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2007年06月 アーカイブ

2007.06.04

とっても大変な三日間

金曜日は甲野善紀先生の講習会講演会。
本学特別客員教授としての最初のイベントであり、本学教職員への「おひろめ」の意味も含めて告知していたのであるが、学生、教職員の参加は少なく、ちょっと残念である。
しかし、甲野先生はそんなことをすこしも気にしないで、講習会から懇親会まで楽しそうに私たちのお相手をしてくれた。
7月29日にはオープンキャンパスで島崎徹先生と私との鼎談が予定されている。これは絶対面白いはずだから、みなさん見に来てくださいね(午後1時より本学講堂にて。学外者も参加自由です)。
今回の講習会は卓球元インカレ王者ミキハウスの渡辺裕子さんと、大阪府立高校の先生で合気道家の溝脇元志先生が初登場。
渡辺さんは平野早矢香さんと仙台育英高校で美少女ペアを組んでいた。すぱっと吹っ切れた感じが似ている。
卓球のような運動の場合は、潜在意識で動かないとボールスピードに間に合わない。山田コーチが甲野先生のところに弟子たちを連れてくるのはたぶん「潜在意識で動く身体の速度」を実見させるためなのであろう。
溝脇先生は教育者でありかつ合気道家である。当然、懇親会では公立高校における教育と武道のことが熱い話題になる。
現場の先生たちと話す機会がこのところ多い。
私が会う先生たちだけが特別なのでなければ、現場の先生の気質は昔と変わっていない。どなたも理想主義的で、血が熱い。
諏訪先生が「時代が変わっても教師は変わりません」と語っておられたが、私も同感である。
教育改革がこのような熱意ある先生たちを「支援する」というかたちをとらず、むしろその熱意に水をかけ、ペーパーワークで憔悴させるような政策だけを選択しているのはどうしてなのか。
おそらく、教育者のもつこの「制度的惰性」が行政は気に入らないのであろう。
上が「右」と言ったら、一斉に「右」を向くような上意下達の「すっきりした」教育システムを作りたい人間からすれば、時代を超えて受け継がれる「教員的エートス」のようなものは邪魔でしかない。
無意識にか意識的にか知らないけれど、そのような教員固有の「型」のようなものを壊したいと政治家や教育官僚は望んでいるのだろう。
しかし、それを一度壊してしまったら、もう学校というシステムは二度と機能しなくなるということが彼らにはわかっているのであろうか。
教育は(ほかのすべての仕事がそうであるように)本質的にオーバーアチーブである。
その成果が子どもたちのリアクションとして直接返ってくるせいで、そのつど動機づけが強化されるから、オーバーアチーブ度がきわだって高い職種なのである。
そのオーバーアチーブメントによって教育は支えられてきたのである。
もし、教師が「労働契約に記載してあるだけの仕事しかしない」ようになったら、教育は終わる。
ならば、教育改革というのなら、どのようにして教員の動機づけを高めることができるかを論じるべきだろう。
それなら答えは簡単だ。
教師ひとりひとりにできるだけ自由裁量権を与えることである。現場における自由闊達な創意工夫に制度的な縛りをかけないことである。
メディアで教育改革について発言しているのはこの理路がどうしても理解できない人間たちばかりである。
一度現場におりて来て教師をしてみれば、そんなことはすぐにわかるはずなのに。

土曜日は朝から下川先生のところで最後の特訓。拍子を一箇所間違えたので、やり直し。汗だくになる。
そのまま走って合気道の稽古へ。
大変な人数が来ていて、80畳の道場が狭く感じられる。湿度がすごい。
へとへとになって家に戻り、着物の手入れ。
モーツァルトを聴きながら長襦袢に半襟をちくちく縫いつけてゆくと、ほっこり幸せな気分になる。
さらに楽のおさらいを5回。
何度やっても、一箇所間違える。
本番の舞台で間違えると、その瞬間に「頭がまっしろ」になって、自分がどこで何をしているのかわからなくなると下川先生に何度も脅かされているので、一箇所間違えるのは致命的である。
間違えなくなるまで繰り返す。
朝も早起きして、おさらいを2回。
湊川神社で下川正謡会。
素謡『花筐』のワキと舞囃子『鶴亀』。
舞台に出ると、気分が落ち着いてきて、ありがたいことにノーミスで舞い終わる。
人前でしゃべる仕事はいくらもするし、人前で合気道の演武することもしばしばあるが、それで緊張するということはない。
緊張するのは能の舞台だけである。
わずか数十人の観客(その大半は身内)の前であるにもかかわらず緊張するのは、これが私の「オリジナル」作品ではなく、数百年にわたって継承されてきた「型」の再演だからであろう。
たくさんの方が来てくださり、楽屋見舞いも持ちきれないほど頂いた。この場を借りてお礼を申し上げます。
打ち上げのビールを飲んでようやくほっとする。
私が年に一度だけ柄になく緊張し、年に一度だけ深い解放感を味わうことができるのがこの日なのである。
こういう「めりはり」が人間には必要なのであろう。

2007.06.06

国語教育について

大学院のゼミでは国語教育について論じる。
国語力の低下が子どもたちの学力の基盤そのものを損なっていることについては、すでに何度か言及した。
何が原因なのかについては諸説があるが、「言語のとらえかた」そのものに致命的な誤りがあったのではないかというラディカルな吟味も必要だろうと私は思う。
「いいたいこと」がまずあって、それが「媒介」としての「言葉」に載せられる、という言語観が学校教育の場では共有されている。
だが、この基礎的知見そのものは果たして妥当なのか。
構造主義言語学以後(つまり100年前から)、理論的には言語とはそのようなものではないことが知られている。
先行するのは「言葉」であり、「いいたいこと」というのは「言葉」が発されたことの事後的効果として生じる幻想である。
とりあえずそれがアカデミックには「常識」なのだが、教育の現場ではまだぜんぜん「常識」とはされていない。
私が何かを書くとき(例えばいましているように)、書き始められたセンテンスは前後の文脈や統辞上の制約や私の「書き癖」のせいで自動的に一文をなす。
そうやって自分が書いた文を私は読者になって読み返す。
読んで「なるほど」と納得することもあるし、「何か違う」と思うときもある。
たいていは「何かが違う」と思う。あるいは「何かが足りない」とか「何かが過剰である」と思う。
私はその印象にしたがって文を補綴し、あるいは削除し、あるいは加筆する。
そうやってあれこれいじりまわしているうちに「読んでそれほど違和感のない」文章が出来上がる。
この文章を「それほど違和感がない」と感じているもの、それが発話主体である。
文章を書き終えたあとにはじめてその文章を書いた人間の言語運用の「好み」がすこしだけわかる。
エクリチュールというのはそのように構造化されている。
モーリス・ブランショはこう書いている。
「作家はその作品を通じてはじめて自分の位置を知り、自分をかたちにする。作品より以前に、作家は自分が何ものであるかを知らないばかりか、何ものでもない。作家は作品のあとにはじめて存在し始めるのである。」(Maurice Blanchot, ‘La littérature et le droit à la mort’ in La Part du Feu, Gallimard,1949, p.296)
「いいたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める。
極端なことをいえば、「私」は「私が発した言葉」の事後的効果として存在し始めるのである。
その点で私はブランショに同意する。
理論的に整合的であるばかりか、実感としてその通りだと思うからである。
しかし、実際には国語教育はこれを逆転させた了解から成立している。
まず「いいたいこと」があり、それが「言葉」という不完全な表現手段を経由して読者や聴き手に到達する。
そういう言語観が採用されている。
その「不完全な媒介者」を遡及して、首尾良く「いいたいこと」に到達すれば「読解の成功」であるというふうにみなさん考えている。
だから、そういうしかたで「長文読解」問題は構成されている。
「作者は何がいいたいのか?」というのはもっとも頻繁に提示される問いのかたちだが、私はこの問いにどんな意味があるのかいまだによくわからない。
私自身の書いたものは現代文の入試問題に多く採用されている。
問題用紙が送られてくるので、たまにそれを読む。
そして、「作者は何がいいたいのか?」という問いの前でそのつど立ちつくす。
いくつかの選択肢があり、そのほとんどは誤答なのであるが、にもかかわらず私は遅疑なく選択することができない。
「私はいったい何が言いたかったのか?」
改めて考えると、私にもよくわからないからである。
もうずいぶん前に書いたものであり、私がけっこう気合いを入れた書いた文章である以上、そのときには「どうしてもこれだけは言っておかねば」というようなメッセージが生き生きとして私の内部に存在したのかもしれない。
しかし、それはあらかた消えて、今の私の中には存在しない。
でも文章は残っている。
それはまぎれもなく私の文章である。
私の好きな音韻と私の好きな字体の文字が私の好きなリズムで書かれている。
書いたことを覚えていないし、何を言いたくて書いたのかもわからないにもかかわらず、「これは私の文章だ」ということは100%の確信をもって言うことができる。
でも、これはちょっとおかしくはないだろうか?
作者自身が「自分がいいたいこと」が何だかは確信がないのに、「これは自分の文章だ」ということには確信がある。
例えば、私が二十歳のころに書いた政治的文章がある。
私はその主張にほとんど共感できない。
「若造が何を言ってやがる」と思う。
けれど、それがまぎれもなく私の書いた文章であることはわかる。
こういう文章は私しか書かないからだ。
コンテンツはもう私のものではないが、ヴィークルは今も私のものである。
ということは、「言葉」が私にとって生理過程に近い、一次的なものであり、「いいたいこと」の方が副次的、派生的なものだということになる。
「言葉」の物質性はまぎれもなく私のものであるが、メッセージは極端な話どこかで聴いた誰かの話の受け売りなのである。
小学校五年生のときにはじめてエルヴィスを聴いたときに私は思わず小さく震えたが、英語の歌詞の意味はぜんぜんわからなかった。
「湯煙夏原ハウンドドッグ」でも来るべきものはちゃんと「来る」のである。
そのことに「驚く」べきではないのか。
だが、国語教育はなぜか「意味」に拘泥する。作品を「作者の意図」に従属させて怪しまない。
だが、『ハウンドドッグ』の歌詞カードを読んで、「エルヴィスはこの曲を通じて何が言いたいのでしょうか?」と訊くのがまるで無意味な問いであることは誰にでもわかるであろう。
音楽の命は音の物質性のうちに棲まっている。
言語も同じである。
言語の命は言葉の物質性のうちに棲まっている。
強い言葉があり、響きのよい言葉があり、身体にしみこむ言葉があり、脈拍が早くなる言葉があり、頬が紅潮する言葉があり、癒しをもたらす言葉がある。
現実に読み手聴き手の身体を動かしてしまうというのが「言葉の力」である。
言葉には現実を変成する力がある。
そのような言葉に実際に触れて、実際に身体的に震撼される経験を味わう以外に言語の運用に長じる王道はない。
言葉によって足元から揺り動かされる経験に比べれば、読みの適否なんかどうだってよいではないか。
子どものときからそのような「力のある言葉」を浴び続けることだけが重要なのである。
その経験を通じて、はじめて「諧調」とは何か、「響き」とは何か、「論理性」とは何か、「抒情」とは何かということが実感としてわかるようになる。
ある文章が論理的であるか非論理的であるかを判定するのは推論の働きではない。
論理的な文章は「気持ちがよい」が、非論理的な文章は「気持ちが悪い」。
それを判定するのはフィジカルな感受性である。それは幼いころから美しい音楽を浴びるように聴いてきた子どもが演奏の半音のずれを「不快な音」として聴き咎めてしまうのと同じである。
論理性を身につけるためには、論理の運びが美しい文章を浴びるように読む以外に手だてはない。
「力のある言葉」を繰り返し読み、暗誦し、筆写する。
国語教育とは畢竟それだけのことである。
江戸期の名書家沢田東江の「東江書話」には次のような言葉がある。
「学才なき人の書は見るにたらず。いはんや代をさりてむかしを慕ひ、国を隔ててその体を学ぶにおいては、学才なき人は見識もひらけず、その書おのづから俗態をなすもことわりなり。もし詩文をよくせずとも、実に書を好むとならば、その典刑とする法書を見、論譜を読て、古人の心を用ゐたるおもむきをもたづぬべき事ぞかし。」
「古人の心」に現代人は逆立ちしても手が届かない。
しかし、源泉を探って遠く先哲の室に参ずるための物質的手がかりはさしあたりその書しかない。
そして、そこから遡及して古人の心を訪ねてみても、たどりつく先は一人一人ばらばらである。
別にそれでいいじゃないかと私は思う。
そうやって人間はいろいろなことをてんで勝手に学んでゆくことになるのである。
リアルなのは言葉だけである。
言葉の向こうには何もない。
けれども言葉は「言葉の向こう」があるという仮象をつくりだすことができる。
「言葉以上のものがある」と信じさせることが言葉の力の効果なのである。

2007.06.08

Who is to blame?

社保庁問題がメディアを賑わせている。
これだけのミスが累積するのだから、構造的にもいろいろとむずかしい問題がある制度なのであろうが、それにしてもここまで問題を深刻にしたのは歴代の社保庁の役人たちのメンタリティの問題だろう。
そして、そのメンタリティは悲しいかな程度の差はあれ私たちの社会の全域に瀰漫しつつある。
それは「前任者の不始末をなんで私が尻ぬぐいしなくちゃいけないんだ」という不満に「理あり」とする態度である。
「この不祥事の責任を問う」という言葉は勇ましいし、合理的に聞こえるけれど、実際には責任の淵源を探ってゆくと、最後に発見されるのは、誰でもやるようなわずかな事実誤認や見落としだけである。
ほとんどすべてのシステムトラブルは誰でもするようなケアレスミスから始まる。
そんなものにシステムをクラッシュさせるような力はない。
システムをクラッシュさせた責任は、「起源」にはない。
このことをみなさんはお忘れであるようなので、ここに大書するのである。
システムをクラッシュさせた責任は「誰に責任があるのだ」と声を荒げる人間たちだけがいて、「それは私の責任です」という人間がひとりもいないようなシステムを構築したこと自体のうちにある。
行楽地で空き缶を捨てようときょろきょろしている観光客がいる。
どこにも空き缶が捨ててないと、しかたなくマイカーに持ち帰る。
一つでも空き缶があると、「やれやれ」とうれしげにそこに並べる。
そういう人間「ばかり」だから、空き缶一つをトリガーにして、あっというまにゴミの山ができあがる。
私たちの社会はそういうふうにできている。
何もないところにゴミを捨てる根性はない。
でも、一つでもゴミが落ちていれば、ほっとして捨てる。
公共の場所にゴミをすてることがシステムを「汚す」ネガティヴな行為であることはわかっている。
けれども、自分より先にそれをした誰かがいた場合には、その誰かに「トラブルの起源」を先送りすることができる。「私が来るより前から『こんなふう』だったんです。私はトラブルの起源ではありません」というエクスキュースが通るとわかると、どんなひどいことでもできる。
それが私たち日本人である。
最初の空き缶をとおりがかりの誰かが拾えば、それでゴミの山の出現は阻止できたのである。
だが、「なんで、オレがどこの誰だかわからないやつの捨てたこきたねえ空き缶を持ち返らなきゃいけないんだよ!」と怒気をあらわにすることが「合理的」であるという判断にほとんどの人が同意するがゆえに、「一個の空き缶」で済んだものがしばしば「ゴミの山」を結果するのである。
社保庁でも事態は同じであったろうと思う。
ミスは40年以上前から指摘されていたそうである。
そのときの社保庁の人間は「前任者のしたミスの後始末をなんでオレがしなくちゃいけないわけ?」と思った。
そして、自分のこの判断は「合理的」であり、国民の過半はこの判断に同意してくれるだろうと彼は信じたのである。
他人の犯したミスを「私の責任でただします」というようなことを社保庁はその吏員に求めていない。
社保庁だけでなく、日本的システムは総じてすべてそうである。
いったん事件化したあとになって「誰のミス」であるかを徹底究明することには熱心だが、事件化するより先に「私の責任」でミスを無害化する仕事にはほとんど熱意を示さない。
システムは放っておけばかならずどこかで不具合を起こす。
この不具合がもたらす被害を限定するためには二つの方法がある。
「対症」と「予防」である。
「責任を徹底追求して、二度とこのような不祥事が起こらないようなシステムを構築します」という考え方を「対症的」という。
「二度とこのような不祥事が起こらないシステム」などというものは人間には構築できない。
不祥事を阻止できるのはシステムではなくて、その中で働く固有名をもった個人だけだからである。
ここにミスがある。誰が犯したミスだか知らないけれど、放置しておくといずれ大きな災厄を招きかねない。だから、「私の責任において」これを今のうちに片付けておこう。
そう考えるのが「予防」的な発想である。
「予防」はマニュアル化できない。
というのはマニュアルというのは責任範囲・労働内容を明文化することであるからであるが、ミスはある人の「責任範囲」と別の人の「責任範囲」の中間に拡がるあの広大な「グレーゾーン」において発生するものだからである。
誰もそのミスを看過したことの責任を問われないようなミス。
グレーゾーンにはそのようなミスが構造的に誕生する。
「それは私の仕事じゃない」
これがわずかなミスを巨大なシステム・クラッシュに育て上げる「マジックワード」である。
たしかに「予防」は仕事をふやす。
場合によっては「自分のミスではないミスの責任者」というかたちでネガティヴな評価を受けることもある。
けれども、それがいちばん効率の良いシステム防禦策である。
「いいよ、これはオレがやっとくよ」という言葉で未来のカタストロフは未然に防ぐことができる。
けれどもカタストロフは「未然に防がれて」しまったので、誰も「オレ」の功績を知らない(本人も知らない)。
そういうものである。
成果主義は、この「成果にはカウントされないが、システムの崩壊をあらかじめ救ったふるまい」をゼロ査定する。
だから、完全な成果主義社会では、システム崩壊を未然に防ぐ「匿名で行われ、報酬の期待できない行為」には誰も興味を示さない。
私たちの社会システムはそんなふうにしてしだいに危険水域に近づいている。
「誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方途はないと私は思う。
前途遼遠だが、それしか方法はない。

2007.06.11

奥州三昧ツァー

菅原美喜子さんの主宰する多田塾奥州道場で多田先生の講習会があるので、岩手県までゆく。お供はいつものウッキー。
五月は広島の講習会に行き、全日本でお会いし、五月祭で説明演武を拝見して(帰りに赤門前のそば屋でおそばもごちそうになり)、奥州でもまる二日間。トータルすると、この一ヶ月のうち6日間多田先生とご一緒したことになる。
多田先生のそばにいると、心身四肢五臓六腑が細胞レベルから活性化してくる。
こういう感じを経験のない人に伝えるのはなかなか困難であるが、熱く細かい波動が先生から送られてくる。
これはその場にいる全員が感知してよいはずであるが、不思議なもので、あれほどはっきりした波動に触れながら、「感じない」人もやはりいる。
どういう人が感じ、どういう人が感じないのか。この区別がだんだんわかるようになってきた。
良導体の人は感じ、そうでない人は感じない。
「良導体」というのは、その波動を次のひとへできるだけ正確に「手渡す」ように受信する人のことである。
伝達するためには、あいだにはさまった自分自身の器の小ささや導体としての通りの悪さによって受けとったものを縮減したり、情報を「汚したり」しないように、とにかく透明感のある状態を維持することが必要である。
私自身について言えば、17年前、自由が丘道場を離れて関西に来てから、合気道の稽古時間は激減した。
けれども、合気道の理解は東京で集中的に稽古しているときよりもむしろ進んだ。
それは「伝えなければならない」相手ができたからである。
それまでは私自身が多田先生のメッセージの「エンド・ユーザー」であった。
先生のおっしゃることがうまく理解できなくても、それによって困るのは私一人である。
精進の不足はわが身一身の不出来で完結する。
いっそすがすがしいように聞こえるけれど、これはやはり修行の妨げになるマインドセットであったのである。
私の理解が足りないことによって、私がリレーする「次の人」が困る、という状況に立ち至ってはじめて、私はそれまでとまったく違う注意力をもって先生のお話を聴くようになった。
それまでは「これは、わかる。これはわからない」というふうに自分自身をスクリーンにして、「とりあえず、わかることからきちきちと片付けよう」というふうに稽古していた。
ところが弟子ができると、「これはわからない」と放っておくわけにはゆかない。
私には師匠がいるから、たとえ「わからない」ことでも、稽古のときに先生に言われるままに身体を動かしていれば、それなりに「何か」が身についた(はずである)。
けれども、私が「わからない」から「やらない」というスクリーニングをかけてしまうと、「それ」はもう次世代には継承されない。
弟子を持つというのは「わからないこと」でも次世代に伝えなければならないという切羽詰まったポジションに立つことである。
何しろ「よくわからないこと」を伝えるわけであるから、こちらも必死である。
自前のフレームワークに落とし込んではならない。それでは古諺にいう「寝台に合わせて足を切る」ことになる。
聴いたままを伝え、見たままの動きを再現しようとするしかない。
その状態が「良導体」というありようである。
そして、「エンドユーザー弟子」から「パッサー弟子」の立場に移行したときに、先生の送ってくる波動がいきなり「びりびり」と感じられるようになったのである。
考えてみれば当然のことである。
波動の本性は「伝播すること」である。
そこでデッドエンドであるような個体に波動を送ってもしかたがない。
先生の教えを独占しようとしていたときには伝わらなかった波動が、先生の教えを次にパスしなければと思ったときにはじめて烈しく私の身体を揺り動かし始めたのである。
「波動」ということばをつかったけれど、この「 」の中にはどんな言葉でも代入できる。
「愛」でもいい、「言葉」でもいい、「お金」でもいい。
この三つはレヴィ=ストロースが「コミュニケーションの三つのレベル」という言い方で指示したものだ。
親族、言語、経済活動。
それらの人間的諸活動はいずれも私たちに「良導体であれ」ということを指示している。
私たちが欲するものは、それを他人に与えることによってしか手に入れることができない。
人間はそのように構造化されている。
あるいは、そのように構造化されているものだけを「人間」と呼ぶのである。
二日間たっぷりお稽古してから、平泉のわんこそばを食べる。
お帰りになる多田先生と月窓寺の諸君を見送ってから、自由が丘道場の大田さんご夫妻とごいっしょに、平泉在住の小野寺親先輩のご案内で中尊寺に詣でる。
新緑の美しい中尊寺で金色堂を拝観。
夕方近かったので拝観者も少ない。さわやかな「霊気」が皮膚の肌理をとおして身体にしみこんでくる。
境内の古びた能楽堂では喜多流の会をやっていた。
能楽堂から響く謡が新緑の中に流れ出て、あたりに吸い込まれる。
謡というのは、ほんらいこういうふうに地面や空や木々にしみこむものなのだということが実感される。
菅原さん、小野寺さん、奥州道場のみなさん、ご歓待に感謝を申し上げます。また来年遊びにゆきますね。

2007.06.12

こんなことを書きました

『大航海』と『潮』と『熱風』と『中央公論』が同時に送られてきた。
白川静論、関川夏央さんとの対談、貧乏論、諏訪哲二さんとの対談である。
『大航海』と『熱風』は一般書店ではなかなかみつからない媒体であるから、読者サービスとしてここに掲載することにする。白川静論は25枚。ちょっと長いよ。では、どうぞ。

白川先生から学んだ二三のことがら
 白川静先生は、私がその名を呼ぶときに「先生」という敬称を略することのできない数少ない同時代人の一人である。私は白川先生の弟子ではないし、生前に講筵に連なってその謦咳に接する機会を得ることもなかった。けれども、私は書物を通じて、白川先生から世界と人間の成り立ちについて、本質的なことをいくつか教えて頂いた。以下に私が白川先生から学んだ二三のことがらについて私見を記し、以て先生から受けた学恩にわずかなりとも報いたいと思う。
私が白川先生に学んだ第一のものはその文体である。
 先生の文体は苛烈なほどに断定的である。例えば、孔子の出自について記した次の一節。
 「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語はすべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早くに孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思想は富貴の身分から生まれるものではない。」(白川静、『孔子伝』、中公文庫、2003年、26頁)
 白川先生は司馬遷に向かって、孔子について彼の記すところは「すべて虚構」であり、「拙劣な小説に似ている」と言い切る。手に入る限りの史料を、雑説を含めて検証し尽くしたことに満腔の自負を持っている学者でなければ、このような文体を選ぶことはできない。「これ以上調べることはできない」という限界までたどりついた人間だけがかかる断定におのれの知的威信をかけることができる。私はその自負と、その自負を支える圧倒的な学殖にほとんど打ちのめされるのである。
 断定することはむずかしい。断定しなくてもよいのであれば、学者の仕事はずっと楽になる。「・・・という説もあり、・・・という説もある。その当否はしばらく措く」というような言い方が許されるなら、資料批判の重荷はずいぶん軽くなるだろう(現に私はそのようにして心理的負荷を軽減している)。しかし、白川先生はこれを退ける。「判断保留」は一見すると客観性を装ってはいるが、実はしばしば不勉強者の遁辞にすぎぬことを白川先生は見抜いているからである。「こちらの言い分も、あちらの言い分も、それぞれに掬すべき知見が含まれる」というようなことを、例えば私が書くときには、たいていの場合、私はろくに調べもしないでそう書いている。「そんなことの正否なんかどうだっていいじゃないか」と思っているからこそ、平然と判断保留して話を先に進められるのである。
 「断定する学者」に私は本能的な畏怖を感じるのはそのゆえである。その恐るべき研究の蓄積に対して以上に、その研究を動機づける、「あらゆる手立てを尽くして正否を明らかにしなければならないほどに例外的に重要な論件」こそが「私の問題」であるだと言い切れる自負と自尊に対して、私は畏怖を覚えるのである。
 白川先生が司馬遷の論の破綻をきびしく咎めたのは、孔子という人について、その正確な人物像を一点一画を忽せにせずに描き切らねばならないという責務を自らに課したからである。それは先生が孔子という人物のうちに自身の「理想」を見出したからである。そして、「孔子の偉大性」について、学術的で客観的な言語で記述することに先生がこだわったのは「人間が偉大であるとはどういうことか」という白川先生個人にとっての実存的な問いにそれがまっすぐ繋がっていたからである。孔子について先生はこう書いている。
 「孔子は偉大な人格であった。中国では、人の理想態を聖人という。聖とは、字の原義において、神の声を聞きうる人の意である。孔子を思想家というのは、必ずしも正しくない。孔子はソクラテスと同じように、何の著作も残さなかった。しかしともに、神の声を聞きうる人であった。その思想は、その言動を伝える弟子たちの文章によって知るほかはない。人の思想がその行動によってのみ示されるとき、その人は哲人とよぶのがふさわしいであろう。」 (同書、12-13頁)
 白川先生が司馬遷の孔子世伝の杜撰を咎めたのは、司馬遷にとっては孔子が歴史上の「偉人」のうちのone of them に過ぎなかったのに対して、白川先生にとって孔子はかけがえのない先賢だったからである。そのことは最初の引用の最後の、叩きつけるような次の言葉から窺い知ることができる。
 「思想は富貴の身分から生まれるものではない。」
 この断定は発話者がその身体を賭して「債務保証」する以外に維持することのできぬものである。私は白川先生がどのような前半生を過ごされたのか、略歴によってしか知らない。けれども、それが「富貴」とほど遠いものであったことは知っている。さしあたり「思想は富貴の身分から生まれるものではない」という命題の真正性を担保するのは、一老学究の生身の肉体と、彼が固有名において生きた時間だけである。この命題はそれ自体が一般的に真であるのではなく、白川静が語った場合に限って真なのである。世の中にはそのような種類の命題が存在する。そのことを私は先生から教えて頂いた。それが第一の学恩である。

 私が蒙った第二の学恩もまた第一に劣らず実存的な知見である。私は白川先生から「祖述者」という立ち位置の重要性を教わった。
 白川先生は人間の知性がもっとも活性化するのはある理説の「創始者」ではなく、その「祖述者」の立ち位置を取るときであると考えていた。先生はそれを孔子から学んだのである。
孔子が治世の理想としたのは周公の徳治である。けれども、孔子もその同時代人ももちろんその治世を現認したわけではない。孔子の時代の魯の国において、周公の治績はすでに忘れ去られようとしていた。孔子はその絶えかけた伝統の継承者として名乗りを上げたのである。その消息について白川先生はこう書いている。
 「過去のあらゆる精神的遺産は、ここにおいて規範的なものにまで高められる。しかも孔子は、そのすべてを伝統の創始者としての周公に帰した、そして孔子自身は、みずからを『述べて作らざる』ものと規定する。孔子は、そのような伝統の価値体系である『文』の、祖述者たることに甘んじようとする。しかし実は、このように無主体的な主体の自覚のうちにこそ、創造の秘密があったのである。伝統は運動をもつものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである。」 (同書、115―116頁)
 「述べて作らず、信じて古を好む」(述而篇)という構えのうちに、共同体の伝統の「創造的回帰」の秘密はある。「起源の栄光」なるものは、「黄金時代はもう失われてしまった」という欠落感を覚える人によって遡及的に創造されるのである。「周公の理想的治績」のおそらく半ばは孔子の「作り話」である。孔子のオリジナリティは「政治について私が説くことは、私のオリジナルではなく、先賢の祖述にすぎない」という一歩退いた立ち位置を選択した点に存する。
 孔子は「かつて理想の統治が行われていたのだが、それはもう失われ、現代の政治は見るかげもなく堕落してしまった」と嘆くことによって、人間には理想的な徳治をなしうる潜在能力がある(なぜなら人間はそれを失うことができたのだから)という「物語」を人々に信じさせた。
 何かが存在することを人に信じさせるもっとも効果的な方法は「それが存在する」と声高に主張することではない。「それはもう失われてしまった」とつぶやくことである。これは誰の創見でもない。「起源」を厳密な仕方で基礎づけようと試みた哲学者たちは多かれ少なかれ似たような語法にたどりつく。例えば、モーリス・ブランショはこう書いている。
 「神を見た者は死ぬ。ことばの中でことばに生命を与えたものは息絶える。ことばとはこの死の生命なのだ。それは死をもたらし、死のうちで保たれる生命なのだ。驚嘆すべき力。何かがそこにあった。そして、今はもうない。何かが消え去ったのだ。」(Maurice Blanchot, ‘La littérature et le droit à la mort’, in La Part du feu, Gallimard, 1949, p.316 )
 ブランショは起源が「不在」であるという現事実を「何かがそこにあった。そして、今はもうない」という話形に回収することによって起源を基礎づけようとした。私たちが「何かが欠如している」と感じることができるのは、欠性的な仕方ではあれ、その「何か」をすでに知っているからである。
 例えば、愛において、私たちはそれに触れたいと切望する当の対象に自分がすでに結びつけられていると感じる。私たちが何かに「手が届かない」と感じるのは、「手が届かないもの」を持つという仕方ですでにそれに触れているからである。だから、もっとも深い愛は、その人を愛することはその人に出会うより以前に宿命的に定められていたという確信を伴う。
 エマニュエル・レヴィナスは、愛とは「私が私であるより以前の出来事」であると書いている。これは孔子が周公の治績を「私が私となるより以前の出来事」であり、それゆえに私はそれに宿命的に結びつけられていると論じたことと構造的には同一の事況を指しているだろう。
 「愛とは、存在者がそれを探求をしようと発意するより先にすでにそれに結びつけられているものを探求する運動である」(Emmanuel Lévinas, Totalité et Infini, Martinus Nijhof, 1961, p.232)とレヴィナスは書いた。
 孔子が「仁」について述べていることも、おそらくここからそれほどには遠くない。
 「子曰わく、仁遠からんや、我仁を欲すれば、斯(すなわ)ち仁至る。」(述而篇)
 孔子は仁は「遠くない」ところにあると言う。にもかかわらず、仁を求める運動は「死して後已(や)む」(泰伯篇)まで終わることがない。これはどういうことだろう。
 私たちにわかるのは、仁者は「仁が現にここに存在しない」という当の事実に基づいて、仁がかつて存在し、今後いつの日か存在しうることを確信するという、順逆の狂った信憑形式で思考する人間だ、ということである。「我仁を欲すれば、斯ち仁至る」とは、空間的に遠くにあるものを呼び寄せるという能動的なふるまいを指しているのではない。そうではなくて、「仁を欲するもの」が出現することによってはじめて「仁」という概念そのものが事後的に出現するという事況そのものを指しているのである。私はそのように理解した。それは「神を愛する」ということを責務として感じることのできる人間の出現と同時に「神」という概念が出現する構造に通じている。
 その点で、儒家と仁の関係は、ユダヤ人と神の関係に重ね書きすることができると私は思う。ユダヤ人たちの中にはホロコーストの後、彼らの神が民を見捨てたことを恨み、信仰を棄てようとするものが相次いだ。彼らに向かってレヴィナスはこう言った。
 あなたがたは善行を行えば報償を与え、悪行を行えば懲罰を下す、そのような単純な神を信じていたのか。だとしたら、あなたがたは「幼児の神」を天空に戴いていたことになる。だが、「成人の神」はそのようなものではない。「成人の神」とは、人間が人間に対して行ったすべての不正は、いかなる天上的な介入も抜きで、人間の手で正さなければならないと考えるような人間の成熟をこそ求める神だからである。もし、神がその威徳にふさわしいものであるとすれば、神は人間に霊的成熟を求めるはずである。神の不在に耐え、人間が人間に対して犯した罪の償いを神に委ねることをしない成熟した人間を求めるはずである。
 レヴィナスはそのような論理によって、現に奇跡的な介入がなく、義人が受難したという当の事実に基づいて「成人の神」が存在することを証明しようとしたのである。
「唯一神へ至る道には神なき宿駅がある。真の一神論は無神論の正当なる要請に応える義務がある。成人の神はまさに幼児たちの空の空虚を経由して顕現するのである。
 その顔を隠す神とは、神学者の抽象でも、詩人の幻像でもないと私たちはそう考えている。 それは義人がおのれの外部に一人の支援者も見出し得ない時、いかなる制度も彼を保護してくれない時、幼児的宗教感情を通じて神が現前するという慰めが禁じられている時、一人の人間がその良心において、すなわち受難を通じてしか勝利し得ないその時間のことである。」(Lévinas, Diffcile Liberté, Albin Michel, 1963, p.203)
 その親族の多くを強制収容所で失ったレヴィナスが記したこの悲痛な文章と、魯を逐われて放浪の歳月を送る孔子の言葉に共鳴するものを聴き取ることはそれほど不適切なことのように私には思われない。彼らはいずれも人間の世界が不条理で邪悪なものに満たされていることを経験的には熟知していた。けれども、人間たちの世界のうちになにごとか「善きもの」を生成させようと思ったら、人間以外の力を借りることはできない。
 「子、怪力乱神を語らず。」(述而篇)人間の犯した罪は人間が取り消す以外に取り消す手だてがなく、人間の作り出した穢れは人間が自分の手で祓うしかない。
そして、世界を住みなしうるものとするという人間のこの仕事を誰も「私」に代わって引き受けることができないという当の事実から、無神論に至るのではなく、超越的なものを「かつて一度も現在であったことのない起源」として導出する仕方において、孔子とレヴィナスはほとんど同じ理路をたどっているように私には思われるのである。
 預言者も仁者も述べて作らない。彼らは決して創造者・起源としておのれを立てることをしない。自らを起源から派生したもの、創造の瞬間に立ち会うことができなかったもの、すなわち遅れて世界に登場したものとして自己を措定する。そのようにして、祖述者はおのれに先んじて存在したとされる(かつて存在したことのない)起源を遡及的に基礎づけようとするのである。
 白川先生は「祖述者」たる孔子の祖述者というポジションを選択した。白川先生自身もまた「述べて作らず。信じて古を好む」人なのである。だから、先生が孔子の祖述者としての働きについて書いた次の言葉は(文中の「孔子」を「白川静」に、「周公」を「孔子」に置き換えると)そのまま先生自身の働きについての言葉として読むことができる。
 「孔子においては、作るという意識、創作者という意識はなかったのかも知れない。しかし創造という意識がはたらくとき、そこにはかえって真の創造がないという、逆説的な見方もありうる。(・・・)伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてそれは、個のはたらきによって人格化され、具体化され、『述べ』られる。述べられるものは、すでに創造なのである。しかし自らを創作者としなかった孔子は、すべてこれを周公に帰した。周公は孔子自身によって作られた、その理想像である。」(白川、前掲書、70頁)

 学恩の第三は、世界は呪詛と祝福に満たされているという言語観である。
 人間が言語によって世界を分節する仕方は共同体ごとに異なり、世界は共同主観的な「物語」として構造化されている。そのことは構造主義以後、私たちに共有される基礎的知見である。言語による世界分節は恣意的である、と私たちは教わってきた。それはいわば部分的に遮眼された眼鏡で世界を見ているような経験だろうと私は理解していた。世界は「向こう側」にあり、私たちは「こちら側」にいる。その間には(『D坂の殺人事件』で明智小五郎を困惑させた引き戸のように)見るものの立ち位置が変わるごとに可視領域が変化する「グリッド」が介在していて、私たちが「同じ世界」を見ることを妨げている。
 しかし、白川先生の考える言語はそのような静態的な「格子組織」とは似ても似つかぬほどに荒々しく、また生々しいものである。言語は固有の生命をもった生き物のように、世界をわしづかみにして、塑造し、人間たちがその中で生き死にする、人間にとってだけ意味のある場に変形する。
 白川先生の漢字学は、古代中国において、地に瀰漫していた「邪悪なもの」を呪鎮することが人間たちのおそらく最初の知的営為であったという仮説の上に構築されている。
古代の人間は大量の時間とエネルギーを「邪気」を祓うために費消していた。白川先生の「サイ説」はそこから始まる。
 「サイ」というのはこのフォントでは再現できないけれど、英語のDの弧の部分を下向きにしたかたちである。この文字を後漢の『説文解字』以来学者たちは「口」と解した。白川先生はこれを退け、これが「祝詞を入れる器」、もっとも根源的な呪具の象形であるという新解釈を立てた。
 「この基本形であるサイの従来の解釈が誤りであるとすれば、その系列に属する数十の基本字と、その関連字とは、すべて解釈を改めなくてはならない。誤解のもとはサイを口の単なる象形と解し、文字映像におけるその象徴的意味を把握しえなかった点にある。」(白川静、『漢字百話』、中公文庫、2002年、41頁)
 「告」は「木の枝にかけられたサイ」である。ゆえに、「告げるとは神に訴え告げることである」。「サイ」を細長い木につけてささげると「史」になる。聖所に赴くときは、大きな木に「サイ」を著けて吹き流しを飾り、奉じて出行する。「呪」はもともと「サイ」と「兄」の合字である。兄は祝祷の器であるサイを奉じて祖霊に祈る人をいう。サイを二つ並べると「咒(しゅ)」となり、これは烈しい祈りを意味する。祈りを通じて忘我の境位に達することを「兌(えつ)」という。「悦」と「脱」の両義を持つ。兄の上部に八形を加えたものであり、これは「神気が髣髴としてあらわれることを示している」(白川静、「中国古代の文化」、『白川静著作集七』、平凡社、2001年、135頁)
 古代中国における戦いはなによりもまず呪術による攻防として行われた。
 「呪術の目的は攻撃と防禦にある。その最初の方法は呪的な言語によるものであったが、それが表記形式に定着したものが文字であった。開かれた祈りは告であり、隠された祈りは書である。攻撃と防御の方法は、その呪能を託されている祝告の器であるサイに対して、加えられるのである。」(白川、『漢字百話』、44-45頁)
 それゆえサイにはさまざまな武具が防禦のために動員された。
 サイに鉞を加えると「吉」(呪能をここにとじこめる)になる。盾を加えると「古」(固く永続する)になる。戈を加えると「咸」(完全に終わる)となる。「みなその祝告の呪能を保全するための防禦的方法である。」(同書、45頁)一方、敵対する陣営の呪能的防衛戦を破るためにはサイを汚す文字が用いられる。「舎(すてる)」と「害(そこなう)」はいずれも「長い刃をもって器を突き通す形であり、そのような方法で呪能は失われると考えられた。」サイに水をかけることも呪能を奪う方法であった。だから、「沓」は「サイに水をかけ、加えて踏みつけること」(同書、45-46頁)である。
 古代の呪術的な戦いは言葉によって展開したというのが白川先生の説である
 「文字が作られた契機のうち、もっとも重要なことは、ことばのもつ呪的な機能を、そこに定着し、永久化することであった」(白川、「中国古代の民俗」、『白川静著作集七』、304頁)とするこの文字論は「コミュニケーションの道具としての言葉」という私たちになじみ深い功利的言語観と隔たるところ遠い。私はそのいずれが言語観として適切であるのか、その当否を論じることのできる立場にはいない。けれども、だが、言葉によって人間が身体的に破壊され、また賦活されるということは経験的に知っている。
 言語は人間的な事象である。あるいは人間は言語的な事象であると言い換えてもよい。「はじめに言葉があった」というのは人間と人間的世界が言葉と同時に誕生したということである。
 呪いは人間的な事象である。自然のうちには呪いなど存在しない。人間だけが人間を呪い、人間だけが呪いを祓うことができる。それは人間世界内部でのみ通用する「通貨」である。祝福も同じである。人間だけが言葉によって破壊され、人間だけが言葉によって再生される。
梅原猛との対談の中で先生は古代の歌謡のもつ祝福の力についてこう述べている。
 「『賦』というのは、例えば山の美しい姿を見て、そして山の茂み、あそこの谷の具合、あそこの森の深さ、とかいう風にね、色々山の美しい姿を描写的に、数え上げるようにして歌ってゆく。これが『賦』なんです。(・・・)歌うことによってその対象の持っておる内的な生命力というものを、自分と共通のものにする、自分の中に取り入れる。」(白川静、梅原猛 『呪の思想 神と人間との間』、平凡社、2002年、205頁)
 おそらく古代の人々は中国でも、あるいは万葉古謡の日本列島でも、身体を震わせ、足を踏み鳴らし、烈しく歌い、呪い、祝ったのであろう。そのようにして人々は生命力を賦活し、減殺するために死力を尽くした。そのときに人々が発していた言葉はほとんど物質的な持ち重りと手触りを持っていたはずである。それは観想的主体の口にする「われ思う」という言葉の透過性、無重力性、非物質性、中立性と、考え得る限りもっとも対蹠的なところにある言葉である。
 言葉がそれだけの重みを持った時代がかつてあった。それは白川先生のロジックを反転させて言えば、人間がそれだけの重みを持った時代があったということでもある。人間の発する烈しい感情や思いや祈念が世界を具体的に変形させることのできた時代があったということである。そして、そのような時代こそは白川先生にとって遡及的に構築すべき、私たちの規矩となるべき「規範的起源」だったのである。
 私が白川先生から学んだのは以上のようなことである。
(『大航海』63号、新書館)

はい、おつかれさまでした。
次はスタジオジブリの『熱風』に寄稿した貧乏論。

貧乏で何か問題でも?

 最初に用語の定義を済ませておこう。
 貧困は経済問題であるが、貧乏は心理問題である。「意味の問題」と言うこともできるし、「関係の問題」と言うこともできる。とりあえず数字で扱える問題とは次元が違う。
 日本ではおおざっぱに世帯の年間所得が200万円以下だと「貧困」に類別される。だが、年収2万ドル弱というのは、世界的に言うと、かなり「リッチ」な水準である。日給240円のニカラグアの小作農は年収87600円である。「絶望的な貧困」と申し上げてよろしいであろう。この場合は、どのような個人的努力を積み重ねても、どれほど才能があっても、小作農の家に生まれた子供はその境涯から脱出することがほとんど不可能だからである。
 一世帯年収200万円はその意味では「絶望的な貧困」とは言えないであろう。その世帯の支出費目に教育費が含まれており、収入が主に企業内労働によって得られているなら、それは世帯構成員たちがこの先、個人的努力によって知的資質や芸術的才能を開発したり、業務上の能力を評価されて昇給昇進するチャンスが残されているということを意味するからである。これは小作農的な「出口のない貧困」とは別種のものである。
 だから、日本で社会問題になっているのは貧困ではなく、貧乏であると考えた方がよい。
屋根のある家に住み、定職を持ち、教育機会や授産機会が提供されており、その上で相対的に金が少ないという状態は「貧困」とは言われない。あちらにはベンツに乗っている人がいるけれど、うちは軽四である。あちらにはGWにハワイに行く人がいるのに、うちは豊島園である。あちらにはシャトー・マルゴーを飲んでいる人がいるのに、うちは酎ハイであるという仕方で、所有物のうち「とりあえず同一カテゴリーに入るモノ」を比較したとき、相対劣位にあることから心理的な苦しみを受けることを「貧乏」と言うのである。
 近代以前には、この種の貧乏は存在しなかった。農民が大司教の衣装と自分の衣服を比較して恥じ入るとか、猟師が王侯貴族のような城館に住んでいないことを苦しむというようなことは起こらなかった。生物学の用語を用いていえば、「エコロジカル・ニッチ」(生態学的地位)が違っていたからである。鼠が象を見ても「あんなに大きくなりたい」とは思わないのと同様である。
 貧乏は「人間は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」と宣言した『人権宣言』によってはじめて公式登録された。生まれながらに平等であるはずであるにもかかわらず、権力や財貨や情報や文化資本の所有において現に個人差がある。それを「苦しみ」として感じるのが「貧乏」である。だから、貧乏は近代市民社会とともに誕生したのである。
貧乏とは、私が端的に何かを所有していないという事実によってではなく、他人が所有しているもの(それは私にも等しく所有する権利があるはずのものである)を私が所有していないという比較を迂回してはじめて感知される欠如である。
 第二次世界大戦が終わったあとの敗戦後の日本はたいへんに貧しかったけれども、人々の顔は総じて明るかった。それは日本人全員が同程度に貧しかったからである。「共和的な貧しさ」(関川夏央)のうちに人々は安らいでいた。私は1950年の生まれであるけれど、50年代までの日本社会の穏やかな空気をまだ覚えている。
 そのあと日本は「貧困」から脱して豊かになったけれど、「貧乏人」はむしろ増えた。豊かさに差が生じたからである。
 1950年に六畳一間の貸間に住んでいる一家はまだ少なくなかった。だから、住人たちもそのことを深く恥じてはいなかった。それは偶有的な不運によって説明可能だったからである。だが、1960年には、そのような家に住むのは例外的な少数になり、親たちは自分の子どもがそのような家に足を向けることを禁じた。貧しいことは能力や意欲の欠如とみなされるようになったからである。そのようにして、貧乏は「共和的」であることを止めた。
 渡辺和博が『金魂巻』で「○金」「○ビ」という二分法で、「ビンボくさい」というのはどういうふるまいを指すのかを論じてベストセラーになったのはバブル直前の1984年のことである。このとき、もはや「貧困」は社会問題ではなくなっていた。問題なのは「貧乏」であり、人が「貧乏」であるかそうでないのかを識別することには、この時点ですでにかなり複雑な手続きを要するようになっていた。
 この本の中で渡辺は「イラストレーター」や「コピーライター」や「ミュージシャン」など先端的でお洒落(とみなされている)職業に就いている人々の「○金」「○ビ」識別法をアイロニカルに教示した。渡辺の業績は後期資本主義社会においては、貧乏は記号的なものとなるということを鮮やかに示した点に存する。
 年収の多寡はもうここでは主要な識別指標ではなくなっている。「○ビ」の特質とされたのは、「他人の所有物を羨む」というメンタリティそれ自体だったからである。クリエイティヴでイノベーティヴな「○金」の人々は自分の規範に従い、自分の欲望に忠実である。一方、模倣的で追従的な「○ビ」の人々は他人の規範を模倣し、他人の欲望に感染する。例えば、『金根巻』を読んで「○金」と「○ビ」の識別法を学習しようとする態度それ自体が「○ビ」であることの指標であるように「○ビ」は構造化されていた(「金持ち」の定義が「金のことを考えずに済む人」であるように、「○金」というのは、自分が「○金」であるということに特段の意味があるということに気づいていない人のことだからである)。鋭い視点だったと思う。現在メディアで論じられている「貧乏」問題分析はこのときの渡辺和博の批評性に遠く及ばない。
 「もはや戦後ではない」という宣言とともに日本が中進国からテイクオフしたあとの日本社会で、貧困はもはや深刻な社会問題とではなくなった。もちろん、貧困な人々は依然として存在したし、今も存在するが、貧困問題は平たく言えば「税金をどう使うか」という行政上のタスクにすぎない。クレバーでフェアな官僚さえいれば十分にマネージ可能な問題である(もし貧困問題がいまだ十分にマネージされていないとすれば、それは「クレバーでフェアな官僚が存在しない」ということを意味しており、私たちが論じているのとは別件の内政問題である)。
 貧困はとりあえず前景から退いたが、貧乏は日を追って重大な社会問題となっている。それは貧乏が記号的なものだからである。
 貧乏はおのれの相対的劣位を感知して、自分は「貧乏だ」と規定する自己意識が生み出す。だから、政府がどれほど税金を投じても「貧乏人」を富裕にすることはできない。なぜなら、彼らはどれほど富裕になっても、自分の財布から税金を払って「貧乏人を富裕にしてやった」納税者たちに対する相対的劣位に苦しむことを止めることができないからである。
 貧乏は金の不足が生み出すのではない。貧乏は「貧乏コンシャスネス」が生み出すのである。誰でも他人の所有物を羨む限り、貧乏であることを止めることはできない。そして、たいへん困ったことに、資本主義市場経済とは、できるだけ多くの人が「私は貧乏だ」と思うことで繁昌するように構造化されたシステムなのである。
 当然ながら、どれほどものを買っても、「他人が有しているもの(それゆえ私にも所有権があると見なされているもの)」を買い尽くすことはできない。市場は消費者が「私は貧乏だ」と思えば思うほど栄える。外形的にはきわめて富裕でありながら、なお自分を貧乏だと思い込んでいる人間こそ市場にとって理想的な消費者である。だから、企業もメディアも、消費者に向かっては「あなたは当然所有してしかるべきものをまだ持っていない」という文型で(つまり、「あなたは貧乏人だ」と耳元でがなり立て続けることによって)欲望を喚起することを決して止めないのである。ナイーブな人々はそのアナウンスをそのままに信じて、おのれの財政状態にかかわらず、「私は貧乏だ」と考えて苦しむことを止めない。そのようにして資本主義は今日まで繁昌してき。
 「私は貧乏だと思って苦しむこと」は(定義上からしても)人間をあまり幸福にはしない。できれば、「これだけ所有していれば、もう十分豊かであるので、苦しむのを止めようと考える」方が精神衛生上はよろしいかと思う。だが、「私はすでに十分に豊かである」と考える人はたいへん少ない。もちろん、それには理由があって、そんな人ばかりになったら、消費は一気に冷え込んでしまうからである。もし人々が方丈の草庵を結び、庭に生えたトマトと胡瓜を囓り、琴を弾じ、詩を吟じ、友と数合の酒を酌み交わして清談することに深い喜びを見出すようになれば、日本経済はたちまち火の消えたようにしぼみ、遠からず日本は中進国レベルに格下げされてしまうであろう。
 他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。なぜなら、他者の欲望には想像の中でしか出会えないが、自前の欲望は具体的で、それゆえ有限だからだ。自分はいったいどのようなものを食べたいのか、どのような声で話しかけられたいのか、どのような肌触りの服を身にまといたいのか。そのような具体的な問いを一つ一つ立てることのできる人は求めるものの「欠如」を嘆くことはあっても、「貧乏」に苦しむことはない。
 日本社会はそのような能力の開発のためにほとんどリソースを投じてこなかった。そのようなものにリソースを投じたら経済成長が鈍化することがわかりきっていることに行政が真剣にかかわるはずがない。
 その選択が政策的に間違っていたのかどうか、私には判断ができない。たぶん、そうするしかなかったのだろう。
 貧乏コンシャスネスは「万人が平等」であるという市民社会の原理の「コスト」であり、市場経済の駆動力である。それゆえ、これから先も日本人はますます貧乏になり、資本主義はますます繁昌するであろうと私は思う。
 まあ、それも仕方がないか、というのが私の考えである。私たちの社会を住み易くするための原理として、とりあえず近代市民社会と市場経済以外の現実的選択肢を思いつけない以上、貧乏くらい我慢するしかあるまいと私は思っている。
 現に、貧乏なんだし。(『熱風』6月号、スタジオジブリ刊、非売品)

2007.06.17

無音の言い訳

ブログ日記の更新が滞ってしまって申し訳ない。
あまりに忙しくて、日記を書いている暇さえなかったのである。
書いてない間にあったことを備忘のためメモだけ残しておく。
月曜・授業、居合の稽古、学部長会。
火曜・ゼミ二つ、『大学ランキング』の小林さんと小池さん取材に来る。ミシマ社の三島くんサイン本と『街場の教育論』進行状況チェックに来る。西北で学生たちをまじえて小宴会。
水曜・会議、夕方肥後橋で新潮社の足立さんと会って『逆立ち日本論』のための大量のポップ作成。橋本麻里さん合流して、『日本の身体』(仮題)の打ち合わせ。そういう本を作ることになっていたことを失念していた。橋本さんごめんね。そのあと横移動して朝日カルチャーセンターで名越先生とひさしぶりに対談。Extreme ironing という世にも不思議な競技の話を聴く。これについては稿を改めて分析を加えてみたい。
おもに映画の話。
最後に名越先生に「政治家になりなさい」というご託宣を授かる。
やっだぴょ〜んとお答えする。
その後、釈老師、足立さん、小林さん、かんちき、ウッキーたちもご一緒の打ち上げプチ宴会。
木曜・体調はなはだ不良。甲野先生、島崎先生との身体論鼎談企画が朝日新聞の大学パートナーズ・シンポジウムに採択されたので、朝日新聞社とその打ち合わせ。
授業のあと毎日新聞の取材。参院選の争点について。
どうしてそのようなことを私にお訊ねになるのか、その意図するところが不明であるが、とりあえず「日本はよい国であり、すばらしく成功しているのであるから、いかなる抜本的改革も『レジームからの脱却』も不要である」というメディアではどなたも言いそうもないことを言う。
参院不要論についても訊かれたので、参院は必要であるとお答えする。
衆院参院と両院あることの本質的な意味は「政治決定をできるだけ遅らせること」である。
それは上意下達で指導者の号令のもとに全国一斉にルールや制度が改まる社会よりも、統治者がいくらわめきたててもさっぱり改革が進まない社会の方が多くの場合、人間にとってはより住みやすい社会だからである。
生物の本質は変化であるが、変化しないこともまたそれと同じくらいに生物にとっては不可欠のことである。
メディアも政治家も「刻下の状況をリセットすることの緊急性」を言い立てるが、「リセットする」ことと「補正すること」は違う。
ゼロから作り直す方がコストがかからない事業と、ありものを手直しして使い伸ばす方がコストがかからない事業がある。
果たしてみなさんはその区別をきちん吟味されているのであろうか。
現に、メディアや政党はきわめて惰性の強い制度であるが、どちらもご自身の抜本的改革をお考えのようには見えない。
これは「現状のままでいたい。変化したくない」という彼らの欲望がどれほど強いものであるかを示している。夫子ご自身が変化を拒絶している以上、他人に向かって「ゼロからやり直せ」というようなさかしらなアドバイスをすることは少し自制された方がよろしいのではないか。
体調さらに悪化して、合気道の稽古をあきらめて帰宅。爆睡。
金曜。体調さらに不調。這うように大学に行き、ゼミ一つ。途中で抜け出してKC高等部1年の保護者対象の進路説明会で大学のご紹介。「女子大の存在意義は何かということを経済合理性の用語では語れないということ自体のうちに女子大の存在意義はある」というわけのわからないプレゼンをする。ゼミの続きをしてから会議が三つ。よろよろになって帰宅。爆睡。
そして土曜。体調どん底。
なにしろこの一月、休日というものがなかった。
一日フルに休めたのは、風邪をひいて寝込んでいた一日だけであるが、ふつうそういうものを「休日」とは呼ばない。
この一ヶ月の間に私は広島に行き、東京に三回行き、岩手に行き、能の会に出て、演武会に二回出て、学会に出て、大学に週5日出勤して、授業と会議をやり、週3回合気道と居合の稽古指導をする間に原稿を11本書いたのである。
これで倒れないのが不思議であるが、もちろん不思議なことは少しもなく、ちゃんと倒れてしまったのである。
私の場合は、まず体調不良は歯茎からの出血から始まる。続いて顔の色が赤白だんだら模様になり、まぶたが痙攣を始め、ついで痔の徴候が出て、最後に痛風の発作に至る。
今回は水曜夜に発症し、木曜金曜はなんとか歩行できたが、土曜には足が腫れ上がって歩くこともままならなくなった。
とはいえ週末は東京でラジオの収録が二つと『東京ファイティングキッズ』の打ち上げ宴会がある。
痛風も劇症となると完全に歩行不能なので、「行きたくても行けません」と胸を張って言えるが、必死になって歩けば歩けないことはないという程度がいちばん困る。
靴を履くのまず一苦労。
足が通常の1.2倍くらいに腫れているので、靴に足が入らない。
入らないだけではなく、足が(すごく)痛いのである。
痛風というのはご存じない方のためにご説明するが、血液中の尿酸濃度が上がることによって、尿酸が飽和して結晶化することによって生じる病である。
尿酸の結晶はハリネズミのような形状をしており(想像)、血管中をこれがごろごろ転がるのである。人間の血管の中でいちばん狭い足の親指の付け根の血管のところでこのハリネズミたちが渋滞を起こす。そして、ぶちぶちと神経を突き刺すのである。
原因は生化学的な変化にすぎないのであるが、症状はフィジカルな「針を刺すような痛み」となる。
だから、痛風の初期はしばしばこれを骨折と勘違いする。
骨折の場合はギプスをはめるとかテーピングをするとかすれば症状は緩和するが、痛風の場合は打つ手がない。
ただ、体内のケミカルな変化で結晶が消えるのを待つことしかできぬのである。
親指を骨折した状態で靴の中にむりやり足を押し込むという動作がどれほど苦痛に満ちたものであるか、みなさんも容易にご想像されるであろう。
とにかく、「あぎゃ〜」と叫びつつ、そのような行為をなしとげ、脂汗を流しつつ、東京へ向かう。
ラジオの仕事は平川くんのラジオデイズがやっているラジオ関西の対談番組。
これはお気楽トークで、ホストの平川君と、アシスタントの五十川藍子さん相手にぺらぺらおしゃべりをするだけ。
ちょっと前に思いついた、「村上春樹の文章からはどうして倍音が聞こえるのか」という話をする。
前にも書いたことだが、村上春樹は英語で読んでもフランス語で読んでも、日本語で読む場合と印象が変わらない。
私はまえに授業で実験したことがあるが、日本語からフランス語に訳された村上春樹作品をもう一度重訳して日本語に訳しなおしたところ、オリジナルと一言一句違わないセンテンスがいくつも出てきた。
つまり、村上春樹の文章は外国語を通過しても、変質しないのである。
どうしてそういうことが起こるのか?
「それは村上春樹がはじめから外国語に訳されることを予測して、英語っぽく書いているからである」という説明をする方もおられるであろうが、それは違うと思う。
かりに彼が「英語っぽい日本語」で書いたとしても、そんな書き方はそのテクストをインドネシア語やアラビア語に翻訳するときにはまったく有用性をもたない。
村上春樹の文学が、世界中の文法構造も語彙も修辞法もまったく異なる言語に翻訳されて、それぞれの言語で多く読者を得ているという事実を説明することのできる唯一の仮説は「すべての言語での翻訳者が村上春樹を読んで『これって、すごくうちの言葉に訳しやすい日本語で書かれているなあ』と思った」ということである。
だが、そんなことがありうるのか?
もし「訳しやすい」ということが統辞上の類縁性や語彙の共通性に基づくものなら、まったく構造の違う言語で同時多発的にそのようなことが起こるということはありえない。
しかし、現にそのようなことが起きた以上、それを説明する理屈を考案せねばならない。
私はこれを「倍音」という概念で説明できるのではないかと考えている。
「倍音」というのは、前にも書いたけれど、同一音源から複数の音が聞こえてくる場合に、人間の脳が作り出す「虚構」である。
自然界では同一音源から二つ以上の音が聞こえるということはふつうはない。
だから、脳は一つの音を「ここから聞こえる音」、もう一つの音を「こことは違うところから聞こえる音」というふうに「編集」してしまう。
実際には同一音源から聞こえているにもかかわらず、人間の脳はそれを「ここ」と「あそこ」からにむりやり分離してしまうのである。
でも、「あそこ」は実際には存在しない。
「存在しないところから到来する音」は聴き手の脳がこしらえあげたものである。
だから、倍音を聴き取る人はそこに「自分が聴きたいと思っている音」を聴き込んでしまう。
倍音のうちにイタリア人はグレゴリオ聖歌を聴き、日本人は読経の声を聴く。
倍音は「ここではない場所」から「私が聴きたいと望んでいた当のその音」として到来するのである。
おそらくそれと同じことがある種の文学作品においても起きていると私は思う。
村上春樹の文章には倍音を発生させる装置がビルトインされている。
それがどういうものかを私はまだうまく言い表すことができないけれど。
というような話をラジオでする。
深夜放送でいきなりこんな話を聴かされたリスナー諸君はさぞや驚くことであろう。
収録後、もうひとりのゲストの原賀真紀子さんと四人でお茶をしつつ、慨世の話。
丸の内に移動して、朝日新聞の大槻さん主宰の『東京ファイティングキッズ』文庫化記念宴会。
ゲストは「解説」を書いて下さった小池昌代さん。
私も平川君も小池さんの熱烈なファンなので、打ち上げ宴会というよりは、にきび面の高校生ふたりがきれいで頭のいい同級生の女の子を相手にして精一杯背伸びをして「文学っていうのはさ」とおしゃべりしているような絵柄となる。
こういう話をしていると、56歳になっても中身はほんとに16歳からぜんぜん進歩してないことがよくわかるのである。
そういえば、前にテレビに出ていたとき、小池さんの横にすわった鷲田清一先生もかなり「少年」化していた。
還暦近いおじさんたちを一瞬のうちに少年に戻してしまう小池さんの「少年還元力」はその詩魂と構造的に結びついているのであろう。すてきだ。
よろよろと学士会館に戻る。
足の腫れはいくぶんか引いたようである。
来週は人間に戻りたい。

2007.06.18

育児とケータイ

日曜はラジオデイズの収録で、高橋源一郎さんとおしゃべり。
前日のラジオ収録はラジオ関西の放送用だけれど、今回のはポッドキャストで売る商品である。
「ただで聴けるもの」と「お金を出して買うもの」の違いがあるのだが、こちらは同じ人間であるので、しゃべる内容のクオリティを上げたり下げたりということはできない。
高橋さんと会うのはひさしぶりである。
なんだかずいぶんお肌の色つやがよい。
きけば育児のために毎日午後10時就寝、午前3時起きという規則正しい生活を送っておられるそうである。
子どものときから夜更かしタイプの高橋さんは、昼間というのは「ぼおっとして眠たい時間」であり、時計の針が午前0時をまわったくらいから頭脳が活性化するというのが当たり前、というふうに思い込んでいたそうであるが、齢知命を過ぎてはじめて「昼間に眼がぱっちり開いていて、夜になると睡魔に襲われる」というのがどれほど快適なものかを知られたそうである。
家ではもう2年間お酒を飲んだことがないそうである。
お肌つるつる。
「育児美肌」である。
そういう話をラジオでしたかったのであるが、収録が始まると平川くんがいきなり真面目な顔になって「タカハシさんの初期作品を今回通読させていただいたのですが・・・」というような話題を振るものだから、みんな急にまじめになってしまう。
ねえ、文学の話なんかいいから、もっと違う話しようよ~と私はさかんにシグナルを送るのだが、高橋源一郎さんと平川“石沢玄”克美に向かってそれを言うのは村松友視と古舘伊知郎に向かって「ねえ、プロレスの話なんかいいから」とか養老孟司・池田清彦両先生に向かって「ねえ、虫の話なんかいいから」と言うのと同じようにまるで詮方ないことである。
しかたがないので、机に肘を突いて二人の話をぼおっと聴いている。
この二人と比べると、私はまるで文学と縁のない人間なんだな~ということがしみじみわかる。
でも最後の方に高橋さんが話してくれた「ケータイ小説」と「ライトノベル」の話はとっても面白かった。
これはぜひ後期の「メディアと知」の一テーマに取り上げて分析してみたい。
文房具のテクニカルな条件の変化にともなって文体は変化する。
私の場合はワープロの登場によって、あきらかに文体に変化が生じた。
それは「無限の修正の可能性を織り込み済みで書き飛ばす」ことが可能になったことで、それまでだったら「深追い」するはずのなかった「あまり追いかけても先の展望のなさそうなトピック」に対してマメに反応するようになったということである。
原稿用紙に鉛筆で手書きしているときは、「書ける文字数」について一日の上限が決まっていた。
だから「字数の無駄遣い」ができない。
ある字数を超えたところで肩や首の筋肉が「もうダメです。書けません」と悲鳴をあげる。
ワープロ導入によって、字数的にはそれまでの10倍以上のキャパシティが確保され、それからあと私は「どうでもいいようなアイディア」を執拗に追い回すようになった。
「まっとうなアイディア」にはあまり個人差が出ないが、「どうでもいいようなアイディア」は個人の嗜癖の差がくっきり現れる。
「一日当たりの書記可能文字数」の激増は「個人的嗜癖」の顕在化をもたらす。
ケータイの場合は、それとは逆のことが起きている。
親指でちょこちょこ押して文字を書くのである。
両手でブラインドタッチでキーボードを叩くのとはスピードの桁が違う。
ディスプレイに表示される文字数も少ないし、送信できる情報量も少ない。
「一通信あたりの文字数」に上限がある以上、ここで起きることは容易に想像できる。
おそらく、ワープロ導入で私の身に起きたことの反対のことが起きる。
「個人的嗜癖」の後退と、「クリシェ」の支配である。
たとえば、私が今書いているようなタイプの文章をケータイで書いて友人に送信するということは誰もしないであろう。
私だって手元にケータイしかなかったら、こんな文章はぜったい書かない。
前に野沢温泉にスキーに行ったとき、「えぴす」の締め切りを忘れていて、ゲレンデに行くまでの道筋でケータイで映画評を書いて送信したことがあった。
まことに困難な仕事であった。
画面が小さすぎて、少し長い文章を書くと、主語が視野から消えてしまうのである。
何度も自分が何を書いているのかわからなくなった。
ケータイでは複文以上の論理構造をもつ文は書けない。
それはいずれ「複文以上の論理階梯で思考する」習慣の消滅をもたらすであろう。

と書いてからしたくをして大学にでかけようとエレベーターに乗ったら、よく顔を合わせる階上の奥さんと一緒になった。
こんにちはと挨拶したら、「あの~、ちょっと立ち入ったことうかがっていいかしら」といわれた。
なんでしょうと言うと「どこのお店なの?」と訊かれた。
お店?
「あら、違うの?レストランかなんかじゃないの。」
レストラン?
あの~、私大学の教師なんですけどとお答えする。
「あら~、失礼、ごめんなさい!」と先方はずいぶんあわてていた。
私のどこがレストランなのであろうか・・・としばらく考える。


2007.06.19

たたかえ!公安調査庁

朝鮮総連の中央本部の土地建物が627億円の借金のカタに差し押さえられるのを防ぐために、元公安調査庁長官と元日弁連会長がダミー会社へ所有権移転をはかった事件について、メディアは「真相は謎」とか「意味がわからない」と繰り返しコメントしている。
どうして?
誰にだってわかるでしょう。
公安調査庁は破壊活動を行う可能性のある組織を監視する官庁である。
国内における監視のメインターゲットは朝鮮総連である。
現に今年の5月30日の公安調査庁長官訓示で、長官は同庁の喫緊の課題を三つ挙げている。
「第一は,国際テロ関連動向調査の推進であります。テロを未然に防ぐためには,国際テロ組織関係者の発見や不穏動向の早期把握が何よりも大切であります。」
「第二は,北朝鮮関連情報の収集強化についてであります。北朝鮮・朝鮮総聯の動向は,我が国の治安のみならず,我が国を含めた東アジアの平和と安全保障に重大な影響を及ぼすものであることから,今後とも喫緊かつ最重要課題として取り組む必要があります。とりわけ,日本人拉致問題や核・ミサイル問題などをめぐる北朝鮮の対応や実情について,政府の施策に貢献し得 る高度情報が求められておりますので,各局・事務所におかれては,金正日政権のこれらの問題に関する今後の対応方針や,朝鮮総聯に対する指示・指導等について,高度情報の収集に特段の努力を傾注していただきたいのであります。」
第三は「オウム真理教に対する観察処分の厳正な実施」。
その三つが公安調査庁のとりあえずの仕事である。
「三つもある」ともいえるし、「三つしかない」ともいえる。
そして、緒方重威元長官はそのうち「喫緊かつ最重要課題」をコントロールすることができたら、公安の仕事はずいぶん楽になるであろうと考えたのである。
私は緒方長官の推論はたいへん合理的であると思う。
彼がめざしたのは朝鮮総連に「恩を売る」ことではない(そんな情緒的な人間は諜報活動に従事できない)。
そうではなくて、北朝鮮からの情報を専管し、国内におけるあらゆる北朝鮮関連活動の指令がそこから発されるような「中枢」が存在することは、そのような「中枢」が存在しない場合よりも「北朝鮮関連情報の収集強化」のためには有利であると判断しただけである。
ジェームズ・エルロイが書いているように、警察の夢はすべての犯罪が「組織的」に行われることである。
人間社会が存在する限り、「犯罪が消滅する」ということはありえない。
次善の策は「犯罪が中枢的に管理されて行われる」ことである。
犯罪組織と警察が緊密な連絡を取り合い、ある程度共依存的関係を保つことができれば、国家体制の根幹を揺るがすようなカタストロフは回避できる。
犯罪を統御する組織的中枢が存在せず、さまざまな種類の犯罪が、さまざまな動機で、さまざまなタイプの人間によって、ランダムに行われるというのが警察にとっての「悪夢」である。
統制不能の犯罪はひとつひとつは微罪であっても、社会秩序そのものへの信頼を酸のように犯す。
だから、世界中どこでも警察は犯罪組織の存在を看過している(場合によっては支援さえする)。
それと同じ理屈で、公安警察は仮想敵国のスパイ組織が「ツリー状」の上意下達組織系列をもって活動することを切望するのである。
スパイというのは本質的にダブル・エージェントである。
情報戦の本質はビジネスと同じく「交換」だからだ。
自国の機密情報を流すことを代償にしてしか、敵国の情報を得ることはできない。
情報漏洩のもたらす被害と、それとの交換で獲得される情報によって予防できる被害を比較考量して、算盤が合うと判断したら、情報なんかいくら漏洩したってよい。
そう考えるのがスパイである。
公安調査庁の長官というのは「諜報活動の責任者」である。
そんな人間が「義侠心」やら「欲得ずく」のような人間的感情に基づいて違法行為を犯すはずがない。
ダミー会社の設立と登記移転は(少なくとも主観的には)諜報活動の一環として行われたと私は考えている。
総連本部の土地建物を公安が保全するということは、それが「金正日政権のこれらの問題に関する今後の対応方針や,朝鮮総聯に対する指示・指導等について,高度情報の収集」をより容易ならしめるという判断に基づいて決断されたのである。
それを直接公安調査庁がやったのではリークしたときに大変なので、緒方元長官という「ダミー」を経由したのである。
もちろん安倍総理大臣だってあらかじめご存じである。
このような重大な諜報活動が首相の暗黙の了承抜きで行われ、首相が新聞を読んで知ってびっくりした・・・というようなことだとしたら、そちらの方がよほど国政のありようとしては異常である。
「監視対象はできるだけ監視しやすい状態にとどめておきたいと願うのは公安として当然でしょう?」という常識的な言葉をどうして誰も口にしないのであろう。
私にはそちらのほうがはるかに謎である。

2007.06.20

愛国について語るのはもうやめませんか

教育関連三法が今日参院を通過する予定だそうである。
安倍首相は昨日の参院文教科学委員会の総括質疑でこう答えた。
「地域を愛する心、国を愛する心を子どもたちに教えていかなければ、日本はいつか滅びてしまうのではないか。今こそ教育の再生が必須だ。」
私は子どもが郷土や国家にたいして愛着を持つことは国民国家にとって死活的に重要であるということについて首相に異存はない。
しかし、「愛国心」というのはできるだけ公的な場面で口にすべきことではない言葉のように思う。
法律文言に記すというようなことはもっともしてはならぬことである。
それは左派の諸氏がいうように、愛国教育が軍国主義の再来を呼び寄せるからではない。
愛国心教育は構造的に人々の愛国心を毀損するからである。
私は愛国者であり、たぶん安倍首相と同じくらいに(あるいはそれ以上に)この国の未来とこの国の人々について憂慮している。
日本人はもっと日本の国土を愛し、日本のシステムを愛し、日本人同士もっと愛し合わねばならない。
私はそう思っている。
しかし、もしこの願いをすこしでも現実的なものにしようと思ったら、「愛国心」という言葉の使用はできるだけ回避した方がよろしいであろう。
私はそう思う。
なぜなら、「愛国心」という言葉はそれを口にした人間に必ずや祖国のシステムとある種の同国人に対する憎悪の感情を備給せずにはおかないからである。
私自身の愛国心理解はたいへんシンプルである。
それはことあるごとに「日本の伝統とか風土って、最高だよね」といい、「日本のシステムって悪くないと思うぜ」と他人にも自分にも説ききかせ、異郷で同国人に会うと、その人の人間的な出来不出来や思想信教イデオロギーにかかわらず、とりあえず愛してしまうというかたちをとる。
「Where did you come from?」
「Japan」
「え?あんた、日本人なの。ほんと?わお。今日は飲み明かそうぜ」
というのが私的な愛国心のもっともシンプルな発現形態である。
よく考えると理不尽である。
どうして、地理上、法制上の擬制であるところの「区切り」の内側にたまたま居合わせた人間同士はそうでない人間よりも優先的に愛し合わねばならないのか。
私にもよくわからない。
けれども、これを「愛国心の発露」であるというふうには思っていない。
思わないようにしている。
じゃあ、どういう感情のありようなのだと訊かれたら、「なんか、よくわかんないけど、あるじゃん、そういうのって・・・(もごもご)」と言葉尻を濁らすことにしている。
というのは、もし「同国人を優先的に身びいきする態度」のことを「愛国心」というふうに言ってしまうと、そうではない愛国心のありようとフリクションが起きるからである。
というのは、ほとんどの「愛国者」の方々の発言の大部分は「同国人に対するいわれなき身びいき」ではなく、「同国人でありながら、彼または彼女と思想信教イデオロギーを共有しない人間に対する罵倒」によって構成されているからである。
さきの安倍首相のご発言にしても、文教科学委員会の野党席からは「何いってんだバカヤロー」というような口汚いヤジが飛んだであろうし、それをハッタとにらみ返した首相も、機会が許せば彼らを火刑台に送る許可状にサインしたいものだと思っていたことであろう。
いや、隠さなくてもよろしい。
そういうものなのだ。
人は「愛国心」という言葉を口にした瞬間に、自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。
私はそのことの危険性についてなぜ人々がこれほど無警戒なのか、そのことを怪しみ、恐れるのである。
歴史が教えるように、愛国心がもっとも高揚する時期は「非国民」に対する不寛容が絶頂に達する時期と重なる。
それは愛国イデオロギーが「私たちの国はその本質的卓越性において世界に冠絶している」という(無根拠な)思い込みから出発するからである。
ところが、ほとんどの場合、私たちの国は「世界に冠絶」どころか、隣国に侮られ、強国に頤使され、同盟国に裏切られ、ぜんぜんぱっとしない。
「本態的卓越性」という仮説と「ぱっとしない現状」という反証事例のあいだを架橋するために、愛国者はただ一つのソリューションしか持たない。
それは「国民の一部(あるいは多く、あるいはほとんど全部)が、祖国の卓越性を理解し、愛するという国民の義務を怠っているからである」という解釈を当てはめることである。
そこから彼らが導かれる結論はたいへんシンプルなものである。
それは「強制的手段を用いても、全国民に祖国の卓越性を理解させ、国を愛する行為を行わせる。それに同意しないものには罰を加え、非国民として排除する」という政治的解決である。
その結果、「愛国」の度合いが進むにつれて、愛国者は同国人に対する憎しみを亢進させ、やがてその発言のほとんどが同国人に対する罵倒で構成されるようになり、その政治的情熱のほとんどすべてを同国人を処罰し、排除することに傾注するようになる。
歴史が教えてくれるのは、「愛国者が増えすぎると国が滅びる」という逆説である。
「ドイツは世界に冠絶する国家」であるという自己幻想と「あまりぱっとしない現状」のあいだをどう架橋すべきか困ったナチスは「ドイツが『真にドイツ的』たりえないのは非ドイツ的ユダヤ人が国民の中に紛れ込んでいるせいである」という解を得た。
そして600万のユダヤ人を殺した。
ナチスの仮説が正しければ、ドイツ支配地域のユダヤ人がほぼ全滅した時点で、「真にドイツ的なドイツ」が顕現して、ドイツはその絶頂期を迎えるはずだったのだが、どういうわけかどんどん戦況は悪化した。
この反証事例の説明に窮したナチスは「スターリンもルーズベルトもチャーチルも、すべてユダヤ人の手先なのである」という説明を採用して、破綻を糊塗した。
さらに戦況が悪化して、ベルリン陥落直前になったときに、困り果てた宣伝相ゲーリングはこのアポリアをすべて説明できる最終的解決を思いついた。
それは「ヒトラー自身がドイツを滅ぼすためにひそかに送り込まれたユダヤ人の手先だった」という解釈である。
これならすべてが説明できる。
これを思いついてゲーリングはかなりほっとして死んだことであろう。
愚かしいと笑う人がいるかもしれないが、愛国心というのは本質的にこういうグロテスクな自己破壊といつだって背中合わせなのである。
あなたの身近にいる「自称愛国者」の相貌を思い出して欲しい。
彼らのもっともきわだった感情表現はおそらく「怒り」と「憎悪」であり、それはしばしば彼ともっとも親しい人々、彼がまさにその人々との連帯に基づいて日本国全体の統合を図らなければならない当の人々に対して向けられている。
私はそのような性向をもつ人々がいずれ国民的統合を果たし、国民全体にひろびろとゆきわたるような暖かい共生感をもたらすであろうという予見には与しない。
憎悪から出発する愛などというものは存在しない。
排除を経由しなければ達成できない統合などというものは存在しない。
自分に同意しない同国人を無限に排除することを許す社会理論に「愛国」という形容詞はなじまない。
それはむしろ「分国」とか「解国」とか「廃国」というべき趨向性に駆動されている。
そういうお前は愛国者なのか、と訊かれるかもしれないから、もう一度お答えしておく。
そういう話を人前でするのは止めましょう。
現に、愛国心をテーマに書き始めたら、私もまた「愛国心」のありようを私とは異にする同国人たちに対する罵倒の言葉を増殖させ始めている。
愛国心についてぺらぺら語ることは結果的に同国人を愛する動機を損なう。
真の愛国者は決して「愛国心」などということばを口にしない。
ことばじゃなくて、態度で示す(同国人に対するいわれなき身びいきとかで)、ということでいかがでしょうか。

2007.06.21

CS minded teacher

火曜日の大学院ゼミに浜松のスーさんが来る。
大学聴講生第一期生のスーさんがこの教壇で発表をするのは4年ぶりのことである。
公立学校の教育現場からの、たいへんリアルな、そして困難な問題提起がなされた。
そのときにその困難な問いへの解決の糸口として話したことと同じようなことを翌日は三菱東京UFJ銀行のCSマインドセミナーでも話すことになった。
CSってご存じですか?
Customer Satisfaction
「消費者の満足」のことである。
これをCS本は「顧客第一主義」とか「顧客中心主義」というふうに訳している。
それは違うだろうという話から始める。
教育の現場でもコンサルの諸君は「大学教職員もCSマインドを持て」というようなことを言い募っている。
これからはお客様である志願者や保護者のニーズを第一に配慮して・・・
でもさ、そういうことを言っている当のコンサル諸君は、キミたちの「お客様」であるところの大学人を「第一に配慮」なんかしてないじゃないか。
「食い物」にしているだけでしょ。
自分がやる気もないことを他人に要求するというのはよくない。
「顧客のニーズ」がもし定量的・定性的に把握できるものであって、それにどんぴしゃでジャストフィットするサービスなり商品なりを提供できたら、それで100%ハッピーで生産的な取り引きが成立するというふうにもし考えているひとがいたら、それはビジネスマンとしては幼稚園児レベルである。
「顧客のニーズ」なんか、あらかじめ存在するものではないからだ。
さきほど新聞を読んでいたら、コムスンがらみの記事に「介護を必要とする人間のニーズに対してどうして介護現場で細やかな配慮ができないのか」ということが書いてあった。
だが、この場合の「介護ニーズ」も「介護現場」も「あらかじめ存在するもの」ではない。
介護保険という制度ができて、それから利益を得る介護ビジネスというものができ、介護テクノロジーが開発され、介護技術というものが体系化されてはじめて「介護ニーズ」や「介護現場」が登場したのである。
ニーズは「ニーズを満たす制度」が出現した後に、事後的にあたかもずっと以前からそこに存在していたかのように仮象する。
どれほど本人にとってリアルであっても、それを指し示す言語記号や、それを満たす社会的装置が存在しないような欠如は「欠如」としては認知されない。
ニーズはそれを満たす商品やサービスを提供するサプライヤーの側が創り出すものである。
大学院では「子どもたちの学びへの動機づけ」が主題であった。
「学ぶことへのニーズ」である。
もちろん、そんなものは自然現象として子どもたちの中には存在しない。
多少は存在するかも知れないけれど、「学ぶことへの欲求」というようなクリアカットな輪郭を持っていない。「食べることへの欲求」や「遊ぶことへの欲求」とごちゃまぜになってうごめいているだけである。
この欲求だけを選択的に分離し、記号化し、そのような「ニーズ」が子どもたちの中に存在することに気付かせるのはサプライヤーの仕事である。
だが、どうやって気付かせるのか。
それは『先生はえらい』以来何度も繰り返し書いているとおり、教師自身の内側で「学ぶことに対する欲求」がいきいきと活動していることである。
子どもたちはまだ記号を発明する力がない(やがて身につけるけれど)。
子どもはすでに熟練した日本語話者である母親からの語りかけを通じてはじめて母語を習得する。
それと同じように、「学ぶことに対する欲求」は「学ぶことへの欲求」を現に生きている教師からしか学ぶことができない。
もし、子どもたちに学びを動機づけたいと望むのなら、教師自身が学ぶことへの動機を活性的な状態に維持していなければならない。
教師自身がつねにいきいきと好奇心にあふれ、さまざまな謎に惹きつけられ、絶えず仮説の提示と反証事例によるその書き換えに熱中していること。
それが教育を成立させるための条件である。
もちろん、世の中にはそうではない教師もたくさんいる。
けれども、だからといって少しも心配するには及ばない。
彼らもまた自分が「いきいきとした好奇心を失ったこと」「謎に惹きつけられなくなったこと」「仮説の提示と書き換えへの意欲を失ったこと」については、誰よりもよく自覚しており、それを存在を腐食させるほどの痛みとして生きているからである。
現に、一切の教育的情熱を失いながら、毎日上機嫌で仕事をさぼっている教師というものをあなたは見たことがないはずである。
少なくとも私はない。
教育的情熱を失った教師の「私は『教育的情熱を失った教師』です」という自己申告のオーバーアクションには驚嘆すべきものがある。
暗い表情、生気を失った肌、乱れた頭髪、なげやりな服装、重い足取り、虚無的なことば・・・そのすべてが「学びへの動機づけを失うことがどれほど人間にとって悲痛なことであるか」を全身で表現している。
彼らは彼らなりの仕方で、子どもたちに「学ぶことへの欲求」を失うと人間はどうなってしまうのかを教えているのである。
漱石の『こゝろ』に出てくる「先生」はその好個の適例である。
「私なんかのところに来ても、何も学ぶものはないよ」という「先生」の言明はそれにもかかわらず「私」にとって教育的に機能する。
それは、「この人はかつて激しい学びへの欲求に灼かれたことがあり、ある日それを失って廃人同様になった。どのようなときに人間は学ぶ情熱を失うのか。私がこの先生きる上で決定的に重要なその問いの答えをこの人は知っている」と「私」が考えているからである。
もし「先生」が学ぶことへの動機を失った後も以前と変わらず愉快に暮らしていたら、「先生」は少しも教育的に機能しないであろう。
「先生」が学ぶことへの動機を失ったあとも引き続き「先生」でいられたのは、学びへの情熱を失ったことがどれほど耐え難い苦しみであるかを全身で表現していたからである。
「私のような人間から学ぶものは何もないよ」という言明は、「どうしてこの人はこれほどの確信をもってこれほど絶望的な自己卑下の宣告をなしうるのだろう?」という深甚な疑問のうちに子どもたちを引きずり込む。
そのときすでに子どもたちのうちでは「学びへの欲求」が活発に動き始めているのである。
先生は「先生であろう」とするときにすでに先生であり、「私はもう先生ではない」と宣言したあともまだ先生である。
「学ぶ」とはどういうことか、「教える」とはどういうことか、自分は果たして今も学んでいるのか、自分にはひとに教える資格があるのか・・・そういった一連の問いが念頭から離れることのない人間は、それだけですでに教師の条件を満たしている。
「学びへのニーズ」などというものは自存しない。
「学びへのニーズ」とは何か、それはどのようにして生まれ、死ぬのか、ということを専一的に考え抜く「私」が登場した「後に」子どもたちのうちにそれは生まれるのである。
だから、もしその語の厳密な意味でのCSというものがあるとすれば、それは「私第一主義」「私中心主義」の効果としてしか存在しない。
というようなことを銀行員たちの前でお話しする。
この男はいったい何をしゃべっているんだ?どうしてこんな男の話を聴くために私たちは終業後の貴重な時間をこんなところに坐っていなくてはいけないのか?いったい支店長はどのようなメッセージを伝えるための媒介としてこの男を招いたのか・・・あああ、わからないよ~という声にならない悲鳴がラポルテホールに充満するのを後に、私は脱兎のごとく家に逃げ帰ったのである。

2007.06.22

倍音的エクリチュール

京都造形芸術大学のクリエイティヴ・ライティング・コースに呼ばれて特別講演を一席。
こちらのCW(めんどくさいから省略するね)は今年から芸術表現・アートプロデュース学科に出来た新しいコースである。
大学案内には
「大学教育では初めて〈書く〉ことに特化したカリキュラム編成で、作家、ライター を育成するコースです。まず言語力の伸長をめざし、現代日本語だけでなく、日本の古典や海外の名作を解読・解釈することを通して、言語における創造性と理解力の習得を目指します。より実践を重視し、実際に出版物を刊行します。文芸誌、総合誌の2つのタイプの異なる雑誌を立ち上げ、創作から編集まで、あらゆる方面で学生が参加できる体制を整えます。」
すごいですね。実際に雑誌まで出しちゃうんだ。
専任教員はお一人。アメリカ文学の翻訳で知られる新元良一(にいもと・りょういち)さんである。
CWはうちでも2006年度に私がナバちゃんといっしょに始めたばかりの教科だし、新元さんは柴田元幸さんともお友だちで(今日もこのあと東京で対談をするそうである)、専従職員の竹内さんは私の大学院の聴講生であるし、私の前に五月の特別講演をした講師は江さん。
またまたWhat a small world なのである。
土砂降りの雨の中、京都まで行って、40人ほどのCWの第一期生さんたちを相手に「倍音的エクリチュール」について80分話す。
このところずっと脳裏から離れない「書くことで倍音を出せるか?」という問いを抱え込んで、みなさんの前でうんうん唸って苦しんでみせるという趣向である。
私自身まだ答えが出ない問いなのであるから、理路整然というわけにはゆかない。
あっちへよろよろこっちへよろよろ。
それでも途中からかなり問題の見通しがよくなってきた。
今書いている村上春樹論の書き下ろし核心部分はおそらくこの「倍音的エクリチュール論」になるはずである。
すでに何度も書いたことではあるけれど、改めて「倍音の不思議」についてまとめるとこういうことになる。
倍音というのは基本周波数の整数倍の周波数の音のことである。
合唱では聞こえるはずのない高音が「天から降ってくるように」聴取されることがあるが、これは倍音の効果である。
歌手が一人で歌う場合も、舌の位置を微妙に調整すると口腔内に同じ容積の共鳴空間を作り出すことができる。
こうするとかなりはっきりとした倍音が出る。
モンゴルには倍音を効かせたホーミーという民族歌謡があることはご存じの方も多いだろう。
本邦でも、「巫女系」の歌手は総じて倍音をうまく出すことのできるシンガーである(中島みゆきとか、ユーミンとか、美空ひばりとか)
倍音の不思議は、それが「天から降ってくるように聞こえる」という点にある。
どうしてかというと、同一音源から二つ以上の音が同時で聞こえてくるからである。
ところが、私たちの脳は「同一音源は一つしか音を出さない」ということをルールに聴覚情報を編制している。
私たちはこのルールに基づいて、周囲に渦巻く無数の音を適切に聞き分けて、それが「どこ」から来たものか判断する。車を避けたり、暗がりで目覚まし時計を止めたりできるのは脳がこのルールを採用しているおかげである。
だから、同一音源から二つ以上の音がする倍音現象は脳からすれば「ルール違反」なのである。
当然脳は「この二つの音は、それぞれ別の音源から出たものである」と判断する。
基音は歌っている人の喉や演奏している楽器から出ているのだが、倍音の源は「そこ」であっては困る。
私たちは別に困らないけれど、脳は困る。
だから、脳は倍音を「ここではない他の場所」から到来した音であると判断する。でも、「ここではない他の場所」なんて現実には存在しない。
倍音はそれゆえ原理的に「天使の声」として聴き取られることになるのである。
だが、倍音の不思議はそれにとどまらない。
倍音は現実音を素材に私たちの脳が作り上げた「どこでもない場所から聞こえる音」である。
だから、それが「何の音」であるかの判断も結局は脳が下すことになるのである。
私たちの脳はその習性として、それを必ず既知の音に還元する。
天から降ってくる透き通るような高音なのであるから、キリスト教徒であれば、それは「天使の声」に聞こえるであろう。
仏教徒の耳には「読経」の声に聞こえるかも知れないし、「梵鐘の音」に聞こえるかも知れない。
つまり、倍音は「出所不明の音」であるがゆえに、それぞれの民族文化において因習的に「天から聞こえるはず」と思いなされている音に同定されてしまうのである。
倍音を聴き取った人がいわくいいがたい感動にとらえられるのはそのせいである。
聴き手は自分の脳が作り出した音に自分で感動している。
古い言葉を使って言えば、倍音による感動というのは「マッチ・ポンプ」なのである。
だが、自分で火をつけるほど確実に火事を起こす手だてはないし、自分で点火した火事を消し止めることほど簡単なことはないという理屈からすれば、「マッチ・ポンプ」こそは「火事と消火」活動における理想なのである。
たいせつなのは、通常の「マッチ・ポンプ」活動においては、放火をしてから消火活動をする人間は自分がそれをやったことを知っているが、倍音聴取の場合には、倍音を聴きながら「自分が聴きたい音を想像的に作り出して、それを選択的に聴いている」ことを聴き手自身は知らないということである。
喩えて言えば、夜中に夢遊病状態になって翌日の朝ご飯を作ってしまう人のようなものである。
彼は毎朝目覚めるたびに「自分が今もっとも食べたいと思っていた当のメニューの朝ご飯」が食卓に準備されていることに驚愕する。
彼はそれを「こびとさん」が夜中に作ってくれたものだと信じている。そして、「ああ、なんて美味しんだ。こびとさんありがとう!」と天に感謝することになるのである。
この場合の難点は彼が「料理ができないやつ」だった場合は、いかなる感動ももたらされないということである。
おそらくそれと同じ難点は倍音聴取の場合にも起きているのであろう。
世の中には倍音を聴き取ることのできない人もいる、ということである。
物理音としては存在している空気振動なのであるから、それが感知できないということではない。
そうではなくて、それを「天上の音楽」に同定できるような、因習的「天上」像を持っていないということである。
当然にも、「天使」というような概念をそもそももたない人間は「天使の声」を聴き取ることができない。
だから、倍音経験の質はひとりひとりの人間がどのような「霊的成熟」を果たしているかによっておそらく一義的に決定される。
私は音楽に限らず、あらゆる芸術的感動は倍音経験がもたらすのではないかと考えている。
文学の喜びもまた倍音の喜びなのである。
私たちはそこに「自分が今読みたいと思っている当の言葉」を読み当てて、感動に震えるのである。
「これは私だけのために書かれ、時代を超え、空間を超えて、作者から私あてに今届いたメッセージなのだ」という幸福な錯覚なしに文学的感動はありえない。
そして、ある種の作家たちは(ホーミー歌手がそうであるように)、文学的倍音を出す技術を知っているのである。
国内外の批評家の中に村上春樹の文学がどうしてあれほどの文壇的孤立にもかかわらず、世界的ポピュラリティを獲得しえたのか説明できた人はまだ一人もいない(と思う)。
少なくとも私に納得させてくれた人はまだ、いない。
私はそれをご説明したいと思う。
彼は倍音を出すのである。
それがいかなる技術であるかは今秋発行の私の村上春樹論『雪かきくん、世界を救う』(勝手に改題)に就いて読まれよ。
これはカッキ的文学論である。
読めば、びっくり。

2007.06.26

嘘でもいいから

平川くんが年金問題について、クリスプで切れ味のいいコメントをつけている。
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/
この中で、平川くんはこう書いている。
「五千万件のデータ不整合と、原本の散逸といった事態の解決は、データベース的にはほとんどミッション・インポシブルなのである。
それを、一年以内で解決なんて宣言してしまう総理は、お里が知れるっていうものである。
情報処理に詳しい下々は、青くなっているだろう。」
私は総理の「お里」の来歴について平川くんとは意見をいささか異にする。
それについてひとこと述べたい。
5000万件のデータの照合は1年以内に終わらないだろう、と自民党議員以外の全員が言っている。
自民党議員とそれ以外の日本人のあいだにデータベース修復の見通しのテクニカルな評価において排中的な差異があるということはありえない。
つまり「1年以内」というのは技術的な評価ではなく、政治的な言明だということである。
もちろん総理だって、1年以内に問題が解決するはずがないことは知っている。
けれども、この場で「解決までどれくらい時間がかかるまでわかりません」と正直に告白した場合、参院選はぼろぼろの惨敗である。
参院で非改選とあわせて過半数(122)を得るためには今回の参院選で64議席の確保が必要である。うち13を公明党が維持するとして、自民党のオブリゲーションは51議席である。
これはまず無理だということは党も官邸もわかっている。
問題は「どれくらい負けられるか」である。
98年の参院選では44議席(改選前60から-13議席)という惨敗を喫して、当時の橋本龍太郎首相が責任をとって詰め腹を切らされた。
というわけで「44議席」が「詰め腹ライン」とされている。
つまり現有マイナス7議席で安倍“短命”内閣は終わる。
「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相としては、石に齧りついても総理の椅子は渡したくない。
マイナス7をせめてマイナス4くらいには抑えられれば党内からの退陣要求はなんとか押さえ込める。
安倍首相の首は(そして首相の主観的見方からすれば「日本が破滅するか再生するかの分岐」は)ここであと3席減らすかどうかにかかっている。
それなら、「1年以内に解決」くらいのブラフは誰だってかますだろう。
だって、正直に申告したら間違いなく彼の政権はあと1月保たないからだ。
嘘ひとつで政権が11ヶ月長持ちする可能性があるとき、嘘をつくことをためらう政治家がいるだろうか?
私はいないと思う。
だから、安倍首相は「5000万件のデータの処理なんか、1年以内ではできません」という技術者からの報告を受けた上で「できます」と断言しているのである。
そう私は確信している。
1年後に「やっぱりダメでした」ということになったとしても、その頃はぜんぜん別のスキャンダルで政局が大混乱しているかも知れず、仮に「あの約束はどうなった」と記憶力のよい野党議員に凄まれても、「首相の職務を全うするというかたちで粛々と責任をとりたい」というような遁辞は政治家の十八番である。
周辺のブレーンだって、これくらいの算盤がはじけないようでは官邸勤めはできまい。
それに、一国の首相であるのだから、それくらいの「ワルモノ」であるのは当然だし、そうでなければむしろ困る。
だから私は首相が堂々と嘘をついていることを倫理的に咎めようとは思わない。
有権者の仕事の一つは「政治家は堂々と嘘をつく」ということを勘定に入れた上で、その上で「で、あなたはそのような嘘をつくことで何をしようとしているのか?」と問うことであろうと思う。
首相が望んでいる「愛国心」や「道徳心」に彩られた「美しい国」はたぶん「嘘」の上にでも構築することは可能なのだろう。
なんとなく可能なような気もする。
けれども、信義や友愛は嘘の上に築くことはできない。
しかし、信義や友愛ぬきの「愛国心」や「家族愛」にいったい何の意味があるのか、私にはよくわからない。

2007.06.27

めちゃモテ日本

CanCamの「ひとり勝ち」状態について、これまでメディア関係者から何度か訊かれたことがある。
「どうしてなんでしょうね」
そんなこと私に訊かれても。
しかし、ありがたいことに本学の学生諸君には多くのCanCam読者がおり、彼女たちは当該雑誌と競合誌『JJ』や『ViVi』との記号論的差異について、世界でいちばん詳しい。
その中のひとりであるM村くんが、CanCam系ファッションの究極の目的であるところの「めちゃモテ」とはどういう状態を指すのか、というたいへん大胆にしてラディカルな問題提起をゼミでしてくれた。
こういうおいしい「現場ネタ」を寝ころんだまま拾えるのが女子大教師の特権である。
同僚の教師諸君の多くは教室で「学生に知識を教える」ということをされているが、私はできるだけ「学生から知識を教わる」ようにしている。
お給料をいただいてそれでは「やらずぶったくり」というか「盗人に追い銭」ではないかというご批判もあろうと思うが、現にメディア関係者諸氏でさえその答えを出せない喫緊にして難解なる出版戦略上の問題点について、学生があちらから「先生、答えを教えてあげる」と言ってくれているのに、断る法はあるまい。
ぜひ教えてください。
M村くんによると、CanCamのひとり勝ち状態は2004年に42万部から51万部への「V字回復」をきっかけに定着し、現在CanCamの62万部に対して競合誌JJは51万部と、大きく水をあけている。
5月号の総頁数はCanCamが644頁(うち広告60%)、JJが466頁(うち広告51%)。
「5冊あれば漬物石の代わりになる」日本出版史上最重量雑誌の令名をほしいままにしている。
そのCanCamのコンセプトは「めちゃモテ」。
ただの「モテ」ではない。
「めちゃモテ」である。
「めちゃ」という副詞部分にオリジナリティはある。
JJのファッション戦略が「本命男性一人にとことん愛されること」であるのに対して、CanCamのめざすところは「万人にちょっとずつ愛されること」なのである。
だから、「めちゃモテのターゲットは必ずしも結婚対象の男性だけとは限らない。例えば女子アナがみなCanCam系『めちゃモテ』ファッションなのは子供からお年寄りまで幅広く受け入れられるからではないか」
とM村くんは書く。
なるほど。
では、CanCam読者諸姉はこの「万人から愛されること」のうちにどのような生存戦略上の利点を見出しているのか?
興味深い主題である。
現代の若者たちの一部は依然として「オレはオレ的にオレがすごく好き」という自閉傾向のうちにとどまっているが、トレンドのメインストリームはどうやら「みんなにちょっとずつ愛されたい」方向にゆっくりと舵を切っている。
これは社会的態度としてはある種の「ゆきすぎ」に対する補正が働いている徴候とみなしてよろしいであろう。
「めちゃモテ」が補正しようとしているのはおそらくあの「わたし的」路線である。
「わたし的には、これがいい」という自己決定を断固として貫くことが個人にとって最優先する、という考え方が生存戦略上かならずしも有利ではない、ということについての国民的合意が今形成されつつある。
「CanCamひとり勝ちシンドローム」はその徴候である。
社会的リソースを競争の「勝者」に優先的に分配する「グローバリゼーション・システム」においては、自己責任でシティライフを享受できるのは、「強い個人」に限られた。
「親方日の丸・護送船団方式」の廃棄、家族の解体によるセーフティネットの破綻、終身雇用制の崩壊、非正規雇用の拡大、教育崩壊、医療崩壊、年金不安、ネットカフェ難民・・・といった一連の「グローバリゼーションの暗部」は「弱い個人」たちを標的にその生存をリアルに脅かしつつある。
グローバリゼーションに国民が拍手を送ったのは「自分もいずれ勝者になれる」という(根拠のない)夢を国民の過半が自分に許したからである。
もちろん、そんな夢は実現しなかった。
この種の競争ゲームでは「勝ものは勝ち続け、負けるものは負け続ける」というポジティヴ・フィードバックがつよく働くので、短期的にひとにぎりの勝者と圧倒的多数の敗者に社会は二極化する。
結果的に「自分程度の才能では、いくらじたばたしても社会的勝者になる見通しは薄い・・・」という痛苦な事実を先行世代の「負け」ぶりから学習したより若い世代は、「強者が総取りする」競争システムよりも、「弱者であっても生きられる」共生型社会の方が自分自身の生き残りのためには有利だろうという判断を下した。
合理的なご判断であると思う。
弱者が生き残る道はあまり多くない。
論理的に導かれる回答は二つしかない。
一、「強い個人の庇護下にはいる」。
いわゆる「玉の輿狙い」戦略だが、「乗ったつもりの玉の輿」の意外な信頼性の低さに人々は気づき始めている。JJが退けられ、CanCamが選ばれたのは、「玉の輿」戦略のリスクの高さがしだいに知られてきたからであろう。
二、「周囲のみんなからちょっとずつ愛される」
結果的に選ばれたのが、このCanCam的「めちゃモテ」戦略である。
みんなに愛される、ラブリーな女の子になること。
若い人々はさしあたりもっとも有利なオプションとしてこの方向を採択した。
もちろん、いまだに「わたし的にきもちいいいから」ということだけを根拠に傍若無人、ひたすらエゴイスティックにふるまう若者たちも少なくない。
けれども、彼らはリソースの配分においても、相互支援ネットワーク構築によるリスクヘッジにおいても、すでに大きく遅れをとっているから、遠からず社会最下層に吹き寄せられることになるだろう。
就職活動の面接においては「私服で来てください」という条件を課す企業が最近は多いそうである。
そういうときに女子学生たちは迷わずCanCamで決める。
白いスカートにパステルカラーのニット、薄めの茶髪に毛先くるくるで「人事のおじさま」たちは日向のアイスクリームのように籠絡される。
こういうことについて、女子学生たちの情報伝達は光より速い。
私はCanCam型の「みんなに愛されるラブリーな女の子」志向は、そのふやけた外見とはうらはらに、実は私たちの社会がより生きることがむずかしい社会になりつつあるという痛ましい現実をシビアに映し出していると思う。
「オレはオレの好きに生きるぜ」とか「美しい国へ」とか「国家の品格」とかというようなお気楽なことが言えるのは、社会が豊かで、どう転んでも飢える心配がないときだけである。
逆に、「みんなに愛されたい」というようなプリティなことが繰り返し表明されるのは、そうでもしないと生き残れないというくらいに私たちの社会がリスキーなものになりつつあることの現れである。
そして、私はこの「めちゃモテ」戦略は実は深いところで日本人の本態的メンタリティに親和するものではないかと思っている。
例えば、「九条」である。
あれは、よく考えたら、国際関係における「めちゃモテぷっくり唇」なのである。
「私はみなさんにぜえ~ったい危害を加えることはありません。うふ♡」
というあれは意思表示になっているのではないか。
私は以前、どうして日本ではイスラム原理主義者のテロが起こらないかについて考察したときに、日本でテロをしたら「テロリスト仲間から村八分にされる」からではないかという推理を行ったことがある。
だって、日本でテロをするなんて、「赤子の手をひねる」ようなものだからだ。
私がテロリストだったら、そんなやつが手柄顔をすることは決して認めない。
日本がそのナショナル・セキュリティを維持できているのは、「とってもラブリーな」国だからである。
例えばの話、テロリストだって、たまには息抜きしたい。
そのときに家族旅行をするとして、どこに行くだろう。
水と安全がただで、道ばたに置き忘れた荷物が交番に届けられていて、ご飯が美味しくて、温泉が出て、接客サービスが世界一で、どこでも「プライスレス」の笑顔がふるまわれるところがあるとしたら、「そういう場所」は戦士たちの心身の休息のためにもできれば温存しておいたほうがいい、と考えるのではないか。
それはテロリストたちが(自分たちの闘争資金を預けてある)スイスの銀行を襲わないのと同じ理由である。
日本人は「ラブリー」であることによってリスクをヘッジしている。
おそらくこれは1500年来「中華の属国」として生きてきた日本人のDNAに含まれる種族的なマインドなのである。
アメリカにもラブリー、中国にもラブリー、韓国にもラブリー、台湾にもラブリー、ロシアにもラブリー。
みんなにちょっとずつ愛されるそんな「CanCamな日本」であることが21世紀の国際社会を最小のコスト、最低のリスクで生き抜く戦略だということを無意識のうちに日本人たちは気づき始めている。
そんな気がする。

2007.06.28

朝三暮四とマッチポンプ

ひさしぶりの、ほんとうにひさしぶりのオフ。
10時近くまで寝てから、朝ご飯、お洗濯。
ブログに「めちゃモテ日本」論を書く。
これはひさしぶりにわくわくするビッグピクチャー(大風呂敷ともいう)。
続いて、文藝春秋specialのための「日本人と労働」の原稿を6枚書く。
グローバリゼーションというのは「朝三暮四」のサル頭になるということであるという話。
こういう故事については一応原典に当たって文言と解釈を確認する。
朝三暮四の出典は『荘子』である。
書棚から『荘子』を取り出して、「斉物論篇」を読む。
たいへんに面白い。
「朝三暮四」の前の頁に「天籟」の話が出ている。
古来きわめて難解とされた概念である。
こんな話。
楚の隠者に南郭子綦(なんかくしき)という人がいた。その弟子に子游という人がいた。
弟子に向かって師が言う。
「女(なんじ)は人籟(じんらい)を聞くも、未だ地籟(ちらい)を聞かず。地籟を聞くも天籟を聞かざるかな。」
注解によれば、人籟とは楽器が奏でる音楽であり、地籟とは風にざわめきたつ大地が奏でる音楽である。人籟、地籟は耳を澄ませばまあ誰でも聞くことができる。
しかし、天籟は簡単には聴けない。
どうやったら聞けるのでしょうかと子游は問う。
子綦はこう答える。
「夫(そ)れ万(よろず)の不同を吹きて、其れをして己(おのれ)よりせしむ。みな、其れ自ら取れるなり。」
洞窟に風が吹き込むと、あるときはすすり泣きのような、あるときは怒号のような「地籟」の音が生成する。
同じように、天籟とは人間のうち喜怒哀楽の感情を生成させる「何ものか」である。それは効果だけがあって、かたちをもたない。しかし、現に喜怒哀楽、悲嘆や執着の情が生じている以上、「其の由る所(原因)」がどこかにあるはずである。
『荘子』はそれを「真宰」(真の主宰者)と言い換える。
ひとりひとりの聴手ごとに聞かれ方が異なり、つよいリアリティをともなって私たちを揺さぶる「天来の音」がある。
それによって人間的意味は構築されている。
それは現実の音ではなく、聴き手の実存的な踏み込みを俟ってはじめて鳴り響く種類の「天来の音」なのである。
これって、二日ほど前に私自身が書いた話とたいへんよく似ている。
「おお、シンクロニシティ」
倍音論で荘子がシンクロするとは思わなかった。
「朝三暮四」というのはこんな話である。
サルを飼っている人がサルたちに「朝にとちの実を三つ、夕方に四つ上げよう」と言ったら、サルたちが激怒した。しかたがないので、「では、朝に四つ、夕方三つではどうか」と言ったら、サルたちは大喜びした。
難解きわまる天籟論の直後に出てくるのであるから、この逸話が「サルは計算能力がない」というようなお気楽な話であるはずがない。
天籟は「私」の世界への踏み込みによって、「私」と「世界」のあわいに生成する、私にだけ聞こえる音である。
サルは天籟を聞くことが出来ない。
どうしてか。
サルには「マッチポンプ」という概念がないからである、と言い換えてもよい。
サルは「朝の自分」が食べる「三つ」と「暮れの自分」が食べる「四つ」を足すことができない。
なぜなら、「朝のサル」と「暮れのサル」はサルにとっては別ものだからである。
「マッチポンプ」というのは「朝三暮四」のちょうど逆のつくりを持っている。
「今の私」と「未来の私」が同一人物であるということについての確信がなければできない。
しかし、よく考えるとわかるが、実際には「朝の私」と「暮れの私」は同一人物ではない。
朝の私が愛していた妻を(昼間に知り合った女性と電撃的な恋に落ちたせいで)暮れにはもう愛していないかも知れないし、朝の私の政治的意見は(昼間に見聞きしたニュースによって)暮れまでに一変しているかも知れない。
朝家を出たところで車に轢かれて死んでしまった場合には「未来の私」などというもの自体が存在しない。
別人を自分と取り違える能力こそ、人間だけに与えられ、サルが持ちえないものなのである。
私は先に「倍音というのは本質的に『マッチポンプ』である」と書いた。
自分がつけた火を自分で発見して驚いてみせる。
しかし、ここで「驚き」が成り立つためには、「自分が火を点けた」という原事実は抑圧されねばならない。
そうですよね。
自分で点けた火を自分で消したのでは、少しも誇らしい気分になれないからである。
「マッチポンプ」というのは「今の私」と「未来の私」は同一人物であるという「確信」と、その「否定」が同時に働かないと存立しえない機制なのである。
ややこしい話だ。
「火を点けた私」と「火を消す私」は同一人物であり、かつ同一人物ではない。
このようなややこしい事態をクリアーできる方法が一つだけある。
抑圧である。
トラウマというのは、抑圧しておかないと、それが私の自己同一性を破綻させることが「わかっている」ような心的過程についてのみ起こる。
抑圧されることは、言い換えれば、存在することがあまりにも自明であることに限られる。
それをさらに言い換えると(めんどくさくてごめんね)、何かを「存在することがあまりに自明」であると思わせるためには、それを抑圧しちゃえばいいのである。
経験的にたしかなように、何かが存在することを人に信じさせるもっとも有効な方法は「何かを隠すふりをすること」である。
隠す以上は何かがそこにあったはずだと私たちは推論するからだ。いくら探しても出てこなければ、巧妙に隠蔽されねばならないほど重大なものが「ある」ことについての私たちの確信はさらに深まる。
神が存在することを人に信じさせるもっとも有効は方法は「神は死んだ」と慨嘆してみせることである(「死んだ」以上は死ぬ前には生きていたということだからだ)。
抑圧もそれと同じ機能を果たしている。
抑圧というのは「存在しないものを存在すると信じさせるもっとも確実な方法」なのである。
「マッチポンプ」というのは「火をつけた自分」と「消した自分」は同一人物でなければ成り立たないし、「火を点けたのは私だ」という原事実を抑圧しない限り、「消火の功績」を心静かに享受することができない。
必ずここでは抑圧が働く。
抑圧されたことによって、「火を点けた私」と「消した私」は同一人物であるという信憑は無意識レベルでいっそう強化される。
「今の私」と「未来の私」は同一人物だという無意識的な信憑を強化すること、すなわち時間の中での自己同一性の確立こそが「マッチポンプ」型の行為の究極の目的なのである。
私たちは時間を超えて自己同一性を維持することがいかに困難であることを熟知しているがゆえに、「同一的である」という事実を抑圧することで「同一的である」という信憑を強化するというトリッキーな戦略を採用したのである(人間というのはまことにいろいろなことをするものである)。
サルの話がどこかへ行ってしまった。
労働というのは、本質的に「私ならざるもの」に対する贈与である。
だが、それは「私ならざるもの」が実は「私自身」であると勘違いしなければ成立しない。
私が贈りものをする相手は私自身である。
そう思わなければ人間は贈与しない。
しかし、自分で自分に贈与するのなら、してもしなくても同じじゃん、と思う。
たしかにそうである。
「自分の得になることしかしない」のだが、「してもしなくても同じ」なら何もしない。
人間というのはそういうややこしい生き物である。
これになんとか仕事をさせたい。
そのためには、「労働するということは、結局自分が自分に贈与していることなのだ」と信じさせ、かつその事実を隠蔽する必要がある(論理的にはそういうソリューションしかない)。
「贈与者と被贈与者は同一人物である」という信憑は抑圧されて、無意識レベルに押し込まれる。
抑圧された心的過程は必ず症状として回帰してくる。
それが「どういう訳だか知らないけれど、オレって、つい他人のために働いちゃうんだよね~」という「病的行動」として徴候化するのである。
よくできている。
労働しない人間というのは、端的に言えば、このような抑圧が働いていない人間のことである。
彼にとって、自分は自分であり、未来の自分は他人であり、他人はもちろん他人である。
だから、労働する動機はゼロである。
働かない人間は「朝三暮四」のサルと構造的には同一である。
別にオレ「サル」でもいいよという人はどうぞそのまま楽しく「とちの実」を食べて人生(サル生か)をお過ごしになればよろしいかと思う。
別に「人間という病」に罹患しなければならない義理なんか、誰にもないんだしね。

2007.06.30

若者はなぜうまく働けないのか?

CIRCUSという雑誌の取材がある。
お題は「どうして若者はうまく働くことができないのか?」
一方に引きこもったまま労働しない若者がおり、一方に過労で倒れそうな若者がいる。
いずれも「うまく働いている」わけではない。
どうしてなのか。
たしかに「どうしてなんでしょう」と訊きたくなる気もわかる。
お答えしよう。
これは複数のファクターの総合的な効果であるから、単一の原因を探してもダメである。
第一は働く個人の側の問題である。
『下流志向』で分析したように、労働を経済合理性の枠内でとらえると、労働者は自分の労働の成果に対して、「等価の」報酬が、「遅滞なく」、「固有名宛て」に給付されることを望む。
学生たちが知っている「work」の経験はさしあたり受験勉強と就活だけであるが、それはまさに、努力に対する報酬(成績や合否採否)が(成績発表、内定通知の日に)「遅滞なく」、努力にふさわしい評価として、固有名宛てに届けられるシステムである。
前にも書いたとおり、「受験=就活のモチベーション」と「労働のモチベーション」は別種のものである。
前者は個人のためのものであり、後者は集団のためのものである。
このまったく違う活動を同一のモチベーションで行おうとするところに齟齬が生じるのである。
だから、1年半ほど汗水たらして就活をしたあげくに、入社した会社で「労働するモチベーション」を維持できずに三月で辞めてしまう・・・ということが起きる。
労働は本質的に集団の営みであり、努力の成果が正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない。
報酬はつねに集団によって共有される。
個人的努力にたいして個人的報酬は戻されないというのが労働するということである。
個人的努力は集団を構成するほかの人々が利益を得るというかたちで報われる。
だから、労働集団をともにするひとの笑顔を見て「わがことのように喜ぶ」というマインドセットができない人間には労働ができない。
これは子どものころから家庭内で労働することになじんできている人には別にむずかしいことではない。
みんなで働き、その成果はみんなでシェアする。働きのないメンバーでも、集団に属している限りはきちんとケアしてもらえる。
働くというのは「そういうこと」である。
だが、社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就活しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。
どうして自分の努力の成果を他人と分かち合わなくてはいけないのか?
だって、それオレのもんでしょ?
違うのだよ。
『スイスのロビンソン』という、今ではほとんど読まれることのない児童文学作品がある。
これはスイス人一家が無人島に漂着して、そこでロビンソン・クルーソーのような暮らしをするという物語である。
その冒頭近く、漂着したあと、海岸でみんなで魚介類を集めてブイヤベースを作るという場面がある。
スープができたはいいが、皿もスプーンも人数分ないから、みんなでわずかな食器を使い回ししている。すると、子どもの一人がおおぶりの貝殻をとりだして、それでずるずるスープを啜り始めた。
なかなか目端の利く子どもである。
それを見た父親が子どもに問いかける。
「お前は貝殻を使うとスープが効率よく食べられるということに気づいたのだね?」
子どもは誇らしげに「そうです」と答える。
すると父親は厳しい顔をしてこう言う。
「では、なぜお前は貝殻を家族の人数分拾い集めようとせずに、自分の分だけ拾ってきたのだ。お前にはスープを食べる資格がない」
私は9歳くらいのときにこのエピソードを読んで「がーん」としたことを覚えている。
そうか~、集団で生きるときには、「そういうルール」に従わないとご飯が食べられないんだ・・・
これはメモしとかなくちゃね、と私は思ったのである。
でも、今の若い人の多くはこのエピソードの意味を理解できないだろう。
このオヤジ、頭おかしいんちゃう?
限られたリソースを競争的に分配するときに、自分だけが有利になるように動いたことがどうして罰されなければいけないのか?
このルールを受け容れたら、例えば株の取り引きなんかできないことになる。
しかし、社会のルールは「複数の人間が無人島でも暮らせる」ことを基準に作られている。
そのことを覚えておこう。
そのルールでやったら「無人島では生きられない」ようなルールは「例外的な状況でだけ許される特例」なのである。
そして、現代の若者たちはそのような「特例」だけしか知らない。
「個人の努力の成果は個人が占有してよい」というのは生存競争がほとんどない時代、リソースの分配競争に負けても餓死することのない安全な時代にだけ適用できる「特別ルール」なのである。
それ以外のすべての場合において、努力の成果は占有してはならず、つねに他者と分かち合わなければならない。
現代日本のような安全で豊かな時代でも、親族やコミュニケーションや交換のような、人間存在の本質にかかわる活動では依然として人類学的惰性が効いているので、この「一般ルール」が生きている。
特殊なルールで育てられてきた子どもが、一般ルールの場所に放り込まれたことによって生じるとまどいが「うまく働くことが出来ない」というかたちに現象するのである。

「うまく働けない」第二の理由は雇用条件にかかわるものであるが、これも内在的には働く若者の心理とリンクしている。
若い人たちは「やりがい」ということをよく口にする。
「やりがいのある仕事」を求めて、たびたび転職したりする。
この場合の「やりがい」ということばを年長者は「使命感」とか「社会貢献」ということと誤解しがちだが、当人たちはたいていの場合「受験勉強と同じ」という意味で使っている。
つまり、自分の努力の成果が、まちがいなく自分宛に、適切な評価を受けてもどってくるような仕事のことである。
残念ながら、ほとんどの仕事はそういうふうには構造化されていない。
だから、彼らが最後にゆきつく「やりがいのある仕事」はミュージシャンとかアーティストとか作家とかいう「個人営業のクリエーター」系に固まってしまうのである。
たしかにロケンローラーが1000万人、漫才師が1000万人、漫画家が1000万人いる社会というのもにぎやかでよろしいだろうけれど、社会的ニーズということも多少は考えていただきたい。
とりわけこの「自分の仕事」と「他人の仕事」の境界線をきっちり決めて欲しい(そうしてもらわないと適正な成果評価ができないから)という要請は、彼らの労働条件の不可逆的な劣化をもたらしている。
だが、そのことに本人たちは気づいていない。
ほんらい、「自分の仕事」と「他人の仕事」のあいだには境界線なんかない。
それをむりやり区切ろうとしたら、仕事をセグメント化、モジュール化するしかない。
「たしかにこの仕事は隣の人の仕事と間違えようがない」というくらいにきっぱり識別できる仕事というのは、その仕事自体はきわめて均質的なものになる。
それまで並んでだらだら「だんご」を作っていたのを止めて、「オレは餅だけこねるから、おまえはあんこだけ作れ」というようになると、たしかに「餅」の生産高や品質は「オレ」の成果として明確に外形化される。
「餅はうまいがあんこはいまいち」という評価を受けた場合も、ぜんぜん気にしないでいられる。
けれども、その代償として「一生涯餅だけこね続ける」という呪いにかけられる。
共同作業の中で、自分の仕事だけを分離できるようにすると、その仕事は「単純労働の繰り返し」にならざるをえない。
たとえば派遣の仕事はいつでも取り替え可能なように完全にモジュール化されている。
だから、成果評価は簡単である。
Aくんは同一のモジュールを1週間で仕上げた。Bくんは2週間かかった。ならばAくんはBくんの単位時間あたりでは2倍の報酬を受けとることができる。
フェアな査定である。
でも、そのフェアな査定を要求した代償に失ったものを忘れてはいないか。
それは仕事を「計量可能」にする代償として、仕事は必然的に「均質」になり、同時に、無限にタイトになるということである。
というのも、その理屈なら、同一のモジュールを一日で仕上げれば、単位時間あたりの報酬は計算上7倍になるからだ。
だから、もっとも適正に成果が評価される仕事を求めていると、最終的に「右の物を左に移す速さ」を心身の限界まで競うような仕事になってしまう。
そして現にそうなっている。
仕事のモジュール化は90年代に「アウトソーシング」と「非正規雇用への転換」としてコスト削減の秘策とされてもてはやされた。
それは「オレの仕事」と「となりの人の仕事」がきっぱりと分離され、自分の仕事については自分が100%責任を持ち、その成果も損失も自分が引き受けるというスタンドアロンな労働環境を求める求職者たちのマインドともジャストフィットした。
ご本人たちは気づいていないが、若者が「やりがい」を求めるほど、彼らを傭う賃金は安くすることができる。
このシステムを雇用者たちは最大限に活用した。
「職能給への切り換え」や「独立事業部制」を求める若い人は今も多い。
彼らはそうやって仕事を他者たちから分離し、誰からもあれこれ指図を受けない独立の労働圏を確立したら、「はたらく自由」が手に入ると思っている。
だが、それが彼ら自身の労働条件をどれほど切り下げているか、そもそも労働意欲をどれほど損っているのか、当人たちはまだ気づいていない。
彼らが手に入れたのが実は「過労死する自由」かもしれないということに気づいていない。

というような話をする。
『下流志向』では「働かない若者」の分析にはほとんど頁を割いていないので、この問題についてはまた稿を改めてもう少し書き足したいと思う。


『氷山ルリの大航海』を見に行く

浜畑賢吉さんから電話がかかってきて、「今度大阪芸大の学生たちのミュージカルの演出をしたから、見に来てね」というお誘いがある。
うん、いくよ、とご返事する。
ハマは(むかしからそう呼んでいるのでこの愛称でゆくことにする)私のとっても古い知人である。
私が25歳のときに知り合ったので、もう32年来のおつきあいになる。
ハマは知り合ったころは四季のスター俳優だったので、よくハマの出る四季の芝居を見に行った(『コーラスライン』とか)。
私が関西に来てからもときどきこっちで公演があるとお誘いの電話があって、るんちゃんと一緒にミュージカルを見に行ったりした。
しばらく音信が途絶えていたらこのあいだ電話がかかってきて、まるでさっきの話の続きをするようないつもの声で「あ、タツル、元気?オレさ、いま大阪芸大の舞台芸術学科の学科長やってんだよね」と知らせてくれた。
あらまあ、いつのまにか同業者になっていたのね。
こんど飲もうよ、そうだね。ひさしぶりだもんね、という会話がありつつもハマも私も死ぬほど忙しい身の上なので、なかなか会えずにいたのである。
谷町のNHKホールでミュージカルをやるというので、雨の中とことこ見に行く。
大阪芸大というと「中島らも?」というような時代遅れの連想する私であるので、学生のミュージカルといわれても、なんとなく昔の小劇場の、受付のところに差し入れの一升瓶が置いてあって、学生たちがばたばた走り回っているような風景をぼんやり想像して行ったら、ぜんぜん違っていた。
NHKホールでやる、という点で70年代的幻想から醒めておくべきであった。
ああ、びっくりした。
カーテンコールでハマが袖から出て来た。
むかしのまんまだね。
ハマももう60歳くらいのはずだけど、あいかわらず颯爽としていた。
受付の行列のところで芸大の学生たちが「賢吉さん、いた?」とか「学科長がさ」とか言ってるくちぶりからハマが学生たちからとっても愛されていることが伺われた。
舞台からも演出家の学生たちへの愛情がにじみでていた。
「今日はおまえら全員が主役のつもりではじけろよ」というハマの熱い思いがにじんだ舞台だった。
ハマはきっとすごくいい先生なんだろうと思う。
すぐれた俳優が必ずしもすぐれた教師になれるわけではない。
浜畑賢吉さんはその例外的なひとりである。
こんどゆっくり飲みましょうね。

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