「音楽との対話」で斎藤言子先生とゲストの石黒晶先生と3週間音韻と倍音をテーマにわいわいやった次の週はその石黒先生と総文の渡部充先生のセッションである。
テーマは「沖縄の音楽」。
これは聴かねば、というので4週続けて音楽館ホールに通うことになる。
第一週は石黒先生の作品「三つの沖縄の歌」(1981)から「ションカネ」を聴くところからスタート。
石黒先生が沖縄音楽(厳密には与那国島の音楽)からその創作活動を始めたということを私は寡聞にして知らなかった(どうも私は「寡聞にして知らない」ことが多すぎるようである)。
沖縄音階は「ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド」の6音で構成されているのであるが、「シ」の音が「微分音」といって通常の「シ」よりちょっと低いのである。
オキナワン・ブルーノートである。
音韻は母音統合によってoがuに近づき、eがiに近づく3母音構成である。
だから「与那国の情け」は「ゆなぐにぬ なさぎ」になる。
でもよく聴くと完全に3母音になっているわけではないようで、「ゆなぐにぬ」の「ゆ」は「よ」と「ゆ」の、「ぬ」は「の」と「ぬ」の中間音のような微妙に不安定な音韻のように私にはきこえた。
この揺れるような母音の不安定性が、楽曲そのものの揺れるような海洋性といい感じで絡み合っている。
石黒先生は20代のときに与那国の音楽と出会って電撃に打たれ、この「ションカネ」のオリジナル音源のレコードは「おそらく1000回は聴きました」と言っていた。
石黒先生は(私と違って)「話半分」の人ではないので、彼が「1000回聴いた」というのは、ほんとうに1000回聴いたということであろう。
文字通りレコードが擦り切れるまで聴いたのである。
そして沖縄音階のオーケストラ曲を作った。
微分音を出せる西洋楽器は演奏前に奏者が調律できるハープと、フレットのない弦楽器しかないので、それとパーカッションだけで作曲されたのである。
佳話である。
「音そのもの」についてのこだわりになら私は深い共感を覚えることができる。
私自身がそのような聴き手だからである。
私はキャロル・キングの Will you love me tomorrow のリフレインの「i」の音が好きとか、「リッキー・ネルソンがtearという単語を発音するときのrの音が好き」とか「ニール・ヤングが ninety seventy と歌うときのnの音が好き」というようなきわめて個別音韻的な聴き手であり、これまでこの好尚について同好の士を得たことがなかった。
だから、石黒先生がジェシー・ノーマンの He’s got the whole world in His hand をかけたときに、この whole の「ほ」のところのブルーノートの微分音の下がり方をもう一度聴いて下さい!とCDプレイヤーの再生ボタンに走り寄るときの、その気合いに思わず涙してしまったのである。
世界は広く、また狭い。
同じ岡田山キャンパスの隣の学舎に「この音」に総毛立つタイプの音楽家がいたとは。
「音楽の喜びは倍音にある」というのは石黒先生の名言である。
ホーミーの倍音は口腔に二つの共鳴洞を作って、そこから倍音を出すのだが、自然界では同一音源から二つの音が聞こえるということは起こらない。だから、倍音を聞いた人間は、「これは二つの別の音源から出た音に違いない」と「錯覚」する。
倍音を聞きながら、「ここで発生している音」と「ここではない別の場所から生まれた音」を同時に聴くというのは人間の脳の操作によって人間にのみ起きている「出来事」なのである。
あらゆる宗教音楽が倍音を用いるのはおそらくこの「ここではない別の場所」から「存在するとは別の仕方で」届く音韻を聴くという経験が宗教体験と構造的に同一だからである。
おそらくそうだと思う。
石黒先生が聴かせてくれたブルガリアン・ヴォイスの倍音があまりにすばらしかったので、家に帰ってソッコーでアマゾンにCD4枚を発注する。
終わってから四人で打ち上げ宴会。
音楽について声楽家と作曲家と英文学者と武道家でエンドレスで語り続ける。
至福の時間。
神戸女学院大学の教師になれてほんとうによかったと思う。
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(2007-05-31 21:05)