半死半生というより六死四生

2007-07-11 mercredi

ここ数日、日記を更新している暇がない。
ふつうは朝起きて、大学に行く前の時間に走り書きするのであるが、その時間に用事が入ると、書く暇がない。
ほんとうは今日もこんなことをしている暇がないのであるが、あまり長く書かないでいると「病気かしら」と心配する人がいるので、「生きてます」とだけお伝えしておくのである。
備忘のために先週の用事だけ書きとめておく。
土曜日、お稽古のあと岡山へ。ゼミ卒業生の尾川くんの結婚パーティ。どういうわけだかサルサのお稽古をすることになる。オガワ君幸せになるんだよ。
日曜日、バークレーの町山智浩さんが来日中に大阪まで出て来てくれたので、新阪急ホテルで週刊現代のための対談。
ミシマ社の三島くん、毎日新聞の中野さんがオーディエンスで、司会とまとめは大越くんという「身内」のイベントである。
2時間ちょっと話して、さらに河岸を変えてトータル4時間おしゃべりし続け。
町山さんは恐ろしく切れ味のよい知性の持ち主だけれど、「中坊目線」で映画を見始めたときの感動をたいせつにしていて、どのような論件についても、はたしてこれは「ビンボー人目線」「バカ目線」からはどういうふうに見えるのかという吟味を怠らない。
江藤淳のアメリカ経験を論じたときに、「江藤淳も東部のエスタブリッシュメントなんかに仲間入りしようと思わずに、アーカンソーあたりでバーボン飲んで、いっしょに鶏撃ってればよかったんですよ(爆笑)」と言うのを聞いて、町山さんて親鸞みたいな人だな、と思った。
真宗では「還相廻向」という。その義を鈴木大拙はこう書いている。

「元どおり、本具の人間性に還ることである。還ることが大事なのである。仏にならないで、仏になりきらないで、もとの凡夫になることである。(…) それは何かといえば、飢えては喰らい、渇しては飲むことである。疲れたら寝て、起きたら働くことである。それは犬猫の生活とどう違うのかと尋ねられよう。別に違わぬ。が、また大いに違うところ、霄壌の差のあるところがある。」(『東洋的な見方』、93頁)

「霄壌(しょうじょう)の差」というのは聴かぬ言葉だが「天地の差」「千里の逕庭」ということである。
町山さんも飢えては喰らい、渇しては飲み、疲れたら寝て、起きたら働く人である。けれども大拙のいうところの「大人の赤子」である。

帰りに梅田の紀伊国屋で村上龍『すぐそこにある希望』を購入。阪急梅田店でコール・ハーンのタッセル・スリッポンとバーバリーの夏ジャケを購入。半年ぶりに服を買った。
月曜。朝一で下川先生のお稽古。『菊慈童』の仕舞と盤捗楽(「ばんしきがく」と読むのだよ)のお稽古。
走って大学へ。部長会、授業、それから居合の稽古。
受流し、柄当て、袈裟斬まで教える。学生たちは刀を抜くことが楽しそうである。
火曜。朝、三宅先生のところで治療。走って大学へ行く。
めぐみ会(本学の同窓会である)の寝屋川支部長のご訪問。来年の講演の約束をする。
授業が二つ。その間に『第三文明』の取材。「学ぶこと伝えること」というお題で1時間ほどしゃべる。
水曜(「本日」)はこれから大急ぎでレジュメを作って添付ファイルで送り、午後は大谷大学にゆき、大拙忌で宗教についての講演をしなければならないのだが、朝になってもまだ何を話すかが決まらない。
泥縄で鈴木大拙の『東洋的な見方』や吉本隆明の『最後の親鸞』などを引っぱり出してゆうべから読んでいるのだが、酒が入って頭がぼおっとしているので何だかよくわからない。
こういうような綱渡り的な仕事のしかたをしていると、どんどん仕事のクオリティが下がってきてしまうことは火を見るより明らかである。
だから、できるだけ仕事を減らして、ひとつひとつにリソースを集中すべきだという理屈はわかっているのだが、「やです」とにべもなく仕事を断るというのはけっこうむずかしいことなのである。
だから、5件に1つくらいはふと弱気になって引き受けてしまい、そのあと後悔に胸をかきむしることになる。
来週なかばまでに原稿の締め切りが5つ(もちろんまだ何も書いてない)。
土日月と三連休のはずだが、土曜日は朝カルで真栄平先生との対談があるので、それまでに歴史の勉強をしなければならない。月曜は夕方から養老先生との打ち上げ宴会があるから、一日半で一気書きするしかない。
この日記を読んでいる編集者の方々はお願いですから私にこれから仕事を持ち込むのは止めてくださいね。
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