マニフェスト

2009-08-20 jeudi

総選挙の公示があり、選挙カーが走り回り始めた。
去年の秋にほんとうは選挙があるはずで、候補者たちはそれからずっと選挙運動をしているわけだから、資金的にも体力的にも、もう限界なのであろう。
攻める民主にも守る自民にも、何かを成し遂げようという勢いがない。
党首以下同じことを呪文のように繰り返すだけ。
知的パフォーマンスが底なしに劣化しているという感じがするのは、あまりに長く続いた選挙運動に疲れすぎて、頭が回らなくなってしまったせいなのかも知れない。
世間は政権交代で多少は盛り上がっているが、私にはなんとなく「史上もっとも頭の悪い選挙」という印象がする。
選挙運動自体が21世紀のあるべき国家像とそれに向かう道筋を示し、それに向けての国民的合意を形成してゆくというものではまるでなく、ひたすらおたがいの政策のどうでもいいような瑕疵をあげつらうだけ。
これでは、やればやるほど、人品骨柄の悪さと志の低さばかりが目立つ。
たまたま自民党のマニフェストを家人から手渡されたのでそれを読む。
それを持っていると何か忌まわしいことが起こる「呪われた紙片」でもあるように、「はい、あげる」と私に押しつけて走り去ってしまった。
ぱらりとめくって読む。
こ、これは凄い。
蓋し名文と言うべきであろう。

「戦後の日本を、世界有数の大国に育てた自負があります。しかし、その手法がこの国の負の現状をつくってしまったことも、近年の行き過ぎた市場原理主義とは決別すべきことも自覚しています。
これからは、『国をメンテナンスしていく』時代。現実を正しく変えるのは、現実を直視するリアルな政治。
改める。これが自民党の決意です。」

なるほど、マニフェストがなかなかできあがって来なかった理由もわかる。
これは彫心鏤骨の名文だからである。
これを起草するためにどれほど細心の注意が払われたか、行間から窺える。
主語がないのである。
最初の文を見よ。

「戦後の日本を、世界有数の大国に育てた自負があります」

この主語は当然「自民党は」でなければならない。
しかし、それを書くと、次の文の「その手法」は「自民党の手法が」と解されるおそれがある(当たり前だが)。
しかし、「自民党の手法がこの国の負の現状をつくってしまった」とは書けない(書けよ)。
それゆえ、「負の現状」の有責性は「その手法」という、誰のものとも知れぬ、非人称的、抽象的なものに帰されることになる。
同じ操作は次の文でも行われる。

「近年の行き過ぎた市場原理主義とは決別すべきことも自覚しています」。

ここでも当然のように主語が言い落とされている。
「近年の行き過ぎた市場原理主義」はあたかも一個の生物のように、勝手に日本に入り込んできて、さんざん悪さをして、当の自民党もそれにはたいへん迷惑をしているのだと言わんばかりである。
事態の有責性は「市場原理主義」という抽象概念に帰される。
もちろん、この世に「私が市場原理主義です」などと名乗って出る人間はひとりもいないので、「主義」を有責主体に名指すということは、現実的には誰の有責性も追究しないということを意味している。
そして、念の入ったことに、この邪悪なる「市場原理主義」との決別の喫緊であることは「自覚」という動詞によって受け止められている。
先の文の動詞は「自負」であり、今回は「自覚」である。
どちらも「自ら・・・する」を意味する。
このような動詞のことを文法的には「再帰動詞」という。
主語を示すことができない(する必要がない)ときに、再帰動詞は用いられる。
「自負」というのは、「誰からの負託がなくても、誰からも信認されなくても、私は私に負託し、私を信認する」ということである。
「自覚」というのは、「誰に教えられなくても、誰に示されなくても、私は自分で自分に進むべき道を指し示すことができる」ということである。
ものごとを「決める」主体がないままに、ものごとは「決まって」ゆく。誰がそれをなしたかが問われぬままに、既成事実が積み重なってゆく。
「空気」だけが場を主宰しており、行動の主体が明示されない。
このような風儀をかつて丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」において剔抉してみせた。
東京裁判で、日独伊三国軍事同盟についての賛否の態度を問われたとき、木戸幸一元内大臣も、東郷茂徳元外相も口を揃えて、「私個人としては、この同盟には反対でありました。」「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事にはなり行きがあります」と答えた。
けれども、彼らはその「個人的意見」を物質化するための努力は何もしなかった。
大日本帝国最高首脳たちのあまりの無責任ぶりに苛立った検察官は小磯国昭元首相に対して、意地の悪い質問を向けた。

「あなたは 1931 年昭和6年の三月事件に反対し、あなたはまた満州事件の勃発を阻止しようとし、またさらにあなたは中国における日本の冒険に反対し、さらにあなたは三国同盟にも反対し、またあなたは米国に対する戦争に突入することに反対を表し、さらにあなたが首相であったときにシナ事件の解決に努めた。(…) すべてにおいてあなたの努力は見事に粉砕されて、かつあなたの思想及びあなたの希望が実現されることをはばまれてしまったということを述べておりますけれども、もしもあなたはほんとうに良心的にこれらの事件、これらの政策というものに不同意であり、そして実際にこれらに対して反対をしておったならば、なぜあなたは次から次へと政府部内において重要な地位を占めることをあなた自身が受け入れ、そうして(…) 自分では一生懸命反対したと言っておられるところの、これらの非常に重要な事項の指導者の一人とみずからなってしまったのでしょうか。」

小磯はこう答えた。

「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります。」

「個人的意見」より「も国策」は上位次元にある。
だから原理的に「国策の決定」は個人とは無縁の出来事なのである。
どのような政策を採用しようと、それが「いやしくも国策」であるとされる限り、政治家には「努力する」以外に何の選択肢もない。
だから、その国策がどれほどの災厄を国にもたらしたとしても、政治家個人には何の責任もない。
東京裁判のときの戦犯たちのエクスキューズはほとんどそのままのかたちで今日のマニフェストに繰り返されている。
裁判記録の引用のあと、丸山はこう結論している。

「ここで『現実』というものは常に作り出されつつあるもの或は作り出されて行くものと考えられないで、作り出されしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこからか起って来たものと考えられていることである。『現実的』に行動するということは、だから、過去への繋縛のなかに生きているということになる。」(丸山眞男、『現代政治の思想と行動』、未來社、2006年、109頁)

丸山が 60 年前に記したこの言葉はそのまま「現代政治」に適用することができる。
わがマニフェストに横溢する「主語の欠落」は、単に「自民党的なもの」を超えて、この国の政治風土の本質的なものを指し示している。
どのような政治的過失についても反省の弁を口にせず、すべての失態を他責的な言葉で説明し、誰に信認されなくても自分で自分を信認すれば足りる。
そういうわが風土病的欲望が行間から露出している。
わずか数行でそれを開示しえた力業を私は「蓋し名文」と呼んだのである。
病は深い。
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