山本七平『日本人と中国人』の没解説

2016-08-26 vendredi

山本七平の『日本人と中国人』の文庫化に解説を書いてほしいと頼まれて書いたのだが、この本の著者はイザヤ・ベンダサンという架空の人物であることになっており、著作権継承者が「イザヤ・ベンダサンは山本七平の筆名」だということを認めていないので、誰が書いたのか曖昧にしたまま解説を書いてくれと原稿を送ったあとに言われたので、「そんな器用なことはできません」と言って没にしてもらった。
せっかく書いたので、ここに掲載して諸賢のご高評を請う。


「日本人と中国人」はかつて洛陽の紙価を高めた山本七平の『日本人とユダヤ人』を踏まえたタイトルであり、その造りも似ている。いずれも「日本人論」であって、タイトルから想像されるような比較文化論ではない。中国人もユダヤ人も、日本人の特性を際立たせるために採り上げられているだけで、主題的には論じられているわけではない(『日本人とユダヤ人』では、著者イザヤ・ベンダサンが「米国籍のユダヤ人」であるという虚構の設定に説得力を持たせるために、ユダヤ・トリヴィアがところどころに書き込まれていた。だから、「日猶文化比較論」として読むこともまったく不可能ではなかったが、本書は「日中比較論」として読むことはできないし、著者にもその意図はなかったと思う)。
読めば分かるとおり、中国のことはメディアから知れる以上のことはほとんど書かれていないし、そもそも著者は中国のことにはあまり関心があるようには思われない。彼が興味を示すのは日本人の思考パターンであり、伝統的に日本人の脳内に結像してきた「中国という幻想」なのである。これについては山本自身の言葉を引く方が話が早い。

「日本人が明確に隣国という意識をもちつづけたのは実は中国だけだと言ってよい。(…) 日本が中国に対等であろうとするとき、そこに出てくるのは常に中国からの文化的独立という姿勢なのである。といっても、中国の影響力はあまりに決定的なので、中国文化を否定すれば自己を否定することになってしまう。こういう場合、(…) 中国の隣接諸国への文化的支配の形態をそのまま自国に移入して、これで中国に対抗するという形にならざるを得ないのである。」(113頁)

中国の文化的支配力に対抗するために日本人が発明したのが「天皇制」であるというのが山本の創見である。こういうふうに天皇制を見立てた人が山本の他にあることを私は知らない。ことの当否は措いて、これまでに誰も言ったことがないアイディアを提出する人のリスクを怖れぬ構えに私はつねに深い敬意を抱く。
ご案内の通り、中国は中華思想に基づく華夷秩序のコスモロジーに律されている。宇宙の中心には中華皇帝がいる。そこから同心円的に世界に「王化の光」が拡がる。光は周縁部に行くほどに暗くなり、そのあたりの住民もしだいに未開野蛮なる「化外の民」となる。「文化的に君臨すれども政治的に統治せず」というのが中国の隣国への態度だと山本が書いているが「王化の光」が届くということが「文化的支配」である。それは政治的な実効支配をさしあたり意味しない。「化外の民」たち(もちろん「東夷」たる日本列島住民もそこに含まれる)はいまだ王化の光に浴していないだけであって、機会を得ればいずれ開化されて皇帝に臣従するかも知れないし、開化されないまま禽獣のレベルで終わるかも知れない。どちらに転ぼうと、それは「そちらの事情」であって、中華皇帝の与り知らぬことである。華夷秩序というのは、そういう考え方である。良いも悪いもない。そういうふうに考える人たちが隣国にいて、日本列島住民は久しくその圧倒的な文化的影響下にあった。
本書のオリジナリティはこの「東夷」のポジションが天皇制イデオロギーを生み出したという「発見」に存する。
天皇制はなかなか複雑な構造になっている。中華皇帝の支配を退けて、日本列島の政治的文化的独立を達成するというのがその最終目的である。そのために、国内的に対抗的に「中華皇帝のようなもの」を創り出す。これが天皇制である。ここまでの理路はわかる。わかりにくくなるのはその先である。天皇制とは「中華皇帝に見立てられた天皇」を「雲上に退ける」ことによって中国の支配をも「雲上に退ける」という仕掛けである。いわば藁人形を憎い人間に見立てて、それに釘を打ち付けて呪うという呪術と同質の機制である。

「従って、中国も天皇も、政治から遠いほどよいのであって、天皇は、北京よりもさらに遠い雲上に押し上げられねばならない。
このことは日本の外交文書を調べれば一目瞭然で、国内における天皇の政治的機能を一切認めない人びとが、ひとたび外交文書となれば、やみくもに天皇を前面に押し出し、日本は神国だ神国だと言い出すのである。」(114頁)

だから、日本における天皇制イデオローグたちは天皇その人の政治的信念や人間性には一片の関心も持たない。彼らが服従しているのは「雲上に押し上げられ」て、純粋観念と化したせいで、取り扱いが自由になった「みずからの内なる天皇」であって、現実の天皇ではない。これによって「内なる天皇」を抱え込んだ者は日本社会のみならず、隣国をも含んだ世界秩序の頂点に立つことになる。

「尊皇思想に基づく『内なる天皇』を抱くその者が、あらゆる権威と権力を超えて、その思想で天皇自身をも規定できる絶対者になってしまう。そしてこの権威を拒否する者がいれば、究極的には、それが天皇自身であっても排除できることになるであろう。」(281頁)

だから、二・二六事件の将校たちは天皇の任命した高官を射殺し、天皇の統帥権を侵して無断で兵を動かすこともすべて「天皇への絶対服従」を証す行動だと信じることができた。自分たちの処刑を望んだ天皇を獄中から呪った二・二六事件の磯部浅一や、終戦の「ご聖断」を退けてクーデタを企てた宮城事件の畑中健二少佐らにおいても発想は変わらない。自分たちの心の中に本籍地を持つ「内なる天皇」の方が現実の天皇よりも上位にあるからこそ彼らは「内なる天皇」に嬉々として従ったのである。
ここから日本人の外から見るとまったく理解しがたいさまざまな集団的行動が導かれる。集団的妄想としての「内なる天皇」「内なる中国」と現実としての「外なる天皇」「外なる中国」というまったく別のものが同一名詞で指称されることによる混乱である。
足元に土下座し、とりすがり、泣訴して、自らの誤りを懺悔したかと思うと、一転してその相手を足蹴にし、唾を吐きかける。この態度の急変の「トリガー」になるのは感情であって論理ではない。それまで許しを請い、拝跪し続けていた者が、土下座の屈辱感がある閾値を超えると、いきなり凶悪な相貌に変じて殴りかかってくるようなものである。外から見ていると気が狂ったとしか思えない。
山本はかつて日米開戦のきっかけを作ったのは戦争指導部内の「空気」だったという卓見を語ったことがある。「空気」でものごとが決まるというのは、論理がないということである。本書においても、日本は軍国主義だったかという問いに山本は否と答える。

「戦前の日本に、はたして軍国主義(ミリタリズム)があったのであろうか。少なくとも軍国主義者は軍事力しか信じないから、彼我の軍事力への冷静な判断と緻密な計算があるはずである。」(39頁)

だが、日本の戦争指導部には何の判断も計算もなかった。

「こういう計算は、はじめから全く無いのである。否、南京攻略直後の情勢への見通しすら何一つないのである。否、何のために南京を総攻撃するかという理由すら、だれ一人として、明確に意識していないのである。これが軍国主義(ミリタリズム)といえるであろうか。いえない。それは軍国主義(ミリタリズム)以下だともいいうる何か別のものである。」(40頁)

 ドイツの周旋で日中の停戦合意が成ったあとに、日本軍はそれを守らず、南京を総攻撃した。和平の提案を受諾し、ただちに総攻撃を命令したのである。問題はこれが周到に起案された裏切りではなく、この決定を下した者が、実はどこにもいなかったという「驚くべき事実」の方にある。
日本が受諾した和平の提案を日本が拒絶した。それは政府の停戦決定を国民感情が許さなかったからである。山本はこれを「感情の批准」と呼ぶ。感情という裏付けのない条約や法律は破っても空文化しても構わない。なぜ、それほどまでに国民感情が強大な決定権を持つのか。それは上に述べた通り、日本人においては、敬愛の対象がたやすく憎悪の対象に、嫌悪の対象が一転して崇敬の対象に「転換」することが国民感情の「常態」だからである。ひとたび「排除」に走ったら、ひとたび「拝跪」に走ったら、もう誰も感情を押しとどめることができない。人々は「空気」に流されて、どこまでも暴走する。
それが日本人の病態であることを山本七平は対中国外交史と天皇制イデオロギーの形成を素材にして解明してみせた。
決して体系的な記述ではないし、推敲も十分ではなく、完成度の高い書物とは言いがたいが、随所に驚嘆すべき卓見がちりばめられていることは間違いない。何より、ここに書かれている山本の懸念のほとんどすべてが現代日本において現実化していることを知れば、読者はその炯眼に敬意を表する他ないだろう。