祇園祭の京都は暑いです

2009-07-16 jeudi

IT秘書の薦めで携帯を機種変更して、HT-03Aを購入(発売後2日目)。
「Google携帯」である。
これで G-mail ができて、Google Calendar ができて、Google 検索ができる。
ということは私のパソコン用途のうち原稿作成以外の仕事は携帯でできるということである。
少し前にVAIOのちっこいのを買って、FOMAを繋いで、会議や授業のときに持ち込んでいたが、会議中に原稿を書くのでなければ、携帯でもう用が足りる。
とりあえずこれでパソコンが家に4コ(VAIOが3つとMac Air)、大学に1コ(Dynabook)、そしてモバイル。
買いすぎだという人もいるが、テクノロジーの進化は早く、ガジェット好きの私は我慢ということができないのである(同じくガジェット好きのニシダ先生が会議のときにめざとく見つけて「あ、いいなあ」と言うであろう。ぐふ)

京都新聞の取材。
「リーダーシップについて」
私は日本の集団には「リーダーシップ」などというものは要らないという説である。
というか、そもそもリーダーを育成するシステムを持っていない。
システムがないのだから、育ちようがない。
リーダーを制度的に育成するなら、社会を階層化するしかない。
上位階層の子どもたちに幼児期から集中的に「ノブレス・オブリージュ」という考え方を叩き込む。
そして、集団の利益をあまりに深く内面化させたために、公益と背馳する自己利益の追求ということそのものが「できない」体質の異常な個体を作り出す。
とりあえず、イギリスではそういうふうにやってきた。フランスでも、アメリカでも基本的には同じである。
「心の欲するところに従って矩を超えず」という言葉があるが、要するに「自分がしたい」ことと「国家がしたいこと」が合致するというのがその語の厳密な意味でのリーダーである。
だから、「私腹を肥やすリーダー」とか、「不人気なリーダー」とか、「反対者を代表できないリーダー」というのは、それ自体ですでに形容矛盾なのである。
日本ではせいぜい「滅私奉公」である。
しかし、滅ぼさないと生き延びようとじたばたするような「私」があるうちはリーダーとは言われない(松王丸にはなれるが)。
その代わりに、わが国では、「リーダー抜きでも機能する組織」を創り上げた。
公人たちがみんなで私利私欲・地域エゴ・省益・業界益を追求していても、それらが相殺し合って、「おとしどころ」がなんとなく見つかる・・・という世界に類例を見ないリファインされた制度を作り出した。
それでいいじゃないか、というのが私の考えである。
なにしろ総理大臣が次々と政権を放り出しても、別に誰も文句を言わないし、政府機能に特段の支障が出ないような国なのである。
政治的業績のほとんどない知事が総裁になりたいと言い出しても、政権与党が「まじめに検討」するくらいに「リーダーなんか誰でもいい」という了解は広くゆきわたっているのである。
そもそも今さらのように「どういうリーダーが望ましいのか?」という問いが成立するということ自体、私たちが「リーダー」というものについて一度もまじめに考えたことのない証拠である。
ふつうの組織人はせいぜい「どういう上司が望ましいか」以上のことを考えたことがない。
それでよろしいのではないかと私は思う。

取材を終えて、祇園祭の京都へ。
ホテルオークラで茂木健一郎さんの桑原武夫学芸賞の贈賞式があり、それに行ったのである(受賞作は「今、ここからすべての場所へ」、筑摩書房)。
「贈賞式」というのは聞き慣れない日本語であるが、誰かが「授賞式」というのは「偉そう」だというので自粛されたのかも知れない。
別に「授賞式」でいいと思うけど。
もう一人、平林敏彦さんが『戦中戦後 詩的時代の証言 1935-1955』(思潮社)で受賞(スピーチもたたずまいもスマートな方だった)。
知り合いが誰もいないだろうから、茂木さんにおめでとうと挨拶したら帰ろうと思っていたら、中央公論の井之上くんに会う。
そのまま二人で論壇のあれこれの噂話をする(なんと授賞式パーティにつきづきしい話題であろう)。
もちろんその内容はこのようなところで公開することのできぬものなのである。
この賞は潮出版社が出していて、私は『潮』に二度ほど書いたことがあるので、編集長の有田さんはじめ何人かの編集者からご挨拶をいただく。
京都大学情報学研究科の乾敏郎先生を茂木さんからご紹介いただく。
さっそく脳の話。
その朝、ディスレクシアのことを『日本辺境論』に縷々書いていた。どうして、日本人には難読症の症例が少ないのかについて、私の「マンガ脳」仮説をお話しして、脳科学の専門家はどうお考えになるか訊ねてみる。
なんだかやたらに面白い話となり、そのまま閉会時刻まで話し込んでしまう。
誘われてその乾先生と井之上くんと三人で二次会についてゆき、さらに話し続ける。
優秀な理系の人は私のような門外漢のデタラメ仮説を一蹴せずに、きちんと聞いてくれる。
おそらく、それだけ貪欲なのである。
二次会の席で茂木さんとようやく少しゆっくりお話できる。
明日も朝6時に東京へ向かうそうである。
どうしてこんなに忙しい日程でご機嫌に生きていられるのか、ほんとに不思議である。
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