この一週間もたいへんでした

2009-05-12 mardi

5月4日から更新していないので、備忘のためにその間のできごとを記しておく。
5月5日-6日。恒例の「美山町の小林家で山菜てんぷらを食べる会」。
今年も剣菱と impression のケーキをかかえてBMWを疾駆させて美山へ。
「1000円高速道路」のせいで、連休中は大渋滞という報道だったが、さいわい舞鶴道は例によってがらがら。2時間ほどで着く。
京都は寒い。
ストーブを焚いている。
小林家は京都在住のスギちゃんユキちゃんが帰省していて、4人全員お揃いである。
この一年間のできごとをご報告し、美山の林業農業の現状についてお話をうかがう。
そういえば私もこの春から農業を始めたのですということをお知らせする。
農業といっても、私は「不在地主」みたいなスポンサーにすぎない。
それでも、日本農業再建のためには行政をあてにせず、ひとりひとりが身銭を切るしかないと思っている。
とりあえず「自分の農地」ができたので、これからずっと美味しい野菜が食べられる。
日本の戦後農政が「国家百年の計」ということを考えずに、農地農作物をひたすら商品経済に飲み込まれるに任せたことのツケはずいぶん高いものについた。
世の中には「市場に委ねてはならないもの」が存在する。
教育はその一つであるが、農業もそうである。
宇沢弘文先生はこれを「社会的共通資本」(social overhead capital) と名づけた。
自然環境(大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、湿地帯、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力ガス)、制度資本(教育、医療、金融、司法、行政など)。
その定義はこうである。

「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。(…) 社会的共通資本は、たとえ私有ないし私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。(…) したがって、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。」(宇沢弘文、『社会的共通資本』、岩波新書、2000年、4-5頁)

宇沢理論の興味深い点は「専門家・職業人」を社会的共通資本の管理運営において政府や市場の上位に置いているところである。
この原則を宇沢は「フィデュシアリー (fiduciary) の原則」と呼ぶ。
Ficuciary とは「信用・信託」のことである。
社会的共通資本の管理者は市民に直接委託され、市民に対してのみ責任を負い、その利益だけを専一的に配慮するものでなければならない。
農業についても宇沢は紙数を割いているが、その中でいちばん重要な箇所だけ引用しておく。

「農の営みが、人類の歴史でおそらくもっとも重要な契機をつくってきた。将来もまた基幹的な地位を占めつづけることは間違いない。農の営みというとき、それは経済的、産業的範疇としての農業をはるかに超えて、すぐれて人間的、社会的、文化的、自然的な意味をもつ。農の営みは、人間が生きてゆくために不可欠な食糧を生産し、衣と住について、その基礎的な原材料を供給し、さらに、森林、河川、湖沼、土壌のなかに生存しつづける多用な生物種を守りつづけてきた。それは、農村という社会的な場を中心として、自然と人間との調和的な関わり方を可能にしてきた。どの社会をとってみても、その人口のある一定の割合が農村で生活しているということが、社会的安定性を維持するためにも不可欠なものとなっている。」(同書、67頁)

わが国の社会的安定性を保つために、行政にも市場にもメディアにも顧みられることのない場面で、静かにきびしい労働に耐えている人々がいる。
私たちが生きていられるのは、彼らの労働に恩沢に浴しているからである。
彼らに対して、あまりに感謝の気持ちを忘れてはいないであろうか。

6日には友人のミウラさんご一家が来る。
そのご令息は「森を歩く人」である。
森を歩いていると、自分の手で土を耕して、植物を育てたいというはげしい、おさえがたい要求を経験するのですという言葉が印象的であった。
こういう若者や彼らの「帰農」運動が今おそらく全国で同時多発的に生まれているようである。
メディアはあまり報じないけれど、私には「実感」としてわかる。
私自身が「ミーハー」だからである。
時代の「潮目の変化」に感応する感度で、私は人後に落ちない。
根っからのシティ派の私が「農業がたいせつだ」と言い出して自分で乗り出したくらいであるから、同じことを考えている人が日本全国に出現しつつあるはずである。

5月7日。大学で授業。
5月8日。大学で授業と会議。

5月9日-10日。恒例の広島での多田先生の講習会。
西日本の門人にとっては、たっぷり二日間多田先生のご指導を受けることのできる希有の機会である。
多田塾合宿よりも、こちらの方が先生とお話できる時間が長いのがありがたい(懇親会ではお隣に座り、朝ご飯も差し向かいで食べることができちゃうのである)。
そういう点ではほんとうに中身の濃い講習会である。
今年もたっぷりと多田先生のお話を伺うことができた。
広島県合気道連盟のみなさん、今年もお世話になりました。毎年ほんとうにありがとうございます。来年もどうぞよろしく。
綿のように疲れて帰宅。

5月10日下川先生のお稽古、授業と会議。あいまに原稿を4本送稿。
夜8時まで会議。
ぐったり疲れてTSUTAYAに寄る。
「ウチダタツル先生ですか?」といきなり店員に訊かれる。
そ、そうですけど。
どうして知っているの。
講演会においでになったことがあるそうである。
あまり面が割れていないはずなのだが、こういうことがあるので心臓にわるい。
借りていたのが『片腕マシンガール』と『ゾンビストリッパーズ』と『1408』と『アンドロメダ・ストレイン』である。
TSUTAYAのコンピュータを見れば、おそらく過去 10 年間にわたる私の借り出しリストが作成できるはずである。
どういう傾向の映画をみているか一目瞭然であるが、もちろん『映画秘宝』的セレクションなのである。
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