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2009年08月 アーカイブ

2009.08.01

指折り待ってた夏休み

木曜日、生きて夏休みを迎えることができた。
夏休みといっても、毎日仕事で大学には出勤するのである。
火曜日は5限まで授業があり、授業後、東京から来てくれた矢内さんを飛行機の時間ぎりぎりまで並木屋にてご接待。
鱧を食す。美味。
水曜日はオフ。でも、取材のため出勤。朝日ファミリーという媒体で「学力のつけ方」について。
学力とは何かという根本のところで、私は文科省ともメディアに出てくる教育評論家の多くとも考え方を異にする。
学力とは読んで字の如く「学ぶ力」である。
「学びに開かれてあること」のことであり、「学んで得た知識や技能や資格などなど」のことではない。それらはたかだか学力の副産物にすぎない。
「学ぶ力」というのは次のようなことを言う。
(1) 自分には知識や技術や見識や情報や、なんであれ、「大人」として遇されるためのものが欠如しているという感覚を有すること
(2) 自分にそれを与えてくれる「メンター」を探し求めるセンサーが起動していること
(3) 「メンター」を「教える気」にさせるための「パスワード」を知っていること
以上である。
無知の自覚、メンター、パスワード。
これが「学ぶ力」を構成するすべてである。
これさえあれば、人はどこでも、いつでも、学び始めることができる。
この三つの条件を言葉で言うとこうなる。
「学びたいんです。先生、教えてください。お願いします」
これだけ。
これが「学力」という能力のすべてである。
この言葉をさらりと口にすることのできる人間はほとんどあらゆる機会において学ぶべきことを学ぶことができる。
簡単なことのようだが、けっこう(すごく)むずかしい。
第一に、「自分が知らないこと」が何かを言わなければならない。
自分が何を知っているかを言うのは簡単だが、自分が何を知らないのかを言葉にするのはむずかしい。
「これから学ぶこと」は原理的にそれが何であるかを私が言えないことである(すらすら言えるなら、それは「これから学ぶこと」という定義に悖る)。
それを言わなければならない。
この瞬間に学びのもっとも本質的な部分は起動する。
「自分がそれを正確に指称する語彙をもたないことについて語る」という困難な作業が人間の知性にブレークスルーをもたらすからである。
「ブレークスルーをしなければ太刀打ちできないようなタイプの負荷」を引き受けることなしにブレークスルーは始まらない。
第二の「メンター」については、これまで何度も書いた。
メンターというのは逆説的な存在である。
私たちは自分が向かっている目的地がどこであるかを知らない(だから学ぶことを求めているのである)。
にもかかわらず誰が私をそこに導いてくれるかを、旅を始める前の段階で言い当てなければならないのである。
「この人が私の師である」という決断は、さまざまな師の候補者たちを並べて、その能力識見を比較考量して、「この人がよかろう」と選ぶというものではない。
師の能力識見が比較考量できるというなら、それはこれから学ぶことが何であるかを学び始める前にすでに熟知しているということであり、それは「学ぶ」という定義に悖る。
つまり、私たちは師の適格性についていかなる外的な判定基準ももたないままに、自分を目的地に連れて行ってくれる師を言い当てなければならないのである。
「誰についていけばいいのか」
それを教えてくれるいかなる手がかりも与えられないままに決定を下さなければならない。
このとき、私たちの心身の感度は限界を超えて高まる。
それがすでに「学び」なのである。
学びというのは「自分の限界を超える」という自己超克の緊張そのものを指すのであるから、メンターを探すというのは、その探求の行程そのものがすでに学びなのである。
第三、パスワード。
これは人をして「教えてもよい」という気分にさせるためには、なにをすればいいのかを思量することである。
ただし、メンターというのはその人の思考や感情や、総じて内的メカニズムが「よくわからない」人でなければならない。
何を考えているか外からまるわかりで、どこのボタンをどう押せばどう反応するかわかっているので、簡単に操作できるような人のことは誰も「師」とは呼ばない。
どうすればどう反応するかわからない人に「教える気」にさせるにはどうすればいいのか。
これは別にそれほどむずかしくない。
上に書いたとおり、「お願いします」と言うだけである。
未知の土地を旅し、未知の習俗をもつ人々の間で、なんとか日常の用を弁じて生き延びるためには、その土地の人々からの支援を得なければならない。けれども、私はその土地の言葉を知らないとするとき、私たちはどうするか。
とりあえず自分の知る限りの「礼儀正しさ」、自分に思いつく限りの「敬意」の表現を試みるはずである。
それがこの土地でも通用するかどうかはわからない。
でも、自分がそれしか知らないなら、自分の知る「敬意の表現」を試みるはずである。
「この土地ではいきなり横面をはり倒すのが敬意の表現かも知れないから、やってみよう」というようなことは考えない。
幕末の日本人は欧米の人が握手の手を差し出しても、お辞儀を繰り返した。
相当数の日本人は手を握り返すのがあちらの礼儀なんじゃないかなと推理できたはずである。
でも、それを「実験」するのは慎重に避けた。
それよりは自分たちにとって確実に敬意の表現であるところのみぶりを繰り返した。
なぜなら、長い人類の歴史の中で、さまざまな異族との遭遇の経験を通して、私たちは「敬意の表現はローカルなものであっても相手に伝わる」ということを知っているからである。
ディセンシーというのはマインドのレベルの出来事である。
それはどのように言語習俗が違っても、必ず相手に伝わる。
学びを起動させるパスワードは「パスワードを知りません。でも、パスワードを機能させたいんです」である。
学力はこの三つの条件から構成されている。
現代日本人の学力が急速な劣化を遂げていることは、繰り返し申し上げているように教育プログラムの不備でも、教育力の欠如でも、日教組のサボタージュのせいでもない。
学力の劣化とは「学ぶ力」の劣化のことである。
英語ができないとか漢字が書けないとか割り算ができないとか、そういうレベルのことではない。
そのさらに根本にあるマインドの問題なのである。
取材のあと、非常勤講師懇親会。
総文の現代国際文化コースの非常勤講師のみなさんと、キャリアデザインプログラムの非常勤講師のみなさんをお招きして、合同で懇親会。
合同でやる教学上の必然性はないのであるが、コーディネイターと、ご出講いただいている先生がこの二つで「かぶっている」ケースが多いので、二度やるのも大変ということで、まとめて一回で済ませているのである。
お迎えする専任側はワルモノ先生、西田先生、言子先生、ナバちゃん、三杉先生、そして私(渡部先生は風邪で欠席。おだいじに)
ゲストは甲野善紀先生がはじめてのご出席。
あとはいつものヤマモト画伯、江さん、ジローくんの「甲南麻雀連盟」会員たち。高橋佳三さん、渡邊仁さん、ともちゃん、ウッキー、そして初登場の増田くん・・・と知り合いばかりであるので、なんだか大学の懇親会というより、仲間と集まって暑気払いをしているような感じである。
講師のみなさんに自己紹介をしてもらったのだが、ひとりずつ話が長い上に芸が面白すぎて、全員紹介するのに1時間以上かかってしまった。
みなさん、どうも暑いところをありがとうございました。また後期からどうぞよろしくお願いいたします。
木曜は新大阪で歯科診療。
根本治療をしているので、今から1年半くらい歯科通いである。
家に戻ってからひさしぶりに部屋のお掃除とアイロンかけ。
机まわりのカオスを整理し、床に散乱したゲラの束を片付ける。
それから『玄象』の謡の稽古。
ひさしぶりに映画を見る。
クローネンバーグの『イースタン・プロミス』を再見。
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』、『アパルーサ』、『アラトリステ』とヴィゴ・モーテンセンの映画をこれで短期間に4本続けてみた。
この人はよほど語学の才能に富んでいるらしく、『イースタン』ではロシア語で、『アラトリステ』ではスペイン語で芝居をしている。
金曜日、大学でプチ会議。そのあとオフィスに籠ってたまりにたまった書類仕事。片付け終わると、日はすでに西に没していた。
家に戻って、橋本治さんの『明日は昨日の風が吹く』の解説(20枚も書いてしまった)と、三砂ちづる先生の本の推薦文を送稿。
土曜日曜はオープンキャンパス。
当然ながら、入試部長はフル・アテンダンスを義務づけられている。
月曜からは「死のロード」が始まる。

2009.08.02

日本の核武装は可能か?

オープンキャンパス初日は大雨の中で始まった。
それでもずいぶんたくさんの高校生や保護者たちが来てくれた。
10時半ごろに雨が上がり、昼過ぎには晴れ上がる。
やれやれ。
あちこちのブースを訪ねて、「ごくろうさま」と声をかけて歩く。
私の仕事はそれだけ。
水戸黄門の諸国漫遊みたいな仕事である。
部屋に戻ると、毎日新聞の広岩さんが来て、現代政治のイデオロギー的動向についての取材。
取材されるというより、私の方がいろいろお訊ねする。
言論の右傾化は想像よりもずいぶん進行しているようである。
Will系論客たちの講演会では、九条の廃棄と核武装を求めるタイプの言説に高齢者から若者までが拍手喝采するのだそうである。
困ったものである。
九条についてはもうずいぶん書いたから、今さら書き足すこともない。
核武装について、もう一度基本的なことを確認しておきたい。

私は日本の核武装というオプションは政策的選択肢としては「あり」だと思っている。
あらゆる政策的選択肢は先入観ぬきで、そのメリット、デメリットについて考量的に吟味する必要があるというのは、私の変わらぬ信念である。
だが、核武装のメリットとデメリットについて中立的な視点から論じるという人はほとんどいない。
「核武装すべき」か「すべきでない」かまず結論があって、それからその結論を基礎づける論拠をランダムに列挙する、というのがこの議論にかかわる人々の基本パターンである。
私はこういう議論の仕方を好まない。
それよりは、結論はとりあえず棚上げして、その政策を選択するとどのようなメリットデ、メリットがあるのか、それを「算盤ずく」で思量するという態度が望ましいと思う。

核武装することのメリットは何か?
「核攻撃に対する報復力が向上する」ということである。
とりあえずは、これだけ。
核兵器をブラフに使って外交交渉や国境線確定を有利に導くことも可能であるが、これは銃砲店に行って「何に使うんですか?」と訊かれて「強盗するの」と答えるようなものであって、実際にそう思っていても、口に出してはいけない。
だから、核武装論者もこれは言わない。
デメリットはどうか。
これはあまりに多い。
まず外交的な点から。
核武装の意図を明らかにした段階で、中国と韓国と北朝鮮とロシアとASEAN諸国が猛然とこれに反対する。
日本の核武装を支持する、あるいは中立的に立場を維持する国があるのかどうか、私にはよくわからない。
もしかすると、インドやパキスタンやイランは「核拡散防止」政策の欺瞞性を非難してきた建前上、「反対できない」という態度をとるかもしれない。
だが、たぶんそれくらいだろう。
とりわけ、近隣諸国はかつて大日本帝国に軍事的侵略を受けた経験からきびしい反対の声を上げることが確実である。
反対運動がどれほどのレベルのものになるか、精密な予測は不可能であるが、大使館の引き上げや外交関係の断絶にまでは行かないにしても、経済活動や投資や人的交流などに深刻な支障が出ることは間違いない。
中国やASEAN諸国との通商経済関係が長期的に滞った場合に、それがわが国のGDPや日経平均株価や雇用環境や賃金にどれほどの影響を与えることになるのか、これはクールな頭で試算してみる必要があるだろう。

もう一つのハードルはアメリカである。
アメリカ市民のうちで日本が核武装することに賛成する人はほとんどいない。議会にも、ホワイトハウスにもいない。
オバマ大統領は「核なき世界」を21世紀の世界像として堂々と提出したが、このヴィジョンを論破しなければならない。
それは「誰でも自由に核武装できる世界の方が、核武装に制約がある世界よりも望ましい」という主張について国際社会の同意を集めるということである。
日本の総理大臣にそのような理論的準備があるのだろうか。
私は懐疑的である。
日本の報復力が向上することが、同時に自国の国益増大につながると思っている国がいくつあるか。
私はひとつも思いつかない。
とりわけアメリカは日本の核武装によって失うものが多い。
アメリカ軍の日本列島におけるプレザンスは「米軍には核兵器があり、日本の自衛隊には核兵器がない」という兵力の非対称性でもっている。
核兵器があれば、日本はイーブンパートナーである。
もう軍事的属国ではなくなる。
これまで「命令」で済ませていた行動について日本側の「同意」や「承認」が必要だと言い出したらアメリカの将軍たちは露骨に不快な顔をするだろう。
アメリカの産軍複合体も反対する。
核武装は通常兵器の削減を可能にするからである(だから貧しい国ほど核武装したがる)。
そして、日本は通常兵器のほとんどをアメリカから言い値で購入している。
兵器市場のシュリンクをアメリカの産軍複合体はまったく喜ばないであろう。
だから、最終的には、アメリカが日米安保条約廃棄、在日米軍基地撤去というカードを切ってくることは覚悟しておいた方がいい。
その場合には「米軍の空白」を埋めなければならないことになる。
防衛予算に国家予算の相当部分を充当しなければならない。
医療も福祉も教育も地方分権もすべてあとまわしで、とにかく持ち金をあらいざらい投じて兵器を買い集めるしかない。
むろんそれだけの数の兵士の補充が必要である。
徴兵制についても当然その導入を検討することになるだろう。

こうして日本列島は国際的に孤立し、核兵器という毒性のつよいカードを手に綱渡り的な外交を展開する軍事国家になる。
これは東アジアのどこかの国と「そっくり」である。
なるほど、「日本を北朝鮮化することによってのみ日本の国防は成就できる」という考え方には一理あると私も思う。
けれども、そういう政策を主張している人々が、彼ら自身が北朝鮮をモデルに国家戦略を考案しているという事実に気づいていないという知性の不調にはつよい不安を抱かざるを得ないのである。


2009.08.03

オープンキャンパス二日目

オープンキャンパス二日目も大雨警報だったけれど、昼前に晴れ上がる。
順調に来訪者が岡田山に登ってきて、夕方の集計では両日ともに1000名を超えたそうである。
かなりよい数字である。
案内係をしてくれた学生ボランティアの諸君の活躍ぶりが目立った。
彼女たちは前期のはじめに応募してきた中から選考されて、研修を受けて参加している。
実際には働いている学生よりもはるかに多くの数の学生たちがボランティアを希望していたのである(落としてごめんね)。
この大学をそれだけ学生たちから愛されているということである。
その志を多としなければならない。
そのあいまに取材とインタビュー。
取材は新聞からで、総選挙の話。
総選挙については別に話すこともたいしてないので、全部断っていたのであるが、近場の新聞社だったし、オープンキャンパスのあいまで私はわりと暇にしていたので、引き受ける。
残り期間内に大きなスキャンダルがなければ、民主党の地滑り的勝利になるであろうと予告。
自民党が勝ったら「何も変わらない」ということはわかっている。
民主党が勝ったら、「何かが変わる」(悪く変わるかもしれないが)。
とりあえず政局は面白くなる。
前回下野した自民党が何をしたかみなさんまだ覚えておられるだろう。
自民党は1992年の参院選挙で社会党に大敗し、参院での過半数を失った。翌93年、武村正義らが離党して「新党さきがけ」を結成。続いて、羽田派44名が集団離党して、新生党を結成。夏の総選挙で衆院の単独過半数を失ってさらに加藤紘一ら五月雨的に離党者が相次ぎ、8月に非自民・非共産の連立政権細川護煕内閣が発足して、結党以来はじめて野党となった。
けれども、在野わずか10ヶ月、自民党は翌94年6月には社会党・さきがけと村山富市をかついで連立政権を作って政権に復帰したのであった。
社会党委員長であった村山富市という人が国対畑に長く、綱領に固執しない調整型の政治家であることを見切って、「社会党党首を首班とする政権」構想という奇手を打ってきた当時の自民党総裁河野洋平の状況判断はなかなかのものである。
95年には1月に阪神大震災があり、3月にオウム真理教地下鉄サリン事件があり、その混乱の中で村山内閣は崩壊するのだが、この時期の政局は波乱があって先が読めず、まことに興味深いものであった。
今度自民党が下野したら、「こういうこと」がまたあるのかしらと思うとついわくわくする。
民主党政権にはあまり期待していない(だから施策があまりぱっとしなくても、失望もしないと思う)が、下野した自民党がどんな巻き返し戦略を練って来るかにはかなり期待している。
いちばん現実的なのが民主党との「大連立」による政権復帰である。
これはせっかく政権をとった民主党の議員たちが猛反対するだろうが、自民党側が示す譲歩によってはありうる選択である。
衆参両院にまたがる「大連立・挙国一致内閣」ができる。
ほとんど大政翼賛会状態であるが、経済危機や、あるいは北朝鮮がらみの外交危機に際会した場合に「挙国一致」の喫緊であることを言い出す人間は必ず出てくる(ナベツネばかりではない)。財界はそれをつよく望むはずである。
だから、大連立の可能性は「危機次第」である。
政権運営上の党内不一致で民主党が分裂して(綱領的に整合性のない政党であるから、可能性は高い)、自民党出身者たち(小沢、鳩山、岡田)が自民党と「保守合同」する可能性もある。
保守合同の残りの勢力、つまり民主党内の旧社会党・旧民主党と社民党が「日本社会党・サクセション」を結党する。
これに共産党が是々非々で政策協力して、新55年体制誕生。
私はこれが日本人にはいちばん合っているのではないかと思う。
私の少年期はそのままこの55年体制に重なり合っているが、「どろどろ無原則の生活者政党」と「綱領的で倫理的に気負った社会主義政党」が6対4くらいの比率で拮抗しているのが、いちばんいい「湯加減」ではないかと私は思っている。
共感してくれる人はきわめて少ないけど。
というわけで、09年総選挙での民主党大勝のあとに10年なかばに「大連立による大政翼賛体制」か「保守合同による新55年体制」か、どちらかが現実味を帯びる可能性がけっこう高いのではないかと私は予見している。
こういう予言は当たってもはずれても、言っておくほうが楽しいので、ここに明らかにするのである。
取材のあとはケアの専門家たち(みなさんナースでかつ研究者というバランスのよい女性たちである)四人から「医療(とくに精神医療の)現場で身体感受性をどう涵養するか」という実践的問題についてヒアリングを受ける。
私は現場で生身の人間を相手に仕事をしている人の話を聞くのが大好きなので、むしろこちらの方からあれこれと質問をして、現場のようすをお聞きする。
意外なことに、看護医療の現場には私の読者が少なくない。
たぶん日本で最初に「インフォームド・コンセントは日本の医療風土に合わない」ということと「EBMは医療における医療者の身体感受性を損なうから止めた方がいい」ということを言った人間だからである。
現場のみなさんも実はそう思っていたのであるが、口には出せなかったのである。そのお気持ちをたまたま私が代弁したようなかたちになり、以来医療看護系の学会から講演依頼や学会誌への寄稿依頼が続いているのである。
今回のケア論では、とにかく身体感受性の涵養のためには「低刺激環境が必要である」というのが結論で、実践的には精神医療拠点を石垣島(バリ島でもいいが)に移すということについて全体で意思一致を見た。
人間、ほっこりと浜辺でくつろぎ、潮風になぶられつつ、椰子の木陰でピニャコラーダを飲みながら同時に厭世的になるというような器用なことはできないものである。
精神科の診療機関を都会の高層ビルなどに開設するのは医療的には無意味というか有害というべきであろうと申し上げる(大学もそうだけど)。
終わってからソッコーで家に帰り、掃除をして、ご飯を作る。
今年卒業した諸君がぞろぞろと10人ほど遊びに来る。
就職してようやく4ヶ月。その新鮮な驚きのレポートを拝聴。
わいわい騒いでいるうちに、シャンペン5本、赤1本をたちまち飲み尽くす。
月曜から「死のロード」が始まる。

2009.08.05

死のロード始まる

8月3日から「死のロード」が始まる。
3日、芦屋市教育委員会。4日、東大阪市人権教育研究会、5日-6日、鹿児島で九州高校公民科大会、7-9日が箱根でアゲイン株主大会、帰りに東京に寄って母とるんちゃんに会って、10日に神戸に戻り、その夜、医学書院のための対談。それで一応ロードは終わるが、翌日歯の手術で、しばらく予後を養わないといけない。
どうしてこんなにハードなスケジュールを組んでしまったのか、自分でもよくわからない。
仕事を頼まれるときには「X日は空いてますか?」という訊き方をされる。「ふさがってます」と嘘は言えない。言ってもいいけれど、「ではY日はいかがですか?Z日は?」と畳みかけられるだけであるので、結局、どこかで諦めるしかない。
講演はいずれも教育現場からのご依頼であり、「ぜひ、現場の先生がたへエールを送ってください」と言われると、実情を知るだけに、断ることができない。
今回の死のロードもそんなわけでこんなことになってしまった。
そのあいまに『新潮45』と『AERA』と「呪いと祝福」の原稿の締め切りが入っていた。
新潮社のアダチさんは新書の締め切りはマジで8月末までですからねと念押しをしてくる。これはもう1年半くらい引き延ばしているので、いくらなんでもこのへんで書き終わらないといけないので、11日からあとはひたすら原稿書きである。
こんなハードな生活はいつまでも続けられまい。
ということで、とりあえず来年からの講演は全部断ることにした(何度目の宣言であろうか・・・)
でも、今度は本気である。
来年は大学最後の年だからである。
最後の1年くらいは副業を自制して、本務であるところの大学の教育に専念したい。
いくつかのプログラムについては、私がいなくなった後も問題なく継続できるように手当てをしておかなければならない。
という大義名分があるので、講演も連載もすべて「ちゃら」である。
とはいえ、3日、4日もどちらも講演の聴衆は熱心かつフレンドリーであった。3日は教委主催で、芦屋市内の校長先生園長先生たち40人ほど。4日は東大阪市の公立の小中学校の先生たち約200人。
いずれも、「学ぶ力」とは何か、という話をする。
私たちの社会は、人間のもっている潜在的な能力を「勘定に入れて」制度設計されている。
潜在的な能力というのは「まだ知らないことを先駆的な仕方で知っている」能力である。
フッサールは「未来把持」という術語を使ったけれど、要するに「まだ存在しないもの」を先駆的に感知できる力である。
時間をフライングする力である。
学びというのは、この基礎能力を前提にして構築されている。
この知識や技術や情報が自分のこれからの人生のどこかで死活的に重要なものになる、あるいはこの知識や技術を欠くことが自分の生存に深刻な危険をもたらすだろうという先駆的な確信が学びを起動させる。
この先駆的確信には実定的な根拠がない。
学び始める人間は、どうして自分はこれを学ばなければならないのかを言うことができない。
しかし、経験的にたしかなことは、自分はどうしてこれを学ばなければいけないのかを言うことができないし、誰もその利益を指示しないし、ぜひ学び給えと勧めることもしないような技芸について、その欠落を耐え難く感じることがあったとしたら、それは学びが起動しているということである。
その「機」をとらえることが学びの要諦である。
しかし、現代の教育システムでは、学びの有用性、努力と報酬の相関についてあらかじめ一覧的に開示されない限り、「学んではいけない」という禁止の圧力が働いている。
商取引のルールを教育に持ち込むとそういうことになる。
商品購入に先立って、消費者自身がどうしてその商品が欲しいのかを言えず、誰もそれを購入することの利益を示さず、誰もそれを「買え」と言わない商品を購入することはない。
「ない」というより「あってはならない」
「賢い消費者」は自分が何を欲しており、何を不要としているかについて熟知し、「これを買え」という無数のオッファーの中から、スペックを吟味した上で、もっとも費用対効果の高い商品を過たず選択することを義務づけられている。
商品購入において、「この商品は、いずれ私の人生に、今の私には予見できない仕方でかかわってきて、私を救うことになるだろう」というようなことを先駆的に確信する必要はないし、現にそんなことをしている消費者はどこにもいない。
商品購入のスキームで学びにかかわると、この先駆的確信が作動しない。
日本の子どもたちの「学ぶ力」はいま壊滅的に劣化しているが、それは彼らが商品を購入するときのマインドで教育の場に登場してきているからである。
というような話をする。
わかりにくいですね。
では、これから鹿児島に行ってきます。


2009.08.06

日本はどこへ行くのか

先週、毎日新聞の論説委員の広岩さんが見えて、「平和を語る」というお題で、しばらくお話をした。
広岩さんは何年か前に私が毎日新聞の紙面批評を頼まれたときに、司会をしてくれた人である。
たいへん冷静で目配りのゆきとどいたジャーナリスだった。
それからは毎日新聞で広岩さんの署名記事があると、まじめに読むようにしている。
お会いしたとき、広岩さんは日本の言論の急速な「右傾化」にずいぶん心を痛めていた。
とくに一部で突出している核武装論と、それに対する若者たちの無警戒に危機感を示しておられたので、もっぱら話題はそれに終始した。
先日、テレビの政治討論番組で、あるジャーナリストが、日本に外交力がないのは、軍事の裏付けがないからである。防衛にもっと金をかけなければ、日本は隣国から侮られるばかりであると主張していた。
それは違うと思う。
日本が外交的に国際社会で侮られているのは事実であるが、それは軍事力の裏付けがないからではない。
日本の国防予算は世界第四位である。
日本の上にいるのはアメリカ、ロシア、中国の三国。
「軍事力即外交力」というロジックが成り立つなら、日本はこの三国には侮られても当然だが、それ以外の諸国には侮られてはいないはずである。
しかし、現に侮られている。
国際社会で「日本の外交戦略を拝聴して、ぜひその叡智を掬したい」という態度を保っている国はきわめて少ない。
それは日本が軍事力に劣っているからではない。
国際社会に向けて発信すべきいかなる「ヴィジョン」も有していないからである。
日本が国際社会に向けて述べているのは「愚痴」と「不満」だけである。
たしかに日本にとっては切実な「愚痴」であり、「不満」であろうが、他国にとっては「悪いけど、ひとごと」である。
我が国の国際戦略(などというものはないのだが、あるとして)に対して同意や共感や支援を得ようとするとき、日本は結局はいつも「金をつかませる」という方法しか思いつかない。
利益誘導して「日本を支持すると、こんな『いいこと』がありますよ」という「にんじん」を示すことでしか、国際社会における支持者を作ることができない。
その「志の低さ」が国際社会の侮りを受けているのである。
だから、日本が金をばらまけばばらまくほど日本に対する侮りは深まる。
湾岸戦争のときに、日本は巨額の戦費を供出した。
これに対して国際社会は感謝を示さなかった。
これをわが国の政治家やジャーナリストは「人的貢献をしないで、金だけ出したからバカにされたのだ。次からは日本人の血を流さなければダメだ」と言い立てた。
いわゆる「国際社会の笑いもの」論である。
多国籍軍はイラクに侵略されたクウェートを支援するために軍事介入した。クウェート政府は戦争終了後に、支援各国に感謝決議を出した。そのときに、日本の名はそこになかった。
しかし、その理由は「国際社会の笑いもの」論者たちが言うように「金しか出さなかった」からではない。
日本はたくさんの戦費を出したのだ。
ただ、出した金のほとんどをアメリカが持って行ってしまったのである。
当初援助額である90億ドル(1兆2,000 億円)のうち、クウェートに渡ったのは6億3千万円であった。あとはアメリカが持っていった。
国際社会は、「国際貢献」という名分でアメリカに「転がされた」日本の愚鈍を笑ったのである。
その反省がイラク派兵における「人的貢献」である。
今回の派兵に対してはイラク政府から感謝決議をもらうことが日本政府の年来の悲願なのである。
しかし、「感謝決議をもらうために派兵する国」を国際社会が尊敬のまなざしで見上げるであろうか。
私は懐疑的である。
国際社会が評価するのは「これからの世界はどうあるべきか」について、国益の異なる諸国を投企的に統合するような「大きな物語」を語ることのできる政治思想と行動だけである。
どれほど主観的には切実であろうとも、「愚痴」や「不満」や「見返り」のような「せこい」話しかしない国が、そのスーパーリアルな態度によって諸国からの敬意を得ることはありえない。
敬意が得られない国は、どんな場合も、指導力を発揮することはできない。
当たり前のことである。
かつてシンガポールのリ・クワン・ユーやマレーシアのマハティールや台湾の李登輝は小国の指導者ながら、繰り返し国際社会からその政治的意見を求められ、世界のメディアはその発言を報道した。
それはシンガポールやマレーシアンや台湾が中国に比肩するような軍事大国だったからではないし、経済大国だったからでもない。
彼らがそれぞれに「あるべき東アジアのヴィジョン」を語ったからである。
国際社会が敬意を示すのは一国の軍事力ではなく、その軍事力を導く世界戦略の「大きさ」に対してである。
もし、軍事力に裏付けられた外交だけが他国からの敬意を担保するというロジックがほんとうなら、日本は世界で中国の次に尊敬され、どのような国際会議でも「アメリカ、ロシア、中国」の次に発言を求められてしかるべきであり、イギリス、フランス、ドイツよりも「威信ランキング」において上位に置かれてよいはずである。
だが、そうなっていない。
これはどういうわけなのか。
誰か説明してくれるのだろうか。
「核武装していないから」という遁辞をおそらくはご用意されているのであろう。
防衛費世界四位といっても、核がないんだから、そんなのは無意味な数字だと言う人がいる。
あるいは防衛費のほとんどは人件費で消えてしまい、軍備には充当されていないからそんなのは無意味な数字だとも言われる。
なるほど。
防衛次官の横領分や商社へのキックバック(そのせいで武器購入費は非常に割高になっている)もむろん軍備の充実には資するところがない。これも防衛費からは控除した方がいいだろう。
ということは私たちが知っている防衛費というのはおおかた「無意味な数字」だということになる。
で、その場合、「無意味な数字」が「多い」とか「少ない」ということを言えるのはどのような数値的根拠によるのであろうか。
核武装したとしよう。
アメリカとロシアと中国の反対を押し切って、核武装した。
さて、その上で日本はいったい何を世界に対して告げようというのであろうか。
どのような「あるべき世界のヴィジョン」を語るつもりなのであろうか。
「これで北朝鮮のミサイルがきても報復できるぞ」「中国が東シナ海のガス田に手を出しても韓国が竹島を占領しても報復するぞ」と世界に向けて誇らしげにカミングアウトしたいという気持ちはわからないでもない。
けれども、それを聴いて「ああ、すばらしい。『やられたら、やりかえせ』これこそ世界が待望していた21世紀の国際社会を指導する理念だ」と思ってくれる人が世界に何人いると思っているのか。
それによって日本の政治家たちが世界のメディアから注目され、その識見について繰り返し意見を徴され、その指導力が求められるということが起こると、彼らは本気で思っているのであろうか。
防衛費を倍増しようと、核武装しようと、ミサイル攻撃に即応するシステムを構築しようと、それによって国際社会からの敬意を獲得することはできない。
獲得できるのは、「何をするかわからない危険きわまりない国に対する遠慮がちな態度」だけである。
それはまさに現在北朝鮮が享受しているところの「利権」である。
日本を北朝鮮化すること、彼らがそれを夢見る気持ちはわからないでもない。
「遠慮がちな態度」だって「侮りがちな態度」よりはましだと思う気持ちはわからないでもない。
でも、自分たちがそのような法外な夢を抱いていることをご本人たちは意識していない。
問題はそこだ。

2009.08.07

露天風呂から桜島

鹿児島での九州の高校の公民科の先生たちの集まりで講演。
鹿児島には梁川くんがいるので、90年から後何度も訪れた。去年も鹿児島大学で講演して、黒豚を食べて、美味しい泡盛を飲んだ。
今回は城山観光ホテルに投宿。宴会&露天風呂付きである。
講演がなければプチ・バカンス気分である。

あ、こういうことをフランス語の教師が書いてはいけないね。
「休暇」という意味の「バカンス」は通常複数形で用いられるから、あえて表記すればpetites vacances 「プティット・ヴァカンス」で「プチ・バカンス」ではない。
フランス語の表記の間違いはたいへん多い。ほとんどすべての看板のフランス語は間違っていると言って過言ではないくらいだ。
家の近所にLa Tour Blanc 「ラ・トゥール・ブラン」というレストランがある。
「白い塔」というつもりなのだろうが、tour は女性名詞であるから、これはLa Tour Blanche 「ラ・トゥール・ブランシュ」でなければならない。
フランス人がこの看板を見たら「自い塔」というような漢字を私たちが見たときのような違和感を覚えることであろう。
àcoeur という美容院がある。à coeur は英語のat heart という意味であるから言わんとするところはわからぬでもない。
でも、à と coeur がくっついて、一語になっていて、おまけにアクサンが逆向きについている。
アクサン・テギュのついたa を見ると(このフォントでは再生できぬが)、一瞬頭がくらくらする。
大学にゆく途中には prête という名前のファッションの店がある。
「貸せ」という動詞の命令形なのか、あるいは「準備できてます」という形容詞の女性形なのか定かではないが、もし諸君がパリの街を歩いていて「貸せ」という日本語の看板を見たら、「ぎくり」とされるということについてはご同意いただけるであろう。
ロゴのデザインを考えたり、看板を作ったりするのにはずいぶんお金をかけているはずである。その手間の一部をどうして「仏和辞典を引く」ということに割かないのであろうか。
私にはそれがうまく理解できない。
どうせ間違っていても、フランス人が読むわけじゃないから、関係ないと思っているのだろう。
そういえば、アメリカではいま漢字のタトゥーがはやっているらしいが、この漢字がデタラメらしい。
「天地無用」とか「菊正宗」とめちゃくちゃなタトゥーを入れているそうであるからお互いさまである。
石橋凌が英語のうまいやくざの親分をやった映画では、日本レストランの壁一面に日本語の格言がはりめぐらしてあった。
妙に達筆で書かれた「はきだめに鶴」というのがとりわけ印象的だった。
「はきだめに鶴」がインパクトありすぎて、映画のタイトルも主演俳優の名前も思い出せない。

城山の月を露天風呂から眺めながら、プチ・バカンスを楽しんだ。
6日に中央公民館というたいへんシックな建物で、講演。
お題はいつもの「脱=市場原理の教育」。
連続3回同じタイトルで話をしている(でも、内容はちょっとずつ違う)。
記号が記号として機能するために「したごしらえ」をする前-記号的なはたらきについて話す。
「メッセージの読み方を指示するメッセージ」(メタ・メッセージという)を適切に読みとることができないと、言葉のデノタシオン(語義通りの意味)はわかるけれど、コノタシオン(文脈上の意味)を取り違える。
一つのセンテンスにはほとんど無限の解釈可能性があり、その中でもっとも適切な解釈を選択する能力は、コミュニケーションを円滑にすすめる上で必須のものである。
しかるに、現代人はこの「メタ・メッセージ」解読能力を組織的に破壊してしまった。
別に誰かが悪意をもってやっているわけではなく、自分たちで「よかれ」と思ってやったのである。
「高度情報化時代」という趨勢の当然の帰結である。
「情報」と「情報化」は違う、ということはこれまでも何度か書いた。
「情報」というのは「処理済み」のものであり、「情報化」というのは「生ものを情報単位にパッケージすること」である。
魚屋が市場から来た魚を三枚におろす作業が「情報化」である。パッケージされた切り身が「情報」である。
「高度情報化社会」というのは誤解している人が多いと思うが、「情報化」が進んだ社会のことではなく、「情報化」のプロセスが人目に触れなくなる社会のことである。
誰がどこでどんな魚を「三枚におろして」いるのか、誰も見ることができない社会のことである。
人々は情報を並べたり、入れ替えたり、交換したり、値札をつけたりする作業にのみ専念している。
それが高度情報化社会である。
切り身になる前の魚はいろいろな「使い道」がある。
ぶつ切りにしてもいいし、開いて干物にしてもいいし、塩に漬けて魚醤にしてもいいし、粕に漬け込んでもいいし、かちかちに日干しにして人の頭を殴ってもいいし、金肥にして畑に撒いても言い。
そういう無数の「解釈可能性」を「なまの魚」は蔵している。
「切り身のパッケージ」はそのありよう以外のすべてのありようを捨象した「残り」である。
「情報化」とは、「前-情報的素材」を「情報」に精製する過程で、無限の解釈可能性の中から適切なものを一つだけ選び、あとを捨てるということである。
だから、資源が有限の環境においては、与えられた「前-情報的素材」の蔵する無限の「使い道」のうち、「さしあたり私が生き延びる上でもっとも有用な使い道」をただちに見当てる能力が死活的に重要なものとなる。
だが、この能力は「高度情報化社会」では不要である(だって、すべての情報はもう誰かによって「加工済み」なんだから)。
不要であるという以上に、もうこのような能力が存在するということ自体を私たちは忘れた。
「前-情報的素材」の取り扱いについて、現代人はほとんど「無能」になってしまった。
そうして、現代人は「無限の解釈可能性に開かれたメッセージの最適解釈を発見する」能力を回復不能なまでに減退させてしまったのである。
人々はもう数値しか見ない。記号化されたものしか見ない。
医療の現場でも、教育の現場でもそうである。
何度も書いた話だが、シャーロック・ホームズのモデルはエジンバラ大学医学部時代にコナン・ドイルが師事したジョセフ・ベル博士である。
ベル博士は、診察室に患者が入ってくると、患者が口を開く前にその出身地や職業や既往症を言い当てたという。
おそらく、ベル博士は患者から発信される無数の「前-情報的」なノイズの中から有意なものを瞬時に選り分け、それを総合して診断をくだす高い能力を有していたのだと思う。
けれども、そういう能力は多少の濃淡はあるが、私たち全員に潜在的に備わっており、それを開発する体系的なメソッドもかつては存在したのである。
識閾下で無数の「ノイズ」を処理して、それを「シグナル」に変換する能力を高めるための訓練法である。
いろいろなかたちのエクササイズがあったが、もう、現代人は誰もやらない。
「ノイズ-シグナル変換」を高速処理できる人間は気配りが行き届き、共感能力が高く、ひとの気持ちや「してほしいこと」がよくわかる。
逆に、変換能力が低い人は鈍感で、場違いで、他人の気持ちがわからず、人を誤解し、また誤解され、実際によく人の足を踏んだりする。
私たちはこの能力の開発にほとんどリソースを割かなくなった。
それは「資源が豊か」なので、限られた資源がもつ潜在可能性を網羅的に吟味する必要がなくなったからである。
コミュニケーション不調がこれだけ起こるのは、ひとつには私たちの社会が「あまりにも豊かで安全」になったからである。
現代はコミュニケーション能力が病的に低くても生きていける社会、つまり「ひとりでも生きていける社会」である。
そこではコミュニケーション能力を開発するインセンティヴは損なわれる。
当然のことだ。
それが私たちの社会を耐え難く住みにくいものにしている。
というような話をする。

2009.08.11

歯がない

ポートピアホテルで神戸大の岩田健太郎先生と「感染症とインフルエンザ」の話をして(なんで私がそんな話を専門家とするのか、理由は私もわからないけれど、たいへん愉快な対談であった)、医学書院のおごりでおいしいフレンチをいただきて、ようやく死のロードが終わり、自宅に戻る。
ひさしぶりに我が家のベッドで寝たが、起きると何の因果か、また締め切り原稿がたまっている。
午前中かかって原稿を書く。
家の中にはロードのあいだの家事と仕事がたまっているが、それを片付ける暇もなく、歯科へ。
1年半かけて歯を全面的に治す計画なのであるが、その最初のハードルとて、下の歯を10本抜く。
さすがの私も歯を10本同時に抜いたことはない。
麻酔をかけて4時間。
鏡を見ると、歯がない。
もちろんしばらくはものが食べられない。
食べられないのは仕方がないが、しゃべれない。
むりして口を開けばしゃべれないことはないが、「ひゃへれない」という発声になる。
ひゃへれないひんへんが、このあとへんふはいにへはり、ひろひまでほうへんをひたりふることははのうなのへあろうは。
ほうはんはほてもふはのうのようなひはふるのはは・・・
とりあえず明日明後日と歯科で予後を養うので、あるいは仮の義歯をご用意いただければ、すこしは人間的発声に類する音を出すことができるようになるやもしれぬ。
わからないけど。
最悪の場合は、演武会は「総合説明演武」じゃなくて、「無言演武」になりそうである。
講演もなんだかしまりのないものになりそうである。
ほんとうはそういうイベントが全部終わった18日に手術を入れていたのだが、先生のご都合で一週間前倒しになり、このようなクリティカルな状況になってしまったのである。
でも、先送りにすると、こんどは大学の授業が始まってしまう。
身体のあちこちにガタが来た人間をあまりこき使うものではないと思うのだが、世間さまはまことに容赦がない。
というわけで発作的に2011年は「1年間完全休養」を宣言することとした。
2010年度は「大学最後の年だから、教育に専念したいので、学外の仕事はすべてお断り」、2011年度は「30数年の疲労を回復するために完全休養なので仕事はすべてお断り」。
2年間メディアから姿を消せば、きっとみんな私の名前なんかすぐに忘れてくれるであろう。
そしたら、レヴィナスの時間論を書いて、『異邦人』の翻訳をして、あとは武道の稽古に集中するのである。
道場を建て、能のお稽古をし、池上先生と温泉に行き、三宅先生と美味しい物を食べ、兄ちゃんたちと温泉麻雀に行き、淡路島で橘さんと野菜を作り・・・
そういう夢を見ながら、歯の痛みに耐えているのである。

2009.08.12

歯なしの日々

歯がないと困る。
しゃべり方が完全に「ラリハイ」(というのももう死語だな)状態なのである。
外に出るときは、最低限の用事しか口にしないからよいが、電話が困る。
「あの、済みませんけど、今週はちょっと無理だと思います」が「あの、ふみまへんへほ、こんひゅうは、ひょっほ、ふりはとほほいはふ」に変換される。
三菱東京UFJ銀行芦屋北支店のヤスムラくんはきっとこいつはなんか悪い薬物を濫用しているのではないか(ノリピーとかオシオマナブとかの事件が相次いだし)と思ったのではないだろうか。
ヤスムラくん、違うのだよ。歯がないだけなの。
むかし駒場時代に、ラリハイで空中浮揚して顎の骨を砕いてしまった友人がいた。
スワゾノくんというナイスな少年で、よく一緒に麻雀をしたのだが、その怪我でずいぶん長く入院していて、しばらくして退院してきたとき教室で会った。
ぽんぽんと肩を叩かれて振り返ると、顔の下半分くらいを金属製のフレームで覆っている少年が顔の上半分だけでにこにこ笑っていた。
誰だろう?と怪訝な顔をしたら、「ほれはよ、ふわそのはよ」と教えてくれた。
しばらくの間、仲間からは「ふわぞの」と呼ばれていた。
卒業したあとはどうなったのだろう(そもそも卒業したのだろうか)。
現在は非常に薬物服用については「ばれると刑事罰」ということしかアナウンスされない。
それは言い換えれば「ばれなければノープロブレム」というふうに若者たちが信じているということである。
だが、オーバードーズで死ぬ人間はいくらもいる。
あとで「しまった」と思ってももう手遅れということを若者たちに周知すべきであろう。
素人が麻薬に手を出すとどういうことになるか知りたい人はタランティーノの『パルプ・フィクション』をご覧くださるとよいと思う。
この映画はそれ以外にも「友だちの選び方」や「トイレに行くときの気配り」などについてたいへん多くの教訓を含んでいるので、お子さまが中学生になったらぜひ繰り返し見て欲せていただきたいものである。
歯科に行って、抗生物質の点滴を打ってもらう。
10本抜いたわけであるから、口腔中は穴だらけ、血だらけ、腥風血雨、その状、酸鼻を極めている。
とにかく血を止めて、抗生物質を打って、痛みと腫れを鎮める。
とりあえず今日はそれだけ。
明日は「仮歯」を入れる。
傷口の上にのせるので、ずいぶん痛いものらしい。
よろよろと新大阪から戻り、芦屋の大丸から「内祝い」を送る。
ふつうは6月中に出さなければいけないのであるが、6月7月に私は「休みの日」というものがほとんどなくて、たまの休日は朝から晩まで締め切りを過ぎた原稿を書き飛ばしていて、とてもそのような社交的な気分ではなかったのである。
それに7月になると「ギフトセンター」はすでにお中元で長蛇の列をなしており、ご案内の通り、私は何が嫌いといって列に並ぶことほど嫌いなことはない。
そんなこんなでベタ遅れになってしまった。
9月になって3ヶ月前の結婚式の「内祝い」が届くのであるから、もらった人はきっと季節外れのお中元か早手回しのお歳暮かと思うことであろう。
まことに申し訳ないが、伏してご容赦を乞うのである。


2009.08.13

仮歯が入った

仮歯が入ったので、三日ぶりに「奥歯を噛み締める」という行為ができるようになった。
やれやれ。
口の中に入れ歯をビスで固定してある。
手術に3時間余。
ダイハードな機具を口中に装着していると、007シリーズでがりがりとロジャー・ムーアに噛みついていたリチャード・キールの気分が何となくわかるような気がする。
さぞや気分が悪かったことであろう。
今日の夕食から固形物が食べられる(今朝までは流動食だけだったのだ)。
でも、歯茎の部分をぐるりとプラスチックで覆ってあるので、当然ながらものの味がしない。
美食の多くは歯茎や歯で触感を味わうところに妙味があり、ただ歯は噛んで切り取ってすりつぶすだけでは能がない。
歯茎が露出するまであと1年ほど待たなければならない。
仮歯が入ったが、まだうまくしゃべれない。
滑舌には、歯の咬合と舌と歯の位置が大きくかかわってくるのであるが、仮歯を入れたので、舌の下顎の歯列の位置関係が変わってしまった。
さすがに「ラリハイ状態」ではないが、それでも舌の位置を間違えてしゃべると、口から唾が噴き出して、鼻先を濡らす。
自分の声のようではないので、戸惑ってしまう。
麻酔が切れてきたらしく先ほどから下顎全体にずっと鈍い痛みがある。
できれば何もしゃべらず、家でじっと寝ていたい。
だが、14日も15日も16日も17日も毎日外に出て人と会って用事をせねばならない。
世間はお盆休みのはずだが・・・
広島の講演が最後の17日なのだが、せっかくご招待頂いたのに、舌の回らぬ話で醜態をさらすことになってまことに申し訳ない。
18日から3日間だけ休みで、そのあとはまた用事が続く。

2009.08.15

お盆な一日

早朝から『日本辺境論』の原稿書き。
だいたい目鼻がついた。
今朝は新渡戸稲造の「武士道」と親鸞の「飛び込み」について書く。
これでなんとか8月末の締め切りには間に合いそうである。
これが今年最初の本になる。出版されるのは11月くらい。
最初は「観光立国」論のような軽い本を構想していたのだが、書いているうちについつい真面目になってしまった(そういう性格なの)。
これからは「先駆的確信」(どうしていいか知らないときに、どうしていいか「わかる」のはどうしてか)についてハイデガーとヘーゲルを引用して論ずる予定。
そんな新書買う人いるかな・・・
昼前にいったん筆を置いて、茶屋町アプローズのソニー・ピクチャーズへ。
『サブウェイ123 激突』の試写会。「うほほい」の仕事である。
お盆なので、街はがらがら、試写室もがらがら。
汗くさく、埃くさい「オヤジ映画」でした。
もう希望もない、誇りも失いつつある、体力も限界・・・というオヤジたちが、なけなしの気力を振り絞って、残高勝負。
これが「アメリカの実感」なのでしょう。
炎天下をまた阪急に乗って帰宅。30分昼寝してから、夕方から下川先生のお稽古へ。
口腔中に異物があるので、謡はむずかしいが、舞の稽古は別に問題ない。
『野守』の舞囃子が一通り片付き、『玄象』の謡をお稽古する。
口を開かず、顎を引いて、謡ってみる。
仮歯のせいで「サ行」の音が出にくいが、それ以外はまあまあ。
でも、少し早く話そうとすると、右の奥歯で舌を噛んでしまう。
口腔内のシステム調整にはもう少し時間がかかりそうである。
帰宅して、シャワーを浴びてから、冷奴、さんまの刺身、ローストビーフを食す。
あまり噛まずに「ごっくん」できるものだけ。
『崖の上のポニョ』のDVDが届いたので、ワイン片手に見る。
それなりに「お盆」な一日でした。

2009.08.18

ブリコルールの心得

土曜日はひさしぶりのお稽古。3週間ぶりに身体を動かす。
滝のような汗。
さすがにお盆なので、稽古に来る人は少なく、20人ほど。
いつもの半分である。
日曜日は多田塾甲南合気会の「第0回演武会」。
来年第一回をやる予定なので、予行演習である。
29人が演武する。
私も回らぬ舌で説明演武をする。
身体は動かしていないけれど、このところ『日本辺境論』にずっと武道のことを書いているので、理だけは進んでいる。
その「理」の部分を話す。
理だけ進んで身体がついてこないということはあまり起こらない。
というのは実際に身体能力の発現を阻んでいるのは大半が脳内のファクターだからである。
身体はいろいろなことができる。
意識化して操作する運動と数桁違うくらいの種類の運動をこなすことができる。
それができないのは脳が「人間の身体というのはこういうふうに動くものである」という思いこみによるリミッターをかけているからである。
それを解除する。
それを解除するには、実際に身体が「動いてしまった」という経験を経由するか、脳内のリミッターを解除するか、ふたつのやり方がある。
道場に出なくても、朝から晩まで武道の身体運用の理合について考えていれば、脳内のリミッターは少しずつ解除され、運動可能性はその分だけ拡がる。
もちろん、「解除されたかどうか」は実際に道場で動いてみないとわからない。
「仮説と実験、反証事例と仮説の書き換え」という自然科学の進め方とまったく同じである。
私のいまのところの理は「葛藤仮説」と「先駆性仮説」である。
「葛藤仮説」というのは同時に相反する二つの命令を身体に下すと、身体はその葛藤を解決するために「おもいがけないソリューション」を提示する、というものである。
例えば、「一気に斬りおろせ」という命令と、「最後の最後まで最適動線を探ってためらえ」という命令を同時に発令する。
すると、身体はこの二つの要請に同時に応えるべく、実に不思議な運動を工夫し始める。
その意味で身体は妙に「素直」である。
「そんなことはできません」というような賢しらを言わずに、素直に二つの命令を同時に履行しようとする。
「カツを食いたい」「カレーを食いたい」と同時にオーダーが入ったので、「カツカレーを発明しました」というような事態を想像していただければよろしいかと思う。
「先駆性仮説」というのはこのところの私の脳裏を去らぬアイディアであるが、人間は「どうふるまっていいかわからないときに、どうふるまっていいかを知っている」というあの潜在的な能力のことである。
レヴィ=ストロースが『野生の思考』に書いたように、「野生」の人々「ありあわせのもの」しかない、限定された資源のうちで生活している。
レヴィ=ストロースはそのありようを「ブリコルール」(bricoleur)と呼んだ。
ブリコルールは日常的には「日曜大工」のことである。そこらにあるありあわせの道具とありあわせの材料で器用に棚を作ったり犬小屋を造ったりする人のことをフランス語でそう呼ぶ。
野生の人たちは本質的にブリコルールである。
彼らの世界は資源的には閉じられた世界である。「ありもの」しか使えない。
通販で取り寄せたり、コンビニで買い足したりすることができない。
それゆえ、ブリコルールたちは「道具」の汎用性、それが蔵している潜在可能性につよい関心がある。
レヴィ=ストロースはこう書いている。
「彼の道具的世界は閉じられている。そして、ゲームの規則は『手持ちの手段』でなんとかやりくりするということである。すなわち、ある限定された時点で手元にある道具と資材だけで、ということである。加えてこれらはまったく雑多なものである。というのは、これらの道具と資材はいずれもその時点での企図とは無関係に集められたものだからである。というより、そもそもいかなる特定の企図とも無縁なのである。それらはストックを更新したり、増やしたり、あるいは何かを作ったり壊したりしたときの残滓でストックを補充したりする機会があるごとに無計画に収集された結果である。ブリコルールの持ち物は何らかの計画によっては定められたものではない。(・・・)それは道具性(instrumentalié)に基づいて定められるのである。ブリコルールたちの口ぶりを真似て言えば、彼らの道具や資材は『こんなものでも何かの役に立つことがあるかもしれない』(Ça peut toujours servir)の原理に基づいて収集され保存されているのである。」(Claude Lévi-Strauss, La Pensée sauvage, Plon, 1962, p.31)
私は大学院生のころにこの文章を始めて読んだ。
そして、どうしてレヴィ=ストロースが「こんな話」をその圧倒的な破壊力をもった理論書の冒頭に置いたのか、さっぱり意味がわからなかった。(『野生の思考』は戦後15年間、フランスのみならず世界の知的世界に君臨していた“帝王”サルトルの実存主義を一発で「破壊」した恐るべき書物だったからである)。
そして、30年間ずっとブリコラージュのことを考えてきた。
そして、ブリコルールたちは「先駆的な知」のたいせつさを教えているのではないかと思うに至ったのである。
ジャングルを歩いていると目の前にさまざまな「モノ」が出現してくる。植物であったり、動物であったり、無機物であったり、有機物であったり、人工のモノであったり、自然物であったり。その中のあるものを前にしたときにブリコルールは立ち止まる。そして、「こんなものでも何かの役に立つかもしれない」と言って、ほいと合切袋に放り込む。
なぜ、それがわかるのか。
ジャングルの中には「とりあえずその用途や実用性がわからないもの」がそれこそ無数にあったはずである。
どうして「今はその用途や意義が知れぬ」無数のオブジェの中から、とりわけ「それ」が彼の関心を惹きつけたのか。
私は彼がそうやって拾い上げた「モノ」はそれからあとのある時点で、必ず彼にとって死活的に重要な役割を果たし、「ああ、これをあのとき拾っておいてよかった」と嘆息をつく、という場面があったのだろうと思う。
そういう経験の繰り返しを通じてしか、「とりあえずその用途や実用性がわからないもの」の用途と実用性を先駆的に察知する能力は涵養されないであろう。
「どうふるまってよいか」を指示するマニュアルがない状況でも、「どうふるまえばいいか」を先駆的に知ることはできる。
できなければ生き延びることはできない。
いきなり大地震に遭遇するとか、ハイジャックに遭うとか、ゴジラの来襲に逃げまどうというような状況については「こういうときはこうふるまいなさい」という指示は存在しない。
真に危機的な状況というのは、「どうふるまっていいか」についての実定的な指針が示されない状況のことである。
けれども、それを生き延びなければならない。
そのためには、「清水の舞台から飛び降りる」ような決断をしなければならないのだが、あんなところからむやみやたらに飛び降りたらもちろん首の骨を折って死んでしまう。
「清水の舞台から飛び降りる」ことができるためには、「セーフティネットが張ってある場所」めざして飛び降りることができなければならない。
もちろん、舞台の上からはセーフティネットは見えない。
見えないけれど、見当をつけて「このへん」と飛び降りることのできる人間だけが、生き延びることができる。
針の穴ほどの生き延びるチャンスを「先駆的に知っている」ことがどれほど死活的であるか、私たちはあまりに豊かで安全な社会に暮らしているために、すっかり忘れてしまっている。
けれども、そのような能力はたしかに私たち全員に潜在している。それを開発する努力をしているかいないか、開発のためのメソッドを知っているかいないか、その違いがあるだけである。
私たちの時代の子どもたちが学ぶ力を失っているのは、彼らの「先駆的に知る力」が破壊され尽くしたからである。
「学び」は、それを学ぶことの意味や実用性について何も知らない状態で、それにもかかわらず「これを学ぶことが、いずれ私が生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろう」と先駆的に確信することから始まる。
学び始める前の段階で、学び終えたときに得られる知識や技術やそれがもたらす利得についての一覧的な情報開示を要求する子どもたち(「それを勉強すると、どんないいことがあるんですか?」と訊く「賢い消費者」的な子どもたち)は、「先駆的な知」というものがあることを知らない。
彼らは「計画に基づいて」学ぶことを求めている。
自分が実現すべき目的のために有用な知識や情報だけを獲得し、それとは関係のないものには見向きもしない。
おそらく本人はきわめて効率の良い、費用対効果の高い学び方をしていると思っているのだろう。
だが、あらかじめ下絵を描いた計画に基づいて学ぼうとするものは、「先駆的に知る」力を自分自身の手で殺していることに気づいていない。
「先駆的に知る力」とはまさしく「生きる力」のことである。それを殺すことは緩慢な自殺に他ならない。
武道は「先駆的な知」の開発に特化したメソッドである。私たちはそれを「気の感応」とか「気の錬磨」というふうに呼んでいるのである。
というような話を二日後に、広島での講演会で、広島県の国語の先生たちを相手にお話しする。
武道の稽古をしながら同じネタで本を書き、講演もする。
同一資材の使い回しである。「ありもの」で何でもやる。
ブリコルールの心得である。

2009.08.20

マニフェスト

総選挙の公示があり、選挙カーが走り回り始めた。
去年の秋にほんとうは選挙があるはずで、候補者たちはそれからずっと選挙運動をしているわけだから、資金的にも体力的にも、もう限界なのであろう。
攻める民主にも守る自民にも、何かを成し遂げようという勢いがない。
党首以下同じことを呪文のように繰り返すだけ。
知的パフォーマンスが底なしに劣化しているという感じがするのは、あまりに長く続いた選挙運動に疲れすぎて、頭が回らなくなってしまったせいなのかも知れない。
世間は政権交代で多少は盛り上がっているが、私にはなんとなく「史上もっとも頭の悪い選挙」という印象がする。
選挙運動自体が21世紀のあるべき国家像とそれに向かう道筋を示し、それに向けての国民的合意を形成してゆくというものではまるでなく、ひたすらおたがいの政策のどうでもいいような瑕疵をあげつらうだけ。
これでは、やればやるほど、人品骨柄の悪さと志の低さばかりが目立つ。
たまたま自民党のマニフェストを家人から手渡されたのでそれを読む。
それを持っていると何か忌まわしいことが起こる「呪われた紙片」でもあるように、「はい、あげる」と私に押しつけて走り去ってしまった。
ぱらりとめくって読む。
こ、これは凄い。
蓋し名文と言うべきであろう。
「戦後の日本を、世界有数の大国に育てた自負があります。しかし、その手法がこの国の負の現状をつくってしまったことも、近年の行き過ぎた市場原理主義とは決別すべきことも自覚しています。
これからは、『国をメンテナンスしていく』時代。現実を正しく変えるのは、現実を直視するリアルな政治。
改める。これが自民党の決意です。」
なるほど、マニフェストがなかなかできあがって来なかった理由もわかる。

これは彫心鏤骨の名文だからである。
これを起草するためにどれほど細心の注意が払われたか、行間から窺える。
主語がないのである。
最初の文を見よ。
「戦後の日本を、世界有数の大国に育てた自負があります」
この主語は当然「自民党は」でなければならない。
しかし、それを書くと、次の文の「その手法」は「自民党の手法が」と解されるおそれがある(当たり前だが)。
しかし、「自民党の手法がこの国の負の現状をつくってしまった」とは書けない(書けよ)。
それゆえ、「負の現状」の有責性は「その手法」という、誰のものとも知れぬ、非人称的、抽象的なものに帰されることになる。
同じ操作は次の文でも行われる。
「近年の行き過ぎた市場原理主義とは決別すべきことも自覚しています」。
ここでも当然のように主語が言い落とされている。
「近年の行き過ぎた市場原理主義」はあたかも一個の生物のように、勝手に日本に入り込んできて、さんざん悪さをして、当の自民党もそれにはたいへん迷惑をしているのだと言わんばかりである。
事態の有責性は「市場原理主義」という抽象概念に帰される。
もちろん、この世に「私が市場原理主義です」などと名乗って出る人間はひとりもいないので、「主義」を有責主体に名指すということは、現実的には誰の有責性も追究しないということを意味している。
そして、念の入ったことに、この邪悪なる「市場原理主義」との決別の喫緊であることは「自覚」という動詞によって受け止められている。
先の文の動詞は「自負」であり、今回は「自覚」である。
どちらも「自ら・・・する」を意味する。
このような動詞のことを文法的には「再帰動詞」という。
主語を示すことができない(する必要がない)ときに、再帰動詞は用いられる。
「自負」というのは、「誰からの負託がなくても、誰からも信認されなくても、私は私に負託し、私を信認する」ということである。
「自覚」というのは、「誰に教えられなくても、誰に示されなくても、私は自分で自分に進むべき道を指し示すことができる」ということである。
ものごとを「決める」主体がないままに、ものごとは「決まって」ゆく。誰がそれをなしたかが問われぬままに、既成事実が積み重なってゆく。
「空気」だけが場を主宰しており、行動の主体が明示されない。
このような風儀をかつて丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」において剔抉してみせた。
東京裁判で、日独伊三国軍事同盟についての賛否の態度を問われたとき、木戸幸一元内大臣も、東郷茂徳元外相も口を揃えて、「私個人としては、この同盟には反対でありました。」「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事にはなり行きがあります」と答えた。
けれども、彼らはその「個人的意見」を物質化するための努力は何もしなかった。
大日本帝国最高首脳たちのあまりの無責任ぶりに苛立った検察官は小磯国昭元首相に対して、意地の悪い質問を向けた。
「あなたは1931年昭和6年の三月事件に反対し、あなたはまた満州事件の勃発を阻止しようとし、またさらにあなたは中国における日本の冒険に反対し、さらにあなたは三国同盟にも反対し、またあなたは米国に対する戦争に突入することに反対を表し、さらにあなたが首相であったときにシナ事件の解決に努めた。(・・・)すべてにおいてあなたの努力は見事に粉砕されて、かつあなたの思想及びあなたの希望が実現されることをはばまれてしまったということを述べておりますけれども、もしもあなたはほんとうに良心的にこれらの事件、これらの政策というものに不同意であり、そして実際にこれらに対して反対をしておったならば、なぜあなたは次から次へと政府部内において重要な地位を占めることをあなた自身が受け入れ、そうして(・・・)自分では一生懸命反対したと言っておられるところの、これらの非常に重要な事項の指導者の一人とみずからなってしまったのでしょうか。」
小磯はこう答えた。
「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります。」
「個人的意見」より「も国策」は上位次元にある。
だから原理的に「国策の決定」は個人とは無縁の出来事なのである。
どのような政策を採用しようと、それが「いやしくも国策」であるとされる限り、政治家には「努力する」以外に何の選択肢もない。
だから、その国策がどれほどの災厄を国にもたらしたとしても、政治家個人には何の責任もない。
東京裁判のときの戦犯たちのエクスキューズはほとんどそのままのかたちで今日のマニフェストに繰り返されている。
裁判記録の引用のあと、丸山はこう結論している。
「ここで『現実』というものは常に作り出されつつあるもの或は作り出されて行くものと考えられないで、作り出されしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこからか起って来たものと考えられていることである。『現実的』に行動するということは、だから、過去への繋縛のなかに生きているということになる。」(丸山眞男、『現代政治の思想と行動』、未來社、2006年、109頁)
丸山が60年前に記したこの言葉はそのまま「現代政治」に適用することができる。
わがマニフェストに横溢する「主語の欠落」は、単に「自民党的なもの」を超えて、この国の政治風土の本質的なものを指し示している。
どのような政治的過失についても反省の弁を口にせず、すべての失態を他責的な言葉で説明し、誰に信認されなくても自分で自分を信認すれば足りる。
そういうわが風土病的欲望が行間から露出している。
わずか数行でそれを開示しえた力業を私は「蓋し名文」と呼んだのである。
病は深い。

2009.08.21

こ、声が

仮歯を修正して、下歯列の覆いを縮小する。
おお、しゃべれる。
(だいたい)私の声だ!
「た」と「す」の音がうまく出なくて、「ウチダです」と言おうと思うと、「うちられしゅ」になってしまったのであるが、「うちだでふゅ」くらいに戻した。
わが声にあまりに違和感があるので、アイデンティティを安定的に保つために「私は生まれてからずっとこういう声」と自己暗示にかけることにした(私はこういう環境順応能力がたいへん高いのである)。ところが夏休みのせいで、外に出て人と会うことがないので、自分の声に慣れる時間がない。
困ったものだと思っていたのだが、歯茎を覆うプラスチックの面積を少し狭くしただけで声がだいたいもとに戻った。
人間の身体というのはまことに精妙なつくりになっている。
日曜日には成瀬さんとの対談の仕事があり、この声で人前でしゃべるのは気が重いなと思っていたのである。
やれやれ。
インプラント技術は日進月歩で、歯槽骨の再生技術もずいぶん進んでいる。
先日読んだ新聞には、マウスの歯槽骨を再生したら、新しい歯が生えてきたという記事が出ていた。いずれ人間の歯槽骨を再生して、自前の歯を新しく生やす医療技術に結実するのかもしれない。
『コッポラの胡蝶の夢』という映画がある。ティム・ロスが70歳のときに雷に打たれて、どんどん若返るという話(『ベンジャミン・バトン』と同じネタ)である。
その中で、ぼろぼろになった老人の歯が抜けて、下から新しい歯がぐいぐいと生えてくる場面があった。
映画をみながら、しみじみ「羨ましいなあ」と思ったが、そういうことをちゃんと研究している人がいるのだ。

2009.08.24

ミネソタから北浜へ

土曜日は早起きして原稿書き。それから合気道のお稽古。
ヤベとおいちゃんのヘンリ・シブリー高校時代の教え子のマックスくんが、南山大学に留学生として来日して、さっそく旧師を訊ねて、ついでに合気道のお稽古に来る(ヤベとおいちゃんはミネソタの高校で日本語だけではなく、合気道も教えていたのである)。
彼の地の高校生たちは6年二代にわたる自分たちの日本語の先生がどちらも合気道の有段者であったことから「日本人はみな合気道をするものだ」という誤った日本観を扶植されたのではないかと心配である(別にそう思われても私は少しも困らないが)。
だいぶ以前、ヘンリー・シブリー高校に赴任することになったときに、ヤベくんが「今度ミネソタの高校に行きます」と挨拶に来たことがあった。
「ふうん、ミネソタね・・・あのさ、ミネソタって、いうとやっぱ卵?」と言うと、ヤベがにわかに顔をこわばらせて、「どうして先生くらいの年齢の人たちって、『ミネソタ』という州名を言うと、自動的に『卵』の話を始めるんですか?」と反問してきた。
これはすまぬことをした。
若いヤベくんにはわかるまいが、われわれ1950年前後生まれのものが幼児期にラジオで聴いた音楽のうちにはトラウマ的に深くわれわれ記憶に刻み込まれたものがある。
「死んだはずだよお富さん」とか「ウーシュクダラ、ヒンデリカ、アダラミーヤンムー」とか、いろいろね。
その中に「ココココ、コケッコー、わたしはミネソタの卵売り」という印象深いフレーズがあった。
暁テル子さんという人が歌っていた。
この忘れがたいフレーズの作曲者は渡久地政信(おや、「お富さん」と一緒だ)。
あるいは、われわれの世代にとって渡久地政信というのはリーバー&ストーラー「みたいなもの」だったのかもしれない。
それはさておき。
「ミネソタの卵売り」は1951年2月発売であるから、ラジオで頻繁にかかっていたのは、おそらく私が二三歳くらいの頃のことではなかったかと思う。
「ココココ、コケッコ」というフレーズが子どもの耳にはたいへん覚えやすかったのであろう。
ともかくウシュクダラとミネソタは私が生まれて最初に覚えた地名だったのである。
そのインパクトは半世紀を閲しても変わることはない。
おそらくこれまでミネソタ州を訪れた1950年生まれ以上の人の多くは、レストランでふと「卵料理」のメニューを探した経験をお持ちなのではあるまいか。
私ならきっとオムレツかなんか頼んで、「うむさすがミネソタの卵は美味いわ」とひとりごちたような気がする。
そんなミネソタからやってきたマックスくんはさすがヤベおいちゃんの薫陶よろしきを得ただけあって、まことにフレンドリーな少年であった。
家に戻って原稿書きの続き。それから朝日カルチャーセンターで守伸二郎さん、高橋佳三さん、平尾剛さんと四人で「監督術」のトークセッション。
これは前にやった対談シリーズ「武術的立場」のスピンオフ企画で、三人のゲストをまとめてお招きして(といっても私がお招きするわけではなく、朝日新聞社がお招きくださるのであるが)、ようようおひさしぶりと久闊を叙す「帰ってきた武術的立場な男たち」シリーズの第二弾なのである。
4人で90分だから、一人のノルマは20分ちょっとである。
他の人が長く話してくれれば、それだけ自分のノルマは減る(でもギャラは同額)。
当然、全員ができるだけ他の人に長く話させようとする。
そのためには、聴く側は目をきらきらさせて、「うんうん」と激しく頷き、全身で「おっもしろい~」的リアクションをするのがもっとも効果的である。
だから、誰か一人が話し始めると、あとの三人は「うんうんそうそう」と激しくうなずき、「わははは~」と受けまくるようになる。
テレビの討論番組と逆の構造である。
不思議なもので、みんながお互いに受けまくっていたら、あっというまに終わってしまった。
それからいつものように北新地でプチ打ち上げ。
みなさんまた来年ね~。
山下さん、守さん、おうどんいつもありがとうございました。
日曜日も朝から原稿書き。
『日本辺境論』、初稿を書き終わる。
16万字。これでは新書にならない(厚すぎて)。
13万字くらいまで削らないといけない。ただちにまた頭から書き直しを始める。
しかし、一応全体の構成が完成しているので、書き直しの作業は楽である。
話がくどいところ、繰り返しやわかりにくいたとえ話(というのが多いのだ)を削るだけである。
午後、芦屋のイタリアンレストランで、成瀬雅春先生の出版記念パーティにゲスト参加。
成瀬先生と対談するのは春に「秘伝」のためにロング対談をしたので、これで4回目である。
先生手作りの数珠をいただく。108の珠のひとつひとつに成瀬先生のマントラが仕込んであるので、たいへん御利益がありそうである。
対談を終えて、ばたばたと北浜へ。
今度は、大倉流小鼓の久田舜一郎先生の松月会の打ち上げにゲスト参加。
久田先生は結婚式で月下氷人の労をとっていただいたので、お礼のご挨拶かたがた同門のみなさまにお礼を申し上げる。
そのまま二次会でミナミに拉致され、意識朦朧となるまで飲む。
それでも無事に家に戻れたところをみると、成瀬先生の数珠の効果が早速出たようである。

2009.08.28

クレーマー親との戦い

月曜は大学で会議。
入試制度の定員についての議論。
現在の制度は、できるだけ入試制度の種類を増やして、多様なタイプの志願者を受け容れるという「生物学的多様性」理論と、できるだけ入試回数を増やして、志願者数を確保するという「地引き網」理論のアマルガムである。
前者は教授会の支持を、後者は理事会の指示をとりつけるため説明である。
どちらも掬すべき説明ではあるが、やはり入試制度はもう少しシンプルな方がいい。
ひとつは入試のフェアネスを担保するためである。
制度ごとに難易度が違い、中には学力のかなり低い志願者をスクリーニングできない制度がある。あまり学力が低い学生は入学後の授業についていけないし、「あんな子でも受かるの?」ということが口コミで伝わると大学のブランドイメージにかかわる。
ひとつは入試業務の負荷が過重になると、教職員の日常業務に支障が出るからである。
現在本学にはAO、クローバー、公募推薦、指定校推薦、特別指定校推薦、一般A日程、B日程、C日程、D日程、後期、センター利用と11種類の入試がある(加えて1月にはセンター入試もある)。
作問、印刷、校正、点検、書類選考、面接、入試、採点、答案管理、合否判定・・・とそのひとつひとつに付帯する業務もかなりな量に及ぶ。
20年前に本学に赴任したころは、秋に推薦入試、春先に一般入試と二回しか入試がなかった。入試業務が忙しいというようなことはありえなかった。
だいたい、入試業務そのものが教務部長の管轄だったのである。
とにかく入試制度が多すぎて、どの制度がどういう試験を行うのか専任の教職員でも言えないくらいである。
これはよろしくない。
というので入試部長権限で、制度を一気にスリム化してしまおうと企てているのであるが、こういうものは一回始めると惰性がついてなかなか変えられない。
「これはちょっとまずいなあ・・・」と思っても、「朝令暮改」的な制度変更は大学のアドミッション・ポリシーがいかにも腰が決まっていないように見えるし、高校サイドからもクレームがつく。
むずかしいものである。
でも、退職前の置きみやげに入試制度の簡素化の布石は打っておきたい。
火曜日、水曜日は甲南麻雀連盟浜松支部主宰の恒例「城崎温泉ツァー」にかんきちくんとともに参加。
スーさんは前夜三宮で大学院聴講生グループ(ナガミツ、シャドー影浦、かんきち)とヒラオくんで痛飲したそうで、ぼろぼろの二日酔いで登場。オノちゃん、ヨッシー、シンムラくん、それに新人のオータくんが長駆浜松から。オーツボくん、ヤイリくんはお休み。
いつものように出石でおそばを食べて、城崎へ。
荷物を置いて「御所の湯」へ。
宿にもどってさっそく麻雀。
本部の例会は6月を最後に開催されていないのであるが、総長だけは8月に2回も温泉麻雀を楽しんで会員諸君には申し訳ないことである。でもね、ほんとに忙しいのよ。
4戦1勝(3回3着)でプラ6(とほほ)。
ここ1番の勝負どころというのが半荘終盤に必ず1回はあって、それを制すれば僅差でトップという局面で、いつも引きが弱い。
しかし、一時の「ドツボ」状態からは脱したようである。
ご飯を食べながら、教育現場からの貴重なご報告を伺う。
クレーマー親の驚くべき事例について生々しい話を聞く。
ほとんど極道の「追い込み」と変わらないような陰湿で粘着的な手口で教師を追い詰めてゆく。
あまりに態度が悪くて、ついに恐喝と威力業務妨害が適用されて警察に逮捕されてしまった親さえいるそうである。
別にやくざでもなんでもない一般市民が教師相手になると、極道まがいのロジックを駆使することをためらわないというのはどういうことであろう。
私も教務部長のときにずいぶんクレーマー親の相手をしたけれど、この諸君の「因縁のつけ方」というのはある種の洗練に達していた。
極道と同じで、わずかな瑕疵をみつけて、そこについての事実認知と謝罪を要求する。それに応じると、後はそれを足がかりにして、どんどんと要求を吊り上げてゆく。そして、こちらが応じられないというと、「あんた、さっき謝ったでしょう。大学に非があると言ったでしょう」と目を三角にして怒り出す・・・
困ったことに極道は「悪いことをしている」という自覚があるが、クレーマー親にはその自覚がないことである。彼らは大学という官僚的で非人間的な機構の横暴に対して、徒手空拳で正義の実現を求めている「受難者」という立場を空想的に先取りしている。
だから、まるでネゴシエーションにならない。
だからこちらの対応がだんだんフレンドリーでなくなってゆくのもやむを得ないのである。
まず自分は「システムの被害者」であるという名乗りから社会関係を説明しようとする一般的傾向を何とか食い止めないと、この社会はますます住みにくくなる。
そのためにはまずメディアが「被害者目線」であらゆる問題を論じる態度を改めるべきであろうと思う。ほんとに。
舞鶴道までごいっしょして、神戸でお別れ。
家に戻って昼寝をしてから、原稿書き。
『日本辺境論』の書き直し作業。1万字ほど削る。
あと1万字削れば終わり。それでも14万字ある。
『日本辺境論』は自分でいうのもなんだけれど、たいへん面白い。
日本人の宗教性も、組織原理も、政策決定も、文学も、すべては「辺境」の、それも「辺境の言語構造」に由来するという荒唐無稽の奇論怪説なのであるが、書いている本人が読み直して「そんな話があるかい・・・・う、でも、ほんとにそうかも」と説得されてしまうくらいに筋が通っているのである。
これはぜひ買って読んでいただかねば。

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