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2009年05月 アーカイブ

2009.05.03

憲法記念日に思うこと

憲法記念日である。
安倍晋三内閣のころ、改憲運動が急であったが、リーマンショック以後の「100年に一度の危機」で、「そんな悠長な話をしているときではない」ということらしい。
それでよろしいのではないかと私は思う。
今日明日の米櫃の心配をしているときに、人間はリアリストにならざるを得ない。
戦争のとき、いちばんイデオロギー的でないのは前線の兵士だと司馬遼太郎が書いていた。
軍人というのは合理的でなければつとまらないからである。
「どの国の軍隊も、兵士が思想家であることは望まないのである。激越な国家思想をもつ兵士よりも、機械のように命令な忠実な兵を望む。(・・・)
私どもは初年兵を経て非正規将校の養成機関に入れられたのだが、仲間のだれをみても、極端な右翼思想のもちぬしなどはいなかった。
軍人は、当然死ぬ。とくに下級指揮官は戦場の消耗品であらねばならない。そのことの覚悟は軍隊教育の過程のなかでごく自然にできあがるもので、ことごとしい思想教育のあげくにつくられるわけではない。」(『この国のかたち(二)』、文春文庫、1993年、153頁)
アメリカ議会でも、議員の中に従軍経験者が多いときには外交政策が宥和的になり、議員の中に実戦経験のないものがふえると政策が強硬になるとよく言われている。
本邦のおける改憲運動はこれまでも何度も書いたように「戦争ができる国」になりたいという人々の(あるいは無意識的な、あるいはあらわな)欲望を映し出している。
「戦争ができる国」になりたいという欲望には十分な人類学的根拠があることを私は認める。
けれども、その場合でも、自分が「戦場の消耗品になる覚悟」を備えていることを確認した上でそう言っているのかどうかは一応点検した方がいいだろう。
いま40歳以上の男性のうちでは現役自衛官以外で「戦場の消耗品」に供される可能性のあるものは事実上ゼロである。
自分自身は戦場で死傷する可能性のない人間が「戦争ができる権利」を声高に要求するというのはことの筋目が通らないのではないか。
「激越な国家思想」は戦争を始める役には立つが、戦争が始まった後は何の役にも立たない。
カタストロフ的な状況で私たちに必要なのは尽きるところリアルでクールな計量的知性である。
それだけである。
世間が不況になったおかげで「いいこと」がひとつだけあった。
それは、人々がすこしだけリアリストになったことである。
なにごとを決断するときでも、その前に「ちょっと待って」と立ち止まって、ことの理非について頭をクールダウンして吟味する習慣がついたことである。

あるところに改憲運動について少し長いものを書いた。
もう掲載されているはずなので、お暇な方は探して読んでください。

2009.05.04

音楽との対話

久しぶりの休日。
日曜日にお休みできるなんて、何週間ぶりであろうか。
うれしくて朝からお掃除をする。
机の上に積み上がっていた大量の本を片付け、さっぱりと仕事ができる状態にする。
仕事ができる状態になると仕事がしたくなる。
『食能研究』に「存在しないものとのコミュニケーション」、『合気道探求』に「凡庸な武道家の肖像」、『クロワッサン』に「私の選んだCD4枚」を書く。
これで二週間くらい締め切りの心配をせずに済む。
手が空いたので、このところ買い集めたCDをiTuneにダウンロードする。
「三橋三智也全曲集」「春日八郎全曲集」「ロックンロール三人男~平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎」、「弘田三枝子ヒットキットパレード」「Klezmer Revolution」「American Graffiti」「Chuck Berry Best Selection」
どういう選曲なのかと訊かれそうであるが、これはいずれも斉藤言子先生との「音楽との対話」のネタで仕込んだ素材なのである。
テーマは「国語と音韻」。
オペラのアリアは高音部の響き(ジラーレと言うらしい)が「きかせどころ」なのだが、これは母音が湿潤で奥行きのあるイタリア語固有のもので、英語やドイツ語では、この底なしの「のび」がなかなか出せない。
という話から始まって、どの国語でも、その音韻体系のうちでとりわけ「のび」のある音をきかせどころにもってくることに成功した楽曲が「国民歌謡」として長く歌い継がれることになるという(考えれば当たり前な)仮説を音源をたどりながら検証してみたのである。
もちろん、ネタもとは大瀧詠一師匠の「日本ポップス伝」である。
英語はベルカントが似合わない。
英語のオペラは「変」である。
たしかに英語でもミュージカルはあるが、その主題歌がひろく国民歌謡として定着するということはないようである。
『サウンド・オブ・ミュージック』のようなブロックバスター的ミュージカルでも、今に歌い継がれているのは朗朗と歌い上げるドラマティックな歌曲ではなくて、「エーデルワイス」や「ドレミの歌」のような民謡系のものばかりである。
英語で歌った場合、いちばん「のび」が出るのは男性の中音の「鼻声」である。
カントリーの歌唱法である。
鼻声を頭骨に響かせると、どうも英語圏のオーディエンスの「ツボ」にはまるらしい。
ハンク・ウィリアムスからジェームス・テイラー、ニール・ヤングまで(エルヴィスやジョン・レノンも含めて)共通する歌唱法はこれである。
授業では、それからブルガリアの歌曲、スイスのヨーデル、モンゴルのホーミーといろいろな国民歌謡の「きかせどころ」を聞き比べ、最後に日本的な「ジラーレ」を代表する作品として三橋三智也を聴かせたのである。
三橋三智也は本條秀太郎さんによると「三味線弾き」であるから、三味線の「ツボ」で声を張る。
「ツボ」の話はその少し前に鶴澤寛也さんからうかがった。
日本語には固有の音韻の「ツボ」がある。
その話から、どうやって先人たちはロックのサウンドに日本語を載せたか、という問題について話す。
ロックのサウンドにどうやって日本語を載せるかという歴史的課題にはさまざまなソリューションが提示された。
ひとつは漣健児による訳詞。
漣は訳詞は「意味」ではなく、「音韻」を中心になされるべきだということにたぶん最初に気づいた人である。
その代表例として弘田三枝子の「子供ぢゃないの」を聴いてもらった。
歌唱法では、平尾昌晃がポール・アンカの歌唱法を換骨奪胎したのもが最初の成功したソリューションである。
この「フェロモン歌唱法」(@大瀧詠一)はその後西城秀樹を経由して、今日のヴィジュアル系全バンドの歌唱法に採用されてる。
そして、「はっぴいえんど」の実験。
松本隆が提出したソリューションは、「借り着」である音楽には「借り着」である言葉が「はまる」のではないかという卓見であった。
彼らは「身になじまない」バッファロー・スプリングフィールドのサウンドに、同じように身になじまない装飾的で技巧的な詩語を載せたのである。
「借り物」には「借り物」をあてがうと「ぴたりと決まる」というのは或る意味で「コロンブスの卵」である。
同じ原理で桑田佳祐はブルースフレイバーを日本語に載せるために「黒人のブルースの歌唱法を(無理して)真似たイギリス白人エリック・クラプトンの歌唱法を日本人が(無理して)真似る」という大技を繰り出した。
エリック・クラプトンの「無理ぶり」と桑田の「無理ぶり」が同質なので、クラプトンのWonderful Tonight を桑田佳祐が歌うと「いとしのエリー」になる、というような話を三週間したのである。
こんな話をしてお鳥目がいただいてよろしいのであろうかとも思うのだが・・・

2009.05.12

この一週間もたいへんでした

5月4日から更新していないので、備忘のためにその間のできごとを記しておく。
5月5日-6日。恒例の「美山町の小林家で山菜てんぷらを食べる会」。
今年も剣菱とimpression のケーキをかかえてBMWを疾駆させて美山へ。
「1000円高速道路」のせいで、連休中は大渋滞という報道だったが、さいわい舞鶴道は例によってがらがら。2時間ほどで着く。
京都は寒い。
ストーブを焚いている。
小林家は京都在住のスギちゃんユキちゃんが帰省していて、4人全員お揃いである。
この一年間のできごとをご報告し、美山の林業農業の現状についてお話をうかがう。
そういえば私もこの春から農業を始めたのですということをお知らせする。
農業といっても、私は「不在地主」みたいなスポンサーにすぎない。
それでも、日本農業再建のためには行政をあてにせず、ひとりひとりが身銭を切るしかないと思っている。
とりあえず「自分の農地」ができたので、これからずっと美味しい野菜が食べられる。
日本の戦後農政が「国家百年の計」ということを考えずに、農地農作物をひたすら商品経済に飲み込まれるに任せたことのツケはずいぶん高いものについた。
世の中には「市場に委ねてはならないもの」が存在する。
教育はその一つであるが、農業もそうである。
宇沢弘文先生はこれを「社会的共通資本」(social overhead capital)と名づけた。
自然環境(大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、湿地帯、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力ガス)、制度資本(教育、医療、金融、司法、行政など)。
その定義はこうである。
「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。(・・・)社会的共通資本は、たとえ私有ないし私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。(・・・)したがって、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。」(宇沢弘文、『社会的共通資本』、岩波新書、2000年、4-5頁)
宇沢理論の興味深い点は「専門家・職業人」を社会的共通資本の管理運営において政府や市場の上位に置いているところである。
この原則を宇沢は「フィデュシアリー(fiduciary)の原則」と呼ぶ。
Ficuciary とは「信用・信託」のことである。
社会的共通資本の管理者は市民に直接委託され、市民に対してのみ責任を負い、その利益だけを専一的に配慮するものでなければならない。
農業についても宇沢は紙数を割いているが、その中でいちばん重要な箇所だけ引用しておく。
「農の営みが、人類の歴史でおそらくもっとも重要な契機をつくってきた。将来もまた基幹的な地位を占めつづけることは間違いない。農の営みというとき、それは経済的、産業的範疇としての農業をはるかに超えて、すぐれて人間的、社会的、文化的、自然的な意味をもつ。農の営みは、人間が生きてゆくために不可欠な食糧を生産し、衣と住について、その基礎的な原材料を供給し、さらに、森林、河川、湖沼、土壌のなかに生存しつづける多用な生物種を守りつづけてきた。それは、農村という社会的な場を中心として、自然と人間との調和的な関わり方を可能にしてきた。どの社会をとってみても、その人口のある一定の割合が農村で生活しているということが、社会的安定性を維持するためにも不可欠なものとなっている。」(同書、67頁)
わが国の社会的安定性を保つために、行政にも市場にもメディアにも顧みられることのない場面で、静かにきびしい労働に耐えている人々がいる。
私たちが生きていられるのは、彼らの労働に恩沢に浴しているからである。
彼らに対して、あまりに感謝の気持ちを忘れてはいないであろうか。
6日には友人のミウラさんご一家が来る。
そのご令息は「森を歩く人」である。
森を歩いていると、自分の手で土を耕して、植物を育てたいというはげしい、おさえがたい要求を経験するのですという言葉が印象的であった。
こういう若者や彼らの「帰農」運動が今おそらく全国で同時多発的に生まれているようである。
メディアはあまり報じないけれど、私には「実感」としてわかる。
私自身が「ミーハー」だからである。
時代の「潮目の変化」に感応する感度で、私は人後に落ちない。
根っからのシティ派の私が「農業がたいせつだ」と言い出して自分で乗り出したくらいであるから、同じことを考えている人が日本全国に出現しつつあるはずである。
5月7日。大学で授業。
5月8日。大学で授業と会議。
5月9日-10日。恒例の広島での多田先生の講習会。
西日本の門人にとっては、たっぷり二日間多田先生のご指導を受けることのできる希有の機会である。
多田塾合宿よりも、こちらの方が先生とお話できる時間が長いのがありがたい(懇親会ではお隣に座り、朝ご飯も差し向かいで食べることができちゃうのである)。
そういう点ではほんとうに中身の濃い講習会である。
今年もたっぷりと多田先生のお話を伺うことができた。
広島県合気道連盟のみなさん、今年もお世話になりました。毎年ほんとうにありがとうございます。来年もどうぞよろしく。
綿のように疲れて帰宅。
5月10日下川先生のお稽古、授業と会議。あいまに原稿を4本送稿。
夜8時まで会議。
ぐったり疲れてTSUTAYAに寄る。
「ウチダタツル先生ですか?」といきなり店員に訊かれる。
そ、そうですけど。
どうして知っているの。
講演会においでになったことがあるそうである。
あまり面が割れていないはずなのだが、こういうことがあるので心臓にわるい。
借りていたのが『片腕マシンガール』と『ゾンビストリッパーズ』と『1408』と『アンドロメダ・ストレイン』である。
TSUTAYAのコンピュータを見れば、おそらく過去10年間にわたる私の借り出しリストが作成できるはずである。
どういう傾向の映画をみているか一目瞭然であるが、もちろん『映画秘宝』的セレクションなのである。


2009.05.13

まず隗より始めよ

授業の合間に取材が二つ。
ひとつは三菱系のシンクタンクから「10年後の日本はどうなるか」というテーマで。もうひとつは資料請求者に配布するリーフレットの「神戸女学院大学って、こんな大学です」というパブリシティ。
両方で同じような話をする。
同じ人間が続けて話をしているのだから、内容が似てくるのは当たり前であるが、それにしてもそれは「10年後の日本が神戸女学院大学のような社会になる(といいな)」というふうに私は考えているということを意味している。
何を荒誕なことを、と笑う人がいるかもしれないが、これは私にとってはごく自然な考え方である。
今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」というのはマルクスボーイであったときに私に刷り込まれた信念である。
革命をめざす政治党派はその組織自体がやがて実現されるべき未来社会の先駆的形態でなければならない。
もし、その政治党派が上意下達の管理組織であれば、かりにその党派が実権を掌握して実現することになる未来社会は「上意下達の管理社会」であり、党派が権謀術数うずまく党内闘争の場であれば、その党派が実現する未来社会は「権謀術数うずまく国内闘争の場」となるほかない。
蟹が自分の甲羅に似せて穴を掘るように、私たちは自分の「今いる場」に合わせて未来社会を考想する。
自分が今いる場所が「ろくでもない場所」であり、まわりにいるのは「ろくでもない人間」ばかりなので、「そうではない社会」を創造したいと望む人がいるかもしれない。
残念ながらその望みは原理的に実現不能である。
人間は自分の手で、その「先駆的形態」あるいは「ミニチュア」あるいは「幼体」をつくることができたものしかフルスケールで再現することができないからである。
どれほど「ろくでもない世界」に住まいしようとも、その人の周囲だけは、それがわずかな空間、わずかな人々によって構成されているローカルな場であっても、そこだけは例外的に「気分のいい世界」であるような場を立ち上げることのできる人間だけが、「未来社会」の担い手になりうる。
私はそう思っている。
私が二十代の終わり頃に「カタギ」の世界に戻ろうと決意したとき自戒としたのは「気をつけよう、暗い言葉と甘い道」という標語であった。
「暗い言葉」を語る人間にはついてゆかない方がいい。
それが二十代の経験から私が引き出したひとつの教訓である。
それからあとはひたすら「お気楽人生」を標榜して今日に至る。
甲南合気会も甲南麻雀連盟も極楽スキーの会も、私にとってはたいせつな場であるが、それは私が遊んでばかりいるからではない(私を「遊んでばかりいる人間」だと思っているものはアクマに喰われるであろう)。
私はそれらの場を「あるべき未来社会の先駆的形態」として縮小サイズで先取りしようとしているのである。
職場も当然その対象となる。
とりあえず私の息のかかるところはすべからく「未来社会の先駆的形態」たらねばならぬ。
そこは「競争」ではなく「共生」の原理が支配する場である。
パイの拡大よりもパイのフェアな分配が優先的に配慮される場である(19世紀のある政治思想家の言葉を借りれば、「全員が飢え死にする日まで一人も飢え死にするもののいない社会」である)。
私的利益と公共の福利が、同時的に、ほとんど「同じもの」として追求されるような場である。
ひとりひとりの潜在可能性の開花を全員が相互に支援し合う場である。
そのような原理によって、未来社会は構築されねばならないと私は考えている。
別に私の創見でもなんでもなく、ジョン・ロックもトーマス・ホッブズもジャン・ジャック・ルソーもそう考えていた。
そのために政治思想家はいろいろな方策を考えた。
社会を「抜本的によくする方法」を考えた。
そして、歴史は私たちに「社会を抜本的によくする方法」を採用するとだいたいろくなことにはならないということを教えてくれた。
「一気に社会的公正を実現する」ことを望んだ政治体制はどれも強制収容所か大量粛清かあるいはその両方を政策的に採用したからである。
近代市民社会の基礎理論を打ち立てた大思想家たちに私たちがつけくわえるべき知見が一つだけあるとすれば、それは「急いじゃいかん」(@佐分利信in『秋日和』)である。
人間社会を一気に「気分のいい場」にすることはできないし、望むべきでもない。
レヴィナス老師はそう教えている。
「スターリン主義とはつまり、個人的な慈悲なしでも私たちはやっていけるという考え方なのです。慈悲の実践にはある種の個人的創意が必要ですが、そんなものはなくてもすませられるという考え方なのです。そのつどの個人的な慈愛や愛情の行為を通じてしか実現できないものを、永続的に、法律によって確実なものにすることは可能であるという考え方なのです。スターリン主義はすばらしい意図から出発しましたが、管理の泥沼で溺れてしまいました。」(エマニュエル・レヴィナス、『暴力と聖性』、国文社、1997年、128頁)
「公正で人間的な社会」を「永続的に、法律によって確実なものにする」ことは不可能である。
それを試みる過程で100%の確率で「不公正で非人間的な政策」が採用されるからである。
「公正で人間的な社会」はだから、そのつど、個人的創意によって、小石を積み上げるようにして構築される以外に実現される方法を知らない。
だから、とりあえず「自分がそこにいると気分のいい場」をまず手近に作る。
そこの出入りするメンバーの数を少しずつ増やしてゆく。
別の「気分のいい場所」で愉快にやっている「気分のいいやつら」とそのうちどこかで出会う。
そしたらていねいに挨拶をして、双方のメンバーたちが誰でも出入りできる「気分のいい場所」ネットワークのリストに加えて、少し拡げてゆく。
迂遠だけれど、それがもっとも確実な方法だと経験は私に教えている。
神戸女学院大学は私にとって「たいへん気分のいい職場」である。
ここが私の「隗」である。
だから、「10年後の日本社会」を望見するときに、今自分が立っているこの場所「のような場所」が日本全体に拡がることを希望することになるのは理の当然なのである。

2009.05.17

感染地域より

羽田空港で庄内空港への乗り継ぎを待っていたら、携帯が鳴って、大学事務長からインフルエンザ対策の緊急会議の招集がかかった。
すみません、墓参で鶴岡に行く途中なんで・・・と欠席の言い訳をしたが、どうもたいへんなことになっているらしい。
空港の待合室のテレビを見ると、神戸市内の感染者がまた増え、「神戸まつり」が開催中止となり、東灘区の小中高は休校措置に踏み切ったと報じている。
次々といろいろな人からメールが入る。
神戸センター街は人気がなく、マスクを買う人びとが先を争っているというジョージ・A・ロメロ的展開を知らせてくれる。
神戸市が「感染地区」になったということは、ここに住まいし、ここを通勤通学経路としている人たちは地区外への移動を自粛したほうがよい、ということである。
そういうときに対策会議を欠席して、遠く山形まで来てしまった。
年に一度のことであるから、ご容赦願うしかない。
いつものように庄内空港で車を借りて「寝覚屋半兵衛」でそばと麦切りを食し、宗傳寺でお墓の掃除をして、花と線香を手向け、墓参帳に母、兄、裕太と私の名を記す(裕太は大学入学を墓前にご報告)。それから湯野浜の亀屋旅館に投宿。露天風呂で兄と四方山話をし、湯上がりにビールを飲んで、あんまをとって、一眠りしてから豪勢な夕食で満腹し、そのまま深更までおしゃべり、
インフルエンザ対策はいかにあるべきか、ウォシュレットは中国に普及するか、ヒューマノイド型ロボットと“アトムの呪い”について(これは先日工藤くんからうかがった話の受け売りである)などなど。
翌日、三人と羽田でばいばいと手を振って別れ、大阪空港に戻る(乗り継ぎがあるのは、大阪-庄内の直通便がなくなってしまったからである。こういうところに景況が影を落とすのである)。
大阪空港は日曜の夕方というのに閑散としている。
十三駅もいつもの半分も人気がなく、阪急電車もがらがらである。
感染地区の人々は外出を避けて、自宅にこもっているのだろう。
空港から事務長に電話を入れると、うちの大学も月曜から金曜まで休校を決めたそうである。
当然の判断であろう。
むずかしいのはいつ休校措置を解除して、授業を再開するか、である。
休講期間はとりあえず学内感染はない。けれども、再開した後に感染者が気づかず登校して来ることは誰にも防げない。
おそらく文科省や都道府県の保健部局は「最終的には自己責任で各大学が開校時期を判断するように」と通告してくるだろう。
「行政はケツを持たない」ということである。
再開して感染者が出たら、「大学の責任」ということである。
それはよい。
だが、再開がなかなか決されず、休講期間が延びた場合に、「では休んだ分だけ夏休みをつぶして補講しろ」というようなことを言われては困る。
とりあえず、ウイルスの毒性についての評価がまだ確定していないし、なぜ青少年ばかり罹患するのかの理由も解明されていない以上、「大学生の学士力の確保」よりも「国民全体の健康」が優先するのは当然のことである。
こういう緊急事態のときに、「開講日数を確保せねばならない」というようなことを判断材料にすべきではないと私は思う。
授業日数確保のために、科学的根拠もなしに「終熄」を宣言し、再開を急いで、かりに罹患者が出たとき、責任はあげて再開を決めた大学にあることになる。
それでは困る。
ここはきっぱりと、「緊急事態であるので、授業日数の確保とか、今年度についてはうるさいことを言わないので、学内感染の危険が去ったと判断できるまで休校せよ」と明確な行政指導をしてほしいと思う。
しないと思うけど。

2009.05.18

池谷さんの本を読む

旅行中ずっと池谷裕二さんの『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)を読んでいた。
400頁を越すけっこうなヴォリュームであるが、一気に読んでしまった。
池谷さんからのかわいい(タツノオトシゴの)漫画サイン入りの本で、「今回の本は今までで一番気合いが入っています!」と書いてあった。
池谷さんとは以前、「PHP」の企画で対談したことがある。もう2年ほど前のことである。
私は「理系の人」と話をするのが大好きである。
養老先生、茂木さん、福岡先生、どなたも話が明快で、かつ深い批評性を備えている。
池谷さんも話していて、その頭脳の機能の高さに驚嘆したのを覚えている。
人間の脳や知性の構造について考察するときには、どこかで「自分の脳の活動を自分の脳の活動が追い越す」というアクロバシーが必要になる。
「私はこのように思う」という判断を下した瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか?この言明が真であるという根拠を私はどこに見いだしたのか?」という反省がむくむくと頭をもたげ、ただちに「というような自分の思考そのものに対する問いが有効であるということを予断してよろしいのか?」という「反省の適法性についての反省」がむくむくと頭をもたげ・・・(以下無限)
ということは「すごく頭のいい人」においては必ず生じるのであるが、ここで「ああ、わかんなくなっちゃった」という牧伸二的判断保留に落ち込まず、「いや、これでいいんだ」と、この無限後退(池谷さんはこれを「リカージョン」(recursion)と呼んでいる)を不毛な繰り返しではなく、生産的なものと感知できる人がいる。
真に科学的な知性とはそのような人のことである。
どうして、リカージョンが生産的であるかというと、ご本人にとってそれが「気持ちいい」からである。
最終的に思考の深化・過激化のドライブを担保するのは、考えている人自身の「あ、こういうふうにぐいぐい考えていると、気持ちいい」という「気持ちの問題」なのである。
でも、どうして「気持ちいい」ということが「よいこと」であると当人は確信できるのだろう。
池谷さんはこう書いている。
「人の役に立ったらうれしいし、自分も満足だしということで、だから科学はおもしろいんだ・・・そんなふうに普通の人は考えているかもしれない。
でも、科学の現場にいる人にとっては、そうじゃない。科学の醍醐味は、それだけに尽きるのじゃない。むしろ本当におもしろいのは、事実や真実を解明して知ることよりも、解明していくプロセスにある。
仮説を検証して新しい発見が生まれたら、その発見を、過去に蓄積された知識を通じて解釈して、そして、また新しい発見に挑む。高尚な推理小説を読み進めるようなワクワク感だ。難解なパズルのピースを少しずつ露礁させていくかのような、この謎解きの創出プロセスが一番おもしろい。」(池谷裕二、『単純な脳、複雑な「私」』、朝日出版社、2009,400頁)
興味深い「喩え」である。
池谷さんは本質的にリカーシヴなもの(つまり、絶対に「最終的解決」にたどりつかない)である科学の探求を「推理小説を読むワクワク感」と「難解なパズル」に喩えた。
世界を「書物」に喩えるのも、「謎」に喩えるのも、どちらも共通するものがある。
それは「書物を書いた人(推理小説の結末を知っている人)」「パズルを設計した人」が存在するということについての満腔の確信である。
推理小説を読んでいるときに、「最後まで読んでも、結局犯人はわかりませんでした」という可能性があったら、私たちはそれを読み続ける意欲を維持できないであろう。
パズルを解くときに、「結局解けないこともある」という可能性があっても同じである。
ある程度以上持続して知的活動を高止まりさせておくためには、「自分でこの難問が解ける」という確信ではなく、「〈誰か〉がすでに解いた」から「〈誰か〉がいずれ解いてくれる」ということについての確信が絶対に必要である。
その確信さえあれば、推理小説を途中まで読んだところで、あるいはパズルを途中まで解いたところで、昼寝をしたり、ごはんを食べに行ったり、場合によっては息絶えてしまっても、「ああ、たのしかった」という感想はあっても、時間を無駄にしたという気になることがないのである。
この〈誰か〉は、論理的には、「宇宙の設計者」以外にはいない。
だから、真に科学的な知性は、その絶頂において、必ず宗教的になるのである。
私たちは「私を超えるもの」を仮定することによってしか成長することができない。
これは人間の基本である。
子どもは「子どもには見えないものが見ている人、子どもには理解できない理路がわかっている人」を想定しない限り、子どものレベルから抜け出すことができない。
人間のすべての知性はそういう構造になっている。
「自分の知性では理解できないことを理解できている知性」(ラカンはそれを「知っていると想定された主体」sujet supposé savoir と呼んだ)を想定することなしに、人間の知性はその次元を繰り上げることができない。
科学者とは「普通の人よりたくさんのことを知っている主体」のことではない。
そうではなくて、「知っていると想定された主体」抜きには人間の知性は速度も強度も長くは維持できないという真理を経験的に知っている主体、すなわち「自分の〈生身性〉を痛感している主体」、「身体をもった主体」のことなのである。

2009.05.21

ゾンビの教訓

新型インフルエンザについて三紙からコメントを求められる。
私なんかにインフルエンザについて訊いてどうするのかと思うのだが、感染地域の真ん中に住んでいる人間の「市民目線」の感想を聞きたいと思ったのかも知れない(木によって魚を求むるの類だが)。
疫学についても医学についても何も知らない人間に訊く以上、それはインフルエンザそのものについてではなく、インフルエンザ禍の「人間的意味」についてのコメントなのであろうと判断して、それについて述べる。
メディアの一昨日あたりからの論調は「それほど毒性の強いインフルエンザでもないらしいのだから、あまり騒ぎ立てずに、柔軟に対応するほうがいい」というものである。
休校やイベントの中止が続くと市民生活に影響が出るから、「自粛するのを自粛せよ」というものである。
大阪府知事は「都市機能に影響が出る」と言った。
だが、感染地区がパニックに陥っているとか、都市機能が麻痺しているとかいうことは別に起こっていない。
たしかに街の人出は少ないし、歩いている人も大半がマスクを着用している。学校が休校なので、電車もがらがらである。
しかし、こういう事態を指すときに「パニック」とか「都市機能の麻痺」という言い方は不適切であろう。
現に、感染力の高いインフルエンザが蔓延して全国に拡がりつつあり、行政当局が「外出を自粛し、手洗いうがいを励行せよ」とアナウンスしているのを「そのまま」遵守している市民をつかまえて「騒ぎすぎだ」と言うのはどうであろうか。
仮に市民たちが「マスクを無料配布しろ」とか「医療費をすべて無料にしろ」とか「休業補償をしろ」とか言い出したというのなら、たしかにこれは「パニック」である。
でも、街の人々は自前でマスクを買って着用されており、自己負担で感染を予防されているのである。
これを「模範的市民」と呼ばずに何と呼ぶべきか。
インフルエンザが流行っているのに、「弱毒性だからカンケーねえよ」と誰も感染予防に配慮せず、行政が「自粛を」と呼号しても、気にせずふだん通りの社会活動を行い続け、その結果感染者が急増したというような事態の場合のために「都市機能の麻痺」とか「システム不調」という言葉はとっておくべきだろう。
現在の感染地区の市民たちほど「公共の福利」に配慮する市民を他国に見いだすことはむずかしい。
このような模範的市民に「過剰反応だから、社会活動を再開せよ」と政治家やメディアが言い出した最大の理由は「市民が外出しないので、消費活動が低迷している」からである。
要は「金の話」である。
だが、「感染のリスクが高いから外出を自粛してください」という公的アナウンスを解除するときに可能なロジックは「感染のリスクが低下しましたので、外出してもいいです」以外にはない。
「感染のリスクは引き続きありますが、みなさんがじっと家にこもっていると、モノが売れないので、外に出て、消費活動を始めてください」という言い分は論理的には成り立たない。
「論理的には成り立たない」が実践的にはつじつまを合わせないといけない、ということは人生には多々ある。
私も青二才ではないから、別にそれが「悪い」とは言わない。
「公衆衛生」か「経済活動」という比較考量しがたい二者択一を迫られるような機会がときには訪れる。
「インフルエンザの蔓延も困るが、経済活動の停滞も困る。さて、どちらがより困った事態か」という類の「究極の問い」に当惑するというのはごく自然なことである。
このような問いにどう対処するかについて「マニュアル」は存在しない。
「マニュアル」は存在しないが、その代わりに私たちには「物語」がある。
ハリウッドのC級映画では「ゾンビも怖いが、死なない兵士も捨てがたい、さて、どちらを取るか」とか「アナコンダも怖いが、不死の蘭エキスはぜひ手に入れたい、さてどちらを取るか」といった「究極の問い」をめぐってしばしばドラマが展開する。
これらの映画にだいたい共通する教訓は、「我が身の安全よりも、利益を選んだ人間はたいへん不幸な目に遭う」ということである。
私はこういう種類の説話原型の含む人類学的知見に対してはつねに敬意を以て臨むことにしている。

2009.05.24

いろいろな人に会う

今週二度目の東京。
月曜から休校になったので、おとなしく家でお掃除やアイロンかけや模様替えをしていたのであるが、水曜に東京で『考える人』のための対談があって天現寺まででかける。
コーディネイターはいつもの橋本麻里さんと足立真穂さんの最強タッグ。
今回の対談相手は先般うちの学生たちがインターンシップでお世話になった女流義太夫の鶴澤寛也さんである(その節はほんとにお世話になりました)。
このシリーズではじめての女性ゲストであることを指摘されるまで気がつかなかった。
どうしてなんでしょうね、と訊かれる。
私の無意識的なセクシズムが露呈したのであろうか。
だとすれば、どうして今回に限り寛也さんがゲストに選ばれたのか。
「玲瓏な美女」だからであろうか。
容貌で差別化していたのだとすれば、ウチダはもはや申し開きのできぬセクシストである。
いや、そうではなくて、寛也さんが女流にしては例外的に自分の芸術について「メタ言語」で語れる人だからであるというふうに言い訳すると、「『例外的』とはどういうことか。それはふつうの女はメタ言語が語れないということか」とただちに追撃されることはあきらかであるので、「どうしてなんでしょうね」という問いは無言でスルーする。
たいへんに愉快な対談であったので、どうぞ『考える人』の次の号をお楽しみに。
寛也さんには、神戸女学院大学に今年度内に一度おいでいただいて、講演をしていただく約束をした。
みんな、たのしみにね。
木曜は終日原稿書き、金曜は大学で会議(インフルエンザ対策委員会)、それから文学部教授会と、教務課職員の歓送迎会でお寿司とケーキで歓談。
この会は寺嶋新教務部長の「歓迎」も兼ねていると教務課長は述べられていたが、よく考えてみると、ウチダ旧教務部長の「歓送」については言及がなかった。
きっと私はいつも教務課を天上からやさしく見守っている存在として、みなさん身近に感じられているのであろう(と勝手に解釈)。
土曜日は恒例の全日本合気道演武大会。
回を重ねること47回。
毎年書くことだが、私は1977年に日本武道館に会場が移ってからの33回すべてに出場している。
「よく続きますね」と言われるが、私は一度始めたことは「止められない止まらない」エビセン体質の人間なのである。
今回は大学休校中のため、学生たちは出場自粛。
多田塾甲南合気会18名で出場。
いろいろな人にお会いする。
三井吉俊先輩(都立大の院生時代の先輩)。
「中国から来た殺し屋」的外貌だが、18世紀フランス思想の碩学なのである。
サンミシェル通りでばったり会ったり、武道館でばったり会ったり、意外なところでよくばったり会う三井先輩である。
奥州道場の菅原さんと会う。
「6月13日なんで来ないのよ」と責められる。
どうもすみません。
菅原さんにいぢめられているところに坪井さんが通りかかる。
胸に飾ってある造花のサイズが去年より大きくなったことについて三者でしばらく意見交換。
自由が丘道場のブルーノくん、高畑さんと会う。
これはまあ当然である。
笹本さんと会う。
これも当然。
洗面所で歯を磨いていたら、ミシマ社の三島くんと会う。
これは意外だが、なんと三島くんは自由が丘道場に入門したので、私の「弟弟子」というものになったのである。
控え室で体操をしていたら、植芝守央道主にばったり会う。
「こんにちは」とご挨拶する。
演武が終わったところで本部指導部師範の入江さんにばったり会う。
「『合気道探求』の原稿どうなりました?」と訊くために私の演武が終わるのを袖で待っていたのである。
「ここなら絶対つかまると思って」
そうですよね。
原稿は送ったはずだが、届いていない由。
どうも「原稿つきました」というメールが来ないなと思っていたら、着いていなかったのである。
失礼しました。
宏心会の演武が始まるときに、二階席から手を振る。
工藤くんとのぶちゃんが手を振り返してくれる。
余裕である。
多田先生の演武をほれぼれと見つめる。
今年の受けは入江くん(本部の入江さんじゃなくて、その早稲田の後輩のヤング入江くんの方)、工藤くん、のぶちゃん、山川くん、平山さん、あとイタリアの青年。
演武大会が終わって、多田塾で集合写真。えらい人数である。
そのまま例のごとく九段会館のビアガーデンへ。
小堀さんとおしゃべりしながら歩く。
先日、うちの母親の歌集の装丁と製本をお願いしたので、そのお礼を申し上げる。
しかし、30年以上も来ることになるとは、あのころは思わなかったねえと九段坂を下りながら、しみじみ回想。
そして、恒例の多田塾ビアパーティ。
200人ほどいる。
高雄くん、工藤くん、のぶちゃんたちとおしゃべり。
早稲田と東大の学生たちが挨拶に来る。
「本,読んでます」と言ってくれる。
ありがとう。
多田先生をお見送りしてから、いつものように神田すずらん通りで二次会。
甲南の諸君は五月祭と日にちが合わなかったので、日帰りすると言っていたが、ぞろぞろついて来る。
どうやって帰る気なのか訊くと、ウッキーと廣末は「やっぱり泊まることにしました」。
また高畑さんの家が強襲されるらしい。
気の毒である。
気錬会の伊藤くん、芦葉くんを加えて、さらに合気道について熱く語り続け、深更に及ぶ。
翌日曜は小田嶋隆さんと対談したあと、福島みずほさんと対談するという、なんだかすごいダブルヘッダーである。

2009.05.25

日本語による創造とは

小雨の中を赤坂プリンスホテルへ。
日経BPと講談社のジョイント企画で、小田嶋隆さんと岡康道さんの共著『人生二割がちょうどいい』(講談社)の販促のための対談。
小田嶋さんと会うのは久しぶりである。
「わすれないうちに、はい、お土産」と横川の釜飯のふた裏に愛イグアナの故イギーくんの横顔を画伯みずからカラーで描いた「ふた絵」を頂く。
「家宝にします」と押し戴く。
お昼ごはんをいただきつつ、おしゃべり。
「おふたりはどういう関係なんですか?」というご質問を受ける。
「ファンです」とお答えする。
私は70年代末に小田嶋さんが『シティロード』の欄外コラムを書いていたときからの30年に及ぶファンであり、『親子で楽しむパソピア7』以外の全著作を所有しているのである。
最初に数行のコラムを読んだときから、「この人は天才」と確信して、その著作を書店をめぐって探し出し、繰り返し読みふけっていたのであるから、私の先見性は評価されてよろしいであろう。
小田嶋さんと言葉の話をする。
トピックのひとつは、日本語で私たちが書くとき、それは厳密な意味での「言文一致体」と言えるであろうかという問題。
例えば、私がいま書いているこの言語はどうか。
これは日常では口にされない「書き言葉」なのか、それとも、ふだん話すままの「言文一致体」なのか。
小田嶋さんと私の意見が一致したのは、私たちが書き物で使っている言語はそのどちらでもなく、強いて言えば「言文一致のように見せかけた書き言葉」だというである。
Sightの鼎談で高橋源一郎、渋谷陽一ご両人としゃべったときには、「コロキアルな土着語ベースに、リテラリーな外来語が載っているハイブリッド言語」という言い方をした。
コロキアルな土着語はコミュニケーションのための「基礎」をつくる。
これは第一にコミュニケーションが成立していることを確認するために用いられる。
もっともプリミティヴなかたちだと、「もしもし」とか「後ろの方、聞こえてますか?」という類がそうである。
このメッセージには「コミュニケーションが成り立っている」という以外にコンテンツがない。
「コミュニケーションのコミュニケーション」とか「メタ・コミュニケーション」とか「交話的コミュニケーション」と呼ばれる。
このメッセージには誤解の余地がない。
あってはならない。
これが「かんどころ」である。
「後ろの方聞こえてますか?」というメッセージに「コミュニケーションの成立を確認する」以外の含意があったらたいへんに面倒である。
「『後ろの方聞こえてますか?』と言うことを通じて、この男は何を言おうとしているのか?」というような問いを立てて、苦悩してしまう人間は遠からず誰ともどのようなコミュニケーションもできなくなってしまう。
メッセージには「一義的でなければ困るメッセージ」と「多義的解釈に開かれているメッセージ」の二種類がある。
メッセージの「読み方を指示する」すべてのメッセージは一義的に、すなわち額面通り、字面の通りに受け取られなければならない。
もう一度ご注意願いたいが、このあらゆる言語的コミュニケーションを基礎づけ、条件づけるメッセージのことを「メタ・メッセージ」というのである。
メタ・メッセージはメッセージの中にランダムに紛れ込んでいる。
「ハイデガーの言うように、或るものの現れとしての現れは、おのれ自身を示すということを意味するのではけっしてないのであって、むしろ、おのれを示さない或るものが、おのれを示す或るものを通じておのれを告げるということを意味するのである。おい、聞いてんのかよ!」
というようなテクストにおいては、最初の「ハイデガーの言うように」と最後の「おい、聞いてんのかよ!」の二文がメタ・メッセージである。
最初の「ハイデガーが言うように」というのは、要するに「これからあとは引用です」ということである。「俺の意見じゃないよ」ということである。「だから、ふだん俺が言うことと全然違うことを言い出しても驚くなよ」ということである。
メッセージの解読の仕方についての指示であるから、このメタ・メッセージは絶対に読み落としてはならないし、読み違えてはならないのである。
最後の「おい、聞いてんのかよ!」も同断。
だから、ふつう今の文章については、「メタ・メッセージだけはわかったが、残りは意味ぷ~でした」というのが一般読者の正常な反応なのである。
この反応ができるということは、メッセージの階層差が識別できているということであって、それが「リテラシー」と呼ばれる能力の本質なのである。
よろしいかな、そして、このメタ・メッセージはそれが包括しているメッセージコンテンツについて、その価値判断を下すことができるのである。
そのもっとも劇的な例。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(笑)」(小田嶋隆in 『九条どうでしょう』)
話を戻す。
このメタ・メッセージの運搬を私たちの母語では「土着語」が担っている。
どのような堂々たるコンテンツであっても、それを読み手、聴き手に届けるためには、「ヴィークル」が機能していなければならない。
そして、日本語における「ヴィークル」はコロキアルな言語なのである。
これがきちんと機能していないと、どれほど高邁な理念であっても、どれほど深遠な思想であっても、それはそもそもコミュニケートされない。
そして、それはただコミュニケートされるだけでなく、そのつどすでに「読み方を指示された」状態で、つまりそのコンテンツの送り手の私念私情を深く帯電したかたちでしかコミュニケートされえないのである。
その指示は、同時に現に自分が述べつつある言説についての批評や皮肉として機能することがある。
「俺の言うことなんか信じるなよ」というような信頼性の切り下げを指示することもまたメタ・メッセージの重要な分掌だからである。
「コロキアルな土着語に、リテラリーな外来語が載っている」という日本語の特殊な構造は、そのまま「コロキアルな土着語が発語における批評性を主に担う」という、たいへんにシビアな言語状況のうちに私たちを導くのである。
それゆえ、日本語話者においては「ほんとうにたいせつなメッセージ」はしばしば「言挙げされない」のである。
もっとも批評的なメッセージはしばしば言語にならないのである。
話を戻す(と言っておきながらなかなか戻らない)。
小田嶋さんや私が試みているのは、この「発語中でもっとも批評的なメッセージ(それはふつう表情やピッチやみぶりなどノン・ヴァーバルなかたちで示される)をむりやり言葉に載せてしまう」ことである。
それが「コロキアルな言文一致体のようにみせかけた文語の創造」という仕事を私たちに要求するのである。
別に目新しい話ではない。
私たちは聖徳太子の時代くらいからあと、ずっと「そういうこと」ばかりしてきたのである。
それが日本語をつうじての創造ということの本態的なかたちであるように私には思われるのである。
「小田嶋さんのどこに惹かれましたか?」という司会者からの質問にだから私は「言葉です」と即答したのである。


2009.05.26

福島みずほさんと会う

福島みずほさんと対談したはずなのだが、ブログに何も書いていないのは「何か」あったのでしょうか、というお訊ねメールが届いた。
このメールの背後には「事変」を望む無意識的欲望が何となく感じられるのであるが、福島さんとの対談はたいへん愉快なものでありました。
昨日のブログは小田嶋さんの話だけで長くなりすぎたので、「続きは明日」だったのである。
それにしても、赤プリで小田嶋さんと会ったあとに、永田町で福島さんと会うというのは、かなりストレンジな取り合わせではある。
ともあれ、私のふだん出入りするところではない参院議員会館に行って、「月刊社会民主」というコアな(と申し上げてよろしいであろう)刊行物のために社民党党首と対談をすることになった。
ご存じの通り、私は「異業種の人」と話をするのが大好きである。
その話のコンテンツよりは、その「語り口」から学ぶところが多いからである。
ウィキペディアの福島さんのところを見ると、ずいぶんきついことが書いてある。
ウィキペディアは中立的な記述をめざしているはずで、(かっこ付きではあれ)「中立的」な記述がこれだとすると、福島さんという人はメディ的にはかなり「タフなポジション」にいることを意味している。
政治家はタフじゃないとつとまらないよな、と思う。
福島さんが攻撃されるのは、「イデオロギッシュな人」というふうに見られているからだろう。
「綱領的に語る」というのは日本の左翼の言語運用のいわば「宿病」であり、保守の政治家たちの「コロキアルに語る」政治的言語が相手では勝負にならない。
勝負にならない所以は昨日も書いたとおりである。
保守政治家というのはほとんど「メタ・メッセージだけ」しか発信しない政党であり、左翼政治家は「メッセージだけ」しか問題にしない。
たいせつなのは為政者の発信する「メタ・メッセージ」の底意(しばしばそれは発信者自身にとってさえ意識されていない)を見きわめることなのであるが、左翼は伝統的にこの作業には知的リソースを割かない。
彼らがこのような行動を取り、このような発言をするのは「それを通じて何をしたいからか?」という問いかけの踏み込みが浅いのである。
左翼の思考の限界は、「敵対する政治家は自分が何をしているかわかっている」ということを前提にすることである。
それが自己利益の追求であれ、誤った政治イデオロギーであれ、単なる悪意であれ、敵対する政治家は「ある原理に基づいて思考し、行動している」と左翼は考える。
それが間違いのもとである。
政治家たち、とくに為政者は自分がどうして「こんなこと」を考えたり、言ったり、したりしているのか「言えない」のである。
けれどもまさに自分が現になしていることが「何であるか」を綱領的な言語で「言えない」という事実が自民党の長期政権を支えてきたのである。
なぜなら、その「言えないこと」こそが大衆の無意識的欲望に「触れている」からである。
でも、近年の自民党の領袖たち(安倍晋三や麻生太郎)はこの伝統を忘れ、自分たちの思考や行動を綱領的に表現するという「ありえない」オプションに惹きつけられている。
「言葉を持った自民党」はもう自民党ではない。
そんなものをうっかり綱領的に表現したら、驚くほどに貧しく卑屈な政治思想が露呈するだけである。
おそらくはその逆の構図として、旧左翼の側に(まだ予兆的ではあるけれど)「大衆の言語化できない欲望」への関心が芽生えている。
自民党が「綱領的に・政治学的な語法で政治過程を語る」という野望を持ち始め、旧左翼が「大衆の無意識に触れなければ、どれほど表層的に整合的な言説でも、何の力も持たない」ということを感知し始めているとしたら、それが日本における「政界再編」のひとつの機軸になるだろう。
福島さんとの話も改憲運動への批判、反米ナショナリズムの話、オバマ大統領のスピーチのような言葉をどうして日本の政治家は話せないのかというところから、最後は「政治における言葉の問題」という、このところずっと気にかかっているトピック(「新潮45」でも、「Sight」でも結局その話になった)になった。
福島さんはフレンドリーで、注意深い聞き手であったので、こちらもつい調子が出て、自分でもまだよく頭の中でまとまらない話をずるずると話してしまう。
社民党はこの政界再編の流れの中でポジションをみつけることができずに苦悩しているようだけれど、「生物学的多様性」の観点から言っても、ぜひ生き延びて欲しいものである。

2009.05.30

あらかじめ言葉を奪われた子供たちの鎖国論

鏡を見ると、目の下にくろぐろと隈ができている。
ずいぶん休んでいない。
フルの休日があったのは、4月は1日だけ、5月は憲法記念日と、休校の週の月の2日だけだった。
あとはずっと用事に追い回されている。
今週は月曜が大阪能楽会館で朝から申し合わせ。それから部長会、授業、杖の稽古。火曜日が授業二つ(この日がいちばん楽だった)。水曜が朝からホテルオークラで打ち合わせ、昼から大学で会議、家に戻って原稿書き。木曜は朝三宅先生のところで治療、それから下川先生のところでお稽古。立廻りの足の運びのリズムが悪いときびしく叱られる。とほほ。シャワーを浴びて、着替えてから中之島の140Bへ。鷲田先生と平川くんと江さんとラジオの仕事(のはず)。
約束より1時間前の4時についたら、もうみんな来ている。
みんなは「ナントカ大学」とかいう行政と代理店のからんだ文化的プロジェクトの打ち合わせをしている。
私は行政と代理店と(あとテレビ)とはコラボレーションしないことにしているので、あ、オレには関係ない話ねと思っていたら、覗き見したその企画書にはしっかり私の名前も担当講座も講座内容まで掲載してあった。
140B恐るべし。
『料理通信』という媒体のために「食における創造とは何か」という話をする。
聞き手は「だいはくりょく」と書いて「おおさこちから」と読む大迫力くんである。まことにユーモア感覚に富んだご両親である。
食における創造とは何か。
食文化とは「不可食のものを可食化するための創意工夫」と「みたことのない食材を何とか料理してしまうための創意工夫」によって構築されたものであり、その根本にあるのは「食えるものは何でも食う」という不退転の決意である。
それは人類史の99%が「飢餓ベース」であったことを考えれば当然のことである。
トマトがイタリアに入ってきたのは大航海時代のことである。
メキシコから持ち帰ったのである。最初は食用ではなく、観賞用であった。しかし、きわめて生命力が強く、果実が多いので、これを食用にしようとイタリア人が200年にわたって品種改良の結果、こんにちのトマトとなったのである。
だから、ヨーロッパでトマトが食用として受容されたのは18世紀のことなのである。
ジャガイモがユカタン半島からスペインに渡来したのは16世紀。唐辛子はコロンブスが新大陸から1493年に持ち帰った。
前に北イタリアで「スローフード」運動というものがあった。
マクドナルドの出店に反対して、イタリアの伝統的な食文化を守れという運動であった。
しかし、外来の食物を排除して、伝統的なレシピを守れという場合の「伝統」はどこまで遡るのか。
もし中世まで遡るのだとしたら、この「スローフード」のレシピにはトマトもジャガイモも唐辛子も使用してはならないことになるが、それでよろしいのか。
その場合は、「じゃあ、『伝統』は18世紀までにします」とか「19世紀まで」とか決めることになるが、その恣意的決定の根拠となるのは要するに「現代人が喰って美味いものが『伝統』と認定され、喰って不味いものは『伝統』から排除される」ということである。
自分ひとりで「うまいまずい」を言い募るのは夫子ご自身のご勝手だが、それを「伝統の味」とか大仰に呼ぶのは止めた方がいい。
というような話をする。
写真を撮られながら小道具のワインを飲んでしまったので、午後5時にはすでに酩酊。
その状態で、まず鷲田先生、平川くんと「教育についての鼎談」で30分二本勝負。こちらはFM放送用なのでまじめに語り合う。
さらに江さんを加えて、こんどはワインを飲みながら「大阪論」30分二本勝負。こちらはラジオデイズの有料頒布コンテンツ。
四人ともだいぶお酒が入っているので、当然のことながら、こちらの方が圧倒的に面白い。
東京ファイティングキッズ対京都はんなり哲学者と岸和田だんじりガイの「東西決戦」のテーマは言語。
われわれ東京場末育ちの子供たちには京大阪のみなさんが享受しているような「地場の言語」というものがない、という話をする。
私も平川くんも「標準語」というもので育ったのであるが、それは私たちの両親のいずれの言語でもない(私の父は山形生まれ、母は神戸生まれ。平川くんのご両親はたしか埼玉出身である)。
隣近所の人々もみなばらばらの地方出身者である。
だから、地域の人々に共有されている「地場の文化」「地域の伝統」などというものは絶無である。
「標準語」という人工語と、地方出身者がとりあえず幻想的に手探りで作り上げた「戦後民主主義的な(隣組的ではないところの)地域社会」という人工的環境で私たちは育ったのである。
「あらかじめ言葉を奪われた子供たちだったのだよ、オレたちは」と平川くんが詩人的にまとめてくれた。
「京都や岸和田のように、地場の文化の厚みのあるところで育ったみなさんには『どこにも根のない人間』の不安と空虚はわからないであろう」とたたみかける。
おお、珍しく東京対関西文化競争で「東京の場末には文化なんてこじゃれたものがねえんだよ」という居直りでわりと優勢のうちに闘いを進めることができた。
われわれの街には「お好み焼き屋」さえなかったのだ。
というわけで、私たち「街も伝統も、あらゆる文化から疎外された東京南東バンリュー」に生まれた少年たちは、1960年代-70年代に「自前の言語」を作り出すことを余儀なくされたのである。
この欠落感と焦燥感には「東京北西バンリュー」の小田嶋隆さんも、私たちと同じ「多摩川沿い」育ちの柴田元幸さんも共感してくれるのではないかと思う。
金曜日は朝からゼミ。
さすがにげっそり疲れて、一度家に帰って寝る。
夕方重い身体をベッドから引き上げて、また中之島へ。
平川くんと朝日カルチャーセンターで「内向き論」をするのである。
江さんや青山さんや中島さんご夫妻や大迫くんら140Bのメンバーが来ているので、はげしい既視感にとらわれる。
昨日とはぜんぜん違って、人口減少(というより適正化)と経済活動の縮小、持続可能な資源利用という流れを「上がり」としてはいかがというご提言である。
私はここで21世紀日本のゆくべき道として、「鎖国攘夷論」を具申する。
そもそも1853年にペリーが来たのがよくなかったのである。
鎖国というのは自給自足、エントロピーを最小化するようにみごとにコントロールされた、歴史上もっとも成功した持続可能な社会システムである。
そして、鎖国時代の日本では海外の文物についての情報も「南蛮渡来グッズ」もかなり潤沢であったことが最近では知られている。
つまり法制上「鎖国」はしているけれど、けっこう「出入り自由」というところが鎖国体制の「味噌」だったのである。
これから後、各国は「保護主義的」な外交戦略を強めてゆくであろう。
「国際協調」「国際主義」がその反面において「単一の世界標準による諸国の均質化と格付け」という「グローバリズム」の鬱陶しさを携えていたことに諸国民はしだいに気づき始めている。
「いいじゃん、もうこっちの勝手にさせてくれよ」と言い出した。
グローバリズムの旗手であったアメリカがまっさきにそう言い出した。
他国にはあれほど「自由貿易」のルールの遵守を求めていながら、自国経済がピンチになったら、たちまち保護主義にシフトしようとしている。
日本の護送船団方式をがみがみ批判して、構造改革規制緩和を要求しておきながら、ころりと忘れて自国の企業や銀行の救済に国費をどぼどぼ投入している。
アメリカがそうなんだから、これからあと諸国は「右へ倣え」である。
資源大国は自国の資源を抱え込むようになる。
ドルなんかただの紙切れなんだから、いくらあっても食えない。
まずエネルギーと食糧の価格がいずれ高騰するだろう。
そして、食糧自給、エネルギー自給がどの国にとっても政策上の最優先課題になるはずである。
国家戦略として何が選択されるか。
もちろん、まず「少子化」である。人口を減らさないと食糧エネルギーが自給できないからね。
それから「無駄な活動の自粛」である。
みんな家でじっとしていて、なるべく出歩かない。
できたら、庭に畑を作り、鶏飼って、野菜と卵と鶏肉くらいは自給していただく、と。
なるべく電気を使わずに、暖房は薪ストーブ。夜は「行灯で書見」。移動手段も蒸気機関車に馬車。
むかしSFマガジンで読んだ『電獣ヴァヴェリ』の世界である(このSFでは宇宙渡来の「電気エネルギーを食べる微生物」のせいで、地球が18世紀に戻ってしまうのである)
別にいますぐそういう世界にしろと申し上げているのではない。
「そういう世界でも、まあ、いいか」くらいの気構えでいると、国家戦略の選択肢が増えてよろしいのではないかと申し上げているのである。
講演後、江さんご夫妻、中島さんご夫妻、ヒラオくんと「黒門さかえ」で細うどんを食べる。
あ、と絶句するほど美味い。

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