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2016年09月 アーカイブ

2016.09.10

生前退位について

天皇の生前退位についてある媒体から寄稿を求められた。もう発売日をだいぶ過ぎたので公開。

参院選挙で改憲勢力が3分の2の議席を獲得し、改憲の動きが出てきたタイミングで、天皇の「生前退位」の意向が示されました。時期的に見て、それなりの政治的配慮があったはずです。8日に放映された「お言葉」をよく読み返すと、さらにその感が深まります。
海外メディアは今回の「お言葉」について、「安倍首相に改憲を思いとどまるようにとのシグナルを送った」という解釈を報じています。私もそれが「お言葉」についての常識的な解釈だと思います。
天皇はこれまでも節目節目でつねに「憲法擁護」を語ってこられました。戦争被害を受けた内外の人々に対する反省と慰藉の言葉を繰り返し語り、鎮魂のための旅を続けてこられた。
現在の日本の公人で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」という99条に定めた憲法尊重擁護義務を天皇ほど遵守されている人はいないと思います。国会議員たちは公然と憲法を批判し、地方自治体では「護憲」集会に対して「政治的に偏向している」という理由で会場の貸し出しや後援を拒むところが続出しています。
安倍首相の改憲路線に対する最後のハードルの一つが、護憲の思いを語ることで迂回的な表現ながら「改憲には反対」というメッセージを発し続けてきた天皇です。
自民党改憲草案第1条では、天皇は「象徴」でなく「日本国の元首」とされています。現行憲法の第7条では、天皇の国事行為には「内閣の助言と承認」が必要とされているのに対し、改憲草案では、単に「内閣の進言」とされている。これは内閣の承認がなくても、国会の解散や召集を含む国事行為を行うことができるという解釈の余地を残すための文言修正です。
なぜ、改憲派は天皇への権限集中を狙うのか。それは戦前の「天皇親政」システムの「うまみ」を知っているからです。まず天皇を雲上に祭り上げ、「御簾の内」に追い込み、国民との接点をなくし、個人的な発言や行動も禁じる。そして、「上奏」を許された少数の人間だけが天皇の威を借りて、「畏れ多くも畏き辺りにおかせられましては」という呪文を唱えて、超憲法的な権威を揮う。そういう仕組みを彼らは作ろうとしている。
彼らにとって、天皇はあくまで「神輿」に過ぎません。「生前退位」に自民党や右派イデオローグがむきになって反対しているのは、記号としての「終身国家元首」を最大限利用しようとする彼らの計画にとっては、天皇が個人的意見を持つことも、傷つき病む身体を持っていることも、ともに許しがたいことだからです。
「お言葉」の中で、天皇はその「象徴的行為として大切なもの」として、「人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添う」ために「日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅」を果すことを挙げました。それが天皇の本務であるにもかかわらず、健康上の理由で困難になっている。そのことが「生前退位」の理由として示されました。
象徴としての務めは「全身全霊をもって」果さねばならないという天皇の宣言は、改憲草案のめざす「終身国家元首」という記号的存在であることを正面から否定したものだと私は理解します。
「お言葉」の中で、天皇は「象徴」という言葉を8回繰り返しました。特に重要なのは「象徴的行為」という表現があったことです。それは具体的には「皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅」を指しています。けれども、よく考えると「象徴」と「行為」というのは論理的にはうまく結びつく言葉ではありません。「象徴」というのはただそこにいるだけで100%機能するから「象徴」と言われるのであって、それを裏づける「行為」などは要求されません。でも、天皇は「象徴的行為を十全に果しうるものが天皇であるべきだ」という新しい考え方を提示しました。これは「御簾の内」に天皇を幽閉して、その威光だけを政治利用しようとする人々に対する天皇から「否」の意思表示だったと私は思います。
2014年に、開催された政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、天皇と皇后が退席されようとした際に、安倍首相をはじめとする国会議員たちが突然、予定になかった「天皇陛下万歳!」を三唱し、両陛下が一瞬怪訝な表情を浮かべたことがありました。それはこの「万歳」が両陛下に対する素直な敬愛の気持ちから出たものではなく、「天皇陛下万歳」の呪文を功利的に利用しようという「計算ずく」のものであることが感じ取られたからでしょう。
今回も、自然発生的な敬意があれば、天皇の「お言葉」に対して内閣が木で鼻を括ったようなコメントで済ませるられるはずがない。天皇の本意のあるところをぜひ親しくお聞きしたいと言うはずです。でも、「天皇陛下万歳」は大声で叫ぶが、天皇の個人的な意見には一片の関心もない。
安倍首相のみならず、日本の歴史で天皇を政治利用しようとした勢力のふるまい方はつねに同じです。天皇を担いで、自分の敵勢力を「朝敵」と名指して倒してきた。倒幕運動のとき、天皇は「玉」と呼ばれていました。2・26事件の青年将校は天皇の軍を許可なく動かし、天皇が任命した重臣たちを殺害することに何のためらいも感じませんでした。8月15日の降伏に反対して「宮城事件」を起こし、「國體」護持のためには「ご聖断」に耳を傾ける必要はないと言い放った陸軍参謀たちに至るまで、そのマインドは変わっていません。
国家元首たる天皇に権限を集中させると同時に国民から隔離して、事実上無力化すること。それが改憲のねらいです。昨年の安全保障関連法の成立で示されたように、あるいは改憲草案の「非常事態条項」に見られるように、安倍政権は立憲主義を否定する立場にあります。内閣総理大臣を憲法に制約されない立場に置き、内閣が法律を起案し、かつ執行する独裁政体を作ること。これは端的に「法治国家」から、中国や北朝鮮のような「人治国家」への政体変換を意味しています。  
しかし、政体の変換がそこまで進むと、「同盟国」米国から反発が予測されます。米国は中国や北朝鮮というアジアのリスクファクターの制御のために日本と連携しようとしているわけですが、このまま安倍政権の思惑通りに政体改変が進めば、日本は「米国の独立宣言や憲法の価値観を全否定する同盟国」という奇妙な存在になってしまう。「北朝鮮化した日本」はアメリカの東アジアにおける新たなリスクファクターになる可能性がある。それは米国としても回避したい。
 確かに解釈改憲と安全保障関連法成立のせいで、自衛隊は米国にすれば使い勝手のよい「二軍」になりました。だから、自衛隊員が危険な任務において米兵を代替してくれることは大歓迎でしょう。しかし、米国にとって日本はかつての敵国です。「同盟国」としてどこまで信頼できるかわからない。「空気」一つで「鬼畜米英」から「対米従属」に一気に変わる国民性ですから、当てにはできない。ですから、米国内に「安保法制で取るべきものは取ったから、首相はもう少し米国の価値観に近い人間に替えてもらいたい」という考え方が出て来ても不思議はありません。改憲日程が具体化すると、「改憲は止めて欲しい」というメッセージがかなりはっきりと示されるでしょう。いずれにせよ、全面改憲の最後のハードルになるのは野党ではなく、天皇とホワイトハウスでしょう。日本が民主主義の主権国家ではなく、君主制を持つ米国の属国であるという現実が、そのとき露呈されるわけです。

50代男性のための雑誌に書いた結婚論

『困難な結婚』についてインタビューがあった。50代男性のための媒体で、「そういう人たちにアドバイスを」というリクエストだったので、「発想を切り替えないとこの先は生き延びられませんよ」ということを書いた。ちょっと口ぶりがきつ過ぎたかも知れないけれど、インタビューに来た編集者たち(全員女性)は深く頷いていた。
雑誌に書いたものをすこし添削したものをここに掲載しておく。


そもそも結婚は、幸せになるためにしているのではありません。夫婦という最小の社会組織を通じた「リスクヘッジ」であり、安全保障の仕組みなのです。病気になったり失業したり、思いがけない事態になったときに、1人では一気に生活の危機に追い詰められますが、2人なら何とか生き延びられる。お互いがサポートできる。それが結婚の第一の意味です。

かつては、地域社会や血縁集団が確立していて、その中で夫婦という単位が機能していました。普段は不満の多い夫婦でも、夫が親族のややこしい話を丸く収めたり、妻が地域のもめ事で絶妙な差配をしたり、夫婦がチームとして成熟する機会がありました。そうやって、異性愛とは別のレベルに「バディ」としての信頼感が育まれたのです。
今の50代が不幸なのは、地域や血縁システムが崩れ、夫婦単位で行動して、「バディ」の見識や力量を目の当たりにする機会がほとんどなくなってしまったことです。それでも、自営業の夫婦でしたら、「連れ合いがいてくれて助かる」という実感が日々得られるでしょうけれど、勤めに出ていると、配偶者は支援者というよりはむしろしばしば「自己実現の妨害者」として登場してきます。お互いをしみじみ頼りになるパートナーだなと感じることが日常生活のなかではなかなか経験できません。

かつては定年まで働き、満額の退職金をもらうのが当たり前でしたが、今は人件費削減のために、役職定年がどんどん前倒しされています。大手でも大半が55歳で事実上リタイアし、先には昇進もない、責任ある仕事もないというきつい立場に追い込まれています。先行世代のキャリアパスが全く参考にならない雇用環境に投じられている。「不機嫌なおじさん」が激増しているのは、たぶんにそのせいなんでしょう。
でも、それは彼らの属人的な資質ではなく、あくまで制度の問題なんです。この間まで「部長!」とか呼ばれていた人が目下の人間に軽く扱われるようになった男の屈託を配偶者は理解してあげてほしいですね。気の毒な立場なんですから。

夫婦の問題については、愛が足りないとか気配りがないとか、あるべき夫婦に比べてうちは・・・というような「ファンタジー」を語っている余裕はもうありません。今すぐに備えるべきは、75歳以降の老年期の貧困問題です。
おそらく今の50代の相当数は70代にはシビアな貧困問題に直面することになると思います。年金制度は崩壊しているでしょうし、健康保険料も介護保険料もはるか高負担になっているはずです。株を持っていても世界経済の先行きは不透明ですし、銀行に預けても利子はゼロ。人口減少によって、都心を除けば不動産の値崩れは不可避です。
社会の変化の最大のファクターは人口減です。今から15年で人口は1000万人減ると予想されています。鳥取県が年に1つずつ消える勢いでの人口減です。短期間に社会制度が土台から変わってしまう。根本的に変わってしまうんです。それは確かなのに、まだ「成長戦略は」とかいうような世迷い言を口走っている。現役の50代の多くは、「そんなことは知りたくない」とばかりに耳をふさいでしまっています。人口減、それによる市場のシュリンクという平明な統計的事実さえ直視しようとしない。

こう言ってよければ、彼らには不安はあるけれど危機感がない。
右肩上がりの時代に育ち、バブル期に就職し、上に従い、体制に順応することで出世してきたせいで、その成功体験に居着いて、そこから出られない。でも、危機感を持たない人間はリスクヘッジを考えない。そこが問題です。
ヒッチコックの映画『サイコ』に「金で幸福は買えないが、金で不幸は追い払える」というセリフがあります。家庭内で「お金がない」というのは、あれば回避できたトラブルに日常的に悩まされるということです。お金がないことから始まるトラブルの深刻さは家事分担でもめるのとは比較になりません。
ですから、老境の後退戦に備えるのが急務です。一番大事なことは配偶者との相互支援体制を確かなものにすることです。まずは現実認識を共有する。それぞれ職場の雇用状況や業界の今後などについて積極的に情報を開示し、配偶者はそれに耳を傾ける。その上で「何とかせねば」「何ができるか」を考える。お互いの社会的機能を見て、どう分業していくかを考える。
第二に、先行世代を参考にしたキャリアパスからの発想の転換を図ること。例えば、転職ではなく転業の可能性を検討する。都会ではいくら職探しをしても、加齢とともに賃金水準は下がり、それにつれて生活の質も下がらざるを得ない。縮小再生産のスパイラルに入ってしまう。
でも、人手が欲しい地方では、いま自治体がいろいろな移住支援策を実施しています。都会にいても前職とは比較にもならないような待遇の仕事しかないということであれば、いっそ体が動くうちに頭を切り替えて、Iターン、Uターンを選択をするという人はこれから増えてゆくと思います。
超高齢化のせいで、職業上の空白があちこちにできつつある。転業のチャンスは探せばたくさんあります。
生き延びるために一番大切なのは、ネットワークです。都会から帰農した若者たちに聞くと、日々の生活必需品はほとんど物々交換やサービス交換で手に入るそうです。市場経済と直接にはリンクしていないから、不況になろうと株が乱高下しようと、生活の質は急激には変わらない。生活の安定を考えるなら、地域共同体や親族共同体の相互扶助ネットワークをしっかり構築するのはありうる選択肢の一つだと思います。
とにかく性別も年齢も、社会的ポジションも違う人と連携するネットワークを形成すること。メンバーが多様である、ニッチを異にしていること、得意技がそれぞれ違うことは安全保障の基本中の基本です。階層や職業が同質的な人々とだけの集団には危機耐性がありません。
生き延びるために必要なもう1つは、いかに“愉快に、機嫌よく”生き延びるか、です。不機嫌では想像力も知性も働きません。
悲観的にならない、怒らない、恨まない。そういうネガティブな心の動きはすべて判断力を狂わせます。危機的状況下では判断力の正確さが命です。にこにこ機嫌よくしていないと危機は生き延びられません。眉根に皺寄せて、世を呪ったり、人の悪口を言ったりしながら下した決断はすべて間違います。すべて。ほんとにそうなんです。不機嫌なとき、悲しいとき、怒っているときには絶対に重大な決断を下してはいけない。これは先賢のたいせつな教えです。
まずは配偶者との関係を穏やかで健全に保つこと。そのためには、自分が機嫌よくしていることが必須です。「バディ」として選んだその人と、夫婦というチームを成熟させ、安全保障を堅固にする。貧しくても、物心の不如意があっても、とりあえず「何とかなるよ」とにこにこ笑っていられるような、「機嫌のよい夫婦」にしか「夫婦が機嫌よく暮らす未来」は築けないと思います。ご健闘を祈ります。

2016.09.24

司馬遼太郎への手紙

産経新聞に「司馬遼太郎」についてのエッセイを季刊ペースで寄稿している。
今回が3回目。「司馬さんへの手紙」というタイトルが指示されたので、そういうつもりで書いた。

司馬遼太郎さま

はじめまして、内田樹です。ご著書はずいぶんたくさん拝読しましたが、ご生前には拝顔するご縁に恵まれませんでした。でも、こうして泉下の司馬さんあてに手紙を書く機会が与えられましたので、お会いする機会があったら申し上げたかったことをここに書いてみようと思います。
ご自身としてはあるいは不本意かも知れませんが、「司馬史観」という言葉があります。明治維新から日露戦争までの40年、敗戦までの40年、戦後の40年を三つに分割して、第二期、昭和一桁から敗戦までの十数年を「のけて」、前後をつなぐという歴史観です。
「その二〇年をのけて、たとえば、兼好法師や宗祇が生きた時代とこんにちとは、十分に日本史的な連続がある。また芭蕉や荻生徂徠が生きた江戸中期をこんにちとは文化意識の点でつなぐことができる」と司馬さんは書かれています(『この国のかたち』)。
司馬さんの本を読み出した頃は、「異胎の時代」を切除することによって日本歴史の連続性を回復するという司馬さんの戦略は戦後の日本人にとっては耳に心地よい物語として広く受け容れられるかも知れないと思っていました。
しかし、よく考えればわかることですが、この「異胎」「鬼胎」を生み出したのは他ならぬ日本人自身です。異胎を生み出すDNAは過去の日本人にあった以上、今もある。だから、きっかけさえあれば、また甦る。僕はそう思っています。
でも、司馬さんの書き物からは「異胎の時代」がいずれ再生して、統帥権と参謀本部の「あの二〇年」と「日本史的な連続」を遂げるのではないかという恐怖は十分には感じることができませんでした。あの時代のことは静かに封印してしまおう。醜悪で血なまぐさい記憶も時間が経てばいずれ大地に帰るだろう。そういう歴史の浄化力に対する信頼が司馬さんの世代には共通していたようなに思えます。
私の父は司馬さんより一回りほど年長です。満州事変の年に満州に渡り、敗戦のときは北京にいました。戦後に東京で家庭を持ちましたが、大陸で何をしてきたのか、何を見聞したのか、ついに家族に語ることはありませんでした。
僕が小さい頃のことで鮮明に覚えているのは、家で友人と飲んでいる席で父が「でも、負けたよかったじゃないか」とつぶやいたときに座がしんとなったこと。満鉄の財産を旧社員に分配するという話をかつての同僚が知らせたときに「満鉄からは何も受けとりたくない」と断ったこと。72年に日中が国交回復したあと、日中友好協会の会員となって、たくさんの留学生の世話をしたのですが、その理由として「中国人には返し切れないほどの借りがあるから」と言ったこと。そういう断片的、迂回的なしかたでしか父は「あの二〇年」については語りませんでした。それは「戦中派の親を持った子どもたち」に共通の経験ではなかったかと思います。父たちは誰にも言えないし、言いたくないことを見聞きし、自分でも行った。それは誰かの共感を求められるような質のものではなかった。だから、彼らはその記憶を墓の中まで黙って持ち去り、自分と一緒に土に帰すつもりでいたのだと思います。でも、戦中派の父たちのこの集団的な沈黙のせいで、「異胎の時代」にほんとうは何があったのかについて、僕たちはついに当事者の口からは聴く機会を逸してしまいました。
そして、戦中派の人々が鬼籍に入ると同時に、「あの二〇年」は素晴らしい時代だった、日本人は誇るべき事業をアジア各地で成し遂げたのだというようなことを言い出す人が出て来ました。これは司馬さんの予想していなかった事態だと思います。
司馬さんはノモンハンやレイテ島やインパールについて、「異胎の時代」の日本人が何を考え、どうふるまったのかについて、もし物語として書き残しておいてくださったら、あるいは日本の思想状況は今とは違ったものになっていたかもしれない。そんな詮方ないことをふと考えてしまいます。

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