冬休み第一日。
とりあえず机の上のカオスを何とかするところから始める。
膨大な量の書類と書籍が積み上げられているのをざくざくと片付けてゆく。
「あとで時間のあるとき読もう」と机の上に半年放置されたあとに、ゴミ箱に棄てられる気の毒な運命とは知らずに毎日のようにいろいろな人から本や手紙が届く。
今の私に印字したものを送るのはほとんど意味のないことであるということをここで大書しておきたい。
私は生まれつき重度の活字中毒者であるから、本来は文字でありさえすれば、それが薬の効能書きでもスーパーのチラシであろうとも、熟読玩味して時を忘れるタイプの人間なのであるが、今の私にはそのようなハッピーなジャンキー症状を呈している余裕はないことがまことに悔やまれるのである。
机の上が片付いたので、そこに新品のVAIOを鎮座させて、さっそく仕事にかかる。
そうです。すみません。私はまたVAIOを買ってしまったのです(だから、今私の家にはパソコンがVAIO3台とモバイルが1台、大学のオフィスにはIBMのノート。研究室にもパソコンが4台ある)。
今度のは薄型のデスクトップで、キーボードもマウスもコードレスなので、ほいほいとあちこちに移動することができる。
SONYのPCは音がたいへんよい。
iTuneでバッハやモーツァルトを聴きながらばしばしと原稿を書き進む。
メモリーも4GB増量してあるので、使い心地グッドです。
まずは角川文庫から出す『女は何を欲望するか』のデータ直し。
自分の文章を読むのに飽きたので、レヴィナスの『困難な自由』の翻訳のし残したところ(あと6頁)を訳す。
レヴィナス老師のユダヤ教育論である。
現代の日本人読者にとってはその文脈がほとんどわからない文章である。
たぶん出版当時のフランス人読者にとっても理解が困難であったせいだろう、『困難な自由』のその後のエディションにはもう採録されていない。
けれども、1960年に老師がフランスのユダヤ共同体のゆくえをどれほど不安なまなざしでみつめていたのかを知るためには貴重な資料である。
まだ戦争が終わって15年しか経っていない。
『ハンニバル・ライジング』で描かれたように、ナチに加担してユダヤ人虐殺に手を貸した戦争犯罪人のフランス人たちはいつのまにか素知らぬ顔で市民暮らしをしていたし、ソ連からはスターリンによるユダヤ人粛清の情報が断片的に入ってきていたはずである。
そのような薄氷を踏むような時代に、ユダヤ人をどうやって再統合するのか。
とりわけ老師が腐心していたのは、欧米社会への同化が進み、ユダヤ教の伝統を棄てつつあるユダヤ人たちをどうやってユダヤ教の圏域に「引き止める」かという問題である。
ユダヤの若者たちはヘブライ語をもう学習しようとしない。
それは苦労してヘブライ語を習得しても、その語学力をもってアクセスできるテクストには「意味のわからない時代遅れの世迷い言」しか書かれていないと広く同化ユダヤ人たちが信じていたからである。
そうではない。そこには恐るべき叡智の言葉が書かれているのである。
イスラエル高等師範学校の校長として、ヘブライ語とフランス語のバイリンガルの教師を育てて、中近東や北アフリカに派遣することを本務としていた老師は、フランスの若者たちの前で、「ヘブライ語ができると恐るべき叡智にアクセスできる」ということを理解させることを思想的急務としていた。
そのためには、「ヘブライ語ができたせいで、私は『恐るべき叡智』に現にアクセスすることができた」という事実を、今ここで身を以て示さなければならない。
60年代の老師の仕事は、そうやって考えると実はきわめて選択的な読者層をターゲットにしていた書き物だったことが知れるのである。
特に『困難な自由』はそうである。
その本が70年代の終わりに遠い極東の列島にいたひとりの大学院生にいきなり「がつん」とヒットしたのは、いったいどういう理由によるのだろうか。
よくわからない。
よくわからないけれど、レヴィナス老師の文章をこりこりと訳していると、なんだかとても「ほっこり」とした幸福な気分になる。
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(2007-12-24 11:20)