.21

この夏最後の出稼ぎツアー

「県立学校2年次校長学校経営研修講座」の講師に招かれて、兵庫県立教育研修所というところに出かける。
御影から六甲山に登って、トンネルで裏へ抜けて、中国道を20分ほど走って滝野社ICで降りて、10分くらいのところにある。
県立高校の校長先生たち相手の研修である。
今年の夏はずいぶんいろいろなところで学校の先生たちを相手の講演をやった。
舞子での兵庫県私立教員研修会、兵庫県教組宝塚支部の8・15集会、大阪府教組の研修会、神戸海星での兵庫県の学校図書館の会議、それから今回。
お相手も中堅教員、教組組合員、司書、校長先生と多種多様である。
原則として教育現場からお声がかかったときには必ず行くようにしている。
メディアで発言する知識人の中に、教育現場の先生たちを応援する立場から発言する人がぜんぜんいないからである。
教育現場の実情をほとんど知らない人たちでも、とりあえず教員の悪口さえ言っていれば、それなりに批評性があるように見える。
そういう風潮がある。
誰だって「自分には学校のことがわかっている」と思えるからである。
でも、いま教育の現場で起きていることは悪いけれど「前代未聞」の事態である。
地殻変動的な変化が起きている。
教育現場を批判している人々を含んだ社会構造全体の「ゆがみ」が学校という特異点において拡大されたしかたで露出しているのである。
だから、自分は「ふつう」だと思っている人が学校の「異常」を批判するというスキームを採用する限り、学校で何が起きているかは彼にはわからない。
社会全体が病んでいるとき、社会のもっとも弱い環である子どもを通じて社会の病はもっとも剥き出しのかたちで露出する。
エレベーターが落下しているときに、「落ちているのは誰だ?」というような詮索をしてもしかたがない。
「全員が落ちている」という現状認識を共有するまでエレベーターの落下を止める方策を論じる機会は到来しない。
そういうものである。
「教育再生会議」というのは、いまにして思えば含蓄のあるネーミングであった。
「再生」という以上、教育は「死んでいた」のである。
この認識はある意味で正しい。
教育現場が死んでいるということは、教育理論も、教育行政も、政府主導の教育改革も、およそこれまで教育について語られてきた言説となされた実践のほとんどは「死んでいた」ということである。
残念ながら、教育再生会議はそこまでは知恵が回らなかった。
というのは、会議に招集された「有識者」たちは全員がこの「教育の死」に加担してきたことを否認したからである。
まずその事実を認め、自分たちがそれまで行ってきた教育実践はこの事態の到来を防ぐことができなかった点について程度の差はあれ有罪であるという「有責感の自覚」から会議はスタートすべきだったと思う。
しかし、彼らはそうする代わりに「実現されなかった正しさ」の代弁者という立場を取った。
それでは「教育の死」が彼ら自身をもまきこんだ巨大な構造的な問題である可能性には思い至ることができない。
人はそのようにして構造的無知の立場を先取してしまう。
ショートスパンの「正しさ」を手に入れる代償に、ロングスパンの「無知」を呼び入れてしまうのである。
人間は不注意から愚鈍になるのではない。
愚鈍さはつねに努力の成果である。

私が教員たちの集まりに可能性を感じるのは、ここが「教育危機を誰か自分以外の誰かのせいにする」余地がない考えうるほとんど唯一の場だからである。
現場の教員の現実認識がメディア知識人よりすぐれているのは、彼らは「何が起きているのか、実は自分たちにはよくわかっていないということをわかっている」点にある。
メディア知識人は教育について「そこで何が起きているのか熟知しているような顔」をしている。
だからきわめて切れ味よく、危機の原因が何であって、それを補正するためには何をすればいいのかをぺらぺらと説明してくれる(もちろん、彼らが言うようなシンプルな政策で教育危機はどうにもならない)。
現場の強みは「教育危機のせいで現に困っている」ということである。
メディア知識人や文教族の政治家は本音を言えば、教育危機で別に困っているわけではない。
むしろ「出番」が増えて、メディアで顔を売り、原稿料を荒稼ぎする絶好の機会である。
学校で何が起きようと、そんなことは彼らにとってはどうでもよいことである。
だが、教員にとって教育危機はダイレクトに血圧が上がり、胃に穴が開き、血尿が出る具体的な問題である。
彼らの血圧を下げ、胃の粘膜にやさしく、腎臓への負担をやわらげるものであり、かつ彼らを説得できるだけ現実的経験に裏付けられたリアルなことばしかこの場では通用しない。
だから、私は教員たちを前にして教育危機の実相とそれへの対処について論じることを一種の「テスト」だと思っているのである。
本日の講演は「なぜ若者は労働のモチベーションを維持できないのか?」
これに関しては先日『文藝春秋special』という媒体に文章を書いたので、これをマクラにして90分間話す。
参考のために文春に寄稿したものを採録しておこう。もう出版されてだいぶ経つからよろしいであろう。

「やりがいのある仕事」を求めて短期間に離職・転職を繰り返す若者が増えている。ニートや非正規雇用が問題になるときにも、「やりがい」という言葉が繰り返し口にされる。「若者にもっと『やりがいのある仕事』を制度的に提供できれば、問題は解決する」という言い方をするメディア知識人も少なくない。
だが、「やりがいのある仕事」とは何のことなのか。
この語の語義について、国民的合意は存在するのだろうか。私は違うと思う。そして、同一語を別の意味に使っていることが、事態を混乱させているのではないかと思っている。
ある年代から上にとって、「やりがいのある仕事」というのは、「どこかで誰かの役に立っている仕事」のことを意味している。おのれ労苦の「受益者」がどこかにおり、その笑顔や感謝を想像することが労働のモチベーションを担保する。それが「やりがい」という語の意味だったはずである。
だが、この定義は若い世代にはもう適用できない。というのは、今ではどうやら個人の努力がもたらす利得を「私ひとり」が排他的に占有できる仕事のことを「やりがいのある仕事」と呼ぶ習慣が定着しているようだからである。
「受益者が私ひとり」であるような仕事を「やりがいのある仕事」と呼ぶ不思議な労働観が生まれたのにはもちろん理由がある。それは「受験勉強」の経験が涵養したものである。
受験勉強では努力と成果の間に「正の相関」があり、個人的努力の成果は本人が100%占有する。一生懸命勉強をして入試で高得点を取ったので、あまり勉強していなかった隣席のヤマダくんもその「余沢」に浴していっしょに合格できた、というようなことは受験勉強の場面では絶対に起こらない。
けれども、私たちの日々の仕事の現場ではむしろそちらの方が常態なのである。仕事のほとんどは集団の営為であり、利益は仲間の間で分配され、リスクはヘッジされる。人間的労働は集団的に行われることで効率を高め、危機を回避するメカニズムだからである。
受験勉強は将来の労働者を類別・序列化するためのシステムではあるが、それ自体は労働ではない。それを同一視して、受験勉強をする気分で労働の現場に踏み込んでくる若者は仰天してしまうのである。どうして、ここでは自分の努力の成果が自分に専一的にリターンされないのか?受験勉強的「成果主義」になじんだ子どもは、自分の努力が固有名での達成としてはカウントされず、集団で(それもろくな働きをしていない人間も含めて)分配しなければならないという「不条理」が理解できない。
しかし、若者たちの多くはアルバイトをしているではないか、というご意見があるだろう。あれは労働ではないのか、と。
残念ながら「バイト」は労働の条件を備えていない。というのは、あれはモジュール化・マニュアル化された労働の「断片」に過ぎず、アルバイト労働は断片化されることで互換性を確保している。それゆえ、バイト労働者には労働契約に規定された以外の労働をすることが要求されない。だから、彼らは「自分の仕事」の境界線の外に生じたミスやトラブルを「自分の仕事」として引き受ける習慣がない。
しかし、ビジネスの現場では、ミスはしばしば「誰の領域でもないグレーゾーン」に発生する。「自分の仕事」ではないのだけれど、とりあえず片付けておくか・・・という「よけいなお節介」によってシステムはしばしば致命的なクラッシュを回避している。でも、彼がシステムを救ったという事実は前景化しない(「何も起きなかった」というのが彼の達成したことだからである)。多大の貢献をしながら、成果としては評価されない。この事実を多くの若者は不合理だと感じる。
受験勉強とバイトという二種類の「ワーク」を通じて労働というものを理解してきた子どもたちには「成人の労働」の意味がよくわからない。
成人の労働の本質は、個人の努力が集団の達成に読み替えられる変換のうちに存する。自分の努力の成果が、できるだけ多くの他者に利益として分配されることを求めるような「特異なメンタリティ」によって成人の労働は動機づけられている。それが納得できないという人は成人の労働には向かない。事実、多くの若者たちが「三年で辞める」のはそのせいである。
「やりがい」を求めて離職転職する若者たちはの多くは個人的努力の成果を誰ともシェアせず独占できる仕事に就こうとする。たしかに才能があれば、起業家や投資家や作家やアーティストや医師や弁護士になれるかもしれない。けれども、「個人的努力の成果を占有できる」ということは、裏から言えば「リスクを全部一人で負わなければならない」ということである。どれほどスマートでタフな人間も天災や政変や疫病のようなリスク・ファクターのすべてを回避することはできない。利益を分配する代わりにリスクをヘッジしてくれる集団への帰属を拒否する人間は一回の失敗ですべてを失う可能性を勘定に入れておいた方がいい。
私たちが労働するのは自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティヴであるためでもない、生き延びるためである。成人の労働ができるだけ多くの他者に利益を分配することを喜びと感じるような「特異なメンタリティ」を私たちに要求するのは、それが「生き延びるチャンス」の代価だからである。この代価は決して高いものだと私には思われない。

2007.09.25

合気道秋合宿

恒例の合気道秋の合宿で、22日から24日まで名色高原にこもっていた。
今回は総勢47名で過去最大規模。
フランスからはるばるブルーノくんも参加したのである。
前夜に富山から車を飛ばして来たカサイくんと東京から新幹線を乗り継いで住吉までたどり着いたブルーノくんとたまたま居合わせたIT秘書のイワモトくんとでシャンペンを開けてプチ宴会。
22日8時半に御影駅前を出発。
六甲山のとっつきで早くも渋滞に巻き込まれて前途に不安を覚えるが、予定通りに赤松でコロッケを食べ、朝来で黒豆ソフトを食べる。
ところが「池のや」が団体客に占拠されていて入れない。
過去10年近く食べ続けた「池のや」のうどんが食べられないというのは、ルーティン好きのウチダにとってはつらいことである。
私がルーティンが好きなのは、毎度申し上げている通り、毎年同じときに同じことを繰り返していると、ものごとの経年変化がはっきり感知できるからである。
池のやで「味噌煮込みうどん」を注文する人がいると、その瞬間にそこにはいない「ごんちゃん」のことや、「おいちゃん」のことが脳裏に浮かび、朝来PAで鉢植えを見ると「けんちゃん」のことを思い出すのである。
「そこにいない人のことを定期的に思い出して、その人について語る」というのは共同体にとってとてもたいせつなことである。
やむなくもう少し北上して、イタリアンレストランをみつけて、そこを急襲する(けたたましく笑い続ける24人の団体であるから、「急襲」という語がふさわしいであろう)。
おそらく来年以降はこのイタリアンレストランで「サラダバー」を食べ続け、「そういえばトーザワくんはここで麻婆拉麺のようなペスカトーレを食べていたね(彼はいまどこにいるんだろう・・・)」というような話をしているのであろう(どこにも行っていないで、そのときも静かにパスタを啜っているかも知れないが)。
現地で電車組と合流。たいへんな人数になる。
三宅先生から清涼飲料が4ダース届いている。
ただちに全員で岡本方面を向いて合掌し、「三宅先生、ごちそうさまです!」と唱和する。
初日は例によって午後10時まで自主稽古があり、そのあとブルーノくんのもってきたアルボワのワインとぜんちゃんの焼酎で静かにプチ宴会。
二日目は昇段級審査。
学生の審査はサキちゃんだけで、あとはみんな甲南合気会の方々である。
5級受験が5名。男子のヤマダくん以外の4名の女子が「ザ・ハカマーズ」入りを果たす。
サキちゃん、トーザワくん、ヒロスエ、タカトリくんが1級。ということは来春の合宿で初段審査だ。
初段審査はキヨエさん。
仲間たちがめでたいイベントに参加しようと、わらわらと受けに出てくる。
みんなの拍手を浴びてめでたく栄光の「ザ・ブラックベルツ」のメンバーとなった。
飯田先生とセトッチも「わらわら軍団」をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。みごとな演武で三段。
みなさん、おめでとう。
これで本会は、松田先生が四段。三段はかなぴょん、やべっち、くー、おいちゃん、ミゾグチさん、えぐっち、うっきーに今回あらたに飯田先生、セトッチが加わった(Pちゃんは三段審査は終わっているのだが、まだ免状が届かない)。
まことに重厚な布陣である。
稽古のあとはBBQ。
審査が終わってほっとして、みんなはじけ気味である。
がんがんビールを飲み、花火を打ち上げ、ワインをのみ、焼酎をのみ、ブルーノくんにプレゼントの贈呈があり、私は6日ほど早い誕生日プレゼントを頂く。
みなさんありがとう。
最後は「誰がいちばんマッサージがうまいか大会」が始まり、次々と「腕自慢」のもみ手に翻弄され、私はそのまま至福の居眠り。
24日のお昼で稽古を打ち上げて、お風呂に入り、ご飯を食べて、解散。
いつものことではあるけれど、三日間起居を共にし、同じ釜の飯を食べ、並んで歯を磨いていると、ある種の一体感で結ばれる。
最後の日の稽古を見ていると、みんなの動きが深く滑らかなコミュニケーションを達成しているのがわかる。
今回も酒のラベル以外の活字を一文字も見ることなく3日間が終わった。
ブルーノくんが帰り道にみんなを指して「合気道のきょうだいたち」といっていたけれど、まことに実感のこもった言葉だと思ったのである。
さよなら兄弟姉妹たち。
また土曜日に芦屋で会いましょう。

2007.09.26

奉祝!55年体制復活

安倍内閣の総辞職と福田内閣の成立について、毎日新聞と東京新聞から取材を受ける。
どうして、私のところに「そんなこと」を訊きに来るのか、よく意味がわからない。
私は政治のことなんか、何にも知らないからである。
新聞をぱらぱら読んでいるだけで、テレビのニュースだってほとんど見ない。政治学を学んだこともないし、インサイダー情報も知らないし、政治家の知り合いもいない。
あるいは私が政治評論家ではないから取材が来るのかもしれない。
政治評論家というのはぜんぜん実感を伴わない政治的用語(「国際貢献」とか「構造改革」とか)をまるで「人参」とか「仏和辞典」のような実在物のように語ることができる人のことである。
私にはそれができない。
「国際貢献」というものをひもで縛って、包装紙にくるんで、「はいよ」と見せてくれたら、私もその実在を信じるだろうが、そうでなければ信じない。
もちろん「幻想としての国際貢献」や「幻想としての構造改革」が存在することはこれを疑わない。
幻想には固有のリアリティがあり、それで人が死に、都市が焼かれ、文明が滅びることがある。
けれども、それはあくまで幻想であって、実在ではない。
ある政治的概念が幻想であるということは、同一の状況与件から「それとはぜんぜん違う政治的オプション」を導くことが可能である、ということである。
だって幻想なんだから。
幻想は「風船」と同じで、わずかな入力差でがらりと動きが変わる。
それが幻想の危ういところであり、便利なところでもある。
「ひもで縛って、紙にくるんで、『はいよ』と見せられないもの」はあらかた幻想であり、それを扱うときはふつうの「もの」を扱うときとは扱いを変えなければいけない。
ということを非常に切実に感じているという点で、私は政治評論家のみなさんと気質を異にしている。
おそらくそのあたりの「猜疑心の強さ」がわざわいして、次々と取材に悩まされるのであろう。
今回の首相交代劇では二週間の「政治的空白」ができた。
新首相はそれについて会見の冒頭で国民と議員に謝罪した。
私はテレビを見ながら、「謝罪される国民」の立場から福田康夫の顔をぼんやりみつめて、「べつに謝ってもらう筋はないんだけど・・・」と思っていた。
だって、12日間の「政治的空白」は私にいかなる不利益ももたらさかなったからである。
臨時国会が休会したせいで、「私はこんな損をした」ということをエビデンス・ベーストで言える国民がいったい日本に何人いるのであろう。
いたら、とりあえず手を挙げていただきたい。
安倍首相の所信表明演説への反論を準備していた野党の発言者は用意していた原稿が反古になって準備にかけた手間を「損」をしたかもしれないが、他にどたなか・・・
内政のどの部分に大きな問題が発生し、外交面では日本の国益は具体的にどのように損なわれたのであろうか。
誰か教えていただきたい。
福田首相が最初に「謝罪」した「政治的空白」は「その謝罪を『謝罪』として受け止める受信者が(民主党の一部議員以外に)ほとんどいない言葉」であった。
別にそれが悪いと申し上げているのではない。
けっこうなことじゃないかと思っているのである。
幼児的で脆弱なメンタリティの首相が一年間迷走している間も、政権を放り出して病院に「ひきこもり」してしまった後も、日本社会はその安定性をすこしも損なわれなかった。
私はむしろこの種の「政治的空白」がほとんど社会的に不利益をもたらさなかったことに日本社会の成熟と安定を見るのである。
無能な政治家と腐敗した官僚がこれほど跋扈していながら、国境線は確保され、通貨は安定し、法秩序は維持され、環境も保全されている。
これは誰が何と言おうと、社会システムがきちんと機能している、ということである。
社保庁の乱脈ぶりが伝えられたとき、「これほど腐敗した官僚たちに食い物にされながら、それでもまだ年金支給の原資が残っていた」ことに私は感動した。
社保庁にだって、まじめに働いていた人がそれだけいたということである。
どのような組織にもろくに働きのない人間、いるだけで赤字が増える人間が20%くらいいる。
だいたい給料分働いている人間が60%。
利益を出しているのは残る20%だけである。
でも、それで十分なのだ。
100%が必死に働く必要なんかない。
社会システムというのは5人に1人くらい「働き者」がいれば十分回るように設計されているのである。
それ以上の「働き者」を必要とするシステムは設計の仕方が間違っているのである。
日本社会は相対的な成熟期・安定期に入ったと私は見ている。
福田康夫と麻生太郎の間に政策的な違いはほとんどなかった。
政治技法として「正面突破」か「裏技・寝技」かの違いがあっただけである。
それどころか、自民党と民主党の間にも政策的な違いはほとんどない。
だって、自民党総裁は四代続いての清和会で、民主党はおおかたが元・経世会なんだから。
二大政党の政策差が、かつての自民党の二派閥間の政策差にまで縮小したのである。
それだけ政策の選択肢の幅が狭くなったということである。
政策の選択肢の幅が狭いというのは、悪いことではない。
それは社会が成熟して、大きな変化を受け付けなくなったということであり、言い換えれば「誰がリーダーになってもあまり変わらない」ようになったということである。
私はむしろ「安倍晋三程度の人間でも首相が務まった」という点に日本の政治構造の成熟の深みを見るのである。
これからの日本は誰が首相になっても大過なく職務を全うすることができるようなシステムになってゆくであろう。
政策的選択肢がほとんどなく、同一政策をどれくらいの進度で実現するかの時間差があるだけなんだから。
安倍内閣では時計を早めようとした。福田内閣ではそれをスローダウンすることになるだろう。
でも、2007年秋は世界をあげて「とりあえずスローダウン」の時期である。
ここでアクセルを踏む政治家はいない。
イラク、アフガニスタンは出口のない泥沼で、ブッシュはもうレームダックである。
だからイラク特措法だって、別に今急いでどうこうしなくてもいいのである。
「野党のご理解を賜るべく鋭意折衝しておるのですが、なかなか同意が得られず・・・」とだらだら時間稼ぎをしているうちに、アメリカが大統領選挙に入ってしまったら、もうインド洋の給油のことなんかうるさく気にするアメリカ人はいないであろう(希望的観測)。
プーチンも盧武鉉ももうすぐ任期切れである。
対ロシア、対韓国でも、この時期におおきな政策変更はする余地がない。
少し動かせるのは対中国外交だけだが、これは福田の得意分野であるから、年内にある程度の実績はあげられるだろう。
対北朝鮮外交はどうせアメリカが大統領選に入ったらもうストップしてしまう。
右を見ても左を見ても、「とりあえず変化の落ち着く先を様子見」という結論しか出ない。
落ち着きどころを見極めてから、「ではそういうことで」と立ち上がればよい。
つまり、いまこの時期というのは「何もしないで、ぼおっと様子見する」ことが日本の為政者にとってベストの政治的選択なのである。
福田康夫は「背水の陣」といったけれど、別に「後がないので、正面突破するしかない」という攻撃的な布陣をする気はない。
これは単に「後がないので、後に下がるというオプションはありません」という「選択肢が限定されているせいで身動きならない日本」の状態を比喩的に形容したものと思われる。
それでいいんじゃないの、と私は思う。
国家というのは選択肢がありすぎて、妙に口のうまいデマゴーグが出て来てとんでもない方向にひっぱられている可能性があるよりも、選択肢が少ないので、誰が首相でも同じようなことしかできないという方が国民にとってはずっとましである。
そういうだらけた国は、大きな利益は望みがたいが致命的なリスクは避けることができる。
今の日本に「大きな利益」は必要ではない。
国土を拡大する必要もないし、欧米の土地や企業を買い漁るほどの金が要るわけでもない。とりあえず今の国境線を維持できて、法秩序が守られ、環境がこれ以上破壊されず、それなりに静かに暮らして行ければ、おおかたの日本人は満足であろう。
私は福田政権を21世紀日本の「スローダウン」の記号であろうと思っている。
「改革を止めてはならない」というと、なんだか改革を煽っているように聞こえるが、「止めてはならない」というのは要するに「現状維持」ということである。
「改革を止めろ」というほうが実はよっぽどラディカルでアクティヴなスローガンなのである。
「希望の持てる国に」というのも、なんだか前向きの政策に聞こえるが、「希望が持てる」のは希望のすべてが実現していない場合だけである。
人々が希望を持てる国というのは、「ちょっとずつは善くなるが、大きく善くなることがない国」ということである。
『九条どうでしょう』で書いたように、日本は55年体制において、日米間の外交的矛盾をすべて「保守対革新」のドメスティックな矛盾に流し込んで「処理」してきた。
アメリカの軍事的属国であるという事実に日本の政治的自由を拘束する最大の要因はある。
それを歴代内閣は「国内的な対立勢力の抵抗のせいで、対米協力について政府がフリーハンドをふるえない」という話型に回収してきた。
そうやって、対米的にはリスクとコストの高い軍事協力を逃れ、国内的には「属国である事実」を隠蔽してきたのである。
私はそれを「世界政治史上もっとも狡猾な政治的装置の一つ」と評価している。
福田康夫の登場はおそらくメディアがこぞって書くとおり「古い自民党への回帰」に他ならないのであろう。
だが、それが「自民民主の猿芝居」によってアメリカとの関係をぐじゃぐじゃにする「新たな55年体制」の復活をめざすのならば、私はこれを日本国の平和と繁栄のために多としたい。

2007.09.27

夏休み最後の日の憂鬱

夏休みが終わってしまう・・・
明日から学校である。
などと書くと世間のサラリーマンのみなさんは「なにを言ってやがる」と激怒されることは火を見るより明らかなのであるが、私はひとを激怒させることになるととたんに勤勉になる人間なので、とりあえずこういうことを書いてしまうのである。
合宿で今年の3月末にリタイアされたM田先生に「リタイア後の生活はいかがですか?」とうかがったら「毎日が夏休みです」と満面の笑みでお答えになった。
ここだけの話であるが(といっても毎日10000人以上が読んでいるのだが)、M田先生はものすごい「鼾」の人であった。
私は合宿でかれこれ15年ほどご一緒している。ずっと相部屋であった。
そのM田先生の鼾が猛烈だったのである。
私はむろん隣で寝ている人が多少の音響を出すくらいで不眠になるほどヤワな人間ではないが、それでも地面を揺るがすような響きがたまに停止すると、その静寂にびっくりして夜半に目覚めるということが何度かあった。
そのM田先生の鼾がもっとも壮絶であったのが、前回合宿で先生の四段審査が予定されていた日の前夜であった。
さすがの私も入眠に困難を覚えたほどの音量であった。
ところが、審査が無事に終了し、みんなで愉快に打ち上げたあと、部屋に戻ると先に戻って寝ているはずのM田先生の気配がしない。
怪しんで暗がりで目を凝らすと、なんとM田先生が赤ちゃんのようにかわいい寝息を立ててすやすや眠っているではないか。
審査の重圧から解放された先生は身じろぎもしないほど深い眠りのうち沈まれていたのである。
ということは、あの鼾はもしやメンタルストレスがもたらしたものでは・・・
しからば、リタイアされて「毎日が夏休み」となったM田先生の鼾状況はどうなるのであろうか。
私はこういうことになるとたいへん探求心が旺盛な人間であるので、わくわくしながら次の合宿での相部屋の夜の到来を待ったのである。
もちろん、私の仮説の正しさは検証された。
「毎日が夏休み」の心理的効果がかくも劇的なものとは思わなかった。
ということは、私もこのようにお気楽に生きているように見えるが、苛酷な心理的重圧を大気圧のように日々感じているということである。
その重圧がどんなものなのかは、なくなってみないとわからない。
養老先生によると「空の色が変わる」ほどの解放感だそうである。
「毎日が夏休み」になるまで、指折り数えてあと3年と5ヶ月。
生きてリタイアの日を迎えたいものだ。

そういえばそろそろ『村上春樹にご用心』が発売されるな・・・と思ってアマゾンをのぞいたら、文芸書で21位。
すごいね。
予約分でランクインしたのである。
都心の大型書店には昨日の夕方配本されたので、探してみてください。
それ以外のところは29日配本。
さすがムラカミ先生の「七光り」。コバンザメ商法恐るべし。

2007.09.30

老いの手柄

Happy birthday to me~
57回目の誕生日である。
まさか自分が57回目の誕生日にHappy birthday to me~というような気の抜けた「行き場のないギャグ」を口にする老人になろうとは少年の頃には思いもしなかった。
人生というのは予断を許さぬものである。
私は16歳の頃に自分が57歳の時にどんなことを考えている人間になるのか想像もつかなかった。
想像がつかなかったのは、「57歳というのは、すごい大人だ」と思っていたからである。
16歳はガキであるから、ガキの想像力をもってしては57歳の爺の頭の中に渦巻く妄念や諦観や洞見についてはそれを忖度することはできるはずがないと思っていたのである。
そこらへんの考えの浅さがやはり16歳のガキである。
なんのことはない。
40年経っても、「がわ」が爺になっただけで、16歳の私はそのまま手つかずで残っているのである。
そういうたいせつなことをどういうわけか大人たちは決して子どもに教えてくれない。
だから、私の文章を読んでいる若い方々にここに声を大にしてご教示するのである。
このあと何十年経っても、あなたの「中身」はほとんど今のまま残っている。
でも、「がわ」の性能にはガタが来る。
歯が抜け、毛が抜け、腹が出て、肌がどろんとたるみ、白目が黄色く濁り、全体にやる気がなくなる。
そういう中年老年の自分の肉体に「いまの自分」の頭を移植した状態を想像してみればよろしい。
それが紛れもなく諸君の何十年後かの実体なのである。
それが厭さに、悪魔に魂を売って加齢を止めようとする人もいるし、手早く老人力を身に付けて、「二十歳にして朽ちたり」と嘯く人もいる。
どちらも無理があると私は思う。
「老いる」というのは若いみなさんが思っているような経験ではない。
「死ぬ」というのがどういうことかは、自分が死んでみるまでわからない。
「老いる」というのがどういうことかも、自分が老いてみないとわからない。
私は自分が老いてきて、「老いる」というのが子どものころに想像していたのとはぜんぜん違う経験だということを身に沁みて知った。
老いるというのは「精神は子どものまま身体だけが老人になる経験」のことたったのである。
『ハウルの動く城』のソフィーの気分である。
映画の中でソフィーは「まだら老女」である。
寝ているときとロマンティックな空想をしているときだけ彼女は少女に戻る。
これは人間の老いの様態をじつに見事に図像化していると思う。
作り話ではなくて、それが人間の「ふつう」なのである。
この「まだらに」少年であったり爺であったり、少女であったり婆であったりする、「存在のゆらぎ」が老人であるということの最大の特徴である。
赤ちゃんはずっと赤ちゃんのままである。
でも、老人は赤ちゃんになったり、青くさい少年少女になったり、分別くさいおじさんや世間ずれのしたおばさんになったり、死にかけのおいぼれになったり、ちょっとした状況の与件の変化でこまめに「ゆらぐ」。
老いるということは、単線的に加齢するというほど単純なことではない。
「よく老いる」というのは、「いかにも老人臭くなること」ではない。
そんな定型的な人間になってもしかたがない。
生まれたときから現在の年齢までの「すべての年齢における自分」を全部抱え込んでいて、そのすべてにはっきりとした自己同一性を感じることができるというありようのことをおそらくは「老い」と呼ぶのである。
幼児期の自分も少年期の自分も青年期の自分も壮年期の自分も、全員が生きていま自分の中で活発に息づいている。
そして、もっとも適切なタイミングで、その中の誰かが「人格交替」して、支配的人格として登場する。
そういう人格の可動域の広さこそが「老いの手柄」だと私は思うのである。

『村上春樹にご用心』昨日発売になりました。
今日のランキングは、アマゾンで文芸で8位、総合88位。bk1では単行本総合4位。
すごいなあ。
宣伝も何にもしてないし、取次も通さない「手売り」の同人誌みたいな本なのにね。
でも、村上春樹を絶賛する本だから(そんな本これまでないし)、村上ファンはみな買うわな(ぼくだって買うもの)。
ということは400万部くらい?
スズキさん!自社ビル建つかもしれないよ。

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