今年のはじめに『AERA』の取材があり、そこで「今年注目する人を3人」挙げてくれと言われたことがあった。
個人的には「るんちゃんの結婚」とか「ヤマモト画伯の勝率」とか「K林の卒論」とか「T村の就職」とか気がかりなことはあるのだが、そのような固有名を挙げても『AERA』読者には意味不明であろう。
しかたがないので、とりあえず「福田康夫」と答えた。
安倍政権誕生のときの総裁選出馬引き際を見て、「この人は『あのとき、私は潔く身を引いて町村派内の一本化に協力したでしょ』という『貸し』を派閥のオーナーに作っておいて、『次』のチャンスに利子をつけて引き出す気なんだな」と思っていたからである。
参院選大敗のあとに安倍批判もしなかったかわりに、改造内閣でも入閣を固辞した。
安倍政権は短命であろうと彼も読んでいたのである。
そして文字通り「音無の構え」で1年堪え忍んだあと、突然の首相辞任のあと、水を向けられると遅疑なく「みこし」に乗った。
このあたりの潮目を見る眼の確かさはかなりのものである。
麻生幹事長は「げ、死んだふりをしていた爺にいきなり寝首をかかれた」といまごろ地団駄踏んで悔しがっていることであろう。
政敵にダメージを与えるタイミングのはかり方もなかなかのものである。
福田政権は安倍政権ほど短命ではないであろうと私は思う。
ぎりぎり衆院過半数は維持できる見通しがたつまで衆院解散はしないだろう。
衆院解散のタイミングを決定することが福田に託された第一の政治的使命である。
いつ解散するか。
解散をする「大義名分」があり、かつその時点で内閣支持率が高止まりしているという二つの条件が必要である。
その潮目を見極める眼を自民党は福田康夫の批評性に託そうとしているわけである。
すでにメディアは自民党党内闘争報道一色である。
劇場型政治においては「(功罪を問わず)メディア露出度の高い政治家が知名度において圧倒的に有利」(ということは「次の選挙で有利」)なのであるから、参院選大敗のあと、私は自民党の諸君に激烈な合従連衡の党内闘争をお勧めした(ちょっと遅かったけれど、そうなった)。
自民党の強みは血で血を洗う党内闘争をしながら、首班指名では一本化するということができる点にある。
というより、最終的な党の結束が担保されているからこそ、いくらでも寝首を掻き切り合うような党内闘争ができる。
自民党という政党が最戦後一貫して日本の与党であり続けてこられたのは実はこの政党だけが「自分と意見が違っても、機関決定には従う」という「民主主義のルール」にある意味愚直なまでに忠実だったからなのかも知れない。
そういえば、『AERA』の「今年注目する3人」の残り二人は甲野善紀先生と大瀧詠一師匠でした(今年だけじゃなくて、毎年注目してます)。
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(2007-09-14 10:46)