武道の必修化は必要なのか?

2007-09-06 jeudi

学習指導要領の改定作業を進めている中央教育審議会の体育・保健部会は4日、中学校の体育で選択制の武道を必修化する方針を決めた。
礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙い。
2011年度から実施予定。男子の武道は92年度まで必修だった。女子について必修化するのは戦後初めて。
伝統文化の尊重は、昨年12月に改正された教育基本法にも盛り込まれていた。
同部会主査の浅見俊雄東大名誉教授は「必修化で一層、日本の伝統に親しんでもらいたい」と話している。
武道とともにダンスも必修化される。
というニュースを見る。
不思議なことを考える人たちである。
武道とダンスを必修化・・・って、それって神戸女学院大学の「武術と舞踊で切り開く新しい教育の可能性」と「同じ流れ」なんですか?と訊かれそうであるが、私は(ぜんぜん)違うと思う。
どこが違うのか、その理路を述べたい。

日本の武道は近代において二度、決定的な「断絶」を経験している。
一度目は明治維新、二度目は敗戦である。
明治維新によって戦国時代以来の伝統的な身体文化の大半は消滅した。
剣道が息を吹き返すのは西南戦争において抜刀隊が示した高度な身体能力・殺傷技術によってである。
以後、軍国ニッポンにおいて武道が重きをなしたのは殺傷技術としての有効性が評価されたことと、武士の「忠君」イデオロギーが天皇制の「愛国」イデオロギーと同型のものであったからである。
この「愛国イデオロギーに強化された殺傷技術」としての武道は敗戦によってGHQによって壊滅的に破壊された。
50年代に武道が学校体育で復活するのは「スポーツ」としてである。
何のイデオロギー性もなく、単に筋骨を壮健にすることをめざすスポーツであるという限定条件を受け入れることで武道は復活の許可を得た。
それから半世紀、日本の武道の主流は「スポーツ」であり続け、それは他の外来の競技(フェンシングやボクシングやレスリングなど)と本質的な違いのないものと認定されてオリンピック種目にもなった。
種族に固有の伝統文化であることを放棄する代償として、国際的認知を得たのである。
柔道や相撲における外国人選手の活躍や、トップアスリートが引退後に「K-1」のラスベガスのリングでご活躍になっている様子などを見れば、これらの武道がとりたてて「伝統文化」の精華たらんとする意思を持たないことはうかがい知れる。
だとすると、中教審が「伝統文化」への回帰のための方途として意味する「武道」というのは、現代のこの「スポーツ武道」のことではない、ということになる。
とすれば、彼らが考えているのは大日本武徳会的な「戦前の武道」のことであろう。
しかし、これも私は「伝統文化」だとは思わない。
というのはここには、中世以来洗練されてきた身体文化のうちもっとも枢要な部分が排除されているからである。
それは、人間の蔵するポテンシャルを開花させ、潜在意識レベルでのコミュニケーション能力の開発する技法である呼吸法、瞑想法、錬丹法などである。
それは軍国主義国家における強兵の錬成のためには不要のものだからである。
兵士がふと宇宙的瞑想に入り、戦争のさなかに突然大悟解脱して「万人は愛し合わねばならない」と言い出したりされては困る。
だから、武徳会系武道では伝統文化のうち「霊的成熟」にかかわる技法は組織的に排除されたのである。
中教審の体育・保健部会におられる「武道専門家」の方々は、この点についてはどうお考えなのであろう。
幕末以前の日本の伝統的な身体文化に立ち戻ることをめざしているのなら、私はこの答申に賛成である。
けれども、この中教審の方々は明治維新の武道と以後の武道の間に存在する「クレヴァス」について、どれほど自覚的なのか、それが私には不安である。
上に書いたように、明治維新のときに伝統的な武道文化はほぼ消滅した。
それについて山田次朗吉は『日本剣道史』にこう書いている。

「政治経済軍制教育風俗次第に推移の歩武を運んでゆく中に、剣道は其命脈をいかに維ぎつつあつたか。顧みれば頗る悲惨の影響を蒙つたのである。(…) 剣術を以て市井に道場を張れる浪人輩の如きは、皆生活の方針に迷はざるを得ざるありさまであつた。(…) 昔は弓馬槍剣は軍事の唯一の道具であつたが、洋式輸入の後は銃戦と変じて槍剣は第二と下落した。随て之を学ぶ者も自ずから重きを致さぬ所以である。」

明治初年に伝統的な流派のほとんどは消滅し、そのあと復活したのは「強兵」をつくるために特化された「異常な武道」である。
中教審が再興しようとしているのが、この「異常な武道」であるのなら、私はそれに反対する。
このようなものをいくら復興しても、私たちが得るものは何もないからである。
昭和18年、大陸戦線での合気道門人のあまりの「殺傷技術の高さ」に感動した陸軍幹部が合気道の植芝盛平開祖のもとを訪れた。
剣道、柔道を廃し、今後軍事教練では合気道を必修にする計画への協力を申し出たのである。
開祖は激怒して、「それは日本人全員を鬼にするということである」と一喝して、そのまま東京を去って、岩間に隠遁してしまわれた。
この開祖の怒りに共感できた人が当時の日本の武徳会関係者のうちにどれほどいただろうか。
私はきわめて少なかっただろうと思う。
ほとんど存在しなかっただろう。
「日本人全員を鬼にする」ような種類の「異常な武道」を中教審が「復興すべき伝統文化」だと考えているのだとすれば、それは短見であると言わなければならない。
学校体育における武道はどうあるべきかについて明治維新以降もっとも真剣に考えたのは、私の知る限りでは、講道館柔道の開祖である嘉納治五郎先生である。
嘉納先生が大正末年から昭和のはじめにかけて書かれた「学校体育における武道の堕落」を慨嘆する胸痛む文を読んだことのある人は中教審の中に果たして一人でもいるのであろうか。
「武道は日本が誇る伝統文化である」というようなことをしたり顔で言う前に、その「伝統文化」を明治以降私たち日本人自身が国策としてどのように破壊してきたのか、その破壊のすさまじさを確認するところから始めるべきなのではないのか。
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