リベラシオンの安倍晋三評価

2007-07-16 lundi

今度の選挙は自民党大敗という予想のようである。
私もそうなるだろうと思う。
もう安倍晋三の顔は見飽きた、というのが国民多数の実感であろう。
安倍首相の失点は年金とか事務所費とか内政の不手際ばかり責められるが、無能力が露呈したのはむしろ外交の方である。
就任後にアメリカ訪問してブッシュ大統領と会ったけれど、そのエネルギーのほとんどは自分が火を点けた従軍慰安婦問題の「火消し」に費やされた。
でも、下院外交委員会でホンダ議員の従軍慰安婦問題についての日本政府の謝罪要求決議は首相訪米直後に通ってしまったから、首相の訪米成果はほとんどゼロだったことになる。
アジア外交についても評価は高くない。
この件についての『リベラシオン』の記事はこんなふうに始まっている。

「日本の安倍晋三首相は彼の前任者である小泉純一郎(彼は五年にわたって中国にとって『好ましからざる人物』(persona non grata) であった)とおなじく外交能力を欠如させた人物なのであろうか? というのは、彼は2006年秋に政権に就いて以来隣国に築いたはずの信頼感を破壊してしまったからである。いわゆる『従軍慰安婦』の徴募の『強制』的性格を否定して、彼は『強制があったという物証は存在しない』と主張している。あわせて彼は生存者たち(韓国人、中国人、フィリピン人、タイ人、ニュージーランド人ら)の証言の信憑性も、彼女たちは自主的に売春を業としたのであるとして否定した。北京、ソウル、その他のアジア諸都市は安倍晋三のこの談話に震撼した。」(3月5日)

松岡農相の自殺を報じた5月31日の記事は「安倍晋三は果てしなく政権の座から滑り落ち続けている」という文章から始まる。
6月14日のG8についての特派員報告。

「G8終了前に私は次回のG8開催国である日本の安倍晋三首相のスピーチを聴いた。彼は貧困・開発の問題については一言も言及しなかった。オックスファム・ジャパンの同職者は蒼白になっていた。記者会見では全員が同じことを考えていた。これほどのエネルギーと手間ひまをかけてこれほど貧しい成果しか得られないのであれば、これ以上G8を開催する必要があるのか?」

6月16日は日本のナショナリズムについて樋口陽一の言論を紹介している。

「日本のナショナリズムは政権党の現在の責任者たちによって掲げられている。日本では極右は政府と政権与党(自民党、その党首は安倍晋三首相である)によって育まれている。政権にあるナショナリストたちは大日本帝国に対する共感とノスタルジーを隠そうとしない。政権の座にある人々が戦前の日本は過去の犯罪について改悛の必要はないと繰り返し断言している。なぜなら、大日本帝国がアジアで展開した戦争は彼らの解釈では欧米の支配からアジア人民を『解放』するための戦争だったからである。」

一番新しいのは7月4日の報道。

「安倍晋三首相の政権の試練は日に日に末期的様相を呈してきた。昨日まで彼の内閣の防衛相であった久間章生の発言を待たずに、すでに参院選を前にして支持率は最低を記録した。その久間は先週末に広島長崎に対する原爆投下を『不可避のもの』(inévitable) であったと発言して辞職を余儀なくされたのである。」

「しようがない」はフランス語では「不可避」と訳されたようである。
とりあえず、『リベラシオン』の安倍首相の評価は最低レベルである。
フランスの左派系のインテリ諸君は安倍首相の政権からの転落をほぼ「既成事実」としているということである。
私は定期的に『リベラシオン』を読んでいるが、ここまで辛辣に批評された首相のあることを知らない。
私たちは日本のナショナリズム風潮が海外からはどのように見られているのかということについてもう少し意識的になった方がいいだろう。
日本のナショナリズムは「政治的に危険」だというふうに評価されるよりも(その方がまだましである)むしろ「倫理的に低い」あるいは「知的に劣っている」人々の妄動という印象を諸外国に与えているのである。
大事なことなので、ここに大書するが、政治家の仕事の本体は「何をするか」であるよりむしろ「何をしているように見えるか」にある。
古諺に政治家の心得として「李下に冠を正さず、瓜田に沓を入れず」ということばがある。
「すももの木の下で冠を直すと『すもも泥棒』に間違えられ、瓜の畑に踏み込むと『瓜泥棒』に間違えられるから、そういうことをしてはいけません」という教えである。
すももを盗むな、瓜を盗むなと言っているのではない(そんなの当たり前である)。
そうではなくて、「盗んでいるような印象を与えるな」ということである。
政治的行動の意味はそれが他人にどう解釈されるかによって決定される。
「私はそんなつもりではなかった」という釈明が通らない、というのが政治のルールである。
安倍晋三首相は「倫理的に低く」「知的に不誠実」な人物であるという印象を少なくともフランスの左派系知識人には与えている。
それは彼が現実に倫理的にどれほど高邁で、知的にどれほど上等な人間であるかとは別の次元の問題である。
政治家は「どう見えるか」に資源を最優先に配分しなければならない。
実際には愚鈍で貪欲であっても、他人から賢明で廉潔な士とみなされるのなら、その政治家は内政にも外交にも成功するであろう。
逆であれば成功しないだろう。
単純な話である。
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