オープンキャンパス二日目

2009-08-03 lundi

オープンキャンパス二日目も大雨警報だったけれど、昼前に晴れ上がる。
順調に来訪者が岡田山に登ってきて、夕方の集計では両日ともに1000名を超えたそうである。
かなりよい数字である。
案内係をしてくれた学生ボランティアの諸君の活躍ぶりが目立った。
彼女たちは前期のはじめに応募してきた中から選考されて、研修を受けて参加している。
実際には働いている学生よりもはるかに多くの数の学生たちがボランティアを希望していたのである(落としてごめんね)。
この大学をそれだけ学生たちから愛されているということである。
その志を多としなければならない。
そのあいまに取材とインタビュー。
取材は新聞からで、総選挙の話。
総選挙については別に話すこともたいしてないので、全部断っていたのであるが、近場の新聞社だったし、オープンキャンパスのあいまで私はわりと暇にしていたので、引き受ける。
残り期間内に大きなスキャンダルがなければ、民主党の地滑り的勝利になるであろうと予告。
自民党が勝ったら「何も変わらない」ということはわかっている。
民主党が勝ったら、「何かが変わる」(悪く変わるかもしれないが)。
とりあえず政局は面白くなる。
前回下野した自民党が何をしたかみなさんまだ覚えておられるだろう。
自民党は1992年の参院選挙で社会党に大敗し、参院での過半数を失った。翌93年、武村正義らが離党して「新党さきがけ」を結成。続いて、羽田派44名が集団離党して、新生党を結成。夏の総選挙で衆院の単独過半数を失ってさらに加藤紘一ら五月雨的に離党者が相次ぎ、8月に非自民・非共産の連立政権細川護煕内閣が発足して、結党以来はじめて野党となった。
けれども、在野わずか10ヶ月、自民党は翌94年6月には社会党・さきがけと村山富市をかついで連立政権を作って政権に復帰したのであった。
社会党委員長であった村山富市という人が国対畑に長く、綱領に固執しない調整型の政治家であることを見切って、「社会党党首を首班とする政権」構想という奇手を打ってきた当時の自民党総裁河野洋平の状況判断はなかなかのものである。
95 年には1月に阪神大震災があり、3月にオウム真理教地下鉄サリン事件があり、その混乱の中で村山内閣は崩壊するのだが、この時期の政局は波乱があって先が読めず、まことに興味深いものであった。
今度自民党が下野したら、「こういうこと」がまたあるのかしらと思うとついわくわくする。
民主党政権にはあまり期待していない(だから施策があまりぱっとしなくても、失望もしないと思う)が、下野した自民党がどんな巻き返し戦略を練って来るかにはかなり期待している。
いちばん現実的なのが民主党との「大連立」による政権復帰である。
これはせっかく政権をとった民主党の議員たちが猛反対するだろうが、自民党側が示す譲歩によってはありうる選択である。
衆参両院にまたがる「大連立・挙国一致内閣」ができる。
ほとんど大政翼賛会状態であるが、経済危機や、あるいは北朝鮮がらみの外交危機に際会した場合に「挙国一致」の喫緊であることを言い出す人間は必ず出てくる(ナベツネばかりではない)。財界はそれをつよく望むはずである。
だから、大連立の可能性は「危機次第」である。
政権運営上の党内不一致で民主党が分裂して(綱領的に整合性のない政党であるから、可能性は高い)、自民党出身者たち(小沢、鳩山、岡田)が自民党と「保守合同」する可能性もある。
保守合同の残りの勢力、つまり民主党内の旧社会党・旧民主党と社民党が「日本社会党・サクセション」を結党する。
これに共産党が是々非々で政策協力して、新55年体制誕生。
私はこれが日本人にはいちばん合っているのではないかと思う。
私の少年期はそのままこの55年体制に重なり合っているが、「どろどろ無原則の生活者政党」と「綱領的で倫理的に気負った社会主義政党」が6対4くらいの比率で拮抗しているのが、いちばんいい「湯加減」ではないかと私は思っている。
共感してくれる人はきわめて少ないけど。
というわけで、09年総選挙での民主党大勝のあとに10年なかばに「大連立による大政翼賛体制」か「保守合同による新55年体制」か、どちらかが現実味を帯びる可能性がけっこう高いのではないかと私は予見している。
こういう予言は当たってもはずれても、言っておくほうが楽しいので、ここに明らかにするのである。

取材のあとはケアの専門家たち(みなさんナースでかつ研究者というバランスのよい女性たちである)四人から「医療(とくに精神医療の)現場で身体感受性をどう涵養するか」という実践的問題についてヒアリングを受ける。
私は現場で生身の人間を相手に仕事をしている人の話を聞くのが大好きなので、むしろこちらの方からあれこれと質問をして、現場のようすをお聞きする。
意外なことに、看護医療の現場には私の読者が少なくない。
たぶん日本で最初に「インフォームド・コンセントは日本の医療風土に合わない」ということと「EBMは医療における医療者の身体感受性を損なうから止めた方がいい」ということを言った人間だからである。
現場のみなさんも実はそう思っていたのであるが、口には出せなかったのである。そのお気持ちをたまたま私が代弁したようなかたちになり、以来医療看護系の学会から講演依頼や学会誌への寄稿依頼が続いているのである。
今回のケア論では、とにかく身体感受性の涵養のためには「低刺激環境が必要である」というのが結論で、実践的には精神医療拠点を石垣島(バリ島でもいいが)に移すということについて全体で意思一致を見た。
人間、ほっこりと浜辺でくつろぎ、潮風になぶられつつ、椰子の木陰でピニャコラーダを飲みながら同時に厭世的になるというような器用なことはできないものである。
精神科の診療機関を都会の高層ビルなどに開設するのは医療的には無意味というか有害というべきであろうと申し上げる(大学もそうだけど)。

終わってからソッコーで家に帰り、掃除をして、ご飯を作る。
今年卒業した諸君がぞろぞろと 10 人ほど遊びに来る。
就職してようやく4ヶ月。その新鮮な驚きのレポートを拝聴。
わいわい騒いでいるうちに、シャンペン5本、赤1本をたちまち飲み尽くす。
月曜から「死のロード」が始まる。
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