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2009年06月 アーカイブ

2009.06.01

失敗の効用

下川正謡会の本番が終わる。
社中のわれわれにとっては「一年で一番長い日」である。
楽屋でドクター佐藤とお茶を飲みながら、「どうして、オレたち、こんなに苦しいことを自腹切ってまでやってんだろ」と顔を見合わせる。
舞囃子で能舞台に立つことのストレスに比べたら、学会発表なんか、何でもないですからねとドクターが答える。
ほんと。これに比べたら、講演とか学会発表とか、ピクニックみたいなもんだよね。
なるほど、そういう訳か。
人間は同時に二つの苦しみを苦しむことができない。
私は前に激しい胃痙攣の発作を起こしたとき(わさび漬けをアテに白ワインを飲んだのである)、廊下のドアにしたたかに顔面を打ち付けて顔の半分を紫色に腫れ上がらせたことがあるが、このときも、胃痙攣の発作が治まるまで、顔に痛みがあることに気づかなかった。
なるほど、そういう訳なのだよ。
われわれは年に一度この舞囃子の舞台というものがあって、そのストレスで胃に穴があくような思いを一年中している(ストレスが消えるのは本番のあとの一週間ほどだけである)。
そのストレスがあまりに苦しいので、その他のストレスフルな出来事が(よく考えてみたらたくさんある)どれも「舞囃子の苦しみに比べたら、屁のカッパ」に思えてしまうのである。
舞台上で道順がわからなくなったときの絶望感に比べたら、講演で絶句することなど冗談のようなものである。
「あれ、オレ何しゃべってたんだっけ?」と言って笑いをとることが講演では許されるが、舞台で「センセイ、これからどーすんですっけ?」と訊いたりすることは天地がひっくり返っても許されないのである。
詰める歩数が違うと叱られ、拍子の間が悪いと叱られ、目付が低いと叱られ、舞扇の角度が違うと叱られるという、文字通り「一挙手一投足が規矩に従っている」という状態を到成しなければ舞というものは成り立たないのである。
私のようにふだんからちゃらちゃらと好き放題にしている人間にとって、これがどれほど厳しい試練であるかはよくよくご理解いただけるであろう。
しかも、これだけストレスフルな経験でありながら、舞台上でどのような失敗をしようと恥をかこうと、それは私どもの実生活には何の関係もないのである。
私たちの失敗や不出来は誰にも迷惑をかけない。
それで命を取られることもないし、失職することもないし、減俸されることもないし、家族や友人の信頼や愛を失うこともない。
何の実害もないのである。
これほどのストレスが加圧されていながら、失敗しても何のペナルティーもないのである(下川先生は本番前はこちらの体温が下がるほどに手きびしいが、本番終了後は決して過去を振り返らず「はい、首尾ようおできになりましたな」と水に流して、もう来年の話に入るのである)。
変でしょ。
不思議な装置である。
昔の男たちは「お稽古ごと」をよくした。
夏目漱石や高浜虚子は宝生流の謡を稽古していた。山縣有朋は井上通泰に短歌の指導を受けた。内田百閒は宮城道雄に就いて箏を弾じた。
そのほか明治大正の紳士たちは囲碁将棋から、漢詩俳諧、義太夫新内などなど、実にさまざまなお稽古ごとに励んだものである。
植木等の歌に「小唄、ゴルフに碁の相手」で上役に取り入って出世するC調サラリーマンの姿が活写されているが、1960年代の初めまで、日本の会社の重役たちは三種類くらいの「お稽古ごと」は嗜んでおられたのである。
なぜか。
私はその理由が少しわかりかけた気がする。
それは「本務」ですぐれたパフォーマンスを上げるためには、「本務でないところで、失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみるまで味わう経験」を積むことがきわめて有用だということが知られていたからである。
本業以外のところでは、どれほどカラフルな失敗をしても、誰も何も咎めない。
そして、まことに玄妙なことであるが、私たちが「失敗する」という場合、それは事業に失敗する場合も、研究に失敗する場合も、結婚生活に失敗する場合も、「失敗するパターン」には同一性がある、ということである。
私はこれまでさまざまな失敗を冒してきたが、そのすべては「いかにもウチダがしそうな失敗」であった。
「ウチダがこんな失敗をするとは信じられない」というような印象を人々に残すような失敗というものを私はこれまで一度もしたことがない。
すべての失敗にはくろぐろと私固有の「未熟さ」の刻印が捺されている。
だからこそ、私たちは「自分の失敗のパターン」について、できるかぎり情報を持っておくべきなのである。
そして、そのパターンを学ぶためには、「きわめて失敗する確率の高い企て」を実行するのだが、どれほど派手な失敗をしても「実質的なペナルティがない」という条件が必要なのである。
「失敗する確率が高い」のはそのときに私たちの思考や運動の「精度」が下がるからである。
しかるに、「精度」と「自由度」は相関するので、思考・運動の自由が抑制される条件を課されさえすれば、私たちはシステマティックに失敗する。
「お稽古ごと」というのは無数の「約束事」(どうしてそういう決まりがあるのか、その起源について誰も知らないような)で編み上げられているのだが、それはそうしておくと、「初学者はおもしろいように失敗する」からである。
素人がお稽古することの目的は、驚かれるかもしれないが、その技芸そのものに上達することではない。
私たち「素人」がお稽古ごとにおいて目指している「できるだけ多彩で多様な失敗を経験することを通じて、おのれの未熟と不能さの構造について学ぶ」ことである。
それは玄人と目指すところが違う。
玄人は失敗すれば職を失い、路頭に迷う可能性があるけれど、素人はそれがない。
私たち素人が玄人に対して持っている「アドバンテージ」はまさにそれだけなのである。
「それだけ」だとすれば、「それこそ」がお稽古ごとすべてに貫流する教化的な要素だということは論理的に推論せらるるのである。
とにかく今年の大会が終わって、ほっとした。
来年の大会は6月6日。
私は「野守」の舞囃子です。素謡は「大原御幸」。
ああ、また苦しい一年が始まる。


2009.06.04

1Q84読書中

『1Q84』読書中。
もったいないのでちびちび読んでいる。
何誌からか書評を頼まれたが、最初に『週刊文春』の山ちゃんから本を送ってもらってしまったので、渡世の仁義上、あとはお断りする。
ぜんぶにそれぞれ違う内容の書評を書くというのも考えてみると楽しそうであるが、遊んでいる暇がない。
まだメディアでは書評が出ている様子がないけれど、みんなどうしているのだろう。
私はひたすら「ゆっくり」読んでいるので、今Book2の中程である。あと4分の1しか残っていない。
子供の頃には、面白い本を読んでいて、残り頁がだんだん減ってくると「ああ、楽しい時間もあとわずかだなあ」と悲しくなった。
どこか「ダレ場」が来たら、そこで読むスピードを落とそうとするのだが、それがないのが「面白い本」の面白い所以であって、結局、「あああ」と言っているうちに最後まで一気に読んでしまうのである。
そういう残り頁数が減ってくると切なくなってくるという書物には思春期からあとなかなか出会うことがなかった。
教養主義的読書というのは、とにかく「冊数をこなす」ということが主要な目的であるので、「ちびちびと舐めるように読む」というようなことはふつう起こらない。
それに『戦争と平和』や『ジャン・クリストフ』や『静かなドン』を「ちびちびと舐めるように」読んでいたら、それだけで一夏が終わってしまう。
いつのまにか「とにかく一刻も早く読み終える」ために読む本と、「できるだけ読み終わらずずるずるその世界にとどまっていたい」本に世界の書物が二分された。
そして、どういうわけか若かった私は前者を「仕事」本、後者を「娯楽」本というふうに見なし、「できるだけ仕事をして、娯楽は控えめに」という禁欲的な読書態度を維持したのである。
というのは、「仕事本」は「誰もが読まねばならぬ本・私以外のほとんどの人がすでに読んでいる本・それゆえ、しばしばその本についての言及がなされるのだが、そのとき『あ、それオレ読んでないんだわ・・・』とカムアウトすると、白々とした沈黙で応じられる本」だと思っていたからである(長じて気づいたことだが、実はみんなあんまり読んでいなかったのである。読んでいるような顔をしていただけで)。
ともかく、そっちの方の「仕事」本読書に忙しく、「娯楽」本は隅においやられた。
それでも、ときどきその日の「仕事」はもう十分にしたな、という手応えのあったときは、「娯楽」本をいそいそと取り出して、ワイン片手に夕暮れのベランダで、パスタを茹でているあいまに読んだ(村上春樹がこのような本を「パスタ本」と呼んでいることを後年知った)。
でも、そういう「パスタ本」について誰かと話し合うということはほとんどなかった。
何しろそれはたいていの場合、私のまわりの知識人(およびウッドビー知識人)諸君は読んでいない本(読んでいても、読んでいないふりをしている本)だったからである。
『長いお別れ』や『若草物語』や『あしながおじさん』や『竜馬がゆく』や『宮本武蔵』や『桃尻娘』や『マイク・ハマーに伝言』について、院生や助手だった時代に私は誰とも話した記憶がない。
村上春樹の小説は最初「仕事本」として私の書架に加わった。
「こういうものが最近は読まれているらしく、このような文学的傾向について一家言ないとまずいわな」というような態度で私は『風の歌を聴け』に臨んだ。
その小説は芦屋の街が舞台で、「阪神間」という落ち着きと活気が独特の比率でブレンドされたエリアの空気が行間から漂い出ていた。
私はそのころまだ東京に住んでいたので、阪神間のことは想像的にしか知らなかった。
「芦屋」についての私の先入観を形成したのは谷崎潤一郎の『細雪』である。
私の母は灘のブルジョワ家庭で育った三人姉妹の人なので、『細雪』を読むと少女時代の阪神間の風情をありありと思い出すとよく言っていた。
そのせいで、私は芦屋という街に自分が何かの絆で宿命的に結びつけられているような気がしていた。
そして、勝手に頭の中で空想上の「芦屋」の街を描いていた。
そして、『風の歌を聴け』を読んだときに、「あ、これ芦屋じゃん。オレ、この街知っている」と思ったのである。
私が知っている街について著者も知っているということではなく、「私しか知らない街」(だって空想上の「芦屋」なんだから)について著者が知っていたということが重要なのだ(そして、ご存じのように、この作品中ではこの街が「芦屋」であるということについての言及はない)。
どうもこの人の書く物は私に特別な関係があるのではないかという疑念はその次の『1973年のピンボール』でさらに強化された。
この物語は「僕」とその友人が渋谷で起業した翻訳会社が舞台の一つになっている。
そして、ご存じのように、私はこの小説の舞台となった同じ時代に、同じ渋谷で平川くんと翻訳会社を始めていた。
そのときに学生時代の友だちが集まって始めた翻訳会社なんて渋谷にはうちしかなかった。
平川くんはその後あちこちで「あれは平川さんの会社がモデルなんでしょう?」と訊かれたそうである。
すぐれた作家というのは無数の読者から「どうして私のことを書くんですか?」といういぶかしげな問いを向けられる。
どうして私だけしか知らない私のことを、あなたは知っているんですか?
というふうに世界各国の読者たちから言われるようになったら、作家も「世界レベル」である。
どうしてそういうことになるのか。
村上春樹は世界中の人々に共通する原型的な経験を描いているのだろうか?
あるいはそうかもしれない。
でも、たぶんそれだけではない。
おそらく読者は物語を読んだあとに、物語のフィルターを通して個人的記憶を再構築して、「既視感」を自前で作り上げているのである。
私は上に「私の頭の中の芦屋のことをどうして知っているのか?」と書いたけれど、もちろんこの「私の頭の中の芦屋」の造形には『風の歌を聴け』を読んだことがすでに関与している。
この物語を読みながら、私の中の「空想上の芦屋」のイメージは精密に彫琢され、そして、読み終えたときに完成した。そしれ、「あれ、この本に書いてあることって、オレの頭の中のイメージと同じじゃん」と思ったのである。
自分で脳内に置いたものを自分で発見して、びっくりしているのである。
マッチポンプである。
でも、これは凡庸な物語作家にできることではない。
現代中国で村上春樹は圧倒的な人気を誇っているが、それを「現代中国の若者の孤独感や喪失感と共鳴するから」というふうに説明するのは、ほんとうは本末転倒なのである。
そうではなくて、現代中国の読者たちは、村上春樹を読むことで、彼らの固有の「孤独感や喪失感」を作り出したのである。
「それまで名前がなかった経験」が物語を読んだことを通じて名前を獲得したのではない。
物語を読んだことを通じて、「『それまで名前がなかった経験』が私にはあった」という記憶そのものが作り上げられたのである。
もし、村上春樹ではない、別の作家の別の物語が強い指南力を持った場合には、現代中国の若者たちは「それまで名前がなかった経験」に「孤独感や喪失感」とは違う名前をつけたはずである。
私たちは記憶を書き換ることができる。
そして、自分で書き換えた記憶を思い出して、「ああ、私のこのような経験が私を今あるような人間にしたのだ」と納得する。
勘違いしている人が多いが、人間の精神の健康は「過去の出来事をはっきり記憶している」能力によってではなく、「そのつどの都合で絶えず過去を書き換えることができる」能力によって担保されている。
トラウマというのは記憶が「書き換えを拒否する」病態のことである。
ある記憶の断片が、何らかの理由で、同一的なかたちと意味(というよりは無意味)を維持し続け、いかなる改変をも拒否するとき、私たちの精神は機能不全に陥る。
トラウマを解除するためには「強い物語の力」が必要である。
「同一的なかたちと(無)意味」を死守しようとする記憶の断片を、別のかたち、別の意味のものに「読み替える」力を私たちに備給するのは「強い物語」である。
私はもちろん『風の歌を聴け』を読む前に、現代の芦屋の風景について何も想像したことがなかった。
けれど、読み終えた後、私は「これは私がずっと想像してきた芦屋の風景そのままだ」と思ったのである(ほんとうにそう思ったのである)。
物語の中に「自分自身の記憶」と同じ断片を発見したとき、私たちは自分がその物語に宿命的に結びつけられていると感じる。
けれども、それはほんとうは「自分自身の記憶」などではなく、事後的に、詐術的に作り出した「模造記憶」なのである。
「強い物語」は私たちの記憶を巧みに改変してしまう。
物語に出てくるのと「同じ体験」を私もしたことがあるという偽りの記憶を作り出す。
その力のことを「物語の力」と呼んでよいと私は思う。
それだけが私たちを私たち自身のままであることに釘付けにしようとするトラウマ的記憶から私たちを解き放つのである。
『1Q84』はまだ4分の1残っている。
私の予感では、この物語は終盤に至って「強い物語による記憶の改変」というこの論考の主題に漸近線的に近づいてゆくのではないかと思う。
読み終わった後になってから「あとぢえ」で、「いや、オレはこんどの村上春樹の新作はきっと『記憶と時間とトラウマ』にかかわるものになると思っていたよ」と手柄顔で言うのが厭なので、読み終えていない段階で「予言」するのである。
違っていたら、ごめんね。

2009.06.06

「父」からの離脱の方位

『1Q84』 は記録的な売れ行きらしい。
今の段階で、発売一週間で96万部。
ミリオンを超えることは確実で、『ノルウェイの森』の450万部という記録を塗り替えるかもしれない。
おそらくメディアはこれから、この本の文学作品としての意味より、なぜこれがこれほどの社会的な「事件」を引き起こしたのかの方に多くの紙数を割くようになるだろう。
メディアが『1Q84』を「事件」として扱い、膨大な非文学的言説が行き交うようになる前の短い空白の間に、この作品についてまだ誰の感想も聞いていないイノセントな状態で、自分ひとりの感想を書き付けておきたい。

ムラカミ・ワールドは「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んで食い止めるという神話的な話型を持っている。
『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフターダーク』、『かえるくん、東京を救う』・・・どれも、その基本構造は変わらない。
「邪悪なもの」は物語ごとにさまざまな意匠(「やみくろ」や「ワタナベノボル」や「みみず」などなど)をまとって繰り返し登場する。 
この神話構造については、エルサレム賞のスピーチで村上春樹自身が語った「壁と卵」の比喩を思い浮かべれば、理解に難くないはずである。
このスピーチでは、「邪悪なもの」とは「システム」と呼ばれた。
「システム」はもともとは「人間が作り出したもの」である。
それがいつのまにかそれ自体の生命を持って、人間たちを貪り喰い始める。
システムの前に立つと、ひとりひとりの人間たちは「壁にぶつけられる卵」のように脆弱である。
けれども、「卵の側に立つ」以外に、人間が「システマティック」な世界をわずかなりとも「人間的なもの」に保つためにできることほとんどない。

本作では、「邪悪なもの」は「リトル・ピープル」と名づけられる。
それとの戦いが現実の1984年とは違う「1Q84年」という神話的な闘技場で展開する。
戦うのは「青豆」という名の女性主人公と「天吾」という名の男性主人公。
彼らはそれぞれ「武器」と「物語」を手にして、「タマル」と「ふかえり」というパートナーとともに、絶望的な戦いに挑む。
基本構造は変わらない。
しかし、今回の長編にはかつてない大きな変化が見られた。
それは「父」が前面に登場してきたことである。

村上作品に「父」が登場することは少ない(「絶無」と言ってもいいくらいである)。
分析的な意味での「父」とは単なる生物学的な父のことではない(生物学的な母が「父」である場合も多い)。
「父」とは「世界の意味の担保者」のことである。
世界の秩序を制定し、すべての意味を確定する最終的な審級、「聖なる天蓋」のことである。
どの社会集団もそれぞれに固有の「ローカルな父」を持っている。「神」や「天」という名を持つこともあるし、「絶対精神」や「歴史を貫く鉄の法則性」と呼ばれることもあるし、「王」や「預言者」という人格的なかたちをとることもある。
その世界で起きていることは(善きにつけ悪しきにつけ)を何かが専一的に「マニピュレイト」しているという信憑を持つ社会集団はその事実によって「父権制社会」である。
どれほど善意であっても、弱者や被迫害者に同情的であっても、「この世の悪は“マニピュレイター”が操作している」という前提を採用するすべての社会理論は「父権制イデオロギー」である。
「父権制イデオロギーが諸悪の根源である」という命題を語る人は、そう語ることで父権制イデオロギーを宣布しているのである。
なぜ、私たちは「父」を要請するのか。
それは、私たちが「世界には秩序の制定者などいない」という“真実”には容易には耐えることができないからである。
実際には、私たちは意味もなく不幸になり、目的もなく虐待され、何の教化的意図もなく罰せられ、冗談のように殺される。
天変地異は善人だけを救い、悪人の上にだけ雷撃や火山岩を落とすわけではない。
もっとも惜しむべき人が夭逝し、生きていることそのものが災厄であるような人間に例外的な健康が与えられる。
そんな事例なら私たちは飽きるほど見てきた。
では、世界はまったく無秩序で、すべてのことはランダムに起きているのかといったら、そうではない。
そこには部分的な「秩序のようなもの」がある。
世界を包摂するような秩序を作り出すことは誰にもできない。
けれども、手の届く範囲に限れば「秩序のようなもの」を打ち立てることはできる。
科学的に思考し、フェアに判断し、身体感受性が高く、想像力の行使を惜しまない人々が「ダマ」になって暮らしている集団があれば、そのささやかな集団では「秩序のようなもの」が「無秩序」を相対的には制するだろう。
けれども、それはあくまで、一時的、相対的な勝利にすぎない。
その「秩序のようなもの」を一定以上の範囲に拡げることはできない。
そのような「ローカルな秩序」はローカルである限りという条件を受け容れてのみ秩序として機能し、普遍性を要求した瞬間に無秩序のうちに崩落する。
繰り返し書いているように、正義を一気に全社会的に実現しようとする運動は必ず粛清か強制収容所かその両方を採用するようになる。
歴史はこの教訓に今のところ一つも例外がないことを教えている。
私たちは「父」を要請してはならない。
たとえ世界のかなり広い地域において、現に、正義がなされておらず、合理的思考が許されず、慈愛の行動が見られないとしても、私たちは「父」の出動を要請してはならない。
「ローカルな秩序」を拡大しようとするときも、ひとりひとりの「手の触れる範囲」を算術的に加算する以上のことをしてはならない。
私は「父権制イデオロギー」に対する対抗軸として、「ローカルな共生組織」以上のものを望むべきではないと考えている。
思弁的にそう思うのではなく、経験がそう教えているのである。

村上文学における「父」の話をしているところだった。
話を戻そう。
文学もまた「父」を(ほとんどそれだけを)ひさしく主題にしてきた。
あるときは「父の武勲詩」を、あるときは「父に抗う子どものパセティックな抵抗(と劫罰)の物語」を、あるときは「父の不在」を嘆く悲嘆の詩を。
その中にあって、現代の何人かの作家たちは「父抜きの世界」を描くという野心を抱いた。
その中の一人であるアルベール・カミュは自作について次のように書いている。
「私は哲学者ではありません。私は理性もシステムも十分には信じてはいません。私はどうふるまうべきかを知ることに関心があります。もっと厳密に言えば、神も理性も信じないでなお、人はどのようにふるまい得るかを知りたいと思っているのです。」(Albert Camus, Interview à ‘Servir’, Essais, Gallimard, 1965, p.1427)
このカミュの言葉にエルサレムの村上春樹は全幅の賛意を示しただろう。
「システム抜き」でも人間はやり遂げることができるか。
ふるまい方を指示するマニュアルも教典も存在しない世界でも、人は「人として」ふるまうことができるか。
もしそれができるのだとしたら、何が人の行動の規矩となるのか。
ほとんどの人はこれからのどうするかを決めるとき、あるいはすでに何かをしてしまった後にその理由を説明するために、「父」を呼び出す。
それは必ずしも「父」の指導や保護や弁疏を期待してではない。
むしろ多くの場合、「父」の抑圧的で教化的な「暴力」によって「私は今あるような人間になった」という説明をもたらすものとして「父」は呼び出されるのである。
「父」の教化によって、あるいは教化の放棄によって、私は今あるような人間になった。
そういう話型で私たちのほとんどは自分の今を説明する。
それは弱い人間にとってある種の救いである。
世界は「父」を呼び出すことで一気に合理的になり、さまざまなものが名づけられ、混乱は整序される。
けれども、そのようにして繰り返し自己都合で「父」を呼び出しているうちに、「父=システム」はますます巨大化し、遍在化し、全知全能のものになり、人間たちを細部に至るまで支配し始める。
「私が今あるような人間になったことについて、私は誰にもその責任を求めない。」
そう断言できる人間が出てくるまで、「父の支配」は終わらない。
「父の支配」からの「逃れの街」であるような「ローカルな秩序」は、そう断言できる人間たちによってしか立ち上げることができない。
カミュやレヴィナスはそう教えている。
私は彼らの考想に同意の一票を投じる。
そして、村上春樹もまた彼らと問題意識を共有しているということについては確信がある。

『1Q84』にはたくさんの「小さな父たち」が登場する。
青豆の父も、天吾の父も、「ふかえり」の父も、タマルの父も、みな自分たちの子どもをさまざまな仕方で棄てる。
それが子どもたちに深い傷を残す。
「リトル・ピープル」という「邪悪なもの」はおそらくそれらの「小さな父たち」の「しけた悪意」の集合表象のようなものだ。
主人公たちはその「邪悪な父によってつけられた傷」によって久しく自分の現在を説明してきた(あるいは「説明する能力」の欠如を説明してきた)。
それが彼らをどこにも進めなくしてきた。
「トラウマ」とはそういうものだ。
何が起きても、誰に出会っても、「あのできごと」に帰趨的に参照されて、その意味が決まる。
「トラウマ」とまったくかかわりのない、「新しいこと」は決して起こらない。そのように過去に釘付けにされることが「トラウマ」的経験である。
何を経験しても、それを「父」とのかかわりに基づいて説明してしまう(「父が私にそれを命じたから」あるいは「父が私にそれを禁じたから」)。
そのような言葉づかいをしている限り、「父」の影響を一方的に受ける「被制者」という立ち位置から私の人生は始まったという話型で自分について語る限り、「子ども」たちは「父」から逃れることができない。

『1Q84』は、困難な歴程の果てに、主人公たちが「邪悪で強大な父」という表象そのものを無効化し、「父」を介在させて自分の「不全」を説明するという身になじんだ習慣から抜け出して終わる。
それはもちろんはなやかな勝利ではないし、心温まるハッピーエンドでもない。
けれども、私は村上春樹がこの作品で「父の呪縛」から逃れる方途について何かはっきりした手応えを覚えたのではないかと思う。
それはこの作品の骨組みのゆるぎない物語構造と、細部の(ほとんど愉悦的なまでの)書き込みから感じられるのである。

2009.06.07

お掃除するシシュフォス

久しぶりの、ほんとうに久しぶりのオフである。
カレンダーを見ると、真っ白である。
どこに出かける用事もない。締め切りもない。
ふう。
カレンダーが「真っ白」というのは4月5日以来。
二ヶ月ぶりである。
ユダヤ教だって、キリスト教だって、イスラム教だって、安息日は一週間に一日で、その日はお祈りする以外は、できるだけ家にじっとしていて仕事はしちゃいけないはずである。
人間が人間的に生きるためには、それくらいの休息は必要だということである。
ほんとに。
久しぶりの休みで、うれしくて、朝から原稿を書いている(意味ねーじゃん)。
一昨日三砂先生とひさしぶりにお会いして、いろんな話をしたのだが、そのことを日記に書いていなかったので、「入試部長のひとりごと」の方に書く。
三砂先生はちょうど『1Q84』を読み終えたところだったので、二人で「すごいよね」と盛り上がる。
三砂先生は「ムラカミハルキ先生」とずっと敬称をつけて呼んでいた。
こういう人が同時代にいて、その人の一番新しい小説を、出たその日に買って読むことができるというのは、ほんとうに幸せなことだからだ。
その感謝の気持ちを「敬称」で表しているそうである。
三砂先生は小説も書いている。
小説を書くことのむずかしさと愉楽については臨場感をもって知っている。
講演とか研究プロジェクトとか、そういうのとはそろそろ足を洗って、女子学生のケアと小説執筆だけに専念したいそうである。
そういうことなので、今の三砂先生は「小説書きませんか?」というオッファーには日向のアイスクリームみたいに弱いかもしれない(以上、業界宛て業務連絡でした)。
ついでに、週刊文春用に『1Q84』の書評を書く。
字数が1000字ちょっとなので、書きたいことのほんの一部しか書けない。
こういうときはブログという表現手段があることはほんとうにありがたい。
字数制限もないし、放送禁止用語もない。
書いたあとに、書き足したいことが出てきたら、翌日書き足せばいい。事実誤認があれば、「嘘書いてごめんね」と即日訂正できる。
原稿を山ちゃんに送稿してから、ひさしぶりに家の中を大掃除する。
冬用のラグを片付けて、散乱していた本をまとめて書架に戻し、洋服箪笥の中を整理して、探していたパジャマとスラックスを鞄の下から発見。古い謡本を片付け、段ボールの空き箱を解体して、しばってまとめる。トイレを掃除して、床に掃除機をかけて、洗濯物にアイロンをかけてしまう。
2時間ほど掃除をしていたら、汗びっしょりになる。
やれやれ、だいぶ片付いた。
2時間で済むような掃除なら、いつでもできるじゃないかと言う人がいるかも知れない。
毎日3時間も4時間も酒飲んで、バカ映画みてごろごろしているんだから、その時間にやればいいじゃないか、と。
そういうものではないのだよ。
それは家事というものを本気でしたことのない人の言葉である。
家事というのは、明窓浄机に端座し、懸腕直筆、穂先を純白の紙に落とすときのような「明鏡止水」「安定打座」の心持ちにないとなかなかできないものなのである。
お昼から出かける用事がある、というような「ケツカッチン」状態では、仮に時間的余裕がそれまでに2、3時間あっても、「家事の心」に入り込むことができないのである。
というのは家事というのは「無限」だからである。
絶えず増大してゆくエントロピーに向かって、非力な抵抗を試み、わずかばかりの空隙に一時的な「秩序」を生成する(それも、一定時間が経過すれば必ず崩れる)のが家事である。
どれほど掃除しても床にはすぐに埃がたまり、ガラスは曇り、お茶碗には茶渋が付き、排水溝には髪の毛がこびりつき、新聞紙は積み重なり、汚れ物は増え続ける。
家事労働というのは「シシュフォスの神話」みたいなものなのである。
シシュフォスの苦役についてアルベール・カミュはこう書いている。「神々はシシュフォスに岩を山頂まで押し上げる終わりなき刑を宣した。岩は山頂に達するたびに、自らの重みでまた落下するのである。神々はどういう理由によってかは分からないが、無用でかつ希望のない労役ほどに恐るべき罰はないと考えたのである。」(Albert Camus, Le Mythe de Sisyphe, in Essais, Gallimard,1965, p.195)
彼が罰された理由はさまざまだけれど、伝承によれば、それは彼が神々を軽んじ、死を憎み、生を愛したためである。
彼が受けた刑は「彼がこの世界をあまりに愛したことの代償」なのである。
身体がきしむような労役によって岩を山頂に押し上げると、岩は再びもとの場所に転がり落ちる。シシュフォスは今やり終えた仕事を最初からやり直すためにゆっくり山を下りる。
「坂を下っている、このわずかな休息のときのシシュフォスが私を惹きつける。(・・・)重く、しかし確かな足取りで、終わりを知らない苦役に向かって山を下る男の姿が見える。息継ぎのように、そして彼の不幸と同じように確実に回帰してくるこの時間は覚醒の時間でもある。山頂を離れ、ゆっくりと神々の巣穴に向けて下ってゆくこの一瞬一瞬において、彼は彼の運命に優越している。彼は彼の岩よりも強い。
この神話が悲劇的であるのは、その主人公が覚醒しているからである。(・・・)神々のプロレタリアであるシシュフォス、無力で反抗的なシシュフォスは彼の惨めな状況をすみからすみまで熟知している。彼が山を下りながら考えているのは彼自身の状況についてである。彼の苦しみを増すはずのその明察が同時に彼の勝利を成就する。どのような運命もそれを俯瞰するまなざしには打ち勝つことはできないからだ。」(Ibid., p.196)
あまりにかっこいいのでカミュを引用すると、ついたくさん訳してしまうが、ここで期せずしてカミュが「明察」(clairvoyance)という言葉を使っていることにご注意願いたい。
私は上で「明窓浄机に端座して」「明鏡止水」の心境で、と書いた。
家事を行うときの心構えとして、「明察」を挙げる人は(幸田露伴を別とすると)あまりいないけれど、これはまことにたいせつな心構えである。
家事を侮るものは、必ず家事の全貌を「俯瞰する」努力を怠る。
「このエンドレスの仕事は私の仕事である」という涼しい断念を回避しようとする。
「こんなのは私の仕事じゃない」とか「誰かがやればいい(金は出すからさ)」とか、見苦しい言い逃れをしようとする。
「岩から逃げ出すシシフォス」は運命に屈服しているのである。
私が「休みが欲しいよ」と泣訴しているのは、朝寝をしたいとか、ごろごろマンガを読んでいたいとか、そういう理由ばかりによるのではない。
私が休みが欲しい主たる理由は「家事をしたい」からである。
私自身の「シシュフォスの運命」にまっすぐ向きあいたいからである。
私の敬愛する兄上は先般会社をリタイアされて、晴れて“ゴールデンパラシューター”として悠々自適の日々を送っておられるが、兄の次の夢は伊豆の山中に別荘を建てることだそうである。
海を望むガラス張り広い部屋にピアノとオーディセットと書棚と寝心地のよいソファを置いて暮らすそうである。
「毎日何するの?」と私が訊いたら、兄は当たり前のことを訊くねえお前は、というように訝しげな表情をしてこう答えた。
「掃除だよ」

2009.06.14

just married

結婚についての取材がどういうわけか続いた。
先週「週刊SPA」からは「意外と祝福されていない結婚式」という特集の取材を申し込まれる。
少し前の 『AERA』に、「ブーケトスは人権侵害だ」という記事が掲載され、「局地的に」大きな話題となったそうである。
ブーケトスの時に独身女を集める「点呼型」、ある一人を呼び出してブーケ贈呈する「名指し型」などがあり、それについて、「独身者をさらし者にする行為」で、「花嫁の自己チュー」「幸せをお裾分けしようという気持ちがおこがましい」というのが「スタンダードな意見」とのこと。
「一生に一度の晴れ舞台に立つ新郎新婦の思いとは裏腹に、列席者が抱いたビミョーな違和感、祝福する気が萎えたエピソードを集めていく」特集の由。
あ、そうですか・・・とやや鼻白んで、ちょっと今回はご容赦くださいとお断りする。
その二日後に今度は『Grazia』から「婚活特集」の取材がある。
これも前に『AERA』で、「婚活」というのは話の筋目が違うのではないかということを申し上げたのを聞き咎められて、「婚活しないで、どうやって結婚すればいいのか?」という独身女性たちの側の「スタンダード」に切実な問いについて、回答を求められた。
結婚に必要なのは「万有共生」のココロです、というような答えでお茶を濁す。
答えにくいのももっともで、私は6月13日に結婚したからである。
経緯については、「知っている人は知っている。知らない人は知らない」ので、「ま、そういうことだったんですよ」という他にない。
一私事であるからして、別に満天下に対して説明責任を有するわけではないしね。
とはいえ、冠婚葬祭は人事の基本であるから、きちんとことの筋を通して、挙式を行い、媒酌人を立てて披露宴も行ったのである。
挙式は神戸女学院大学ソールチャペル。
新婦は卒業生であり、私も在職者であるので、「身内」の教会で、両名ともに親しくご指導いただき、かつ私の現在の直属の上司である飯謙学長・学院チャプレンに司式をお願いした。
飯先生は結婚式の司式をふだんはなされないのであるが、今回は私のわがままを聞き入れて、白いガウンをまとって司式の労をとってくださった。
詳細については、列席した方々の証言を徴されたい。
こういう形容がこの場合にふさわしいかどうかは知らないけれど、まことに「気合いの入った」司式であり、列席者たちは粛然と襟を正して、飯先生の説教に聞き入り、その祈りに加わったのである。
結婚式の感想として、「花嫁が美しかった」とか「新郎がうわずっていて見苦しかった」というような感想はよく耳にするのであるが、「すばらしい司式者でした」という声をこれほど聞く機会は珍しい。
まことに「神の前で誓約をする結婚式というのはこういうものなのだな」と一堂深く実感する儀式でありました。
式後、中庭にて列席者諸氏と記念写真を撮り、それから神戸オークラホテルに移動。
披露宴は、「あの」平安の間である。
媒酌人は新婦の師匠である大倉流小鼓方の久田舜一郎先生ご夫妻にお願いした。
司会は「ゑぴす屋」谷口さん。Pちゃん、シオちゃんの結婚式に続いてのおつとめである。
媒酌人による新郎新婦のご紹介のあと、ご挨拶をいただく。
新郎主賓は飯謙学長(司式に続いて、飯先生にはまたまた大役をお願いしてしまった)。
新婦主賓は大倉流十六世宗家、大倉源次郎先生。
「四海波」御発声は観世流シテ方笠田稔先生(能楽師の結婚式では会の始まりに謡曲『高砂』の一節である四海波を謡うのである。成田美名子の『花よりも花の如く』を読んでいる諸君はご存じであろう)。
乾杯御発声は“極楽スキーの会”を代表して山本義和人間科学部教授。
それから唯一のパフォーマンスとして、斉藤言子音楽学部教授と森永一衣さん(山本画伯のご令室)二人の「ソプラノ・ミラノ組」によるメンデルスゾーンの「歌の翼に」のデュエット。
来賓祝辞として、新郎友人の平川克美くんの「作文」朗読。
新婦の舞と謡の師匠である喜多流シテ方の高林呻二先生。
新婦友人の英文学者の大江麻里子さん。
締めの(泣かせる)祝辞は鷲田清一大阪大学総長。
最後に新婦と新郎からひとことずつ謝辞を申し上げる。
以上、終わり。
キャンドルサービスも、色直しも、「てんとう虫のサンバ」も、合気道演武も、舞囃子も、もちろん「ブーケトス」も、なし(ブーケはあとでるんちゃんがおみやげに持って帰ってくれた)。
この場を借りまして、改めてご参列くださったすべての方々、お祝いの品々をお送りくださったすべての方々に御礼申し上げます。
その全員のお名前を挙げることができませんので、遠くニューヨークからわざわざ駆けつけてくださった鈴木晶先生、荷風論明日締め切りの原稿まだ書いてないのに来てくださった高橋源一郎さん、本学での集中講義でお疲れのあと新幹線の時間が押していて伊勢エビのフリカッセまでしか食べられなかった関川夏央さんの「お疲れ三人組」。
そして、この日のために奔走してくださった谷口武史さん、井上清恵さん、朝からフルアテンダンスでヘアメイクしてくださった光安清登さんの「裏方三人組」。
そして、言葉に尽くせぬほどのご恩を賜りました飯謙先生に、参列者を代表して、私からのお礼の言葉を受け取っていただきたいと思います。
みなさん、ほんとうにどうもありがとうございました。


2009.06.18

私の仕事

17日の午前10時にプレスリリースを行った。
2009年度入試の英語問題に出題ミスおよび採点ミスがあったのである。
6月3日に学外の入試問題出版社から疑問が提示され、それを承けて、出題委員への問い合わせ、ミスの確認、再採点、成績一覧の書き換え、合否判定、追加合格者の決定、文科省への報告、追加合格の通知、プレスリリース・・・とこの2週間ほど入試部長として連日その作業に忙殺されていたのである。
ブログ更新がままならなかったのも当然(そのあいまに別のイベントも進行していたし)。
とりあえず、昨日までに追加合格の通知とプレスリリースが終わった。
さいわい、追加合格によってこの時点での進路変更という志願者は少数にとどまりそうである。
それでも、実際には合格していた試験に「不合格」という通知を受け取った受験生の精神的なショックについては遡ってこれを償うことができない。
深く謝罪するとともに、受験生の逸失利益についてはできるかぎり回復に努めるつもりである。
入試業務の統括責任者として、ここに深くお詫び申し上げたい。

だが、どうしてこういうミスが起きるのだろう。
今回、入試業務の責任者として、ミスの発生原因について調査を行った。
その報告は「ミスはどうして生まれるか」ということについて、貴重な教訓をもたらした。
レポートの結論は、一言で言えば、「どうしてこんなミスが起きたかわからない」というものだったからである。
お怒りになる人がいるかも知れないが、私はこの報告はある意味で「正直」なものだと思う。

以下は一般論である。
ミスは「これが原因」と名指しできるような、わかりやすい単一の原因では起こらない。
「誰が有責者かを特定できない」からミスが起きるのである。
それは「私の仕事」と「あなたの仕事」のどちらにも属さない領域で起こる。
「オフィスの床に落ちているゴミ」を拾うのは「私の仕事」ではない。
私のジョブ・デスクリプションには「床のゴミを拾うこと」という条項はないからである。
だから、「私は『そんなこと』のために給料をもらっているわけではない」という言葉がつい口を衝いて出る。
そのような人たちばかりのオフィスはすぐに「ゴミだらけ」になる。
同じように、ミスは「誰もそれを自分の仕事だと思っていない仕事」において選択的に発生する。

「ジョブ」について書かれた印象深いテクストがある。
カインがアベルを殺した後、主はカインに訊ねた。
「あなたの弟アベルはどこにいるのか。」
カインは答えた。
「知りません。私は自分の弟の番人なのでしょうか。」(『創世記』4:9)
「私は自分の弟の番人なのでしょうか」とカインは言った。
「『私の仕事』がどこからどこまでなのか、それをはっきりさせて欲しい」というカインの要求を主は罰された。
「私の仕事」はその境界線を「ここまで」と限定してはならない。
それは信仰上の戒律であるというよりは、集団で仕事をするときの基本的な心構えのように私には思われる。

2009.06.19

株式会社立大学の末路

株式会社が設立したLECリーガルマインド大学が、入学者の減少などから、来年度以降の学部生の募集を停止すると発表した。
LEC大学は、資格試験対策の予備校「東京リーガルマインド」が2004年に設立した。
全国に14キャンパスあったが、志願者減少に伴い募集停止や統廃合を行い、今年度は千代田キャンパスのみの募集であった。
今年度の入学者は、定員160人に対して18人。累積赤字は30億円に達していたという。
2007年1月には、専任教師の大半に勤務実態がない、ビデオを流すだけの授業を行っていたなどとして、文部科学省から改善勧告を受けていた。
株式会社立の大学については、これは高等教育機関としては機能しないと私は最初から言い続けてきた。
「教育はビジネスではない」からである。
「教育はビジネスだ」と信じた人たちが構造改革特区制度を利用して、わらわらと大学経営に参加してきたのが、2004年のことである。
“小泉構造改革”を象徴する風景であった。
日本の教育が崩壊しているのは、教育者にビジネスマインドがないからであると、その頃、メディアは口を揃えてそう唱和していた。
「市場による淘汰に委ねれば、真に有用な教育機関だけが生き残るだろう」というロジックそのものに疑義を呈したメディアは私の知る限り一つもなかった。
「マーケットは間違えない」
人々はそう信じていた。
バブル崩壊から、何を学習したのか知らないけれど、この信憑は2008年9月のリーマンショックまで生き延びた。
2006年10月に、安倍内閣の下で、グローバリズム教育論の醜悪な集大成であるところの「教育再生会議」が鳴り物入りで登場する。
このビジネスマインド一色の教育諮問機関が日本の教育崩壊の流れを食い止めるだろうと人々は期待した。
つい「昨日」のことである。
そのときに賑やかに市場原理の旗を振っていた諸君にまずいくつかお聞きしたいことがある。
もう一度お訊ねしたいのは、「教育はやっぱりビジネスですか?」ということである。
株式会社立の大学の起業者たちはおそらく「ビジネスマインド」に横溢されていたのだと思う。
「教育投資が短期的かつ確実に回収できる実学だけを教える教育機関」こそは、「夢見がちな」教育理念や「非現実的な」教育方法にこだわっている旧弊な大学を蹴散らして、市場の勝者となるはずであった。
たしかみんなそう信じていたはずである。
ところが、予想に反して、株式会社立の大学は「市場の勝者」とはならなかった。それどころか、どこも危機的状況にある。
2006年開学のLCA大学院大学はすでに2009年度から募集を停止している。
「企業家輩出機関を理念とし、概念的なノウハウだけでなく、実業子会社で培った実戦的ノウハウをもとにコンサルティングを手がけてきた日本LCAが、独自の経営ノウハウと実業子会社というフィールドを生かして、次代を担う企業家を育成するために設立した」大学院が、である。
経営のノウハウを教える教育機関が経営破綻した場合、説明の可能性は二つある。
一つは、「経営のノウハウ」を教えることを謳ったこの教育機関の経営者たちが実は「経営のノウハウ」をよく知らなかったということである。
魅力的な解釈だが、私はこれをとることを自制する。
私がとるのは、教育機関の経営にはいわゆる「経営のノウハウ」が適用されないという解釈である。
教育はビジネスマンが来るべき場ではなかったのだと思う。
そういう理解でいかがだろうか。
黙って教育の世界から消えてくだされば、それで私の方は構わない(別に私なんかに構われようと構われまいと、先方にとってはどうでもよろしいであろうが)。
LECの他でも、TAC大学院大学は2006年に開学を予定していたが、受験生パンフレット内容に法令違反があり、文科省から厳重注意を受け、結局、開学申請を取り下げた。サイバー大学をめぐる騒ぎについては、このブログでも過去に取り上げて論じたことがある。
株式会社立大学はどこも困難に直面している。
おそらくその過半は遠からず「市場から退場」することになるだろう。
「市場は企業の適否を決して間違えない」というゲームのルールは彼らが最初に提案したものである。
そうである以上、彼らにはこの事態を説明するときの選択肢はあまり残されていない。
「私たちは失敗したビジネスマンである」とカムアウトするか、「市場は生き残るべきものの適否の判断を過つことがある」と認めるか、いずれかである。
どちらの選択肢を選んでくださっても構わないが、日本の未来を考えるなら、できればより生産的な第二の選択肢を選んでほしいと思う。
そして、ビジネスマンの教育への参入、教育を市場原理によって律することを歓呼の声で迎えた“有識者”諸氏には、可能であれば、ぜひ自省の言葉を聞きたいと思う(もちろん誰もしないとは思うが)。

2009.06.23

草食系男子の憂鬱

大学の三年生ゼミは「草食系男子」について。
先般、四年生のゼミでも同じ主題が取り上げられたので、彼女たちからするとかなり喫緊の課題のようである。
発表後とりあえず全員に聞き取り調査をして、「あなたが知っている草食系の実像」についてご報告をうかがう。
いや、聞いてびっくり。
ゼミ生のほとんどの彼氏が「草食系」なのである。
特徴は
すぐ泣く。
拗ねる。
「どうせぼくなんか・・・」といじける。
かわいこぶる(齧歯類系の「かわいさ」を演じるのが上手)
メールに顔文字をたくさん使う。
優柔不断で、「何食べる?」「どこ行く?」といった質問に即答できない。
化粧品にうるさい。
肌を美白に保つことに熱心。
ヘア命(ヘアセットができてない姿を見られると、スッピンの女性のように身もだえするらしい)
家族と親密。
などなど。
こういう男子が20代に大量に存在しているらしい。
ううむ、そういうことになっているとは、おじさん、知らなかったよ。
「これはどういうことなのでしょう」と訊ねられるので、(知らなかった話だが)ただちにその所以について私見を述べる。
草食系男子の生存戦略の基本は「様子見」である。
デタッチメントと言ってもよいが、別に決然として現実に背を向けているわけではない。
「洞ヶ峠で様子見」である。
世の中の帰趨が決まってから、自分の生き方をそれに合わせるつもりでいられるのである。
見た目の柔弱さとは裏腹に、かなり冷徹で計算高い生き方と言わねばならない。
実存主義というのがありましたね(若い人は知らないよね)。
そのころは「参加」という言葉があった。
フランス語で「engagement アンガジュマン」と言う。
自らを自らの誓約によって拘束することである。
「われわれは~最後の最後まで戦うぞ~」
というのは一種の誓言である。
これを言質に取られて、言ったことの責任を取らされるというかたちで「抜き差しならぬ羽目に陥る」のがアンガジュマンである。
それのどこがいいのか、と当今の若者は訝しく思うであろう。
どこがいいのか、と改めて言われるとちょっと返答に窮するのであるが、まあ、いわば「未来において抜き差しならぬ羽目に陥ること」の代償として、今現在は「でかい顔ができる」ということなのである。
「オレは革命のためには命も惜しまないぜ」という人間は、とりあえず「ぼく、痛いのキライだしい」というような人間と、今この現場においては圧倒的な政治力の差というものを享受できたのである。
その政治力の差というのは、「でかい顔ができる」というだけでなく、その場にいるきりっとした感じの文学少女に声をかけて「ちょっといいかな?キミ、今度ブルトンの『ナジャ』の読書会やるんだけど、来ないか?」というふうに話しかけて、そのまま某所に拉致するというような大技をも繰り出すこともまたできたのである(というか、こちらの方がメインだったりして)。
まあ、そういう余禄などもあって、1960-70年代において「アンガジュマン」的生き方はそれなりに政治少年たちに支持されたのである。
かくいう私も「自らの誓言によって自らを拘束し、それによって、抜き差しならぬ事態に自分を追い込む」ことによって、「そうでも言わないとできやしないこと」をいろいろと成就したのである。
旧友石川くん(アゲイン店主)などは私のそのような生き方を「ウチダの“宣言主義”」と(わりと冷たく)評したものであった。
でも、実存主義的生き方は人間の可能性を押し広げるという点では悪くないものであったと思う。
何しろ「未来を担保」に差し出すのである。
支払いをするのは「未来の私」であるから、まあ、赤字国債みたいなものはであるが、この債務を誠実に履行しようとするならば、言った分だけのことはせねばならないのである。
そして、これは先般から何度か引いた池谷裕二さんの洞見であるが、人間というのは「やってしまったこと」については、それを合理化するために「私はそれがやりたかったのだ」というふうに、動機となる感情を「あとづけ」することができるのである。
誓言もそうで、言ってしまったあとになってから、「私はほんとうに(別にその場を取り繕うためではなく)、心から、その誓言をなしたかったのだ」という内発的動機が「あとづけ」的に生まれる。
そして、「『その誓言をなしたいと望んでいた』ということは、実は『私はその誓言を果たし得る』という確信が非主題的にではあれ、私の心の中に存在したからである」というふうに推論はさらに進み、ついに私はその誓言を果たし得る見通しと、それを可能にするわがうちなる潜在的な能力についての確信があったがゆえに、その誓言をなしたのであるというふうに話が出来てしまうのである。
自分の潜在的能力を信じている人間は、信じていない人間に比べて、潜在能力が開花する可能性がきわめて高い。
この統計的な差異は、潜在能力そのものの差異をはるかに上回るので、結局世の中は「無根拠に自信たっぷりなやつ」がリソースを寡占するということになるのである(さぞやご不満ではあろうが)。
というわけで、経験的に言って、「様子見」よりは「実存主義」の方が生き方としては総じて分がよいのである。
にもかかわらず、当今の草食系男子は誓言を嫌い、フリーハンドを好むという。
どうしてなのであろう。
あるいはこの「様子見」は、「いずれ実存主義的に変身」するというオプションも含めての様子見なのであろうか。
よくわかんないけど、男子も大変である。

2009.06.24

ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性

午から取材。BPという雑誌の村上春樹特集。
村上作品はどうして世界的なポピュラリティを獲得したのか、という問いに対して、「ご飯とお掃除」について書かれているからであろうとお答えする。
世界中、言語や信教や生活習慣がどれほど違っていても、人々は「ご飯を作り、掃除をする」ということにおいて変わらない。
いずれも人間にとって本質的な営みである。
「ご飯を作る」というのは、原理的には「ありもの」を使って、そこから最大限の快楽を引き出すということである。
金にものを言わせて山海の珍味を集め、腕のいいシェフに命じて美食を誂えさせるというのは「ご飯を作る」という営みの対極にある。
「ご飯を作る」というのは、人類史始まって以来のデフォルトである「飢餓ベース・困窮ベース」に基づいた営みである。
その基本は「ありものを残さず使う」、もっと平たく言えば「食えるものは何でも食う」である。
村上春樹作品には「ご飯を作る」場面が多い。異常に多い、と申し上げてもよろしいであろう。
そして、基本は「ありものの使い回し」である。
もちろん、登場人物が買い物にでかけてあれこれと食材を買い集める場面もある。
けれども、それらの食材が「これから作るもの」のレシピに基づいて買われることはない。
だいたい、どのような料理にも使えそうな汎用性の高い食材が選択される。
それらの食材は必ず一度冷蔵庫に収められる。
そして、その後、冷蔵庫の扉を開いた「ご飯を作る人」に「ありもの」として与えられる。
ほぼ100%そうである。
村上作品には、そのような限定的な条件を受け容れ、与えられた条件でベストを尽くすようなご飯の作り手が繰り返し登場する。
そして、この「ご飯を作る場面」を村上春樹は実に丹念に、ほとんど愉悦的に書き込んでおり、読者もまた、その場面を読むことからつよい快楽を引き出している。
美食を堪能する場面を書き込む作家はいくらでもいる。
けれども、「ありあわせのもの」で「ふつうの料理」を作る場面にこれだけ手をかけ、それをこれだけ完成度の高い文章に仕上げることに文学的リソースを投じる作家はレアである。
おそらく、そこにこの作家の本質はあり、世界中の「ご飯を作る人」はそこに感応する。
「お掃除」もそうである。
文学作品は無数に存在するが、「お掃除する場面」にこれだけ長い頁数を割いた作家はほぼ絶無と言ってよろしいであろう。
掃除については、これまでブログに何度も書いたが、これは「宇宙を浸食してくる銀河帝国軍」に対して、勝ち目のない抵抗戦を細々と局地的に展開している共和国軍のゲリラ戦のようなものである。
この戦いの帰趨は始めから決まっている。
部屋は必ず汚れる。本は机から崩れ落ち、窓にはよごれがこびりつき、床にはゴミが散乱する。局地的に秩序が回復することはあっても、それはほんの暫定的なものに過ぎない。
無秩序は必ず拡大し、最終的にはすべてが無秩序のうちに崩壊することは確実なのである。
けれども、それまでの間、私たちは局地的・一時的な秩序を手の届く範囲に打ち立てようとする。
掃除をしているときに、私たちは宇宙的なエントロピーの拡大にただ一人抵抗している「秩序の守護者」なのである。
けれども、この敗北することがわかっている戦いを日々戦う人なしには、私たちの生活は成り立たない。
村上春樹作品の主人公はしばしば「お掃除する人」でもある。
これは深い人類学的知見に支えられていると私は思う。
精神科医は心を病んだ患者にしばしば「部屋を掃除しなさい」という実践的忠告をする。
「部屋を片付けると、頭の中も片付く」ことが経験的に知られているからである。
橋本治さんは先般、アートマネジメントの学生たちのためにインターンシップの心得をうかがったところ、「現場に入ったら、まずゴミを拾いなさい」と即答された。
「プロデューサーの仕事はゴミを拾うことです。全部が見えている人間にしかゴミは拾えないのだから」とさらに深遠な言葉を続けられたのである。
「お掃除をする人」はその非冒険的な相貌とはうらはらに、人類に課せられた「局地的に秩序を生成するためのエンドレスの努力」というシシフォス的劫罰の重要性を理解している人なのである。
「ご飯を作り、お掃除をする」というこの二つの類的営みを愉悦的経験として奪還するという点に、おそらく村上春樹の文学の世界性の秘密は存する。
世界中に、国境を越え、人種を越え、宗教を越えて、どこにでも「ご飯を作る人、お掃除をする人」はいるからである。
彼らはその日々の営みに十分な敬意を示されないことにいささかの苛立ちと悲しみを覚えている。
村上春樹はその人々の欠落感をいっとき癒してくれる。
「日常生活」と貶下的に呼ばれるものの冒険的本質を一瞬垣間見せてくれる。
だから、「ご飯も作らないし、お掃除もしたことがない」タイプの知識人たちが村上春樹をうまく理解できない消息が私にはよく理解できるのである。


2009.06.27

成熟のために

今週も忙しい一週間であった。
月曜、部長会、ゼミ、杖道稽古。
火曜、三宅接骨院、BP取材(村上春樹論)、ゼミ、指定校説明会でお詫びと講演(変なの)
水曜、新大阪の歯科で歯の治療、下川先生お稽古。
木曜、教育実習生の受け入れ校の問(啓明学院で尾崎校長と久闊を叙す)、光安さんのところで夏仕様に髪切り(ほぼ丸坊主)、メディア・コミュニケーション演習。
金曜、静岡県立静岡高校で社会科教員のための研修会で講演。
教育関係の講演がこのあともしばらく続く。
「教育現場から市場経済の思考と語法を一掃せよ」と書いたせいで、あちこちの学校から「その話をしてください」と言われる。
話をすると、どなたも「深く共感」してくださる。
深く共感してくださるということは、私と「ほとんど同じ意見」だということである。
同じ意見をお持ちなら、私を招くには及ばない。
それでも私が講演に招かれるのは、その「同じ意見」を「公言すること」に対して、現場ではいまだに強い禁忌が働いているということである。
依然として教育をビジネスの語法で語り、教育活動を「商品・サービス」として扱い、保護者や子どもたちを「クライアント」と呼び、「新製品」をずらりと並べて、パブリシティに金をかければ「マーケット」はいくらでも新規開発できると信じている人々が教育現場に対して強い政治力を維持していると言うことである。
この人々にご退場願わなければならない。
大阪府知事は教育についてつよい指導力を発揮しているけれど、彼が教育に求めていることは、「競争における相対優位」だけである。
彼が怒っていたのは、大阪府の生徒たちのテストの平均点が他の都道府県のそれと比較して劣位であるということに対して「だけ」であり、大阪の子どもたちの市民的成熟や、情緒の深みや、知的な批評性や創発性について彼は言及したことがない。
たぶん彼は教育の目的が「子どもを成熟させること」であるということを理解していないのだろう。
成熟の指標としてテストの点数を用いるのはむずかしい(もちろんむずかしいだけであって、不可能ではない)。
幼児に要求されるのは、「自分にはまだその有用性や意味が理解できないことについても、年長者が『いいから、黙ってやれ』と告げたことについては、判断を保留して、とりあえず受け容れてみる」というマインドを身につけることである。
これは間違いなく市民的成熟の第一歩である(第一歩にすぎないが)。
このマインドを身につけた子どもは学校のテストで高いスコアをマークする。
それからしばらくすると、次には「自分にはまだその有用性や意味が理解できないことについては、年長者が『いいから、黙ってやれ』と告げたことについても、『納得できなければやりません』と言い返す」力を身につける段階に達する。
これもまた市民的成熟には不可避の経路である。
「ものには順番がある」ということである。
初等教育においては「言われたことをやる」能力が「言われても納得できないことは拒否する」能力よりも優先的に開発される。
当然のことである。
六歳の子どもに「拒否権」を認めたら、たぶん相当数の子どもは学びを選択しないからである。
漢字が書けず、四則計算ができず、アルファベットが読めない、太平洋戦争の戦勝国を知らない、といったタイプの子どもたちが成人して、社会の構成員になった場合(すでになっているが)、彼らは「社会の弱い鐶」になる。
その数が成員の数パーセントくらいまでにとどまれば、支えることはできる。
だが、それを越えたら、彼らを支えるための社会的コストで共同体は疲弊し、いずれ環境への適応力を失ってしまうだろう。
それを防ぐためには、子どもに確実に成熟への階梯を登ってもらわなければならない。
成熟の指標をさまざまな仕方でセットし、さまざまな機会に吟味しなければならない。
学校でのテストの点数は「その意味や有用性がよく理解できないことを黙って学習する能力」の指標である。
これはまぎれもなく、市民的成熟への一階梯である。
けれども、それ以上のものではない。そこにとどまっていてよい階梯ではない。
むしろあまりに長期にわたって、「学校のテストの点数」を安定的に高く保っている子どもがいたら、その子どもはどこかで成熟の行程が停止している可能性を吟味した方がいい。
受容と反発はその順番で繰り返される。
何度も何度も繰り返される。
それは昆虫が脱皮するのと同じである。
だから、就学中にはテストの点数が「上がったり、下がったり」することこそが子どもが健全に成熟していることの指標なのである。
「上がったまま」も「下がったまま」も成熟停止を告げるアラームである。
だから、テストの点数というのは、個人における経年変化を見る場合にのみ有用なのであって、それ以外には成熟の指標としては役に立たない。
私は長年の教育現場での経験からそう断言できる。
繰り返し言うように、教育の本義は「子どもたちを共生と協働を果たしうるだけの市民的成熟に導くこと」である。
それ以外に、ない。
教育の本義は格付けや選別や排除や標準化ではない。
子どもたちを生き延びさせることであり、同時に共同体を生き延びさせることである。
教育関係者があまり口にしないことで私がはっきり言っていることは、「子どもが危険だ」というのは、「子ども自身が危険にさらされている」ということと、「社会が子どもによって危険にさらされる」ということを同時に含意している、ということである。
子どもが子どものままにとどまっていることを許した共同体は人類史上一つも存在しない。
存在したのかもしれないが、消滅して、今は存在しない。
成熟のメカニズム、共生と協働のための能力を適切に育成するプログラムを持たない共同体は、長くは存在できない。
そして、私たちの社会の教育システムはその本義を忘れて久しい。
私たちの国の初等中等教育は久しく「同学齢集団内での相対優位」を偏差値で表示し、それを高くすることに教育資源の過半を投じてきた。
その結果、日本の子どもの学力はひたすら下がり続けている。学習時間は先進国最低であり、学力も遠からず最低になるだろう。
「閉ざされた集団内部でのラットレース」に子どもを追いやることには教育的にはほとんど何の意味もない(まったくないわけではない。初等中等教育の一段階では効果があることもある。高等教育では全くないが)。
しかし、私たちの国では教育を受けることの目的を「ラットレースでの相対優位」に立つことだと本気で信じている人間たちが教育行政に与り、依然として、つよい影響力を行使している。
文科省は初等教育からの英語教育の必要性を論じたサイトで、「国際的なメガコンペティションでの相対優位」を学習の第一目的に掲げていた。
外国語を学ぶ第一の理由は、どの言語であれ、その言語を語り継ぎ、あるいは書き継いできた文化圏のうちに蓄積された「知のアーカイブ」にアクセスできる能力を身につけることである。
それはボルヘス的図書館への「魔法の鍵」である。
それが知的情的な成熟と開放にとってきわめて有用であるからこそ、私たちは外国語の習得を勧奨してきたのである。
「英語ができないと金儲けに後れを取る」というような動機で英語学習を勧奨する文言を一国の教育行政を預かる省庁が満天下に公言することについて、「それはどうか」とたしなめる声は庁内からは出なかったのか。
教育はその原点に還るべきだと私は思う。
子どもを成熟させるために何が必要か、それを問うのである。
それだけを問うのである。
そう問うたときに、「ほんとうの大人」であれば、自身の未熟を深く恥じるだろう。
大人がつねに自分の未熟を恥じる文化からしか、子どもを成熟に導くメカニズムは生成しない。

2009.06.30

忙しい週末と批評家の責任について

土曜日、合気道稽古のあと、北野のホテル・トアロードのニュー香港にて、甲南合気会・神戸女学院大学合気道部・杖道会主宰の結婚祝いのパーティ。
みなさんにおみやげのアンリ・シャルパンティエのお菓子を買うことにしたので、人数を訊くと、全部で79名。
武道関係者のみならず大学院聴講生のマダムたちもお見えになっていた。
永山くんがシャンペンの瓶のふたをナイフで切り飛ばす大技のソムリエ芸を繰り出して開会。
司会はいつもの谷口・谷尾コンビ。
全部で出し物が12個あるという(2時間の宴会なのに)。
披露宴ですべての出し物を禁じたので、その腹いせというか欲求不満が嵩じたのか、歌に、踊りに、芝居に、演奏にとまことに盛りだくさん。
ひさしぶりにヤベ・クー・おいちゃんトリオの「あてがきパロディ・ミュージカル」を見る。
今回のパロディネタは『天空の城ラピュタ』で、「あてがき」されたのは会の「夫婦」たち。
ヤベのムスカ大佐がそっくり。アニメの真似までできるとは、まことに端倪すべからざる才能である。
写真は私たちのものがないので、思いつき的に「会員たちの逸品」を放映する。
ケンサクさんの高校時代の「アイドル写真」や、オオツカさん14歳の「ツッパリ写真」に歓声が上がる。
企画してくださったタカトリくん、トーザワくん、清恵さんご夫妻、司会の谷口さん、谷尾さん、『冬ソナ』を演奏してくださったタカモトさん、タナカさん、みなさん、ほんとうにどうもありがとう。
日曜日はひさしぶりの例会。
13名集まって3卓を囲む。
今季も不調の総長は、かろうじて5戦1勝。
養成リーグから上がってきたタムラくんが必死に打っているが、やはりボロ負け(涙)。
オーサコくんが後ろで偉そうに指導している。このあいだまで自身も養成リーグにいたのに、J1でもよく勝つので、これもよろしくない。
若い諸君にはもっと「愛想よく負ける」という芸に熟達してほしいものである。
月曜日。部長会がないので、昼過ぎまで家でのんびり仕事。
日経から電話取材。『1Q84』について。
村上春樹的神話構造と「料理とお掃除」の関連についてお話しする。
夕刊の文芸時評に川村湊が『1Q84』を評している。
川村の評価は否定的である。その一部を採録する。
「『1Q84』という小説自体が、虚構の『現実空間』(変な言い方だが)を作り出そうとしている作品なのだが、この『現実』の世界と、ちょっとだけずれた世界を構築しようとしていることに、興味を引かれる。私たちのこの世界は、階段を一段だけ踏み間違えてしまったおかげで、奇妙な、リアリティーのない世界に足を踏み入れてしまったのではないか。それは、たぶんオウム真理教のサリン事件と、阪神大震災のあった、あの時点から、あるいはもっとそれ以前から(1984年から?)
しかし、私たちが立ち戻るべき“正しい世界”とか“正常な世界”なんかは存在しない。それで村上春樹という物語作者は、“1Q84年”という時空間を設定し、どこか既視感がありながら、現実の世界とは微妙にずれている物語空間を作り出そうとしたのである。
もう一人の主人公の青豆が陥ったパラレルワールドを描いた“1Q84”の世界の、物語としての面白さは認めざるをえない。だが、この虚構空間を、もう一度『現実』に還元した時に見えてくるのは、現実の事件や人間や、いろいろの問題の解決法としての“底の浅さ”以外のものではないのではないか。暴力やテロや戦争を、こんな低い鞍部で越えてよいものだろうか。村上春樹作品における根源的な物語る力の衰弱を感じざるをえなかった。(・・・)現実の世界を少しずらしながら、小説についての小説を書くこと。これは、物語を物語ることの衰弱なのか、あるいはその極限というべきだろうか。小説と現実は乖離しているのだろうか。現実という壁に対しての、壊れものとしての卵のような小説。しかし、そうした比喩に、現実の壁に届かない卵の自壊作用が含まれているのではないか。」(毎日新聞、6月29日夕刊)
わかりにくい批評である。
ひとつはこの批評家が、小説作品の価値を考量するときに、「現実の事件や人間や、いろいろの問題の解決法」を示したかどうかを基準としている(らしい)のだが、その意味が私にはよくわからなかったからである。
小説作品の価値というのは、「暴力やテロや戦争」といった「いろいろの問題」をどのように効果的に解決したかで決まる、というふうに理解してよろしいのだろうか。
それも一つの考え方だとは思うが(私は必ずしも同意しないが)、だが、その場合、ある小説がそれらの問題を「解決した」かどうかは、あるいはその「解決法としての底の深浅」は誰が何を指標にして判定するのだろうか。
私たちを説得したいと望むなら(違うかもしれないが)、その場合には、村上春樹を否定的に評価することの論拠として、川村は「暴力やテロや戦争」を現に解決してみせた文学作品の例をいくつか列挙して、「これらの作品に比較したときに劣っている」というふうに論を進めるべきではないかと思う。
ある文学作品を「・・・ができていない」とか「浅い」といった言い方で批評した場合は、「・・・できている」作品や「深い」作品をそれと対比させなければ、批評家が何を基準にしてそう判定しているのか、私たちにはわからない。作品を評価する手だても、考課している当の批評家の判断そのものの適切性を評価する手だてもない。
以前、「村上春樹の世界性」を疑問視するある批評家が、こう問いただしたことがある。
「どうして春樹のアラビア語訳やウルドゥー語訳が存在していないのでしょうか。これは言語をめぐる政治の問題です。はたしてバグダッドやピョンヤンでは春樹は読まれているのでしょうか。世界がハルキを読む。大いに結構です。だがその場合の『世界』とは何なのか。端的にいって勝ち組の国家や言語だけではないのか。ここに排除されているものは何なのか。誰なのか」
これは「言いがかり」に類するもので批評の態をなしていないと私には思えた。
アラビア語やウルドゥー語の訳が存在しない文学作品は所詮ローカルな文学であり、ピョンヤンでもバグダッドでも読まれるものでなければ、世界的とは言えないというロジックを認めたら、この世に「世界文学」などというものは存在しなくなる。
村上春樹の文学が世界的ではないというのは一つの判断である。
けれども、村上春樹の作品は英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語、ハンガリー語、フィンランド語、デンマーク語、ポーランド語、インドネシア語などに訳されており、その語種は年々増加している。
その語種が世界のすべての言語を網羅していないからという理由で、どのような外国語にも翻訳されていない小説と村上春樹の小説は「どちらも非世界的である点で選ぶところがない」という判断を下すことにどのような積極的な意味があるのか、それによって村上春樹作品についての理解がどれほど深まるのか、私にはわからない。
「世界的」とは「世界中のすべての言語で訳されていること」というであるという基準を適用すれば、「世界的文学」というものは過去にも現在にも存在しないし、おそらく未来にも存在しないであろう。
その場合に、ある文学作品を指して、「これは世界的ではない」と言ってみても、それは現存するすべての文学作品に妥当することなので、個別作品についての理解は少しも深まらない。
それは「これは本である」と言っていることとほとんど変わらない。
「それがどうした」という以外にどのような反応をこの批評家は期待していのか、私にはうまく想像できない。
同じことを私は川村のこの批評についても言えると思う。
批評家はどうやら「現実の事件や人間や、いろいろの問題の解決法として」“底の深さ”を示した文学作品、「暴力やテロや戦争」を高い鞍部で越えた作品、「根源的な物語る力」の横溢している作品、「現実と乖離していない」小説、「現実の壁に届く」作品を読みたく思っているが、村上春樹の新作がその期待に応えてくれなかったことを不満に思っているようである。
それは個人的な印象なのだから、余人の容喙すべきことではない。
けれども、もしその不満に汎通的に有用な知見が含まれていると思っているなら、せめて彼が「及第点」を与えられる作品はどういうものなのか示し、その根拠を挙証する義務からは免れないだろう。
「彼から見て100%の文学作品」がどのようなものであるかを示さないままに、個別作品を格付けするのは手続きとして適切ではない。
あるいは、この世に「100%の文学作品」などというものは存在せず、すべての作品は程度の差はあれ「底が浅く」、「暴力やテロや戦争」を低い鞍部で越えており、「根源的な物語る力」を欠いており、「現実から乖離」しており、「現実の壁」に届いておらず、村上春樹の新作もその点では他と選ぶところがないと言いたいのかも知れない。
その場合には、私はもう同じ言葉を繰り返さなければならない。
他のすべての場合に妥当することがこの作品にも妥当すると教えてもらったことによって、私たちのこの作品についての理解はどれだけ深まるのか。私たちがこの作品から引き出すことのできる快楽はどれだけ増大するのか。私たちの世界の文学的生成力はどれだけ賦活されるのか。
この問いについても批評家には答える責任があると思う。
いやそうではなく、村上春樹の新作だけが例外的に「底が浅く」「鞍部が低く」「現実から乖離している」というのだとしたら、(私はこの判断にはつよく興味を惹かれるが)、なぜ村上春樹の場合にのみ、そのようなことが選択的に起きたのか、ぜひその理由についての仮説を語っていただきたいと思う。

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