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2007年07月 アーカイブ

2007.07.02

プロジェクト佐分利信

「プロジェクト佐分利信」というものを発足させた。
過日、興福寺へ向かう道筋で、釈老師と懇談のおりに、ふと「おせっかいなおじさんネットワーク」を駆使して、出会いの機会のすくない若い(若くなくても可)男女を「見合い」させる活動に余生を捧げてはどうか、という話になったのである。
「佐分利信」というのはご案内のとおり、小津安二郎の『秋日和』や『彼岸花』で結婚式にモーニングで登場して、「うたた感慨に堪えぬのであります」というような定型的祝辞を、「地獄から響くような声で」述べる、あのおじさんである。
北竜二と中村伸郎ともども「わるいおじさん」三人組を組織して、若い女の子とみると「おい、ノリちゃん、いくつになったんだ。もうお嫁に行かなくちゃいかんよ。お母さんもご心配だ」というようなセクハラ的お節介の限りを尽くしていたのである。
まことによけいなお世話である。
この手のお節介が「女性の自立」を妨げるということで、フェミニストの十字砲火を浴び、マッチメーカーなおじさんおばさんが地を払ってすでに久しい。
しかし、「よけいなお世話」とはいいながら、世の中それほど「出会いの機会」があるわけではない。
当今では「合コン」というのがほとんど唯一のマッチメイキングであるが、これはマッチメイク的には邪道のものである。
というのは、ほんらいマッチメイクというのは、「ほうっておくと、なかなか自分では配偶者をみつける機会に出会えない」タイプの、「ノン・アクティヴ」な方がたを救済する措置だからである。
ところが、「合コン」というのはエロス的活動方面においてきわめてアクティヴな方が「総取り」することが許されるという、まるで趣旨が違う制度なのである。
合コンは繰り返すほどに、「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というポジティヴ・フィードバックがかかる。
このようなものを続けていると、遠からず社会は「頻繁にパートナーを替える少数の男女」と「生まれてから一度もステディがいたことのない多数の男女」に二極化してしまうであろう。
そのような不具合な制度であるにもかかわらず、現在これが唯一のマッチメイク制度である。
というのも、仮に結果的に性的階層格差が生じるにせよ、パートナーの選択は100%自己決定に委ねられるべきであり、パートナーを得られぬこともまた100%自己責任に属するという考え方が「政治的に正しい」という信憑がひろく若い世代にゆきわたってしまったからである。
生涯パートナーと出会えなくても、それが自己決定の結果であるなら、笑顔で制度の「ただしさ」を言祝がねばならぬというのも、よく考えると切ない話である。
しかし、性的階層格差の瀰漫を放置することは、私ども日本社会のフルメンバーとしては座視することができない。
親族の存在理由は何か?
レヴィ=ストロースは『構造人類学』でこう問うて、自ら答えている。
親族の再生産である。
なるほど、政治的理想の成就であるとか、個人的幸福の追求であるとか、経済的サクセスとか、親族再生産以外にも生きる上ではいろいろと「おたのしみ」はあろうが、何はともあれ親族が再生産されないと「社会」そのものが遠からず消失してしまう。
社会が消えると、理想も幸福もサクセスもありえない。
臣民の存在しない帝王とか、幸福をわかちあう相手のいないしあわせものとか、市場なしの金満家などというものは原理的にあえりないからである。
人間は共同体をわかちあう他者がいてはじめて人間になることができるのである。
というような人類学的知見をふまえて、釈老師との共催による「プロジェクト佐分利信」が発足したのである。
きくところでは、三砂ちづる先生も東京で「平成結婚塾」なる組織を立ち上げ、結婚のチャンスの前髪をつかめずにいる男女のためにマッチメイクを組織的に展開しようとされているとのことである。
「自立イデオロギー」にあおられて、スタンドアロンのライフスタイルを貫徹しているうちに、仕事でつまずいたり、病気をしたり、わずかな蹉跌がきっかけでいきなり心身の危機に落ち込む30代、40代の女性がふえている。
その人たちを救済するためにも「見合い」の習慣をふたたび定着させなければならない、というのが三砂先生のお考えである。
どういうわけか、こういうことになると私と三砂先生は意見が合うのである。
いずれ、意見を同じくする「世話焼きのおじさん・おばさん」たちのネットワークが全国展開することになるであろう。
とりあえず、プロジェクト佐分利信の年間成婚目標は2件。
釈先生、がんばりましょうね。

法事で父の故郷の山形県鶴岡市に来ている。
母と兄の飛行機を待ちながら、庄内空港の待合室でこんなことを書いて時間をつぶしているのである。
庄内は涼しいです。

2007.07.04

ヒット1000万のお礼に代えまして

ブログのヒット数が1000万を超えた。
1000万というのはよく考えるとたいした数である。
延べ1000万の人に私の「毒」が微量なりとはいえ回っているのである。
なんとなく、世間への「毒」のまわりが最近速いような気がするのは気のせいであろうか。
だいぶ以前のことであるが、「フェミニズムはもう終わった」と書いたことがある。
別に終わったわけではなく、まだたいへん意気軒昂であられたのだが、私としてはできるだけすみやかに終わってもらえるといいなあという主観的願望をあえて虚偽の客観的事実認知に託して書いたのであるが、しばらくして取材に来た某新聞社の記者が「フェミニズムはもう終わったわけですが・・・」と切り出したのにはびっくりした。
こういうのは「終わったねえ」というような遠い眼をする人が何人かいると、「あ、そうなんだ。終わったんだ・・・」という信憑が燎原の火のごとくに拡がり、あれよあれよというまにほんとに終わってしまうのである。
だから、思想に対する批判も、もっとも安直かつ常套的なのは「・・・はもう終わっている」とか「・・・はとっくに乗り越えられている」という口吻のものであり、事実これはたいへん効果的なのである。
この「・・・はもう終わった」という宣告にたいへん過敏に反応するのはおそらく日本人がひさしく属邦人であったことによるものと思われる。
属邦人の知的活動の基本構造は「新たな外来知識へのキャッチアップ」だからである。
自分自身の内側には見るべきものがなく、すぐれたものはすべて外部にあるというのは日本人の基本的なマインドセットである。
これはものを学ぶということに関してはたいへん効率の良い構えである。
それも当然。
自分のうちにすべての叡智が蔵されており、知的活動というのはその潜勢態の「自分らしさ」をただ発現することで尽くされるという人間に「学び」は固より不要のものである。
日本人のいう「自分らしさ」の追求というのは、自己探求というよりは、どちらかというと「いかに『これまでの自分』から離脱するか」という自己離脱に軸足を置いている。
現に、「自分探し」をする人はだいたいそれまでやっていた仕事を辞め、それまで住んでいた街を離れ、それまで付き合っていた人間と縁を切ろうとするものである。
これは自己探求というよりはむしろ「自己リセット」というに近いであろう。
自己探求と自己放棄が同義であることを誰も「変」だと思わないというのが属邦人の特徴である。
繰り返しいうように、これは別に悪いことではない。
ただしグローバル・スタンダード的にいうと、こんなことを国是としている国は日本以外には存在しない。
だから(ようやく話が戻ってきた)、日本は「毒の回りが速い」のである。
「リセット」の誘惑に日本人は抵抗力がない。
「すべてチャラにして、一からやり直そうよ」と言われると、どんなことでも、思わず「うん」と頷いてしまうのが日本人の骨がらみの癖なのである。
「維新」といわれると思わず武者震いし、「乾坤一擲」とか「大東亜新秩序」とかいうスローガンに動悸が速まり、「一億総懺悔」でも「一億総白痴化」でも「一億総中流」でもとにかく「一億総」がつくとわらわらと走り出し、「構造改革」でも「戦後レジームからの脱却」でも、とにかく「まるごと・一から・刷新」と聴くと一も二もなくきゃあきゃあはしゃぎ出すのが日本人である。
それはそれまでの自分のありようと弊履を捨つるがごとく捨てるのが「自分らしさの探求」であり、「自己実現」への捷径であると私たちが信じているからである。
繰り返し言うが、こんな考え方をするのは世界で日本人だけである。
私はそれを「属邦人性」と呼んでいるのである。
私はこの日本人の腰の軽い属邦人性のうちに日本人の可能性と危険はともに存すると考えている。
可塑的であるというのはよいことである。
だが、ことの功罪を吟味せずに「・・・はもう終わった」で歴史のゴミ箱になんでもかんでも捨ててしまうのは愚かなことである。
というわけで私がこの数年ご提案しているのは、「『・・・はもう終わった』が理非の判定に代わる時代はもう終わった」というものである。
私以外にそんな性根の悪いことを言う人間はいないはずなのであるが、最近のメディアの論調を見ていると「『・・・はもう古い』という言い方はもう古い」とか「何かにつけことの善し悪しを簡単に決めつけるのはよろしくない」というような措辞が散見されるのである。
こういう背理に直面する以外に私たちは自分には背理に耐える論理がないという事実を知ることができないのである。
知っていきなりどうなるというものでもないが、知らないよりはずっとましである。

2007.07.07

まいにち新幹線

木曜は東京、金曜は大垣、土曜は岡山・・・連日の新幹線旅行。
東京は某外部資金調達のためのプロジェクトの口頭試問にでかける。
学長以下5名で、往復5時間かけて、審査時間は25分。
「お上」の体質というのは今も昔も変わらないものである。
審査の後、全員力なくうなだれて無言で帰路につく。
みなさんと別れて、学士会館で日経Kids+という雑誌のインタビュー。
気落ちしたあとなので、どうも頭のめぐりがよろしくない。
翌、金曜日はIAMAS(情報科学芸術大学院大学)の小林昌廣さんにメディア文化特講の講師に呼ばれていたので、大垣まででかける。
米原から在来線で40分ほど。関ヶ原を超えて岐阜県内である。
けっこう遠いです。
こばやんにはいろいろといつもご無理をお願いしている。たまにはご恩返しをしないといけないから、ゼミを休講にしてやってきたのである。
メディア・アート系の学校なのでちょっと雰囲気が違う。
発作的に思いついた「めちゃモテニッポン論:ラブリーな国へ」というタイトルで、「中華なき辺境を生きる日本人に未来はあるのか?」という情報とも科学とも芸術とも無縁なお話をする。
いったい、これはどういうカテゴリーに区分すべき講演なのか、自分でもよくわからない。
学生さんはしーんとして聴いている。
おもしろいのか、つまらないのか、よくわからない。
居酒屋のカウンターでかなり酔いがまわった段階ではじめて許される類の頭も尻尾もない話である。
11日の大拙忌の予行演習のつもりであったが、どうにもさっぱり宗教の話にならない。
困ったことになった。
どうも最近、講演の出来がよろしくない。
同じ話をしたくないので、毎回「新作」をおろしてゆくのだが、新作には当たり外れが多い(というか、外れのほうが多い)。
だいたいこんな話をしようと思って、現場に行っても「つかみ」のギャグで観客が無反応だと、もう一気にテンションが下がってしまう。
ものが新作だから、「ノリ」だけがたよりで、「グルーヴ」感が出てくると一気に最後までたたみ込めるのだが、「ノリ」が悪いと、もうどうしようもない。
古典落語だと話が作り込んであるので、粛々と最後まで話は進められるが、その場ででっちあげながらのインプロヴィゼーション小咄だから、観客がしーんとしているときにふと話が止まると、それで「おしまい」である。
最近はどこの会場でも観客の「ノリ」があまりよくない。
たぶん何冊か本を読んできて、きっとこの講師は「こんな話」をするのだろうと予期してきているので、「ぜんぜん違う話」が始まるとどう応接してよいかわからなくなって、みなさん黙り込んでしまうのであろう。
私を呼ぶ方はしばしば私の本の熱心な読者であるけれど、その方がお読みになっているのは、私が二三年前に考えていた話が活字化したものであり、私自身はそのことに今はもうぜんぜん興味がなかったりする。
聞き慣れたヒット曲を聴こうと楽しみにコンサートに行ったら、舞台に出て来たミュージシャンが「じゃあ、新作をやります。聴いて下さい」といって聴いたことのない曲をごりごり始めるということがある。
客はどっとしらける。
私自身も客の立場でそういう経験を何度もしてきた。
どうして、こいつらは「新曲」なんかやりたがるんだろう。そんなにいつもクリエイティヴでいたいわけか?と観客だった私はそういう「新作」志向にはけっこう批判的であったのだが、実際自分が舞台に立たされてみると、彼らの気持ちもよくわかるのである。
講演後、IAMASの学生院生教職員のみなさんと打ち上げ宴会。
たいへんにスマートで気分のよい諸君である。
会場が「しーん」としていたのは、別にしらけていたわけじゃなくて、集中して私の話を聴いてくれたいたせいのようである。
ああ、よかった。
在来線を乗り継いで芦屋まで帰る。

2007.07.11

半死半生というより六死四生

ここ数日、日記を更新している暇がない。
ふつうは朝起きて、大学に行く前の時間に走り書きするのであるが、その時間に用事が入ると、書く暇がない。
ほんとうは今日もこんなことをしている暇がないのであるが、あまり長く書かないでいると「病気かしら」と心配する人がいるので、「生きてます」とだけお伝えしておくのである。
備忘のために先週の用事だけ書きとめておく。
土曜日、お稽古のあと岡山へ。ゼミ卒業生の尾川くんの結婚パーティ。どういうわけだかサルサのお稽古をすることになる。オガワ君幸せになるんだよ。
日曜日、バークレーの町山智浩さんが来日中に大阪まで出て来てくれたので、新阪急ホテルで週刊現代のための対談。
ミシマ社の三島くん、毎日新聞の中野さんがオーディエンスで、司会とまとめは大越くんという「身内」のイベントである。
2時間ちょっと話して、さらに河岸を変えてトータル4時間おしゃべりし続け。
町山さんは恐ろしく切れ味のよい知性の持ち主だけれど、「中坊目線」で映画を見始めたときの感動をたいせつにしていて、どのような論件についても、はたしてこれは「ビンボー人目線」「バカ目線」からはどういうふうに見えるのかという吟味を怠らない。
江藤淳のアメリカ経験を論じたときに、「江藤淳も東部のエスタブリッシュメントなんかに仲間入りしようと思わずに、アーカンソーあたりでバーボン飲んで、いっしょに鶏撃ってればよかったんですよ(爆笑)」と言うのを聞いて、町山さんて親鸞みたいな人だな、と思った。
真宗では「還相廻向」という。その義を鈴木大拙はこう書いている。
「元どおり、本具の人間性に還ることである。還ることが大事なのである。仏にならないで、仏になりきらないで、もとの凡夫になることである。(・・・)それは何かといえば、飢えては喰らい、渇しては飲むことである。疲れたら寝て、起きたら働くことである。それは犬猫の生活とどう違うのかと尋ねられよう。別に違わぬ。が、また大いに違うところ、霄壌の差のあるところがある。」(『東洋的な見方』、93頁)
「霄壌(しょうじょう)の差」というのは聴かぬ言葉だが「天地の差」「千里の逕庭」ということである。
町山さんも飢えては喰らい、渇しては飲み、疲れたら寝て、起きたら働く人である。けれども大拙のいうところの「大人の赤子」である。
帰りに梅田の紀伊国屋で村上龍『すぐそこにある希望』を購入。阪急梅田店でコール・ハーンのタッセル・スリッポンとバーバリーの夏ジャケを購入。半年ぶりに服を買った。
月曜。朝一で下川先生のお稽古。『菊慈童』の仕舞と盤捗楽(「ばんしきがく」と読むのだよ)のお稽古。
走って大学へ。部長会、授業、それから居合の稽古。
受流し、柄当て、袈裟斬まで教える。学生たちは刀を抜くことが楽しそうである。
火曜。朝、三宅先生のところで治療。走って大学へ行く。
めぐみ会(本学の同窓会である)の寝屋川支部長のご訪問。来年の講演の約束をする。
授業が二つ。その間に『第三文明』の取材。「学ぶこと伝えること」というお題で1時間ほどしゃべる。
水曜(「本日」)はこれから大急ぎでレジュメを作って添付ファイルで送り、午後は大谷大学にゆき、大拙忌で宗教についての講演をしなければならないのだが、朝になってもまだ何を話すかが決まらない。
泥縄で鈴木大拙の『東洋的な見方』や吉本隆明の『最後の親鸞』などを引っぱり出してゆうべから読んでいるのだが、酒が入って頭がぼおっとしているので何だかよくわからない。
こういうような綱渡り的な仕事のしかたをしていると、どんどん仕事のクオリティが下がってきてしまうことは火を見るより明らかである。
だから、できるだけ仕事を減らして、ひとつひとつにリソースを集中すべきだという理屈はわかっているのだが、「やです」とにべもなく仕事を断るというのはけっこうむずかしいことなのである。
だから、5件に1つくらいはふと弱気になって引き受けてしまい、そのあと後悔に胸をかきむしることになる。
来週なかばまでに原稿の締め切りが5つ(もちろんまだ何も書いてない)。
土日月と三連休のはずだが、土曜日は朝カルで真栄平先生との対談があるので、それまでに歴史の勉強をしなければならない。月曜は夕方から養老先生との打ち上げ宴会があるから、一日半で一気書きするしかない。
この日記を読んでいる編集者の方々はお願いですから私にこれから仕事を持ち込むのは止めてくださいね。

2007.07.13

日本的霊性と華夷秩序のコスモロジー

第26回大拙忌のために大谷大学へ。
当日朝になって「中華なき辺境の宗教性」というタイトルを付したレジュメをつくって門脇先生のもとに送信。
新快速と地下鉄を乗り継いで北大路にゆき、大垣書店を覗くとなぜか私の本が並べてあって、そのそばに大拙忌講演の告知があった。
タイトルは「存在するとは別のしかたで-日本人の霊的成熟について」。
げ。
自分でつけた演題を忘れていた。
それというのも、講演で何を話すかぜんぜん決めない段階で思いつきのタイトルを送ったのがいけないのである。
予定していた内容が当日突然に変わったわけではなく、語るべき内容が当日朝になってようやくかたちをとったそのできたてほやほやのブランニューな理説をお聞かせしようではありませんか、ということなのであるが、そのような言い訳はもちろん世間には通らない。
私とて十分に準備をし、資料を渉猟し、文案を推敲し、これ以上のものはできない、という確信をもって演壇に登りたいのはやまやまなのであるが、それができれば苦労はしない。
締め切りの当日にならないと原稿を書かないというのはこのところの私の悪癖であるが、別にそういうプリンシプルを掲げているわけではなく、締め切りの前日は朝から晩まで働いているか、別の原稿の締め切り日であるかどちらかだからなのである。
私のような人間に仕事を依頼する方が依然として多いが、みなさまご自身が世間から良識を疑われるというリスクを冒しているということに十分に自覚的であるのだろうか。
ひとごとながら心配である。
大拙忌であるから、鈴木大拙がらみの話をしなければならない。
『日本的霊性』というのは私のような浅学のものには裨益するところの多い名著であり、これと吉本隆明の『最後の親鸞』を読めば誰でも浄土真宗のことがわかった気になることができる。
その『日本的霊性』に記述されているところの「日本的霊性」とはいかなるものかという問題を「日本の辺境性」という地政学的性格を手がかりにして解明しようという、(アイディア段階では)それなりに気宇壮大な企画だったのである。
このところ述べているように、華夷秩序における東夷であるところの日本列島は中華に対する相対的辺境である。
そして、浄土のあるべき「西方」は地理的にもわれわれの欲望の虚の中心であり、われわれの列島を過去1700年余にわたって冊封してきた宗主国の方位そのものである。
日本人の浄土信仰のうちに華夷秩序のコスモロジーが影響していないということはありえない。
とりあえず私はそう思っている。
けれども、そういう地政学的なことを宗教にからめて語る人はあまりおられない。
でも、宗教というのは生身の人間の身の上に起こる出来事である。
人間の身の上に起きるすべてのことは宗教的な心性の形成に関与する。
そう考える方が合理的だろう。
地政心理学とか宗教地誌学という学問のあることを知らないが、そういうアプローチはかなり有効ではないか。
例えば、大阪の上町台地は浄土信仰がはっきりした空間的表象形式をまとっていた事実を地誌的にあらわしている。
知られているとおり、奈良時代まで、大阪を南北に走るかまぼこ型の上町台地の足元を大阪湾の波は洗っていた。
その台地の南端に聖徳太子は四天王寺を建立した。
瀬戸内海から大阪湾に入ってきた船が最初に眼にするランドマークはこの四天王寺の甍だったのである。
その四天王寺の石の西門からは海にしずむ太陽が見える。
謡曲『弱法師』にあるように、浄土を欣求する人々はこの門ごしに西方の海をみつめて浄土を思い、日想観(じっそうかん)を行ったのである。
上町台地の北端にはそれより約1000年のちに石山本願寺ができる。
上町台地はその南北端に浄土信仰の霊的センターをもつ特権的なトポスとなったのである。
今でも上町台地沿いの寺院の山門はことごとく西方を向いており、墓石もまた西方を向いている。
親鸞が信仰のありかたにおいて範とした人に平安時代の念仏者である教信沙弥がいる。
興福寺の学僧であった教信はあるとき寺を出て出奔し、西を指して、播州賀古郡西野口に至る。
その地での教信の生き方はこんなふうだった。
「草庵を結び、髪も剃らず爪をも切らず、袈裟および衣を着せず。また西方に墻(かき)せず。本尊を安置せず。妻女を帯して、里人に雇使され、或いは田畠を耕作し、或いは旅人の荷を運びて衣食し、常に南無阿弥陀仏を称し、昼夜休まず、人称して阿弥陀丸と言う。念仏の他万事を亡失せるが如し。」
教信沙弥における宗教的行為は二つしかない。
南無阿弥陀仏の称名(これがないとそもそも浄土教思想は成立しない)と「西方に墻せず」、すなわち西に対する開放性のみである。
本尊さえ無用として安置しなかった宗教者が西方に対しては開放性を確保していたというこの方位の優先性は私の注目を惹く。
西方は華夷秩序の中心たる「中華」の方位である。
東西方位を軸とするコスモロジーが列島人の宗教的構えを方位づけている。
華夷秩序は周縁に蟠居する夷戎たちの「欲望の虚の中心」でありつづけることによってしか機能しない。
欲望の中心はトラウマ的なものである。
実体として存在する必要はない。
というより実体として存在することができない。
「中原に鹿を逐う」というが、覇権をもとめて中原に攻め上ったものがそこに見出すのはつねに「廃位された皇帝」、もはや誰の欲望も喚起することのできない老人の屍骸だけである。
そして、自分が彼に代わって玉座に座った瞬間に、王位簒奪者は自分が永遠に「欲望する対象」を失ったことを知る。
華夷秩序を構造化する欲望は、その欲望を保持したままでは欲望を鎮静することができず、欲望が満たされたときに欲望はもうかげもかたちもなく消滅しているというかたちで永遠化される。
列島人たる東夷にこの欲望システムの布置における優位性があるとすれば、それは大陸と列島を隔てる空間的疎隔ゆえに、欲望が節度を失って活性化し、結果的に中華文明が列島人に提供しうる文化的価値よりさらに高度なものをそこに望見したということである。
この西方への欲望の過剰のうちに日本的霊性の萌芽がある。
おのれの外部にはおのれの理解も共感も絶した霊的境位が存在するという信憑を列島人はその霊的成熟の階梯の「第一段」として有していた。
「他者に対する開放性」という常套句を流用していえば、これはすぐれて宗教的な態度ということができるであろう。
その華夷秩序のコスモロジーに涵養された列島人の宗教性が親鸞において、どのようにコペルニクス的転回を遂げて、「此土即浄土」になったのか?
この転回はフロイトが分析主体における「トラウマ的体験」を分析者への「転移」に「すり替えた」のと構造的には同一のプロセスである、と私は考えるのであるが、そのような無茶なことを論拠もなしにだらだら話すと無事に大谷大学の門を出られそうもないので、ぜんぜん違う話をして逃げ帰る。
講演後に門脇老師、池上哲司先生ら、お招き下さった大谷大学の教員院生のみなさんと打ち上げ。
重荷をおろしてほっとしたので、ビールや焼酎をがぶがぶ飲んで、大瀧詠一やキャロル・キングの話で盛り上がる。
しかし、結果的には大拙忌にお招きいただいたことを奇貨としてはじめて「日本的霊性」という概念についてまじめに考えることになったわけであるから、このような機会を与えてくださった門脇老師に深く感謝せねばならないのである。

2007.07.15

真栄平先生とアジアについて語る

颱風模様ですさまじい湿度の中で合気道のお稽古を終えて、ソッコーで大阪朝カルへ。
真栄平房昭先生との対談。
お題は「日本から見た中国、中国から見た日本」。
真栄平先生は神戸女学院大学の総文の同僚である。
近世日本史というより広く東アジア史がご専門で、その風通しの良い歴史観から私はこれまで大きな影響を受けてきた。
歴史が選択的に語り落としてきたものがある。
国民国家を基本単位とする一国史という枠組みにうまく収まらない出来事は歴史学からしばしばこぼれ落ちる。
真栄平先生はそのような出来事の専門家である。
先生は沖縄の人である。
沖縄はかつては琉球王国である。
琉球王国は独立王国であるような中国の属邦であるような日本の属邦であるようなあいまいな政治的立場にあった。
けれども、それは東アジアの共同体には「ありがち」なことである。
台湾もそうだったし、朝鮮半島も、ベトナムもそうだった。
近代的な意味での「国境」とか「国家主権」というものが地理的な「かたまり」として観念されるようになったのはヨーロッパにおいてさえ1648年のウェストファリア条約以後のことである。
主権と国境と国民の均質性が「ワンセット」として観念せられるようになったのはごく最近のことである。
忘れている人が多いので、大書しておくのである。
今でも隣接する国家間の軍事力や経済力のバランスによって、あるいは国民感情の親疎によって、国境や国民国家の一体感がつよく意識されるときもあれば、あまり意識されないときもある。
真栄平先生はこの「国境や国民国家の一体感があまり意識されない時期」、「意識されない地域」を生きていた人たちの歴史を専門的に研究している。
そういう点では遊行の民や海洋民の歴史を掘り起こした網野善彦さんと通じるところがある。
私が真栄平先生の史観に「風通しがよい」という印象を抱くのはおそらくそのせいである。
対談はベトナムの日本人村のこと、漢字文化圏のこと、ローレンス・トーブさんの儒教圏のこと・・・と話頭は転々したが、最後に尖閣列島の話になった。
尖閣列島、竹島、北方領土と、日本は沖縄返還以来の30年間、「国境線にかかわるトラブル」で外交的成果を一つもあげていない。
というよりトラブルの解決が遠のくような施策を選択的に打ち出している。
外交交渉で成果がゼロであり、今後もゼロであり続けることが高い確度で予測されるばあい、「その外交方針は間違っている蓋然性が高い」と推論するのが合理的である。
だが、領土問題については「どれほど外交成果がなくても、絶対に譲歩しない」ということがメディアを徴する限り国民的合意とされている。
たしかに国境線の確保は通貨の安定とともに国民国家にとって最優先の課題であるのは事実である。
だが、そのときに「死守すべき国境線」なるものが、いつ、どのようにして決定されたのかについて少しは歴史的に吟味してみた方がよいだろう。
尖閣列島についてはわが国が実効支配しているというのが外務省の公式見解である。
けれども、その起点の日付はかなり新しい。
1885年(明治18年)に内務卿山縣有朋はこの島の探索を沖縄県令に命じた。
県令はこの無人島には「清国所属ノ證跡ハ少シモ相見エ申サズ」、しかし日本国領土である証拠もまたなく、これを日本領土であるとする「国標」を建てるべきか否かの判断を内務省に委ねる上申書を送った。
内務省はこれに対する回答を保留した。
沖縄県令はその5年後の1890年に重ねて内務省に「国標」建設の可否について問い合わせた。
しかし、内務省は「清国ノ疑惑ヲ招」くことを恐れて、調査にとどめて、「国標」の設置については延期することを指示する。
ことの理非は措いて、少なくともこの時代の日本の政治家たちは(山縣有朋も陸奥宗光も)中国人が「国境」ということをどういうふうに観念しているか、それが日本人が採用した国境概念とは「別のものである」ということを知識としては知っていた。
しかし、1894年の日清戦争によって、「清国ノ疑惑」なんかどうでもよくなり、開戦の翌年の1895年に尖閣諸島への国標の設置が閣議決定される。
日清戦争が「国境」という概念についての、日中間の「定義」戦争であったということについては『街場の中国論』でいささか私見を記した。
そのことの繰り返しになるが、中華思想には「国境線」という概念がない。
帰属のさだかならぬ「グレーゾーン」が同心円的に周縁に拡がっていることは華夷秩序の「常態」だからである。
中国にとって、国境線を確定するということは、「ここからこっちは中国である」というかたちで支配権を確保することではなく、「ここからあっちは中国ではない」というかたちで支配権を放棄することを意味するのである。
わかりにくいメンタリティだが、これをふまえないと近代の中国の「異常な」外交的ふるまいは理解できない。
ひさしく中国はできるだけ国境線を「確定させない」ことを外交目標に隣国とかかわってきたのである。
日清戦争は「国境線を確定したくない国」と「国境線を確定したい国」とのあいだの「氷炭相入レザル」(陸奥宗光)原理の戦争であった。
その尖閣列島は敗戦後、サンフランシスコ条約に基づいてアメリカの施政権下におかれた。
そして、1972年の沖縄返還まで、米軍はここを「射爆場」に利用した。
沖縄返還後、同島は「沖縄県八重山郡石垣市」に所属しているが、中国台湾はこれを認めていない。
69年に巨大な埋蔵量をもつ海底油田が尖閣列島の周辺地域に発見されたせいで、中国台湾と日本が領有権を主張して、以来「綱引き」が続いているのはご案内の通りである。
いまの外交戦略を当事国がとっている限り、領土問題は解決しない。
だから、解決を望むなら「やり方」を変えるしかないと私は思う。
「目先のトラブルを解決することよりも、自分の判断にこだわることの方がたいせつだ」というふうに考える人の方が多ければ、領土問題は(戦争以外には)解決する道がない。
領土問題を解決できる(戦争以外の)唯一の方法は「当事者の誰もがその言い分を通すことのできず、全員にとってひとしく不利益であるようなソリューション」によってかろうじてフェアネスだけを確保することである。
だが、このような考え方に同意してくださる方はほとんど存在しないであろう。
そのようなソリューションを発見する能力をかつては(「大岡裁き」や「三人吉三庚申塚の場」が教えるように)「大人」の風儀に数えたのであるが、その美風も廃れてもはや久しいのである。

2007.07.16

リベラシオンの安倍晋三評価

今度の選挙は自民党大敗という予想のようである。
私もそうなるだろうと思う。
もう安倍晋三の顔は見飽きた、というのが国民多数の実感であろう。
安倍首相の失点は年金とか事務所費とか内政の不手際ばかり責められるが、無能力が露呈したのはむしろ外交の方である。
就任後にアメリカ訪問してブッシュ大統領と会ったけれど、そのエネルギーのほとんどは自分が火を点けた従軍慰安婦問題の「火消し」に費やされた。
でも、下院外交委員会でホンダ議員の従軍慰安婦問題についての日本政府の謝罪要求決議は首相訪米直後に通ってしまったから、首相の訪米成果はほとんどゼロだったことになる。
アジア外交についても評価は高くない。
この件についての『リベラシオン』の記事はこんなふうに始まっている。
「日本の安倍晋三首相は彼の前任者である小泉純一郎(彼は五年にわたって中国にとって『好ましからざる人物』(persona non grata)であった)とおなじく外交能力を欠如させた人物なのであろうか?というのは、彼は2006年秋に政権に就いて以来隣国に築いたはずの信頼感を破壊してしまったからである。 いわゆる『従軍慰安婦』の徴募の『強制』的性格を否定して、彼は『強制があったという物証は存在しない』と主張している。あわせて彼は生存者たち(韓国人、中国人、フィリピン人、タイ人、ニュージーランド人ら)の証言の信憑性も、彼女たちは自主的に売春を業としたのであるとして否定した。北京、ソウル、その他のアジア諸都市は安倍晋三のこの談話に震撼した。」(3月5日)
松岡農相の自殺を報じた5月31日の記事は「安倍晋三は果てしなく政権の座から滑り落ち続けている」という文章から始まる。
6月14日のG8についての特派員報告。
「G8終了前に私は次回のG8開催国である日本の安倍晋三首相のスピーチを聴いた。彼は貧困・開発の問題については一言も言及しなかった。オックスファム・ジャパンの同職者は蒼白になっていた。記者会見では全員が同じことを考えていた。これほどのエネルギーと手間ひまをかけてこれほど貧しい成果しか得られないのであれば、これ以上G8を開催する必要があるのか?」
6月16日は日本のナショナリズムについて樋口陽一の言論を紹介している。
「日本のナショナリズムは政権党の現在の責任者たちによって掲げられている。日本では極右は政府と政権与党(自民党、その党首は安倍晋三首相である)によって育まれている。政権にあるナショナリストたちは大日本帝国に対する共感とノスタルジーを隠そうとしない。政権の座にある人々が戦前の日本は過去の犯罪について改悛の必要はないと繰り返し断言している。なぜなら、大日本帝国がアジアで展開した戦争は彼らの解釈では欧米の支配からアジア人民を『解放』するための戦争だったからである。」
一番新しいのは7月4日の報道。
「安倍晋三首相の政権の試練は日に日に末期的様相を呈してきた。昨日まで彼の内閣の防衛相であった久間章生の発言を待たずに、すでに参院選を前にして支持率は最低を記録した。その久間は先週末に広島長崎に対する原爆投下を『不可避のもの』(inévitable)であったと発言して辞職を余儀なくされたのである。」
「しようがない」はフランス語では「不可避」と訳されたようである。
とりあえず、『リベラシオン』の安倍首相の評価は最低レベルである。
フランスの左派系のインテリ諸君は安倍首相の政権からの転落をほぼ「既成事実」としているということである。
私は定期的に『リベラシオン』を読んでいるが、ここまで辛辣に批評された首相のあることを知らない。
私たちは日本のナショナリズム風潮が海外からはどのように見られているのかということについてもう少し意識的になった方がいいだろう。
日本のナショナリズムは「政治的に危険」だというふうに評価されるよりも(その方がまだましである)むしろ「倫理的に低い」あるいは「知的に劣っている」人々の妄動という印象を諸外国に与えているのである。
大事なことなので、ここに大書するが、政治家の仕事の本体は「何をするか」であるよりむしろ「何をしているように見えるか」にある。
古諺に政治家の心得として「李下に冠を正さず、瓜田に沓を入れず」ということばがある。
「すももの木の下で冠を直すと『すもも泥棒』に間違えられ、瓜の畑に踏み込むと『瓜泥棒』に間違えられるから、そういうことをしてはいけません」という教えである。
すももを盗むな、瓜を盗むなと言っているのではない(そんなの当たり前である)。
そうではなくて、「盗んでいるような印象を与えるな」ということである。
政治的行動の意味はそれが他人にどう解釈されるかによって決定される。
「私はそんなつもりではなかった」という釈明が通らない、というのが政治のルールである。
安倍晋三首相は「倫理的に低く」「知的に不誠実」な人物であるという印象を少なくともフランスの左派系知識人には与えている。
それは彼が現実に倫理的にどれほど高邁で、知的にどれほど上等な人間であるかとは別の次元の問題である。
政治家は「どう見えるか」に資源を最優先に配分しなければならない。
実際には愚鈍で貪欲であっても、他人から賢明で廉潔な士とみなされるのなら、その政治家は内政にも外交にも成功するであろう。
逆であれば成功しないだろう。
単純な話である。


2007.07.17

たまの休日

日曜日。4月22日以来2ヶ月ぶりの「用事のない日曜日」。
今日一日は何をしてもよいのである。
ああ、うれしい。
家の掃除を3週間ほどしていない。
ふとんもずいぶん干していない。
台風一過の晴れ間を利用して、洗濯物をベランダにぎっしり干してから、掃除機を買いに行く。
ダイソンの強力吸引力掃除機が欲しかったのである。
75000円也。
これで部屋中のぐいぐいとゴミを吸い取る。
家の中がきれいになったので、気分がよくなり、コーヒーを飲みながら原稿を書く。
文藝春秋スペシャル用に「なぜ私たちは労働するのか」。
朝日新聞用に「たいせつな本」その1。
文春文庫の『私の身体は頭がいい』の文庫版解説。
日経の「旅の途中」。
以上4本を一気書き。
森銑三全集が出るそうで、そのおかげでひさしく絶版になっていた中公文庫の『明治人物閑話』が復刻される。
その解説を頼まれたので、取り出して読み始める。
井上通泰と森鴎外の交友について書いた中に次のような文がある。
「この『しがらみ草紙』の誌名に就いては、なお説を成す人があるようであるが、井上先生はいい加減なことをいわれる人ではなかった。私は先生のいわれるところを以て、正しとすべきであろうと思っている。」
森銑三の文章のよいところは、どのような人物評や事績の評価についても「これは主観的判断である」と断るところである。出所の知れぬ伝聞や誰が言い出したかわからない「定説」のようなものに決して依拠せず、「余人がどう思おうとそれはそちらの自由であるが、私はしかじかの論拠に基づいてこう考える」ということだけをきちんと記す。
この潔さが森銑三の真骨頂である。
ふと顔を上げるとすでに夕刻。
イノウエさんにもらった明太子を使ってパスタを作る。
釈老師にいただいたワインを飲む。
美味い。
人々のご厚恩ご喜捨に支えられて今日も生きているのである。
満腹したので宮崎駿『千と千尋の神隠し』を見てから寝る。

月曜日。お休みなので、たっぷり朝寝。
昼前からしたくをして上本町にでかける。
養老孟司先生と半藤一利さんのジョイント講演「司馬遼太郎記念学術講演会:日本人のゆくえ」にご招待いただいたのである。
最初に養老先生のお話が1時間。それから半藤さんが1時間。休憩をはさんで二人の対談が1時間。
ひさしぶりに時間を忘れて楽しんだ。
どちらも日本人論なのだが、二人とも「私らはもうすぐあの世に往くので、この先日本がどんなになろうともう与り知らぬ。このあとさらにろくでもない国になったとしてもそれで苦しむのは夫子ご自身であるから、まあ勝手にされるがよろしい」というたいへんクールなお立場から論じられている。
浮世離れしていて爽快である。
たしかに死者の立場から生者の世界を眺めるのは批評性を担保する最良の足場である。
でも、そのデタッチメントの立場からお二人はクールにかつユーモラスに「悲憤慷慨」しているところが可笑しい。
いわば隠居目線から小言を述べられているわけなのだが、これが養老先生たちの世代に特有の「愛」の表し方なのだろう。
昨日の話でとりわけ興味深かったのは、半藤さんが話した司馬遼太郎はどうしてノモンハンを書かなかったのかという話。
ノモンハン事件に登場する軍人たちのなかに司馬遼太郎が「共感できる人物」が一人もいなかった、というのがその理由であるというのが司馬さんの担当編集者としていっしょにノモンハン関連の取材に数年同行した半藤さんの推理である。
半藤さんは少し前の『文藝春秋』でも、参謀本部に集まった陸大出の秀才たちの一人として国を誤った責任を取ろうとしなかったことを痛罵していた。
ノモンハンに関東軍は56000人の将兵を投入し、うち18000人が死傷した。戦力の逐次投入という最悪の戦術、彼我の戦力差の過小評価、敵がつねに「こちらにつごうのよい用兵」を選択するはずであるという無根拠な信憑、物量の差は「必勝の精神」で補うことができるという精神主義・・・これらはノモンハンでの悲劇的敗北から日本陸軍が致命的欠点として学習すべきことであったが、結局参謀たちはノモンハンから何の教訓も引き出さなかった。
このときの関東軍参謀服部卓四郎と辻政信はその後参謀本部で太平洋戦争の作戦指揮をとることになり、やがて日本の全戦線を「ノモンハン化」することになる。
村上春樹も『ねじまき鳥クロニクル』のときにノモンハンを取材し、調べるにつれてその作戦のあまりの拙劣に言葉を失ったと記している。
失敗から学習することができず、どのような破局的事態に遭遇しても「想定内である」と言い逃れる癖はどうやら今に至るまで日本人のDNAのうちに書き込まれているようである。
講演のあと、養老先生と新潮社のみなさんと法善寺横町で会食。
美酒美食と養老先生の痛快無比なる毒舌を堪能する。


2007.07.22

息も絶え絶え

忙しくて日記の更新ができない。備忘のため、この数日間のできごとを記しておく。
18日会議。文藝春秋スペシャル原稿送稿。その後村上春樹論脱稿。
19日授業。共同通信連載送稿。その後村上春樹論の版元アルテス・パブリッシングの鈴木、船山ご両人と打ち合わせ。談論風発。
20日授業と会議が三つ。教授会が長引き、終わると7時半過ぎ。ぐったり疲れて帰宅。
21日、早起きして岡山へ。朝日リハビリテーション専門学校・朝日医療技術専門学校の夏期大学「21世紀における医療とは」の基調講演。
丸亀の守さんがいらしていたので、講演後、岡山駅で歓談。
新幹線でふたたび神戸に戻り、花隈の神戸教会のYWCAで講演。「今、日本の教育は」と題して教育崩壊・若年労働者問題について語る。講演後、YWCAのみなさん(その多くは神戸女学院の卒業生である)と歓談。
帰りに南京町の堂記で焼き豚を買う。
家に戻り風呂にはいり、冷たいワインを飲んだら、激しい睡魔に襲われ、そのままご飯もたべずに就寝。
目が醒めると朝の8時半。11時間ほど眠っていたことになる。
今日はこれから東京日帰りである。
『中央公論』で吉本隆明さんと対談。
夏休みまであと5日。
7月末までに締め切りが4本。講演が2つ。締め切り(らしい)ゲラが2つ。
生きて夏休みを迎えたい。

2007.07.23

吉本隆明 on stage

東京日帰り。
『中央公論』の企画で、吉本隆明さんと対談。
お題は家族論。
高校1年のときに『自立の思想的拠点』を読んだときには「なま」吉本隆明とその40年後に出会うことになろうとは想像だにしなかった。
人生というのはまことに何が起こるかわからないものである。
吉本さんのお家は本駒込の吉祥寺というお寺の近くにある。
駒込は寺だらけの町だが、吉本さんの家は玄関から隣のお寺の釈迦像が見えるという、たいへんホーリーなロケーションである。
『中公』の井之上くんと編集長の間宮さんとカメラマンのワイダさんと、ぞろぞろと吉本邸に上がり込む。
応接間でまつことしばし、吉本隆明が登場した。
おもわず土下座。
むかし埴谷雄高との「コムデギャルソン」論争のときに吉本さんがコムデギャルソンを着て自宅のソファーに座っている写真を見た覚えがあったので、ご自宅ではやっぱり今もコムデギャルソンを着ているのかしら・・・と思い込んでいたが、考えてみたら吉本さんももう83歳であるから、そんなことはないのである。
それから4時間半ほど対談(というよりは吉本さんの独演会)。
吉本隆明はあたたかい、澄んだ眼をした人であった。
みつめられると、なんだか「ほっこり」してくる。
吉本さんの話のあいまに、どうでもいいような合いの手を入れただけで、私の方は呼んでいただいたほどの働きはできなかったけれど、まことに記念すべき一日であった。

2007.07.24

格差社会って何だろう

「格差社会」という言葉が繰り返し紙面に登場する。
格差がどんどん拡大しているから、これを何とかしなければならないという現実的な(あるいは非現実的な)さまざまの提言がなされている。
どなたも「格差がある」ということについてはご異論がないようである。
だが、私はこういう全員が当然のような顔をして採用している前提については一度疑ってみることを思考上の習慣にしている。
「格差」とは何のことなのか?
メディアの論を徴する限りでは、これは「金」のことである。
平たく言えば年収のことである。
年収数億の人もいるし、数十万の人もいる。
とくに年収が低い階層のヴォリュームがこのところ急増している。
パラサイトシングルというのも、フリーター・ニートというのも、ネットカフェ難民というのも、過労死寸前サラリーマンも、要すれば「金がない」せいでそういう生活様態の選択を余儀なくされている。
そういう説明がなされている。
ここから導かれる結論は論理的には一つしかない。
「もっと金を」
である。
しかし、この結論でよろしいのか。
私自身は、私たちの社会が住みにくくなってきた理由のひとつは「金さえあればとりあえずすべての問題は解決できる」という拝金主義イデオロギーがあまりにひろく瀰漫したことにあると考えている。
「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ「金の全能性」が過大評価され、その結果「人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会」 のことではないのか。
人々はより多くの金を求めて競争する。
競争が激化すれば、「金を稼ぐ能力」の低い人間は、その能力の欠如「だけ」が理由で、社会的下位に叩き落とされ、そこに釘付けにされる。
その状態がたいへん不幸であることは事実であるが、そこで「もっと金を」というソリューションを言い立てることは、「金の全能性」をさらにかさ上げし、結果的にはさらに競争を激化し、「金を稼ぐ能力」のわずかな入力差が社会的階層の乗り越えがたいギャップとして顕在化する・・・という悪循環には落ちこまないのだろうか。
私は刻下の「格差社会」なるものの不幸のかなりは「金の全能性」に対する人々の過大な信憑がもたらしていると思う。
だから、あらゆる不幸は「金の全能性」によって解決できるという信憑を強化することは、文字通り「火に油を注ぐ」ことにひとしく、ますます格差を拡大し、固定化する結果にしかならないだろうと思っている。
私自身は人間の社会的価値を考量するときに、その人の年収を基準にとる習慣がない。
どれくらい器量が大きいか、どれくらい胆力があるか、どれくらい気づかいが細やかか、どれくらい想像力が豊かか、どれくらい批評性があるか、どれくらい響きのよい声で話すか、どれくらい身体の動きがなめらかか・・・そういった無数の基準にもとづいて、私は人間を「格づけ」している。
私がご友誼をたまわっている知友の中には資産数億の人から年収数十万の人までいるが、私が彼らの人間的価値を評価するときに、年収を勘定に入れたことは一度もない。
私にとって重要なのは、私が彼らから「何を学ぶことができるか」だけだからである。
同じ基準を自分にも当てはめて、以て規矩としている。
人々が人間の価値について、それぞれ自分なりの度量衡をもち、それにもとづいて他者を評価し、自己を律するならば、「格差社会」などというものは存在しなくなるだろう。
こういうことを書くと、「お前は金があるから、そういう気楽なことが言えるのだ。金のない人間の気持ちがわかるか」というような定型的な反論が向けられるだろう。
それに対しては、「わからないね」としかお答えしようがない。
もちろん私がつねに変わらず大金持ちであったからではない。
私は長い間同年齢の人々の平均年収のはるか下、底辺近い「貧困」のうちにあった。
だが、私はいつでもたいへん陽気に過ごしていた。
ご飯を食べる金がないときも、家賃を払う金がないときも、私はつねにお気楽な人間であり、にこにこ笑って本を読んだり、音楽を聴いたり、麻雀をしたりしていた。
たいていそのうち誰かが心配して、私のために手近なバイトを探して来てくれたので、間一髪のところを何度もしのぐことができたのである。
私がつねに変わらず陽気でいられたのは、年収なんか人間の価値とはぜんぜん関係ないということを深く、魂の底から、「確信」していたからである。
「金持ち」とは定義すれば「金のことで心を煩わされない人間」のことである。
そういう意味では私は貧乏なときもずっと「金持ち」であった。
「格差社会」論というのは、言い換えると「金のことをつねに最優先で配慮する」ことこそが「政治的に正しい」ふるまい方であるとする判断に同意署名することである。
「金のことをつねに最優先に配慮する人間」は私の定義によれば「貧乏人」であるので、格差社会の是正のために「もっと金を」というソリューションを提示する人々は、論理的に言えば、彼ら自身「貧乏人」であり、その読者たちもまた「貧乏人」であり続ける他ないということになるであろう。
私の師であるエマニュエル・レヴィナス老師のさらに師であるモルデカイ・シュシャーニ師は、家族を持たず、定住する家を持たず、世界を放浪し、気が向くと富裕なユダヤ人家庭に寄寓してタルムードを講じてわずかに口を糊する、年収かぎりなくゼロに近い人であった。
「師はひとからは乞食のように見えたであろう」と老師は語っている。
私はシュシャーニ師のような人に生活できる程度の年金が支払われる社会を実現することよりも、師のような人が十分な知的敬意を以て遇される社会を実現することの方が、ずっと大切ではないかと思う。

2007.07.30

生きて迎えた夏休み

ひさしぶりに家にいて、デスクの前でほっこりしている。
この一週間も忙しかった。
家で自作の晩ご飯を食べた日がなかった(私は自分の身体が要求する栄養素に配慮しつつご飯を作るので、自分で晩ご飯を作れない日が続くと、ずるずると体力が衰えてくるのである)。
日曜の夜遅くに吉本さんとの対談を終えて東京から帰り、翌日は朝一で下川先生のお稽古にいって、それから授業。
火曜日は授業のあとに大学院ゼミ宴会。
水曜は「プロジェクト佐分利信」の第一回イベント。「では、このあとは若い人同士で・・・」という定番の台詞を釈先生とふたりでユニゾン。はたしてこの二人はどうなるでしょう。
とりあえずおじさん二人は「次の標的」を求めています。
条件は「何が何でも今年中に結婚を決めたい」と念じていること。
「いい人がいたら・・・」というような悠長なことを言える諸君に佐分利信は冷たい。
木曜はテストのあと、会議が一つ。梅田に出て、谷口さんといっしょに『トランスフォーマー』試写会。
あっと驚く「中坊映画」。
この映画のどこをほめたらよいのか・・・と呻吟しつつ、讀賣新聞の若手諸君とともに亀寿司中店へ。ひさしぶりに松ちゃんの握る中トロを食す。
金曜は前期最終日。
授業のあと会議が二つ。既報の「外部資金導入計画」が奏功し、巨額の公金が流入することになった。ヒアリングの印象が悪かったので、ダメだとばかり思っていたので、思わず「嘘~」と叫んでしまう。
石川先生、ほんとうにどうもご苦労さまでした。
そのまま非常勤講師懇談会へ。
懇談中、山本画伯、ジロー先生、ワタナベ先生と、私を含めて「甲南麻雀連盟会員」が四人もいることが判明した。
同僚の教師を次々と雀友にしているのか、雀友を選択的に同僚に迎えているのか、前後関係は定かではないが、私が仕事と遊びの境界線をきちんとつけることのできない人間であることはたしかである。
土曜日はほんらい夏休み初日のはずであるが、共同通信に送った原稿を間違えてもう一度日経に送ってしまい「字数が合いません」という指摘を受けて始めて「恐怖の二重投稿」を犯していたことを知り、パニックとなる。
物書き業界から永久追放級のチョンボである。
連載の締め切りが立て込むと、こういう事件が起きてしまうのである。
危ないところであった。
ひさしぶりに合気道の稽古。
岡田山ロッジでの稽古に20人も詰め込んだので、「サウナの中で合気道をしている」ような感じになる。
ドクターが脱水症状でダウン(お大事に)。
おいちゃんがアメリカから帰ってきたので、ご挨拶に来る。
「ミネソタ雪ん子日記」は2年間で投稿1回きり、という前代未聞の筆無精を記録したことになる。
稽古のあと、ソッコーで帰宅して、これまた久しぶりの甲南麻雀連盟例会。
最近、あまり勝率がよくないので、戦績報告をしていないのであるが、私は勝ち数は単独1位をキープしているものの、勝率はまだ3割に達せず、画伯の後塵を遠く拝しているので、この件についてはあまり論及したくないのである。
画伯は負けているときは機嫌が悪いが、勝っているときは機嫌がよく、負けているときも勝っているときもいつも変わらず威張っている。
日曜はオープンキャンパス。甲野先生、島崎先生とのトークセッション、120分一本勝負。
投票をすませてから、とことこと炎天下を大学へ。
この二人の話はすごく面白いであろうと予測していたけれど、案の定、めちゃめちゃ面白かった。
げらげら笑っているうちにあっというまに2時間終了。
終了後、甲野先生とサイン会(今回のスポンサーはバジリコなので、安藤さんが甲野本とウチダ本を展示即売)。
そのあと、たくさん来賓が来ているので、どこかでどっと打ち上げをしたいが時間が中途半端で、人数が中途半端ではない。
しかたなく「芦屋にGO」ということになる。
甲野先生、安藤さん、新潮社の足立さん、医学書院の鳥居くん、本願寺のフジモトさん、朝カル大阪の森本さんと桃井さん、江さん、青山さん、かんちきくん、画伯、平尾さん、ウッキー・・・
昨日同じ部屋で麻雀を打っていたメンバーが五人もいる。
この方たちはいったいどういうプライベートライフを送っておられるのであろうか。
安藤さんと鳥居くんが「麻雀やりましょう」と言い出したので、隣室では麻雀、私は吉本隆明対談の直しの締め切りを忘れていたので8時までそれにかかりきり、甲野先生は「どうしてネアンデルタール人は滅亡したのか」というようなハイブラウな話をウッキーと青山さん相手に語るというグランドホテル形式のパーティであった。
仕事が終わったので、ワインを片手に全員で開票速報に見入る。
開票速報というのはこれくらいの人数でわいわい言いながら見るのがいちばん楽しい。
甲野先生は明日から三日連続の集中講義in 神戸女学院である。
ウッキーが全講義を映像に記録することになっている。よろしくね。
もうろうとして起き出した月曜は、本来であれば夏休み三日目のはずであるが、もちろん仕事。
兵庫県私立中高連合会の中堅教員研修会での講演のために舞子ビラへ。
兵庫県の私立高校の先生方というのは私どもの「メイン・クライアント」であるからして、教務部長としてこのような営業機会は決して逸することができないのである。
入学センターのヒラヤマさんから「おみやげたくさんもってゆきなさい」と厳命されたのであるが、大学案内とかDVDとかかさばるものを数十人分もってゆくのはゴメンである。
いちばん軽い女学院グッズということで「付箋」をおみやげにする。
お題は「学びからの逃走・学びへの回帰」。
似たようなテーマでこれまであちこちで喋っているのであるが、いつも申し上げているとおり、こういうのは志ん生の「火焔太鼓」と一般で、反復による芸の深まりを味わうのが正しい作法なのである。
とはいえ、昨日は遅くまで開票速報をみて、日本の来し方行く末について考えていたので、その話をマクラにふる。
「金の全能性」についての信憑がこれほどまで人心に瀰漫した時代は日本の歴史を繙いてもかつてなかったのではないか。
金余りのバブル期の方がむしろ「金を軽視する風儀」はあったように思う。
今は金の話をする人間は総じて「おおまじめ」である。
それどころか「金が足りない」とか「金をもっとよこせ」ということばを「政治的正しさ」の語法で語りさえする。
これが下品な物言いだということを指摘する人間がもういないほどに下品な社会に私たちは暮らしている。
講演後、毎日新聞の取材で、「自民党の歴史的惨敗」についてコメントを求められるので、つぎのようなことをしゃべる。
自民党というより、安倍首相を批判したいので民主党に投票したという行動の表れだろう。
首相は個性のつよい政策を掲げ、主張にもそれなりの整合性があるのだが、異論をほとんど顧慮しない態度を貫いた。
それが有権者の不興を買って、大敗につながったと私は解釈する。
閣僚の失言問題や事務所費問題でも、メディアに対して木で鼻をくくったような対応に終始した。
記者たちは(制度的には)有権者代表として質問しているわけである(だから赤木農相に「大臣!領収書はどうするんですか!」というような先方だって返事のしようのない、でもそれを訊かずにすますわけにはゆかない質問をぶつける)。
これらのふつごうな質問ぶしつけな質問を安倍首相は無視した。
この首相の態度を有権者はおそらく国民への「侮り」と受けとったのである。
その点が流動するポピュラリティの「恐ろしさ」を熟知していた小泉前首相と違う。
不快な質問や厳しい指摘へのスマートでソフトな切り返しは内政でも外交でも必須の資質である。
安倍首相にはそれが致命的に欠けていた。
一方、民主党の小沢代表は権威主義的な印象が強かったが、「生活者目線に立つ政治家」への変身を試みて、とりあえず成功した。
戦術的迂回を厭わず、ひたすら政権に意欲を見せる小沢代表の方に有権者は政治家としての成熟のしるしを見たのだろう。
兵庫選挙区も、政党名のみで投票行動が決まる記号的な選挙だった。辻、鴻池両氏の個人的な政治力や資質はほとんど論じられず、民主か自民かの二者択一がなされた。
本来、参院議員は固有名において選ばれるべきだが、過度の政党化のせいで、政治家の個人的資質や力量は今やほとんど誰も問わなくなった。
その結果、大勝した政党は(当選するはずがないだろうと思って、頭数を揃えるために公認しちゃった)質の低い議員を抱え込むことになる。
「小泉チルドレン」たちが、当選後さまざまな愚行を犯して、自民党の今日の大敗の伏線を引いたように、今回当選した「小沢チルドレン」たちが、次の国政選挙での敗因になる可能性がある。
彼らは年齢的に若いから、当然民主党内での前原前代表らのグループが取り込みを企て、世代間の権力闘争がまた再燃するであろう。
大勝した政党がコントロールできない要因を抱え込んで苦労して、次の選挙で大敗するという奇妙な多数派交代メカニズムができつつあるように見える。
何なんでしょうね、これは。

2007.07.31

鼓腹撃壌のしあわせ

安倍首相は続投のようである。
「厳しいご批判を頂いたので、このまま職責を全うすることで負託された使命を果たしたい」という、企業不祥事を起こした会社の経営者が「最初の記者会見」で必ず口にする台詞を首相も繰り返した。
不思議なロジックである。
「不思議」というのは「不合理」ということとは違う。
仕事に失敗したときに、その場から逃げ出さす、踏みとどまって批判の十字砲火の下で引き続き仕事をするという選択は「あり」である。
「あり」どころか、場合によっては、それなりに自負心のある人間にしか下せない勇気ある決断と申し上げてよい。
しかし、これが「勇気ある決断」として称揚されるためにはひとつだけ条件がある。
それは「この決断を下した人はこれまで高い確率で正しい決断を下し続けてきたので、この『勇気ある決断』もまた正しい決断である蓋然性が高い」という外部評価が存在することである。
失敗を咎められた人間が「引き続き職責を全うするという私の決断の正しさを信じて欲しい」と切り返すことができるためには、「直近の失敗を除いては、彼はこれまでほとんどの決断において正しい判断を下し続けてきた」ということについての集団的合意が成り立っていなければならない。
問題はロジックそのものの構造的整合性にではなく、計量的なレベルにある。
安倍首相がこれまで重要な政治的選択においてほとんどすべて正しく、今回に限ってしくじったということであれば、「引き続き職責を全うして・・・」というロジックは成立する。
これまで下した重要な政治的選択の多くですでに誤りを犯している場合には、今回の進退にかかわる選択でも誤りを犯している可能性が高い。
そういうふうに推論するのが合理的である。
私は「安倍首相がこれまで重要な政治的選択においてほとんどすべて正しく、今回に限ってしくじった」という判断には与さない。
国民の大多数とともに、彼が就任以来10ヶ月の間に下してきた政治的決断のうちに適切でないものがあまりに多かった事実がこの歴史的大敗を結果したという判断に与するのである。
したがって、今回の「続投宣言」という政治決定もまた不適切なものである可能性が高いと推論する。
桝添要一は選挙戦の最初のころは「獲得議席が40を切るようなら首相は退陣するのが当然である」と語っていたが、選挙が終わったら、「今は後継者争いのようなことができる党内事情にはない」という理由で安倍続投を支持すると意見を変えた。
政治的意見なんかいくら変えてもらっても結構であるが、一国の総理大臣の政権維持を支持する唯一の理由が「党内事情」であるということをマスメディアで公言したことの意味は重いと思う。
この総理大臣を選択することが「日本の国益の増大に資する」という論ならわかるけれど、「自党の党益の増大に資する」という論は寡聞にして、これまで聞いたことがない。
もちろん本音はいつでも「党益」「閥益」「自己利益」なのであろうが、それでもそれをなんとか「公益」として偽善的にいいくるめなければ世間に通らないというところで、政治的正義はかろうじて担保されてきたという切ない事情だってあるのである。
どうやら日本の政治家たちは合理的に思考し、推論するという知的習慣から急速に無縁になりつつあるようである。
しかし、私はそれを別に悲しんではいない。
統治者がどれほど愚鈍であっても、それでもなお国境線が守られ、法治が行われ、通貨が安定しているなら、それこそが「すばらしい国」だと言うことができる、というのが私の持論である。
例外的にすぐれた統治者でなければ治められない国の国民であるより、どれほど愚鈍な統治者であっても人々が鼓腹撃壌をことほぐことのできる国の民であることの方が100倍も幸福なことである。


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