Peer Stress

2007-11-17 samedi

うう疲れたよ。
鏡を見ると、目の下にくろぐろと隈ができている。
金曜日は会議デーである。
学生相手に笑い話をしているうちに基礎ゼミはあっというまに終わり、専攻ゼミのためのご案内のあとは、入試委員会、学務委員会、人事委員会、合否判定教授会、教授会、人事教授会、ヒミツの会議と7連荘。
1時から始まった会議がノンストップで8時過ぎに終わり、よろよろと帰宅。
帰り道でイカリに寄って鶏肉と野菜と豆腐としらたきを買って、池上先生からいただいたきりたんぽを鍋に仕立てて食べる。
美味である(池上先生ごちそうさまです)。
風呂上がりビールをぐふ〜と飲みながら、「どうしてこんなに会議が多いんだ・・・」とためいきをつく。
会議が多いのはそれだけ「解決すべき問題」が多いからである。
「解決すべき問題」が増えるには外的理由と内的理由がある。
少子化による大学淘汰を生き延びるための仕事や文科省や大学基準協会の課すペーパーワークは外的理由である。
これは大学人サイドの主体的努力ではどうにもならない。
あきらめて受け容れるしかない。
もう一つ「内的理由」がある。
これは私たち自身が原因で生じている。
私はこれを「ピア・ストレス」と呼んでいる。
率直に申し上げよう。
私たち大学人にとって最大のストレッサーは同じ大学人である同僚である。
組織内部における同僚たちとの意思疎通・合意形成の不調が私たちの心身のストレスの主因なのである。
会議の80%(もっとかもしれない)の時間は「大学が組織体として何をしようとしているのか」についての学内合意を形成するために費やされている。
独裁制以外のどのような組織体でも合意形成努力は必要である。
けれども、合意形成に要する負荷は経験的に言って二つの理由で不可避的に増大する。
一つは組織構成員の人数が増えることによって。
誰が考えてもわかるが、ステイクホルダーの数が増えれば増えるほど合意形成は困難になる。
先端的な企業では「会議の最大数は4人まで」と言われている。
その会議で新しいアイディアや有用なアイディアが「生まれる」という意味で生産的なのは構成員4人以下の会議までである。
5人以上の会議では「すでに存在しているアイディア」を周知させ、合意形成させるための「手続き」に参加者の時間とエネルギーの過半を取られて、そこで新しい星雲状態のアイディアが生まれるということはほとんど期待できない。
当然ながら、合意形成に要する時間は構成員の数に比して増大する。
というのは、構成員の多い会議では、事前に十分に練り上げた「案」を用意しなければならないからである。
案を用意しないで、白紙から議論したのでは何十時間あっても合意形成なんかできるはずがない。
そして、「生産的な会議は4人まで」の原則に従って、この案の起案作業にかかわったのはどのような規模の組織の場合でも、あまりたくさんはいない。
「起案」にかかわった人間とそこではじめて話を聞く人間のあいだでは情報格差が生じる。
「そこではじめて話を聞いた人間」は「そんな話、ぜんぜんきいてない」ところで根回しが済んでいるという事態に不快感を覚える。
そりゃそうでしょう。
だから「それはどういうことかね」と改めて一から質問してくるということが起こる。「私は聞いてないよ」
会議がはやく終わってほしい人はそんなことはしない。
でも、自分は「シャンシャン大会」で挙手をさせられただけだという印象を持っているから、そこで決定された事業に主体的にコミットしてゆこうという意欲は希薄である。
誰かが決めたことなんだから、誰かがやるんでしょ・・・おれは知らないよ。だって意見、聞かれてないし。
という「無責任」な気分になる。
これはやむを得ない。
繰り返し言うように、起案にかかわれるのはだいたい4人までである。
だから、「意見聞かれてないし・・・」と思っている人の数は、ざっくり言えば、「組織構成員数マイナス4」という公式で得ることができる。
この方たちは採決には参加したけれど、機関決定の履行については自分に責任があるとは実感していない。
全学的な事業が機関決定されながら、なかなか前に進まないのは「自分に責任がない」と思っている人間たちの数が多いせいである。
これは責められないと私は思う(私だってそう思うからである)。
この事態を回避するためには、起案部門では会議に先立って「ひろく意見を聞く」という仕事をしなければならない。
実際には、起案に要する時間と会議に要する時間以上に、このヒアリングに時間とエネルギーは割かれている。
学長はほとんどこれに忙殺されていると言っても過言ではない。
繰り返し言うように、この仕事量は単純に組織構成員数に比例する。
合意形成に要する手間ひまが増えるにはもう一つ理由がある。
だが、それをここで公開してしまうと、学内における合意形成がさらに困難になるので、書くわけにはゆかないのである。
とりあえずの結論を申し上げよう。
私たちの負荷を軽減するために必要なことは、論理的に言えば、組織をダウンサイジングすることである。
同僚の数を減らすことである。
昨日の教授会の議論を徴する限りでは、「同僚の数が増えることによって仕事の負荷が軽減する」ということを自明としている方が多かったようである。
しかし、それはご自身が今経験している現実を勘定に入れ忘れているのではないかと思う。
大学人にとって最大のストレッサーはその同僚である。
現に私たちの心身をすりへらしているのは教育活動でも研究活動でもなく、同僚とのコミュニケーションの不調である。
これは属人的な問題ではなく、構造的に不可避なことだと私は考えている。
コミュニケーション不調がもたらす被害を抑制するためには、組織はある程度以上大きくすべきではない。
大きくしようと思うなら、上意下達システムにするか、学部を「分社化」するか、いずれかの方法を採るしかないだろうと思う。
さしあたり、現在の制度を維持する限り、教員数を増やすことで仕事の負荷が減るだろうという予測は推論の仕方を誤っていると私は思う。
現にこのようなことを書いて、同僚諸君の心理的負荷を過重にしているのが他ならぬ諸君の同僚であるという当の事実が説の正しさを論証しているとは思われぬであろうか。
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