安倍首相辞任のテレビニュースを見ていたら、ほとんどの人が「罵倒」に近い言葉づかいで政権放棄のていたらくを難じていた。
私は安倍晋三という人はかなり無能な首相であったし、政治的判断を誤り続けていたと私も思うが、ここまで日本中で悪し様に言われると、ちょっと気の毒になってくる。
テレビ・ニュースで、マイクを向けられた渋谷の女子大生が「お疲れさまだよね」とぽつんとつぶやいていた。
思わずテレビ画面にむかって「おまえ、いいやつだな」と声をかけてしまった。
たいせつだよ、そういう態度は。
「水に落ちた犬を打つな」だか「水に落ちた犬は打て」だったか、この魯迅が言い出したということわざの正しい使い方が私にはよくわからないが(麻雀では「水に落ちた犬は打って蹴って沈めろ」が大原則であるが)、今の場合は「水に落ちた犬は打つな」を採りたい。
彼は総理大臣になるべき人ではなかったのである。
多少は彼自身も求めたことであろうが、実質的には「担がれた」のである。
「仲良し」はいても子飼いの一族郎党を持たず、主要閣僚の経験さえない当選5回の51歳の代議士は冷静に考えれば総理大臣には適任ではない。
担いだ諸君は「担ぎやすかった」から担いだのである。
彼を担いだときの自民党議員たちが挙げた第一の理由は「来年七月の参院選の顔」というタレント性だった。
「戦後レジームからの脱却」すなわち改憲と愛国イデオロギー教育の強化はたかだか第二の理由にすぎなかった。
第三の理由は(誰も大きな声では言わないが)、安倍を担いでいるかぎり、首相は「担ぎ手」の動きには一切制約をかけないし注文もつけないという「フリーハンド」が確保されていたことである。
小泉純一郎という「フリーな総裁」の準・強権政治の下で、自民党議員たちは首相の顔色を伺うことにいささかうんざりしていたのである。
顔色を見なくてもいい総裁。
それが安倍晋三を担いだ第三の(けっこう大きな)理由である。
だから、7月29日の大敗で、彼の存在理由はもう実質的にはゼロになっていたのである。
あのときに「続投」という最悪の選択を誰が首相の耳元に囁いたのか、私は知らない。
というのは、あそこで辞任していたら、民主党の岡田克也と同じように、「あのときの引き際がよかったので・・・」ということで「再登板」リストの高い順位に残ることができたからである。
それを「させない」で、安倍晋三の復活の芽を完全にツブすために無意味な続投を勧めたやつがいる。
誰だろう。
少なくとも麻生太郎は続投(という安倍にとって致死的な選択肢)にきっぱりと賛成したはずである。
彼のような党内基盤の弱い総裁候補にとっては、安倍が突然辞任して、政局混乱の中、短期決戦でばたばたと総裁を選出するという局面がいちばん有利だからである。
「結局、誰が安倍をいちばん美味しく料理したのか?」
たぶん、昨日の夜あたり赤坂の料亭では赤ら顔の議員たちがそんな話に興じていたのであろう。
気の毒な話である。
お疲れさまだよね。
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(2007-09-13 18:30)