たまの休日

2007-07-17 mardi

日曜日。4月22日以来2ヶ月ぶりの「用事のない日曜日」。
今日一日は何をしてもよいのである。
ああ、うれしい。
家の掃除を3週間ほどしていない。
ふとんもずいぶん干していない。
台風一過の晴れ間を利用して、洗濯物をベランダにぎっしり干してから、掃除機を買いに行く。
ダイソンの強力吸引力掃除機が欲しかったのである。
75000円也。
これで部屋中のぐいぐいとゴミを吸い取る。
家の中がきれいになったので、気分がよくなり、コーヒーを飲みながら原稿を書く。
文藝春秋スペシャル用に「なぜ私たちは労働するのか」。
朝日新聞用に「たいせつな本」その1。
文春文庫の『私の身体は頭がいい』の文庫版解説。
日経の「旅の途中」。
以上4本を一気書き。

森銑三全集が出るそうで、そのおかげでひさしく絶版になっていた中公文庫の『明治人物閑話』が復刻される。
その解説を頼まれたので、取り出して読み始める。
井上通泰と森鴎外の交友について書いた中に次のような文がある。

「この『しがらみ草紙』の誌名に就いては、なお説を成す人があるようであるが、井上先生はいい加減なことをいわれる人ではなかった。私は先生のいわれるところを以て、正しとすべきであろうと思っている。」

森銑三の文章のよいところは、どのような人物評や事績の評価についても「これは主観的判断である」と断るところである。出所の知れぬ伝聞や誰が言い出したかわからない「定説」のようなものに決して依拠せず、「余人がどう思おうとそれはそちらの自由であるが、私はしかじかの論拠に基づいてこう考える」ということだけをきちんと記す。
この潔さが森銑三の真骨頂である。

ふと顔を上げるとすでに夕刻。
イノウエさんにもらった明太子を使ってパスタを作る。
釈老師にいただいたワインを飲む。
美味い。
人々のご厚恩ご喜捨に支えられて今日も生きているのである。
満腹したので宮崎駿『千と千尋の神隠し』を見てから寝る。

月曜日。お休みなので、たっぷり朝寝。
昼前からしたくをして上本町にでかける。
養老孟司先生と半藤一利さんのジョイント講演「司馬遼太郎記念学術講演会:日本人のゆくえ」にご招待いただいたのである。
最初に養老先生のお話が1時間。それから半藤さんが1時間。休憩をはさんで二人の対談が1時間。
ひさしぶりに時間を忘れて楽しんだ。
どちらも日本人論なのだが、二人とも「私らはもうすぐあの世に往くので、この先日本がどんなになろうともう与り知らぬ。このあとさらにろくでもない国になったとしてもそれで苦しむのは夫子ご自身であるから、まあ勝手にされるがよろしい」というたいへんクールなお立場から論じられている。
浮世離れしていて爽快である。
たしかに死者の立場から生者の世界を眺めるのは批評性を担保する最良の足場である。
でも、そのデタッチメントの立場からお二人はクールにかつユーモラスに「悲憤慷慨」しているところが可笑しい。
いわば隠居目線から小言を述べられているわけなのだが、これが養老先生たちの世代に特有の「愛」の表し方なのだろう。
昨日の話でとりわけ興味深かったのは、半藤さんが話した司馬遼太郎はどうしてノモンハンを書かなかったのかという話。
ノモンハン事件に登場する軍人たちのなかに司馬遼太郎が「共感できる人物」が一人もいなかった、というのがその理由であるというのが司馬さんの担当編集者としていっしょにノモンハン関連の取材に数年同行した半藤さんの推理である。
半藤さんは少し前の『文藝春秋』でも、参謀本部に集まった陸大出の秀才たちの一人として国を誤った責任を取ろうとしなかったことを痛罵していた。
ノモンハンに関東軍は56000人の将兵を投入し、うち18000人が死傷した。戦力の逐次投入という最悪の戦術、彼我の戦力差の過小評価、敵がつねに「こちらにつごうのよい用兵」を選択するはずであるという無根拠な信憑、物量の差は「必勝の精神」で補うことができるという精神主義・・・これらはノモンハンでの悲劇的敗北から日本陸軍が致命的欠点として学習すべきことであったが、結局参謀たちはノモンハンから何の教訓も引き出さなかった。
このときの関東軍参謀服部卓四郎と辻政信はその後参謀本部で太平洋戦争の作戦指揮をとることになり、やがて日本の全戦線を「ノモンハン化」することになる。
村上春樹も『ねじまき鳥クロニクル』のときにノモンハンを取材し、調べるにつれてその作戦のあまりの拙劣に言葉を失ったと記している。
失敗から学習することができず、どのような破局的事態に遭遇しても「想定内である」と言い逃れる癖はどうやら今に至るまで日本人のDNAのうちに書き込まれているようである。
講演のあと、養老先生と新潮社のみなさんと法善寺横町で会食。
美酒美食と養老先生の痛快無比なる毒舌を堪能する。
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