反省しない人々

2009-07-21 mardi

海の日。
世間は休みであるが大学は開校日である。
どうして国民の休日に大学の授業があるかというと、文科省が「すべての曜日半期15回必ず授業をやるように」と強く要望しているからである。
月曜日は休日に当たっていることが多いので、15回やろうと思うと、8月中旬まで補講をしないといけない。
亜熱帯の日本でどうしてお盆のころまで授業をしなければならないのかと思うのだが、日本人の壊滅的な学力低下に対して文科省はとりあえず「15週確保」しか思いつかないのである。
14週を15週にしたくらいで学生の学力が上がるなら誰も苦労はしない。
15週にして学力が上がるなら、20週にすればもっと上がる道理である。月月火水木金金一年365日休みなしで授業をすればさらに学力は上がる道理である。
もちろんそんなことをしても学力低下は止まらない(やれば、わかる)。
教室で眠る生徒や、遊ぶ学生や、そもそも学校に来ない子どもが増えるだけである。教職員が過労でばたばた死ぬだけである。
若い日本人の学力低下は授業時間数の問題ではない。
日本社会全体を覆い尽くしているグローバル資本主義イデオロギー(「金の全能性」イデオロギー)が彼らの「学び」のモチベーションを根こそぎ奪っているのである。
それに対して、文科省は「指示に従わないと助成金をカットする」というペナルティによって教育施策をコントロールしようとしている。
「助成金をカットすると脅せば、人間はどのようにでも動く」ということを文科省が前提としているというのなら、それは彼ら自身が「金の全能性」イデオロギーを内面化しているということである。
グローバル資本主義イデオロギーが子どもたちの学びの意欲を構造的に破壊しているときに、グローバル資本主義イデオロギーを温存するどころかさらに強化することでどうやって若者たちを学びに導こうというのであろうか。
疲れる。
その中でまた新しい教育施策が提言されている。
以下は昨日の毎日新聞の社説から。

職業教育改革を検討している中央教育審議会は中間報告で、実践的な職業教育に特化した新たな学校制度案を提起した。今後各界の意見を踏まえて答申にまとめる。
こんな案だ。大学、短大、専門学校など既存制度の枠外の高等教育機関で、入学者は高校卒業者。修業年限は2〜3年、もしくは4年以上。実験、実習など演習型授業が4〜5割を占め、関連企業へのインターンシップ(就業体験)を義務づける。設置基準は大学、短大のそれを基本にするが、教員配置では専門職の実務経験者を重視する。
どんな分野か。ソフトウエア設計・開発、デジタルコンテンツの開発、バイオテクノロジーなどといくつかを例に挙げたが、もっと多岐にわたることを想定している。
中教審は昨年文部科学相の諮問を受け、若年無業者増加や早期離職の傾向に教育はどう対処すべきかを論議してきた。折しも大不況と雇用崩壊が若年労働市場を直撃し、問題はより深刻となった。一方、企業側は「人材育成に手が回らない」と即戦力性を求める傾向が強まっている。
今回の新学校案の背景には、現在の高校、大学などの教育では将来の職業やキャリア設計の意識が十分育たず、卒業後の職選択がマッチしていないという考え方がある。(中略)
中教審も既存校の改善工夫を求めているが、できることは多くある。例えば「全入時代」で私立大学は半数が定員割れを起こす状況で、大学自らが人材教育や職業実践力育成の方針と実績を示さなければ生き残れない。国公立も例外ではない。
また普通科傾斜の高校教育については、大学入試の教科偏重をやめることで改善は可能だ。
職業教育特化の課程は従来の大学の設置趣旨や理念にもとり、国際的に通用するか心配、というのも当たるまい。専門実務者、つまり実社会のプロたちが大学教育に吹き込む新風をむしろ期待したい。

この記事を書いた毎日新聞の論説委員に訊きたいことがある。
社説は「専門実務者、つまり実社会のプロたちが大学教育に吹き込む新風をむしろ期待したい」と締め括っている。
たしかにそのようなかけ声によって2004年から構造改革特区で始まった「株式会社立大学」と法科大学院を始めとする「専門職大学院」があった。
これらの実験の無惨な結果について、論説委員はどう総括されるつもりであろう。
株式会社立大学5校のうち1校は申請取り下げ、2校が募集停止、1校は本人確認を怠って単位を発行したことで厳重注意を受けた(その学長は学位工場から博士号を受け取っていた)。
法科大学院は74校も作ってしまったが、合格率が一桁台のところもある。
そんな学校に進学するものはいないから、遠からず過半が淘汰されるはずである。
「実社会のプロたち」は大学教育に「新風」を吹き込むどころか、ばたばたと大学を潰してしまった。そもそも志願者を安定的に確保することができなかった。
どうして、「実社会のプロたち」が教育実践に失敗したのか。
その総括を誰かしてくれたのだろうか?
その総括は国民的合意を獲得したのだろうか?
寡聞にして私はそれについて何も知らない。
「株式会社立大学」と(その過半が赤字垂れ流しになっている)専門職大学院の失敗の総括を抜きにして、どうして「実務家主導」の新たな教育プログラムには例外的に成算があると予測できるのか、私はその理路が知りたい。
誰か教えてくれないか。
まあよろしい。ではやってみればいい。
既存の「大学短大専門学校など既存制度の枠外の高等教育機関」で修業年限2-4年、「実験、実習 など演習型授業中心」で、「関連企業へのインターンシップ」が義務づけられ、実務経験者が教員で、「キャリア教育」と「即戦力養成」に特化した教育機関を作ってみればいい。
おそらくそのほとんどは開校して数年を待たずに定員割れで募集停止になるであろう。
そこに投じられてむざむざドブに棄てられることになる巨額の税金について「新学校案」を答申した中教審の委員たちはいくらかでも私費をもって弁済する気はあるのだろうか。
いや、答えなくていいです。
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