おじさんの胸にキュンと来る

2009-07-23 jeudi

連日取材がある。
一昨日は「村上春樹」、昨日は「総選挙」、今日は「格差社会」。
いろいろなメディアが、いろいろなことを聞きに来る。
授業と会議のあいまに入試部長室の隣の応接室でとりあえず思いつくことを必死で話す(ふう)。
一昨日は「村上春樹と司馬遼太郎」というテーマで語る。
村上春樹は司馬遼太郎の跡を継ぐ「国民作家」なのであるが、それに気づいている人は少ないという話。
彼らは私たちの社会の深層に伏流している、邪悪で不健康な「マグマ」のようなものについて意識的である点で共通している。
『坂の上の雲』と『ねじまき鳥クロニクル』が同じ「マグマ問題」を扱っているということを言う人はあまりいないけど、実はそうなのである。
その「マグマ」のようなもの(司馬遼太郎はそれを「鬼胎」と呼んだ)は尊王攘夷運動や日比谷焼き討ちや満州事変やノモンハン事件や血盟団事件や60年安保闘争や全共闘運動や連合赤軍事件やオウム真理教事件などさまざまな意匠をまとってそのつど地殻を破って噴出してくる。
日本人の心性の深層にわだかまるこの熱価の高い衝動に触れない限り、日本人を集団的な熱狂のうちに巻き込むことはできない。
これを根絶することは不可能である。
してもいいけれど、仮に根絶できたとしたら、そのときに「日本人」というものはもういなくなる。
集団が成立する程度には熱狂的であり、暴力的・排他的に機能することを自制できる程度には謙抑的である「許容範囲」にこれをコントロールするのが、さしあたり日本の「大人」の仕事である。
そのためにはこの「どろどろして不健康で暗いもの」の機能と生態と統御についての技術的知が必要である。
でも、そういうことを考えている人はあまり多くない(というか、たいへん少ない)。
司馬遼太郎と村上春樹はそういうことを考えている例外的少数のうちに含まれる。
という話をする。
以下はそのときし忘れた話。
むしろ、問題は司馬遼太郎はどうして「国民作家」にとどまり、「世界作家」になれなかったのか、ということではないか。
検索すればすぐ知れるが、村上春樹の翻訳はさまざまな言語で数百冊のものがでただちに購入できる。
フランスの地方都市の書店でも、村上春樹のペーパーバックは何冊でも手に入った。
しかし、司馬遼太郎の外国語訳を読むことはきわめて困難である。
Amazonで現在入手できる英訳は3点しかない(『最後の将軍』、『韃靻疾風録』、『空海の風景』)。
『竜馬がゆく』も『坂の上の雲』も『世に棲む日々』も『燃えよ剣』も外国語では読めないのである。
意外でしょ。
外国の学者が日本的心性について知りたいと思ったら、司馬遼太郎を読むのが捷径だと私は思うが、その道は閉ざされているわけである(むろん、藤沢周平や池波正太郎も英語訳は存在しない。ついでに言えば、吉行淳之介も島尾敏雄も安岡章太郎も小島信夫も英語では読めない)
埴谷雄高も谷川雁も平岡正明も村上一郎も吉本隆明も英訳はない。
この選択的な「不翻訳」は何を意味するのか。
とりあえず「日本の50―60代のおじさんたちの胸にキュンと来る本」は外国語に翻訳されにくい、ということは言えるであろう。
おそらくそれらのテクストを貫流している「熱いもの」が非日本人には「よくわからない」から「なんか気持ち悪い」の間あたりに分布しているのである。
言い換えれば、「日本の50-60代のおじさんたちの胸にキュンと来るもの」はきわめて国際共通性に乏しい何かだということである。
むろん、この「おじキュン」的なものが日本人のきわだって個性的な心性をかたちづくっている。
それは外国の人だってわかっているし、できることなら、それについて知りたいとは思っているのである(たぶん)。
「何を考えているのかよくわからない人」というのは隣国民としても、商売の相手としても不安だからである。
けれども、それを知ろうとして、踏み込むと、「何かベタっとして気持ち悪いもの」に触ってしまうのである。
困った。
この世界の人々の困惑を解決したのが村上春樹である、というふうな仮説も「あり」ではないかと私は思う。
つまり、村上春樹は一面で「外国人読者にもリーダブルな司馬遼太郎」として読まれているということである。
いや、このような仮説については、村上春樹ファンも司馬遼太郎ファンもどちらも憤激されるであろうことはよくわかる。
けれども、この仮説は吟味に値するのではないか。
それは「司馬遼太郎を読むおじさん」たちは村上春樹を読まず、「村上春樹を読むおねいさんたち」は司馬遼太郎を読まないという興味深い非対称からも推察されるのである。
いや、ほんとに。
ちょっと話がずれるけれど、吉本隆明の英訳はないのだが、丸山眞男の英訳は山のようにある。
それは丸山眞男が「外国人読者にもリーダブルな吉本隆明」だからではないかと私は思うのだが、それ言うと、吉本ファンも丸山ファンもどちらも激怒するであろう。言わなきゃよかった。
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