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2010年10月 アーカイブ

2010.10.01

卒論心得

ゼミの卒論中間発表が来週の火曜日と迫ってきた。
学生たちはいまごろになってパニック状態になっているようである(どこのゼミでも似たような状況らしいですけど)。
ゼミの諸君に「リマインダーメール」を送ったら、夏休み前にみんなに送った「中間発表心得」の添付ファイルが出てきた。
こういうものを書くのもこれが最後で、世の学生諸君の卒論執筆の一助となればと思い、ここに記しておきます。

内田ゼミ4年生のみなさまへ「卒論中間発表の心得」
暑いですね。ぼくも暑さと忙しさで死にそうです。
みなさんも就活やバイトやら旅行やらでたいそうお忙しい夏休みをお過ごしのことと思いますが、「卒論」というものがあることを忘れてはいけません。
卒論中間発表について、ご連絡いたしますので、熟読玩味してください。
(1) とき:
(2) ところ:
(3) 用意するもの:草稿、ハンドアウト
(4) 草稿について:字数:6000~8000字(音読して15~20分)
必ず書かなければいけないことは
「タイトル」
「目次」
「序章」:ここでは、その研究主題を選んだ理由を示すと同時に、先行研究についての批判を必ず行ってください(その理由はあとで説明します)。
「これまで書き上げた分のうちの一章」
学術論文の場合、必ずしも第一章から順番に書くわけではありません。途中から書いたり、途中を抜いて前後から詰めていったりすることもあります。
「序論」なんかはたいていいちばん最後、「結論」を書いたあとに書くものです(そうしないと、「序論」でもくろんだのとぜんぜん違う結論になったときに困りますから)。
中間発表では「とりあえずまとまった章」だけ発表してもらいます。
以上全部あわせて6000~8000字。
(5) ハンドアウト:A4一枚。いつのも発表のレジュメと同じですが、今回は、「タイトル」と「全体目次」を必ず書き入れておいてください。
(6) 執筆上のご注意
なによりもまずご理解いただきたいのは、これはたぶんほとんどのみなさんにとって生涯に書く最初で最後の「学術論文」だということです。
これまで書いてもらったものは「レポート」です。「論文」ではありません。
「レポート」と「論文」はどこが違うか、わかりますか?
「レポート」は「私はこれだけ勉強しました」ということについての「報告」で、提出先は「先生」です。ふつうは先生ひとりしか読みません。
先生はそれをぱらりと読んで「ほ、75点」「ふん、83点」とか点をつけます。成績表を見た学生さんが「この点数の積算根拠についてアカウントを求めたい」というようなことを言ってこられても、こちらは「そんな昔のことは覚えちゃいないね」と『カサブランカ』のハンフリー・ボガードのように遠い目をするばかりです。
なにより「レポート」は「これだけいっしょうけんめい勉強しました」ということを誇示するのがおもな目的ですので、参考文献をたくさん読んで、そこに書いてある内容を「これでもか」と言うほど引用すれば、けっこうなスコアがもらえます。
オリジナリティとか、新説とか、そのようなものは「レポート」には求められません。
そこが「学術論文」と違うところです。
「学術論文」は逆に「それしか」求めません。
他の本に書いてあることを糊と鋏で切り貼りして「一丁あがり」ともってきたら「レポート」で100点もらったけれど、同じペーパーをそのまま卒論に出したらは0点だった、ということは(理論上は)ありえます。
そこに「何も新しいもの」がなければ、0点をつけられても学者は文句を言えないのです。
諸君は学会というようなところに行ったことがないからご存じないでしょうけれど、そこでは「まだ誰も言ったことのないこと」を言うために学者たちが集まってきて、論文を読み上げて、さかん議論をしています。
そして、質疑応答のときに、「あなたのそのホニャララ説なるものは、すでに別の学者によって発表されている」という指摘がなされたら、それで「アウト」です。即、退場。
学術上の新発見をジャーナルに投稿したら、別の研究者が同じ発見を一日前に投稿していたので、ノーベル賞をもっていかれた・・・というような話はみなさんもご存じでしょう。
学術の世界では「プライオリティ」(先取権)というものが重く見られます。
「まだ誰もそのことを言っていないこと」を言うことに、それにのみ学者の栄光は存します。
他の人がすでに発見し、理論化し、本に書き、世間周知のことを、こちょこちょと糊と鋏で切り貼りして、「これが私の論文です」といばってみても「バカ」だと思われるだけです。
プライオリティ、あるいはオリジナリティということは、もうひとつのもっとたいせつな条件と結びついています。
それは公開性ということです。
「まだ誰もそれを言っていないこと」であるかどうかは、実は「先生」にはわかりません。
「先生」だって専門以外のことについてはあまりよく知りません(専門のことについてだって、けっこう穴だらけ)。
だから、論文を読むのが「先生ひとり」であれば、先生がぜんぜん知らなそうな分野のことであれば、「ありもの」を切り貼りして先生を騙すことは可能です。
先生ひとりなら騙せます。
でも、「レポート」と違って、「学術論文」は天下に公開されます。理論上は世界中のすべての人がアクセスできるようなかたちで発表されます。
だから、誰かの本からこっそり抜き書きして「ニセ論文」を作って提出すれば、先生ひとりは騙せても、その分野の専門家たちが見れば、たちまち馬脚があらわになります。
学術論文が公開されるのは、ひとつにはそのように「プライオリティやオリジナリティが真正のものであるかどうか検証する」ということがたいせつだからです。
でも、もうひとつ、もっと大事な理由があります。
それは学術研究が本質的には「他者への贈り物」だからです。
「レポート」の場合は、「ぜひこれを読んで貰いたい」という読者を想定して書いているわけではありません。
どうせ読むのは先生ひとりだし、書いている学生さんにしても、その先生に対しても「このことだけは知って欲しい」という特段のメッセージがあるわけではありません。知って欲しいのは「ちゃんとまじめに勉強しました」ということだけです。伝わって欲しいのは「だから単位ください」というメッセージだけです。
学術論文はそうではありません。
誰が読むのは、それは書いているときはまだわかりません。
いつか、どこかでその論文を手に取ることになる「誰か」です。
そのことについて、何となく気になって、前からいろいろ考えていて、「もっと知りたい、もっと理解したい」と思っている「誰か」です。
論文はその「まだ見ぬ読者」を宛先にした「贈り物」です。
その読者に「ああ、私は『こういうもの』を探していたのだ。『こういうもの』を読みたかったのだ」と思って貰うように書く。
その「贈り物」性こそが学術論文の本質であると申し上げてよろしいでしょう。
「レポート」はどんなにすばらしいものを書いても、読者は先生ひとりであり、高いスコアをもらうことによる受益者は書いた学生ひとりです。
「論文」は、潜在的読者は「万人」であり、それがすぐれたものであった場合に、そこから受益する人間の数は(理論上は)「無限」です。
ですから、論文の卓越性は、それが「どれだけ多くの人に『贈り物として』受納されたか」を基準に査定されることになります。
そのことをきちんと頭に入れておけば、「どういうふうに書くか」、論文の書き方もおのずからわかってくるはずです。
「論理的に書く」
当たり前ですね。ひとりでも多くの読者にわかってほしくて書くんですから、むろん情理を尽くして説く。順序立てて論じる、論拠を示す、適切な例証を引く。
「引用出典を明らかにする」
先行する研究はもちろん十分に参考にしなければなりません。
でも、他人の知見やよその人が調べたデータを「自分のオリジナルのもの」であるかのように偽装することは許されません(それは「盗用」と言って、学術の世界ではきびしい罰の対象になります)。
先行研究は先人から私たちへの「贈り物」であるわけですから、その中からとりわけ「よいもの」を選りすぐって次世代の研究者に「パス」することは私たちのたいせつな世代的義務です。
でも、それが「誰からの贈り物」であるかを示す「タグ」を私たちが勝手にはずして、自分の名前を書き込んで贈り物にしてはいけません。
「これはXさんからの、これはYさんからの、そしてこれは私からの贈り物です」とちゃんと区別して手渡すのが、ふつうの場合でも礼儀ですよね。
それと同じです。
「自分のオリジナリティを明らかにする」
「先行研究批判」というのは、先行研究を「否定する」という意味ではぜんぜんありません。間違えないでね。
先行世代から「どさっ」と手渡された「学的贈り物」の山の中から、「この論件について研究する次世代の研究者には、これとこれは残しておかないといけないね」とセレクトすること、それが「先行研究批判」です。
そして、このセレクションの作業を通じて「私からの贈り物」の意味が際立ってきます。
みなさんが、クリスマスや誕生日に友だちにプレゼントする場合と同じです。
贈り物が「かぶらない」ようにするでしょ。
学術的オリジナリティも、それと同じです。
先行世代からの贈り物と「かぶらないようにする」こと。
私からの贈り物は「ほかの誰のものとも重複しません」という名乗り。
それがオリジナリティということです。
「私のこの贈り物と同じものを思いついた人は、これまで世界に誰もいません」という宣言がなしうることを「プライオリティ」と言います。
おわかりになりましたか。
「学術論文を書く」ときの心構えは、みなさんがふだん生活しているときに「たいせつなひとに、自分のことをいつまでもきちんと記憶してもらいたくて贈る贈り物」を選ぶときの基準とまったく同じです。
とりあえずみなさんは「自分が選んだ研究テーマと同じテーマで来年卒論を書こうとしている内田ゼミの3回生」を「想像上の読者」に想定して書いてください。
彼女がすらすら読めるように、彼女が「当然知っていること」はさらっと流し、「このへんは説明が必要」だと思うところは、じっくりていねいに。彼女が「自分もそのデータや参考文献を調べたい」と思ったときに、すぐにアクセスできるように、データや論拠の引用出典を示すこと。「これが先輩のオリジナルなアイディアなんだな」ということがわかるように、「先人からの贈り物」にはその「タグ」を、「これは私の意見です」というものにはその「タグ」を、必ずつけること。
とりあえず、その3点に注意して執筆してみてください。
論文の書き方の形式的なことは『岡田山論集』の掲載論文をご覧ください。
では、諸君の健闘を祈ります。
よい夏休みを!

2010.10.02

二重投稿

一個前の「卒論心得」は前に7月ごろにブログに投稿してましたね。
夏休みの暑さであたまがぼんやりして、書いたことを忘れて、二重投稿しちゃいました。
だいたい、学生たちにこんなものを書いて配布したことそれ自体を忘れていたのでした。
なんでも忘れる男です。
でも、書いた本人が読み返しても「なるほどねえ」と思ったんだから、いいですよね。
だいたい、私が書いていることって、どれも10年前からほとんど同じことの繰り返しなんだし。

2010.10.08

ヴァーチャル奉祝記事

今年も書きました、ノーベル文学賞予定稿。そして、今年も使われませんでした(泣)。
来年こそは使って欲しいですね。
村上春樹さんのノーベル文学賞受賞を祝う
 村上春樹さんが今年度のノーベル文学賞を受賞した。「ようやく」という感じがする。
毎年この時期になるとメディアから「受賞予定稿」を求められる。だから、このセンテンスを書くのもこれで六回目である。もちろんこれも予定稿。『1Q84』が現実の1984年とは別の1984年の世界の出来事を描いていたように、私もまた毎年「村上春樹がノーベル文学賞をもらった(現実には存在しない)世界」についての短い物語を書いてきたわけである。私は小説というものを書いたことのない人間であるから、たぶんこれが私の書いた唯一のフィクションということになる。
受賞奉祝記事には毎年ほぼ同じことを書いている。それは村上春樹の「世界性」を構成するのは何かという問いである。村上文学は一部の批評家たちからはひさしく「ポストモダン社会における都市生活者の浮薄で享楽的な生活を描いた風俗小説」という罵倒に近い批評を浴びてきた。けれども、そのような定義では、掃いて捨てるほど書かれている同類の作物の中で、村上春樹の作品だけが例外的に世界的なポピュラリティを博し、数十カ国語に訳され、宗教も政治体制も習俗も超えた読者を増大させ続けている理由を説明することができない。
村上文学の世界性をかたちづくっている要素は何か。私はそれをある種の「神話性」だと思っている。
人類すべてに共通する物語がある。「昼と夜」とか、「男と女」とか、「神と悪魔」とかいうのはそのような「世界に秩序を与えるための物語」である。それらの物語が語られたことによって、世界は分節され、整序され、有意化され、いまあるようなものになった。もしそれらの物語が語られなかった場合に世界がどのような相貌を示すことになったのか、私たちは想像することができない。「夜のない昼」とか「いまだ性化されていない世界における女性」というようなものを私たちは思い描くことができない。すでに物語的に分節された世界に産み落とされた私たち人間は「分節される以前の世界」には遡ることができないのである。
けれども、ある種の人々は世界が分節され、有意化され、今あるようなものになったその生成の瞬間に切迫したいという法外な野心をもつことがある。根源的に思考する自然科学者や哲学者たちがそうだ。彼らは宇宙の理法や存在の彼方について(えら呼吸しかできない魚が空気中に身を乗り出すように)許容された棲息条件を踏み超えてまでも思考しようとする。同じように、作家たちの中にも物語がいかなる作為も予断もなしに純粋状態で流出してくるその瞬間に-つまり世界が意味をもって顕現してくるその瞬間に-立ち会うことを切望する人々がいる。そのマインドセットは最先端で仕事をしている自然科学者とほとんど変わらないと私は思う。
村上春樹はそのような作家の一人である。村上春樹の世界性を担保しているのは、彼が「グローバル化した社会に共通する先端的な風俗や感性」のようなものを達者な筆致で描いているからではない(そのようなものはわずかの賞味期限ののちに「歴史のゴミ箱」に投じられるだろう)。そうではなくて、この作家が「私たちはなぜ物語を必要としているのか」という根源的な、ほとんど太古的な問いをまっすぐに引き受けているからである。人間が人間であるためには物語が語られなければならない。このことを村上春樹ほど真率に信じている作家は稀有である。
多くの作家は「いかに書くべきか」という問いを「いかに書けば批評家に『先端的』『前衛的』と評価されるか」「いかに書けば『私の唯一無二性』を誇示できるか」「いかに書けば市場に選好されるか」といったプラクティカルな問いに置き換えて考えている。村上春樹はそうではない。彼はまっすぐ人間の想像力の根源にある「暗い場所」に垂鉛を下ろしてゆく。それが人間にとってのたいせつな仕事、「類的使命」の一つだということを確信しているからである。その作業についての作家自身の言葉を引いておこう。
「僕は決して選ばれた人間でもないし、また特別な天才でもありません。ごらんのように普通の人間です。ただある種のドアを開けることができ、その中に入って、暗闇の中に身を置いて、また帰ってこられるという特殊な技術がたまたま具わっていたということだと思います。そしてもちろんその技術を、歳月をかけて大事に磨いてきたのです。」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』、2010年、文藝春秋、89頁)
この錬磨の努力を自らに課す作家を同時代に得たことを一読者として素直に喜びたい。

2010.10.10

内田ゼミ関係者への業務連絡です

内田ゼミ在校生&わりと最近の卒業生のみなさま

こんにちは。内田樹です。

お元気でお過ごしですか。在学中のアドレスで連絡網回します。もうそのアドレスは使われていない・・・ということも多いと思いますので、同期のおともだち同士で「メール来た?」と確認しておいてくださいね。

さて、私は2010年度末をもって21年間つとめました神戸女学院大学を定年退職することになりました(ちょっとはやいけど、選択定年制で60歳になると退職できるのです)。

退職後は、住吉に道場兼住居を建てて(いま設計中)、そこで武道のお稽古を中心にのんびりくらす予定です。

つきましては、退職にともなうイベントをいくつか計画しておりますので、ご案内申し上げます。

(1)最終講義:1月22日(土)15:00~16:00 神戸女学院大学講堂 (講義終了後、EB館めじラウンジにて茶話会。その後、日が暮れてから、近くでパーティを予定しております)。

(2)最終ゼミ旅行:2月6日-9日/2月6日-11日 いつものバリ島(仕切りはいつもの下山くん)。今回はお仕事が忙しい人もちょっとだけ参加できるように「短期滞在ヴァージョン」もご用意しました。
詳細は下をご覧ください。
参加資格は「ゼミの卒業生、大学院の論文指導院生、大学院聴講生、ならびにその家族その友人」です。
「ウチダはゼミ生の顔と名前すぐ忘れちゃうらしいから、『卒業生で~す』とか嘘ついて紛れこんでもけっこうバレないかも・・・」と一瞬思った方、いるでしょ。
それはダメですよ。
たぶんすごい大人数の社員旅行みたいなものになると思いますけれど、ぼくは「社員旅行みたいなの」が大好きなので、勝手を申してすみませぬ。
詳細についてのお問い合わせと参加申し込みは直接KNTの下山さんあてにお願いします。

アドレスは

shimoyama075843@mb.knt.co.jp

です。椰子の木陰でピニャコラーダをのみながら、熱帯の風に吹かれてみんなで「ほげ~」としましょう。夫や赤ちゃんを連れて参加する方もいますので、その点もご遠慮なく。

よろしくご検討ください。
2/6~2/11 6日間 95,000円
2/6~2/9 4日間 82,000円
1人部屋追加代金 6日間28,000円/4日間14,000円
ビジネスクラス追加代金 60,000円

利用航空会社はガルーダインドネシア航空、宿泊ホテルはいつものとこです。

旅行代金に含まれないもの
関空使用料2,650円
現地空港税150,000ルピア(約1,700円現地空港払い)
燃油サーチャージ11,000円(10/6現在)燃油サーチャージは来年から改訂される可能性があります。

では!

2010.10.11

公共性と痩我慢について

高橋源一郎さんの「午前0時の小説ラジオ」が復活して、今朝は「公的」と「私的」という論件が採り上げられた。
ぼくもそれについて高橋さんに追随して言いたいことがある。
まず、高橋さんの「ラジオ」から全文を引用。

「尖閣諸島」問題(中国にとっては「釣魚島」問題)でマスコミに「売国」の文字が躍った。「尖閣諸島はわが国固有の領土」といってる首相が「売国奴」と呼ばれるのだから、「中国のいってることにも理はある」といったらどう呼ばれるのだろう。非国民?
「尖閣」諸島はもともと台湾に付属する島々で、日清戦争後のどさくさに紛れて、下関条約で割譲されることになった台湾の傍だからと、日本が勝手に領有を宣言した、ということになっている。だとするなら、台湾を返却したなら、「尖閣」も返却するのが筋、というのも無茶な理屈じゃない。
というか、領土問題は「国民国家」につきまとう「不治の病」だ。日本も中国も、同じ病気なのだ。国家は病気(狂気)でいることがふつうの状態なのである。国民は、頭のイカレた国家に従う必要はない。正気でいればいいのだ。だが、今日したいのはその話ではない。関係はあるけれど。「尖閣」問題のような、あるいは、「愛国」や「売国」というような言葉が飛び交う問題が出てくると、ぼくは、いつも「公と私」はどう区別すればいいのだろうか、とよく思う。「公共」というような言葉を使う時にも、自分で意味がわかっているんだろうかと思う。そのことを考えてみたい。
この問題について、おそらくもっとも優れたヒントになる一節が、カントの『啓蒙とは何か』という、短いパンフレットの中にある。それは「理性の公的な利用と私的な利用」という部分で、カントはこんな風に書いている。
「どこでも自由は制約されている。しかし啓蒙を妨げているのは…どのような制約だろうか。そしてどのような制約であれば、啓蒙を妨げることなく、むしろ促進することができるのだろうか。この問いにはこう答えよう。人間の理性の公的な利用はつねに自由でなければならない。理性の公的な利用だけが、人間に啓蒙をもたらすことができるのである。これに対して理性の私的な利用はきわめて厳しく制約されることもあるが、これを制約しても啓蒙の進展がとくに妨げられるわけではない。さて、理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである。公的な利害がかかわる多くの業務では、公務員がひたすら受動的にふるまう仕組みが必要なことが多い。それは政府のうちに人為的に意見を一致させて公共の目的を推進するか、少なくともこうした公共の目的の実現が妨げられないようにする必要があるからだ。この場合にはもちろん議論することは許されず、服従しなければならない。」ここでカントはおそろしく変なことをいっている。カントが書いたものの中でも批判されることがもっとも多い箇所だ。要するに、カントによれば、「役人や政治家が語っている公的な事柄」は「私的」であり、学者が「私的」に書いている論文こそ「公的」だというのである。ぼくも変だと思う。実はこの夏、しばらく、ぼくはこのことをずっと考えていた。そして、結局、カントはものすごく原理的なことをいおうとしたのではないかと思うようになったのだ。たとえば、こういうことだ。日本の首相(管さん)が「尖閣諸島は日本固有の領土だ」という。その場合、首相(管さん)は、ほんとうにそう思ってしゃべったのだろうか。あるいは、真剣に「自分の頭」で考えて、そうしゃべったのだろうか。そうではないことは明白だ。首相は「その役職」あるいは「日本の首相」にふさわしい発言をしただけなのである。
自民党や民主党や共産党や公明党やみんなの党の議員が、政治的な問題について発言する。それが「問題」になって謝ったりする。その時、基準になるのは、彼らの個人的な意見ではない。「党の見解」「党員の立場」だ。それらを指して、カントは「私的」と呼んだのである。
国家や戦争について話をするから自動的に「公的」や「公共的」になるわけではない。しかし、それを「私的」と呼ぶのはなぜなのだろう。それは、その政治家たちの考えが一つの「枠組み」から出られないからだ。そして、その「枠組み」はきわめて恣意的なのである。
「尖閣」問題を、日本でも中国でもない第三国の人間が見たらどう思うだろう。「そんなことどうでもいい」と思うだろう。国家を失った難民が見たらどう思うだろう。「そんなくだらないことで罵りあって、馬鹿みたい」と思うだろう。「私的な争い」としか彼らには見えないはずだ。
では「私的」ではない考えなどあるのだろうか。なにかを考える時、「枠組み」は必要ではないだろうか。カントの真骨頂はここからだ。「公的」であるとは、「枠組み」などなく考えることだ。そして、一つだけ「公的」である「枠組み」が存在している。それは「人間」であることだ。
『啓蒙とは何か』の冒頭にはこう書いてある。
「啓蒙とは何か。それは、人間がみずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないかではなく他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから、人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。」
「自分の頭で」「いかなる枠組みからも自由に」考えることの反対に「他人の指示を仰ぐ」ことがある。カントは別の箇所で「考えるという面倒な仕事は、他人が引き受けてくれる」とも書いた。それは、既成の「枠組み」に従って考えることだ。それが「公的」と「私的」との違いなのである。
国家や政治や戦争について考えるから「公的」なのではない、実はその逆だ。
それが典型的に現れるのが領土問題なのである。
「日本人だから尖閣諸島は日本の領土だと考えろ」と「枠組み」は指示する。同じように「中国人だから釣魚島は中国領だと考えろ」と別の枠組みも指示する。もちろん、ぼくたちは、思考の「枠組み」から自由ではないだろうし、いつも「人間」という原理に立ち戻れるわけでもないだろう。知らず知らずのうちに、なんらかの「私的」な「枠組み」で考えている自分に気づくはずなのだ。「公」に至る道は決して広くはないのである。
最後に少し前に出会ったエピソードを一つ。深夜、酒場で友人と小さな声で領土問題について話していた。あんなものいらないよ、と。すると、からんできた男がいた。男はぼくにいった。「おまえは愛国心がないのか。中国が攻めてきた時、おまえはどうする。おれは命を捨てる覚悟がある」だからぼくはこう答えた。
「ぼくには、家族のために投げだす命はあるが、国のために投げ出す命なんかないよ。あんたは、領土問題が出てきて、急にどこかと戦う気になったようだが、ぼくは、ずっと家族を守るために戦ってる。あんたもぼくも『私的』になにかを大切に思っているだけだ。あんたとぼくの違いは、ぼくは、ぼくの『私的』な好みを他人に押しつけようとは思わないことだ。あんた、愛国心が好きみたいなようだが、自分の趣味を他人に押しつけるなよ。うざいぜ」
ぼくも酔っぱらうとこういうことをいうんだなと思いました。訂正はしません。以上です。ご静聴ありがとう。

ぱちぱち。
高橋さんの素敵なスピーチをご紹介した。
僕がこれを引用したのは、カントとずいぶん近いことを(全く違う文脈で)述べた人が日本にもいたことを思い出したからである。
時代的には百年ほど後になるが、福沢諭吉である。
以前にこのブログでも紹介したが、その『痩我慢の説』の冒頭に福沢はこう書いている。
「立国は私なり、公に非ざるなり」
国民国家をつくるのはそれぞれのローカルな集団の「私」的な事情である。だから、国家というのは、本質的に「私的なもの」だ。
福沢はそう言い切る。
「なんぞ必ずしも区々たる人為の国を分て人為の境界を定むることを須(もち)いんや。いはんやその国を分て隣国と境界を争うにおいてをや。」
国境線を適当に引いて、「こっちからこっちはうちの領土だ、入ってくるな」とか言うのは所詮「私事」だと言っているのである。
「いはんや隣の不幸を顧みずして自ら利せんとするにおいてをや。いはんや国に一個の首領を立て、これを君として仰ぎこれを主として事え、その君主のために衆人の生命財産を空しうするがごときにおいてをや。いはんや一国中になお幾多の小区域を分ち、毎区の人民おのおの一個の長者を戴きてこれに服従するのみか、つねに隣区と競争して利害を殊にするにおいてをや。」
国境だの国土などというものは、人間が勝手にこしらえあげた、ただの「アイディア」だと福沢は言い放つ。
「すでに一国の名を成すときは人民ますますこれに固着して自他の分を明かにし、他国政府に対しては恰(あたか)も痛痒(つうよう)相感ぜざるがごとくなるのみならず、陰陽表裏共に自家の利益栄誉を主張してほとんど至らざるところなく、そのこれを主張することいよいよ盛なる者に附するに忠君愛国の名を以てして、国民最上の美徳と称するこそ不思議なれ。」(福沢諭吉、「痩我慢の説」、『明治十年丁丑公論・痩我慢の説』、講談社学術文庫、1985年、50-51頁)
だが、福沢のラディカリズムが輝くのは、話が「ここで終わる」のではなく、「ここから始まる」からである。
国民国家というのは単なる私念にすぎない。
だが、困ったことに、私念にも固有のリアリティはある。
「すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといへども、開闢(かいびゃく)以来今日に至るまで世界中の事相を観(み)るに、各種の人民相分れて一群を成し、その一群中に言語文字を共にし、歴史口碑(こうひ)を共にし、婚姻相通じ、交際相親しみ、飲食衣服の物、すべてその趣(おもむき)を同じうして、自ら苦楽を共にするときは、復(ま)た離散すること能はず。」
想像の共同体とはいいながら、起居寝食を共にしているうちに「情が移る」ということはある。それもまた人性の自然である。
福沢は気合いの入ったリアリストであるから、そこでぐいっと膝を乗り出してこう言うのである。
国民国家なんてのはただの擬制だよ。だがね、人間というのは弱いもので、そういうものにすがらなけりゃ生きていけない。その必死さを俺は可憐だと思うのさ。
「忠君愛国は哲学流に解すれば純乎たる人類の私情なれども、今日までの世界の事情においてはこれを称して美徳といはざるを得ず。すなわち哲学の私情は立国の公道にして、(・・・)外に対するの私を以て内のためにするの公道と認めざるはなし。」
立国立政府はカテゴリカルにはローカルでプライヴェートなことがらであるが、「当今の世界の事相」を鑑(かんが)みるに、これをあたかも「公」であるかに偽称せざるを得ない、と。
論理的には私事だが、現実的には公事である。
国家は私的幻想にすぎない。しかし、これをあたかも公道であるかのように見立てることが私たちが生き延びるためには必要だ。
別に国運が隆盛で、平和と繁栄を豊かに享受しているようなときには、そんなことを考える必要はない。
けれども、国勢が衰え、中央政府のハードパワーが低下し、国民的統合が崩れかけたようなときには、「国家なんか所詮は私的幻想ですから」というような「正しいシニスム」は許されない。
そういうときは、「間違った痩我慢」が要求される。
「時勢の変遷に従て国の盛衰なきを得ず。その衰勢に及んではとても自他の地歩を維持するに足らず、廃滅の数すでに明かなりといへども、なお万一の僥倖(ぎょうこう)を期して屈することを為さず、実際に力尽きて然る後に斃(たお)るるはこれまた人情の然らしむるところにして、その趣を喩(たと)へていへば、父母の大病に回復の望なしとは知りながらも、実際の臨終に至るまで医薬の手当を怠らざるがごとし。(・・・) さすれば自国の衰頽に際し、敵に対して固(もと)より勝算なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至りて始めて和を議するか、もしくは死を決するは立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称すべきものなり。すなはち俗に言う痩我慢なれども、強弱相対していやしくも弱者の地位を保つものは、単にこの痩我慢に拠らざるはなし。啻(ただ)に戦争の勝敗のみに限らず、平生の国交際においても痩我慢の一義は決してこれを忘れるべからず。(・・・)我慢能(よ)く国の栄誉を保つものといふべし。」
立国は私情である。痩我慢はさらに私情である。
けれども、これ抜きでは頽勢にある国家は支えきれない。
「痩我慢の一主義は固より私情に出ることにして、冷淡なる数理より論ずるときはほとんど児戯に等しといはるるも弁解に辞なきがごとくなれども、世界古今の実際において、所謂(いはゆる)国家なるものを目的に定めてこれを維持保存せんとする者は、この主義に由らざるはなし。」
「私事」を「公共」に変成するのは、私情としての「痩我慢」なのだ。
福沢はそう言う。
福沢のこのときの文脈を見落としてはいけない。
この文の宛先は一般国民ではなく、勝海舟と榎本武揚という二人の旧幕臣だからである。
これは「私信」なのである。
二人の傑出した人物が、幕臣でありながら、旧恩を忘れて新政府に出仕し顕官貴紳に列されたことを難じて福沢はこの一文を草した。
勝や榎本のような人間は「シニカルな正論」を吐いてはならない。「無茶な痩我慢」をしてみせて、以て百年国民の範となる義務がある。
ロールモデルというのがなきゃ共同体は保たないんだよ、と福沢は言っているのである。
そういう仕事は凡人にはできない。でも、あんたたちならできたはずだ。
人間の桁が違うんだから。
繰り返し言うが、発生的に国家は私事にすぎない。
だが、誰かが「治国平天下」のために生きるということをおのれの規矩として引き受けるとき、その個人の実存によって、「私事としての国家」に一抹の公共性が点灯する。
国家というのは成立したはじめから公共的であるのではなく、その存続のために「痩我慢」をする人間が出てきたときにはじめて公共的なものに「繰り上がる」。
国家は即自的に公共的であるのではない。
私事としての国家のために、身銭を切る個人が出てきたときに公共的なものになるのである。
公共性を構築するのは個人の主体的な参与なのだ。
誤解して欲しくないが、「だからみんな国家のために滅私奉公しろ」というような偏差値の低い結論を導くために私はこんなことを書いているのではない。
「だからみんな・・・」というような恫喝をする人間は「国家が本質的には私事である」という福沢の前提をまったく理解できていない。
彼らは自分が何の関与もしなくても、公共物としての国家は存在し、存在し続けると思っている。
それは「誰か」が自分の手持ちのクレジットを吐き出して、公共性のために供与することによってしか動き出さないのである。
そのような「痩我慢」は純粋に自発的な、主体的な参与によってしか果たされない。
痩我慢というのは、徹底的に個人的なものである。
そして、福沢は行間においてさらににべもないことを言っている。
そのような「痩我慢」を担いうるのは例外的な傑物だけである。凡人にはそんな困難な仕事は要求してはならない。
というのは、凡人に我慢をさせるためには強制によるしかないからだ。
政治的恫喝であれ、イデオロギー的洗脳であれ、そのような外的強制による我慢には何の価値もない。
そのような不純なものによって「私事としての国家」が公共性を獲得するということはありえない。
現に、北朝鮮では国民的な規模で「我慢」が演じられている。だが、外的強制による「我慢」が全体化するほど、この国はますます公共性を失い、「私物」化している。
「こんなこと、ほんとうはしたくないのだけれど、やらないと罰されるからやる」というのはただの「我慢」である。
それは何も生み出さない。
「こんなこと、ほんとうはしたくないのだが、俺がやらないと誰もやらないようだから、俺がやるしかないか」という理由でやるのが「痩我慢」である。
それは「選ばれた人間」だけが引き受ける公共的責務である。
高橋さんに向かって「俺は国のために死ねる」とうそぶいた酔漢は「そういうことを言わないと罰される」という恐怖によってそのような大言壮語を口にしている。
動機は(本人は気づいていないが)処罰への恐怖なのである。
自分が「我慢して公共的なふりをしないと罰される」という恐怖を実感しているからこそ、同じの言葉が見知らぬ隣りの客にも効果的な恫喝をもたらすだろうと信じているのである。
「痩我慢」している人間は決してそのような言葉を他人には告げない。

2010.10.14

業務連絡の訂正

みなさまこんにちは。
前に業務連絡で、最終講義の時間を13時からとしましたが、これは15時からの間違いでした。
ごめんなさい。
15時から16時が最終講義(講堂)、それからめじラウンジで茶話会、その後日が暮れてから学外にてパーティ・・・という段取りです。
お手元のダイヤリーをご訂正ください。

2010.10.18

「反日」の意味について

MBSの朝のラジオ番組に呼ばれて、中国の反日デモについて、パーソナリティの子守さんと、解説の毎日新聞の相原さんとお話をする。
別に中国問題の専門家として呼ばれたわけではない(違うし)。
ただ、このイシューについて「とりあえず頭を冷やしたら」という提言をなす人がメディアではまだまだ少数派なので、話す機会を与えてくださったのである。
尖閣諸島をめぐる領土問題で、日本と中国のそれぞれのナショナリストがデモを繰り返している。
中国では前日の日本国内でのデモに呼応するかたちで、「官許」の反日デモが行われた。
中国には政治的主張をなすための集会の自由が認められていないから、デモができるというのは、事前に当局の許可が与えられたということである。
ただ、この場合の「官許」の意味はいささかこみっている。
それは必ずしもデモが中央政府の意を受けているということではない。
今回のような領土問題にかかわるデモは、つねに一般国民からする政府の外交的な「弱腰」批判を含意している(政府が国民感情以上に強硬姿勢であれば、誰もデモなんかしない)。
つまり、「デモが行われている」ということそのものは、どのような政治的文脈においても、「ガバナンスがうまくいっていない」ということを意味しているのである。
それは統治者にとっては、つねに「政治的失点」にカウントされる。
反戦デモであろうと、年金制度改革反対デモであろうと、移民排斥デモであろうと、すべてのデモは政府の統治上の失敗を指弾する。
だから、政府が「官許」でデモを許可するということには、その「失点」を上回る「得点」が期待されているということである。
さて、政府がうまく国内を統治できていないという印象を内外にふりまくことを代償として支払っても、なお獲得できる「得点」とは何であろうか。
それは「国民的統合」である。
自分たちが「外敵」の侵略の危機にさらされているという感覚は、分裂しかけた社会集団を統合するために、きわめて効果的に機能する。
それゆえ、統治能力に欠け、政治的求心力が弱まった統治者はこの「劇薬」に手を出すことがある。
ジョージ・W・ブッシュが同時多発テロのあとにアメリカ政治史上空前の90%の支持率を獲得したのがその好個の適例である(彼は再選後に同じく19%という史上最低の支持率をマークしたが、その差はおおむねアメリカの有権者たちの「侵略に対する恐怖」という政治幻想がもたらしたものである)。
「テロリストに侵略される」というのはほんらい国防の最高責任者であるアメリカ大統領にとっては、許されない政治的失点であるはずだが、ナショナリスティックな怒りに興奮したアメリカ国民は統治者の失策を吟味することよりも、テロリストと戦う「戦時大統領」に全面的な支持を与えることを選んだ。
どこの国の統治者も窮すれば同じ手を使う。
中国の統治者が「官許の反日デモ」というきわどい政治カードを切るのは、それだけ中央政府の求心力に自信がないということを意味している。
私たちが知る限り、これに類するものとしては江沢民の95年の反日キャンペーンがある。
ほとんど政治的実績がなく、党内基盤の脆弱だった江沢民は政治的求心力を確保するために、「対日戦勝利50周年」という周年行事を利用して、大々的な反日キャンペーンを企画した。
それは親日的な政治姿勢と民主化運動への理解で知られた胡耀邦総書記に対する批判勢力の先鋒として登場した江沢民にとっては「それしかない」選択肢であった。
だが、このキャンペーンをその頃の日本のメディアはほとんど報道しなかった。
別にメディアが怠慢であったわけではないと思う。
おそらく、それが中国の国内事情(というよりは党内事情)による江沢民の政治的マヌーヴァーだということが政府にもメディアにも周知されていたからであろう。
当時の村山富市首相は戦後歴代の総理大臣の中で、「村山談話」で知られるように、対アジア政策において、きわだって宥和的な態度で知られている政治家であった。
その当時の日本政府の外交姿勢が激しい反日キャンペーンを呼び起こすほどに中国に対して侵略的、敵対的であったということは考えられない。
この歴史的事実から私たちが学ぶことができるたいせつな教訓は、「中国の反日デモは国内(あるいは党内)事情によって火をつけられたり、消されたりする」ということである。
反日デモは、「親日的な政治政策」を掲げる統治者への「揺さぶり」として保守派が仕掛けたり、あるいは保守派の先手を取って、「親日派」のレッテルを拒否するため改革派が仕掛けたりする、政治的なカードなのである。
今回の反日デモについては、中央政府は当初おそらく「自然発生的な排外主義的気分」によるものだと考えていた。
たいした騒ぎにはならないだろうし、せっかく「そういう気分」になったのなら、自分の党派に有利なように政治的に利用しようと考えた。
党内のどちらの勢力も同じことを考えたのである。
そして、どちらがこのナショナリズム・カードをハンドルするか、そのヘゲモニーを賭け金に、水面下ではひそかに党内闘争が展開した。
しかし、デモは意外な展開を見せ始めた。
政治的コントロールを離れ始めたのである。
ここからは今日のネットのニュースをそのまま貼り付けておく。
「中国四川省綿陽市で17日起きた反日デモの一部が暴徒化したのは、当初の若者らによるデモ行進に失業者ら政府に不満を持つ多くの市民が合流したためである可能性が高いことが地元の公安当局者への取材で分かった。
公安当局者によると綿陽のデモは、16日の成都でのデモを受け地元の若者らがインターネットや携帯電話のショートメールなどで呼び掛けたことがきっかけ。若者らは『釣魚島(尖閣諸島)は中国のものだ』と叫びながら数百人規模で行進した。当局者は『最初は全体的に理性的に行われていた』と述べた。
その後、市中心部の繁華街を練り歩くにつれ、参加者は2万~3万人規模に膨れ上がった。一部が暴徒化、日本料理店などを次々と襲った。公安当局者は『暴徒の多くは職のない貧困層だった。反日を口実にデモに参加し、実際は反政府を訴えた。中には、2008年の四川大地震で家や仕事を失った者もいたようだ』と話した。
中国当局は批判の矛先が政府に向き、社会の安定を揺るがす事態に発展するのを懸念している。北京では15日から年1回の重要会議、中国共産党の第17期中央委員会第5回全体会議(五中全会)が開かれており、地方にうずまく不満が、反日を口実にうねりとなって噴き出した格好となった。」
この分析は妥当だと私は思う。
中国では「反政府」デモは制度的に禁圧されている。
だから、「反日」の看板を掲げて、鬱積した「反政府」の怒りを暴発させるということは、国民の側からする狡猾なマヌーヴァーとしては「あり」である。
つまり、政府も国民も、「反日」という「検閲済みの看板」を掲げて、それぞれの「検閲を通らない欲望」をリリースしているのである。
デモの帰趨はわからない。
おそらく今度のデモそのものは大事に至る前に、それが少しでも反政府的な意図を暴露すると同時に、鎮圧されるだろう。
けれども、「反日」を掲げさえすれば、政府は「とりあえず」手を出さないということを、反政府的な心情を抱く中国人たちが経験知として学んだ場合に、このあとも繰り返し、「反日」デモが噴出する可能性はある。
それに対して、私たち日本人が感情的に反発するのはごく自然なことだけれども、それより先に、私たちは「あなたはそう言うことによって何を言いたいのか?」という分析的な問いを隣人に向けるべきだろうと私は思う。

2010.10.22

教育のコストは誰が負担するのか?

増田聡くんがツイッターで、奨学金について考察している。

もう奨学金という名称を禁止すべきではないか。学生向け社会奉仕活動付きローンとか、強制労働賃金(返済義務あり)とか、いいのがとっさに思いつかないけど、現実を的確に解釈しかつ人口に膾炙するキャッチーな概念をこういうときにこそ考案するのが人文学の仕事なのではなかろうか。マジで。

すくなくとも現状の奨学金は奨学金ではなく貸学金と呼ぶべきだよな。

貸学金:たいがくきん。うっかり借りてしまうと社会奉仕を義務づけられ単位取得が滞りしまいには退学に追い込まれてしまう、恐ろしい学生ローンのこと。

今知ったんですが「貸学金」という言葉は中国語に存在しまして、うちの留学生の王さんにきいたところを総合するとほぼ日本の学生支援機構「奨学金」と同種の学生貸付制度であるようだ(99年開始だとのこと)。一方で、中国には返済不要のちゃんとした奨学金も存在する。よっぽど中国の方がまっとう。

これからは日本の返済義務ありの自称「奨学金」は、貸学金と正しく呼ぶことを提唱したい。とりあえずいま変換辞書に登録した。

普通学生ローンでは親の収入とか聞かないですからねえ…。貸学金は就学困難学生対象、返還減免や利率減免もあり現状の日本学生支援機構の制度とかなり似てる。

結局、日本では高等教育の受益者は学生(とその親)でしかない、とする通念が強固なので、その学費は自由な参入と離脱に対して禁止的なまでに上昇してしまう。

となると、本来あるべき「高等教育を受けた人が社会を良くする(経済的に、を含むあらゆる側面で)ことによる社会全体の受益」のために、たまたま経済的困難を抱えて就学困難な学生を支援する、という奨学金の趣旨は見失われるし、高等教育自体の「名目化」も進行する。

高等教育の名目化とは、「高い学費自前で払ってる消費者やから、多少勉強してなくても学士号やっとくか」という大学現場の(われわれの)弛みに他ならない。

学生時代の恩師は大学紛争直後に大学にいた世代だが、呑むたびに「昔は学費が安かったから出来の悪い連中を心置きなく落第させられたけど、今は卒業させないと学費かかるから落とせない」とこぼしていたのを思い出す。そういえば「落第」が大学現場で死語になり「留年」となったのはいつ頃からだろう。

本来のscholarshipというのは高等教育の自由な参入と離脱を保証することでその教育の質を保つ機能とともに、特に優れた学生へのインセンティヴとして機能していた筈なのだが(というか日本以外の国ではそうなっていると思うのだが)日本語でいう「奨学金」は何の機能を果たしているのだろう。

なぜオレが「奨学金」問題にこだわるかといえばその受益者だから。だが大学教員になったら返済不要な育英会「奨学金」ってそもそもおかしいやん、と強く思う。だったらお前は個人的に返せ、という想定される異論自体がおかしい、というのも含め、高等教育を個人的な財にしか還元しない思潮自体が変だ。

私も増田くんの奨学金についての考え方に同意する。
現在の奨学金は本質的に「学生ローン」であり、その根本にあるのは、「教育の受益者は学生自身(および保護者たち)である」という信憑である。
人間が教育を受けるのは、「自己利益を増大させるためである」という考え方そのものが現代教育を損なっているということについては、これまでも繰り返し書いてきた。
しつこいようだが、これが常識に登録されるまで、私は同じ主張を繰り返す。
教育の受益者は本人ではない。
直接的に教育から利益を引き出すのは、学校制度を有している社会集団全体である。
共同体の存続のためには、成員たちを知性的・情緒的にある成熟レベルに導く制度が存在しなければならない。
それは共同体が生き延びるために必須のものである。
だから、子どもたちを教育する。
いくらいやがっても教育する。
文字が読めない、四則の計算ができない、外国語がわからない、集団行動ができない、規則に従うことができない、ただ自分の欲望に従って、自己利益の追求だけのために行動するような人間たちが社会の一定数を越えたら、その社会集団は崩壊する。
だから「義務教育」なのだ。
ほとんどの子どもたちは「義務教育」という言葉を誤解しているが、子どもには教育を受ける義務などない。大人たちに「子女に教育を受けさせる義務」が課せられているのである。
それは子女に教育を受けさせることから直接受益するのは「大人たち」、すなわち社会集団全体だからである。
社会集団には成熟したフルメンバーが継続的に供給される必要がある。
学校は畢竟そのためのものである。
公教育観が今のように歪んだのは、アメリカにおける公教育導入のときのロジックにいささか問題があったせいである。
19世紀に公教育を導入するときに、アメリカのタックスペイヤーたちはそれに反対した。
教育を受けて、知識なり、技術なりを身につけると、その子どもはいずれ、高い賃金や尊敬に値する社会的地位を得るチャンスがある。
つまり「教育を受ける」というのは子どもにとって自己利益の追求である。
そうであるなら、教育は自己責任で受けるべきである。本人か、その親が、将来期待される利益に対する先行投資として行うべきものである。
われわれ成功者は自助努力によってこの地位を得た。誰の支援も受けていない。
そして、自分の金で、自分の子どもたちに教育を受けさせている。
なぜ、その支出に加えて、赤の他人の子どもたちの自己利益追求を支援する必要があるのか。
だいいち、そんなことをしたらわれわれ自身の子どもたちの競争相手を育てることになる。
教育を受けたければ、自分の財布から金を出せ。
以上。
というのが、公教育制度導入までのアメリカの納税者たちのロジックであった。
いまの日本の奨学金制度を支えるロジックとほとんど選ぶところがない。
それに対して、公教育制度の導入を求める教育学者たちはこう反論した。
いやいや、それは短見というものでしょう。
ここでみなさんの税金を学校に投じると、どうなりますか。
文字が読め、算数ができ、社会的ルールに従うことのできる労働者が組織的に生み出されるのです。
その労働者たちがあなたがたの工場で働いたときに、どれくらい作業能率が上がると思いますか。それがどれくらいみなさんの収入を増やすと思いますか。
つまり、これはきわめて率のよい「投資」なんです。
公教育に税金を投じることで、最終的に得をするのはお金持ちのみなさんなんですよ。
「他人の教育を支援することは、最終的には投資した本人の利益を増大させる」というこのロジックにアメリカのブルジョワたちは同意した。
そして、世界に先駆けて公教育制度の整備が進んだのである。
私はこのときの教育学者たちが採用した「苦し紛れ」のロジックを批判しようとは思わない。
できるだけ多くの子どもたちに教育機会を付与することの方が、金持ちの子弟だけしか教育を受けられない制度より国益を増大させ、共同体の存続に有利に作用することは間違いない。
この実証的態度を私は多とする。
けれども、このアメリカの公教育導入の「決め」の一言が「他人の子どもたちの教育機会を支援すると、金が儲かりますよ」という言葉であったことの本質的な瑕疵からは眼を背けるべきではないと思う。
これは緊急避難的な方便ではあっても、公教育の正当性を基礎づける「最後の言葉」ではない。
公教育の正当性は、「金」ではなくて、「いのち」という度量衡で考量されねばならないからである。
できるだけ多くの子どもたちに教育機会を提供し、それをつうじて知性的・情緒的な成熟を促すことは、共同体全体が生き残るために必須である。誰それのパーソナルな利益を増減させるというようなレベルではなく、共同体成員の全員が生き延びるために教育はなされるのである。
子どもたちを教育することは、公的な義務である。
一定数の子どもたちが高等教育を受け、専門的な知識や技術をもち、それを活用することは、共同体全体の利益に帰着する。
だから公的に支援されるべきなのである。
奨学金はそのためのものである。
漱石の『虞美人草』には、人々の篤志によって授かった高等教育機会を自己利益のために利用しようとする青年が出てくる。
彼が受ける罰を詳細に描くことによって、漱石は明治に学制が整備されたその起点において、「教育機会を自己利益の追求に読み替えてはならない」という重要なアナウンスメントを行った。
その効果はたぶん半世紀ほどは持続した。
そして、いま消えている。
教育行政も、子どもたちも、親たちも、教育を受けること、勉強することは「自己利益を増大させるためのものだ」と思っている。
教育のコストは自己負担であるべきだというロジックはそのような世界においては合理的である。
私が言いたいのは、「教育のコストは自己負担であるべきだ」というロジックが合理的であるような社会は共同体として「滅びの道」に向かう他ないということである。

2010.10.26

メディアの病

怒るまいと思っても、つい。
今朝の毎日新聞の論説委員がコラムでが大学院教育の問題点について指摘していた。
90年代からの大学院重点化政策についての批判である。
「『世界的水準の教育研究の推進』をうたい文句に大学院定員が拡大されたが、大量に誕生した博士たちを受け入れるポストは用意されなかった。路頭に迷いアルバイトで食いつなぐフリーター博士なる言葉まで生まれた。」
この現実認識はその通りである。
国策として導入された大学院重点化である。そのアウトカムについても国は責任をとるべきだろう。
責任というと言葉が強すぎるなら、せめて、「定員増には、受け皿になる職がないという『リスク』も帯同しております」ということを大学院進学志望者たちに事前にアナウンスしておくくらいの「良心」はあってもよかったのではないかと思う。
それはよい。
問題はその次の段落である。
意味不明なのである。
「何年か前、さる大学に新設された大学院教授と話したことがある。『高度な専門知識を持つ職業人を育成したい。新聞社への就職も期待していますので、よろしく』。そうのたまうので、思わずツッコミを入れてしまった。『就活の開始時期が早過ぎて学部教育がおそろかになっている。それを放置しながら大学院で職業教育というのは本末転倒じゃないですか。』」
 この論説委員がどうして新聞社への就職を懇請した教授に対して自分には「ツッコミ」を入れる権利があると思えたのか、私にはどうしてもわからないのである。
「就活の開始時期が早過ぎる」というのは誰がどう考えても大学の責任ではない。
雇用する側の責任である。
雇用する側が「新卒一斉採用」という因習的なルールを廃し、求職者に対して、「とりあえずしっかり勉強して、大学卒業してから就職試験を受けに来なさい」と諭す性根があれば、学生だって好きこのんで二年生の秋からばたばたしたりはしない。
私たちだってゆっくりと教育ができる。
「学部教育がおそろかになっている」のではない。
「おろそかにされている」のである。
だいたい、週日の昼間に、現役学生をセミナーと称して本社に呼びつけるということをしているのは、「そちらさま」である。
学部教育の充実をほんとうに期待しているのなら、「そんなこと」をするはずがない。
「セミナーがあるので、ゼミを休みます」「内定者の集まりがあるので、授業を休みます」というエクスキューズを私はこれまで何百回も聴いた。
それが学部教育を空洞化させることがわかっていながら、雇用側は「そういうこと」を平然としている。
それについての大学に対する「謝罪の言葉」というのを私はかつて一度も聴いたことがない。
繰り返し言うが、就活の前倒しで学部教育を空洞化しているのは、雇用側の責任である。
「ツッコミ」を入れる権利があるのは、「本社は大学の学部教育を支援するために、在学中から就活をするような学生は採用しません」と宣言している企業だけである。
このコラムにはまだ続きがある。
「謹厳な教授はしばらく黙ったのち、こう応えた。『おっしゃる通り』」
この「謹厳な」大学院大学教授は何を考えてこんな返答をしたのであろう。
もちろん、「あなたに同意する」という意味であるはずがない。
おそらく、「しばらく黙った」のは対話の相手の知的な不調に驚いて絶句したのであろう。
「おっしゃる通り」というのは「言いたいことはよくわかった」と同じで、「早く帰れ」を含意していたのであろう。
高等教育の不調の原因が専一的に大学側にあること、これは動かしがたい事実である。
けれども、「就活の開始時期が早過ぎる」というのは、企業人が大学人に向かって他責的な口ぶりで言える台詞ではない。
おそらく、つねに他責的な口調でシステムの非をならしているうちに、「自分自身が有責者として加担している問題」が存在する可能性を失念してしまったのであろう。
メディアの病は深い。


2010.10.28

声を聴くことについて

朝8時半から講堂で中高部の生徒たちのために奨励。
「奨励」というのは、キリスト教の礼拝の中で、聖句をひとつ採り上げて、それに基づいてお話を一つすることである。
私が採り上げたのは、『コリント人への手紙一』7:24
「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の前にいなさい」という聖句である。
私はこの聖句から「召命について」という奨励を行った。
レヴィナス老師が教えるように、聖句の意味を知るためには、必ず前後の聖句を読まなければならない。
聖句の意味は文脈依存的だからである。
7章は性愛と結婚についての教えが書かれている。
基本的な考えは「夫は妻を離別してはならない。妻は夫と別れてはならない」ということである。
結婚したら、「そのまま」でいなさいというのが聖書の教えである。
与えられた状況でベストを尽くせ、と。
「おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。」(7:20)
それどころでは済まない。
聖書は「奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。」(7:21)とまで言い切るのである。
聖書の教えはまことに過激である。
「奴隷の状態」においても、私たちは神の召命を聴くチャンスがある。
「どこにいても」私たちは私たちにまっすぐに向かってくる「召命」の言葉を聴くチャンスがある。
神がそこにおいて私たちを「召した」ということは、「そこ」に私たちが果たすべき仕事があるからである。
だから、今、ここで、耳を澄ませなさいと聖書は教えている。
神の召命は大音量で響き渡るわけではない。
それはその人ひとりにしか聞こえない。
そうでなければ、それを「召命」と呼ぶことはできまい。
神の召命は微かな波動として、まわりの誰にも聞こえない、私だけが聞き届けることのできるシグナルとして私たちに触れる。
だから、それに注意を傾けなさい。
深く息をして、眼を閉じて、心を静めて、「存在しないもの」からのメッセージを聴きなさい。
これは服喪儀礼と同じものである。
どの社会集団でも、近親者には服喪儀礼として歌舞音曲を控え、他出や社交を控え、美味を飽食し泥酔することを控えよと命じている。
これは「家の中に重病人がいるとき」の心遣いと同じものである。
壁越しに、病人のわずかな咳払いや、うめき声が聞こえたときに、その微かなシグナルを聞き逃さないように、私たちは病室の近くにじっとして、大きな声を上げることを控え、センサーの感度を高く保つように工夫をする。
死者をあたかも家内の重病人のように扱うこと。
それが服喪儀礼である。
死者はもう存在しない。
けれども、死者は「存在するとは別の仕方で」autrement qu’être生きる者たちに「触れる」affecter。
「死者が私のこのふるまいを見たら、どう思うだろう」という問いがことあるごとに回帰して、そこにいない死者の判断をおのれの行動の規矩とする人にとって、死者は「存在しないという仕方で存在する」。それどころかしばしば死者は「生きているときよりもさらに生きている」。
死者をそのように遇すること、それが服喪儀礼である。
この「存在しないもの、遠来のものからの声に耳を傾けることができる」能力が人間の人間性を基礎づけている。
『論語』の陽貨篇には「服喪三年」についての宰予と孔子の対話が録されている。
弟子の宰予が孔子に服喪期間が長すぎることに不満を言った。
「三年の服喪期間というのは長すぎませんか。そんなに公務を休んでいたのでは、社会制度は維持できません。」
孔子は「じゃあ、好きにしなさい」と宰予を帰してから、かたわらの弟子にこう言った。
「予の不仁なるや。子生まれて三年、然る後に父母の懐を免がる。夫れ三年の喪は天下の通喪なり。予や三年の愛其の父母に有るか。」
あいつも薄情なやつだね。子どもというのは生まれてから三年は父母に扶養されて育つ。それからようやく親の手を離れて生き始める。だから服喪三年ということになっているのだ。あの男は父母に対してその三年分の愛を惜しむのか。
子どもの養育と服喪が「対」になっているという発想はまことに孔子の洞見である。
赤ちゃんのとき、私たちは親が自分に何を語りかけているのか、自分に何を求めているのか、さっぱりわからない。
でも、その意味のわからない言葉がしだいに分節言語として理解されてくるころに、親による24時間ケア体制から離脱して、一人で遊び始める。
「父母からの、聞こえなかった言葉がしだいに聞こえるようになる」というのが子どもの成長過程である。
服喪儀礼はその逆の行程を進む。
「聞こえていた言葉がしだいにか細くなってゆき、やがて聞こえなくなる」まで耳を澄まし続けるというのが服喪儀礼である。
子どもが父母の声を聴き取るまでに3年かかったなら、父母の声が聞こえなくなるまで3年かけるというのは理にかなっている。
人間の世界はそのように「いまだ到来しないもの」と「すでに立ち去ったもの」の間の中空に構築されている。
服喪儀礼とは、死者に対して礼を尽くすことが目的ではない。
死者に対して礼を尽くすことを通じて、「存在しないもの」とかかわる術を学び、人間性を基礎づけることが目的なのである。
話が「召命」からずいぶん離れてしまったようだけれど、召命を聴くことも、服喪儀礼も、赤ん坊の成長も、構造的には同じ身ぶりを繰り返しているのである。
それは耳を澄ますということである。
私たちがすべての人間的営みを通じて、まず学ぶべきことは「聴く作法」なのである。
そこからしか人間の仕事は始まらない。

映画「ノルウェイの森」を見ました

好きな小説が映画化されたとき、どこを見るか。これはなかなかむずかしいです。
基本的にはやりかたは三つあると思います。
(1)原作をどれくらい忠実に映画化したか、その忠実度を評価する。
(2)原作からどれくらい離れたか、何を削り、何を付け加えたか、フィルムメーカーの創意工夫を評価する。
(3)原作のことは忘れて、単独の映画作品として、「同じジャンルの他の映画」とのシナリオや映像や演技の質的な違いを評価する。
『ノルウェイの森』の場合、なにしろ累計発行部数が1000万部を超えた「超ベストセラー」です。
僕だって三回読んでしまったくらいですから、「原作を読んでないふりをして映画を見る」ということは不可能です。
となると、残る選択肢は「忠実度を見る」か「裏切り度を見る」かしかありません。
僕はあらゆる映画評において「できるだけいいところを探してほめる」ことを心がけているので、「忠実度においてすぐれた点」と「裏切り度においてすぐれた点」の両方についてレポートしたいと思います。

まず、「忠実度においてすぐれている点」。
キャスティング。
これは主演の松山ケンイチくんがほんとうに「村上春樹にそっくり」で、すばらしいです。
ちょっと松山くんの方が面長だけれど、うつむいたときの横顔なんか、はっとするほど村上春樹そっくり。しゃべり方もいかにも「そうそう、こういう感じ」です(ときどき声がひっくり返るんですけど、それもいい味です)。
小説の「ワタナベくん」は村上春樹自身じゃないんだけれど、それにしても。
それから緑さん(水原希子)がすごくいい。
緑ちゃんの「ねえ、あたしが今何考えてるかわかる?」という突拍子もない台詞はほとんど原作のままですけれど、水原さんのかすれた声がそこに不思議な厚みを与えています。
直子(菊池凛子)のキャラクター設定については賛否両論があるでしょう。
直子は「ふつうの女の子」がしだいに「狂ってゆく」、『キャッチャー』におけるホールデン少年的な「不可避的に転がり落ちる」危うさが魅力なんです。そのためには「ふつうの女の子」としての清楚な優等生的な魅力がきちんと描かれていないといけない。そうしないと、「転落してゆく怖さ」が出ない。でも、映画では二人の長い東京散歩とかみ合わない会話のところをさらっと流して、すぐに誕生日の、直子が最初に精神的に崩れる場面に入ってしまいます。
ミスキャストは(これは「ほめる映画評」には書くべきじゃないけれど)永沢さん(玉山鉄二)とレイコさん(霧島れいか)。
でも、これは俳優のせいじゃなくて、脚本のせいですね。悪いけど。
永沢さんの人間的魅力と凄みは「ナメクジを飲む」という出だしのエピソードで印象づけられるのですけれど、映画ではカットされている。これがないと、ただのイケメンの鼻もちならないエゴイスト野郎にしか見えません。
レイコさんの場合は、彼女が精神的に崩壊するに至った「邪悪な十三歳の美少女」の強烈な出会いの経験をワタナベくんに語ることで、人間性の奥行きが示され、彼女とワタナベくんとの親しい繋がりが理解されるのですけれど、それがカットされている。
そして、物語のいちばん最後に、直子のために二人で50曲のギター演奏で彩られた「楽しい葬式」をすることで、二人が許し合い、求め合うことの理由がわかるのですが、なんとこの小説のクライマックスシーンが映画ではまるごとカットされているのです・・・こ、これではレイコさんはただの「エロいおばさん」じゃないですか。すごく素敵な人なのに。
それから、ワタナベくんが緑のお父さんの看病をする場面がカットされていましたね。このとき、はじめてあったガールフレンドの危篤状態のお父さんの汗を拭いて、「しびん」におしっこをさせて、海苔を巻いたキュウリを食べさせる魔術的な手際に対して緑ちゃんは「この人は信頼できる」と確信するわけですけれど、その大事なシーンもカットされてました。この場面がないと、どうして緑ちゃんがそんなに深くワタナベくんを愛するようになるのか、わからない。
もう少し続けますね。「忠実度においてすぐれている点」は1968年の早稲田大学のキャンパスの再現。
このヘルメットかぶった学生たちのシュプレヒコールとヘルメットの色分けはまことに現実に忠実でした(社青同がたくさんいて、MLが一人だけしかいないとか、ね。中核と革マルの白メットが出てこないのは「時代考証」した方の個人的な趣味でしょうけど)。
あと、もうひとつだけ。
ワタナベくんが直子と一緒に暮らそうと思って借りたのは原作では国分寺の縁側のある日当たりのよい一軒家でした。そこでワタナベくんは、ぼおっとネコと遊んでいるんです。映画ではなんだか日当たりの悪い、潤いのないアパートで、これは「癒しのための場所」じゃないでしょう・・・と僕は思いました。
視点を変えて、「裏切り度」においてすぐれた点を探してみます。
う・・・とっさには出てきませんね。
原作になくて映画のオリジナルは、二度目の療養所訪問のときに、ワタナベくんが直子と強引にセックスしようとする場面。でも、これは僕にはかなり違和感がありました。雪の中で抱き合う場面も原作にはありません。レイコさんがシャワー浴びる場面も(原作の国分寺の下宿にはお風呂なんかついてないですから)。
つまり、ちょっと「色っぽい」場面がいくつか追加されているわけですけれど、きっとそれで「恋愛映画」的なフレーバーを強化しようとしたということなんでしょう。
でも、僕にはこの企ては成功しているようには思えませんでした。申し訳ないけど。
でも、最後にジョン・レノンのあのしゃがれた声で『Norwegian wood』が流れると、そういう細かな瑕疵は全部どうでもよくなっちゃいました。そうだよな、『ノルウェイの森』って、「そういう時代」の空気をくっきり切り取った物語だったんだから、そのときの音が聴こえて、そのときの空気の波動がふっと伝われば、それでOKなんだよね。
あと最後の最後に一つだけ。
ワタナベくんと緑ちゃんは新宿のDUGで会うんですけど、僕も実は1968年から70年ごろによくDUGでジャズを聴いて、お酒を飲んでいました。とてもシックでトンガッた店だったので、あの店をセットで再現して欲しかったですね。僕らが予備校生や大学生だった頃、女の子を連れてお酒を飲むというと、とりあえずDUGだったんです。村上春樹さんがやっていたジャズバー「ピーターキャット」の原型もたぶんDUGだったんじゃないかな。

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