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2016年08月 アーカイブ

2016.08.03

 「邪悪なものの鎮め方」韓国語版序文

邪悪なものの鎮め方 韓国語版序文

韓国のみなさん、こんにちは。内田樹です。
『邪悪なものの鎮め方』、お買い上げありがとうございます。
次々と僕の本が韓国語に翻訳されていること、とてもうれしく思っています。
 2012年前から毎年韓国にお招き頂いて、ソウルはじめ各地を講演旅行をしています。講演を聴きに来てくださった方もこの本の読者の中にはきっとおられると思います(いつもありがとうございます)。でも、どうして僕の講演を聴きたいという人がいるのか、どうして僕の本を次々と訳して出版して下さるのか、正直に言って、今もよくわかりません。だって、そんなの韓国だけなんですから。僕の本は、韓国語訳以外は中国語訳が数冊出ていますけれど、それだけなんです。英語訳もフランス語訳もドイツ語訳もロシア語訳も・・・何もない。ですから、ほんとうは「海外でじゃんじゃん訳されているのだから、私もグローバルな物書きなのだ」と胸を張りたいところですけれど、この「海外」にはとりあえず東アジア圏しか含まれていません。欧米語圏では僕の本の需要はまったくないのです。ゼロです(フランスの雑誌とドイツの雑誌からそれぞれ一度寄稿依頼があり、スイスのラジオからも一度取材がありましたけれど、それが全部)。
不思議ですね。僕も最初の頃は「おお、韓国語版が出たか。なんと、中国語訳も。ならば、遠からず英語訳なども出るのだろう(ふふふ)」というような楽観的展望を抱いていたのですけれど、まったくそのようにはなりませんでした。
どうしてなんでしょう。
それはやはり僕が「東アジア・ローカルな問題」を扱っているということなんだろうと思います。
僕自身はもちろん現代日本社会の問題を専一的に論じていたつもりですけれど、韓国の読者はそこに現代韓国社会に通じるものを感じてくれた。中国の読者も(多少は)現代中国社会に通じるものを感じてくれた。
でも、それ以外の国々には、僕の本を読んで、「この人の書いたものをぜひ同国人に読んで欲しい」と思った人がいなかった。「だって、ここに書いてあるような問題は自分の国には見当たらないから・・・」と、そう考えたのだと思います。東アジアにおいてだけ、「ここに書いてあるような問題は私たちの国にもある」と実感してくれる人がいた。韓国が世界で最初に、そういう人たちが僕の本を「発見」して、翻訳してくれた。そのことに改めて感謝したいと思います。

僕の書くものには、学術的な国際共通性があるわけでもないし、日韓関係にとって政治的・外交的に意味のあるものでもありません、もちろん文学的価値があるわけでもない。学術的に意味があれば学者たちが取り上げるでしょうし、政治的に意味があれば政治部の記者たちが取り上げるでしょうし、文学的価値があれば文学者が放っておかないでしょう。でも、そうではなくて、僕の書いたものを最初に取り上げて韓国の読者に紹介してくれたのは「ふつうの人たち」でした。市民たちが、彼らの日常の生活感覚に基づいて「これ、面白い。こういうことを言う人は韓国にはあまりいないなあ」と思って翻訳出版の労をとってくれた。そのことが僕にはとてもうれしいです。

繰り返し書いている通り、21世紀の東アジアの秩序は日韓両国の友好と連携を土台にして成立するはずだと僕は信じています。でも、その日韓新秩序が実現するためには、政府間交渉や、両国の企業連携とか、そういう実利的なレベルの結びつき以外に、市民同士の「隣国の人の気持ちが私にもよくわかる」という人間的な親しみが絶対に必要です。
僕の本は学術的有用性においても、政治的知見においても、文学的価値においても、見るべきものを含んでいません。けれども、「現代のふつうの日本人が、どんなふうに思考し、どんなふうに感じ、どんなふうに行動しているか」についての観察と分析はかなり豊かです。現代日本のさまざまな「病」を扱っている僕の分析が、現代韓国の抱えている類似の「病」に対する処方を講ずるための一助になるのでしたら、「お役に立ててうれしいです」と申し上げたいと思いますし、そしてもし、僕の本が韓国の読者たちの、日本人に対する人間的親しみを増すための足がかりになるのでしたら、日韓の未来のために、これほどうれしいことはありません。

最後に、この本の翻訳出版のためにご尽力くださったすべての韓国市民の方々に感謝と連帯の挨拶を送ります。いつもありがとうございます。


「細雪」文庫版解説

『細雪』文庫版解説

音楽雑誌ではときどき「無人島レコード」というアンケート企画を行う。「無人島に一枚だけレコードを持っていってよいと言われたら何を選ぶか」という究極の選択である(私も一度このアンケートに回答したことがある)。
無人島レコードの条件は「何百回、何千回繰り返し聴いても飽きず、つねに高い水準の悦楽をもたらすこと」である。難しい条件だ。そのときはずいぶん悩んでアンケートに回答したことを覚えている。しばらくして、アンケート結果が掲載された雑誌が届いたときに、他の回答者はどんな音源を選んだのか気になってぱらぱらと頁をめくった。すると大瀧詠一さん(この人をどういう肩書きで呼んだらいいのか、よくわからない。私にとっては私淑する「師匠」である)が選んだのはレコードではなく『レコード・リサーチ』というカタログであった。それも1962年から66年までの分でいい、と。その理由を大瀧さんはこう述べている。
「その4年間くらいなら、ほぼ完璧だと思うんだよね。全曲思い出せるんだよ。その時期のチャートがあれば、いくらでも再生できるからね。自分で。たぶん、死ぬまで退屈しないと思うんだけどね。次から次へ出てくるヒット・チャートを、アタマの中で鳴らしながら一生暮らす、と。」(『レコード・コレクター増刊 無人島レコード2』、2007年、ミュージックマガジン、2007年、34頁)
虚を衝かれた。そうか。私たちが音楽的快楽を享受するときの資源は、そこにある現実の楽音、物理的な実在としての空気の波動ではなく、「アタマの中」にあるのか。楽音の不在もまた楽音の現前と同じほどリアルに音楽的快楽の資源でありうるのだ。

どうしてこんなことを書き始めたかというと、「無人島に一冊だけ本を持って行ってよいと言われたら、何を携行するか」という究極の問いに、私なら迷わず『細雪』と答えるはずだからである。
ずいぶん以前からそう思っていた。実際に、その「風景」を私はありありと思い描くことができる。熱帯の灼けつくような青空の下、無人島の椰子の木陰の籐の長椅子に私は気だるく身を横たえている。そして、冷えたピニャコラーダを啜りながら(無人島には冷蔵庫があって、食べ物も酒も潤沢なのである)、『細雪』の気に入った箇所をぱらりとめくって、数行だけ読む。
例えば、幸子が花見の旅程を想像する場面。

「で、常例としては、土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、これも毎年缼かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊って、明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の花を見る。」

この数行を読むだけで無人島の私はすでに陶然となっている。
ここに出てくるほとんどの固有名詞について私はそれがどんなものか知らない。瓢亭に入ったこともないし、都踊を見たこともないし、麩屋町がどこにあるかも知らない。けれども、私の無知はこの数行がもたらす愉悦を少しも損なうことがない。それはこの記述そのものが幸子が今年の花見はどういう行程にしたものか胸を膨らませて想像している場面を、谷崎潤一郎が小説の一部として書き起こしている場面だからである。
幸子の前にも、作家谷崎の前にも、そして読者である私の前にも、誰の前にも桜はまだない。誰もまだ瓢亭の料理を口にしてはいない。誰も都踊を見ていない。誰もまだ嵯峨にも嵐山にも平安神宮にもいない。幸子も谷崎も私も、全員が、観桜の旅がもたらす快楽から等しく遠ざけられている
幸子は作品内世界において「あとしばらくすれば満たされるが、今は欠性的なかたちでしか存在しない桜の旅」に欲望を募らせ、作家谷崎は作中人物に作家自身の欲望を語らせることで自分の欲望を亢進させ、それを読む私は幸子と谷崎の自乗された欲望にさらに身を灼かれている。この数行がもたらす悦楽は、幸子の欲望を谷崎が欲望し、それを私が欲望しているという欲望の入れ子構造に由来する。そして、この入れ子構造の一番外側にあり、それゆえ最大の「マトリョーシカ人形」である私において、満たすべき空虚は最大化するのである。

私がこの読書から快楽を得るのは、谷崎の叙する雅致や美味を自分自身の記憶と同定し、「ああ、『あのこと』か」と納得しているからではない。そもそも私にはそのような記憶はない。だが、私の欲望は、それがどのような景観なのか、どのような味わいなのかを、他者の欲望を経由してしか知ることが出来ないがゆえに亢進するのである
私の亡母は、昭和十年代に蘆屋川に隣接する灘のブルジョワ家庭で暮らす女学生だった。だから、『細雪』に出てくる阪神間の風物についてはそのほとんどをありありと想起することができると生前に語っていた。けれども、その知識ゆえに母が、昭和十年代の阪神間についていかなる実体験も持たない私よりも大きな快楽を『細雪』から引き出していたとは思わない。そこに描かれていることについて何の実感の裏づけも持たなくても、「何の実感の裏づけも持っていないこと」を私は埋めることのできぬ欠如として実感することはできるからである。
『細雪』の叙するさまざまな「美しいもの」「愛すべきもの」はどれもがことごとく、指の隙間から絶え間なくこぼれ落ち、一秒ごとに失われてゆく。
この作品世界で流れる時間の中で、姉妹たちは遠ざかり続ける「黄金時代」、蒔岡の家が全盛だった自分たちの少女時代を折りにふれて哀惜する退嬰的な回想のうちに物語の冒頭から最後までつねに半身を浸らせている。そして、物語が進むにつれて、すなわち「黄金時代」が遠ざかるにつれて、全員がゆっくり若さを失い、健康を失い、生活の平安を失う。
そればかりか、私たち読者は、この物語の数年後に大阪や神戸がどのような徹底的な破壊を経験したのかを歴史的事実として知っている。
蒔岡家の姉妹も、その家族たちも、昭和二十年の夏までには、『細雪』の物語世界の中でかろうじて所有していたもののほとんどすべてを失ったはずである。

谷崎が『細雪』の稿を起こしたのは昭和17年(1942年)、太平洋戦争勃発の翌年である。翌18年の『中央公論』の新年号に第一回が掲載されたとき、すでに帝国海軍はミッドウェー海戦で艦隊主力と大量の航空機を失い、組織的な反撃が不可能な状態になっていた。もう負けるしかないのだが、どう負けるのか誰もその下絵を描くことができない。そういう先の見えない時代の暗鬱な大気圧の下で、谷崎は自分が愛してきたものはどれももう二度と戻らないと直感して、その「失われてしまった悦楽的経験のリスト」を網羅的に記述するという作業に没頭した。
いかなる政治的主張も含まないこの小説は、それにもかかわらず、陸軍省報道部の忌諱に触れて発禁処分を受け、私家版の頒布さえ禁じられた。
おそらく検閲官は『細雪』の全篇の行間から流れ出る「日本における『よきもの』はことごとく不可逆的な滅びのプロセスのうちにある。だから私たちの最優先の仕事はそれを哀惜することである」という谷崎の揺るぎない作家的確信に、一種の恐怖を感じたのだろうと思う。この耽美的な書物のうちに黒々とした「日本の未来に対する絶望」を感知した検閲官の「文学的感受性」に対して私は敬意を示してもよいと思う。
谷崎の「日本の未来への絶望」はどの頁のどの行間からも滲出してくる。
例えば、上京した幸子が鶴子を大黒屋という大川端の鰻屋に誘う場面。

「『たしか前には、こんな川附きの座敷はなかったような気イするけど、場所はここに違いないわ。-』
幸子もそう云って障子の外に眼を遣った。昔父と来た自分には、この河岸通しは片側町になっていたのに、今では川沿いの方にも家が建ち、大黒屋は道路を中に挟んで、向こう側の母屋から、川附きの座敷の方へ料理を運ぶようになっているらしかったが、昔よりも今のこの座敷の眺めの方が、一層大阪の感じに近い。というのは、座敷は川が鍵の手に曲がっている石崖の上に建っていて、その鍵の手の角のところへ、別にまた二筋の川が十の字を描くように集って来ているのが、障子の内にすわっていると、四つ橋辺の牡蠣船から見る景色を思い出させるのである。」

幸子はその大川端の景色を見ながら「江戸時代からあるらしいこのあたりの下町も、震災前には大阪の長堀辺に似た、古い町に共通な落ち着きがあったものだけれども」と失われた風景を回想する。
ここでも複数の水準で欲望は亢進している。鶴子と幸子は、東京にいながら、今はもう往時の面影をとどめない、姉妹の少女期の原風景、四つ橋辺りの長堀川のようすを回想している。それは蒔岡の父が全盛だったころ子どもたちに贅沢の限りを尽くさせた「失われた黄金時代」の記憶に結びついている。そして、目の前の大川端の風景は、そうやって二度と戻ってこない大正期の大阪の豪奢な生活を姉妹に思い出させると同時に、二度と戻ってこない「江戸時代から」保ってきた「古い町に共通な落ち着き」をも哀惜させる。
大黒屋から見える風景は、それ自体のたたえる趣によって幸子の心に触れるのではなく、その風景が空間的にも時間的にも、そこにないものを前景化させるがゆえに感動的なのである。
このとき幸子の「江戸への郷愁」は、日本橋に生まれ、大川端の風景に囲まれて育ち、震災の後、「新開地」になってしまった東京を捨てて関西に移住した谷崎自身の「江戸への郷愁」を上書きしている。
私自身は震災前の大川端の江戸時代の名残も知らないし、大正時代の長堀川の景色も知らない。けれども、それを失ってしまったという取り返しのつかない欠落感については、幸子とも谷崎とも、私はそれを共有することができる。「懐かしいもの」を所有していたときの充足感は彼らとは共有できないが、「懐かしいもの」が失われて、もう二度と戻ってこないという深い欠落感なら、私も彼らと共有することができる。

『細雪』は喪失と哀惜の物語である。指の間から美しいものすべてがこぼれてゆくときの、指の感覚を精緻に記述した物語である。だからこそ『細雪』には世界性を獲得するチャンスがあった。私はそう思っている。
例えば、次のような非情緒的な数行を読んだときに私の動悸は少し速くなった。それは日本の音楽についても舞踊についても何も知らない異国の読者にも起きる可能性のある現象だと思う。

「幸子は本家の遣り方に楯を突くようで悪いけれども、何か今度の法事には充たされないものを感じていたので、一つにはそれを満足さすため、一つには久々で迎える姉を慰労するためにもと、善慶寺の集りのあとで、自分たち姉妹だけでささやかな催しをすることを思い付いた。で、法事の翌々日、二十六日の昼に、亡き父母にゆかりのある播半の座敷を選び、貞之助にも遠慮して貰って、姉と自分たち三姉妹のほかには富永の叔母とその娘の染子だけを招くことにした。そして餘興には、菊岡検校と娘の徳子に来て貰い、徳子の地、妙子の舞で『袖香炉』、検校の三味線、幸子の琴で『残月』を出すことにして、急に半月ばかり前から、幸子は家で琴の練習を、妙子は大阪の作いね師匠の所へ通って舞の練習を続けていた。」

どこで動悸が速くなったのかと問い詰められても、すぐにはかばかしい答えは思い付かない。くどいようだが、私は日本舞踊のことも邦楽のことも何も知らない。播半がどういう格式の料亭なのかも知らない。ただ、遠路東京から大阪に法事のために来た姉をいたわるために、二人の妹が舞と琴を披露するささやかな内輪の集まりのためにそれなりに真剣に芸の稽古に打ち込むという審美的生活の純度の高さに素直に感動するのである。
このような美的生活が許された時代がかつてあった。今はもうない。
私の母方の曾祖父は大正時代に生きた人だが、母によれば、生涯一度も労働ということをしたことがなかったそうである。父祖から受け継いだ財産を、詩文を草し、書画を嗜む美的生活のために使い切って亡くなった。昭和十年代にはかろうじてそのような美的生活の名残りが日本のところどころに残っていた。それがいずれ(近いうちに)根絶されるだろうということを谷崎は見通していた。この数行を谷崎はほとんど墓碑銘を刻むようなつもりで書いたのだろうと私は思う。

谷崎潤一郎は夏目漱石、村上春樹と並んで外国語訳の多い作家である。『細雪』や『陰翳礼賛』を耽読する外国人読者が数多く存在するということを私は不思議なことだとは思わない。
「存在するもの」は、それを所有している人と所有していない人をはっきりと差別化する。だが、「存在しないもの」は「かつてそれを所有していたが、失った」という人と、「ついに所有することができなかった」という人を喪失感においては差別しない。谷崎潤一郎の世界性はそこにあるのだと私は思う。

2016.08.05

ルモンドの記事から

日本政府、ナショナリストを防衛相に任命
『ルモンド』8月3日
Philippe Mesmer (東京特派員)

日本の首相安倍晋三は側近を彼の政府に登用したが、とりわけナショナリスト的立場で知られる女性を防衛相に任命することによって彼の権力掌握を一層強化しようとしている。
新内閣は8月3日水曜日に明らかにされたが、彼のスポークスマンである菅義偉、副総理兼財務相の麻生太郎、外相岸田文雄は留任した。
「アベノミクス(安倍の経済政策)を一層加速する」ための布陣と首相によって公式に紹介されている新内閣は参院選における自民党の大勝の三週間後に任命された。参院選によって自民党とその同盟者たちは両院で3分の2を制し、これによって安倍氏が憲法改定という彼の年来の野心を実現する可能が高まっている。
彼は防衛相に稲田朋美を任命した。このポジションを女性が占めるのは2007年第一次安倍政権の小池百合子以来である。稲田氏にはこの分野での経験がないが、自衛隊の海外派遣についての新しい枠組みを定めた2015年採択の安全保障関連法を運用するというデリケートな仕事を委ねられることになる。経験不足にもかかわらず稲田氏が登用されたのは、彼女が首相の側近であり、「お気に入り」だからである。安倍氏は彼女を後継者候補とみなしているようであるが、それは二人のイデオロギー的な近接性による。彼は稲田氏を自民党の政調会長に2014年に任命した。通常経験豊かな議員が任ぜられるこのポストに、稲田氏は2012年から14年まで行政改革担当相を勤めたあとに就いた。
「安倍氏は彼の権力を継続したいと願っている」と上智大学の中野晃一教授は語る。「彼の念頭にあるのは稲田氏だけです。しかし、彼女にはこのポストのための準備がまだない。」
2005年に福井県から初当選したこの57歳の弁護士は安倍氏に近いそのナショナリスト的立場によって知られている。政界に入る前、彼女は1945年の沖縄戦の間の日本兵士のふるまいについての作家大江健三郎の著書によって名誉を毀損されたと感じた日本軍将校たちの弁護活動をしていた。
議員になってからは歴史修正主義の立場を繰り返し表明し、1937年の日本軍による南京大虐殺や、『慰安婦』の存在を否定している。2015年、終戦70年に際しては、謝罪しないと繰り返しアピールした。
ウルトラナショナリストの組織である日本会議のメンバーであり、日本のアジアでの行動を「侵略」とすることを否定しており、戦争犯罪人を含む戦死者を祀っているために当否について議論の多い靖国参拝を擁護している。稲田氏はまた憲法改定についても意欲的である。こういった言動は中国、韓国との外交関係を必ずや紛糾させるであろう。
内閣改造に際して、首相は議席を失った二閣僚(岩城光英法相・島尻安伊子沖縄担当相)を更迭した。残留を要請された石破茂は閣外に去った。彼は安倍氏の後継者に立つ野心を持っている。
首相は自民党内の彼の党派であり、党内最強派閥である清和会から複数のメンバーを入閣させた。とりわけ世耕弘成を林幹雄に代って経産相に登用した。
彼の権力基盤を強固なものとするために、首相は自民党に対する支配力をも強化している。清和会の細田博之を総務会長に、党重鎮でアベノミクスの支援者で、中国とのパイプを持つ二階俊博を、7月に自転車事故に遭った谷垣禎一に代えて幹事長に任命した。二階氏は自民党内に彼自身の派閥を擁している。彼は久しく安倍氏の潜在的なライバルと見なされてきたが、数ヶ月前から安倍氏は手立てを尽くして二階氏を懐柔してきた。二階氏が安倍氏の総裁任期の延長に賛意を表したのはその成果である。安倍氏の自民党総裁任期は2018年9月に終わるが、安倍氏はその地位を維持したがっている。さしあたり2020年の東京五輪までは政権にとどまり、戦後最長の政権保持記録を更新しようと願っている。この記録の保持者は彼の大叔父である佐藤栄作の1964年から72年までというものである。
しかし、彼が側近と自分の派閥メンバーを政府内党内の要職に据えたのは2006年の彼の最初の内閣のときのことを思い出させる。当時、内閣の機能は自分たちの職責を果たせなかった人々の不手際によって停滞したのであった。

2016.08.26

山本七平『日本人と中国人』の没解説

山本七平の『日本人と中国人』の文庫化に解説を書いてほしいと頼まれて書いたのだが、この本の著者はイザヤ・ベンダサンという架空の人物であることになっており、著作権継承者が「イザヤ・ベンダサンは山本七平の筆名」だということを認めていないので、誰が書いたのか曖昧にしたまま解説を書いてくれと原稿を送ったあとに言われたので、「そんな器用なことはできません」と言って没にしてもらった。
せっかく書いたので、ここに掲載して諸賢のご高評を請う。


「日本人と中国人」はかつて洛陽の紙価を高めた山本七平の『日本人とユダヤ人』を踏まえたタイトルであり、その造りも似ている。いずれも「日本人論」であって、タイトルから想像されるような比較文化論ではない。中国人もユダヤ人も、日本人の特性を際立たせるために採り上げられているだけで、主題的には論じられているわけではない(『日本人とユダヤ人』では、著者イザヤ・ベンダサンが「米国籍のユダヤ人」であるという虚構の設定に説得力を持たせるために、ユダヤ・トリヴィアがところどころに書き込まれていた。だから、「日猶文化比較論」として読むこともまったく不可能ではなかったが、本書は「日中比較論」として読むことはできないし、著者にもその意図はなかったと思う)。
読めば分かるとおり、中国のことはメディアから知れる以上のことはほとんど書かれていないし、そもそも著者は中国のことにはあまり関心があるようには思われない。彼が興味を示すのは日本人の思考パターンであり、伝統的に日本人の脳内に結像してきた「中国という幻想」なのである。これについては山本自身の言葉を引く方が話が早い。

「日本人が明確に隣国という意識をもちつづけたのは実は中国だけだと言ってよい。(・・・)日本が中国に対等であろうとするとき、そこに出てくるのは常に中国からの文化的独立という姿勢なのである。といっても、中国の影響力はあまりに決定的なので、中国文化を否定すれば自己を否定することになってしまう。こういう場合、(・・・)中国の隣接諸国への文化的支配の形態をそのまま自国に移入して、これで中国に対抗するという形にならざるを得ないのである。」(113頁)

中国の文化的支配力に対抗するために日本人が発明したのが「天皇制」であるというのが山本の創見である。こういうふうに天皇制を見立てた人が山本の他にあることを私は知らない。ことの当否は措いて、これまでに誰も言ったことがないアイディアを提出する人のリスクを怖れぬ構えに私はつねに深い敬意を抱く。
ご案内の通り、中国は中華思想に基づく華夷秩序のコスモロジーに律されている。宇宙の中心には中華皇帝がいる。そこから同心円的に世界に「王化の光」が拡がる。光は周縁部に行くほどに暗くなり、そのあたりの住民もしだいに未開野蛮なる「化外の民」となる。「文化的に君臨すれども政治的に統治せず」というのが中国の隣国への態度だと山本が書いているが「王化の光」が届くということが「文化的支配」である。それは政治的な実効支配をさしあたり意味しない。「化外の民」たち(もちろん「東夷」たる日本列島住民もそこに含まれる)はいまだ王化の光に浴していないだけであって、機会を得ればいずれ開化されて皇帝に臣従するかも知れないし、開化されないまま禽獣のレベルで終わるかも知れない。どちらに転ぼうと、それは「そちらの事情」であって、中華皇帝の与り知らぬことである。華夷秩序というのは、そういう考え方である。良いも悪いもない。そういうふうに考える人たちが隣国にいて、日本列島住民は久しくその圧倒的な文化的影響下にあった。
本書のオリジナリティはこの「東夷」のポジションが天皇制イデオロギーを生み出したという「発見」に存する。
天皇制はなかなか複雑な構造になっている。中華皇帝の支配を退けて、日本列島の政治的文化的独立を達成するというのがその最終目的である。そのために、国内的に対抗的に「中華皇帝のようなもの」を創り出す。これが天皇制である。ここまでの理路はわかる。わかりにくくなるのはその先である。天皇制とは「中華皇帝に見立てられた天皇」を「雲上に退ける」ことによって中国の支配をも「雲上に退ける」という仕掛けである。いわば藁人形を憎い人間に見立てて、それに釘を打ち付けて呪うという呪術と同質の機制である。

「従って、中国も天皇も、政治から遠いほどよいのであって、天皇は、北京よりもさらに遠い雲上に押し上げられねばならない。
このことは日本の外交文書を調べれば一目瞭然で、国内における天皇の政治的機能を一切認めない人びとが、ひとたび外交文書となれば、やみくもに天皇を前面に押し出し、日本は神国だ神国だと言い出すのである。」(114頁)

だから、日本における天皇制イデオローグたちは天皇その人の政治的信念や人間性には一片の関心も持たない。彼らが服従しているのは「雲上に押し上げられ」て、純粋観念と化したせいで、取り扱いが自由になった「みずからの内なる天皇」であって、現実の天皇ではない。これによって「内なる天皇」を抱え込んだ者は日本社会のみならず、隣国をも含んだ世界秩序の頂点に立つことになる。

「尊皇思想に基づく『内なる天皇』を抱くその者が、あらゆる権威と権力を超えて、その思想で天皇自身をも規定できる絶対者になってしまう。そしてこの権威を拒否する者がいれば、究極的には、それが天皇自身であっても排除できることになるであろう。」(281頁)

だから、二・二六事件の将校たちは天皇の任命した高官を射殺し、天皇の統帥権を侵して無断で兵を動かすこともすべて「天皇への絶対服従」を証す行動だと信じることができた。自分たちの処刑を望んだ天皇を獄中から呪った二・二六事件の磯部浅一や、終戦の「ご聖断」を退けてクーデタを企てた宮城事件の畑中健二少佐らにおいても発想は変わらない。自分たちの心の中に本籍地を持つ「内なる天皇」の方が現実の天皇よりも上位にあるからこそ彼らは「内なる天皇」に嬉々として従ったのである。
ここから日本人の外から見るとまったく理解しがたいさまざまな集団的行動が導かれる。集団的妄想としての「内なる天皇」「内なる中国」と現実としての「外なる天皇」「外なる中国」というまったく別のものが同一名詞で指称されることによる混乱である。
足元に土下座し、とりすがり、泣訴して、自らの誤りを懺悔したかと思うと、一転してその相手を足蹴にし、唾を吐きかける。この態度の急変の「トリガー」になるのは感情であって論理ではない。それまで許しを請い、拝跪し続けていた者が、土下座の屈辱感がある閾値を超えると、いきなり凶悪な相貌に変じて殴りかかってくるようなものである。外から見ていると気が狂ったとしか思えない。
山本はかつて日米開戦のきっかけを作ったのは戦争指導部内の「空気」だったという卓見を語ったことがある。「空気」でものごとが決まるというのは、論理がないということである。本書においても、日本は軍国主義だったかという問いに山本は否と答える。

「戦前の日本に、はたして軍国主義(ミリタリズム)があったのであろうか。少なくとも軍国主義者は軍事力しか信じないから、彼我の軍事力への冷静な判断と緻密な計算があるはずである。」(39頁)

だが、日本の戦争指導部には何の判断も計算もなかった。

「こういう計算は、はじめから全く無いのである。否、南京攻略直後の情勢への見通しすら何一つないのである。否、何のために南京を総攻撃するかという理由すら、だれ一人として、明確に意識していないのである。これが軍国主義(ミリタリズム)といえるであろうか。いえない。それは軍国主義(ミリタリズム)以下だともいいうる何か別のものである。」(40頁)

 ドイツの周旋で日中の停戦合意が成ったあとに、日本軍はそれを守らず、南京を総攻撃した。和平の提案を受諾し、ただちに総攻撃を命令したのである。問題はこれが周到に起案された裏切りではなく、この決定を下した者が、実はどこにもいなかったという「驚くべき事実」の方にある。
日本が受諾した和平の提案を日本が拒絶した。それは政府の停戦決定を国民感情が許さなかったからである。山本はこれを「感情の批准」と呼ぶ。感情という裏付けのない条約や法律は破っても空文化しても構わない。なぜ、それほどまでに国民感情が強大な決定権を持つのか。それは上に述べた通り、日本人においては、敬愛の対象がたやすく憎悪の対象に、嫌悪の対象が一転して崇敬の対象に「転換」することが国民感情の「常態」だからである。ひとたび「排除」に走ったら、ひとたび「拝跪」に走ったら、もう誰も感情を押しとどめることができない。人々は「空気」に流されて、どこまでも暴走する。
それが日本人の病態であることを山本七平は対中国外交史と天皇制イデオロギーの形成を素材にして解明してみせた。
決して体系的な記述ではないし、推敲も十分ではなく、完成度の高い書物とは言いがたいが、随所に驚嘆すべき卓見がちりばめられていることは間違いない。何より、ここに書かれている山本の懸念のほとんどすべてが現代日本において現実化していることを知れば、読者はその炯眼に敬意を表する他ないだろう。

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