東京でお仕事

2007-05-01 mardi

東京出張。仕事は三つ。
福岡伸一先生との対談、クロワッサンの取材、それから諏訪哲二先生との対談である。
福岡先生とお会いするのは二度目である。
前回は新宿のホテルのバーで隣り合わせて座って、Y野屋のG丼の原価の秘密について、さらにはMシシッピ河流域に展開するG肉マフィアの恐るべき真相について、「ここだけの話ですが」をいろいろと伺った。
「こんな話をAメリカでしたら、翌日はHドソン河で簀巻きにされて浮いてます」とF岡先生は遠い目をして語っていたのである。
わお、めちゃテリブルですね、F岡先生(っていまさら伏字にしても仕方がないが)。
当然のことながら、今回もテリブル話で盛り上がったのであるが、残念ながら、私たちの対談を掲載するメディアは「中学校受験向けの学習塾に配布されるフリーペーパー」であったので、そういう話はすべて「カット」されるはずである。
どうしてこのようなメディアで福岡先生が連載対談(私はその第一回ゲスト)をすることになったのかについてはマガハ人脈をめぐる長い話があるのだが、それは割愛。
話が佳境に入りかけたところで終わってしまったので、ああもっとしゃべりたいですうとじたばたした私が「先生、この続きを往復書簡でやりましょう」とオッファーしたら、福岡先生にご快諾いただき、本にすることまで話がとんとんとまとまった。
「どこの出版社がいいですか」とお訊ねしたら、某出版社の名前を先生が挙げられたので、そこに営業をかけることに決する。
夕方に仕事が終わる。学士会館の二階で対談していたので、福岡先生にお別れして、そのまま4階の部屋に戻ってお風呂にはいり、すずらん通りの「揚子江飯店」にご飯を食べに行く。
ここは竹信悦夫くんといっしょに岩波書店でバイトをしたときに一度来たことがある。
もう30年以上前のことだ。
そのときに彼が「美味いよ」といった五目ヤキそばを注文する。
30年以上前のことなので、それが同じ味なのか違う味なのかもうわからない。
部屋に戻るとまだ7時。
することがないので、寝転んでポッドキャストで町山さんの「新作」を聴いてくくくと笑っているうちに急速に睡魔が襲ってくる。
まだ8時前。
目が醒めたら午前4時。
することがないので、日記を更新する。
平川君の新作『株式会社という病』がたいへん面白かったので、忘れないうちにその感想をしたためる。
日記を書いたらまた眠くなってきたのでふたたび寝る。
目が醒めたら午前8時。
よく寝る男である。
食堂で朝日新聞社から送ってきた『ロスト・ジェネレーション』を読みながら朝ごはんを食べる。
「ロスト・ジェネレーション」というのは、現在25歳から35歳までの世代のことで、この方たちは卒業時に就職氷河期に遭遇したせいで、たいへんつらい人生を送ることを余儀なくされているらしい。
それゆえ、この世代の人々の中には、団塊世代に対して、「あんたたちがろくに働きもしないで手に入れた不労所得の幾分かについてオレには請求権がある」というような主張をなす人々がいる。
そのような主張をこの本はかなり好意的に紹介していた。
そんなことをしてよろしいのであろうか。
本気にする若者が出てきたらどうするのか。
大学を卒業してもろくな就職口がないというような時代は昭和に入ってからも何度もあったし、その責任を年長世代におしつけても、それで何か「よいこと」が起こるということはなかった。
自分が「あまり努力をしなくても分不相応にいい目をみられる卒業年次」にめぐり合わなかったことを30過ぎてもまだ自分のぱっとしない現状の主たる理由として指折り数え上げるような人間は、仮に「あまり努力をしなくても分不相応にいい目をみられる卒業年次」にめぐりあってもそれほど幸福にはなっていないのではないかと私には思われるのだが、いかがであろう。
『若者はなぜ3年で辞めるのか?』もそうだったけれど、非正規雇用で苦しむ若者たちに向かって、「『やつら』がキミたちの既得権を侵害しているのだ。『やつら』から奪い返せ」というアオリを入れるのは、あまり品のよい語法ではないように思う。
奪還論者が求めるのは、なによりも「能力や努力がそれに見合う成果によって補償される」社会的フェアネスである。
「私は高い能力をもち、懸命に努力しているにもかかわらず不当に低い社会的評価しか受けていない」という前提から彼らは出発する。
だから、社会的不公平を告発する人々は必ず「能力主義者」になる。
ならざるを得ない。
となれば、かりにこの奪還闘争が成功裏に終わった場合には能力主義はいっそう純度の高いかたちで貫徹されることになる。
もちろん「社会的不正に抗して戦った人間」と「まるで戦わなかった人間」の間には、その努力の評価において決定的な格差が存立しなければならない。
当然である。
「能力もないくせにリソースを独占している『やつら』」から奪還したものを「能力もないくせにリソースを欲しがる『やつら』」に分かち与えるのは「奪還論」のロジックが許さない。
結果的に、奪還論者は非寛容な能力主義者になる。
そして、「戦わなかった若者たちはその怠惰にふさわしい貧困と不遇に甘んじなければならない」と声高に宣言するようになるだろう。
そのような目つきの悪い若者たちを構造的に再生産してもあまりいいことはないように私は思うのだが、どうも朝日新聞社のご意向は私とは違うようである。
ゲラを読んでいるうちにだんだん気分が悪くなってきたので、読むのをやめて次の諏訪哲二先生との対談に備えて『なぜ勉強させるのか?』を再読する。
諏訪先生の書かれることはいつもロジカルでクリアーカットである。
諏訪先生は確信犯的な近代主義者である。
だから「わからない」ことに遭遇すると、「わからないことに遭遇した」とそのままストレートに(かつ、いささか不機嫌に)書く。
近代主義者は「いや、こんな事態は想定内で」というような無意味な遁辞は決して用いない。
自分の用いているスキームの限界と欠陥を正確に記述することの方が、自分の用いているスキームを過大評価させることでおのれの知的威信を高めることよりも、人々にとって「有用」であると信じているからである。
「人々」の知性と徳性をとりあえず信じるところから始めるというのが近代主義者の骨法である。
近代主義者が他者を信じていられるのは、彼の倫理が「世界中がぜんぶ『自分みたいな人間』でも、自分は生きていけるか?」というたいへんリアルな問いを基盤にして構築されているからである。
私がポストモダニストを信用することができないのは、彼らが「世界中ぜんぶが『自分みたいな人間』だったら」という想像をする習慣をもたないからである。
例えば、K谷K人は世界中全部がK谷K人であるような世界を彼の理想とはしていないであろう(「他人が誰も彼より愚かでない世界」で彼が幸福な人生を享受している姿を想像することはたいへんにむずかしい)。
その点で近代主義者はつねに「よき隣人」である。
彼らは隣人の知性と徳性をとりあえず(目をつぶって)信じるところからはじめてくれるからである。
近代主義者はそのような絶えざる「命がけの跳躍」にさらされているという点については、間違いなくポストモダニストよりもはるかにポストモダン的であると私は思う。

というようなことを考えているうちにクロワッサンの取材の時間となる。
お題は「お金と子ども」。
子どもにお金の使い方を教えるのはむずかしい。
喩えとして「雛鍔」の話を出す。
「雛鍔」というのは、大名の子供が庭で銭を拾って、それが何であるかわからず「これはお雛さまの剣の鍔ではないか?」と供の者に訊ねるというエピソードから始まる「子供とお金」の物語である。
「金は不浄」という禁忌の感覚は私が育った1950年代まではたしかに日本のふつうの家庭に存在した。
「子供の前では金の話はしない」というのは私の家では親たちの常識であったし、「子供が人前で金の話をする」ことは即座にゲンコツを食らうほどの禁忌であった。
その点ではセックスの話に近かった。
たしかに物欲と性欲は人間の根源的なモチベーションである。
けれども、それはあまりに強く抵抗しがたく人間のふるまい方を支配するので、それを制御するだけの成熟に達するまでは子どもには触れさせない、というのが近代前期までの常識であったように思う。
それがどこかで常識ではなくなった。
それはたぶん「成熟」というプロセスが無効になった時期と一致している。
そのときに、セックスと金から子供を隔てていた人類学的な「バリヤー」も消失した。
子供のときに金/セックスに触れてしまった子供は、成熟を妨げられる。
というのは「成熟する」というのは「金やセックスに触れてもよい人間になること」を遠い達成目標に掲げてさまざまのイニシエーションの条件をクリアーしてゆくことだからである。
だから、幼児に対する性行為についてはきびしい人類学的禁忌がいまでも(部分的には)有効である。
けれども、金との接触に対する禁忌はほとんど無効になった。
それはおそらく「成熟なんかしなくても、いい」ということについての社会的合意が成立したからである。
それはおそらく「人々が幼児的であればあるほどそのことから私は利益を得ることができる」と信じている人間の数がどこかで閾値を超えたからであろう。
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