BlogNagayaLinkaGuestsColumnsBookMovieSeminarBudoPhotoArchivesProfile

« 2007年11月 | メイン | 2008年01月 »

2007年12月 アーカイブ

2007.12.02

お正月向き大学人

鷲田清一先生とお正月用の対談。
これは「三社連合」(不穏な名称のような気がするのは私たちの世代の人間だけであろうか)の企画。
北海道新聞、中日・東京新聞、西日本新聞三社が記事を共同配信する機構である(そのようなものがあるとは知らなかった)。
合計部数600万。
お正月用にどさっと三日分配達されるのがありますね。
あの中に見開き2頁で鷲田先生と私が「日本の夜明け」について談論風発しようではありませんかというナイスな企画である。
同一の企画が三社連合の一週間ほどあとに某大新聞から来た(こちらは申し訳ないがお断りした)。
お正月紙面にはやはり鷲田先生や私のような「さあ、みなさんどっと陽気に参りましょう」系の面立ちの人間が好まれるのであろう。
別にいつもにこにこ脳天気というわけではない。
私たちは(規模も偉さも違うが)それぞれ大学の管理職として、また「はいはい書きます」空約束の履行を求める債鬼たちの責め苦で日々胃に穴が開くようなストレスのうちで息も絶え絶えに執務しているわけであるが、それでも笑みを絶やさないのである。
鷲田先生の豊かな笑みの下にどのような反骨の気骨がひそんでいるかは先生のご著書を一読した方はどなたもご存知であろう。
「わし、この世にこわいものなんかないけんね」的な不羈の血のたぎりを鷲田先生はゆるやかな温顔に包まれている。
そのような「根はワルモノだが、ふだんは温厚な紳士」であるところの二人による対談は「幼児化する日本人をどうやって成熟に導くのか」というような包括的なテーマを与えられて、それをめぐるものであった。
「成熟」が主題になるという傾向は私のたいへんよろこぶところである。
成熟とことの理非は別の次元に属する。
どれほど理路整然と「正しいこと」を言い募っても、「こどもの言い分」はなかなか世間に通らない。
それは「子ども」が自分たちが拠って立つところの「システム」に対してもっぱらその影響をこうむる「被害者・受苦者」という立ち位置を無意識のうちに先取するからである。
つねづね申し上げているように、年齢や地位にかかわらず、「システム」に対して「被害者・受苦者」のポジションを無意識に先取するものを「子ども」と呼ぶ。
「システム」の不都合に際会したときに、とっさに「責任者出てこい!」という言葉が口に出るタイプの人はその年齢にかかわらず「子ども」である。
なぜならどのような「システム」にもその機能の全部をコントロールしている「責任者」などは存在しないからである。
「システムを全部コントロールしているもの」というのは、自分が被害者である以上どこかに自分の受苦から受益しているものがいるに違いないという理路から導かれる論理的な「仮象」である。
これを精神分析は〈父〉と呼ぶ。
〈父〉がすべてをコントロールしており、〈父〉がこの世の価値あるもののすべてを独占しており、「子ども」たちの赤貧と無能・無力はことごとく〈父〉による収奪と抑圧の結果であるというふうに考える傾向のことを「父権制」イデオロギーと呼ぶ。
その点ではマルクス主義もフェミニズムも「左翼的」な「奪還論」はすべて「父権制」イデオロギーである。
「父権制」イデオロギーは当たり前であるが、父権制を批判することも、もちろん父権制を解体することもできない。
〈父〉を殺して、ヒエラルヒーの頂点に立った「子ども」はそのとき世界のどこにも「この世の価値あるもののすべてを独占し、〈子ども〉たちを赤貧と無能・無力のうちにとどめおくような全能者」が存在しなかったことを知る。
どうするか。
もちろん自ら〈父〉を名乗るのである。
そして、思いつく限りの収奪と抑圧を人々に加えることによって、次に自分を殺しに来るものの到来を準備するのである。
というのは、彼または彼女が収奪者・抑圧者〈父〉として「子ども」の手にかかって殺されたときにはじめて、彼または彼女は〈父〉が彼らの不幸のすべての原因であったという「物語」が真実であったことを身を以て論証することができるからである。
〈父〉を斃すために立ち上がったすべての「革命家」が権力を奪取したあとに、〈父〉を名乗って(国葬されるか、暗殺されるかして)終わるのは、〈父〉の不在という彼ら自身が暴露してしまった真実に「子ども」である彼ら自身が耐えることができなかったからである。
「父権制社会」を創り出すのは父権制イデオローグであり、彼らはみな「子ども」であり続けようとしたせいで不可避的に〈父〉の立場になってしまうのである。
気の毒だが、そういうものである。
「子ども」でも何かを破壊することができる。
でも、彼らが破壊したあとに建設するものは、彼らが破壊したものと構造的には同一で、しばしばもっと不細工なものである。
もちろん「「子ども」には「子どもの仕事」がある。
それは「システム」の不具合を早い段階でチェックして、「ここ、変だよ!」とアラームの声を上げる仕事である。
そういう仕事にはとても役に立つ。
でも、「システム」の補修や再構築や管理運営は「子ども」には任せることはできない。
「ここ変だよ」といくら叫び立てても、機械の故障は直らない。
故障は「はいはい、ここですね。ではオジサンが・・・」と言って実際に身体を動かしてそのシステムを補修することが自分の仕事だと思っている人によってしか直せない。
現代日本は「子ども」の数が増えすぎた社会である。
もう少し「大人」のパーセンテージを増やさないと「システム」が保たない。
別に日本人全員に向かって「大人になれ」というような無体なことは言わない(そういうめちゃくちゃなことを言うのは「子ども」だけである。「大人」はそんな非常識なことは言わない)。
まあ、5人に1人か、せめて7人に1人くらいの割合で「大人」になっていただければ「システム」の管理運営には十分であろうと私は試算している。
今は「大人比率」が20人に1人くらいまで目減りしてしまったので、この比率をもうちょっといい数字まで戻したいだけである。
「そういうのだったら、それやってもいいです」という奇特な方が若い人の中から少しばかり出て来ていただければ、それで十分である。
残りの諸君は愉快に「子ども」をやっていてくださって結構である。
というような話で盛り上がるが、もちろんこんな話は掲載されぬであろう。

2007.12.04

忙しい週末

土曜日は森永一衣さんのリサイタルで大阪倶楽部へ。
ここは二回目。
去年は山本画伯が退院直後で、それこそ「骨と皮」のように痩せこけていて、ほんとうにびっくりしたのであるが、あれから1年、ずいぶん肉もついて、容貌はもう以前と変わらない。
画伯は先年医者にお酒を止められたときに、「もう人が一生飲む分の三倍くらい飲んだから・・・」と自分に言い聞かせた「三生男」であるが、いずれ遠からず「四生目」に突入することであろう。
打ち上げは天満の「天平」。
楠山さんご夫妻、尾中さんご夫妻、岡崎さんという「いつもの打ち上げメンツ」に、今回はドクター佐藤、飯田先生ご夫妻に、ゼミのタムラくんなど総勢20名が森永さん、ピアノ篠崎愛恵(「いとえ」とよむのだよ)を囲んで集まった。
楠山さんの名刺を探してロロデックス(くるくる回る名刺整理用の文房具あるでしょ)をくるくる回したら「K」の項目のメンバーの濃さにちょっとくらくらした。
だって、私の名刺入れの「K」のところにいる人というのは
甲野善紀、康芳夫、加藤晴之、桑村肇、菊池史彦、小林昌廣、窪田育弘、小堀秋、江弘毅、工藤俊亮、春日武彦、川上盾、國分徳彦というような名前の方々なのである。
このネームリストを示して「さて、名刺入れのKの項目にこのような名前を並べている人といったら、それはいったい誰でしょう?」というクイズをしたら、たぶん一発正解できる人が日本に35人くらいはいるはずである。
それにしても甲野、康、加藤、桑村という最初の四人がめっちゃ濃いですね~(おおかたの読者はそれがどれくらい「濃い」かご想像もつかぬであろうが、あなたの想像する「濃さ」を6倍したくらいのものを想像していただければよろしい)。
甲野、康、桑村三氏の鼎談を『週刊現代』でやったらどのようなワイルドな世界が展開することであろうか。
ああ読んでみたい。
日曜はひさしぶりのオフ。
日曜がオフなのは10月28日以来のことである(その前にオフだったのは9月2日)。
3ヶ月に2日しか休みの日曜がない。
オフなのでもちろん朝から仕事をする(どこがオフなんだ~)。
文春のヤマちゃん本(『ひとりでは生きられないのも芸のうち』)の初校ゲラにさくさくと赤ペンを入れる。
月末締め切りだったのだが、それを月曜締め切りに延ばしてもらって、日曜にやっているのである(間に合わないじゃん)。
たいへんに面白い。
「肉」に関する考察があり、これが「地雷」を踏む可能性があるというので、ヤマちゃんがだいぶナーバスになっている。
わが国には二種類の「地雷」があり、クレバーな書き手はこれについてはできるだけ言及しない。
「地雷」が現に活発に機能しており、うかつに踏むと出版業務に支障を来たし、担当編集者の胃に穴があくというのは厳然たる事実であるから、そういう事態を避けるべく警戒心をもつのは常識ある社会人として当然のことである。
しかし、その場合でも「地雷原」のマップについては冷静な観察が必要であろう。
「どれほど近くに踏み込めるのか」という構えでこの問題に接近するのと、「どこまで遠くにいれば安全か」という構えでこの問題に接近する(というか接近しない)のとでは、警戒心のありようが違う。
扱いづらい問題があるのは事実であるけれど、それでも「どこまで近づけるか」を検証することのほうが、「どこまで遠くにいれば安全か」に心を砕くよりも問題の解明にとっては生産的だろう。
私が書いたのは、どうして人は屠畜・食肉処理というプロセスから「目を逸らせようとするか」という問いをめぐってである。
牧畜・屠畜・食肉加工にかかわる社会集団がつよく宗教的・政治的に有徴化して、魅惑と忌避のアンビバレントを呈する事例は世界の各地で見ることができる。
中世の牛飼いがそうだし、アメリカのカウボーイがそうだし、ラ・ヴィレットの屠畜業者たちがそうだ。
モレス侯爵が19世紀の終わりにラ・ヴィレットの屠畜業者たちにカウボーイの制服を供与して世界最初のファシスト組織「モレス盟友団」を組織したのは決して偶然ではないと私は思っている。
彼は何をしようとしたのか?
私の答えは「彼は人間たちに罰を与えようとした」というものである。
なぜ人間は罰されねばならないのか。
その答えを知りたければ本を買って読みたまえ。
読んで、びっくり(書いた私だってびっくりしたくらいである)。
午後はかなぴょんの合気道芦屋道場の演武会(もう4回目)。
毎年お呼び頂いて「説明演武」というのをしている。
どうしてみなさまのお子たちは合気道を稽古せねばならないのか、その理路を保護者のみなさまに説く。
新興宗教の教祖講話か予備校の進路指導担当者講話ようなものとご理解いただければよろしい。
演武快を無事終えて、「ふるふる」で打ち上げ。
のぶちゃんとタカオとおしゃべり。
お二人とも気錬会仕込みのクリスプでブラックなユーモアの持ち主なので、私の態度の悪さと波長がよく合う。
かなぴょん、ウッキー、クーさん、おいちゃんをオーディエンスに1時間半笑い続け。
今年は多田塾合宿に行けなかったので、「気錬会の諸君を相手に神をも恐れぬ毒舌をふるう」という楽しみを逸したが、その分を取り返した。ああ面白かった。
家に戻ってまたゲラ直し。
こりこり。

2007.12.06

オフなので今日も仕事だ

オフなのだが締め切りが二本たまっているので、早起きして原稿書き。
まず本日締め切りの「エピス」の原稿。
今回は『シルク』。
たいへんよい映画なのであるが、致命的な瑕疵がある。
それについて書く。
私がこの映画評のコラムで批判的なことを書くのはたぶんはじめてである。
どんな映画でも「よいところ」は探せばあるので、それ「だけ」書いてきたのであるが、『シルク』は「それ以外」にほとんど欠点のない例外的にすぐれた映画なので、あえて今回に限り欠点について論じたのである。
それはそれだけこの映画の完成度が高いということであり、それと同時にこの映画の瑕疵がこの映画だけの固有の問題ではなく、現代文明のかかえる病根に通じていると思ったから、論じるに値すると思ったのである。
その原稿の一部を転載する。
(・・・)でも、人間の声の魅力を最大限に引き出した映画だからこそ僕はある違和感を報告しないわけにはゆきません。
それはフランス人であるエルヴェ(マイケル・ピット)も幕末の奥羽山中の人である役所広司も滑らかなアメリカ英語を話すことです。
極東の島に絹を求めて来たフランスの青年が経験する「現地の言葉がわからない」という状況が劇の軸であり、かつ「大どんでん返し」の伏線である物語で、これほど易々と言語の壁が越えられてしまってよいのでしょうか。
フランス人はフランス語を話し、日本人は日本語を話す。
それでもその間に深い感情の交流が成立する、という奇妙な味わいの物語であるはずなのに、その劇的な言語障壁が「リンガ・フランカ」である英語を、フランス人も日本人もオランダ人も、登場人物たち全員が流暢に話すことですらすらと解決されてしまう。
これはちょっとまずいんじゃないかと僕は思いました。
異邦の言語の理解しがたさ(とそれゆえの魅惑)と声の美しさが主題である映画で、フランス語という(英語話者にとっての)異言語の音声の手触りと美しさが完全に無視されていることに僕は一抹の悲しみを覚えたのでした。(ここまで)
監督のフランソワ・ジラールは(名前からわかるように)カナダのケベック出身だからCanadien francophone(フランス語を話すカナダ人)である。
その監督が、フランスが舞台で、フランス人が主人公の映画であるにもかかわらず(おそらくは興行上の理由で)、フランス語を使うことができなかったというのがどんな気分なのか。
私にはうまく想像できない。
主人公が日本人に置き換えて考えてみよう。
映画の中で、日本人はなぜか全編(日本人同士でも)英語を話す。フランスに行っても、そこで英語を話す人に出会ってさくさくとことが進む。でも、好きになったかわいいフランスの女の子は英語が話せないので、気持ちがうまく通じない・・・
という映画を見たら、「変なの」と思いませんか?
それが「言語障壁で気持ちがうまく通じない物語である」と説明されても、「それはなんか違うでしょ」と言いたくなりませんか?
というふうに考える私が変なのだろうか。
うん、きっと私が間違っているのであろう。
『シルク』の映画評を送稿して、ただちに池上六朗先生の『カラダ・ボンボワイヤージ』の復刻版の解説文にとりかかる。
池上先生について書くのは愉しい。
さくさく書いているうちにあっというまに10枚を超してしまう。
ただちに送稿。
ばたばたと着替えをして大阪の府立清水谷高校へ。
ここの人権研修会に講師としてお招きいただいているのである。
教育崩壊と市場原理について一席。
子どもの成長のためには「わけのわからないことをいう大人」が複数目の前に立ちはだかって子どもを深い混乱のうちに叩き込むことが必要であるという話をする。
という話をしてから家に帰って井上雄彦の『バガボンド』を読み返していたら、武蔵が吉岡清十郎と斬り合うところで、それまでロール・モデルとして新免無二斎しかいなかった武蔵の頭の中に、柳生石舟斎と宝蔵院胤舜というふたりの「じじい」の幻影が出て来て、それぞれが「あーだこーだ」とわけのわからないことを言い、ふたりが武蔵に向かってそれぞれ「そうじゃないこうだ」と違うことを言い出すので、武蔵が混乱して困っているうちにいつのまにか清十郎をばっさり斬ってしまうという場面が出て来た。
おお、井上くん、君もそう思うのか。
そうなのだよ。
単一のロールモデルを後追いしたり、否定したりしているだけで子どもは成長できない。
ロールモデルが複数になり、そのそれぞれが「違うこと」を言い始めるときにはじめて人間は成長のプロセスに入る。
より厳密には「複数のロールモデルを許容しうる」という事実そのものがすでに成長のプロセスに一歩を踏み入れていることの証拠なのである。
いつも申し上げていることであるが、「矛盾」というのは「あらゆる盾を貫き通す矛」と「いかなる矛もはねかえす盾」の二つが同時にそこに存在することなしには、矛も盾もその性能を向上させることができないという事況を指している。
「そこそこの盾」と「そこそこの矛」をばら売りしている限り、盾にも矛にも向上はない。
アメリカとソ連が「宇宙開発競争」をしているときに、宇宙工学は飛躍的に進歩した。
ソ連が崩壊して、宇宙工学がアメリカの独壇場になったとたんに、NASAはまったくイノベーションができない組織になってしまった(予算も削られたし、不祥事も相次いだ)。
そういうものである。
ロールモデルが複数併存して、それが相互に否定しあうゼロサム関係にあるときに、人間はもっとも成長する。
これは人間を「人材」とか「製品」と考えている人間は理解不能であるが、人間を人間だと見ている人間にとっては「当たり前」のことである。
教育改革がことごとく失敗したのは、人間を造型するためには標準的な「単一モデル」を与えればいいと考えたスカスカ頭が教育行政の上の方に大量にわだかまっていたせいである。
彼らは人間は「カンヅメ」とは違うという基本的なことがわかっていなかたのである(今でもわかっていない)。
どこの世界に自己組織化する「カンヅメ」が存在しようか。
経験的には誰でも熟知しているはずのこの人間理解がいまだ「常識」に登録されていないということがわが国の教育の不幸なのである。
谷町六丁目から長駆宝塚南口へ。
元・聴講生の光安清登さんの美容院Antenne sur Vogue にお邪魔して、カットと頭皮マッサージをしてもらう約束があったのである。
光安さんに芸術的にカットしてもらう。
光安さんとしてはもうちょっとロングにしたいという「ウチダ頭改造計画」をお持ちらしいが、それは来年にやってもらうことにする。
オイルを塗って頭皮をいじってもらううちに、どっと疲れが出て半睡状態となる。
ううう極楽。
家に帰ると『チェインドヒート・コンプリート』がアマゾンから届いている。
シビル・ダニング姐さん映画である。
私はあまり公言できないことだが(しているが)、シビル・ダニング、ダイアン・“イルザ”・ソーン、ステラ・スティーヴンス(“砂漠の流れ者”よろしおましたな)というあたりのライン(わかりますよね)が好みなのである。
『チェイン・ヒート』にはシビル姐さんとステラ姐さんが併せて出ておられる。
まことに眼福。

2007.12.07

舞踊専攻の第二回公演を見に行く

音楽学部舞踊専攻の第二回公演に行く。
「RUN」「Rêvez en décembre」「Here we are!」という島崎徹構成・振付・演出の「ぜんぶシマザキ」世界の三部構成。
「Here we are!」は今年の二月のミリアム館での第一回公演のときに観客を驚嘆させたプログラムである。
また「あれ」が見られるのか・・・と、ちょっとどきどき。
西宮芸術文化センターに行くのは、これがはじめて(19日にはここの小ホールに私も出演することになっている)。
入り口近くウッキー、ヒロスエ、エグッチに会う。中に入ると合気道部の諸君がぞろぞろやってくる。
みんながこれを見たいというので今日のクラブを休みにしたのである。
サキちゃんたち合気道部員の何人かは村越先生のクラスで今コンテンポラリー・ダンスを習っている。
合気道部は「裏・演劇部」として久しく学内の演劇活動をアンダーグラウンドで担ってきたのであるが、これからは加えて「裏・ダンス部」ということになるのかもしれない。
最前列に並んでわくわく待っていたら、アート・マネジメントの学生たちがぞろぞろやってくる。
アートの学生が二名出演しているというので応援に駆けつけたそうである。
副専攻のコースの学生たちがこういうふうに仲良くなるのはたいへんに結構なことである。
これも山本画伯の教化よろしきを得た成果であろう。
この子たちは今学期が山本浩二画伯、来年は小林昌廣先生とかんちきくんに指導される。
果たして彼女たちが一年半後にどのような人間的成長を遂げられているのか、楽しみなことである。
私が担当しているメディア・コミュニケーションの16人は第一学期が私、第二学期が江弘毅さん、第三学期には関川夏央さんが指導を担当する。
これまた一年半後にどのように仕上がってしまうのか、想像を絶するのである。
そうこうしているうちに幕が開く。
あっというまに2時間の公演が終わる。
ほてった頭をクールダウンするためにウッキーとヒロスエをつれてビールを飲みに行く。
とりあえず「舞踊専攻と島崎先生に乾杯!」とグラスを乾す。
こういうものを見た後、人間は多弁になる。
どこがどういうふうに「よい」のかについて、それぞれ思うところを語る。
彼女たちはまるで明日から法律で踊ることが禁じられた国の最後の夜の最後の舞台にいるかのように踊っている。
踊ることがもたらすすべての快楽を今この場で味わい尽くさずば止まずという意気込みで踊っている。
これはすごいことである。
技術的に高いことをさせることは可能である。
豊かな感情表現のしかたを教えることも可能である。
けれども、今自分がこの舞台で、この動きをしていることは生まれる前から決まっていた宿命であると確信して踊るというようなマインドは外側から教え込むことができない。
それは教えている当の先生が、今教えていることを自分自身の宿命であると確信していなければ、決して教わる人間には内面化されない。
島崎先生の偉大性は先生が驚嘆すべき技術と感覚を持っているということによってではなく、そのリソースを他ならぬ今ここでこの子たちに注ぎ込むことが自分の宿命であると深く確信していることに存するのである。

2007.12.08

イタリアンはどうして美味しいの?

金曜日は歌のレッスンとゼミと会議。
1年生のゼミはとっても面白い。
今日のテーマは「食文化」。
「スローフード」とか「食品偽装」とか「食べ物」ネタが女子学生たちは好きである。
イタリア料理はどうしてこんなに美味しいのかという剛直球一本勝負のプレゼンがある。
もちろん、大学一年生の諸君のプレゼンであるから、どうしてイタリア料理が美味しいのかについて私を納得させられる説明を期待することはむずかしい。
イタリア人はそうやって彼らの伝統的な食文化を守っているのですというような定型的なフィニッシュのあとに「それは違うよ」と申し上げる。
まず学生諸君に質問だ。
次の食材のうちヨーロッパ原産のものはどれであろうか。
トマト
タマネギ
オリーブ
ジャガイモ
キャベツ
小麦
胡椒
唐辛子
ヨーロッパ原産というときの原産はとりあえず「紀元前後にはもう地中海世界で食されていた」という「ゆるい」定義にしておいてよい。
では一分間差し上げるから考えてみたまえ。
はい一分経ちました。
この中で植物学的な意味でヨーロッパ原産のものはオリーブとキャベツだけである。
小麦は西アジア原産、タマネギも中央アジア原産。ただし、どちらも紀元前にはすでに地中海世界に到来しているので、ヨーロッパの食材と言ってよろしいであろう。
しかし、残りは違う。
イタリア料理に欠かせないトマトはごく最近導入された食材である。イタリアの食文化はトマト抜きでは考えられないということでよろしいなら、私たちが「イタリアン」と呼ぶものは18世紀以前には遡ることができぬのである。
コルテスがメキシコから種を帰ったのが始まりであるとされている。
有毒植物であるベラドンナに似ているため、最初は有毒のものとみなされ、もっぱら観賞用とされたが、イタリアで貧困層のために食用にようと考える人が現れ、200年にも及ぶ品種改良を経て現在のかたちとなった。
ヨーロッパで広く食用に供されるのは18世紀以降のことである。
ジャガイモも16世紀にスペイン人がヨーロッパに持ち込んだものである。
唐辛子の種は1493年にコロンブスが新大陸からヨーロッパに持ち帰った。
インド原産の胡椒がヨーロッパの食卓にふつうの食材として登場したのは大航海時代以降である。
これで分かるだろう。
どうしてイタリア料理が美味しいのか。
それは大航海時代に世界中の食材がジェノヴァ、ベネチア、ナポリなどのイタリアの貿易港に集まってきたからである。
世界中から到来する奇々怪々なる食材をかたっぱしから調理してしまったということによってイタリア料理はそのレシピを豊かなものにしていったのである。
食文化を高めるというのは、食材や料理法の伝統を墨守することではない。
もし地中海世界のヨーロッパ人たちが彼らの「伝統的な食文化」を後生大事に守っていたら、私たちの食膳にはジャガイモもトマトも唐辛子も胡椒も載っていないのである。
しかし、イタリア料理はある段階でそのダイナミックな進化のプロセスを止めてしまった。
もう十分に美味しいもののレシピを満たしたから、これはこれで「上がり」になってもよろしいであろう。
それから後、外部から到来する食材をかたっぱしから調理し、あらゆる調理法を試すという「食文化のアヴァンギャルド」を担っているのは自慢するわけではないが、わが豊葦原瑞穂の国である。
食文化とは「守る」ものではない。
それは創り出すものである。
その点で私は「伝統的な食文化を守りましょう」というイタリア発のスローフード運動のスローガンにあまりよい感じを持つことができないのである。
大航海時代のイタリア人の無節操な悪食によって洗練の極みに達した食文化である。いまさら「外来の変てこな食い物は食べるべきではない」とか言い出すのはことの筋目がおかしいのではないか。
もちろん、これ以上改良の余地のない食材やレシピというものは存在する(自転車やこうもり傘や鋏やミシンのように・・・って、ロートレアモンが並べた「無関係グッズ」って「これ以上改良の余地のないもの」という点では同一カテゴリーに属するものだったんだね。これはお父さん今日まで気づきませんでした)。
だから、あらゆる食文化は日に日に変化を遂げてゆかねばならぬ、というような無体なことを私は言いたいわけではない。
改良の余地のないまでに洗練の極に達するということはあるだろう。
それはそれで大切にしたい。
けれども、人間が作り出すもののほとんどにはつねに改良の余地があると私は思う。
そして、改良はつねに外部から到来するものに対する開放というかたちを取るのである。
授業のあとは7時半まで長い会議。
途中、議長席ではないところで坐る機会があったので、たちまち爆睡。
疲れているのである。
身体の芯の方に「どよん」と疲れがわだかまっている。
休みたいけれど、議題が議題だけにそうもゆかない。
いつになったらゆっくり休める日が来るのであろうか。

2007.12.12

19回目の断筆宣言

12月は原稿締め切りが8本、校正が2冊、講演が2つ、取材が4つ、舞台が1つ。そのあいだに週四日授業をやって、無数の会議があり、大学基準協会に提出する官僚的作文とそのチェックがあり、合気道、杖道、能楽のお稽古があり、宴会があり、甲南麻雀連盟の年間王者争奪戦があり、煤払いと年賀状300枚にネコマンガを描く年末行事も控えている。
そこに毎日のように新規の執筆依頼、講演依頼、出演依頼がある。
もちろんほとんどはお断りしているのであるが、どうしても断り切れない事情のものも散見(どころではない)される。
私が「このままでは死んでしまう」と思うのも当然であろう。
というわけで発作的に(「またかよ」)2007年度末までのすべての新規事業の停止をここに謹んで宣言することとした。
次の仕事は4月以降ということで、ひとつご勘弁を。
むろん、今でもものを書く時間がないわけではないし、講演したり、人と会ったりするくらいのことはできないことではない。
けれども疲れてくると、だんだん「芸が荒れてくる」のである。
「荒れるほどの芸があるのか」というようなにくさげなることを言うものではない。
私の「荒れる」は語義とおりの「荒れる」であって、「暴力的になる」という意味である。
疲れ切った私を最後に奮い立てせてくれるのはもはや「攻撃性」しかないからである。
こんなことを書いたらどれほど青筋を立てて怒る人がいるだろうか・・・とか、この原稿を受け取った編集者はどれほど私に原稿依頼したことを後悔するであろうか・・・そういう不埒な妄想だけが私の命の残り火を賦活することができる。
結果的に、私が疲労困憊の中で書いたテクストは物議を醸し、デスクを激怒させ、しばしば編集者との怒号のやりとりのうちに「おめえのとこなんかに二度と書くかよ、バーロ」的な非社交的な別れの言葉を告げねばならぬ・・・といった事態が頻発することになるのである。
そういうテクストが「好き」という奇特な読者もいないわけではないし、私とて自分の攻撃性については「ききわけの悪い孫をやさしくみつめる祖父」のような慈愛にみちた態度をキープしている。
しかし、心優しいエディターたちはとんだとばっちりであるし、私も彼らを苦しめるのは本意ではない。
というわけで、私はこれ以上に「芸が荒れる」ことを望まないのである。
おそらく三月ほどの休養ののち、私はたいそうエディター・フレンドリーな書き手として再登場するであろう。
「もう、イジワルしないで、書かせてくださいよ~。どんなテーマでも書きますから。原稿料?滅相もない。もうオキモチだけで結構」というような適度にドメスティケされたウチダの姿をみなさんは桜の咲くころに見出すことになるであろう。
では皆さん、さようなら。

2007.12.19

よれよれ

日記の更新が滞っているのは「断筆宣言」のせいではなく(断筆は「仕事」の話)、あまりに忙しく、体調も超低空飛行で、ブログに書く気力も体力もないからである。
ふう。
あと3日。
何とか石にかじりついてもあと3日しのいで、冬休みに雪崩れ込む。
備忘のために、木曜以降のできごとを記しておく。
13日(木)、「メディアと知」の授業に関川夏央さんがゲスト講師で来てくれる。
来年後期からの「プロフェッショナル・ライティング」の授業も担当していただく予定であるので、その「肩慣らし」というか、「瀬踏み」というか、本学の学生がどんな感じかご覧いただくことにしたのである。
女子大で講義するのはもちろんはじめてのこと。
最初はちょっと手加減がわからなかったようで、早稲田でやっていた調子で、学生たちにびしびし質問をして困惑させていたけれど、そのうちに関川先生も「この子たちはもしかして・・・天然?」ということに気づかれたようで、「天然には天然」戦略に切り替えられて、最終的には神戸女学院大学生固有の「ほっこり感」にくるまれて、なごやかな微笑みのうちに講義は終了したのである。
ほっ。
関川さんをお招きしたのは、学生たちにとっては「ほんものの作家」というものを目の当たりに見ることが、教師が百万語を費やして文学や批評について語るよりある意味で教化的であろうと考えたからである。
もちろん文学「について」、自分では文学作品を書かない(書けない)人間が語ることにも重要な意味はある。
けれども、ものを書く人のたたずまいというのは、現物を見ることでしか知れない。
教師はどうやって書くのかを説明できるが、自分は書けない。作家はどうやって書くのかをうまく説明できないが、現に作品を書いている。
これはどちらがいいとか、どちらが偉いとか言うことではない。
読むという行為からその最良の贈り物を引き出すためには、この両者の協働が必要なのである。
そのあと、関川さんと(私たちの対談集の企画担当の)講談社の佐藤さんと夙川のアルテ・シンポジオでご飯。
関川さんは「鉄ちゃん」なので、翌日は三重の名張まで「盲腸線」に乗りに行かれるのだそうである。
金曜日は会議の一日。
ゼミのあと、13時から教務委員会、15時40分から科別教授会、そのあとべつの会議が一つ。20時過ぎまで。
よろよろになって帰宅。
土曜日は昼から合気道。帰宅して締め切りを過ぎた原稿を書き上げて送稿。
ファックスから『考える人』のゲラが5メートルほど届いている。
くるくると巻いて鞄に詰めて、ゲラをチェックしながら朝日カルチャーセンターへ。
守伸二郎さん、高橋佳三さん、平尾剛さんとら昨年の「武術的立場」シリーズのゲストが一堂に会しての「帰ってきた武術的立場な男たち」シンポジウム。
「この一年何してました?」という、居酒屋のカウンターでおしゃべりするような話を2時間。
たいへんに面白い。
それからウッキーの仕切りで、朝日新書の石川さん、ミドリアタマさんいつものメンバーで北新地に繰り出して、忘年会。
深更まで痛飲して歓談。
日曜は朝から原稿書き。
少しだけ家の掃除。
昼過ぎから甲南麻雀連盟の諸君が集まってくる。今年の例会も余すところあと2回。勝率争いが次郎くんを軸に展開しているようであるが、私は今季はぱっとせず、勝率3割前後をうろうろして、年間王者3連覇の夢はもうないので、めんどくさいから詳報は略すのである。
山本画伯、釈老師、平尾さんというシニアなメンバーで打っているうちに牧師、次郎くん、江さんが登場して一人足りなくなった。
家で博論を書くために本日の例会を泣く泣く欠席しているかんちきくんに電話をして「ただちに出頭するように」と総長命令を出す。
かんちきくんは現在隣町の阪急六甲駅前に住んでいるので、うれしそうにいそいそとやってくる。
月曜は会議とゼミと会議。
会議のあいまに村上春樹の『走ることについて語るときに僕が語ること』の書評を書いて送稿。
最後の会議が終わるとまたも20時過ぎ。
家に戻るとIT秘書とさっちゃんと近隣の「働きマン」が来ているので、みんなで「永谷園の煮込みラーメン」を食べる。気づくとまたも深夜。
眠いし、寒気がしてくる。どうも風邪引きの前兆のようである。
とほほ。
火曜日。朝起きると顔が土気色になっている。
疲労もそろそろピークに達している。学校を休んで家で寝ていたいが、ゼミが2つとも年内最終回であるし、そのあとはリハーサルもあるから休めない。
重い身体をスーツに押し込んで、よろよろと大学へ。
微熱をこらえてゼミ2つを終わらせ、そのあいまにグールドの『神と科学は共存できるか?』の書評を書く。
音楽館で水曜の公演のリハーサル。
自分の歌うところは何とか覚えたけれど、そのほかにいろいろと舞台でお仕事がある。頭がぼおっとしているので、うまく覚えられない。
今日はこれからその公演の舞台がある。昼から大学で会議、それからゲネプロ、それから本番。家に戻るのはまた深更であろう。
明日は江さんの講演。金曜はまたまた会議の一日。土曜日は合気道のあとわが家で納会。
納会が終わるまで休む時間がない。
あと3日。
なんとかもってくれるとよいのだが・・・・

業務連絡

業務連絡です。
関係者以外はスルーしてくださいね。

(1)22日の納会について。三宅先生から「巨大ケーキの差し入れ」が予告されておりますので、当日の「持ち寄り一品」はスイーツはかぶる可能性があるので、お控えください。
だいたい「日本酒に合うアテ」というテーマでスイーツを持ってくる人はいないと思うけれど(いるんだよね、きっと)。

(2)ほにゃらら新聞の生活文化部でバイトしているゼミの卒業生の”おばけちゃん”から「在校生プチ有名人による神戸女学院大学ガイド」の企画があるので、協力要請がありました。
うちのゼミ生と合気道部には「プチ有名人」という条件に合う学生がいないみたいなので(私がその「有名」である所以を知らないだけかもしれませんけど)、ひろく公募したいと思います。自薦他薦問わず。
この人こそ「プチ有名人」だという人をご存知でしたら、私までお知らせください。


2007.12.20

最初で最後のバリトン歌手

音楽学部の作曲専攻が2007年度からミュージック・クリエーション(MC)専攻に名称変更し、カリキュラムも一新された。
それと、音楽学部の創設100周年を記念して、今年はいくつかの演奏会や舞踊専攻の公演があったが、MC専攻も開設記念のイベントを西宮芸文センターで開催した。
それがどうした、と言われそうであるが、そのMC専攻の演奏会に私が客演したのである。
どうして、そのような巡り合わせになったのかというと。
二月ほど前、たまたまMCの石黒先生に学内でお会いしたときに、「今度MCの演奏会があるんですけれど、それにお手伝いをお願いできませんか?」と頼まれたのである。
私が何のお手伝いを・・・と訝ったのであるが、なにごとにもことの前段というものがある。
その少し前に音楽学部の先生とのジョイント授業「音楽との対話」で、ソプラノの斉藤言子先生と音楽についておしゃべりしたことがあった。
石黒先生もその授業に遊びに来て、ちょうどそのときに倍音声明が出て、実際にお二人の先生と学生たちにも参加してもらって10分間ほど倍音声明の実験をしたことがあったのである。
「音楽の喜びは倍音の喜びです」という石黒先生の音楽理論と、その頃「エクリチュールにおける倍音のはたらき」について考察していた私の文学理論が期せずして呼応し、石黒先生に「倍音声明を取り入れた作品」の構想が宿ったのである(らしい)。
石黒先生からのお申し出は、演奏会で倍音声明をやりたいので、その手伝いをしていただきたいということであった。
むろん、私はその場で快諾した。それくらいのことならお安いご用である。敬愛する同僚のために一肌脱ぐのは私の欣快とするところである。
ところがそれから数週間して、音楽学部のタケシタ事務長から、「先生の音域は何ですか?」というフシギな問い合わせがあった。
ポスターに書かないといけないという。
「じゃあ、バリトンということにしておいてね、けらけら」とテキトーに答えたのである。
当日現場に行って、「じゃあいまから母音を出してもらいます。腹から声出してくださいね。せ~の」というだけの仕事にどうして声域の指定が必要なのか意味不明のまま日々の仕事にかまけていたら、ある日斉藤先生が分厚い楽譜を持ってきた。
「はい、先生のパートにマーカーで印をつけておきましたから」とぽとりと教務部長室のデスクに置いたのである。
これは何ですか?
ご覧の通り、楽譜です。
何の楽譜ですか?
今度の石黒先生の作品の総譜ですけど。
なんで、ぼくにこんなものを?
だって、先生バリトンのソリストでしょ?
え?聞いてませんけど・・・
あら、石黒先生言ってなかったのかしら。とにかく歌唱指導の練習頼まれているので、来週から始めますからね。
えええええええええ。
作品は私の参加を想定してすでにできあがり、ポスターももう刷り上がっている。今さら「恥ずかしいから、やです」とお断りするわけにもゆかぬ。
というわけで私はこの師走のファッキン忙しいさなかに音楽学部の教室でお二人の先生に就いて、「遠藤実に歌唱指導を受ける島倉千代子状態」というものになってしまったのである。
そして数週間。
12月19日に私はついに西宮芸文センター小ホールでバリトン・ソリストとしてのでびうを飾ることになったのである。
石黒先生の作品は倍音声明に、石黒先生の大好きな沖縄音階(琉歌)のメロディと沖縄の古歌の詞章を載せた合唱である。
ソプラノはもちろんプリマ斉藤先生。ピアノ、チェレスタ、ハープに鈴。コーラスは本学OGのコーラス隊(プチ・タ・プチ)のみなさんと在学生たち十数名。
曲の構成は複式夢幻能になっている。
私がワキ。一人で倍音を出していると、いつのまにそこに前シテの斉藤先生の歌が聞こえてくる。それに聞き惚れて我を忘れると、美女の姿が消える。ワキが消えた前シテを焦がれて待謡を謡うと、それに和するかのように笑いさざめく美女たちの天来の楽音がふたたび響き、遊舞が始まる。ワキがふと我に返るとそこには人の姿もなく、ただ倍音の音だけが響いている・・・という『松風』か『羽衣』のような凝った構成なのである(石黒先生は芸大のときに宝生流の能楽も学ばれていたので、能楽にはお詳しいのである)。
待謡の部分が私のバリトンソロパートである。
小節数にして15小節ほどにすぎぬのであるが、これを覚えるのが大変だったのである。
ほんとに。
斉藤先生と絡む「舞」の部分はなんともったいなくも島﨑徹先生に振り付けをしていただいたのである。
石黒先生の曲、島﨑先生の振付、斉藤先生とのデュエット、音楽学部のOG現役のみなさんの演奏とコーラス。
まわりが全部玄人で、私ひとりがシロートで舞台中央に立っている・・・というのは、どこか既視感のある風景だと思っていたら、能の舞台と同じなのであった。
歌唱指導を受けること三週間、全体練習が二回、リハーサル一回。
当日は大学の教職員(D館の諸君が大挙してやってきた)、合気道部・甲南合気会の諸君や、さらには原田先生別府先生までおみえになった。
合気道関係者には事前に倍音声明にちゃんと協力するように言って聞かせてあったので、観客席と一体となって、たいへん美しい倍音が出た(そうである。私は緊張して、ぜんぜん聞こえなかったけど)。
とにもかくにも無事に公演は終了し、石黒、斉藤両先生にもねぎらいの言葉を頂き、両肩にのしかかった1トンほどのストレスを無事におろし、久しぶりに安堵の一献を一人傾けたのである。
やれやれ。
これで冬休みまであと二日。

2007.12.21

接続的コミュニケーションの陥穽

舞台が終わったら、肩の荷が下りて、(斉藤先生にいただいたユンケルが効いたのか)風邪も癒え、すっかり元気になった。
木曜は「メディアと知」に先週の関川さんに続いて、今週は江弘毅さんをお招きした。
江さんに大学でお話をしてもらうのは3回目。来学期からはメディア・コミュニケーションコースの「プレゼンテーションの技法」の講師をお願いしているので、その「顔見世興行」である。
今回は単発なので、「メディアで働くということ」というお題でお願いした。
江さん、教壇からコミュニケーションについてのかなりハイブラウな一般理論を講じる。
コミュニケーションには接続・伝達・理解の三段階がある。
接続コミュニケーションは「これはコミュニケーションですよ」という合図のことである。
「交話的コミュニケーション」とロマン・ヤコブソンが名付けたものである。
「もしもし」とか「後ろの方、話、聞こえてますか?」というようなものがそれである。
コミュニケーションが成立していることを確認するためのコミュニケーションで、「メタ・コミュニケーション」とか「コミュニケーションのコミュニケーション」とか「解錠するコミュニケーション」とか、いろいろな言われ方をする。
これは送信側と受信側で誤解の余地のありえないと想定されているコミュニケーションである。
などと急に言われても意味がよくわからない人もいるであろう。
というようなのが「それ」である。
自分自身が発信している当のメッセージの「読み方」についてのコメントである。
これはジョークです、とかこれはたとえ話ですとか、いうのもそれである。
コミュニケーション・ブレークダウンはふつうこのレベルで起きる。
メッセージは受信できるのだが、それをどう読んでいいのか、読み方がわからない。
「何しに来たの?」という問いがある。
これを「単なる問いかけ」ととるか、「叱責」ととるか、「性的な誘いかけ」ととるか・・・「読み筋」は無数にある。
これを適切に選択することができないことでスキゾフレニーが発症するというのがグレゴリー・ベイトソンのダブル・バインド理論である。
江さんの本日の論件の一つは、ケータイというのはこの交話的コミュニケーション「だけ」で成立しているコミュニケーションではないのか、という仮説の提示であった。
なるほど。
そこには「私はあなたと接続している」というメッセージ以外にメッセージがない。
そういわれてみると、若い人たち(に限らぬが)最近は「空気」とか「場面」とか「流れ」とか、そういう「メッセージが置かれている文脈」を指示することばがコミュニケーションの場で優先的に選択される傾向がある。
「空気読め」とか「場面でいかね」(@『気まぐれコンセプト』)とか「じゃ、あとは流れで」という表現はいずれもそのような支配的傾向を示している。
しかし、そこに問題があるような気がする。
というのは、文脈読解力は、今や「重要」という段階を通り越して、ほとんど「非寛容」の域に近づきつつあるように私には思われるからである。
つまり「誤読が許されない」ということである。
現代日本のコミュニケーションの問題はどうもこのあたりにあるような気がする。
「場の周波数」にいちはやく同調すること「だけ」にコミュニケーションについてのほとんどのエネルギーが投じられているせいで、いったんチューニングが合ってしまうと、あとは「チューニングがまだ合っていないやつ」を探し出して「みんなでいじめる」ことくらいしか「すること」がない。
上野千鶴子の『おひとりさまの老後』という本を読んで、いちばん違和感を覚えたのはそういえばここだった。
上野は「おひとりさま」たちが連合して親密圏を構築すれば家族なんか要らないという主張をしているわけだけれど、このグループには「空気の読めないやつ」は入れない。
上野が「おやじ」を彼女たち「おひとりさま」の愉快な共同体から排除する理由としてあげているのは「おやじ」は「場の空気」が読めないからである。
そんなに「場の空気が読める能力」って大事なんだろうか。
私はそこにひっかかってしまったのである。
「場の空気が読めないやつとは暮らせない」と公言するのはかまわないけれど、そういう人は「他者との共生」とか「多文化共生」とかいう社会理論にもきっぱり反対すべきではないのか。
ともあれ、全国民がそのような能力だけを選択的に発達させた場合にコミュニケーションは豊かになるのかむしろ貧しくなるのか、そろそろそのあたりの損得勘定もしてみてよいのではないか。
フランス語をわりとまじめに勉強していたころ、フランス人の教師にフランスのテレビの「お笑い番組」を見せられたことがある。
このジョークが笑えるようにならないとネイティヴとはコミュニケーションできないとその教師は言った。
私はこんな低劣なお笑い番組に興じてるフランス人には用がなく、「こんな番組を見ないタイプのフランス人」とだけ選択的にコミュニケーションしたいと望んでいるので、そんなジャルゴンとかダブル・ミーニングとかの解説よりも「正しいフランス語の話し方、書き方」の方に軸を置いて教えてほしいと言ったら、その教師に憎悪をこめたまなざしで見つめられたことがある。
まあ、そう言われたら、ふつう怒るわな。
でも、私の言ったことは誰かが言わなければいけないことである。
日本語が崩壊状態になっている理由の一つはたぶんここにある。
「空気を読む」コミュニケーションには豊かな語彙や適切な統辞法や美しい音韻は無用のものである。
ある意味では「んげ」「ほげ」で十分だからである。
交話的コミュニケーションはコミュニケーションを解錠するものであり、その重要性は繰り返し強調する必要があることに変わりはない。
けれども、それが「解錠できないもの」を排除するスクリーニング装置として働くことや、「解錠したあとに送受信するコンテンツ」に対する配慮を軽視することにつながるのであれば、接続的コミュニケーション「だけ」に知的リソースを投じることにはもう少し謙抑的になるべきであろう。

2007.12.22

書類書くのはイヤだよう

待つこと久し。ようやく冬休みである。
むろん、22日から冬休みであるというような話を聞くと、世間の人は「いいご身分で」と皮肉の一つも言いたくなるであろう。
私もそう思っていた時期がある。
研究に没頭し、たまに大学に出てぼそぼそと学生相手にわけのわからないことをつぶやいているだけでお鳥目がいただけた時代もあった。
今でもそういう象牙の塔的大学教師もいないではないし、そのような反時代的な教師に存在理由があることも変わらない。
けれども、おおかたの教師にはもうそのような生き方は許されていない。
膨大な量のペーパーワークが課されているからである。
私に課せられた書類仕事をもし私がまじめにやっていたら、たぶん一年365日書き続けていても空欄を埋めるに足りぬであろう。
本学だけでも年間にトンをゆうに超える量の報告書が起草され、文科省その他に提出されている。
その書類はたぶんどこかの倉庫で誰の目にも触れずに、いずれゆっくり腐敗してゆくのであろう。
森林資源の無駄遣いとしてもそこに投じられた大学人たちの時間とエネルギーにとっても、まことに不経済なことである。
文科省はありとあらゆる大学の教育研究活動について「数値目標の設定と予算の積算根拠と達成度評価」を求めている。
これは正直に言って、まったく、100%、無意味である。
学術研究はそれがどのように展開するか予見できるものではない(それがどこにたどりつくのかあらかじめ予見できるような研究がイノベーションをもたらすということは原理的にありえない)。
教育もそれがどのようなアウトカムをもたらしきたすことになるのか教師はあらかじめ言うことができない。
いろいろなことをやってみるが、どれが「当たり」でどれが「はずれ」になるのかは、やってみないとわからない。
臨機応変というのが環境に適応するために生物に求められる資質である。
私たちに今課されている公的機関の介入はこの「臨機応変」という構えに対してきわめて非寛容である。
何をするのかあらかじめすべてリストアップしておけというのである。
場当たりでやるような教育事業は教育事業として認めないとおっしゃるのである。
あのね。
そんなこと、わかるわけないでしょ。
相手は生身の人間なのである。
私は「シラバス」というものに原理的に反対である。(職務上、私の名前で教員たちにシラバスの記載を求める文書が配布されるのはまことに不条理なことではあるが)。
日本の教育をダメにした根本はこの「シラバス」的なものの瀰漫にあると私は思っている。
シラバスというのは平たく言えば「授業計画」のことである。
その科目の教育目標は何で、教育内容はどんなふうで、何月何日にはどんな教育情報を教授し、読むべき文献は何で、評価は何を基準になされ、学生にはどのような知的特性が求められるか・・・といったことを逐一書き連ねるのである。
私は自分のやっていることの教育目標がよくわかっていない。
強いて問われれば「その後、厚みのある豊かな人生を生きていただくこと」である。
教育内容は、「その時点で私が熱中していること」である。
シラバスを書くのは前年度の秋であるから、それより1年先に自分がどのような論件に熱中しているのか、その時点で私にはわからない。
1年前にすらすら言えるようなことにはおそらく熱中していないであろうことだけは予測できる。
当然、どの日に何を教えるかなど予定が組めるはずもない。
評価の基準も一定しない。
今年度の私の採点基準は「そのような知的な構えをとることが、あなた自身の知的パフォーマンスを向上させるか?」という問いのかたちで立てられている。
もちろん、ひとりひとり構えは違う。
恭順で謙抑的になることで知的に向上する学生もいるし、反抗的で懐疑的になることで知的に向上する学生もいるし、知識を詰め込むことで向上する学生もいるし、詰め込みすぎた知識を『抜く』ことで向上する学生もいる。
そんなの人それぞれであるし、同一人物であっても春先と冬の終わりではこちらの着眼点ががらりと変わることもある。
教育も研究も「なまもの」である。
文科省のお役人だってたまには浅草の路地裏の寿司屋に行くこともあるだろう。
そのときにメニューが一年前からきちんと決められていて、来年の何月何日にはどのような魚をどのように調理するか明示することをキミたちは寿司屋に要求するかね。
せんだろう。
「どう、今日は何かいいの入っている?」と訊くのが定法である。
教育だって同じである。
教育研究というのは「なまもの」相手の商売である。
どう展開するのか、予断を許さない。
日本の教育がここまでダメになった最大の理由はこの「教育は『なまもの』である」という常識を教育関係者がみんな忘れてしまったことに起因している。
彼らが「工場生産」のメタファーに毒されて、適切なマニュアルに従って、適切な練度を備えた教師が行えば、教育的アウトカムとして標準的な質の子どもたちが「量産」できるはずだと考えたせいで、日本の子どもたちは「こんなふう」になってしまった。
繰り返し言うが、いま教育行政が学校にやらせようとしていることは、そのほとんどが(全部がと言いたいところだが)教育的アウトカムの質をさらに低下させるだけの効果しかもたらさないであろう。
とりあえず教師たちに膨大な量の書類を書かせて、学生生徒たちとの接触機会を減らすことにより、教育効果はいっそう向上するはずだという迷妄からはいい加減目を覚ましてはくれないだろうか。
冬休みになったのにまだ書類を書かなければいけないと言われて、私は、心底、怒り狂っているのである。


2007.12.23

宴会道心得

ようやく冬休み。
土曜日は多田塾甲南合気会と神戸女学院大学合気道部の納会。
青少年センターの柔道場が取れなかったので、岡田山ロッジで稽古する。
36畳しかないところに40人近くが犇めいている。
80畳近い青少年センターの柔道場もそろそろ手狭になってきた。
ほぼ毎月入門者があり、ほとんど辞めないので、会員は増え続けるばかりである。
武道の道場はどこも入門者と同じくらいの数の人が辞めてゆくので、トータルの人数はあまり変わらないのがふつうであるが、合気道は単純増加を続けている。
これはやはり合気道の術理の汎用性の高さがかかわっているのであろう。
昨日は善ちゃんが合気道の術理と企業組織論について熱弁をふるっていたが、武道は最終的にはどれも「主体と他者」の古典的な哲学問題に帰着する。
つねづね申し上げているように、「主体」概念の根本的改鋳抜きには武道におけるブレークスルーは成り立たない。
モナド(単 子)的な主体が「敵」とゼロサム的に対峙しているという構図に固着する限り、武道の術技は向上しない。
先般、「SAPIO」という雑誌に武道論を寄稿したけれど、その中に私は戦後GHQが武道を禁止したあと、50年代の競技武道が「民主化」と「スポーツ化」を代償に復活した事情について、次のように書いた。

競技化が武道の本義を傷つけるだろうということを1950年代の武道家たちの幾人かはすでに予見していたはずである。けれども、その札を切る以外に武道は延命すらおぼつかなかったのである。だから、私はこのときの選択を非とする資格が私たち後代の人間にあるとは思わない。それはその時点においては必至の選択であった。けれども、競技化が武道の本義を傷つけかねない逸脱であるという「病識」はその後も維持されるべきだったと思う。
現に、競技化による武道の変質に対する危機感はつとに大正年間、嘉納治五郎によってはっきり表明されていた(だが、実際には、嘉納が考案した稽古体系である「精力善用国民体育」はほとんど普及することがなかった。それが「乱取り」主体と競技化による柔道の変質を批判し、古伝の形稽古の復権を求めたものであったために学校体育・社会体育の柔道指導者たちから忌避されたのである)。
競技化による武道の衰退は競技化によってもたらされたのではなく、「競技化は武道の衰退をもたらす」という危機感を忘れたことによってもたらされた。私はそう考えている。
スポーツにおいては、生死のあわいでどうふるまうべきかであるとか、主体と対象の二元論をどう超克するべきであるかといったことは主題的には意識されない。
もちろん、どのような競技でも、トップレベルのアスリートは自分のパフォーマンスを最大化するためには「主体」という概念そのものを書き換えなければならないということには遅かれ早かれ気づくだろう。けれどもトップ・アスリート以外はそのような問いを切実なものとしては受け止めないし、指導者たちもそのような問いを選手に向けはしない。現に、ほとんどの競技者は「対戦相手に勝つ」という以上の目的が競技にあるとは考えていない。
もちろん、スポーツならそれでよい。しかし、武道は本来そういうものではない。
(中略)厳密な定義を適用した場合、武道はすでに久しい以前から衰微し続けていると私は考えている。競技化や国際化はその兆候であって、原因ではない。
武道をもう一度蘇生させるために私たちに何かできることはあるだろうか。私はできることは「ある」と信じている。けれども、それは武道を再び国粋化することによっても、(中教審答申が言うように)武道を学校教育で必修化することによっても達成させられはしない。
武道的力量はつきつめれば「人としてよく生きた」というかたちで事後的にしか検証しえぬものであり、数値化することも比較考量して優劣を競うこともできないものなのである。
(ここまで)

ほんらい、先人たちが発明工夫したすべての身体技法は「他者との共生」を「生き延びるための必至の技術」として骨肉化することなしには術技が向上しないように構造化されている。ゲーム性が強いスポーツの場合は、その事実が前景化しにくいというだけのことである。
あらゆる身体技法は、人間の身体能力のうち計量可能なものだけを選択的に発達させようと考えるときに衰微する。
学校体育は「成績評価」をしなければならないという「縛り」があり、プロスポーツは勝敗強弱を明らかにし、タイムを計り、技術を点数化し、ランキングを決定することなしには成立しない。
これらは「計量可能な身体能力」だけの選択的開発を私たちに要求する。
だが、すべての身体技法が最終的に要求している「他者との共生能力」は人間の能力のうちもっとも計測しにくいものの一つである。
なぜなら、それは属人的な能力ではないからである。
その能力は現に所与の、偶然的な「場」において、「共生を果たした」という当の事実を通じて事後的に判定されることしかできないのである。
宴会というのも厳しい言い方をすれば、いわばある種の「共同的身体運用」である。
そこで自分のいるべき場所を探り当て、自分のなすべき仕事を見つけ出し、「宴会する共-身体」の一部になり切ることが実は求められているのである。
知らなかったでしょ。
なんと、私は宴会しながらも、門人諸君の身体能力の開発を心がけているのである。
「自分の割り前」の仕事をそこで果たすことと「自分の取り分」の愉悦を確保することは似ているようだが質の違うふるまいである。
門人諸君もそのあたりの呼吸をよく呑み込んで「宴会道」の極意めざして、さらなる精進に励んでいただきたいと思う。


2007.12.24

たのしいふゆやすみ

冬休み第一日。
とりあえず机の上のカオスを何とかするところから始める。
膨大な量の書類と書籍が積み上げられているのをざくざくと片付けてゆく。
「あとで時間のあるとき読もう」と机の上に半年放置されたあとに、ゴミ箱に棄てられる気の毒な運命とは知らずに毎日のようにいろいろな人から本や手紙が届く。
今の私に印字したものを送るのはほとんど意味のないことであるということをここで大書しておきたい。
私は生まれつき重度の活字中毒者であるから、本来は文字でありさえすれば、それが薬の効能書きでもスーパーのチラシであろうとも、熟読玩味して時を忘れるタイプの人間なのであるが、今の私にはそのようなハッピーなジャンキー症状を呈している余裕はないことがまことに悔やまれるのである。
机の上が片付いたので、そこに新品のVAIOを鎮座させて、さっそく仕事にかかる。
そうです。すみません。私はまたVAIOを買ってしまったのです(だから、今私の家にはパソコンがVAIO3台とモバイルが1台、大学のオフィスにはIBMのノート。研究室にもパソコンが4台ある)。
今度のは薄型のデスクトップで、キーボードもマウスもコードレスなので、ほいほいとあちこちに移動することができる。
SONYのPCは音がたいへんよい。
iTuneでバッハやモーツァルトを聴きながらばしばしと原稿を書き進む。
メモリーも4GB増量してあるので、使い心地グッドです。
まずは角川文庫から出す『女は何を欲望するか』のデータ直し。
自分の文章を読むのに飽きたので、レヴィナスの『困難な自由』の翻訳のし残したところ(あと6頁)を訳す。
レヴィナス老師のユダヤ教育論である。
現代の日本人読者にとってはその文脈がほとんどわからない文章である。
たぶん出版当時のフランス人読者にとっても理解が困難であったせいだろう、『困難な自由』のその後のエディションにはもう採録されていない。
けれども、1960年に老師がフランスのユダヤ共同体のゆくえをどれほど不安なまなざしでみつめていたのかを知るためには貴重な資料である。
まだ戦争が終わって15年しか経っていない。
『ハンニバル・ライジング』で描かれたように、ナチに加担してユダヤ人虐殺に手を貸した戦争犯罪人のフランス人たちはいつのまにか素知らぬ顔で市民暮らしをしていたし、ソ連からはスターリンによるユダヤ人粛清の情報が断片的に入ってきていたはずである。
そのような薄氷を踏むような時代に、ユダヤ人をどうやって再統合するのか。
とりわけ老師が腐心していたのは、欧米社会への同化が進み、ユダヤ教の伝統を棄てつつあるユダヤ人たちをどうやってユダヤ教の圏域に「引き止める」かという問題である。
ユダヤの若者たちはヘブライ語をもう学習しようとしない。
それは苦労してヘブライ語を習得しても、その語学力をもってアクセスできるテクストには「意味のわからない時代遅れの世迷い言」しか書かれていないと広く同化ユダヤ人たちが信じていたからである。
そうではない。そこには恐るべき叡智の言葉が書かれているのである。
イスラエル高等師範学校の校長として、ヘブライ語とフランス語のバイリンガルの教師を育てて、中近東や北アフリカに派遣することを本務としていた老師は、フランスの若者たちの前で、「ヘブライ語ができると恐るべき叡智にアクセスできる」ということを理解させることを思想的急務としていた。
そのためには、「ヘブライ語ができたせいで、私は『恐るべき叡智』に現にアクセスすることができた」という事実を、今ここで身を以て示さなければならない。
60年代の老師の仕事は、そうやって考えると実はきわめて選択的な読者層をターゲットにしていた書き物だったことが知れるのである。
特に『困難な自由』はそうである。
その本が70年代の終わりに遠い極東の列島にいたひとりの大学院生にいきなり「がつん」とヒットしたのは、いったいどういう理由によるのだろうか。
よくわからない。
よくわからないけれど、レヴィナス老師の文章をこりこりと訳していると、なんだかとても「ほっこり」とした幸福な気分になる。

2007.12.26

バトラー賛江

冬休み二日目。
順調に仕事をしている。
『女は何を欲望するか』を新書化(文庫化と書いたけれど、それはマチガイ)に際して、大胆な加筆訂正を行っているのである。
あまりに大胆にリライトしているので、もはや原著の痕跡をとどめぬほどである。
であるからこれから先私の著書からの引用をなされる場合は、同タイトルの著書であっても、内容が全然違う(場合によっては言っていることが逆さま)ということがしばしばあるのでご留意願いたいと思う。
『女は何を欲望するか』は2002年の刊行であり、すでに6年近く前。そこに収録された論考にはそれよりさらに数年前に書かれたものもあり、ものによっては10年を閲している。
そのようなものを読んで、私が「なるほどなるほど、ご説の通りであるよ」と悦に入っていたのでは、この10年間に私が人間的成長というものをまるで遂げていないということになる。
やはりここは、一行ごとに「ああ、恥ずかしいなあ。なんで、こんな愚かなことを得々として書いていたのだろう。ああ、恥ずかしい」と消え入るというのがつきづきしいのである。
というわけで、一気に全面改稿ということになったので、さっぱり仕事が捗らない(とすでに「順調に仕事をしている」という前言と齟齬している)。
能を見に行く時間になったので、腰を上げて、大阪能楽会館へ『竹生島』を見に行く。
電車の中でジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』を読む。
はじめて読む本のはずであるが、本を広げると、そこらじゅうに赤線が引いてあって「ジュディス、キミは賢い!」などと感嘆符つきのコメントが書かれている。
ところが、そのようにほとんど全編にわたってがしがしと赤線を引いて読んだはずのこの著作の内容を私はまったく記憶していなかったのである。(だから読みながら、電車の中でまた赤線の二度引きをした)。
内容を記憶していないどころか、私は『ジェンダー・トラブル』を二度買いしているのである。
感嘆して読んだはずの本を二度買いするということは、「読んだ記憶を失っていた」ということである。
これはどういうことであろうか。
かつてナバちゃんから、「ウチダさんのフェミニズム論はジュディス・バトラーの言っていることとかなり近いですよね」というコメントを頂いたことがある。
それ誰?というので、たしか『ジェンダー・トラブル』を買い求めたら、これが二度買いだったのである。
つまり、こういうことである。
私はジュディス・バトラー(最初の本ね)を読み、これに深く影響を受けたのであるが、そのことをころっと忘れて、「それ、誰?」状態になっていたということである。
こういう選択的な記憶欠損はよく起こる。
むろん、ある種の抑圧が働いているのである。
フロイトが教えているように、人間は「自分にとってつごうの悪いこと」は記憶することができない。
チャールズ・ダーウィンは自説にとって「つごうの悪い」事例に出会った場合には、これを必ずノートに記録していたという。かの天才の記憶力をしても、「自分にとってつごうの悪いこと」は記憶し続けることが困難であったからである。
「自分にとってつごうの悪いこと」はつねに念頭に置かれてあるより、抑圧されていた方がたしかに私たちにとって生存戦略上には有利である。
ただ、それは「つごうの悪いこと」は忘れてしまって、ハッピー・ゴー・ラッキー、ということではない。
逆である。
「つごうの悪いこと」が絶えず念頭にあると、私たちはたぶんそれを「否定する」合理的論拠を探し始める。
つまり、私自身の存在と、「つごうの悪いこと」のあいだに敵対的・ゼロサム的な関係が生じてしまうのである。
このこしゃくな反証事例をなんとかしていてこましたろというふうに知性が攻撃的に機能をし始める。
これはあまりよろしいことではない。
それくらいなら「忘れる」方がずっと宥和的である。
「そんなものがあることを忘れられた反証事例」はいつのまにか私の中に入り込んでしまう。そして、その事例をも説明できるようなより包括的な仮説への書き換えへと無意識のうちに私を誘う。
たぶんそういうことではないかと思う。
つまり、バトラーを読んで私は「おぬし、なかなかやるな」と思ったのである。
そして、手持ちの論理装置ではバトラーの攻略がむずかしいと思ったので、とりあえず「忘れる」ことにしたのである。
でも、もちろん忘れたわけではなく、忘れることでバトラーの理論を血肉化する時間を稼いでいたのである(こういうせこい立ち回り方について、私に勝てる人は少ない)。
だから、ある日さらさらとフェミニズム批判を書き始めたとき、私のワーディングは「ほとんどバトラーそっくり」になっていたのである。
おそらくそういうことであろう。
私はフェミニズムが支配的なイデオロギーになることに対しては一貫して反対してきたけれど、ショシャーナ・フェルマンの知性にはつねに敬意を払ってきた。
そのフェルマンの隣にバトラーの名前も記しておきたいと思う。
この二人をジュディス・フェッタリーとかリュス・イリガライのような偏差値の低いフェミニストと同列に論じては気の毒である。
私はフェミニズムは好きではないが、頭のいい人は好きである。
だから「頭のいいフェミニスト」に出会うと「ああ、どうしよう」と葛藤してしまう。
そして、結果的には「頭のいい人が好き」という嗜癖が勝ってしまうのである。
私はその人の奉じている社会理論の当否よりその人の知性の質の方を優先的に評価する。
フェミニズムを私が評価しないのは、人間の知的なパフォーマンスはその人が奉じている社会理論によって決まると主張しているせいである。
フェミニストたちは父権制社会における性差別の被害者であるせいで、この社会の構造を熟知しており、私はセクシストの男性であるので、この社会の仕組みがまるで理解できていないとフェミニストたちは主張するが、単一の条件で「世の中の仕組みの理解度」が決定するという考え方に私は同意することができない。
どのような状況的立場に置かれようと、世の中の仕組みがわかる人はわかるし、わからない人にはわからない。
それは知性の問題だからである。
知性の成熟にはその人の階級や性別や宗教や国籍や人種や家庭環境や既往症や性的嗜癖など無数のファクターが関与しており、そのうちの一つの条件が整っただけで世の中の仕組みがすらすらわかるようになるということはない。
フェミニストたちは私が「頭のいいフェミニストは好きだけれど、バカなフェミニストは嫌いだ」と言うとあまり機嫌がよくない。
たぶん自分のことを言われているのではないかという疑念が浮かぶからなのであろう。
確かに、たいていの場合そうなんだけどね。

2007.12.28

恒例煤払いの儀

今年の煤払いはゑびす屋さん率いる「煤払い部隊」が登場して、一気に片付けることになった。
キヨエ&マサコの家事プロの二人を司令塔に、ウッキーとヒロスエがアシスタント。
引っ越してまだ4ヶ月だから、家具を動かしたときに「げ」と叫んで・・・というようなことは起こらないので、掃除はわりと簡単である。
まずヒロスエ自作のショートケーキを食べて、みんなでほっこりした気分になる。
1時半スタートで目標は5時終了。
本棚の埃を払い、水回りをきれいにして、床を拭き、窓ガラスを磨き、冷蔵庫の中の「賞味期限切れ食品」の山を棄てる。
聞くところではハウスダストの3分の1は剥落した人間の皮膚だそうである。
私の家に登場した人々の延べ人数はこの4ヶ月でおそらく300人というところであろう。
その方々の剥落した細胞が積もり積もっているわけである(その過半は甲南麻雀連盟会員と甲南合気会会員のものである)。
さくさくと仕事が進んで、予定通り日が落ちることに煤払い終了。
例年であればひとりで3日がかりなのであるが、それが半日で終わってしまった。
台所なんかぴかぴかである。
ありがたいことである。
煤払い部隊のみなさんはどなたも自分の家の煤払いはまだこれからで、私の家のお掃除を優先してくださったのである。
お礼に秘蔵のワインを取り出して、乾杯。
トニー・ジャーの話題になったら、誰も見てないという。
合気道家がそれでは困る。
とりあえずあ『トムヤムクン!』を取り出し、「腕折り足折り首折り連続50人」という場面を再生して、みんなで感嘆する。
続いてジョン・ウォーターズ師匠の話になるが、これまた誰も見たことがないという。
困ったものである。
ご飯の前に『ピンクフラミンゴ』はどうかと思ったので、口当たりのよいところで『クライベイビー』のジョニー・デップをお見せする。
不良がよい子で、よい子がワルモノというたいへんにわかりやすいジョン・ウォーターズ世界である。
小津安二郎とジョン・ウォーターズは私が「師匠」の称号を冠してその名を呼ぶただ二人の監督であるが、本邦ではあまり評価する人がいないことが残念である。
ゑびす屋さんは合コンに行ってしまったので、残りの4人と石焼きステーキを食べに行く。
なかなか美味しい。
家にもどり、さらにワインを飲みつつ歓談。
気がつくと10時半。
結局掃除している時間よりも宴会している時間の方が長かった。みなさん、どうもありがとう。また来年もよろしく。


2007.12.30

甲南麻雀連盟大納会

雨で寒い。
こちらもなんとなく寒気がして、身体がだるい。
風邪の引きはじめかもしれない。
朝ご飯を食べてから、年賀状の宛名書きを始める。250枚ほど書かないといけない。30枚くらい書いたところで午になる。
午後からは甲南麻雀連盟打ち納めである。
かんちきくん、大迫君がまず来る。川上先生、ドクター佐藤が登場したので、さっそく卓を囲む。
途中から、スーさん率いる浜松支部の諸君が例のごとく「ウナギ」を手みやげに来襲。
天王寺で寄り合いがあるので、そのついでに立ち寄って嵐のごとく場を荒らして、嵐のごとく去っていった。
浜寇健在なり。
さて、私は今季は勝率3割少しなので、もう勝率一位をねらえるポジションではない。
とりあえず勝ち点と勝ち数だけはいまのところ一位である。これをキープして、二冠王を確保するのが今日の目標である。
勝ち点2位のジローくんとはわずか9ポイント差であるから、これは半荘一回でひっくり返される可能性がある。負けられない。
最初の半荘は軽いフットワークで手堅く一勝。プラ32。
次はシャドー影浦と最後まで競ったが、かわされてプラ17の2位。
次はジローくんとの直接対決になったが、4連続放銃という私らしからぬ凶運に見回れ、マイナス32(これで先ほどのプラスは帳消し)。
この段階でジローくんとの点差は52ポイントと開く。
第四半荘は重い場で、3人が原点前後でオーラスを迎え、結局私は3位でマイナス7。ジローくんがラスを引いて、差が73と開く。ほぼ安全圏である。
打ち納めの半荘は一年の終わりに相応しいたいへん気分のよい配牌自摸で、じゃんじゃん上がってプラ52。隣の卓ではジローくんと江さんの直接対決で、勝った方が勝率一位というドラマティックな展開になったが、江さんが差しきれず、年間王者はジローくんということになった。
では2007年度甲南麻雀連盟戦績を発表します。
勝率
1位  弱雀小僧    0.423
2位 だんじりエディター 0.368
3位 画伯     0.333
3位 歌う牧師       0.333
5位 総長     0.317
2割台に平尾さんと飯田先生が入り、残りは1割台。
衝撃的なのはホリノ社長の勝率0.094と、ゑびす屋さんの勝率0.000である(ゑ、ゑびす屋さんてば・・・)
勝ち数
1位 総長      19勝
2位 だんじりエディター 14勝
3位 画伯      13勝
4位 弱雀小僧        11勝
5位  歌う牧師        10勝
勝ち点
1位 総長     463点
2位 弱雀小僧       367点
3位 だんじりエディター  273点
4位 画伯     150点
5位 ラガーマン      -54点
これは誤記ではない。4位までがプラスで、あとは全員マイナスなのである。ここでも二極化・階層格差が進行しているということであろうか。
なお参考記録として次のものを掲げておこう。
上位率(1位または2位にいる率)
1位 弱雀小僧   0.769
2位 総長 0.650
3位 だんじりエディター 0.526
最下位率(これは値が小さい方がランキング上位)
1位 総長 0.150
2位 弱雀小僧   0.154
3位 泳ぐ英文学者 0.167
この二つはどれほど「シュア」な打ち手であるかの指標である。
そういえば英文学者は体長不良で後半はほとんど参戦できなかった。来季の復活を祈念したい。
今季の半荘当たり最高得点は
1位 だんじりエディター 111
2位 弱雀小僧    88
3位 ラガーマン    87
これはどれほど「爆発的」に勝てるかということであり、ざっくり言えばツキが回ってきたときに、どれほど無節操かつ非人情にドラを載せることができるかの能力の指数であると申し上げてよろしいかと思う。
エディターは「表ドラで勝負しているうちは、まだまだ」という名言を残したし、ラガーマンは先般「立直即自摸ドラ10発」という数え役満を達成した(おそらく「ドラ10」の記録はこれからも破られることがないであろう)。
一年を回顧して、やはり今年最大のトピックは前期の勝率が0.094という弱雀小僧が0.423という記録的な勝率を収めたということである。
昨年の1位勝率が0.342、一昨年が0.382(いずれも総長)であるから、この0.423がいかに桁外れの数字であるかおわかりになるであろう。
つねづね申し上げているように、麻雀ではツキは4人の打ち手に原理的には均等に配分される。
つまり、適切な打牌をしていれば、勝率は0.250となるはずである。
なのに、決してそうならないのがまことに不思議である。
ともあれ、第三期王者の栄誉は弱雀小僧が驚異的な勝率でさらっていった。
私は弱雀小僧とは二人が19歳のときから腐るほど麻雀を打ってきたが、「かつてこれほど麻雀に弱い人を見たことがない」。
その人物が40年目に開眼するということがありうるとはとても信じられないが、ありうるのである。
麻雀はディープだ。
では、会員諸君、2008年度第四期王者をめざす熾烈なペナントレースがまた1月から始まる。
雀力が諸君とともにあらんことを。
May force be with you.

2007.12.31

2007年の十大ニュース

年末恒例の「今年の十大ニュース」を考える。
1・『私家版・ユダヤ文化論』で第六回小林秀雄賞を受賞する。
この本では特に学術情報として新しいことを述べたわけではない。
ほかの私の書き物同様、「すでに公開されていて、広く知られている」情報の「ふつうはしない」組み合わせによって、世の中のできごとを構造化している「下絵」を浮かび上がらせる・・・というやり方にこだわった。
この本のアイディアでいちばん好きなのは、「ユダヤ人が例外的に知性的なのではなく、ユダヤ人に固有の思考パターンを私たちは『知性的』と呼んでいる」という「ちゃぶ台ひっくり返し法」である。
私はこの「ひっくり返し」技法をユダヤ人哲学者カール・マルクスから学んだ。
うれしかったのは養老孟司、橋本治、加藤典洋、関川夏央という私の敬愛してやまない諸先輩たちに仕事が評価されたことである。
2・また引越しをする。
引越しは私の宿痾である。
19歳で大学入学後からの引越歴は
相模原-駒場寮-野沢-お茶の水-平間-自由が丘-九品仏-自由が丘-尾山台-上野毛-芦屋(山手町)-武庫之荘-芦屋(山手町)-神戸(東灘区土山町)-芦屋(業平町)-芦屋(大原町)-神戸(御影町)
このリストを見て気づくのは、私が10代からあと人生のほとんどを「他人と暮らして」きたことである。
たぶん他人と暮らすのがたいへん好きなのである。
自分の好きな時間に寝て起きて、好きなものを好きな時間に食べて、好きなところに行って、好きなものを買って・・・ということに私はあまり(ぜんぜん)興味がない。
だから、私は一人旅というものをかつてしたことがない(一度だけ一人で野沢温泉にスキーに行ったことがあるが、退屈のあまりほんとうに死にそうになった)。
自分がしたいことを誰にも邪魔されずにひとりでやっていて何が面白いのであろう。
人生は邪魔が入るから楽しいのである。
3・たくさん本を出す(ということ自体にはもうあまりニュース性がないけれど)。
単著は『下流志向』(講談社)、『狼少年のパラドクス』(朝日新聞社)、『街場の中国論』(ミシマ社)、『村上春樹にご用心』(アルテス・パブリッシング)。
共著は『逆立ち日本論』(養老孟司先生との対談本、新潮社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(平尾剛さんとの対談本、朝日新聞社)。
文庫化されたものが『私の身体は頭がいい』(文春文庫)、『大人は愉しい』(鈴木晶先生との共著、ちくま文庫)、『東京ファイティングキッズ』(平川克美くんとの共著、朝日文庫)。
アンソロジーへの寄稿が『身体の知恵』(齋藤孝さんとの対談を収録、大和書房)、『韓氏意拳』(守伸二郎さんとの対談を収録、スキージャーナル社)、『女性を幸福にする大学』(プレジデント社)、『自己を語る身体表現』(冬弓舎)。
『下流志向』は私の本ではじめて10万部売れた(これは講談社の営業力のたまものであるが)。
献本をしている友人たちから「本、出し過ぎ」と叱られた。
来年は控えます。
4・本が翻訳された
『下流志向』の韓国語訳が出た。『村上春樹にご用心』が中国から、『十四歳の子を持つ親のために』が台湾から翻訳のオッファーが来た。
どういうことなのか、よく意味がわからない。
5・歌手デビューを果たす。
石黒晶先生の作品で西宮芸術文化センターにて「倍音歌手」デビューを飾る。
デビューのステージがそのまま「さよなら公演」のステージである。
でもちゃんとしたクラシック音楽のリハーサルに参加できたのは、とっても楽しかった。
石黒先生、斉藤先生、ありがとうございました。
6・甲野善紀先生、島﨑徹先生との学術ユニットを結成。
今年から本学の客員教授になっていただいた甲野先生と舞踊専攻を率いる島﨑先生との「シンポジウム専用ユニット」を結成。7月27日にオープンキャンパスでデビュー。11月17日に武者小路千家の千宗屋さんをお迎えして、二回目のセッション。
第三回は来年6月7日に三軸修正法の池上六朗先生を、第四回は8月2日に養老孟司先生をお迎えする予定。
7・ラジオ放送でいろいろな人と対談
平川くんのところのラジオデイズのコンテンツのために、私と平川くんがホストになってゲストとおしゃべりをする。
第一回ゲストは高橋源一郎さん、第二回は養老孟司先生、第三回は大瀧詠一師匠。
高橋さんとは文学の話、養老先生とは虫の話、大瀧さんとは・・・・何の話をしたんだろう?
大瀧さんにこのとき「おみやげ」で成瀬巳喜男のDVDを2枚頂く。
そのあと大瀧さんのその映画の映像分析を読んで驚嘆。
映画について語るのに「こういう」やり方があったとは・・・
師匠はまことに畏るべきお方である。
8・朗報相次ぐ
増田聡、明日香さんご夫妻に男児誕生(哲大くん)。浜松のえびちゃんのところもお子様誕生。甲南合気会でもご懐妊、ご成婚など、朗報相次ぐ。
9・棚からぼた餅が落下してくる。
これについては詳述することがかなわぬのであるが、かなり重量のあるぼた餅であり、思わず腰を抜かしてしまったので、十大ニュースはここで打ち止め。
ではみなさんよいお年をお迎えください。

About 2007年12月

2007年12月 にブログ「内田樹の研究室」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは 2007年11月 です。

次のアーカイブは2008年01月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。