イタリアンはどうして美味しいの?

2007-12-08 samedi

金曜日は歌のレッスンとゼミと会議。
1年生のゼミはとっても面白い。
今日のテーマは「食文化」。
「スローフード」とか「食品偽装」とか「食べ物」ネタが女子学生たちは好きである。
イタリア料理はどうしてこんなに美味しいのかという剛直球一本勝負のプレゼンがある。
もちろん、大学一年生の諸君のプレゼンであるから、どうしてイタリア料理が美味しいのかについて私を納得させられる説明を期待することはむずかしい。
イタリア人はそうやって彼らの伝統的な食文化を守っているのですというような定型的なフィニッシュのあとに「それは違うよ」と申し上げる。
まず学生諸君に質問だ。
次の食材のうちヨーロッパ原産のものはどれであろうか。

トマト
タマネギ
オリーブ
ジャガイモ
キャベツ
小麦
胡椒
唐辛子

ヨーロッパ原産というときの原産はとりあえず「紀元前後にはもう地中海世界で食されていた」という「ゆるい」定義にしておいてよい。
では一分間差し上げるから考えてみたまえ。
はい一分経ちました。
この中で植物学的な意味でヨーロッパ原産のものはオリーブとキャベツだけである。
小麦は西アジア原産、タマネギも中央アジア原産。ただし、どちらも紀元前にはすでに地中海世界に到来しているので、ヨーロッパの食材と言ってよろしいであろう。
しかし、残りは違う。
イタリア料理に欠かせないトマトはごく最近導入された食材である。イタリアの食文化はトマト抜きでは考えられないということでよろしいなら、私たちが「イタリアン」と呼ぶものは18世紀以前には遡ることができぬのである。
コルテスがメキシコから種を帰ったのが始まりであるとされている。
有毒植物であるベラドンナに似ているため、最初は有毒のものとみなされ、もっぱら観賞用とされたが、イタリアで貧困層のために食用にようと考える人が現れ、200 年にも及ぶ品種改良を経て現在のかたちとなった。
ヨーロッパで広く食用に供されるのは18世紀以降のことである。
ジャガイモも16世紀にスペイン人がヨーロッパに持ち込んだものである。
唐辛子の種は1493年にコロンブスが新大陸からヨーロッパに持ち帰った。
インド原産の胡椒がヨーロッパの食卓にふつうの食材として登場したのは大航海時代以降である。
これで分かるだろう。
どうしてイタリア料理が美味しいのか。
それは大航海時代に世界中の食材がジェノヴァ、ベネチア、ナポリなどのイタリアの貿易港に集まってきたからである。
世界中から到来する奇々怪々なる食材をかたっぱしから調理してしまったということによってイタリア料理はそのレシピを豊かなものにしていったのである。
食文化を高めるというのは、食材や料理法の伝統を墨守することではない。
もし地中海世界のヨーロッパ人たちが彼らの「伝統的な食文化」を後生大事に守っていたら、私たちの食膳にはジャガイモもトマトも唐辛子も胡椒も載っていないのである。
しかし、イタリア料理はある段階でそのダイナミックな進化のプロセスを止めてしまった。
もう十分に美味しいもののレシピを満たしたから、これはこれで「上がり」になってもよろしいであろう。
それから後、外部から到来する食材をかたっぱしから調理し、あらゆる調理法を試すという「食文化のアヴァンギャルド」を担っているのは自慢するわけではないが、わが豊葦原瑞穂の国である。
食文化とは「守る」ものではない。
それは創り出すものである。
その点で私は「伝統的な食文化を守りましょう」というイタリア発のスローフード運動のスローガンにあまりよい感じを持つことができないのである。
大航海時代のイタリア人の無節操な悪食によって洗練の極みに達した食文化である。いまさら「外来の変てこな食い物は食べるべきではない」とか言い出すのはことの筋目がおかしいのではないか。
もちろん、これ以上改良の余地のない食材やレシピというものは存在する(自転車やこうもり傘や鋏やミシンのように・・・って、ロートレアモンが並べた「無関係グッズ」って「これ以上改良の余地のないもの」という点では同一カテゴリーに属するものだったんだね。これはお父さん今日まで気づきませんでした)。
だから、あらゆる食文化は日に日に変化を遂げてゆかねばならぬ、というような無体なことを私は言いたいわけではない。
改良の余地のないまでに洗練の極に達するということはあるだろう。
それはそれで大切にしたい。
けれども、人間が作り出すもののほとんどにはつねに改良の余地があると私は思う。
そして、改良はつねに外部から到来するものに対する開放というかたちを取るのである。

授業のあとは7時半まで長い会議。
途中、議長席ではないところで坐る機会があったので、たちまち爆睡。
疲れているのである。
身体の芯の方に「どよん」と疲れがわだかまっている。
休みたいけれど、議題が議題だけにそうもゆかない。
いつになったらゆっくり休める日が来るのであろうか。
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