最初で最後のバリトン歌手

2007-12-20 jeudi

音楽学部の作曲専攻が2007年度からミュージック・クリエーション(MC)専攻に名称変更し、カリキュラムも一新された。
それと、音楽学部の創設100周年を記念して、今年はいくつかの演奏会や舞踊専攻の公演があったが、MC専攻も開設記念のイベントを西宮芸文センターで開催した。
それがどうした、と言われそうであるが、そのMC専攻の演奏会に私が客演したのである。
どうして、そのような巡り合わせになったのかというと。
二月ほど前、たまたまMCの石黒先生に学内でお会いしたときに、「今度MCの演奏会があるんですけれど、それにお手伝いをお願いできませんか?」と頼まれたのである。
私が何のお手伝いを・・・と訝ったのであるが、なにごとにもことの前段というものがある。
その少し前に音楽学部の先生とのジョイント授業「音楽との対話」で、ソプラノの斉藤言子先生と音楽についておしゃべりしたことがあった。
石黒先生もその授業に遊びに来て、ちょうどそのときに倍音声明が出て、実際にお二人の先生と学生たちにも参加してもらって10分間ほど倍音声明の実験をしたことがあったのである。
「音楽の喜びは倍音の喜びです」という石黒先生の音楽理論と、その頃「エクリチュールにおける倍音のはたらき」について考察していた私の文学理論が期せずして呼応し、石黒先生に「倍音声明を取り入れた作品」の構想が宿ったのである(らしい)。
石黒先生からのお申し出は、演奏会で倍音声明をやりたいので、その手伝いをしていただきたいということであった。
むろん、私はその場で快諾した。それくらいのことならお安いご用である。敬愛する同僚のために一肌脱ぐのは私の欣快とするところである。
ところがそれから数週間して、音楽学部のタケシタ事務長から、「先生の音域は何ですか?」というフシギな問い合わせがあった。
ポスターに書かないといけないという。
「じゃあ、バリトンということにしておいてね、けらけら」とテキトーに答えたのである。
当日現場に行って、「じゃあいまから母音を出してもらいます。腹から声出してくださいね。せ〜の」というだけの仕事にどうして声域の指定が必要なのか意味不明のまま日々の仕事にかまけていたら、ある日斉藤先生が分厚い楽譜を持ってきた。
「はい、先生のパートにマーカーで印をつけておきましたから」とぽとりと教務部長室のデスクに置いたのである。

これは何ですか?
ご覧の通り、楽譜です。
何の楽譜ですか?
今度の石黒先生の作品の総譜ですけど。
なんで、ぼくにこんなものを?
だって、先生バリトンのソリストでしょ?
え? 聞いてませんけど・・・
あら、石黒先生言ってなかったのかしら。とにかく歌唱指導の練習頼まれているので、来週から始めますからね。
えええええええええ。

作品は私の参加を想定してすでにできあがり、ポスターももう刷り上がっている。今さら「恥ずかしいから、やです」とお断りするわけにもゆかぬ。
というわけで私はこの師走のファッキン忙しいさなかに音楽学部の教室でお二人の先生に就いて、「遠藤実に歌唱指導を受ける島倉千代子状態」というものになってしまったのである。
そして数週間。
12月19日に私はついに西宮芸文センター小ホールでバリトン・ソリストとしてのでびうを飾ることになったのである。
石黒先生の作品は倍音声明に、石黒先生の大好きな沖縄音階(琉歌)のメロディと沖縄の古歌の詞章を載せた合唱である。
ソプラノはもちろんプリマ斉藤先生。ピアノ、チェレスタ、ハープに鈴。コーラスは本学OGのコーラス隊(プチ・タ・プチ)のみなさんと在学生たち十数名。
曲の構成は複式夢幻能になっている。
私がワキ。一人で倍音を出していると、いつのまにそこに前シテの斉藤先生の歌が聞こえてくる。それに聞き惚れて我を忘れると、美女の姿が消える。ワキが消えた前シテを焦がれて待謡を謡うと、それに和するかのように笑いさざめく美女たちの天来の楽音がふたたび響き、遊舞が始まる。ワキがふと我に返るとそこには人の姿もなく、ただ倍音の音だけが響いている・・・という『松風』か『羽衣』のような凝った構成なのである(石黒先生は芸大のときに宝生流の能楽も学ばれていたので、能楽にはお詳しいのである)。
待謡の部分が私のバリトンソロパートである。
小節数にして15小節ほどにすぎぬのであるが、これを覚えるのが大変だったのである。
ほんとに。
斉藤先生と絡む「舞」の部分はなんともったいなくも島﨑徹先生に振り付けをしていただいたのである。
石黒先生の曲、島﨑先生の振付、斉藤先生とのデュエット、音楽学部のOG現役のみなさんの演奏とコーラス。
まわりが全部玄人で、私ひとりがシロートで舞台中央に立っている・・・というのは、どこか既視感のある風景だと思っていたら、能の舞台と同じなのであった。
歌唱指導を受けること三週間、全体練習が二回、リハーサル一回。
当日は大学の教職員(D館の諸君が大挙してやってきた)、合気道部・甲南合気会の諸君や、さらには原田先生別府先生までおみえになった。
合気道関係者には事前に倍音声明にちゃんと協力するように言って聞かせてあったので、観客席と一体となって、たいへん美しい倍音が出た(そうである。私は緊張して、ぜんぜん聞こえなかったけど)。
とにもかくにも無事に公演は終了し、石黒、斉藤両先生にもねぎらいの言葉を頂き、両肩にのしかかった1トンほどのストレスを無事におろし、久しぶりに安堵の一献を一人傾けたのである。
やれやれ。
これで冬休みまであと二日。
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