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2007年05月 アーカイブ

2007.05.01

東京でお仕事

東京出張。仕事は三つ。
福岡伸一先生との対談、クロワッサンの取材、それから諏訪哲二先生との対談である。
福岡先生とお会いするのは二度目である。
前回は新宿のホテルのバーで隣り合わせて座って、Y野屋のG丼の原価の秘密について、さらにはMシシッピ河流域に展開するG肉マフィアの恐るべき真相について、「ここだけの話ですが」をいろいろと伺った。
「こんな話をAメリカでしたら、翌日はHドソン河で簀巻きにされて浮いてます」とF岡先生は遠い目をして語っていたのである。
わお、めちゃテリブルですね、F岡先生(っていまさら伏字にしても仕方がないが)。
当然のことながら、今回もテリブル話で盛り上がったのであるが、残念ながら、私たちの対談を掲載するメディアは「中学校受験向けの学習塾に配布されるフリーペーパー」であったので、そういう話はすべて「カット」されるはずである。
どうしてこのようなメディアで福岡先生が連載対談(私はその第一回ゲスト)をすることになったのかについてはマガハ人脈をめぐる長い話があるのだが、それは割愛。
話が佳境に入りかけたところで終わってしまったので、ああもっとしゃべりたいですうとじたばたした私が「先生、この続きを往復書簡でやりましょう」とオッファーしたら、福岡先生にご快諾いただき、本にすることまで話がとんとんとまとまった。
「どこの出版社がいいですか」とお訊ねしたら、某出版社の名前を先生が挙げられたので、そこに営業をかけることに決する。
夕方に仕事が終わる。学士会館の二階で対談していたので、福岡先生にお別れして、そのまま4階の部屋に戻ってお風呂にはいり、すずらん通りの「揚子江飯店」にご飯を食べに行く。
ここは竹信悦夫くんといっしょに岩波書店でバイトをしたときに一度来たことがある。
もう30年以上前のことだ。
そのときに彼が「美味いよ」といった五目ヤキそばを注文する。
30年以上前のことなので、それが同じ味なのか違う味なのかもうわからない。
部屋に戻るとまだ7時。
することがないので、寝転んでポッドキャストで町山さんの「新作」を聴いてくくくと笑っているうちに急速に睡魔が襲ってくる。
まだ8時前。
目が醒めたら午前4時。
することがないので、日記を更新する。
平川君の新作『株式会社という病』がたいへん面白かったので、忘れないうちにその感想をしたためる。
日記を書いたらまた眠くなってきたのでふたたび寝る。
目が醒めたら午前8時。
よく寝る男である。
食堂で朝日新聞社から送ってきた『ロスト・ジェネレーション』を読みながら朝ごはんを食べる。
「ロスト・ジェネレーション」というのは、現在25歳から35歳までの世代のことで、この方たちは卒業時に就職氷河期に遭遇したせいで、たいへんつらい人生を送ることを余儀なくされているらしい。
それゆえ、この世代の人々の中には、団塊世代に対して、「あんたたちがろくに働きもしないで手に入れた不労所得の幾分かについてオレには請求権がある」というような主張をなす人々がいる。
そのような主張をこの本はかなり好意的に紹介していた。
そんなことをしてよろしいのであろうか。
本気にする若者が出てきたらどうするのか。
大学を卒業してもろくな就職口がないというような時代は昭和に入ってからも何度もあったし、その責任を年長世代におしつけても、それで何か「よいこと」が起こるということはなかった。
自分が「あまり努力をしなくても分不相応にいい目をみられる卒業年次」にめぐり合わなかったことを30過ぎてもまだ自分のぱっとしない現状の主たる理由として指折り数え上げるような人間は、仮に「あまり努力をしなくても分不相応にいい目をみられる卒業年次」にめぐりあってもそれほど幸福にはなっていないのではないかと私には思われるのだが、いかがであろう。
『若者はなぜ3年で辞めるのか?』もそうだったけれど、非正規雇用で苦しむ若者たちに向かって、「『やつら』がキミたちの既得権を侵害しているのだ。『やつら』から奪い返せ」というアオリを入れるのは、あまり品のよい語法ではないように思う。
奪還論者が求めるのは、なによりも「能力や努力がそれに見合う成果によって補償される」社会的フェアネスである。
「私は高い能力をもち、懸命に努力しているにもかかわらず不当に低い社会的評価しか受けていない」という前提から彼らは出発する。
だから、社会的不公平を告発する人々は必ず「能力主義者」になる。
ならざるを得ない。
となれば、かりにこの奪還闘争が成功裏に終わった場合には能力主義はいっそう純度の高いかたちで貫徹されることになる。
もちろん「社会的不正に抗して戦った人間」と「まるで戦わなかった人間」の間には、その努力の評価において決定的な格差が存立しなければならない。
当然である。
「能力もないくせにリソースを独占している『やつら』」から奪還したものを「能力もないくせにリソースを欲しがる『やつら』」に分かち与えるのは「奪還論」のロジックが許さない。
結果的に、奪還論者は非寛容な能力主義者になる。
そして、「戦わなかった若者たちはその怠惰にふさわしい貧困と不遇に甘んじなければならない」と声高に宣言するようになるだろう。
そのような目つきの悪い若者たちを構造的に再生産してもあまりいいことはないように私は思うのだが、どうも朝日新聞社のご意向は私とは違うようである。
ゲラを読んでいるうちにだんだん気分が悪くなってきたので、読むのをやめて次の諏訪哲二先生との対談に備えて『なぜ勉強させるのか?』を再読する。
諏訪先生の書かれることはいつもロジカルでクリアーカットである。
諏訪先生は確信犯的な近代主義者である。
だから「わからない」ことに遭遇すると、「わからないことに遭遇した」とそのままストレートに(かつ、いささか不機嫌に)書く。
近代主義者は「いや、こんな事態は想定内で」というような無意味な遁辞は決して用いない。
自分の用いているスキームの限界と欠陥を正確に記述することの方が、自分の用いているスキームを過大評価させることでおのれの知的威信を高めることよりも、人々にとって「有用」であると信じているからである。
「人々」の知性と徳性をとりあえず信じるところから始めるというのが近代主義者の骨法である。
近代主義者が他者を信じていられるのは、彼の倫理が「世界中がぜんぶ『自分みたいな人間』でも、自分は生きていけるか?」というたいへんリアルな問いを基盤にして構築されているからである。
私がポストモダニストを信用することができないのは、彼らが「世界中ぜんぶが『自分みたいな人間』だったら」という想像をする習慣をもたないからである。
例えば、K谷K人は世界中全部がK谷K人であるような世界を彼の理想とはしていないであろう(「他人が誰も彼より愚かでない世界」で彼が幸福な人生を享受している姿を想像することはたいへんにむずかしい)。
その点で近代主義者はつねに「よき隣人」である。
彼らは隣人の知性と徳性をとりあえず(目をつぶって)信じるところからはじめてくれるからである。
近代主義者はそのような絶えざる「命がけの跳躍」にさらされているという点については、間違いなくポストモダニストよりもはるかにポストモダン的であると私は思う。
というようなことを考えているうちにクロワッサンの取材の時間となる。
お題は「お金と子ども」。
子どもにお金の使い方を教えるのはむずかしい。
喩えとして「雛鍔」の話を出す。
「雛鍔」というのは、大名の子供が庭で銭を拾って、それが何であるかわからず「これはお雛さまの剣の鍔ではないか?」と供の者に訊ねるというエピソードから始まる「子供とお金」の物語である。
「金は不浄」という禁忌の感覚は私が育った1950年代まではたしかに日本のふつうの家庭に存在した。
「子供の前では金の話はしない」というのは私の家では親たちの常識であったし、「子供が人前で金の話をする」ことは即座にゲンコツを食らうほどの禁忌であった。
その点ではセックスの話に近かった。
たしかに物欲と性欲は人間の根源的なモチベーションである。
けれども、それはあまりに強く抵抗しがたく人間のふるまい方を支配するので、それを制御するだけの成熟に達するまでは子どもには触れさせない、というのが近代前期までの常識であったように思う。
それがどこかで常識ではなくなった。
それはたぶん「成熟」というプロセスが無効になった時期と一致している。
そのときに、セックスと金から子供を隔てていた人類学的な「バリヤー」も消失した。
子供のときに金/セックスに触れてしまった子供は、成熟を妨げられる。
というのは「成熟する」というのは「金やセックスに触れてもよい人間になること」を遠い達成目標に掲げてさまざまのイニシエーションの条件をクリアーしてゆくことだからである。
だから、幼児に対する性行為についてはきびしい人類学的禁忌がいまでも(部分的には)有効である。
けれども、金との接触に対する禁忌はほとんど無効になった。
それはおそらく「成熟なんかしなくても、いい」ということについての社会的合意が成立したからである。
それはおそらく「人々が幼児的であればあるほどそのことから私は利益を得ることができる」と信じている人間の数がどこかで閾値を超えたからであろう。

2007.05.03

憲法の話

5月3日は憲法記念日なので、いろいろなところから憲法についてコメントを求められる。
一つは毎日新聞の「水脈」に書いた。
今日の夕刊に掲載されるはずだが、一足お先に公開しておく。


改憲の動きが進んでいる。一部の世論調査では、国民の6割が改憲に賛成だそうである。大学のゼミでも「もうすぐ憲法が改正されるんですよね」とあたかも既成事実であるがごとくに語る学生がいて驚かされた。
九条第二項の政治史的意味についての吟味を抜きにして、「改憲しないと北朝鮮が攻めてきたときに抵抗できない」というような主情的な言葉だけが先行している。
私は改憲護憲の是非よりもむしろ、憲法改定という重大な政治決定が風説と気分に流されて下されようとしている、私たちの時代を覆っている底知れない軽薄さに恐怖を覚える。
改憲とは要すれば一個の政治的決断に過ぎず、それが国益の増大に資するという判断に国民の過半が同意するなら、ただちに行うべきことである。
だが、当否の判断が適切に行われるためには、改憲を主張する側にまず「説明責任」が求められるだろう。
憲法を改定することで、日本国民は「憲法を改定しない場合に逸されるはずのどのような利益」を回収することができるのか、その利益が「この憲法を改定しないことがわが国にもたらす利益」より大きいとする根拠は何か。それを説明するのが現行制度の改変を求める人間の最低限の義務だろう。
「憲法を改定しないことがもたらす利益」についてなら、私たちはかなりの確度でそれが何かを言うことができる。
戦後62年の平和と繁栄は間違いなくそのような利益の一つである。
私たちは1945年から後一度もどこの国とも戦火を交えることがなかった。私たちの国の正規軍兵士は他国の領土で人を殺していない。これは先進国の中できわめて例外的なことである。米、英、露、仏、中、どの国もこの「偉業」において日本に遠く及ばない。この成果に対して国際社会は日本にいくばくかの「敬意」を抱いている。少なくとも私の外国の友人たちは私にそう告げてきた。
けれども、改憲派の諸君はそれを「敬意」ではなく「侮蔑」と解釈する。アメリカの世界戦略への「人的貢献」(要するに他国の領土でその国の人々を殺すこと)を怠ったことで日本は「国際社会の笑いもの」になったというのが、彼らが改憲を急ぐ理由として繰り返し言挙げすることである。
日本は「戦争をしない国」として外交ゲームに参加している。それはいわば「ジョーカー」を持たないでカードゲームに参加しているに等しい。九条二項を廃絶するということは「いつでも、誰とでも、したいと思ったら戦争をする権利」を手元にとどめることである。その権利さえ手にすれば日本は隣国から「要らざる侮り」を蒙ることがないだろうと彼らは考えている。
だが、この推論には根本的な瑕疵がある。それは改憲しても日本は結局「ジョーカー」を手に入れることはできないからである。
改憲で日本が手に入れるのは「アメリカ以外の国と、アメリカの許可があれば、戦争をする権利」であり、それだけである。
改憲した後も日米安保条約が維持され、国内に米軍基地が存続し、核武装が禁じられるなら、改憲はただ日本が「アメリカの軍事的属国」であるということを国際社会に向かって改めて宣言すること以上を意味しない。
たしかにアメリカの「軍事的属国」であると公言することで、隣国の人々は日本を恐怖し、場合によっては憎悪するようになるかも知れない。その方が「侮られる」よりはましだと改憲派の諸君は信じているのだろうが、私はその判断には与しない。
敗戦によって日本は「アメリカにとって無害・有益な国」以外のものになる選択肢を許されなかった。敗戦国民に選択権はなかったのだから、あきらめるしかない。けれども、その屈辱的な国際的地位を今になって自ら進んで選び直し、満天下に誇らしげにカミングアウトするとしたら、それはほとんど「私たちは敗戦国以下の存在である」と宣言するに等しい。そのような名乗りによって、国際社会から敬意や信頼が寄せられる可能性は限りなく低いと私は思う。


『九条どうでしょう』以来、私が憲法について言っていることはずっと同じである。
それは交戦権を否定した九条二項と軍隊としての自衛隊は拮抗関係にあり、拮抗関係にあるがゆえに日本は「巨大な自衛力」と「例外的な平和と繁栄」を同時に所有している世界で唯一の国となった、ということである。
先日も書いたから、みなさんはもう聞き飽きたであろうが、二つの対立する能力や資質を葛藤を通じて同時的に向上させることを武道では「術」と言う。
「平和の継続」と「自衛力の向上」を同時に達成しようと思ったら、その二つを「葛藤させる」のがベストの選択なのである。
九条と自衛隊が矛盾的に対立・葛藤しているという考え方は、『九条どうでしょう』でも詳述したように、戦後の日本人がすすんで選んだ「病態」である。
本当の対立・葛藤は日米間にある。
九条はアメリカが日本を「軍事的に無害化する」ためにあたえた「足かせ」であり、自衛隊はアメリカが日本を「軍事的に有用化」するためにあたえた「武器」である。
日本はGHQが敗戦国民に「押しつけた」この二つの制度によって、「軍事的に無害かつ有用」な国になった。
ここには何の矛盾もない。
しかし、「ここには何の矛盾もない」という事実を認めることは、そのまま「日本はアメリカの軍事的属国である」と認めることになる。
それは壊滅的な敗北の後の日本人にとってさえ心理的に受け容れがたい「現実」であった。
それゆえ、日本人は「狂う」ことを選んだ。
耐え難い現実から逃避しようとするとき、人間は狂う。
日本人は暗黙の国民的合意によって「気が狂う」ことにしたのである。
それは「九条と自衛隊は両立しがたく矛盾しており、そこに戦後日本の不幸のすべての原因はある」という「嘘」を信じることである。
護憲派も改憲派もそれを同時に信じた。
その国民的規模で営まれた詐病が「55年体制」である。
本来は存在しない九条と自衛隊の葛藤を苦しむという不思議な病態を演じることを通じて、日本人はその「疾病利得」として、世界史上例外的な平和と繁栄を手に入れたのである。
私が戦後日本が九条と自衛隊の「葛藤」を通じて国力を順調に育成してきたプロセスを「世界政治史上まれに見る狡猾な政治的マヌーヴァー」と評するのは以上のような理由による。
ひたむきな改憲派と護憲派の双方に欠如しているのは、政治史的な知識でも地政学的洞察でもない。
私たちがしばしば「嘘をつくことによって、ほんとうのことを言おうとする」という経験的には熟知されていることを政治過程に適用する習慣である。

大学で教員研修会があるので、大学院教育分科会であれこれとホットな議論をする。
夕方研修会が終わり、続いて拡大自己評価委員会。
途中で抜け出して教務部長室の電話でNHKラジオの朝の番組のために憲法についての談話を収録する。
約25分間、電話口で「憲法はこのままでいい」という自説を開陳する。
オンエアでは12分に編集するそうである。
朝から私の早口での憲法論を聞かされることになったオーディエンス(とくに改憲派のみなさん)にはまことに気の毒なことである。
仕事が終わって家に戻ると、こんどは讀賣新聞の電話取材。
話は変わって、どうして最近の若者はこんなに場の空気が読めないんでしょう・・・という特集についてのコメントを求められる。
もうワインを飲み始めていたので、節度を失い、ふと「人間活動のモジュール化」というアイディアが浮かんだので、すべてはそのせいですという思いつきを30分にわたってしゃべる。
なんだか一日口を尖らせてしゃべり続けていたような気がする。
ぐったり疲れてふと顔を上げるとファックスが来ている。
「論座」に加藤典洋さんの憲法論が出ているから読むように、というお知らせである。
なぜか朝日新聞社から「論座」の最新刊が届いていたので、そのまま開封して加藤さんの論文を読み始める。
すると、「内田樹の憲法論」について加藤さんがコメントしている箇所が出てきて、思わず椅子から飛び上がる。
『九条どうでしょう』についても繰り返し言及されており、毎日新聞の中野さんもさぞやおよろこびのことであろう。
加藤さんは、思想はアモルファスな現実を経由し、それを素材として錬成されるべきものであり、透明な理念が先に立って現実を構築するわけではないという平明な事実を『敗戦後論』から10年経って、改めて思い知ったと書いていた。
「『ねじれ』を生きるとは、戦後のこの『ねじれ』を含んだ生活の総体をそのまま受け取ること、そこから考える以外のことでは、ない。そのことを腹の底から知るのに、だいぶ時間がかかったことになる。」(「戦後から遠く離れて」)
さきほどのラジオ番組のために話した最後のことばは、「私たちは生活者の常識をもっと信じてよいと思います」というものであった。
加藤さんと不思議に響き合うものを感じて、うれしくなってワインをがぶがぶ飲んでしまった。

2007.05.07

息継ぎなしのGW後半戦

3日、4日は恒例の美山町「山菜天ぷら」ツァー。
舞鶴道を通って、綾部から27号線、途中から脇道にそれて、由良川沿いに上流に上ってゆく。この新緑のワインディングロードを走るのは私の年来の喜びの一つである。
今年も小林さんご一家の歓待を受ける。
赤いホンダシティに妻と生まれたばかりのるんちゃんを乗せて美山町を最初に訪れてからもう四半世紀になろうとしている。
妻が去り、るんちゃんが去っても、私は一度はじめたことは原則として止めない人間なので、今年も日本酒とアンリ・シャルパンティエのお菓子をおみやげに一夕の清談のためにこの美しい里山を訪れたのである。
美味と美酒を堪能しているうちに道場の間取りや、能舞台の床材(尾州の檜がよろしいそうである)や、背景の老松を誰に描いてもらうかというような具体的な話になる。
夢は細部が具体的になればなるほど実現可能性が高まる。
そういうものである。
夢の実現にはこれこれの金額の金が必要であるというので、頭の中に「数字」を思い浮かべ、数字の増減だけにつねづね思念を集中していると、金はたまるかもしれないが、「夢」は実現されない。
夢はしばしば思いがけない「バイパス」を通って実現されるからである。
夢のことだけを考えていれば、決して「バイパス」の入り口を見逃すことはない。でも、金のことだけ考えていると、それを見逃してしまう。
幸福というのは「幸福に至る経路」をたどること自体がすでに幸福の実現であるように構造化されている。
だから、老松のデザインについて小林直人さんと相談しているときに私はすでに能舞台の仕上がりをすり足で確かめているときの身体的快楽を先取りしているのである。
この快楽はいくら「先取り」しても目減りすることがない。
ただその快楽を享受するためには、「私の夢」が実現することを信じている人が「私以外」に存在しなければならない。
夢をもつことは誰にでもできるが、夢の快楽を享受することが限定的なものに止まるのはそのためである。
快晴の里山の雑木林の中でお弁当を食べてから、小林家のみなさんに手を振って芦屋に戻る。

中国道も裏六甲ドライブウェイも大渋滞である。
私のように毎年同じ日程・同じ行程で行動する人間には経年変化が手に取るようにわかる。
道の込み方がバブル末期とよく似ている。
どうやら景気は回復しているようである。
少なくとも「景気は回復しているようだから、消費行動を抑制する必要がなくなった」と考えている人々が激増したことは間違いない。
こういうのは「気分」のものである。
なんとなく「消費気分」が横溢し始めている。
でも、経済というのは「気分」で大きく動くものであるから、これは今後しばらく続く好況の予兆と見てよろしいであろう。
とはいえ渋滞するのは個人的にはとても迷惑なことである。
トンネルに入る前に六甲山に抜けて、蘆有道路を通って芦屋に帰る。

明けて5日6日は恒例の広島県支部での多田先生の講習会。
去年から日本武道館の後援を得て、だいぶ大規模な事業になり、講習時間も倍近く長くなった。
甲南合気会・神戸女学院大学合気道部あわせて20名で参加する。
呼吸法・体捌き・体術・太刀・杖と合宿と同じくらいに集中的な稽古をする。
久しぶりに受け身を取るので、最後まで体力が保つかちょっと心配していたけれど、身体の切れはいつもよりよかった。
多田先生がこの講習会では「機」ということを集中的に指摘されていた。
これは今の私自身の技法上の悩みにまっすぐ触れるものであった。
潜在意識が身体を主宰するとき、意識と意識のあいだに瞬間の「空白」が訪れる。
それが「機」である。
「空白」というのは、自分が何を考え、何をしているのかを「私」が知らないからである。
「石火の機」と『不動智神妙録』にはある。
そのとき動きは神速となる。
「神速」というのは「とても速く動く」という意味ではなく、「通常の時間の流れとは違う流れで動く」ということである。
喩えて言えば、刀を切り下ろしたところに相手が首を差し出してくるような動きのことである。
それが「先の先」ということである。
機を利己的に用いれば、それはただの「虐殺」となる。
だから、「機の錬磨」というときに強弱勝敗を論じるということはありえないのである。
合気道の稽古で「同化」ということに軸足を稽古していると、技が柔らかくなり、機を失した動きになりかねない。
けれども機に軸足を置いて稽古すると、おそらくほとんどの人は相手を「一撃で倒す」ということばかり気にして、結果的に対立的な図式に囚われてしまうだろう。
もちろんこの葛藤にできあいのソリューションはない。
この葛藤を苦しむことそれ自体が稽古であり、その稽古を通じて、もっと複雑で手のつけようのない葛藤に遭遇するせいで、この葛藤が「前景から退く」というのが武道的なソリューションのあり方だからである。
綿のように疲れて、とりあえず広島駅で広島風お好み焼きと生ビールで打ち上げる。
みなさん、お疲れさまでした。楽しい二日間でしたね。
広島県支部のみなさんには今年もお世話になりました。ありがとうございました。また、来年もよろしくお願いいたします。

2007.05.08

コミュニケーション・プラットホーム

予備校が毎年行っている大学入試の「現代文頻出著者」ランキングが今年も発表された(ほんとは発表されていないのだけれど、そこはそれ「蛇の道は蛇」で)。
私はこのランキングに05年度入試に初チャートイン(10位)、06年度は第6位であった。
で、今年は2位。
1位は養老孟司先生。
同率2位が鷲田清一先生で、3位が茂木健一郎さん。
というわけで、1位から3位まで全員「おともだち」でした。
不思議ですね。
ちなみに4位が正高信男、見田宗介。5位が小川洋子、佐藤卓己、夏目漱石。6位が赤瀬川原平、河合隼雄、斎藤孝、堀江敏幸、三浦雅士、山崎正和。7位が青木保、阿部謹也、内山節、梅原猛、大岡信、大庭健、加藤周一、佐伯啓思、村上陽一郎、四方田犬彦(敬称略させていただきました)、と続く。
このランキングには大学の先生が多いけれど、もちろん「学者ランキング」ではない。
学者としては「中の下」である私が入試問題に選択される理由はいろいろ考えられるが、やはり一読して、「ふんふん、そういうことって、あるよな~。いや、実はオレもそう思っていたんだよ」という共感度の高い読者を入試出題者のうちに得るということがランク入りの条件と拝察されるのである。
しかし、どの執筆者の方も十分に共感度の高い読者をお持ちのようであるにもかかわらず、なぜそこに差ができるのか?
これについては私にひとつ仮説がある。
どうも、養老先生と鷲田先生と茂木さんと私の間にはある「共通点」があるように思われるのである。
それは何でしょう?
一分間考えてください。
・・・・・・・
はい、一分経過しました。
それは「おばさん」だということである。
養老先生とはこの論件については、かなり長い時間お話ししたことがあり、「私たちはおばさんである」ということについては合意に達している(詳細は『逆立ち日本論』を徴せられよ)。
「おばさん」的知性を代表する人物として私がまず思い浮かべるのは内田百閒先生である。
先生は芸術院会員に推されたとき、「いやだ」と答え、理由を問われて「いやなものはいやだ」と言われた。
これこそ「おばさん」の骨法である。
自分自身が行っている推論の構造を本人もよくわかっていない、というのが「おばさん」的知性の特徴である。
「自分の推論形式がよくわかっていない」ということと「デタラメな推論をしている」というのは別のことである。
ある種の秩序がそこに伏流していることは本人にも確信せられているのであるが、とっさには言葉にできないのである。
それを言葉にしてわかりやすく説明するプロセスには手間ひまがかかる。
その「手間ひま」部分が「おばさん的知識人」の場合は「執筆活動」として行われる。
ふつうの知識人は「私は賢い」ということを前提とした上で、「その賢い私はこのように推論する」という記述のかたちを採用する。
それに対して、おばさん的知識人は、「私は自分がどのように賢いのか(あるいは愚鈍なのか)実はよくわかっていないので、それについて吟味するところからはじめたい」という記述のかたちを採るので、話はいきおい長くくどくぐるぐると循環するようになる。
結果的にそこに述べられた命題の当否は措いて、おばさん的なエクリチュールがたいへん「対話的」なものになることはご理解いただけるであろう。
というのは、「私はこれこれしかじかのごとく推論する・・・この推論の仕方にみなさん同意していただけますよね?よろしいですよね?」という確認をくどいほど行うからである。
なにしろ本人でさえ自分の推論形式の妥当性について確信がないのであるからして、せめて読者の同意が得られないことには話にならない。
私はこのような「読者の同意を求めるために、いったんたちどまること」を「コミュニケーション・プラットホームの構築」と呼んでいる。
ヤコブソンは「交話的コミュニケーション」といったけれど、「プラットホーム」といったほうがわかりやすいような気がする。
電車の乗り換えのときの駅の「プラットホーム」のことを想起していただければよい。
みんな、いったん「そこ」に来る。
行き先がそれぞれ違うから乗り込む車両は違う。
でも、誰でも一度は「そこ」に立つ。
「そこ」に立たないことには、そもそも話が始まらないし、たとえ乗り込む列車を間違えても、「そこ」に戻ればやり直しが利く。
そういうプラットホームがコミュニケーションにおいては、必要である。
文章について言うと、「この文に関してだけは、書き手と読み手のあいだに100%の理解が成立している文」のことである。
例えば、かつて松鶴家千とせはこう歌ったことがある。
「オレがむかし夕焼けだったころ、弟は小焼けで、父ちゃんは胸やけで、母ちゃんはしもやけだった。わかるかな~。わかんね~だろうな~」
前半の「オレが」から「しもやけ」までの部分と、「わかるかな~。わかんね~だろうな~」という部分ではコミュニケーションのレベルが変化していることに気づかれたであろうか。
「オレがむかし」以下は聴き手に特段の「理解」を求めていない。というか「すぐには理解できないこと」であることが肝要なのである。
それに対して、「わかるかな~」以下は聴き手の100%の即座の理解を求めている。
「私の話、わかりますか?」という問いかけは「私の話」には含まれていない。
この問いかけの意味するところが理解できない聴き手は存在することがそもそも想定されていない。
「その意味するところが理解できない聴き手は存在することがそもそも想定されていない(し、現実に存在しない)」ような文のことを「プラットホーム」と呼ぶ。
これをどれほど適切に自分の書く文章のうちに配置できるかで、文章の「読みやすさ」は決定される。
「読みやすさ」というと語弊があるので言い直すと、どれほど「深い」レベルにまで読者を誘うことができるかが決定される。
養老先生も鷲田先生も茂木さんも、決してやさしいことを述べる人ではない。
けれども、この方たちの本はなんとなく「わかりやすい」ような印象を与える。
「ふんふん」と頷きながら最後まで読んでしまって、ぱたりと本を閉じて、中身を「ぜんぜん理解できてない」ことに気づいて愕然とする・・・ということもある。
それはコミュニケーション・プラットホームの構築のされ方が巧みだからである。
例えば養老先生の文章を一つ。
「人々のあいだに共通するものはなにか。それは心だということは、戦中を考えたら、いやでもわかることである。さもなければ特攻隊が許容されるはずがない。まさに一億玉砕なのである。でもあいつが死んでも、私は死なない。身体は別なのである。では心の共通性を保証する身体の基盤とはなにか。脳というしかないであろう。デカルトは西洋人だから、脳によって個を立てようとしたのだが、私は日本人だから、脳で世間を立てようとしたのである。
 こうやって書いていても、自分の考えを表現することがいかにむずかしいか、よくわかる。人は一直線に考えるのではない。一直線に考えたように表現するのである。さもなければ、話が面倒になって、相手に伝わらない。」(鎌倉傘張り日記)
たいへんわかりにくいことが書いてあるが、それでも「この話を最後まで読みたい」という欲望は減殺されない。むしろ亢進する。
それは「こうやって書いていても、自分の考えを表現することがいかにむずかしいか、よくわかる」と養老先生ご自身が保証してくれているからである。
「これはわかりにくい話です」と書いた当人が言っている言葉を現に理解できている以上、この「わかりにくい話」も決して理解の埒外ということではないということについて、読者は今しばらく確信を維持することができる。
養老先生があれほどむずかしい話ばかり書きながら、それがすべてベストセラーになりうるのは、この「コミュニケーション・プラットホーム」を差し出す手際がみごとだからである。
それが「リーダーズ・フレンドリー」ということでもある。
話がだいぶ横道にそれてしまったが(この「閑話休題」というフレーズももちろん典型的な「プラットホーム」である)、出題頻度ランキングを私は「コミュニケーション・プラットホーム」の出現頻度ランキングとしておそらくは読み換えが可能であろうということを申し上げたかったのである。
というのは、入試出題者が問題文を選ぶときの条件は「私はこの文章の意味を段階的に理解できた」という実感だからである。
一読してすらすら意味がわかってしまう文章は問題文に向かない。再読三読してもさっぱり意味がわからない文章も向かない。
一読するとよくわからないが、再読するとさきほどよりは理解が進み、三回読むと「おお、なるほど」と膝を打つ、というあたりがよい湯加減である。
そのためには受験生が「これだけは理解できた」と確信がもてる「プラットホーム」が(岩場に打ち込まれたハーケンのように)読解の手がかりとして、適所に配置されていることが必要である。
そういう文章を書く人が「意外に少ない」ということをこのランキングを一瞥して私は知ったのである。

2007.05.09

日本語壊滅

産経新聞が「大丈夫か日本語」というシリーズ記事を掲載している。
たいへん興味深い記事があったのでご紹介したい。
まずは携帯メールによる語彙の変化についての研究報告。

日本大学文理学部の田中ゆかり教授(日本語学)は「(携帯メールのコミュニケーションで)新たな語彙を獲得するのは難 しい」とみる。そこでのやりとりは親密な間柄の「おしゃべり」に限られるからだ。丁寧な言い回しや敬語といった配慮表現が絵文字や記号に取って代わられる ことも多く、言葉を尽くして伝える訓練にはならない。 「短文化」も加速している。田中研究室に在籍 していた立川結花さんが平成17年、大学生の携帯メール約400件を分析したところ、1件平均の文字数は約30字で、5年前の調査結果の3分の1にまで 減っていた。 「相手に悪く思われないためには、30秒以内に返信するのが暗黙のルール。送受信の頻度は上がり、極端な場合、1文字だけのメールがやり取り されることもある」(田中教授)のが実情だ。 独立行政法人メディア教育開発センターは昨年、大学生約1200人の1日平均の携帯メール送受信回数と日本語の基礎学力の相関関係を調べた。「中学レベル」と判定された学生の平均が1日約32回だったのに対し、「高1レベル」は約27回、「高3レベル」は約15回。送受信回数が多い学生ほど日本語テストの点数が低いという結果が出た。 「言葉足らずなやりとりなので、送受信回数は増える。結果として、読書などの時間が削られ、語彙力の低下を招いているのではないか」調査を取りまとめた小野博教授(コミュニケーション科学)の分析だ。(5月1日)

たしかに携帯メールは複雑で論理的な情報を送信するには不向きなツールである。
論理の流れは感情の流れより「速い」からである。
親指ぴこぴこではロジックの速度をカバーできない。
文房具の物理的限界が思考の自由を損なうということはありうる。
携帯メールの入力作業というのは、私には「書いてから1秒経たないと文字が見えてこない鉛筆」で文字を書いているようなもたつき感をもたらす。
私のようなイラチ男の場合、ときどき誤入力をして意味をなさない同音異義語が画面に出てくると、こめかみに「ぴちっ」と青筋が走り、そのまま「え~い」と携帯電話をゴミ箱に投げ捨てたい衝動を抑制するのに深呼吸をせねばならぬこともある。
このような「どんくさい」ツールは複文以上の論理階層をもつ文章を書くことには適さない。
ということは、携帯メールを主要なコミュニケーションツールとする人々はいずれ「複文以上の論理階層をもつ文章を書くことができない」人間になる可能性があるということである。
というか、実際にそうなりつつあるらしい。
次はそんな大学の話。

学生の日本語の間違いや語彙力低下に戸惑う大学関係者は少なくない。 関東地方のある私立大学では数年前から、日本語表現法の講義内容が様変わりした。毎回、学生に漢字テストを課すようになったのだ。中学・高校レベルの問題ばかりだが、空欄が目立つ答案が多いうえに、「診談」(診断)、「業会」(業界)といった誤字も目立つ。 「日本語表現法は、より良い表現を身につけるために『描写の際の視点の絞り方』などを教える講義。だが、最近は義務教育で身につけるべき表記や語彙、文法すら備わっていない学生が多いため、従来のやり方では授業が成り立たない」と、担当の准教授は話す。 影響は他科目にも及ぶ。「英和辞典の訳語を説明するだけで時間が取られてしまう」。この大学で英語学を担当する教授は嘆く。 英文解釈の講義で学生に「often」の意味を調べさせても、「しばしば」はもちろん、「頻繁に」といった訳語が理解できない。「『よく~する』ではどうか、と聞いても、『よく』は『good』の意味としてしか認識していない学生すらいる」(教授) 独立行政法人メディア教育開発センターの小野博教授(コミュニケーション科学)が平成16年、33大学・短大の学生約1万3000人の日本語基礎力を調べ たところ、国立大生の6%、私立大生の20%、短大生の35%が「中学生レベル」と判定された。昨年度の同様の調査では、中学生レベルの学生が60%を占める私立大学も現れた。 今年度、センターが開発した日本語基礎力を調べるプレースメントテストを利用する大学は57大学3万2000人(見込み)にのぼる。3年前の4倍を超す勢いだ。 小野教授は「『(大学)全入時代』が到来し、外国人留学生と同等か、それ以下の日本語力しかない学生が出てきた。言葉の意味を学生に確認しながらでないと講義が進められない大学も少なくない。テスト利用校の急増ぶりに、大学側の危機感が表れている」と語った。
その大学生たちが就職するとどうなるか。
こうした現象は大学生に限ったものではない。 6月に第1回日本語検定を開く東京書籍が昨年、約60の企業に日本語をめぐる問題についてヒアリングをしたところ、深刻な悩みが次々と寄せられた。 問題は「敬語が使えない」「違和感のある言葉遣い」といったレベルにとどまらない。 オペレーターが日本語で書かれた取り扱い説明を理解できず、機械を故障させた▽社員が送った言葉足らずの電子メールが取引先を立腹させ、受注ができなくなった…。日本語力不足が実害を生むケースもあった。

おお、テリブル。
英和辞典が引けない学生が増えているというのは実感としてよくわかる。
それに今の学生たちは電子辞書を使っているので、紙の辞書を使うと、目当ての単語にたどりつくまで異常に時間がかかる。
辞書を引き慣れていると、頭で考えなくても勝手に手がアルファベットの順番とおりに(タイプライターのブラインドタッチと同じく)動くのだが、それがもうできなくなっている。
あの「辞書をさくさく引く」という作業もけっこう重要な身体訓練であったような気もするのである。
だって、「ほとんど同じような文字構成の単語」が紙面一杯に拡がっている中から、場合によっては最後の一字だけで前後と差異化されている単語を瞬時に発見する能力を涵養していたわけである。
何の役に立つのか・・・と言われてもとっさには答えられないけれど、何かぜんぜん関係ないところで生きる上で役立っていた可能性はある(わかんないけど)。
ともかく、若い日本人の日本語運用能力は壊滅的な状態になりつつあると新聞は伝えている。
結果的に、これからどんどん日本人の知的活動が低下してゆくことになるわけだが、私はそれほど悲観的ではない。
携帯メールによる語彙の貧困化や母国語運用能力の低下は日本だけでなく、世界的な現象だからである。
「世界中みんなバカ」になるなら、日本人がバカになっても、それによって国益が大きく損なわれるということはないであろう。
それしか「頼みの綱」がない、という点が情ないが。

2007.05.12

今日もライティング・ハイ

『大航海』のための白川静論20枚をようやく脱稿。
白川先生の追悼特集号に寄稿を依頼されたのである。
名誉なことである。
しかし、GWの忙しい間だったので、集中的に執筆する時間がとれない。
1時間、2時間とぶつ切りで執筆時間を確保して、学校に行く前の時間や、昼休みにカップヌードルを啜りながら書いた。
そのせいで家の中はぐちゃぐちゃになってしまった(掃除もしないで、ずっと机に向かっていたからである)。
締め切りに二日遅れてようやく書き上げて、送稿。
ふう。
五月は締め切り原稿が9つある。だいたい3日に1本書いている勘定になる。
「エピス」と「水脈」と「大航海」が終わったので、残り6つ。「文藝春秋」と「子どもと体育」と「熱風」と「共同通信」と「日本経済新聞」と「月刊武道」。
月から金まで毎日フルに大学に出勤する合間に、京都に山菜を食べに行ったり、広島に多田先生の講習会に行ったり、東京で英文学と合気道全国大会と五月祭の演武会に出たり、県民体育大会の開会式で行進したり、次々と押し寄せるゲラをチェックしたり、麻雀をしたり、宴会をしたりする隙間にそれらの原稿を書いているのである。
原稿の依頼テーマも今回は白川先生追悼であるが、武道、憲法、銃規制と支離滅裂。
私はいったい何の専門家なのであろうか、とときどき考え込んでしまうが、もちろん考え込んでいる暇などないので、とりあえずキーボードに頼まれた字数分の原稿をばしばし叩き込む。
それにしても月間締め切り9本というのは、カタギの管理職サラリーマンにとっては常軌を逸した数である。
断ればいいじゃないか、とおっしゃるであろう。
たしかに。
でも、9本のうち3本は継続的な連載ものである。
残りは6本。
しかるに、白川静先生から受けた学恩を思えば、私に追悼文の寄稿を断る資格があろうか?改憲へ向けた政局を眺めて憲法九条の政治史的意味についての吟味を怠ることができるであろうか?宮崎駿のファンでありながら、ジブリからの原稿依頼を断れるものがいるであろうか?
いずれも断り切れぬ義理があることはご諒察いただけるであろう。
とはいえ、ほんとうは別の理由がある。
締め切りに追われて原稿を書き続けていると、ある種の「締め切りアディクト」状態になる。
これはなったことのない人にはわからないであろうが、けっこう「気分のいい」ものなのである。
締め切りが迫ってタイトな心身状態が継続すると、人間の脳は「とりあえず火事場の馬鹿力を出してここを乗り切れ」とばかりに脳内麻薬物質をどばっと放出する。
するとシャブを決めたジャンキーのように一時的な高揚感と多幸感が訪れて、「おお、いくらでも書ける」というライティング・ハイの状態になるのである。
これは一度味わうと病みつきになる。
ここまで切羽詰まると「手持ちの知識」や「予て用意の知見」などをいくら順列組み合わせしてももうネタ切れとなることはあきらかである。
で、ネタを「よそ」から取り込んでくることになる。
これはランナーズ・ハイにおいて、「セカンド・ウィンド」が吹くと、もう残っていなかったはずのエネルギーの備蓄がやけくそで放出されて、ある種の全能感が甦るのと似ている。
とにかくこうなったら「使えるものは全部使え」ということになる。
海賊船に追われた船が船足を稼ぐために、船室にあるものをばんばん海に放り込むように、これまでの56年の人生でためこんだあらゆるバカ情報ゴミ知識が甲板上に所狭しと並ぶ。
それらは「使い物にならない」というタグを貼られて船倉奥深くに死蔵されていたものである。
しかし、もうそれしか「使い物」がない。
要は「ゴミ」の再利用なのであるが、ゴミとはいえ、死蔵されるよりは再利用されるとなると「うれしい」。
「え、またお役に立てるんですか?」とゴミが喜ぶのである。
ゴミが「じゃあ、がんばります」と奮い立つのである。
ゴミのオーバーアチーブメントによって、ライティング・マシンが加速するのである(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でドクが発明した「ゴミで動くタイムマシン」を想像していただければよろしい)。
この脳内備蓄ゴミの完全燃焼が「ライティング・ハイ」を生み出すのである。
それは言い換えると、「ということは、私の人生には無駄なことは一瞬とてなかったのだ・・・」という予想外の副作用をもたらす。
どうやらこれが締め切りアディクションの主因のように思われる。
私たちはできるだけ効率的に無駄なく生きようとする。
けれども、その発想そのものを換えてはどうかと私は思う。
あらゆる無駄や愚行さえをも「燃料」として使用せねばならぬ状況に自分を追い込めば、理論的に人生に無駄な瞬間は存在しないからである。
でも、今回の白川静論は自分ながらよく書けたと思う。
『大航海』を立ち読みする機会があったら、読んで下さいね。

2007.05.16

韻文で、しゃべりだしたら、おしまいだ

「忙しい」と言う間もないほど、忙しい。
口調のよい言葉はだいたい五七五であることはご案内のとおりであるが、一昨日の朝、新聞を取りにエレベーターに乗ろうとしていたときに、ふと「全日本学生自治会総連合」という言葉が脳裏に浮かんだ。
どうして全学連運動が60年安保のときにあれほどの動員力を持ち得たのかについては政治史的には諸説があり、どれももっともなものであるが、まさか団体名が五七五であったことが与っていたとは気づかなかった。
間違いなく前衛俳句の世界では1950年代に「全日本学生自治会総連合」で投句したやつがいると思う。
絶対いる(落選したので、人口に膾炙する機会は逸したが)。
本学では久しく英文科が看板学科であるが、それは「神戸女学院大学英文科」が五七五であることが無関係であるとは思われない。
英文科の教員のうちにかつてこの事実に気づいた人はあったであろうか。
私も本のタイトルはできるだけ5モーラ、8モーラでゆきたいのであるが、なかなかむずかしいものである。
朝起きるとぴんぽーんとチャイムが鳴って、宅急便のお兄ちゃんが気の毒そうに「お荷物三つです」と届けてくれた。
同サイズの紙袋が三つ。
筑摩書房と角川書店と文藝春秋からである。
ご明察のとおり、ゲラである。
開封するときっと「○月○日までに初校ご返送ください」という手紙が入るに決まっているので、そっと視野の外に押し出す。
忘れよう。
忘れよう。昔のことは。思い出したくない。(@伊藤銀次)
とりあえず日曜までに締め切りが三つあり、そのうちの一番長い文藝春秋の原稿はまだ一行も書いていないのである。
そして日曜には日本英文学会で柴田元幸さんを相手に私はアメリカ文学の原風景についてなにごとかを語らねばならない(らしい)。
なにごとかを語るためには、いくら私でも「仕込み」というものが必要なのであるが、その日曜が文春の締め切り日なので、「仕込み」のために割くことのできる時間は限りなくゼロに近いのである。
日曜に慶應義塾大学のシンポジウム会場で、語るべきことを何一つ思いつかず、「・・・・」と青ざめて絶句している私を見て、大会役員控え室では「ウチダを呼ぼうといったのは、いったい誰なんだ!」と怒号が鳴り響いているであろうが、それはトコーくんたちです。
悪いのは彼らです。
ぼくぢゃないです。
死ぬほど忙しい中にも朗報があった。
レヴィナス老師の『困難な自由』の新訳が国文社から日の目を見ることになったのである。
喜んでくれ、諸君。
契約の関係があって、63年版の翻訳を出すほかないので、現在普及している版に収録されている論文のうちいくつかは削除しなければならない。
だが、すでに旧訳が絶版となり、翻訳権を取った新訳もなかなか出ない状況では、旧版を底本とするものであっても老師の訳書が読まれることは弟子としてうれしいことである。
いずれ新訳も出版されるであろうが、『困難な自由』のような名著の場合は複数の訳本が併存していることは決して悪いことではないと思う。新訳の出版社もそのように考えてくれるとありがたいのであるが。

2007.05.17

音楽との対話

締め切りが迫っているので、日記なんか書いている暇はないのであるが、昨日の「音楽との対話」で心温まる事件があったので、ひとことだけ。
「音楽との対話」というのは、音楽学部の先生と文学部、人間科学部の教師とが何組かペアになって一組が三週にわたり、異文化交流・異種格闘技をする様子を学生さんにご覧いただくという結構の授業である。
よいアイディアである。
私の相方は声楽の斉藤言子先生である。
斉藤先生とは「会議仲間」であって、この二年間たいへん長い時間を会議で共に過ごした。
「会議仲間」というのは「戦友」というか、「ともにまずいものを喰った仲間」というか、「思わず、とんとんと相手の肩を叩きたくなる」関係である。
というわけで、斉藤先生とは仲良しなのである(斉藤先生のご主人が日比谷高校で私のイッコ先輩という奇縁もある)。
私は音楽に限らず人間の発する音韻の選択に興味があり、声楽家の斉藤先生にじっくりとその辺のお話を訊こうと思って、この授業を楽しみにしていたのである。
先週が第一回で、イントロは大瀧詠一師匠の「恋するふたり」。
「幸せな結末」のCDが棚を探しても見あたらなかったので(だいたい授業の1時間前に準備を始めるという態度がいけない)、「カ行」「ガ行」の発音と鼻濁音というテーマであったので、師匠の近作の方を持っていった。
これが思いがけなく「当たり」で、師匠はこの曲を「カ行」音韻で決めまくっていたのである。
「つかみ」はこんな具合である。
春はいつでも トキメキの夜明け
奏でるメロディー 恋の予感響かせ
Boy meets girl Girl meets boy
青い空の下で 奇跡のように めぐり逢う
わずか4行のうちに、「キ」「キ」「け」「か」「こ」「か」「か」「き」と8音カ行音が畳み込まれている。
そして聴かせどころは真ん中のBoy meets girl Girl meets boy
なのであるが、ここでは師匠のもっとも得意とする鼻濁音「んが~」が朗々と二度にわたり響きわたる構成となっているのである。
私どもはポップスの歌詞を意味レベルで評価する傾向があるけれど、人間の声が「楽器」である以上、歌詞における音韻の選択には必ずや歌手ごとに「偏り」があってしかるべきなのである。
音韻選択の特殊性については以前このブログでも書いたけれど、小学校の学級内で「エ」音が耳につきだしたら危険信号だということを現場の先生が報告していたことがある。
「うるせえ」「しね」「だまれ」「だせえ」「うぜえ」・・・といった「エ」音で文末が終止する文は攻撃的なニュアンスをともなう。
「イ」音もまた、ある種の緊張感をもたらし、聴き手に「ペンディング」された感じ、宙づり感をもたらす。
日本語文法では「イ」音は連用形に用いられる。
お忘れのかたも多いであろうが、現代文法では「ます」を続けるかたちが連用形である。
下一段活用(聞こえる→聞こえ)を除く、五段活用(立つ→立ち)、上一段活用(用いる→用い)、カ行変格活用(来る→き)、サ行変格活用(する→し)の四つの活用形において連用形はご覧の通りいずれも「イ」音を取る。
つまり音韻としての「イ」には、「このあとまだ音が続きますよ」という非終止感と浮遊感をもたらす効果がある。
そして、おそらくこれは万国共通なのである。
だから「イ」音を響かせると、歌は「不安」や「とまどい」や「ためらい」といった情感を帯びることになる。
というところで、「イ」音をばりばりに利かせた名曲を一つお聴かせする。
キャロル・キングのWill you love me tomorrow である。
これは1971年のキャロル・キング最大のヒットアルバム(302週にわたって全米トップ100にトチャートインしたギネスブック的ヒット)「つづれ織り」(Tapestry)に収録された名曲中の名曲であるが、作詞はキャロル・キングの夫のジェリー・ゴフィン。
Will you love me tomorrow の歌詞は「i」音の乱れ打ちという特殊なものとなっている。
「つかみ」はこんな感じ
Tonight you’re mine completely
you give your love so sweetly
Tonight the light of love is in your eyes
But will you love me tomorrow
聴けばわかるけれど、最大のきかせどころは「コンプリ~トゥリ~」と「ソ~スウィートゥリ~」の「リ」責めである。その他にtonight, mine, give, light, is, in, eyes, will, meと随所に[i]音が響きわたる。
そしてこの歌は「一夜をともにすごして、夜明け前のベッドで男の寝姿をみつめている女の不安」を歌ったものであるから、[i]音の選択はたいへんに正しかったのである。
それと同時に、作詞のジェリー・ゴフィン自身が妻キャロルの発する音の中で、とりわけ[i]音を好んだという可能性も棄てきれない。
作詞作曲を夫婦で行うペアは多いが、これはヴォーカリストが自分で作詞するより、「ヴォーカリストを愛する人」が作詞した方が「エロティックな音韻」についての選択が適切であることが経験的に知られているからである。
私はジェリー・ゴフィンが妻が彼に語りかけた言葉のうちで、[i]の音韻をもっとも愛したという解釈を好むのである。
斉藤先生はこれを聴いて、さっそくイタリアのオペラのアリアでも[i]音の乱れ打ちというのがあります・・・とすっくと立ち上がって歌い始めた(声楽家はこれができるのが強みである)。
このアリアはやはりある種の「不安」や「緊張」を意味する内容であった。
そんな感じで、次々とCDをかけながら、人間の出す声とはどのようなものかを3時間にわたって論じたのである。
聴かせたのは師匠とキャロル・キングの他にジェームス・テイラー、ビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルド、カレン・カーペンター。
いずれも発声法に独特の工夫のあるシンガーたちである。
次回は倍音について論じ、声明とホーミーの音源を聴かせたあとに、学生たちに倍音声明を実験してもらう予定である。
一回目の授業が終わったあとに、学生がやってきて、「先生、今日の授業、ツボにはまりました」と紅潮した顔で告げてくれた。
うれしいことである。
二回目の授業のあとには、別の学生が「さきほど聴かせてくれたジェームス・テイラーの曲名をもう一度教えてください」と言ってきたので「Handy man」というタイトルをご教示する。
JT のHandy man はJ・D・Souther のSimple man simple dream 、Neil Young の Only love can break your heart とともに私のオールタイム「鼻声男性シンガー」ベスト3の一曲なので、「いい曲ですね」と言われてちょっと感動してしまったのである。

2007.05.19

私的昭和人論

授業と会議のあいまに、ジブリに「貧乏で何か問題でも?」を書き、共同通信に「ネットカフェ難民」を書き、文藝春秋の「私的昭和人論」を書く。
ほとんど「ライティング・マシン」である。
「私的昭和人論」は字数がたっぷりいただけたので、「昭和人のエートス」について書く。
よい機会だったので、「昭和人」とはどういう人のことか、考えてみた。
「明治人」という人物類型がある。
でも、「大正人」という言い方はなされない。私は聞いたことがない。
「昭和人」という言い方はどうであろう。
たぶん成立するであろう。成立しなければ、「昭和人のエートス」というタイトルで原稿依頼があるはずがない。
どうして、明治と昭和だけに特殊な人物類型が出現したのか。
おそらくこの二つの時代が「断絶」を含んでいるからである。
私はそう思う。
「明治人」「明治生まれの人間」を意味しない。そうではなくて、「明治的」な人間のことである。
「明治的」というのはどういうことかというと、「明治維新」というトラウマ的経験に苦しんだという原事実がある、ということである。
西郷隆盛の生年は文政10年(1827)、大久保利通は天保元年(1830)、坂本竜馬は天保6年(1835)、高杉晋作は天保10年(1839)。
彼らは明治の日本の基礎を築いたが、「明治人」ではない(坂本と高杉は維新前に死んでいるし)。
夏目漱石や森鴎外が代表的明治人である。
ただし、漱石は慶應三年(1867)生まれ、森鴎外は文久二年(1862)生まれである。
「明治人」のエートスをかたちづくったのは間違いなく明治維新である。旧時代の制度文物を棄て、西欧をモデルとした近代国家を立ち上げるという事業は、その時代の人々にとって、ほとんど自分の半身を切り裂くような痛みを伴ったはずである。
日本人である自己の半身を否定するような「近代化」の痛みを受け止め、半身から血を滴らせながらも生き延びた、その葛藤のうちに明治人の深みと奥行きは存する。
私はそう思う。
同じことが「昭和人」についても起きている。
1945年8月15日の敗戦はひとつの「断絶」である。
けれども、これを「断絶」と感じない人もいる。
翼賛政治家であり、戦後も政治家であったような人々には何の「断絶」もない。
あるのは「変節」と「転向」だけであり、人間の本性はすこしも変わっていない。
あるいは丸山真男のように、戦前戦中において、日本社会の退嬰性と後進性を見抜いていた人間にとって、敗戦はことほぐべき「陋習からの解放」ではあっても、それを苦しむような「断絶」ではない。
敗戦を「断絶」と感じる人は実は意外に少ない。
それは私の見るところ、およそ1910年から35年にかけて生まれた人々である。
つまり、敗戦のときに10歳から35歳の間であった人々である。
彼らは「断絶前」に自分の半身を取り残している。
兵士であった半身、軍国少年であった半身、「八紘一宇」を無垢に信じた半身を残している。
これを切り捨てては、人間として立ちゆかない。
けれども、この半身を受け容れる「受け皿」が戦後社会にはない。
どうしましょう・・・
と途方に暮れた人々のことを私は「昭和人」と呼ぶことにした。
そのような人々への私からのささやかなオマージュの文章である。
この文を草するために、ひさしぶりに(おい、35年ぶりだぜ)丸山真男と吉本隆明を読み返した。
「超国家主義の論理と心理」と「転向論」である。
私の定義では丸山真男は「非昭和人」であり、吉本隆明は「昭和人」になるはずである。
その傍証のために、引用をしようと思って取り出したのである。
一読して、「じ~ん」としてしまった。
「転向論」にはほとんど涙が出そうになった。
ああ、そうだった。高校二年のときにオレはこれを読んで、ものの考え方の基本を学んだのだった。
吉本は戦前の共産党指導者で獄中転向した佐野学と鍋山貞親について、こう書いている。
佐野たちは「わが後進インテリゲンチャ(例えば外国文学者)とおなじ水準で、西欧の政治思想や知識にとびつくにつれて、日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリにすぎなかった」。
転向とは「この田舎インテリが、ギリギリのところまで封建制から追いつめられ、孤立したとき、侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれたということに外ならなかったのではないか。」
この時期の転向者たちは、獄中で仏教書や日本の国体思想についての書物を読んで、その深遠さに一驚して、一夜にして天皇主義者になるという定型を歩んだ。
「この種の上昇型のインテリゲンチャが、見くびった日本的情況を(例えば天皇制を、家族制度を)、絶対に回避できない形で眼のまえにつきつけられたとき、何がおこるか。かつて離脱したと信じたその理に合わぬ現実が、いわば、本格的な思考の対象として一度も対決されなかったことに気付くのである。」
そう、思い出したよ。
私はこれを読んで、以後絶対に「日本的小情況」を見くびらないことを自戒のことばとしたのである。
そうして、私はまず武道の稽古を始めたのである。
「日本の封建性の優性遺伝的な因子」と吉本が呼んだものが、多田先生のいわれる「心法の道」と同じものを意味するということがわかるまで、それからさらに30年ほどかかったが。
「新昭和人論」は「白川静論」とともになかなかよい文章である。
それにしても、この致死的スケジュールの中で、よくこれだけの量を書くよな。
これから東京である。
明日は慶應で日本英文学会。
私はシンポジウムで柴田元幸さんたちと「アメリカ文学の(原)風景」について、3時間ほどおしゃべりをせねばないのだが、そんなに話すネタが私にはない。
ああ、どうしよう。

2007.05.20

日本英文学会で柴田元幸さんたちとおしゃべりする

日本英文学会のシンポジウムのために東京まででかける。 お題は「アメリカ文化と反復強迫-アメリカ文学の中に書き込まれた(原)風景」。
相方は都甲幸治早稲田大学准教授、大和田俊之慶応義塾大学専任講師という若手お二人と、柴田元幸さん。
以前、DHCのイベントで柴田さんと対談したあとの打ち上げの席で、都甲くんと大和田くんに、「こんどは英文学会に来て下さいよ」言われて、一杯機嫌で「いいよん」と気楽に返事をしたせいで、このようなことになったのである。
大会前に送られてきたレジュメを読むと、どうもみなさんいろいろとむずかしい文学の話をされるようである。
困ったことに、私はアメリカ文学のことなんかろくに知らないし、アメリカ文学の中に分析的な意味でどのような原光景が書き込まれているのか、まるで想像がつかない。
でも、アメリカという国がそのユニークな起源とユニークな歴史の中でどのようなユニークな文化的病像を呈するに至ったかについては、つねに変わらぬ興味を抱いている。
断片的な考察は『街場のアメリカ論』や『映画の構造分析』や『女は何を欲望するか』にこれまでぱらぱらと書いてきた。 私の奇天烈なアメリカ論とアカデミックなアメリカ研究の接近遭遇でどのような話が転がり出るか、それが楽しみでやってきたのである。
新幹線の中で「予習」として柴田さんの『アメリカン・ナルシス』を読む。
その「あとがき」に柴田さんはこう書いていた。
「極端に言うなら、アメリカにおいて、現実とはアメリカの半分でしかない。あとの半分は、いまだ達成されていない理想である。半分は夢でできた国なのだ。『ここは自由の国なのだ』とアメリカの人々が言うとき、僕にはそれは事実の表明には聞こえない。むしろ、『自由の国であるはずだ』という理想の表明に聞こえる。むろん、この言葉の理念が歪められ、独善的に使われたりすることもある。だがその本来の理念が、アメリカという国を作り、変えていく上で大きな力になってきたことは確かだ。そこが他国とは違う。日本について人が『ここは・・・の国だ』と言うとき、その『・・・』はあくまで慣習や前例のことである。いまだ実現されざる理念のことではない。  
問題は、そのような理想へ向かっての永久運動のなかに身を置くのではなく、アメリカが自分たちをすでに達成された理想もしくは『正義』として固定し、他国をその正義への向かわせようとするときである。立ち止まると、この国は駄目なのだ。」(『アメリカン・ナルシス メルヴィルからミルハウザーまで』、東京大学出版会、2005年、233頁)
私はこれを読んでびっくりしてしまった。
というのは、大会のレジュメに私はこれとほとんど同じ言葉づかいでアメリカについて書いていたからである。 こんな文章である。
「移民たちが作ったこの『理想国家』はもとがヴァーチャルであるゆえの、底知れない可塑性を持っている。アメリカ人が『アメリカは・・・である』という事実認知的言明を発するとき、彼らは実は『アメリカは・・・になれる(なれるはずだ)』という遂行的言明を語っているのである。アメリカの底力はたぶんこの『前倒し』体質のうちに存する」(第79回大会資料、40頁)
誰が読んでも、「あ、柴田さんをパクったな」と思ったであろうが、そうではないのである。
私たちは期せずして、ほとんど同じことを、つまりアメリカにおける理想と現実の二重性について、それがアメリカの力の源泉であり、同時にアキレスの踵でもあることを指摘したのである。
ほんとよ。
シンポジウムではまず都甲くんがDon DeLillo という作家の話をする。
「ケネディ暗殺」がある断絶を呼び込み、それによって「ケネディ暗殺以前/以後」という時代区分が生成した・・・という話がある。
「暗殺の結果として、アメリカ人は筋の通った現実を生きているという感覚を失ったとぼくは考えている。ぼくたちは無原則とあいまいさの時代に突然足を踏み入れたような気がする。」(DeLillo, Sunday Times Magazine)
この「断絶」の仕掛け人はリー・ハーベイ・オズワルド。
彼は元海兵隊員で、ソ連のスパイかCIAのダブルエージェントかどちらかかあるいはどちらでもなく、自称マルクス主義者で、右翼ともマフィアともつながりのあったらしいわけのわからない人物である。「自己矛盾」がこの人物の首尾一貫した性格である。
DeLilloはオズワルドのうちにアメリカの「断絶」を読み解く手がかりを求めた作家のようである。
都甲くんのプレゼンがたいへん面白かったので、さっそく読んでみることにする。
大和田くんは「Melville と反復」という話。
Moby Dick は復讐劇であるから、Ahab 船長と白鯨は二度出会っているはずであるが、一度目の出会いについては、ほとんど言及がない。
そういえばそうだね。
イシュメールという語り手も、ほんとうにそういう名前の人物かどうかわからない。
イシュマエルは『創世記』に出てくるアブラハムの女奴隷ハガル息子の名である。
エイハブも聖書に出てくる偶像崇拝者アハブ王の名を名乗っている。
物語は「再演」されることで、そのつど「起源」が存在することのたしかさを遡及的に構築するように構造化されている。
なるほど。
これもまたある種の「述而不作」戦略といえるのかも知れない。
違うのかも知れない。
メルヴィルは9/11以降にアメリカで繰り返し言及されるようになったそうである。
メルヴィルがアメリカ人がおのれの存在の根拠について、その正統性について疑念を抱くときに呼び出される作家であるとしたら、たしかに「国民的作家」と呼ぶべきであろう。
メルヴィル死後のメルヴィル再評価運動そのものがメルヴィルを「文豪」に列した。
つまりメルヴィル自身が「再演」されることで「起源」の地位を獲得したのである。
なるほど、そうであったか。
若い人たちの話はスリリングである。
次に柴田さんのお話。
これもたいへんインパクトのある大ネタだったので、持ち時間10分の途中で切り上げてしまわれては私の力量ではまとめきれない。いずれ柴田さんの論文のかたちでみなさんもお読みになる機会があるだろう。
「アメリカ」には矛盾する語義が含まれているという柴田さんの発題の一部を引き継ぐかたちで次のようなことをしゃべる。
アメリカは「葛藤」しているときにパフォーマンスが上がる。
だから、絶えず「葛藤」が生成するように制度化されている。
「理想」と「現実」の葛藤はもっとも多産的な葛藤の一つである。
『街場のアメリカ論』に書いたように、アメリカは建国の段階ですでに「理想国家」として完成していた。 だからアメリカ的システムには改善の余地がない。 アメリカ的システムが不調になるのは(マッカーシズムがみごとに言語化したように)「非米的」な要素が侵入した場合だけである。
「非米的要素」の排除は「内戦」のメタファーで語られるが、それは「改善」とは違う。 非米的要素がアメリカ的システムに侵入してくるのは、アメリカ的システムの本態的な不調ではない。
だから、システムそのものにはすこしも改善の余地はなく、ただ、偶然的にアメリカに入り込んできた「異物」を除去すれば万事オッケーなのである。
システムの本態的不調ということを認めない代わりにアメリカ人は「異物」の感知についてはすぐれた能力を発揮する。
例えば、アメリカでは統治者が「邪悪で愚鈍」であるという可能性を勘定に入れて統治システムが構築されている。
政治家が有徳であるようにしむける教化システムは存在しないが、不徳で愚鈍な政治家がもたらす災厄を最小限にとどめる安全装置は整備されている。
建国の父たちは、自分たちが「理想国家」を作ったという自負と、自分たちの跡を継ぐものたち(の相当部分)が「邪悪で愚鈍な統治者」であるという見通しを平気で両立させたのである。
理想はすでに完成された。あとは堕落と逸脱だけしかない。
だから、堕落と逸脱をできるだけすみやかに感知し、すぐに補正するシステムをアメリカ人は作ったのである。
建国時における「理想国家がここにある」という事実認知と「この理想国家は愚鈍な統治者によって必ず損なわれるだろう」という予言のあいだの「葛藤」が以後のアメリカの驚異的な成長を促した。
現代アメリカでは話の順番が逆になって「愚鈍な統治者によってアメリカは損なわれている」という事実認知と、「しかし、アメリカは理想国家に必ず回帰するであろう」という予言のあいだの葛藤を推力にアメリカはとりあえず繁栄を続けている。 言明の順番は変わったが、言明間に矛盾が保持されていることは230年前から変わらない。
葛藤を拡大再生産するメカニズムをもつことでアメリカは歴史上まれな成功を収めることができた。
だから、アメリカを呼称するときはAmerica! America! と語義を変えて二回呼ばなければならないのである。
というようなことを話せばよかったのであるが、実際にはついつい持ちネタのユダヤ系アメリカ人の話ばかりしてしまった。
3時間にわたる長丁場のシンポジウムが終わり、よれよれとなってコーディネイターの成蹊大学の下河辺美知子先生(シンポジウムのタイトルを考えたのは下河辺先生である)といっしょに打ち上げビール。
昼酒ですっかりいい気分になって新幹線で芦屋に戻る。
柴田先生はじめ、シンポジウムにお招きくださった英文学会のみなさんに感謝いたします。
とっても面白かったです。
今日仕込んだネタでまたあれこれと書かせていただきます。
都甲くん、大和田くん、また老生と遊んでくださいね。

2007.05.22

ユニバーシティ・コン

私立大学が競って薬学部を新設したのは数年前の話である。
女子の「実学志向」に照準した戦略である。
初期投資が巨額であるので、財政に余裕のある大きな学校法人しか参入できない。
このスケールメリットで小規模校(うちみたいな)をマーケットから駆逐する・・・という、身も蓋もない言い方をすれば「これからは大学も『金持ちが勝ち続けるゲーム』にさせていただきます」という宣言と私は受けとった(ちょっとひがみっぽいけど)。
でも、おおすじではそういうことである。
しかし、常々申し上げていることであるが、「集団の一定数だけがそれを行う場合には利益が多いが、閾値を超えると不利益の方が多い行動」というものが存在する。
たとえば、「放置してある物品はすぐに私物化する」という行動は、そういうことを行う人が一人だけで、ほかの人はそうしないという場合にはその一人にとってたいへん有利な戦略である。
しかし、みんながそういう行動を採用した場合には、私物を安定的な仕方で維持するためだけに膨大なコストがかかるので、そのような社会集団は生産に振り向けるリソースを削られて痩せ細ってゆく。
メディアが一時期煽ったDINKS(これももう死語だな)というのは夫婦が彼らの経済活動と快楽追求の障害となるはずの子どもを作らずに、「自己実現」に集中するライフスタイルのことである。
これも大半の人が子どもによって「自己実現」を妨害されている社会では相対的に有利な生き方であるが、みんながDINKSになった場合には遠からず生産者も消費者もあらかたいなくなってしまうので、経済活動も快楽追求も不可能になる。
「小利口」という種族がこの世には存在する。
自分のことを「みんながまた気づいてない『もうけ話』にいちはやくアクセスした人間」とみなしている人間のことである。
詐欺にかかるのはこのタイプである。
そして「小利口」な人々は世の中の構成員の過半が自分と同類の「小利口」であることを組織的に見落とす傾向がある。
何の話かというと薬学部の話である。
薬学部新設は大学にとっての「もうけ話」である。
それを行う大学がごく少数にとどまる限り、それは巨大なメリットをもたらす可能性がある。
「おお、それはうまい話だ。ではさっそく」
と腕まくりした大学経営者は「自分と同じように推論する大学経営者」が日本中にあまた存在するであろうという自明の事実を勘定に入れ忘れた。
薬学部を作れと大学経営者を煽ったのは外資系のコンサルである。
「これからは薬学部の時代。6年制なので、授業料も5割り増しでゲットできる」とあちこちの大学に「貴学のためだけのもうけ話」を売り込んで歩いた。
そして、実に多くの大学がそれにひっかかった。
だからこうなることは目に見えていたのである。
「こうなる」というのは薬学部の定員割れである。
そりゃ、そうでしょう。
10年前に比べて薬学部薬学科の入学定員が実質2倍になったのである。
2006年度の入試で、11大学の薬学部で定員割れ。
今年度は未集計だが、この数字はもっと増えるであろう。
定員割れは歩留まり率の読み誤りという可能性もあるが、それも志願者急減の結果であることに違いはない。
すでに薬学部の存在が財政負担となって、よその大学に「お買い上げ」をお願いしている私学も出ている。
「もうけ話」を勧めて歩いたコンサルのみなさんはとっくに頬被りを決め込んで、また別の「もうけ話」を売り歩いている。
次は「芸術実技系」とか「スポーツ系」とか。場合によったら「伝統芸能系」とか「創作学科」とか「武道系」とか、そういうわりとコアな線を狙った新学部構想を持ち込んでくるかもしれない。
それに「乗る」大学もきっとわらわらと出てくるのであろう。
まあ、ビジネスの失敗は大学の自己責任であり、コンサルにいまさら愚痴を言っても始まらない。
というわけでこの事例を教訓に全国の大学人に申し上げたいことがある。
大学人は大学経営についてはシロートである。
シロートというのは「経営の専門家」であると自称する人間が「ほんもの」か「詐欺師」かを見分ける能力がない人である。
そして、「ほんものか詐欺師か見分ける能力のない人間」の前に「私はほんものです」と名乗って現れる人間は10中8,9詐欺師なのである。


2007.05.23

また風邪をひいた

風邪をひいた。
夜中に目が醒めたら喉が痛い。
げ。
起き出して「ルル顆粒」を飲む。
朝起きても、痛みが引かない。
困った。
このあと6月3日まで一日も休日のない「レストレス」な日々が続く。
こんなところで風邪をひいたのでは世間さまに顔向けができない。
神様、風邪治して、と念じつつ二度寝。
10時に三菱銀行の方々がお見えになる。
資産運用(私もついに「運用すべき資産」というものを蔵する身となったらしい)についていろいろと御指南を受ける。
私は「自分のよく知らないことについては、専門家に丸投げ」することにしている。
IT環境整備はIT秘書室に丸投げ、税金はマイ税理士に丸投げ、当然資産運用は三菱東京UFJ銀行芦屋北支店に丸投げである。
あなたはつい昨日「シロートの前に『私は専門家です』といって登場する人間は10中8,9詐欺師である」と書いていたではないか、前後矛盾しないのかというお怒りはあるだろう。
よく見て欲しい。
私は「10中8,9」と書いたのである。
「10中1,2」は「ほんもの」なのである。
そして、私は「自分に利益をもたらす人間」とそうでない人間を識別するときに限って、超人的な判断力を発揮する人間なのである。
喉の痛みをこらえつつ大学へ。
午後2時から『プレイボーイ』のインタビュー。
「プレイボーイ・インタビュー」というのは、この雑誌の二つの名物のうちの一つ(もう一つはプレイメイトのヌードグラビア)である。
プロのインタビュアーが徹底的な事前調査をした上で、「これまでどんなインタビューでも訊かれたことのない質問」を絨毯爆撃的にしかけてくるという結構のものである。
インタビュアーはノンフィクション・ライターの足立倫行さん。
私よりはるかにキャリアの長い炯眼の物書きに「ぐいぐい」と質問されるのである。
「え~、そんなことまで訊くんですか」というような質問をばんばん浴びせられる。
面白かったのは、私の書き物の中に「性愛」についての一般論はあるが、個別的な事例についてはほとんど言及されていないのはどういう訳であるかというご質問。
これは前も書いたとおり、エロス的関係というのは「相手のある話」であって、私の専管事項ではないからである。
私のプライバシーなんか二束三文で公開してもよいが、他人のプライバシーは公開できない。
だいたい、私のこのブログ日記にしても、私の書き物にしても、私のかつてのガールフレンドたちはみなさんきっちりチェックされているのである。
今ではそれぞれにご夫君なりお子様なり堂々たる社会的お立場なりというものがある。
うかつなことを書いて、その平穏な生活に波風が立っては申し訳が立たない。
たまに電話とかメールとか来て、「ウチダくん、読んでるわよ。ご活躍みたいね」というようなことを言われると、「はい、すみません(なんでまず謝るんだろう)。非力ながらがんばっております」と電話口で直立不動になってお答えするのである。
2時間にわたる濃いインタビューでへろへろになって、「音楽との対話」三回目の授業。
斉藤言子先生の『天守物語』と『ノルマ』のビデオを拝見してから、オペラと国語の関係についての話から始まる。
オペラの歌唱法に日本語を載せるのはむずかしい。
でも、藤原義江や榎本健一や川田義雄はオペラに日本語をそれなりに苦心して載せていた。
近年でも、山下達郎くんの歌唱法にはベルカントの部分ある。
大瀧師匠のご指摘によれば、桑田佳祐の歌唱法にいちばん影響を与えたのは(エリック・クラプトンではなく)カテリーナ・バレンテだそうであるし。
藤原義江といっても学生は誰も知らないので(川田義雄とあきれたぼういずはもっと知らぬであろう)、この話は早々に切り上げる。
本日のメインネタは「倍音」である。
まずホーミーのCDをお聴きいただき、次に声明のCDを聴く。
CDなので、高次倍音はカットされているが、実際にライブで聴いた場合には、無数の「音の虹」(@石黒晶)が耳に届くはずである。
倍音とはどういうものかを経験していただくために、150人ほどの学生さんに最後に「倍音声明」をしてもらう。
音楽学部の声楽の学生さんたちも含まれていたので、最初にしてはたいへん多彩な倍音が出る。
15分ほどであったが、学生たちはけっこう汗をかいているものが多かった。
身体が震動すると体温が上がるのである。
帰り道にまだ「う~お~」とうなっている学生がいた。
学生たちに「未知のもの」を経験させることが教師の仕事である。
その意味では、まことに達成感のある授業であった。
斉藤先生、石黒先生、どうもありがとうございました。
またこのメンバーでDJをやりましょうね。

2007.05.24

風邪を引いたのでミステリーでも読もう

げほげほ。
風邪が治らないので、今日はお休み。
教務課に電話して、「休講にしてください」とお願いする。
今学期はじめての休講である。
しかし、「病気でお休み」というのは精神的にはたいへん楽なものである。
なにしろ病気なのであるからして、建設的なことはできない。
仕事なんかしない。
今日締め切りの原稿があるが、そのようなものは書けるのに、大学での授業はできないというのでは話の筋目が通らないから、締め切りは心を鬼にしても無視せねばならない。
これが薬を飲んで身体に鞭打って大学に出講した場合、当然締め切りの原稿も「勢い」で書いてしまうことになる。
「どうせ具合が悪いんだ、悪いついでにやってしまえ」
というふうに判断力が麻痺したせいで、ますます病状が悪化したことがこれまで何度あったことか。
もうその轍は踏むまい。
私は蒲柳の質なのである。
虚弱な人なのである。
げほげほ。
昼からおふとんにはいって、寝汗をかきながらマンガを読むのである。
昼過ぎにぼおっと起き出して、ラーメンを啜りながらワイドショーを見るのである。
また昼寝して、夕方ぼおっと起き出して、「風邪ひいてると酒がまずいなあ」と言いながらワインなんか飲んじゃうのである。
パジャマのままずるずるとテレビの前に移動して、『ホテリアー』(ペ・ヨンジュン版の方をいまごろ見ている)の続きを見るのである。
ああ、無為な一日だった・・・とためいきをつきながら、10時頃には寝てしまうのである。
そして、明日も朝起きるとやっぱり喉が痛いので、また教務課に電話をして「今日も休講です。会議ぶっちです~」と告げるのである。
おお、レストフル・デイズ。


2007.05.25

明日は明日の風邪をひく

げほげほ。
風邪がまだ治らない。
ごろ寝をしながら、『映画秘宝』と『文藝春秋』を読み、そのままいぎたなく昼寝。
気分は悪いが、よい気分である。
矛盾しているようだが、そういうものなのである。
昼寝から起き出して、寝汗を拭う。
『子どもと体育』という雑誌から頼まれた「身体の感受性を育む体育」という原稿の締め切りがあったので、咳き込みながら書く。
律儀な男である。
『文藝春秋』に送った「昭和人論」は、「論旨がよくわからない」と戻されて来た。
書き直しである。
締め切り間際に書き飛ばしたせいで論旨不明瞭になったわけであるが、あと1週間延ばしてもらえるなら、最初からそう言ってくれればよいのに。
私のように決して(ほとんど、たいてい、しばしば)締め切りを破らない人間に対しては、「ほんとのデッドライン」を示して欲しいものである。
dead line というのは「死線」である。「それを越えると射殺される線」である。
現行の「締め切り」というのは、はるかに微温的な、いわば「予鈴」のようなものである。
私は「予鈴で着席する」学級委員みたいな子なのである(そんなものは当今の学校には存在しないであろうが)。
しかたなく、この原稿も直す。
吉本隆明のことを書くなら、江藤淳のことも書いてくれという編集者からのメモがついていた。
よい着眼点である。
だが、江藤淳の本がどこにあったか。あちこち探すのは面倒である。
書棚を一瞥すると、『成熟と喪失』が目に入った。
おお、これはジャストフィット。
ぱらりとめくるとちゃんとキモのところに赤線が引いてある。
「このフレーズをいずれ私は引用することになるだろう」と思って引いたのである。
「ありがとう」と過去の私に片手拝みをして、そのまま引用。
夕方になると少し気分がよくなる。
風邪というのはそういうものである。
夕方になると気分がよくなり、朝方に最低の気分になるのである。
この日変化は鬱病と同じリズムである。
『ホテリアー』の4巻を借りにゆく。誰かが借り出している。
何も私と同時期に『ホテリアー』のような古ネタを見始めることはないだろうに。
しかたがないので町山さんご推奨の『ジャッカス ナンバー2』を借りる。
雲古と叱呼とお尻とザーメンとオナラとゲロを見て、大の男たちがげらげら笑い続けるという究極のバカ映画である。
それにしてもこの男たちの命知らずぶりには驚愕する。
口に釣り針を通して(「イテテ」と言いながら、ほんとにズブリと頬に巨大釣り針を通しちゃうのである)、「人間餌」となってメキシコ湾に放り込まれた男を鮫の群れが追ってくる。
がぶがぶと噛みついてくる鮫を「ひぇ~」と足を縮めてよけたり、踵でキックしたりして、遊んでいる。
正気とは思えない。
リーダーのジョニー・ノックスヴィルの「命知らず」ぶりはその中でも際だっている。
牛の群れに追いかけられながらMCをし、牛の角で空中に放り上げられながら、アナコンダに腕をがぶがぶ囓られながら、げらげら笑っている。
しかし、この人の「牛の角」をよけるときやアナコンダの頭をつかまえるときの身体のさばきのしなやかさは武術的に見ても常人のものとは思われない。
絶対に「避けない」のである。
まっすぐ正対して、目標を正中線上に保持して、微妙なボディ・コントロールで急所をかわすのである。
動きそのものは「ゆっくり」に見える。
でも牛の角はノックスヴィルには刺さらない。
武道的に言うと「起こりのない」動きである。
感心したのはデモ隊撃退用の4000個のゴム弾を生身で受け止めるやつ。
三人並んで被弾するのであるが、あとの二人は激痛で転げ回っているのに、Tシャツにサングラスで素手のノックスヴィルは平気な顔をしている。
どうも秒速何十メートルという速度で飛んでくる無数のゴム弾を、身体を微妙にくねらせてよけたらしい。
こういうことは意識的な身体操作ではできない。
潜在意識が行うのである。
植芝盛平先生は飛んでくる銃弾をよけられたそうである。
ジョニー・ノックスヴィル恐るべし。

2007.05.28

ウチダさんの休息と遍歴

風邪がようやく治り、週末は東京合気道&パブリシティツァー。
土曜日は例年のように全日本合気道演武大会へ。
第45回であるが、私はたしか連続31回目の参加である。
1977年から休みなく出ている。
一度始めたことはやめられないとまらない「エビセン体質」なのでこういうことになるのである。
参加者の大半が生まれる前から武道館に出ているのである。
なかなかできぬことである。
今回は前日まで風邪であったけれど、土曜の朝起きたらほぼ治っていた(まだ多少鼻づまりがしたけれど)。
ドクター、飯田先生、ウッキー、タニオさん、健作さん、キヨエさん、社長と新大阪集合組は新幹線で遠足気分で東京へ。
うちのイベントはすべて「現地集合・現地解散・自己決定・自己責任」である。
自己決定・自己責任論について著作ではきびしい批判をしているウチダであるが、自分が主宰する団体では遅刻してくる人間を待つのがイヤなので(私が「日本一のイラチ男」だからである)、集合時刻のみ決めて、「誰が」そこに来るのかについては事前のリサーチをしないのである。
だから、時間になって「さあ、出発だ」と私が宣言したときに、「センセイ、ヤマダくんがまだですけど」というようなことは起こらない。
その場にいないヤマダくんは「いるはずなのにいない」のではなく、端的に「いない」からである。
その私の非情なプリンシプルが徹底しているせいで、門人たちには「センセイは私たちをすぐに見捨てる」ということが周知されており、「ならば私たちだけで助け合って生きてゆきましょうね」という美しい相互扶助の精神が涵養されているのである。
それでよろしい。
武道館にゆくと続々とメンバーが集結。あるものはヒコーキで、あるものは深夜バスで、宿もそれぞれの趣味と経済状態に合わせてばらばらであるが、とにかく集合時刻に武道館の演武者控えにいればよいのである。
今回の演武者は29名。過去最高である。
60畳が狭く感じるほどである。
みなさんお疲れさまでした。
1分半の演武が終わって、あとはのんびり演武を拝見するだけ。
シンクロナイズド合気道の極致、広島のS農業高校の演武に全員のけぞる。
ここはなんと前受け身をしながらパートナーチェンジをするという誰も思いつかなかった新機軸を発見したのである。
今年度の幹部にコレグラフの才能豊かな人がいたのであろう。
なんとなく合気道の本筋とは違うような気がしないでもないけれど、稽古の方便として、精度の高い動きを工夫するのは悪いことではない。
高校生がシンクロナイズド合気道だけになっては困るけれど。
演武会終了後、恒例の九段会館屋上ビアガーデンにおける多田塾懇親会。
早稲田大学合気道会の諸君は「はしか」で休校中なので、隔離テーブルでビールを飲んでいる。
はしかは空気感染なので、1メートル離れたところでビールを飲んでいるくらいのことでは意味がないのであるが、ネタであるから、みんなで早稲田の子たちに遠くからエールを送る。
多田先生をお見送りしてから、例年のごとく、気錬会の諸君とつれだって二次会に神田すずらん通りへ。
例年のごとく、工藤くんとディープな合気道談義に耽りつつ、気錬会の今年度幹部の箕浦くん、小出さんと親睦を深める。
副将の小出さんはユーミンが「天気雨」に歌ったあの相模線沿線住人である。
茅ヶ崎市歌としてひろく市民に愛唱されているのかしらと思ってお訊ねしたが、小出さんはその歌をご存じなかった。
八王子から湘南のサーフショップまでユーミンが男を追ってゆく歌なのだと説明をするが、それがどうして茅ヶ崎市歌にならねばならないのか、その理路は私にもよくわからぬ。
翌日快晴の東大五月祭へ。
私は在学中は五月祭には一度しか行ったことがない。
大学一年生のとき空手部員はダンパの警備に動員されたのである。
「警備」という腕章を巻いただけで、仕事もせずにダンパの会場で女子大生をナンパしていたのであるのが、そのときに私にナンパされたという元女子学生から近年メールをいただいた。
「もしかして、ウチダさんは1970年の五月祭のダンパのときにナンパしてませんでしたか?」というお訊ねである。
「私はそのときにナンパされかけた女子学生ですが、友だちから『あれはウチダタツルというワルモノだから、気をつけなくちゃダメよ』と言われ、『タツルって珍しい名前だな~』と思ってそれから35年覚えていたのです」ということであった。
大学にはいってまだ1ヶ月ほどなのに、私は「ワルモノ」として他大学の女子学生にまでその名を知られていたらしい。
いったい1970年当時どのようなディープな都市伝説が流布していたのであろう。
演武会のある七徳堂はその五月祭の夜に酔っぱらって、アキラと二人で空手部の部室で夜明かしをした懐かしい場所である。
その演武会でウッキーと石田さんとPちゃんをぶんぶん投げて汗をかく。
五月祭の演武会では二日酔いで演武することが多いのであるが、今年は前夜お酒控えめで寝たので、快調である。
多田先生の説明演武を拝見したあと、アメリカ帰りの北澤くん(三年ぶりくらいだな~)といっしょに多田先生のお供をしてお蕎麦を食べる。
先生をお見送りしてから私は矢来町の新潮社クラブへ。
養老先生との対談本『逆立ち日本論』のパブリシティのために産経新聞、読売新聞、ENGINEと3社の連続インタビュー3時間半。
ENGINEのインタビュアーは矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴』のあのスズキさんである。
わお、「ほんもののスズキさんだ」と興奮してしまって、ついインタビューしてしまう。
伝説通りにスマートで過激な紳士である。
こちらのテンションも異常に上がってしまい、わけのわからないことを口走る。
インタビューのあと写真を撮られる。
スズキさんは「ウチダさんは笑っちゃダメ。怖い顔して」と注文をつける。
注文通りにカメラを睨みつける。
「『冗談じゃねーぞ』っていう感じで」
と言われて、「ジョーダンじゃねーぞ」とさらにガンを飛ばす。
うん、いい感じ。
「ウチダさん、眼から知性だして!」
とさらに無理な注文を。
眼から知性ってどうやって出したらいいんですか。

2007.05.31

辺境で何か問題でも?

次々といろいろな人がインタビューに来るので、誰にどんな話をしたのか忘れてしまう。
昨日はSight という雑誌のインタビュー。
ロッキングオンの姉妹誌だというので、ポップスの話でもするのかなと思って待っていたら、ポリティカル・イシューの専門誌だった。
渋谷陽一くん(別にともだちじゃないけど、なんとなく同世代的タメ口が許されそうな・・・)は「これからは政治の季節だ」ということでSight の誌面を刷新したそうである。
その意気や善し。
先月号のラインナップを見たら、特集が憲法で、巻頭インタビューが吉本隆明。高橋源一郎と斎藤美奈子の対談。藤原帰一、小熊英二のインタビューなどなど「60年代テイスト」のまさったメニューである。
インタビューにいらしたのは副編集長の鈴木あかねさん。
私はインタビュアーのご要望に合わせて話す内容をころころ変える迎合タイプのインタビュイーなので、穏健で謙抑的なことを言うこともあるし、口から唾を飛ばして過激な暴論を吐くこともある。
昨日はどちらかというと暴論系。
先日のEngineのスズキさんのインタビューのときに話した「日本属国論」をもう少し展開してみる。
『街場の中国論』にも書いたのだけれど、日本は「辺境」の国である。
地理的にどうこうというのではなく、メンタリティが辺境なのである。
「辺境」というのは、「中央」から発信される文物制度を受け容れて、消化吸収咀嚼して自家薬籠中のものとしたのち、加工貿易製品として(オリジナリティはまるでないけど)お値段リーズナブルでクオリティの信頼性の高い「パチモン」を売り出す、そのようなエリアであることを言う。
「辺境」の基本的な構えは「学習」である。
「キャッチアップ」といってもいい。
中央との権力・財貨・情報などなどの社会的リソースの分配において自分が劣位にあることを自明の前提として、「この水位差をいかにして埋めるか」という語法によってしか問題を考察することができないという「呪い」がかけられてあることを「辺境性」という。
私は前に『街場のアメリカ論』にこう書いたことがある。

日本人はアメリカを愛することもできるし、憎むこともできるし、依存することもできるし、そこからの自立を願うこともできる。けれども、アメリカをあたかも「異邦人、寡婦、孤児」のように、おのれの幕屋に迎えることだけはできない。「アメリカ人に代わって受難する」、「自分の口からパンを取りだしてアメリカ人与える」ということだけはどのような日本人も自分を主語とした動詞としては思いつくことができない。
日本人はアメリカ人に対して倫理的になることができない。
これが日本人にかけられた「従者」の呪いである。

私は「従者が悪い」と言っているのではない。
だって日本は開闢以来ずっと従者だったからである。
卑弥呼が「親魏倭王」に任ぜられてから「日本国王」足利義満まで、日本はずっと中国の属国として中国皇帝から封爵を受けていたのである。
1945年からあとはアメリカの属国としてその封爵(名誉「アメリカの51番目の州」)を受けている。
日本が「われわれはもう誰の属国でもない」と思ったのは1894年から1945年までの50年間だけである。
その間、日本はずっと戦争ばかりしていた。日清、日露、第一世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日華事変、ノモンハン事件、太平洋戦争。1931年の満州事変から起算して「15年戦争」という言い方があるが、私は1894年から起算した「50年戦争」というほうが事態を正しく言い当てているのではないかと思う。
日本近代史から私たちが学習できることの一つは、日本が辺境であることを拒否しようとするなら、世界中を相手に戦争をし続ける覚悟が要るということである。
これは歴史の教訓である。
そして、すべての戦争に勝ち続けた国は歴史上存在しないというのもまた歴史の教訓の一つである。
ここから導かれる選択肢は二つしかない。
アメリカを含む全世界を相手に戦争をする準備を今すぐ始めるか、このまま鼓腹撃壌して属国の平安のうちに安らぐか、二つに一つである。
論理的にはどちらも「あり」だと思うが、現実的に言って、今の日本の政治家のうちにも官僚のうちにも軍人のうちにも、アメリカを相手に戦争をする覚悟のある人間は一人もいないから、第一の選択肢は採ることができない。
必然的に第二の選択肢だけが日本にとって現実的なものである。
現に、日本はその歴史のほとんどの時期を「辺境」として過ごしてきており、辺境の民であることの心地よさは深く国民性のうちに血肉化している。
小学生から英語を習わせようというのは、寺子屋で四書五経を素読させたのとメンタリティは同じである。
江戸時代の子どもだって別に「町で中国人に道を聞かれたときに困るから」という理由で漢文の読み書きを教わったわけではない。
遠い海の彼方に中国という上位文化があり、その底知れぬ奥行きを学ぶことが辺境の民としての「義務」だと観念されていたからそうしたのである。
実用性なんてない。
四書五経の素読を通じて、江戸時代の子どもたちが学んだのは「学ぶ」とはどういうことか、ということである。「子どもには決して到達しえない知的境位が存在する」という信憑を刷り込まれるということである。
それがみごとに成功して、その時代の日本人の識字率は世界一の水準に達していた。
アジアの蕃地に来たつもりの欧米の帝国主義者が日本に発見したのは「知的なエルドラド」であった。その消息は渡辺京二『逝きし世の面影』に詳しい。
「辺境」は(自分が辺境だという意識を持ち続けることによって)はじめて「中央」を知的に圧倒することができる。
日本の歴史はその逆説を私たちに教えている。
戦後62年、「アメリカの辺境」という立ち位置にとどまることによって日本は世界に冠絶する経済大国になった。
日本人がバカになり、世界に侮られるようになったのは、80年代のバブル以降であるが、それは日本人が「オレたちはもう辺境人じゃない。オレたちがトレンディで、オレたちが中心なんだ」という夜郎自大な思い上がりにのぼせあがった時期と同期している。
学力低下もモラルの低下も、みんな日本人が「辺境人」根性(「いつかみてろよ、おいらだって」)を失ったことにリンクしている。
だから私が申し上げているのは、属国でいいじゃないか、辺境でいいじゃないか、ということである。
せっかく海に囲まれた資源もなんにもない島国なんだし、人類史以来地球上で起きたマグニチュード6以上の地震の20%を一手に引き受けている被災国なんだし。

おのれを「上位文化」の下位にあるもの、「述べて作らず」の祖述者のポジションに呪われてあるものとして引き受けるとき、日本のパフォーマンスは最高になる。
ある種の「病」に罹患することによって、生体メカニズムが好調になるということがある。
だったらそれでいいじゃないか、というのが私のプラグマティズムである。
「属国」であり、「辺境」であることを受け容れ、それがもたらす「利得」と「損失」についてクールかつリアルに計量すること。
病識をもった上で、疾病利得について計算すること。
それが私たちにとりあえず必要な知的態度であろうと思う。
健康であろうとしたせいで早死にした人間をたくさん見て来たせいでそう思うのである。

業務連絡

6月1日(金)午後2時から本学特別客員教授甲野善紀先生による講演会と講習会があります。
午後2時より、D208教室において講演会。
午後3時半より、ミリアム館において講習会。
今回は学内の学生教職員だけに公開で、学外者には非公開です。
同窓生や聴講生は「身内」ですから、もちろん参加できます。
甲野先生が本学教員となって最初のセッションですので、ぜひふるってご参加の上、盛り上げてくださいね。
詳細についてのお問い合わせは内田まで。

音楽の喜び

「音楽との対話」で斎藤言子先生とゲストの石黒晶先生と3週間音韻と倍音をテーマにわいわいやった次の週はその石黒先生と総文の渡部充先生のセッションである。
テーマは「沖縄の音楽」。
これは聴かねば、というので4週続けて音楽館ホールに通うことになる。
第一週は石黒先生の作品「三つの沖縄の歌」(1981)から「ションカネ」を聴くところからスタート。
石黒先生が沖縄音楽(厳密には与那国島の音楽)からその創作活動を始めたということを私は寡聞にして知らなかった(どうも私は「寡聞にして知らない」ことが多すぎるようである)。
沖縄音階は「ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド」の6音で構成されているのであるが、「シ」の音が「微分音」といって通常の「シ」よりちょっと低いのである。
オキナワン・ブルーノートである。
音韻は母音統合によってoがuに近づき、eがiに近づく3母音構成である。
だから「与那国の情け」は「ゆなぐにぬ なさぎ」になる。
でもよく聴くと完全に3母音になっているわけではないようで、「ゆなぐにぬ」の「ゆ」は「よ」と「ゆ」の、「ぬ」は「の」と「ぬ」の中間音のような微妙に不安定な音韻のように私にはきこえた。
この揺れるような母音の不安定性が、楽曲そのものの揺れるような海洋性といい感じで絡み合っている。
石黒先生は20代のときに与那国の音楽と出会って電撃に打たれ、この「ションカネ」のオリジナル音源のレコードは「おそらく1000回は聴きました」と言っていた。
石黒先生は(私と違って)「話半分」の人ではないので、彼が「1000回聴いた」というのは、ほんとうに1000回聴いたということであろう。
文字通りレコードが擦り切れるまで聴いたのである。
そして沖縄音階のオーケストラ曲を作った。
微分音を出せる西洋楽器は演奏前に奏者が調律できるハープと、フレットのない弦楽器しかないので、それとパーカッションだけで作曲されたのである。
佳話である。
「音そのもの」についてのこだわりになら私は深い共感を覚えることができる。
私自身がそのような聴き手だからである。
私はキャロル・キングのWill you love me tomorrow のリフレインの「i」の音が好きとか、「リッキー・ネルソンがtearという単語を発音するときのrの音が好き」とか「ニール・ヤングがninety seventy と歌うときのnの音が好き」というようなきわめて個別音韻的な聴き手であり、これまでこの好尚について同好の士を得たことがなかった。
だから、石黒先生がジェシー・ノーマンのHe’s got the whole world in His hand をかけたときに、このwhole の「ほ」のところのブルーノートの微分音の下がり方をもう一度聴いて下さい!とCDプレイヤーの再生ボタンに走り寄るときの、その気合いに思わず涙してしまったのである。
世界は広く、また狭い。
同じ岡田山キャンパスの隣の学舎に「この音」に総毛立つタイプの音楽家がいたとは。
「音楽の喜びは倍音にある」というのは石黒先生の名言である。
ホーミーの倍音は口腔に二つの共鳴洞を作って、そこから倍音を出すのだが、自然界では同一音源から二つの音が聞こえるということは起こらない。だから、倍音を聞いた人間は、「これは二つの別の音源から出た音に違いない」と「錯覚」する。
倍音を聞きながら、「ここで発生している音」と「ここではない別の場所から生まれた音」を同時に聴くというのは人間の脳の操作によって人間にのみ起きている「出来事」なのである。
あらゆる宗教音楽が倍音を用いるのはおそらくこの「ここではない別の場所」から「存在するとは別の仕方で」届く音韻を聴くという経験が宗教体験と構造的に同一だからである。
おそらくそうだと思う。
石黒先生が聴かせてくれたブルガリアン・ヴォイスの倍音があまりにすばらしかったので、家に帰ってソッコーでアマゾンにCD4枚を発注する。
終わってから四人で打ち上げ宴会。
音楽について声楽家と作曲家と英文学者と武道家でエンドレスで語り続ける。
至福の時間。
神戸女学院大学の教師になれてほんとうによかったと思う。

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