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2009年07月 アーカイブ

2009.07.02

安倍季昌さんと会う

『考える人』のインタビューで雅楽の安倍季昌さんとお会いする。
安倍さんは1943年生まれ。千年続く京都方楽家(「がっけ」と読んでね)のお生まれ。
家芸は篳篥(ひちりき)と神楽舞。
そのほか、右舞(朝鮮半島系の舞楽)、箏、打物、歌謡などをされる。
宮内庁楽部の伶人として、昭和天皇の大喪の礼、今上天皇の即位の礼、伊勢神宮の遷宮などの大きな儀礼のほか、外国からの来賓が来たときの奏楽や、新嘗祭などの恒例の祭事にひさしくかかわってこられた方である。
私のようながさつな東京下町“地下人”キッズはこんな企画でもなければ、まずお目にかかることのない「殿上人」である。
でも、たいへんに穏和でユーモラスな方で、篳篥の演奏や舞の運足などを拝見しているうちに、3時間ほどあっというまにすぎてしまった。
私は知らない世界のことについて話を聴くのが大好きなので、話は宮中のことになる。
安倍さんはもちろん「陛下は・・・」と言われるのだけれど、安倍さんの口から出る柔らかい音色の「へいか」という言葉は、政治家やナショナリストのイデオロギーが口にする同じ言葉とは手触りがまったく違う。
それは政治的な「記号」ではなく、生身の人間について用いられている代名詞だからである。
私はこんなふうに「陛下」という語を発語する人とはじめて会った。
宮中の祭事について、私たちはほとんど何も知らないけれど、新嘗祭などは夕方から深夜まで続き、その間楽師たちは奏楽し続けている。祭事が終わるころには楽師たちも疲弊し果てているが、陛下もまた蒼白となって、よろめくように賢所から出て来られるそうである。
この国の五穀豊穣を神に感謝する祭事を、誰も見ていないところで、何人かの人たちが粛々と、骨身を削るようにして行っている。
「それがどうした」と思う人もいるだろうけれど、私はこういうのも一種の「雪かき」仕事なんだろうと思う。
その仕事の意味や有用性について誰も保証してくれない仕事を、それを完遂しても誰からもねぎらいの言葉がかけられない仕事を黙って行っているからである。
安倍さんの言葉の端々からはそういう報われることの少ない仕事に全身を捧げている人に対する真率な敬意が伝わってきた。
そして、「真率な敬意」というものが私たちの社会では今やどれほど希有のものかを思い知ったのである。

2009.07.04

エネルギー政策について

文献ゼミでエネルギー問題について二人が発表する。
一人は石油枯渇、一人はハイブリッドカー。
環境問題は女子学生の好む主題であるが、私はあまり好まない。
理由の一つは「複雑な問題に対して単純なソリューションを対置する」態度が広く採用されているからであり、理由の第二はそう指摘するとすぐに怒り出す人が広く分布しているからである。
そういう種類の人間がダマになっている論件に近づいても、あまりいいことがないので、敬して近づかないのである。
しかし、今回の発題者たちは二十歳前のイノセントな女子学生たちである。
せめて彼女たちには「複雑な問題を複雑なままに扱うこと」のたいせつさを教えておきたいので、いくつかのトピックをランダムに提示する。
その一。
私たちの世代は子どものころに「日本のエネルギー源は水力発電で得られる」と社会科の教科書で習った。
日本は急峻な山地に覆われ、雨量も多い。水力発電として、これほど恵まれた環境は世界にも類を見ない、と教科書には書いてあった。
すばらしい、と子どもだった私は思った。
山に降る雨水がただ川下に流れるだけでエネルギーを作り出すのである。
私は幼いエコロジストであったので、水質汚染も大気汚染も自然破壊ももたらさない水力発電国の国民であることを神に感謝したのである。
しばらくして、日本のエネルギーは火力発電にシフトした。
こちらの方がずいぶん環境負荷は大きそうだけれど、水力を棄てた理由については誰も子どもに説明してくれなかった。
しばらくして、火力発電から原子力発電にシフトした。
これはもう水力に比べると圧倒的にリスキーな発電方法のように思えたけれど、誰もそれが採択された理由を私には説明してくれなかった(一人だけスナックのカウンターでそれについてコメントしてくれたサラリーマンがいた。私が「原発反対」というワッペンを襟につけて飲んでいたら、「だったら、お前もう電気使うなよ。原発に反対するやつには電気使う権利ないよ」と怒鳴りつけられた。それが私と原発のただ一度の「接点」である)。
なぜ国策的なエネルギー政策の転換について私たちは「説明」されないのか。
水力がダメで、原発がいい理由として、「土砂が堆積して、発電量が落ちるから」という説明を一度ある県の知事から聞いたことがある(この人はダムのたくさんある県の知事で、かつ私の岳父であった)。
私はこの説明にひどく驚いた。
日本のエネルギー政策の立案者が「その程度のこと」も予測しないで国策的なダム作りをしていたということがほんとうだとしたら、日本のエネルギー政策の起案者たちは全員「バカ」だということになるからである。
そして、全員が「バカ」であるところのエネルギー政策立案者が「おお、これは失敗」というので次に立案したエネルギー政策もまた同一の「バカ」頭から出たものである限り、論理的には同程度に愚策である蓋然性が高い。
水力発電を信じた私は間違っていたのである。
だとすると、私にはこのあと政府が提唱するものである限りは、火力発電も、原子力発電も、太陽光発電も、風力発電も、どれにもイノセントな期待を託すことができなくなる。
私の負託を得たければ(得たくもないであろうが)、政府は「どうして、わが国のエネルギー政策はこのように無様なダッチロールを続けるのか」について、きちんとした理由を開示しなければならない。
「過去の政策」の失敗の理由について筋の通った説明ができない政府が採択している「現在の政策」も、いずれ同じように筋の通った説明のないままに廃棄されるであろうという私の推論に瑕疵があれば、日本のエネルギー政策の当事者はぜひ「このへんが違います」とご指摘を願いたいと思う。
これが一つ。
もう一つはローマ・クラブの「成長の限界」である。
1972年に発表されたこのレポートは私たちの心胆を寒からしめた。
このレポートによれば石油埋蔵量は21世紀にはいったあたりで枯渇することになっていたからである。
残り30年。
それから30年経った。
2009年における石油の可掘埋蔵量があと何年分だかみなさんはご存じだろうか。
あと45年である。
不思議な話であるが、「あと30年」と言われてから35年経ったら「あと45年」と言われているのである。
どうしてこんなことが起きたかというと、掘削技術と精製技術が進化したからである。
埋蔵量というのは「埋蔵されているもの」の量のことではない。
埋蔵されている資源のうち、「掘って採算が合う」もののことを言うのである。
「地球の中心のマグマのあたりにどかんと石油があるんですけど」というような場合、それは「埋蔵量」にはカウントされない。
掘削してもペイしないからである。
「技術的に掘り出せて、かつ掘り出すのに要したコストを差し引いても利益が出る」ものについてのみ私たちは「埋蔵量」という言葉を使うのである。
だから、埋蔵量は年ごとに変動する。
ごく単純に言えば、石油価格が暴落した場合、埋蔵量は減少し、石油価格が高騰すれば、埋蔵量は増大する。
要は「掘る気になるかどうか」の問題だからである。
現在、化石燃料消費が依然として産業のベースになっている最大の理由は、「その方がアメリカの石油会社が儲かる」からである。
石油会社は産業構造が石油依存ベースであれば、必ず儲かる仕組みになっている。
石油がじゃぶじゃぶ出れば、それで儲ける。
「石油が枯渇した」と言われれば(ほんとうは枯渇したのではなく、コストが安すぎて「掘る気になれない」だけであるが)、価格を吊り上げて儲ける(価格を吊り上げれば、埋蔵量はまた増大する仕組みは上に述べた通り)。
いよいよ石油がなくなったら、代替エネルギーで儲ける(アメリカの石油資本は今、過去最大の利益を上げており、その利益を「代替エネルギー開発」に惜しみなく投じている。社会が「脱=石油」にシフトすれば石油会社にじゃんじゃん金が入るようにビジネスモデルを設計しているのである。知恵者はどこにもいるものである)。
もう一つ。
アメリカが世界最大の工業国になったのは20世紀に入って、二度の世界大戦で戦場になったヨーロッパの産業のインフラが破壊されたときに無傷で残ったことと、20世紀のはじめにテキサスで石油が発見されたことである。
テキサスで石油が発見されたのは1901年。ボーモントのスピンドルトップという小さな丘で大油田が噴き出した。
このとてつもない規模の油田を国内に所有していたことで、アメリカは「ただ同然のエネルギー源を潤沢に費消する石油ベース産業構造」を作り出すことによってたちまち世界最大の工業国になったのである。
でも、忘れないで欲しいのは、テキサスがメキシコから独立したのは1835年だということである(そして、アラモの戦いが始まる)。
テキサス州としてアメリカ合衆国に併合されたのはその10年後の1845年である。
もし、テキサスの独立運動(ハワイ州の場合と同じく、平たく言えば、アメリカ人入植者による土地の強奪のことだ)がなければ(あるいは失敗していれば)、その半世紀後のアメリカの工業化がどういうふうになっていたのかよくわからないということである。
「テキサスがアメリカでなかった場合」に20世紀アメリカの産業構造がどのような屈曲を強いられたか。
そういう問いについて、私たちはたまにはSF的想像力を行使してもよいと思う。

エネルギー政策について私が言えることは、これがさまざまの集団の、さまざまのレベルでの利益追求を変数とする方程式だということ、それだけである。
特定の集団に選択的に利益をもたらすエネルギー政策は存在するが、人類全体に利益をもたらすエネルギー政策は存在しない。
人類全体に利益をもたらすエネルギー政策があるとしたら、それは「世界中の国民が一斉に産業革命以前のライフスタイルに戻る」というものだけである。
私はこの政策に賛成なのだけれど、同意してくれる人はあまりいない。

2009.07.06

中沢新一さんとトークセッション

稽古終了後、ばたばたと片付けて、東京へ。
この8日間で静岡往復、東京往復×2と6回新幹線に乗る勘定になる。
疲れるはずだよ。
片付けないといけないゲラのうちいちばん切迫している『こんな日本でよかったね』のゲラだけ持って車中へ。
数頁めくっているうちに爆睡。気づいたら新横浜。
等々力の母方に泊まり、母上のご機嫌をうかがう。
朝食をいっしょに食べてからまず矢来町の新潮社クラブへ。
ここにも水曜日に来たばかり。
『新潮45』のためのインタビュー。
いつもの野木さん、足立さんがお相手で、今回のテーマは(行って知ったが)「婚活」。
同じテーマですでに4誌に寄稿したり、インタビューを受けたりしているので、「四重投稿」である。
こちらは同一人物であるからして、このような単独の論件についてそうすぐに意見は変わらない。
結局、どこでも同じようなことを話す。
読む方は「どこでも同じようなことをしゃべって、これでお鳥目がいただけるとはいいご身分だこと」というような皮肉な感想をもたれるやもしれぬが、まあ『Grazia』と『新潮45』を併読されている読者はあまりおられぬであろうからご海容願うのである。
矢来町から四谷に移動。
「くくのち学舎」のキックオフイベントということで、中沢新一さんとトークショー。
「くくのち」というのは「木の精」という意味だそうで、身体性の再発見、農業の重要性の再評価というトレンドを映し出している。
そういう点では中沢さんのセンサーが感知しているものと私が感知しているものは非常に似ている。
ポスト・グローバル資本主義社会における労働と交換の意味について、霊について、贈与について、ブリコラージュについて、二人で熱く語り合う。
あまりに面白かったので、続きをやりましょうということになる。
次回は神戸女学院に中沢さんとお招きして、10月か11月にやることに決める(勝手に決めちゃったけど、企画広報にすがりついて経費を工面してもらわねばならぬ)。
終わったあとに学舎(というのは廃校になった小学校である)で打ち上げ。
鶴澤寛也さんがおいでになる(今日はお洋服なので、ずいぶん感じが違う)。文春のヤマちゃん、アルテスの鈴木・船山ご夫妻、『Sight』の大室さん、ちくまの吉崎さんほか、編集者がぞろぞろ来ている。
中沢新一×内田樹というのははじめての「取り合わせ」であるから、相性がいいかどうか、編集者としてはちょっと見てみたいな~ということだったのであろう。
私たちは同い年で、同じ頃に同じようなところでごろごろしていて、共通の友人知人(佐々木陽太郎とか鈴木晶さんとか)もいるのだけれど、どういうわけかこれまで一度も接近遭遇したことがなかったのである。
不思議なものである。
聴き来ていた佐野史郎さんが「二人の話し方がよく似てるんだ」と言っていた。
相手の話が終わって、ふっと間が空いたところで、「でね」と次の話者が引き取るのだけれど、その「間」がどちらもまったく同じなのだそうである。
「話し方のリズムが同じなんだよね」
そうでしたか。
佐野さんとははじめてお目にかかるけれど、ナイアガラーつながりなので、旧知の人のようである(「私、ナイアガラーです」と名乗ると、中国の秘密結社チンパン、フォンパンのように、フリーメーソンのように、世界中どこでも同好の士から最大限の歓迎を受けることができるのである。大瀧師匠の徳の偉大さに感謝)。
中沢さんも佐野さんも会った瞬間に、「あ、会うべきときに会うべき人に会った」ということははっきり確信されるのであるが、理由は私にもわからない。
PS:
寛也さんから7月8月のおしごとのご案内をいただきましたので、となりの←イベント欄に告知しておきました。東京在住の方、どうぞ一度お運びください。
それから寛也さんとの対談は『考える人』ただいま発売号に出てます~。

2009.07.07

変化が好きなのキライなの

朝起きて、ねぼけ眼で新聞を開くと、そこに自分の顔写真があって目が合うというのは、あまり気分のよろしくないものである。
今朝の毎日新聞でも、兵庫版で県知事選についてコメントをしている。
私は別にコメントすることなんかないので「コメントすることなんか、別にありません」と最初はお断りしたのである。
では、どうしてそういうふうに有権者の関心が低いのかを含めてコメントを・・・ということで、しかたなく取材を受けたのである。
でも、取材されると、やはりない知恵をしぼって、いろいろ考えるものである。
私が思いついたのは、国政は激しく変化することを好む領域であり、地方政治は惰性が強くて、あまり変化を好まない領域だということである。
そういう社会の変化や民意の変化に対する「感度」の差が国政と地方自治のあいだにはある。
別に誰が決めたわけでもないが、そうなっている。
誰が決めたわけでもなくそうなっていることにはたいていの場合、深く考えないとわからない理由がひそんでいる。
メディアは地方自治も国政と同じようにめまぐるしく変化することを望んでいる。
「地方選挙は国政の前哨戦」という言い方をメディアが好むのは、そうである方が、そうでない場合より、メディアにもたらされる利益が多いからである。
現に、今度の東京都議選の開票速報の視聴率は、それが「政権末期の麻生内閣の命運を占うものだ」とメディアが言えば言うほど、高くなる(そして、CMの出稿数が増え、民放の財政は一息つく)。
メディア自身は気づいていないが、メディアは社会が激しく変化することから、そうでない場合よりも多くの利益を得るように制度設計されているので、無意識的にできるだけ多くの機会に「激しい変化」を望むようになる。
激しい変化がそれほど望まれていない場合にも望むようになる。
そのメディアそのもののバイアスをメディアは勘定に入れないということを勘定に入れた方がいい。
ここ数年、初当選のときにメディアを賑わした知事たちのほとんどは地方自治を離れた。
それも当然だと思う。
この人たちは「激しい変化」を地方にもたらすために鳴り物入りで登場したのであるが、地方自治が許容できる変化には限界があるからである。
どちらかといえば、国政は政治的幻想で動くが、地方政治は生活実感で動く。
幻想は振り幅が大きいが、生活実感は「食って、寝て、仕事して」であるから、変化の振り幅がない。
だから、メディアの支援を受けて地方自治に登場した知事たちは任期が2年ほど経った段階で、「もうメディアの注目を浴びるような変化を起こす余地がない」ことに気づく。
変えるだけのことは変えてしまったので、もうすることがないのである。
あとは公共建築物の落成式でテープカットしたり、スポーツ大会で祝辞を読んだり、“ミスさくらんぼ”の表敬訪問を受けたりすることが仕事の半分くらい・・・という「飾り物」になってしまう。
石原東京都知事は週に2日か3日しか登庁しないそうであるが、私は彼が例外的に怠けものであるとは思わない(エネルギッシュな人だからね)。ただ、知事の仕事のうち「オレがやらなくてもいい仕事」を選別したら、全体の60%くらいがそうだったということなのだと思う。
数日前に書いたように私のかつての岳父は県知事であったが、退屈のあまり、三期目はもう半分眠っているような人になっていた。
地方自治というのは「そういうもの」だと思う。
そういうと、メディアはお腹立ちであろう(自治体首長や地方議会の議員のみなさまも激怒されるであろう)。
しかし、上から下まで、国政も村議会も、ひとしなみに「わっせわっせ」的に変化し続ければよろしいというものではないのではないか。
私は変化を好むという点についてはまず人後に落ちない自負がある。
私ほど退屈を嫌う人間に私はこれまで会ったことがない。
私はあまりに退屈することが嫌いなので、私の辞書から「退屈」という文字を削除したほどである(同じ理由で私の辞書には「敗北」という文字もない)。
その結果、私はどのようなつまらぬことのうちにも興味深い論件を見出し、それについてうるさく分析して時間を潰す術を会得したので、ほとんど退屈することのない境地に達したのである。
それくらいに「変化を好む」人間がこう言っているのだから信用して欲しいと思う。
真に変化を好む人間は「変化しっぱなし」という事態の常同性に耐えることができない。
「おい、また変化すんのかよ」と思ってしまうのである。
「いい加減に目先変えろよ」と思ってしまうのである。
それゆえ真に変化を好む人間は「変化したり、変化しなかったりする」という「変化の仕方が変化する」という次数の一つ高い変化を求めるようになる(そのうちそれにも飽きて「変化の仕方が変化する仕方が変化する」ことを求めるようになるのかもしれない)。
だから、地方自治から国政まで、ノベタンで「自民か民主か二者択一」という「どこを切っても金太郎」的状況にたちまちあくびが出てしまうのである。
それとは違う争点があってもよいし、あるべきだと思う。
しかし、メディアを徴する限り、彼らは「それとは違う争点」にはまったく興味がないようである。
ああ、メディアというのはほんとうに変化が嫌いなんだな・・・としみじみ思うのである。
メディアが好きなのは「予測可能な範囲でしかものごとが変化しないような変化」である。
しかし、世の中はそのような自分で好きに設定した許容範囲の中でだけ変化するものではない。
私の社会にカタストロフをもたらす変化は定義上必ず予測不可能なかたちで訪れてくる。
そして、私たちの国のメディアはそのような変化に対する想像力の訓練を組織的に怠っている。

2009.07.11

くらくら

忙しくて目が回りそうだ。
締め切り間際のゲラが積み上げられている。
『こんな日本でよかったね』の文庫版のゲラ(締め切り昨日なのだが、まだ終わらない)
バッキー井上さんのゲラ(解説書かないといけないのだが、まだ読んでない)。
橋本治さんのゲラ(推薦文を書かないといけないのだが、まだ読んでいない)。
関川夏央さんの『「坂の上の雲」と日本人』の文庫版の解説も来週締め切りである(これはなんとか半分まで書いた)。
そこにメールで『BP』の村上春樹論のロングインタビューのゲラが送られてくる。今日中に戻せというご指示である。
文科省に出す入試ミス始末についての詳細レポートもほんとうは昨日までに書き上げなければならず、夜遅くまで大学に残って書いていたのだが、途中で背中がばりばりになってきたので諦める。
レポートを書いている間もデスクの電話が鳴り、ファックスが届き、メールが来る。
いずれも新規の仕事の依頼。
すべてお断りする。
唯一の例外は茂木健一郎さんからの電話での講演依頼。
茂木さんにはこのあいだ本学のめぐみ会の講演をご快諾いただいた義理があるので、こちらも快諾せねば相済まない。
来週の火曜に、その茂木さんの桑原武夫学芸賞の授賞式が京都のオークラである。
こういうパーティにはこれまで行ったことがないけれど、今回は茂木さんだし、比較的近場の京都であるから、お祝いにうかがうことにする。
週末は土曜が卒業生たち(極悪サトウやラジオ小川やおばけちゃんやタダヒロコの代の諸君)の集まりがある。
日曜は河合塾で講演。
ゆっくり部屋を掃除したいのだが、いつになることやら。
朗報があった。
『寝ながら学べる構造主義』が27刷り、10万部を超えた。
タイトルはともかく構造主義の入門書が10万部売れるというのはオドロキである。
『私家版・ユダヤ文化論』も6刷りになったとお知らせがくる。
『街場の教育論』が2009年度上半期の「ベストセラー」の人文・教育部門で6位となる。
ちなみに1位は「勇気の法」大川隆法、2位「心をからっぽにすれば夢が叶う」(ヨグマタ相川圭子)、3位「自分に気づく心理学」(加藤諦三)、4位「PriPri」(世界文化社)、5位「超・絶対健康法」(大川隆法)
う~む、私の本はほんとうにこのカテゴリーでよかったのかしら・・・

2009.07.13

河合塾でお話

日曜は河合塾で講演。
去年も同じ頃に河合塾で予備校生たちを相手に講演をした。
先生たちの間に読者がけっこういて、お呼びくださったのである。
300人ほどの予備校生たちを前に「脱=市場原理の教育」というお題で2時間半近く話す(このところどこでもタイトルはいっしょである。中身はばらばらだけど)。
生徒たちは食い入るようにこちらを見つめている。コワイくらいである。
当然である。
彼らは日々「こんな勉強やることに何の意味があるのか」という身を切るような問いを自分に向けている。
そこに私のような人間が現れて「『こんな勉強をやることに何の意味があるのか』という問いそのものが市場原理に侵された思考なのである。いいから黙って勉強しなさい」というようなことを言い出すわけであるから、これは頭がぐちゃぐちゃになって当然である。
けれども、私はべつに有用な知識や情報をお伝えするために登壇したわけではない。
教育者が教場で行う仕事は一つだけである。
それは子どもたちの知性のパフォーマンスを向上させることである。
それに尽きる、と申し上げてよろしいであろう。
子どもたちの知的な不調の原因の過半は彼ら自身が自分の脳を活性化する術を理解していないからである。
学校ではなかなか教えてもらえない。
というのは、「機嫌のよい教師」「いつもにこにこしている先生」にあまりお目にかかる機会がないからである。
まことに理解に苦しむことであるが、「機嫌のよい教師」「いつもにこにこしている先生」を組織的に生み出すことの教育上の有効性について理解している人は教育行政の要路者の中にも教育について語る知識人の中にも、ほとんどいない。
脳の機能についてまじめに考えればすぐにわかるはずである。
私の知人友人の中には脳科学の専門家が養老先生、茂木さん、池谷さんと三人いる。
三人に共通しているのは、「オープンマインド」ということである。
いつもにこにこしている。
これは「たまたまそういう人だった」ということではない。
この方々は、人間は「理解しがたいこと」を受け容れ理解しようと願い、それを受け容れるために脳の容量を押し広げているときに脳の情報処理能力が最高速になることを体験的にも理論的にも熟知しているからである。
「心を開く」ときに、脳の演算能力は向上し、「心を閉ざす」ときに、脳の機能は劣化する。
怒ったり、憎んだり、嫉妬したりしているときに知性の機能が上がるということはない。
これは確かである。
だから、「怒っている知識人」とか「不機嫌な研究者」というのはそもそも形容矛盾なのである。
怒ったり不機嫌になったりしていたら脳のパフォーマンスが下がることを知らないのなら、彼らは知的職業に就くべきではない。
知っていてそうしているなら、彼らは自分の脳の機能を最大限まで向上させなければ対処できないようなチャレンジングな課題に直面していないということになる。
つまり、平たく言うと、「怒っている知識人」とか「不機嫌な研究者」というのは定義上「バカ」か「怠け者」か、その両方だということなのである(というようなことを書いてまたまた人を怒らせたら元も子もないじゃないか・・・というご叱正の声が聞こえてはくるのであるが)。
ともあれ、若い人たちは「自分の脳の機能をどう向上させるか」という課題に最優先で取り組んでいただきたいと思う。そして、それは「オープンマインドで生きる」ということである。
というわけで、実践的な教訓をいくつかご教授しておこう。
他人と意見が違ったら、とりあえず「キミの言う通りだ」と言ってみる。
そして、自分と意見の違う人の頭の中ではどういう推論がなされているのかを想像的に追体験してみる。
これは脳の容量を拡大するきわめて効率的な方法である。
他人が言っていることの意味がわからなかったら、とりあえず「にっこり」笑って、「ふんふん、で、それって具体的にはどういうことなの」と訊いてみる。
これは他人の知性のパフォーマンスを上げるよい方法である。
どう考えても、「バカと話す」よりは「賢い人と話す」方が愉快であるし生産的でもあるので、自分と話す相手の知性を向上させるためには不断の努力を怠ってはならぬのである。
とりあえずそれくらいから始められてはいかがであろうかと思う。


2009.07.16

ナショナリストとパトリオット

河合塾での講演のあと、廊下でナショナリズムについてひとりの予備校生から質問された。
たぶん、彼の周囲でもナショナリスティックな言動をする若い人たちが増えてきており、それに対してどういうスタンスを取るべきか決めかねているのだろう。
若者がナショナリズムに惹きつけられる理由はわかりやすい。
それは帰属する集団がないからである。
人間は帰属する集団があり、そこで他者と共生し、協働し、必要とされ、ゆたかな敬意と愛情を享受していれば、パトリオットにはなっても、ナショナリストにはならない。
パトリオットは自分がその集団に帰属していることを喜び、その集団を律している規範、その集団を形成した人々を愛し、敬しており、その一員であることを誇り、感謝している。
ナショナリストはそうではない。
彼はどのような集団にもそのような仕方では帰属していない。
彼は自分がさしあたり所属している集団について(それが家族であっても学校であっても、会社であっても)「ここは私がいるべき場所ではない」というひそかな不安と不満を感じている。
それはその集団を律している規範も、その集団の存在理由もうまく理解できず、他の成員たちに対して、敬意や愛情を感じることができないからである。
本人も他の成員たちからの敬意や愛情を感じることができず、「私たちの集団が存立してゆくためには、どうしてもあなたがいることが必要だ」と懇請されることもなく、自分の能力がこの場でゆたかに開花していると実感することもない。
そういう人間でも、どこかに帰属していない限り、生きてゆくことは苦しい。
その場合、「ナショナリストになる」というのはひとつの選択肢である。
ナショナルな政治単位に帰属することについては要求される資格は何もない。
誰でも自己申告すれば、ナショナリストになれる。
そして、国民国家という巨大な集団に帰属する代償として、ナショナリストに求められるものは何もないのである。
ゼロ。
ナショナリストにはどのような義務もない。
好きなときに、好きな場所で、好きな人間を相手に、気が向いたら、ナショナリストになることができる。
私はナショナリストだ。私は日本人だ。私は日本の国益をあらゆるものに優先させる。日本の国益を脅かすもの、日本人の誇りを踏みにじるものを私は許さない。
などということをぺらぺら言い立てることができる。
その代償として要求されるものは、繰り返し言うが、ゼロである。
真正のナショナリストであることを証明するために「今、ここ」でできることは何もないからである。
ナショナリストは国際関係について熟知している必要がない(アメリカ大統領の名前を知らなくてもノープロブレムである)、もちろん外交内政についても、歴史についても(政治思想史についてさえ)、無知であることはナショナリストの名乗りにいささかも抵触しない。
むしろ、そのような外形的知識の裏づけなしに「いきなりナショナリスト」でありうることの動機の純正さが尊ばれる。
一方、ナショナリストはしばしば「自分が知っていること」は「すべての日本人が知らなければならないこと」であるという不当前提を採用しているので、論争においてほとんど無敵である。
彼らの論争術上のきわだった特徴は、あまり知る人のない数値や固有名詞を無文脈的に出してくることである(「ノモンハンにおける死傷率をお前は知っているか」とか「1950年代における日教組の組織率をお前は知っているか」「北朝鮮の政治犯収容所の収容者数を知っているか」とか)。
そして、「さあ、知りませんね」と応じると、「そんなことも知らない人間に・・・・問題について語る資格はない」という結論にいきなり導かれるのである。
これはきわめて知的負荷の少ない「論争」術であるので、好む人が多いが、合意形成や多数派形成のためには何の役にも立たない。
もう一つ大きな特徴は、ナショナリストにはその立場を証明するための直接行動が要求されないということである。
家庭や会社でそれなりの敬意を得るためには、具体的な行動によって集団に貢献することが要求されるが、ナショナリストは「領土問題」とか「外交問題」とか「防衛計画」とか、ほんらい政府が専管する事項を問題にしているので、個人としてはできることが何もないのである。
ナショナリストは「日本人全体」と幻想的な集団を形成しており、そのような幻想的な集団の中では、具体的に誰も彼に仕事を命じないし、誰もその貢献を査定しない。
だから、ナショナリストは誰からも文句を言われない。
というように、ナショナリストであることは行使できる権利に対して義務負荷がきわめて少ない。
商品交換のスキームで社会的行動の特質を考量する人たちが「権利が多く、義務が少ない」ナショナリスト・オプションを選好するのは怪しむに足りないのである。
グローバル資本主義の爛熟の中で、ナショナリストの若者が組織的に生まれるのはそのような理路による。
パトリオットというのは、その逆の行程をたどる。
パトリオットは自分が今いる場所を愛し、自分が現に帰属している集団のパフォーマンスを高めることを配慮し、隣人たちに敬意をもって接し、今自分に与えられている職務を粛々と果たすことをおのれに課す。
そのような「場所」や「集団」や「隣人」たちの数を算術的に加算してゆくことを通じて、やがて「国民国家」にまで(理論的にはそのあとは「国際社会」まで、最後には「万有」に至るまで)「私の帰属する集団」を拡大してゆくことをめざすのがパトリオットである。
若い人たちにはできることならパトリオットをめざしていただきたいものだと思う。

祇園祭の京都は暑いです

IT秘書の薦めで携帯を機種変更して、HT-03Aを購入(発売後2日目)。
「Google携帯」である。
これでG-mail ができて、Google Calenderができて、Google検索ができる。
ということは私のパソコン用途のうち原稿作成以外の仕事は携帯でできるということである。
少し前にVAIOのちっこいのを買って、FOMAを繋いで、会議や授業のときに持ち込んでいたが、会議中に原稿を書くのでなければ、携帯でもう用が足りる。
とりあえずこれでパソコンが家に4コ(VAIOが3つとMac Air)、大学に1コ(Dynabook)、そしてモバイル。
買いすぎだという人もいるが、テクノロジーの進化は早く、ガジェット好きの私は我慢ということができないのである(同じくガジェット好きのニシダ先生が会議のときにめざとく見つけて「あ、いいなあ」と言うであろう。ぐふ)
京都新聞の取材。
「リーダーシップについて」
私は日本の集団には「リーダーシップ」などというものは要らないという説である。
というか、そもそもリーダーを育成するシステムを持っていない。
システムがないのだから、育ちようがない。
リーダーを制度的に育成するなら、社会を階層化するしかない。
上位階層の子どもたちに幼児期から集中的に「ノブレス・オブリージュ」という考え方を叩き込む。
そして、集団の利益をあまりに深く内面化させたために、公益と背馳する自己利益の追求ということそのものが「できない」体質の異常な個体を作り出す。
とりあえず、イギリスではそういうふうにやってきた。フランスでも、アメリカでも基本的には同じである。
「心の欲するところに従って矩を超えず」という言葉があるが、要するに「自分がしたい」ことと「国家がしたいこと」が合致するというのがその語の厳密な意味でのリーダーである。
だから、「私腹を肥やすリーダー」とか、「不人気なリーダー」とか、「反対者を代表できないリーダー」というのは、それ自体ですでに形容矛盾なのである。
日本ではせいぜい「滅私奉公」である。
しかし、滅ぼさないと生き延びようとじたばたするような「私」があるうちはリーダーとは言われない(松王丸にはなれるが)。
その代わりに、わが国では、「リーダー抜きでも機能する組織」を創り上げた。
公人たちがみんなで私利私欲・地域エゴ・省益・業界益を追求していても、それらが相殺し合って、「おとしどころ」がなんとなく見つかる・・・という世界に類例を見ないリファインされた制度を作り出した。
それでいいじゃないか、というのが私の考えである。
なにしろ総理大臣が次々と政権を放り出しても、別に誰も文句を言わないし、政府機能に特段の支障が出ないような国なのである。
政治的業績のほとんどない知事が総裁になりたいと言い出しても、政権与党が「まじめに検討」するくらいに「リーダーなんか誰でもいい」という了解は広くゆきわたっているのである。
そもそも今さらのように「どういうリーダーが望ましいのか?」という問いが成立するということ自体、私たちが「リーダー」というものについて一度もまじめに考えたことのない証拠である。
ふつうの組織人はせいぜい「どういう上司が望ましいか」以上のことを考えたことがない。
それでよろしいのではないかと私は思う。
取材を終えて、祇園祭の京都へ。
ホテルオークラで茂木健一郎さんの桑原武夫学芸賞の贈賞式があり、それに行ったのである(受賞作は「今、ここからすべての場所へ」、筑摩書房)。
「贈賞式」というのは聞き慣れない日本語であるが、誰かが「授賞式」というのは「偉そう」だというので自粛されたのかも知れない。
別に「授賞式」でいいと思うけど。
もう一人、平林敏彦さんが『戦中戦後 詩的時代の証言 1935-1955』(思潮社)で受賞(スピーチもたたずまいもスマートな方だった)。
知り合いが誰もいないだろうから、茂木さんにおめでとうと挨拶したら帰ろうと思っていたら、中央公論の井之上くんに会う。
そのまま二人で論壇のあれこれの噂話をする(なんと授賞式パーティにつきづきしい話題であろう)。
もちろんその内容はこのようなところで公開することのできぬものなのである。
この賞は潮出版社が出していて、私は『潮』に二度ほど書いたことがあるので、編集長の有田さんはじめ何人かの編集者からご挨拶をいただく。
京都大学情報学研究科の乾敏郎先生を茂木さんからご紹介いただく。
さっそく脳の話。
その朝、ディスレクシアのことを『日本辺境論』に縷々書いていた。どうして、日本人には難読症の症例が少ないのかについて、私の「マンガ脳」仮説をお話しして、脳科学の専門家はどうお考えになるか訊ねてみる。
なんだかやたらに面白い話となり、そのまま閉会時刻まで話し込んでしまう。
誘われてその乾先生と井之上くんと三人で二次会についてゆき、さらに話し続ける。
優秀な理系の人は私のような門外漢のデタラメ仮説を一蹴せずに、きちんと聞いてくれる。
おそらく、それだけ貪欲なのである。
二次会の席で茂木さんとようやく少しゆっくりお話できる。
明日も朝6時に東京へ向かうそうである。
どうしてこんなに忙しい日程でご機嫌に生きていられるのか、ほんとに不思議である。

2009.07.18

英語で合気道

今学期から始まった科目でIntroduction to Japanese Culture というのがあって、その1回分を担当することになった。
海外からの留学生に日本文化を紹介する「日本文化早わかりコース」のようなものである。
私が担当するのは合気道のワークショップ。
フランス語で合気道を教えたことは何度かあるけれど、英語でやるのははじめて。
私は英語を話すのが苦手なので、ずっと気が重かったのであるが、終わってほっとした。
むかし合気道部にいた国際交流センターの北川くん(おいちゃんとは別人)がめんどくさいところは通訳してくれたので、助かりました(ありがとね)。
英語教育については少し前にブログに書いたことをめぐって鹿児島の梁川君と意見の交換をした。
話してみると、けっこうむずかしい問題なのである。
なかなか「これ」という結論には落ち着かない。
その話を少し続けたい。
すでに理系の世界では英語がリンガフランカになっており、英語で論文を読んで、書いて、学会発表をして・・・ということが日常化している。
それゆえ、理系の先生たちの中では「大学の授業もぜんぶ英語でやればいいのではないか」というようなことを言い出す人もいる。
文系でも賛同する人もいる。
文科省も後押ししているし、財界もうるさく言い立てているので、全教科を英語でやるという国際なんたら学部がすでにあちこちに出来ている。
私はこの傾向に対していささかの憂慮を抱いている。
「何か、よくない」という感じがするのである。
「何か、よくない」という印象をもつのはたいていの場合かなり複雑な事態についてである。
理由のはっきりしている「よくないこと」については、端的に「よくない」と言う。
理由が自分にもよくわからないことについてのみ「何か」という限定がつく。
たぶん、創造性ということについて微妙な違和感を覚えるからである。
私の場合、「創造的」というのは、ほとんど「口から出任せ」というのに等しいんだけど。
その場合に、ある言葉がふと口を衝いて出て、それがどういうふうに転がって、どういうふうに収まるのか、予見できぬままに言葉が繋がり、やがて「そんな話になるとは思わなかった」ことを言い始める。
しゃべった本人が「へえ、私はそんなことを言いたかったのか」と事後的に知る、というかたちで「新しいアイディア」は生まれる。
私の場合は、とにかく、そうである。
問題は、このようなデタラメな言語運用は母語についてしかできない、ということである。
それと「同じこと」を私は外国語では行うことができない。
私が日本語でやっているようなことを、外国語でしようとしたら、絶え間なく文法的な「破格」を犯し、存在しない「新語」を作り出し、因習的には決してそのような結びつきをしない形容詞と名詞を結びつけ、意味の幅を拡げることなしには受け止められない動詞に重荷を負わせることになるのだが、それはネイティヴからはただちに「誤用」として退けられる可能性がある。
母語の場合は、どれほどデタラメなことを言っても、それは権利上つねに「正しい日本語」である。
私は漢字を二字組み合わせて、適当な熟語を作ることがある。
新聞社や出版社の校閲は「こんな言葉は広辞苑にありません」と朱を入れてくる。
なくて当然である。私が作ったんだから。
でも、これはオーセンティックな日本語である。
日本語を母語とする話者が作った語は、他人が読んでも意味が理解できて、使い回しが効く限り、これを「誤用」として退ける権利は誰にもない。
現にそうやってすべての国語は日々新たな語彙を獲得し、あらたな文型を増殖しているのである。
(少し前に「真逆」という言葉を見て、「まっさかさま」と読みかけたことがあるが、どうもこれは「まぎゃく」と読むらしく、すでに日常日本語に登録されている)
母語についてはそれが許される。
けれども外国語の場合は困難である(不可能ではないが)。
フランス語を母語とする話者は私のデタラメフランス語を聴くと、「なるほど、そういう言い方もあるか」とは思わず、「ちちち」と指を振って「フランス語じゃ、そうは言わないの」と訂正を試みる。
いや、こちらはフランス語の語彙を拡げてあげようと思ってね、というような言い訳は通らないのである(当然だけど)。
けれども、規範文法通りに言語運用することを外的に規制されている場合と、「オレがルールブックだ。オレが話す日本語が正しい日本語なのだ」と言い張れる場合では、発話における自由度が天と地ほど違う。
そして、発話におけるデタラメへの許容は、知性の創発性にとっては、死活的に重要なファクターなのである。
福岡伸一先生の本にこんな逸話があった。
分子生物学のある国際会議がアメリカであった。
学会の会長であるドイツ人が壇上に立って、開会の挨拶をするときにこう言ったそうである。
「この学会の公用語は英語ではありません」
福岡先生が「はて、何語であろう」と訝しく思ったら、会長はこう続けた。
「この学会の公用語はPoor Englishです」
たいした見識だと思う。
創発性が優先される場においては、とにかく発話の自由度が確保されねばならない。
そのためには「とにかく、わずかなアイディアでも、どんどん口にする」という一般的態度が勧奨されねばならない。
発音が悪かろうと、文法規則を踏み外していようと、そんなことはどうでもよろしい。
とにかく今つかんだ「アイディアのしっぽ」を逃さないようにするためには、ひたすら言葉を紡ぐしかない。
そのようなことを必死で外国語で行っている人間に向かって文法上の誤りを指摘したり、発音を訂正したりすることには何の意味もない。
それが「Poor English」という言葉に託されたコミュニケーション上の構えである。
「Poor Englishを公用語にして」という条件つきなら、私は英語で授業をすることに賛成してもいい。
それはつまり、ネイティヴスピーカーであれ教師であれ、生徒学生に対して「英語ではそういう言い方はしない」とか「そういう発音はしない」という訂正権を決して与えないという条件において、ということである。
子どもはしゃべる、先生もしゃべる。子どもが書き、先生も書く。
先生は相手の「語法」を訂正しない。
教える側は「正しい統辞法、正しい発音」をできるだけキープするというにとどめる。
しかし、今の日本の外国語教育はそれが学校であれ、町中の英会話教室であれ、「訂正」が教育だと勘違いしている人が過半である。
そもそも、英語の試験をやるということ自体「正誤の訂正」であるから、ほんとうに「Poor Englishを公用語に」ということを掲げるなら、中等高等教育では「英語の試験を課さない」というところまで踏み込む必要があるだろう。
いや、ほんとに。
英語を必修にする代わりに、英語については試験を課さず、成績もつけないということであれば、「英語嫌い」の中学生の相当数は「英語好き」になるだろう。
「正しい言い方、正しい書き方をする」ことを求めないということ、「正しい言い方、正しい書き方」ができなくても「ノープロブレム」という態度が社会全体に広く受け容れられるということが「英語をリンガフランカとして使いこなす」ためにはクリアしなければならない条件であると私は思う。
もちろんそれは「正しい言い方、書き方」が重要ではないという意味ではない。
それはまた「別の仕事」だと言っているのである。
「正しい語法」を習得する動機はそれをツールとして使うということとはまったく違う。
「正しい語法」についての知識は、その言語によって蓄積された巨大な知のアーカイブの入り口の鍵である。
ボルヘス的な「知の図書館」へのアクセス権である。
「アクセス」への欲望と「ツール」の利便性は次元の違うものである。
「知の図書館」に欲望を抱くのは、その言語が蓄積してきた知的リソースへの敬意をもつ人間だけである。
Poor English 話者にはイギリスやアメリカの文化についての敬意は必要がない。イギリスの首都がどこであるか、アメリカの大統領が誰であるかを知っている必要さえない。
現在の日本の英語教育が深い混乱のうちにあるのは、一方で「アメリカの覇権」という威信とアメリカ発の情報と知識の価値に拝跪しながら、その一方で「ツールとして英語を使う」ということを試みているからである。
その二つは原理的に並立しない。
「ツールとして使う」という場合には、そもそも「正しい英語を使うこと」に興味がないのでなければならない。
ある科学者はフランス語で男性名詞と女性名詞を使い分けるのが面倒なので、冠詞は(男性も女性も、単数も複数も)全部「la」で押し通したという逸話がある。
これが「ツールとして使う」という場合の基本的な構えである。
ある言語を公用語とする国家に対して、その言語が蓄積してきた知的資産に対して、畏怖や敬愛や憧憬を感じ、またその言語を「美しく正しく使用したい」という欲望を抱き、かつその言語を「ツールとして使いこなす」ということはむずかしい(「できない」とまでは言わないが、きわめてむずかしい)。
そろそろそういう原理的な議論を始めてもよいのではないかと思う。
ともあれ、私はPoor Englishで合気道の基本的な考え方について留学生たちや日本人学生たちにご説明をしたのである。
でも「気を中丹田に集める」とか「腹を練る」とか英語で言うのはたいへん。
「気配を察して」というのをどういうのだろうと考えていて、scent of danger という言葉を思い出した(「危険を察知する直感的な力」のことをそういう。“Scent of a woman”という映画も昔ありましたね)。ほかにもいろいろ「あ、こういえばいいのか」ということをあとぢえ的に思いついたが、こういうクラスが毎週一回もあれば、私のプアな英語力も多少は向上するかもしれない。


2009.07.20

夢の中へ

夢の中で村上春樹の新作を読む。
主人公の「僕」は大学教師を辞めて、千葉の国府津にある小さな電機メーカーの企画開発部に就職することになる。
昭和30年代にある天才的な科学者が創立した会社らしく、「僕」はその会社の倉庫で会社創業時のカタログを発見して、それを読み始める。
このカタログがぶ厚くて、なにしろカタログそのものに工具セットが付録でついているのである(村上春樹の小説にもその「付録」が付いている)。
工具セット付き小説。
おまけにカタログは乱丁で、頁があちこちに飛ぶ。
読者は次の頁を探しながら、昭和30年代に、あるマッドサイエンティストの脳裏に宿った「夢の家電」の数々を眺めることになる。
それは今のそれとはちょっと違う「電子炊飯器」(なぜか二重蓋になっている)とか、そういうもの。
そこまで読んだところで目が覚めた。
へえ、『1Q84』と同じ構造じゃないか(ちょっと違うけど)。
過去のある時点に「転轍機」があって、そこから派生した「今とは違う未来」。
ちょうどそれについて 『こんたね』の文庫版の「あとがき」に書いたばかりだった。
私はこんなことを書いた。

自分たちの周囲にあるものについて、どうしてこのような制度を私たちの祖先は採用したのか。どうして、このような制度が採用されて、「そうではない制度」が採用されなかったのか。「そうではない制度」としてはどのようなものが可能だったのか、といった一連の問題について考える知的な構えのことをミシェル・フーコーは「系譜学」と呼びました(もしかすると違うかも知れませんけれど、私はそういうふうに理解しています)。
私が提唱しているのは、「系譜学的に思考する」ことです。ある社会制度がうまく機能していないとき、いきなり「ぶっこわせ」と呼号したり、「最善のソリューションはこれである」と非現実的な夢想を語り出すのを少しだけ自制して、「このような制度が採用されるに至った」時点まで遡及し、そして、そのときのリアルタイムで「ほかにどのような選択肢があったのか」を(想像的に)列挙してみること、それがさしあたり私が心がけていることです。

今とだいたい同じだけれど、今とは採用されている制度が少しだけ違う世界。それについて考えることは今の世の中の成り立ちを知る上で、たいへん重要なことだ。
SFというのはこれが本業みたいなジャンルだけれど、このような想像力の使い方を学問的な方法として評価する人はほとんどいない。
しかし、「ナチスドイツが先に原爆の実用化に成功したので、枢軸国が戦勝国になった世界」とか「南北戦争で南部連盟が勝利したあとのアメリカ」とか「ポーツマス条約のあと、アメリカと南満州鉄道を共同経営することにした場合の満韓事情」とか「フランスと日本の共同統治が組織的に行われた場合の仏領インドシナ」とかについて想像することは、たいせつなことだ。
私がそれを痛感したのは、15年ほど前に、ローザンヌのオリンピック・ミュージアムの地下のアーカイブで「東京オリンピック計画書」を読んだときのことである。
「東京オリンピック」といっても1964年のではなく、1940年に予定されていた「幻の東京オリンピック」についてJOCがIOCに提出した計画書である。
「行われなかったオリンピック」の競技場や選手村の見取り図や道路整備や通信や警備体制についての計画書はクールで知的なフランス語で淡々と綴られていた。
中には「昭和10年代の帝都」のたたずまいを写した写真が何葉か収められていた。
今からは信じられないくらいに透明な東京の青空と短髪で筋肉質の「お醤油顔」の青年たちの笑顔がそこには写っていた。
この写真に写っている青年たちの何人かはその後、中国大陸や南洋の海で死んだ。
彼らが死ななくてもよかったような選択肢があったのではないか。
私はローザンヌの無人の図書室でそう考えてひどく気持ちが沈んだ。

2009.07.21

反省しない人々

海の日。
世間は休みであるが大学は開校日である。
どうして国民の休日に大学の授業があるかというと、文科省が「すべての曜日半期15回必ず授業をやるように」と強く要望しているからである。
月曜日は休日に当たっていることが多いので、15回やろうと思うと、8月中旬まで補講をしないといけない。
亜熱帯の日本でどうしてお盆のころまで授業をしなければならないのかと思うのだが、日本人の壊滅的な学力低下に対して文科省はとりあえず「15週確保」しか思いつかないのである。
14週を15週にしたくらいで学生の学力が上がるなら誰も苦労はしない。
15週にして学力が上がるなら、20週にすればもっと上がる道理である。月月火水木金金一年365日休みなしで授業をすればさらに学力は上がる道理である。
もちろんそんなことをしても学力低下は止まらない(やれば、わかる)。
教室で眠る生徒や、遊ぶ学生や、そもそも学校に来ない子どもが増えるだけである。教職員が過労でばたばた死ぬだけである。
若い日本人の学力低下は授業時間数の問題ではない。
日本社会全体を覆い尽くしているグローバル資本主義イデオロギー(「金の全能性」イデオロギー)が彼らの「学び」のモチベーションを根こそぎ奪っているのである。
それに対して、文科省は「指示に従わないと助成金をカットする」というペナルティによって教育施策をコントロールしようとしている。
「助成金をカットすると脅せば、人間はどのようにでも動く」ということを文科省が前提としているというのなら、それは彼ら自身が「金の全能性」イデオロギーを内面化しているということである。
グローバル資本主義イデオロギーが子どもたちの学びの意欲を構造的に破壊しているときに、グローバル資本主義イデオロギーを温存するどころかさらに強化することでどうやって若者たちを学びに導こうというのであろうか。
疲れる。
その中でまた新しい教育施策が提言されている。
以下は昨日の毎日新聞の社説から。

職業教育改革を検討している中央教育審議会は中間報告で、実践的な職業教育に特化した新たな学校制度案を提起した。今後各界の意見を踏まえて答申にまとめる。
こんな案だ。大学、短大、専門学校など既存制度の枠外の高等教育機関で、入学者は高校卒業者。修業年限は2~3年、もしくは4年以上。実験、実習 など演習型授業が4~5割を占め、関連企業へのインターンシップ(就業体験)を義務づける。設置基準は大学、短大のそれを基本にするが、教員配置では専門職の実務経験者を重視する。
どんな分野か。ソフトウエア設計・開発、デジタルコンテンツの開発、バイオテクノロジーなどといくつかを例に挙げたが、もっと多岐にわたることを想定している。
中教審は昨年文部科学相の諮問を受け、若年無業者増加や早期離職の傾向に教育はどう対処すべきかを論議してきた。折しも大不況と雇用崩壊が若年労働市場を直撃し、問題はより深刻となった。一方、企業側は「人材育成に手が回らない」と即戦力性を求める傾向が強まっている。
今回の新学校案の背景には、現在の高校、大学などの教育では将来の職業やキャリア設計の意識が十分育たず、卒業後の職選択がマッチしていないという考え方がある。(中略)
中教審も既存校の改善工夫を求めているが、できることは多くある。例えば「全入時代」で私立大学は半数が定員割れを起こす状況で、大学自らが人材教育や職業実践力育成の方針と実績を示さなければ生き残れない。国公立も例外ではない。
また普通科傾斜の高校教育については、大学入試の教科偏重をやめることで改善は可能だ。
職業教育特化の課程は従来の大学の設置趣旨や理念にもとり、国際的に通用するか心配、というのも当たるまい。専門実務者、つまり実社会のプロたちが大学教育に吹き込む新風をむしろ期待したい。

この記事を書いた毎日新聞の論説委員に訊きたいことがある。
社説は「専門実務者、つまり実社会のプロたちが大学教育に吹き込む新風をむしろ期待したい」と締め括っている。
たしかにそのようなかけ声によって2004年から構造改革特区で始まった「株式会社立大学」と法科大学院を始めとする「専門職大学院」があった。
これらの実験の無惨な結果について、論説委員はどう総括されるつもりであろう。
株式会社立大学5校のうち1校は申請取り下げ、2校が募集停止、1校は本人確認を怠って単位を発行したことで厳重注意を受けた(その学長は学位工場から博士号を受け取っていた)。
法科大学院は74校も作ってしまったが、合格率が一桁台のところもある。
そんな学校に進学するものはいないから、遠からず過半が淘汰されるはずである。
「実社会のプロたち」は大学教育に「新風」を吹き込むどころか、ばたばたと大学を潰してしまった。そもそも志願者を安定的に確保することができなかった。
どうして、「実社会のプロたち」が教育実践に失敗したのか。
その総括を誰かしてくれたのだろうか?
その総括は国民的合意を獲得したのだろうか?
寡聞にして私はそれについて何も知らない。
「株式会社立大学」と(その過半が赤字垂れ流しになっている)専門職大学院の失敗の総括を抜きにして、どうして「実務家主導」の新たな教育プログラムには例外的に成算があると予測できるのか、私はその理路が知りたい。
誰か教えてくれないか。
まあよろしい。ではやってみればいい。
既存の「大学短大専門学校など既存制度の枠外の高等教育機関」で修業年限2-4年、「実験、実習 など演習型授業中心」で、「関連企業へのインターンシップ」が義務づけられ、実務経験者が教員で、「キャリア教育」と「即戦力養成」に特化した教育機関を作ってみればいい。
おそらくそのほとんどは開校して数年を待たずに定員割れで募集停止になるであろう。
そこに投じられてむざむざドブに棄てられることになる巨額の税金について「新学校案」を答申した中教審の委員たちはいくらかでも私費をもって弁済する気はあるのだろうか。
いや、答えなくていいです。

2009.07.23

おじさんの胸にキュンと来る

連日取材がある。
一昨日は「村上春樹」、昨日は「総選挙」、今日は「格差社会」。
いろいろなメディアが、いろいろなことを聞きに来る。
授業と会議のあいまに入試部長室の隣の応接室でとりあえず思いつくことを必死で話す(ふう)。
一昨日は「村上春樹と司馬遼太郎」というテーマで語る。
村上春樹は司馬遼太郎の跡を継ぐ「国民作家」なのであるが、それに気づいている人は少ないという話。
彼らは私たちの社会の深層に伏流している、邪悪で不健康な「マグマ」のようなものについて意識的である点で共通している。
『坂の上の雲』と『ねじまき鳥クロニクル』が同じ「マグマ問題」を扱っているということを言う人はあまりいないけど、実はそうなのである。
その「マグマ」のようなもの(司馬遼太郎はそれを「鬼胎」と呼んだ)は尊王攘夷運動や日比谷焼き討ちや満州事変やノモンハン事件や血盟団事件や60年安保闘争や全共闘運動や連合赤軍事件やオウム真理教事件などさまざまな意匠をまとってそのつど地殻を破って噴出してくる。
日本人の心性の深層にわだかまるこの熱価の高い衝動に触れない限り、日本人を集団的な熱狂のうちに巻き込むことはできない。
これを根絶することは不可能である。
してもいいけれど、仮に根絶できたとしたら、そのときに「日本人」というものはもういなくなる。
集団が成立する程度には熱狂的であり、暴力的・排他的に機能することを自制できる程度には謙抑的である「許容範囲」にこれをコントロールするのが、さしあたり日本の「大人」の仕事である。
そのためにはこの「どろどろして不健康で暗いもの」の機能と生態と統御についての技術的知が必要である。
でも、そういうことを考えている人はあまり多くない(というか、たいへん少ない)。
司馬遼太郎と村上春樹はそういうことを考えている例外的少数のうちに含まれる。
という話をする。
以下はそのときし忘れた話。

むしろ、問題は司馬遼太郎はどうして「国民作家」にとどまり、「世界作家」になれなかったのか、ということではないか。
検索すればすぐ知れるが、村上春樹の翻訳はさまざまな言語で数百冊のものがでただちに購入できる。
フランスの地方都市の書店でも、村上春樹のペーパーバックは何冊でも手に入った。
しかし、司馬遼太郎の外国語訳を読むことはきわめて困難である。
Amazonで現在入手できる英訳は3点しかない(『最後の将軍』、『韃靻疾風録』、『空海の風景』)。
『竜馬がゆく』も『坂の上の雲』も『世に棲む日々』も『燃えよ剣』も外国語では読めないのである。
意外でしょ。
外国の学者が日本的心性について知りたいと思ったら、司馬遼太郎を読むのが捷径だと私は思うが、その道は閉ざされているわけである(むろん、藤沢周平や池波正太郎も英語訳は存在しない。ついでに言えば、吉行淳之介も島尾敏雄も安岡章太郎も小島信夫も英語では読めない)
埴谷雄高も谷川雁も平岡正明も村上一郎も吉本隆明も英訳はない。
この選択的な「不翻訳」は何を意味するのか。
とりあえず「日本の50―60代のおじさんたちの胸にキュンと来る本」は外国語に翻訳されにくい、ということは言えるであろう。
おそらくそれらのテクストを貫流している「熱いもの」が非日本人には「よくわからない」から「なんか気持ち悪い」の間あたりに分布しているのである。
言い換えれば、「日本の50-60代のおじさんたちの胸にキュンと来るもの」はきわめて国際共通性に乏しい何かだということである。
むろん、この「おじキュン」的なものが日本人のきわだって個性的な心性をかたちづくっている。
それは外国の人だってわかっているし、できることなら、それについて知りたいとは思っているのである(たぶん)。
「何を考えているのかよくわからない人」というのは隣国民としても、商売の相手としても不安だからである。
けれども、それを知ろうとして、踏み込むと、「何かベタっとして気持ち悪いもの」に触ってしまうのである。
困った。
この世界の人々の困惑を解決したのが村上春樹である、というふうな仮説も「あり」ではないかと私は思う。
つまり、村上春樹は一面で「外国人読者にもリーダブルな司馬遼太郎」として読まれているということである。
いや、このような仮説については、村上春樹ファンも司馬遼太郎ファンもどちらも憤激されるであろうことはよくわかる。
けれども、この仮説は吟味に値するのではないか。
それは「司馬遼太郎を読むおじさん」たちは村上春樹を読まず、「村上春樹を読むおねいさんたち」は司馬遼太郎を読まないという興味深い非対称からも推察されるのである。
いや、ほんとに。
ちょっと話がずれるけれど、吉本隆明の英訳はないのだが、丸山眞男の英訳は山のようにある。
それは丸山眞男が「外国人読者にもリーダブルな吉本隆明」だからではないかと私は思うのだが、それ言うと、吉本ファンも丸山ファンもどちらも激怒するであろう。言わなきゃよかった。

2009.07.27

眠れ、眠り続けよ

学期末で疲れがどっと出てきたらしく、金曜の夜から眠り続けている。
土曜の朝、重い身体をベッドからひきずり上げて、合気道のお稽古に。
道着に着替えるとふだんと変わらないが、シャワーを浴びて服を着替えると、また眠くなってくる。
家に戻って1時間ほど昼寝して、天神祭へ。
デザイナーの三木健さんのリバーサイドなオフィスが天神祭の船渡御の発着所の横にあって、お祭を砂かぶりで眺めることができる。
前からお誘いいただいていたのであるが、スケジュールが合わず、今回が初参加。
川沿いのたいへん気分のよいオフィスで、三木さんと歓談。
山本画伯、森永さん、堀埜さん、楠山ご夫妻といった知り合いの中に、合気道部のアオキとかゼミの卒業生のナカジマくんとかタムラくんとか、画伯の授業のSAをしていた連中が来てまじっている。
三木さんのスマートなオフィスでいろいろなお客さんにご紹介いただく。
私は外に出ない人間なので、こういうことはめったに起きないのであるが、先日の京都での桑原武夫賞に続いて二度目のパーティ。
夜の10時頃に家に戻り、そのまま翌朝10時まで12時間寝てしまう。
えいやと起き出してコーヒーを飲むが頭がどろんとしている。
午後から全国の幼稚園の園長さんたちの集まりがあり、そこで「街場の幼児教育論」というお題で講演をすることになっている。
車で、新緑の中を有馬温泉グランドホテルへ。
ドライブしているうちに少し気分がよくなってくる。
幼稚園の若い園長先生たちの研修会で、たいへん熱心に話を聴いてくださるのであるが、こちらはまだ頭の芯がどろんとしていて、話にいまひとつ「キレ」がない。
講演というのは、出来にばらつきがあって、ずいぶん達成感のある日と、なんだか気が滅入ってしまう日がある。
有馬から家にまっすぐ戻って、麦茶を一杯飲んで、パジャマに着替えてまた寝る。
7時ごろに目が覚めて、枝豆を茹でて、焼き豚をおかずにご飯を食べる。食べたらまた眠くなったので、ベッドに戻る。
目が覚めたら、翌朝8時半。
前日の夕方からずうっと眠り続けである。
ようやくすこし疲れが取れた。
来週から「死のロード」が始まる。

2009.07.28

書評の憂鬱

先週から、関川夏央さんの『「坂の上の雲」と日本人』の文庫版解説を書いて、バッキー井上さんの『京都店特撰』の解説を書いて、橋本治さんの『明日は昨日の風が吹く』の解説を書いた。
解説と書評の依頼が多い。
知り合いの著作についてはお引き受けしているが、連載の書評や、新聞の書評委員の依頼はお断りしている(うっかりひとつだけ連載の書評を引き受けてしまい、ひどく後悔している)。
もちろん書物についてあれこれ論じるのは私の好むところであり、ほうっておかれてもいくらでもやるのだけれど、他人から頼まれて仕事としてやるのはあまり楽しくない。
解説や書評を書くということになると、愉悦的読書が許されないからである。
何を書こうか考えながら、あちこちに付箋を貼ったり、赤鉛筆で線を引いたりして読むのと、寝転がってけらけら笑いながら読むのとずいぶん気楽さが違う。
なんだか一冊分だけ読書の快楽を損したような気になる。
ぶつぶつ。
それにどうしても納得がゆかないのは、書評というものが原則として新刊についてしかなされないことである。
書評の連載をしている某誌では発行日まで指定されていて、それより以前に出た本は書評することができない。
なぜか?
私にはその理由がわからない。
かつて存在したすべての書籍は、そのつど書評の対象となってよろしいのではないか。
発行年月日にかかわらず、最近になって縁あって遭遇した本や、昔読んでいるのだが、そのときにはあまりぴんと来なかったことが、今になって突然「あ、そうか。そうだったのか」と腑に落ちた本というのは、「今」書評する価値があると思う。
その本がたまたま私の意識の前景にせり上がってきたのは「現在」の何かがそれを読むことを私に要請したからである。
その「何か」について考えることの方がはるかに知的に広がりのある場所へ私たちを連れ出してくれるのではないか。
私が今書評したい本は司馬遼太郎の『坂の上の雲』と丸山眞男の『現代政治の思想と行動』であるけれど、いかなる書評欄もこの申し出を受け容れてはくれまい。
私にはその理由がわからない。
すぐれたテクストにはさまざまな読み筋がある。
長い時間が流れて、今になって発見された読み筋というものがあるはずである。
それについて考えることは「書評」ではないという判断をなぜメディアの書評欄は下しうるのか、理由を誰か教えて欲しい。

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