生きて迎えた夏休み

2007-07-30 lundi

ひさしぶりに家にいて、デスクの前でほっこりしている。
この一週間も忙しかった。
家で自作の晩ご飯を食べた日がなかった(私は自分の身体が要求する栄養素に配慮しつつご飯を作るので、自分で晩ご飯を作れない日が続くと、ずるずると体力が衰えてくるのである)。
日曜の夜遅くに吉本さんとの対談を終えて東京から帰り、翌日は朝一で下川先生のお稽古にいって、それから授業。
火曜日は授業のあとに大学院ゼミ宴会。
水曜は「プロジェクト佐分利信」の第一回イベント。「では、このあとは若い人同士で・・・」という定番の台詞を釈先生とふたりでユニゾン。はたしてこの二人はどうなるでしょう。
とりあえずおじさん二人は「次の標的」を求めています。
条件は「何が何でも今年中に結婚を決めたい」と念じていること。
「いい人がいたら・・・」というような悠長なことを言える諸君に佐分利信は冷たい。
木曜はテストのあと、会議が一つ。梅田に出て、谷口さんといっしょに『トランスフォーマー』試写会。
あっと驚く「中坊映画」。
この映画のどこをほめたらよいのか・・・と呻吟しつつ、讀賣新聞の若手諸君とともに亀寿司中店へ。ひさしぶりに松ちゃんの握る中トロを食す。
金曜は前期最終日。
授業のあと会議が二つ。既報の「外部資金導入計画」が奏功し、巨額の公金が流入することになった。ヒアリングの印象が悪かったので、ダメだとばかり思っていたので、思わず「嘘〜」と叫んでしまう。
石川先生、ほんとうにどうもご苦労さまでした。
そのまま非常勤講師懇談会へ。
懇談中、山本画伯、ジロー先生、ワタナベ先生と、私を含めて「甲南麻雀連盟会員」が四人もいることが判明した。
同僚の教師を次々と雀友にしているのか、雀友を選択的に同僚に迎えているのか、前後関係は定かではないが、私が仕事と遊びの境界線をきちんとつけることのできない人間であることはたしかである。
土曜日はほんらい夏休み初日のはずであるが、共同通信に送った原稿を間違えてもう一度日経に送ってしまい「字数が合いません」という指摘を受けて始めて「恐怖の二重投稿」を犯していたことを知り、パニックとなる。
物書き業界から永久追放級のチョンボである。
連載の締め切りが立て込むと、こういう事件が起きてしまうのである。
危ないところであった。
ひさしぶりに合気道の稽古。
岡田山ロッジでの稽古に20人も詰め込んだので、「サウナの中で合気道をしている」ような感じになる。
ドクターが脱水症状でダウン(お大事に)。
おいちゃんがアメリカから帰ってきたので、ご挨拶に来る。
「ミネソタ雪ん子日記」は2年間で投稿1回きり、という前代未聞の筆無精を記録したことになる。
稽古のあと、ソッコーで帰宅して、これまた久しぶりの甲南麻雀連盟例会。
最近、あまり勝率がよくないので、戦績報告をしていないのであるが、私は勝ち数は単独1位をキープしているものの、勝率はまだ3割に達せず、画伯の後塵を遠く拝しているので、この件についてはあまり論及したくないのである。
画伯は負けているときは機嫌が悪いが、勝っているときは機嫌がよく、負けているときも勝っているときもいつも変わらず威張っている。
日曜はオープンキャンパス。甲野先生、島崎先生とのトークセッション、120分一本勝負。
投票をすませてから、とことこと炎天下を大学へ。
この二人の話はすごく面白いであろうと予測していたけれど、案の定、めちゃめちゃ面白かった。
げらげら笑っているうちにあっというまに2時間終了。
終了後、甲野先生とサイン会(今回のスポンサーはバジリコなので、安藤さんが甲野本とウチダ本を展示即売)。
そのあと、たくさん来賓が来ているので、どこかでどっと打ち上げをしたいが時間が中途半端で、人数が中途半端ではない。
しかたなく「芦屋にGO」ということになる。
甲野先生、安藤さん、新潮社の足立さん、医学書院の鳥居くん、本願寺のフジモトさん、朝カル大阪の森本さんと桃井さん、江さん、青山さん、かんちきくん、画伯、平尾さん、ウッキー・・・
昨日同じ部屋で麻雀を打っていたメンバーが五人もいる。
この方たちはいったいどういうプライベートライフを送っておられるのであろうか。
安藤さんと鳥居くんが「麻雀やりましょう」と言い出したので、隣室では麻雀、私は吉本隆明対談の直しの締め切りを忘れていたので8時までそれにかかりきり、甲野先生は「どうしてネアンデルタール人は滅亡したのか」というようなハイブラウな話をウッキーと青山さん相手に語るというグランドホテル形式のパーティであった。
仕事が終わったので、ワインを片手に全員で開票速報に見入る。
開票速報というのはこれくらいの人数でわいわい言いながら見るのがいちばん楽しい。
甲野先生は明日から三日連続の集中講義 in 神戸女学院である。
ウッキーが全講義を映像に記録することになっている。よろしくね。
もうろうとして起き出した月曜は、本来であれば夏休み三日目のはずであるが、もちろん仕事。
兵庫県私立中高連合会の中堅教員研修会での講演のために舞子ビラへ。
兵庫県の私立高校の先生方というのは私どもの「メイン・クライアント」であるからして、教務部長としてこのような営業機会は決して逸することができないのである。
入学センターのヒラヤマさんから「おみやげたくさんもってゆきなさい」と厳命されたのであるが、大学案内とかDVDとかかさばるものを数十人分もってゆくのはゴメンである。
いちばん軽い女学院グッズということで「付箋」をおみやげにする。
お題は「学びからの逃走・学びへの回帰」。
似たようなテーマでこれまであちこちで喋っているのであるが、いつも申し上げているとおり、こういうのは志ん生の「火焔太鼓」と一般で、反復による芸の深まりを味わうのが正しい作法なのである。
とはいえ、昨日は遅くまで開票速報をみて、日本の来し方行く末について考えていたので、その話をマクラにふる。
「金の全能性」についての信憑がこれほどまで人心に瀰漫した時代は日本の歴史を繙いてもかつてなかったのではないか。
金余りのバブル期の方がむしろ「金を軽視する風儀」はあったように思う。
今は金の話をする人間は総じて「おおまじめ」である。
それどころか「金が足りない」とか「金をもっとよこせ」ということばを「政治的正しさ」の語法で語りさえする。
これが下品な物言いだということを指摘する人間がもういないほどに下品な社会に私たちは暮らしている。
講演後、毎日新聞の取材で、「自民党の歴史的惨敗」についてコメントを求められるので、つぎのようなことをしゃべる。
自民党というより、安倍首相を批判したいので民主党に投票したという行動の表れだろう。
首相は個性のつよい政策を掲げ、主張にもそれなりの整合性があるのだが、異論をほとんど顧慮しない態度を貫いた。
それが有権者の不興を買って、大敗につながったと私は解釈する。
閣僚の失言問題や事務所費問題でも、メディアに対して木で鼻をくくったような対応に終始した。
記者たちは(制度的には)有権者代表として質問しているわけである(だから赤木農相に「大臣! 領収書はどうするんですか!」というような先方だって返事のしようのない、でもそれを訊かずにすますわけにはゆかない質問をぶつける)。
これらのふつごうな質問ぶしつけな質問を安倍首相は無視した。
この首相の態度を有権者はおそらく国民への「侮り」と受けとったのである。
その点が流動するポピュラリティの「恐ろしさ」を熟知していた小泉前首相と違う。
不快な質問や厳しい指摘へのスマートでソフトな切り返しは内政でも外交でも必須の資質である。
安倍首相にはそれが致命的に欠けていた。
一方、民主党の小沢代表は権威主義的な印象が強かったが、「生活者目線に立つ政治家」への変身を試みて、とりあえず成功した。
戦術的迂回を厭わず、ひたすら政権に意欲を見せる小沢代表の方に有権者は政治家としての成熟のしるしを見たのだろう。
兵庫選挙区も、政党名のみで投票行動が決まる記号的な選挙だった。辻、鴻池両氏の個人的な政治力や資質はほとんど論じられず、民主か自民かの二者択一がなされた。
本来、参院議員は固有名において選ばれるべきだが、過度の政党化のせいで、政治家の個人的資質や力量は今やほとんど誰も問わなくなった。
その結果、大勝した政党は(当選するはずがないだろうと思って、頭数を揃えるために公認しちゃった)質の低い議員を抱え込むことになる。
「小泉チルドレン」たちが、当選後さまざまな愚行を犯して、自民党の今日の大敗の伏線を引いたように、今回当選した「小沢チルドレン」たちが、次の国政選挙での敗因になる可能性がある。
彼らは年齢的に若いから、当然民主党内での前原前代表らのグループが取り込みを企て、世代間の権力闘争がまた再燃するであろう。
大勝した政党がコントロールできない要因を抱え込んで苦労して、次の選挙で大敗するという奇妙な多数派交代メカニズムができつつあるように見える。
何なんでしょうね、これは。
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