辺境で何か問題でも?

2007-05-31 jeudi

次々といろいろな人がインタビューに来るので、誰にどんな話をしたのか忘れてしまう。
昨日は Sight という雑誌のインタビュー。
ロッキングオンの姉妹誌だというので、ポップスの話でもするのかなと思って待っていたら、ポリティカル・イシューの専門誌だった。
渋谷陽一くん(別にともだちじゃないけど、なんとなく同世代的タメ口が許されそうな・・・)は「これからは政治の季節だ」ということで Sight の誌面を刷新したそうである。
その意気や善し。
先月号のラインナップを見たら、特集が憲法で、巻頭インタビューが吉本隆明。高橋源一郎と斎藤美奈子の対談。藤原帰一、小熊英二のインタビューなどなど「60年代テイスト」のまさったメニューである。
インタビューにいらしたのは副編集長の鈴木あかねさん。
私はインタビュアーのご要望に合わせて話す内容をころころ変える迎合タイプのインタビュイーなので、穏健で謙抑的なことを言うこともあるし、口から唾を飛ばして過激な暴論を吐くこともある。
昨日はどちらかというと暴論系。
先日のEngineのスズキさんのインタビューのときに話した「日本属国論」をもう少し展開してみる。
『街場の中国論』にも書いたのだけれど、日本は「辺境」の国である。
地理的にどうこうというのではなく、メンタリティが辺境なのである。
「辺境」というのは、「中央」から発信される文物制度を受け容れて、消化吸収咀嚼して自家薬籠中のものとしたのち、加工貿易製品として(オリジナリティはまるでないけど)お値段リーズナブルでクオリティの信頼性の高い「パチモン」を売り出す、そのようなエリアであることを言う。
「辺境」の基本的な構えは「学習」である。
「キャッチアップ」といってもいい。
中央との権力・財貨・情報などなどの社会的リソースの分配において自分が劣位にあることを自明の前提として、「この水位差をいかにして埋めるか」という語法によってしか問題を考察することができないという「呪い」がかけられてあることを「辺境性」という。
私は前に『街場のアメリカ論』にこう書いたことがある。

日本人はアメリカを愛することもできるし、憎むこともできるし、依存することもできるし、そこからの自立を願うこともできる。けれども、アメリカをあたかも「異邦人、寡婦、孤児」のように、おのれの幕屋に迎えることだけはできない。「アメリカ人に代わって受難する」、「自分の口からパンを取りだしてアメリカ人与える」ということだけはどのような日本人も自分を主語とした動詞としては思いつくことができない。
日本人はアメリカ人に対して倫理的になることができない。
これが日本人にかけられた「従者」の呪いである。

私は「従者が悪い」と言っているのではない。
だって日本は開闢以来ずっと従者だったからである。
卑弥呼が「親魏倭王」に任ぜられてから「日本国王」足利義満まで、日本はずっと中国の属国として中国皇帝から封爵を受けていたのである。
1945年からあとはアメリカの属国としてその封爵(名誉「アメリカの51番目の州」)を受けている。
日本が「われわれはもう誰の属国でもない」と思ったのは1894年から1945年までの50年間だけである。
その間、日本はずっと戦争ばかりしていた。日清、日露、第一世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日華事変、ノモンハン事件、太平洋戦争。1931年の満州事変から起算して「15年戦争」という言い方があるが、私は1894年から起算した「50年戦争」というほうが事態を正しく言い当てているのではないかと思う。
日本近代史から私たちが学習できることの一つは、日本が辺境であることを拒否しようとするなら、世界中を相手に戦争をし続ける覚悟が要るということである。
これは歴史の教訓である。
そして、すべての戦争に勝ち続けた国は歴史上存在しないというのもまた歴史の教訓の一つである。
ここから導かれる選択肢は二つしかない。
アメリカを含む全世界を相手に戦争をする準備を今すぐ始めるか、このまま鼓腹撃壌して属国の平安のうちに安らぐか、二つに一つである。
論理的にはどちらも「あり」だと思うが、現実的に言って、今の日本の政治家のうちにも官僚のうちにも軍人のうちにも、アメリカを相手に戦争をする覚悟のある人間は一人もいないから、第一の選択肢は採ることができない。
必然的に第二の選択肢だけが日本にとって現実的なものである。
現に、日本はその歴史のほとんどの時期を「辺境」として過ごしてきており、辺境の民であることの心地よさは深く国民性のうちに血肉化している。
小学生から英語を習わせようというのは、寺子屋で四書五経を素読させたのとメンタリティは同じである。
江戸時代の子どもだって別に「町で中国人に道を聞かれたときに困るから」という理由で漢文の読み書きを教わったわけではない。
遠い海の彼方に中国という上位文化があり、その底知れぬ奥行きを学ぶことが辺境の民としての「義務」だと観念されていたからそうしたのである。
実用性なんてない。
四書五経の素読を通じて、江戸時代の子どもたちが学んだのは「学ぶ」とはどういうことか、ということである。「子どもには決して到達しえない知的境位が存在する」という信憑を刷り込まれるということである。
それがみごとに成功して、その時代の日本人の識字率は世界一の水準に達していた。
アジアの蕃地に来たつもりの欧米の帝国主義者が日本に発見したのは「知的なエルドラド」であった。その消息は渡辺京二『逝きし世の面影』に詳しい。
「辺境」は(自分が辺境だという意識を持ち続けることによって)はじめて「中央」を知的に圧倒することができる。
日本の歴史はその逆説を私たちに教えている。
戦後62年、「アメリカの辺境」という立ち位置にとどまることによって日本は世界に冠絶する経済大国になった。
日本人がバカになり、世界に侮られるようになったのは、80年代のバブル以降であるが、それは日本人が「オレたちはもう辺境人じゃない。オレたちがトレンディで、オレたちが中心なんだ」という夜郎自大な思い上がりにのぼせあがった時期と同期している。
学力低下もモラルの低下も、みんな日本人が「辺境人」根性(「いつかみてろよ、おいらだって」)を失ったことにリンクしている。
だから私が申し上げているのは、属国でいいじゃないか、辺境でいいじゃないか、ということである。
せっかく海に囲まれた資源もなんにもない島国なんだし、人類史以来地球上で起きたマグニチュード6以上の地震の20%を一手に引き受けている被災国なんだし。
おのれを「上位文化」の下位にあるもの、「述べて作らず」の祖述者のポジションに呪われてあるものとして引き受けるとき、日本のパフォーマンスは最高になる。
ある種の「病」に罹患することによって、生体メカニズムが好調になるということがある。
だったらそれでいいじゃないか、というのが私のプラグマティズムである。
「属国」であり、「辺境」であることを受け容れ、それがもたらす「利得」と「損失」についてクールかつリアルに計量すること。
病識をもった上で、疾病利得について計算すること。
それが私たちにとりあえず必要な知的態度であろうと思う。
健康であろうとしたせいで早死にした人間をたくさん見て来たせいでそう思うのである。
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