キャリア教育って・・・何?

2007-09-20 jeudi

大学が始まる。
授業は28日からだが、今週からもう会議は始まっている。
木曜は朝の9時半から人事委員会。それからAO委員会。午後は取材が2件、朝日新聞の『大学ランキング』の小林さんと次の仕事の打ち合わせ。それからヒミツの会議が二つ。
ふう。
取材は2件とも今度現代GPに当たった(「GPを取った」というような主体的な表現はどうもはばかられる)副専攻制度について。
リベラルアーツとキャリア教育をジョイントした私どものアイディアが(意外にも)メディアの耳目を集めているのである。
「キャリア教育」というのはどこの大学もだいたい同じことをやっている。
「リメディアル教育」と構造的には変わらない。
「リメディアル教育」というのは「大学には入ったけれど、大学の勉強が理解できないので、困っている学生」がその段階で脱落して不登校とか退学とかしないように、大学の授業がわかるように補習をしてあげることである。
リメディアル教育が「入り口」における学生支援であるのと同じく、キャリア教育は「出口」における学生支援である。
つまり、「大学をもうすぐ出るんだけれど、仕事をするってどういうことかわからないで困っている学生」がその段階で脱落してニート化したり、「自分探しの旅」に彷徨い出たりしないように、大学が「働くっていうのはどういうことか」教えてあげることである。
むかしの大学生は大学に入るときには大学の授業についていけるだけの学力が備わっていたし、大学を出るときは職場で働くための基礎的な社会的能力は備わっていた。
今の大学生はどちらも心許ないので大学が出口と入り口で補習をするのである。
とほほである。
大学教師の仕事が増えるのも道理である。
しかし、「リメディアル」は実質的には高校の授業の「続き」であるから学生たちも自分が何をやっているのかだいたいのことはわかっている。
だが、「キャリア」はこれまで「成人の労働」をしたことがない子どもたちに「仕事をするとはどういうことか」を教えるのである。
これはむずかしい。
さらに問題を困難にしているのは、(あまり大きな声では言われないが)「働くことの意味」を教えねばならない大学教師たちの過半は学生たちがこれから参入することになる会社組織というところで働いた経験がないという事実である。
実は私もないのである。
私は大学卒業後すぐに起業して経営者になったので、新入社員の心情のようなものは理解の外なのである。
事情はどこも同じであるので、いきおいキャリア教育には「実社会で経験を積んだ社会人」のみなさんが教員として招かれることになる。
問題はこの「実社会で経験を積んだ」ということの意味である。
「実社会で経験を積んだ社会人」というのは日本に数千万人いる。
むろんその全員が学生たちにキャリア教育を施す能力があるわけではない。
教壇に立つには条件がある。
それは「実社会で経験を積んで、かつブリリアントな成功を収めた社会人」でなければならないということである。
この条件がむずかしい。
「ブリリアントな成功」を何を基準に計測するか、である。
この査定に大学の「見識」が示されるのである。
3年ほど前に「キャリア教育」のロールモデルとしてホリエくんやムラカミくんが持ち上げられたことがあった。
彼らを特別講師に招聘した大学もいくつかあったはずである。
そのような人選をした大学人諸君ははたして今おのが不明を恥じているであろうか。
たぶんもう忘れたふりをしているであろう。
これは彼らが「成功者」というときに「今、成功している人」を選んでしまうことから引き起こされる失敗である。
今日的成功者たちを「成功モデル」として学生たちに示すのはまことに愚かなことである。
学生たちはこのあと原理的には未知の社会を生きてゆくのである。
未知の経験においては、過去の成功モデルが役に立つこともあるし、役に立たないこともある。
学生でもすぐにその実効性が理解できる程度の成功モデルは現実にはほとんど役に立たない(だって、そんなこと誰でもやるに決まっているからである。誰でもやることをやっていてはブリリアントな成功は期しがたい)。
「どうしてこれが成功の条件だったか理解しがたい」ような成功モデルだけが実際には教育的に機能する。
ここにキャリア教育のパラドクスがある。
キャリア教育の教師というのは「その人が何を言っているのか、学生には意味がぜんぜんわかんない人」でなければ意味がないのである。
とりあえず学生たちがネットの情報やら「就活本」で仕込んだ悲しいほど定型的な「仕事観」を土台からうち崩すようなことを言ってくれる教師でないとキャリア教育の役には立たない。
だって、キャリアというのは就職先が決まったところで「終わる」にではなく、そこから「始まる」ものだからである。
二十歳そこそこで仕事を始めて、それをあと40年50年継続してゆくためのモチベーションはネットのリクルート情報などでは得ることができない。
仕事をするとはどういうことかについて徹底的に考え抜いて、現場で自分の仕事観の適切さを検証した人のたたずまいから学ぶしかない。
当今の学生諸君は「就職をするモチベーション」は高いが、「労働するモチベーション」は低い。
低いというか、そういうものが必要だということを学校でも家庭でも、たぶん誰からも教えられたことがないのである。
それを教えなくてはいけない。
大学教師の仕事がますます増えるわけである。
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