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2012年02月 アーカイブ

2012.02.04

日本のメディアの病について

フランスの雑誌 Zoom Japon から「日本のメディアについて」寄稿を求められた。
フランス人に日本のメディアの劣化の病態とその由来について説明する仕事である。
どんなふうに語ったらよいのか考えた。
とりあえず人間の成熟とメディアの成熟は相同的であるということで説明を試みた。
こんなふうな言葉づかいで日本のメディアについて語る人はあまりいないが、それは「外国人に説明する」という要請を私たちがものを書くときにほとんど配慮することがないからである。
いつもそうである必要はないが、ほんとうに死活的に重要な論件については、自分の書いたことが外国語に訳されて、異国の人々に読まれたときにもリーダブルであるかどうかを自己点検することが必要だと私は思う。
ではどぞ。

2011年3月11日の東日本大震災と、それに続いた東電の福島第一原発事故は私たちの国の中枢的な社会システムが想像以上に劣化していることを国民の前にあきらかにした。日本のシステムが決して世界一流のものではないことを人々は知らないわけではなかったが、まさかこれほどまでに劣悪なものだとは思っていなかった。そのことに国民は驚き、それから後、長く深い抑鬱状態のうちに落ち込んでいる。
政府の危機管理体制がほとんど機能していなかったこと、原子力工学の専門家たちが「根拠なき楽観主義」に安住して、自然災害のもたらすリスクを過小評価していたことが災害の拡大をもたらした。それと同時に、私たちはメディアがそれに負託された機能を十分に果たしてこなかったし、いまも果たしていないことを知らされた。それが私たちの気鬱のあるいは最大の理由であるかも知れない。
メディアは官邸や東電やいわゆる「原子力ムラ」の過失をきびしく咎め立てているが、メディア自身の瑕疵については何も語らないでいる。だから、私たちは政治家や官僚やビジネスマンの機能不全についてはいくらでも語れるのに、メディアについて語ろうとすると言葉に詰まる。というのは、ある社会事象を語るための基礎的な語彙や、価値判断の枠組みそのものを提供するのがメディアだからである。メディアの劣化について語る語彙や価値判断基準をメディア自身は提供しない。「メディアの劣化について語る語彙や価値判断基準を提供することができない」という不能が現在のメディアの劣化の本質なのだと私は思う。
メディアはいわば私たちの社会の「自己意識」であり、「私小説」である。
そこで語られる言葉が深く、厚みがあり、手触りが複雑で、響きのよいものならば、また、できごとの意味や価値を考量するときの判断基準がひろびろとして風通しがよく、多様な解釈に開かれたものであるならば、私たちの知性は賦活され、感情は豊かになるだろう。だが、いまマスメディアから、ネットメディアに至るまで、メディアの繰り出す語彙は貧しく、提示される分析は単純で浅く、支配的な感情は「敵」に対する怒りと痙攣的な笑いと定型的な哀しみの三種類(あるいはその混淆態)に限定されている。
メディアが社会そのものの「自己意識」や「私小説」であるなら、それが単純なものであってよいはずがない。「私は・・・な人間である。世界は・・・のように成り立ってる(以上、終わり)」というような単純で一意的な理解の上に生身の人間は生きられない。そのような単純なスキームを現実にあてはめた人は、死活的に重要な情報-想定外で、ラディカルな社会構造の変化についての情報-をシステマティックに見落とすことになるからだ。
生き延びるためには複雑な生体でなければならない。変化に応じられるためには、生物そのものが「ゆらぎ」を含んだかたちで構造化されていなければならない。ひとつのかたちに固まらず、たえず「ゆらいでいること」、それが生物の本態である。私たちのうちには、気高さと卑しさ、寛容と狭量、熟慮と軽率が絡み合い、入り交じっている。私たちはそのような複雑な構造物としてのおのれを受け容れ、それらの要素を折り合わせ、共生をはかろうと努めている。そのようにして、たくみに「ゆらいでいる」人のことを私たちは伝統的に「成熟した大人」とみなしてきた。社会制度もその点では生物と変わらない。変化に応じられるためには複雑な構成を保っていなければならない。
メディアの成熟度にも私は人間と同じ基準をあてはめて考えている。その基準に照らすならば、日本のメディアの成熟度は低い。
全国紙は「立派なこと」「政治的に正しいこと」「誰からも文句をつけられそうもないこと」だけを選択的に報道し、テレビと週刊誌は「どうでもいいこと」「言わない方がいいこと」「人を怒らせること」だけを選択的に報道している。メディアの仕事が「分業」されているのだ。それがメディアの劣化を招いているのだが、そのことにメディアの送り手たちは気づいていない。
ジキル博士とハイド氏の没落の理由は、知性と獣性、欲望抑制と解放をひとりの人間のうちに同居させるという困難な人間的課題を忌避して、知性と獣性に人格分裂することで内的葛藤を解決しようとしたことにある。彼が罰を受けるのは、両立しがたいものを両立させようという人間的義務を拒んだからである。だが、その困難な義務を引き受けることによってしか人間は人間的になることはできない。面倒な仕事だ。だが、その面倒な仕事を忌避したものは「人格解離」という病態に誘い込まれる。私たちの国のメディアで起きているのは、まさにそれである。メディアが人格解離しているのである。解離したそれぞれの人格は純化し、奇形化し、自然界ではありえないような異様な形状と不必要な機能を備得始めている。

メディアは「ゆらいだ」ものであるために、「デタッチメント」と「コミットメント」を同時的に果たすことを求められる。「デタッチメント」というのは、どれほど心乱れる出来事であっても、そこから一定の距離をとり、冷静で、科学者的なまなざしで、それが何であるのか、なぜ起きたのか、どう対処すればよいのかについて徹底的に知性的に語る構えのことである。「コミットメント」はその逆である。出来事に心乱され、距離感を見失い、他者の苦しみや悲しみや喜びや怒りに共感し、当事者として困惑し、うろたえ、絶望し、すがるように希望を語る構えのことである。この二つの作業を同時的に果たしうる主体だけが、混沌としたこの世界の成り立ちを(多少とでも)明晰な語法で明らかにし、そこでの人間たちのふるまい方について(多少とでも)倫理的な指示を示すことができる。
メディアは「デタッチ」しながら、かつ「コミット」するという複雑な仕事を引き受けることではじめてその社会的機能を果たし得る。だが、現実に日本のメディアで起きているのは、「デタッチメント」と「コミットメント」への分業である。ある媒体はひたすら「デタッチメント」的であり、ある媒体はひたすら「コミットメント的」である。同一媒体の中でもある記事や番組は「デタッチメント」的であり、別の記事や番組は「コミットメント」的である。「デタッチメント」的報道はストレートな事実しか報道しない。その出来事がどういう文脈で起きたことなのか、どういう意味を持つものなのか、私たちはその出来事をどう解釈すべきなのかについて、何の手がかりも提供しない。そこに「主観的願望」が混じり込むことを嫌うのである。
「コミットメント」的報道は逆にその出来事がある具体的な個人にとってどういう意味を持つのかしか語らない。個人の喜怒哀楽の感情や、信念や思い込みを一方的に送り流すだけで、そのような情感や思念が他ならぬこの人において、なぜどのように生じたのかを「非人情」な視点から分析することを自制する。そこに「客観的冷静さ」が混じり込むことを嫌うからである。
「生の出来事」に対して、「デタッチメント」報道は過剰に非関与的にふるまうことで、「コミットメント」報道は過剰に関与的にふるまうことで、いずれも、出来事を適切に観察し、分析し、対処を論ずる道すじを自分で塞いでしまっている。
私たちの国のメディアの病態は人格解離であり、それがメディアの成熟を妨げており、想定外の事態への適切に対応する力を毀損している。いまメディアに必要なものは、あえて抽象的な言葉を借りて言えば「生身」(la chair)なのだと思う。同語反復と知りつつ言うが、メディアが生き返るためには、それがもう一度「生き物」になる他ない。

2012.02.22

バリ島すちゃらか日記

2月17日
久しぶりの休日は、一年ぶりのバリ島バカンス。
ほんとうに休みなく働いている。まさか退職した後にこれほど忙しくなるとは思っていなかった。
4月から「毎日が夏休み」になるかと思っていた。
実際には「毎日が月曜日」という悲惨な暮らしがそれから始まった。
退職したら、半年ほどは完全休養して、旅行にいったり、ふらりと温泉に逗留したり、映画を観たり、レヴィナス論を書き継いだり、カミュの「反抗的人間」の翻訳をしたり、多田先生のイタリアの講習会に行ったりして幸福な人生を過ごす予定だった。
そんなことを夢見て、大学での最後の数年を歯を食い縛って耐えたのである。
でも、夢見たことはひとつも、ひとつも実現しなかった。
結局一年間ひたすらディスプレイに向かって締め切りに追われて原稿を書き、講演をし、取材を受け、対談をし、ゲラを直し、「残念ながら、もう新規の仕事を容れる余裕はありません。貴意に添えず申し訳ありません」とメールに書き、新幹線に乗って東奔西走するうちに終わってしまった。
もちろん、楽しいこともあった。
武道とお能の稽古にはこれまでよりたっぷり時間を取れた。
凱風館が完成して、たくさんのお客さんを家にお迎えした。
新しいわくわくする出会いにも恵まれた。
でも、「退職したら、やろう」と夢見ていたことは一つもできなかった。
もちろん、私のスケジューリングが甘かったということだけではない。
3月11日の震災と原発事故がわが国のシステムの本質的な脆弱性を露わにし、それについて批判的検証を加え、オルタタティブを提示するという緊急な責務が言論にかかわるすべての人間に課せられたのである。
私も禿筆を以って口を糊している以上、この責務から逃れることは許されない。
それに加えて、大阪では「維新の会」というきわめて危険な政治運動が大衆的人気を得て、地方自治体を超えて、国政進出まで窺うという思いがけない流れが出てきた。
平松邦夫前市長に特別顧問として迎えて頂いた身である以上、当事者責任は免れられず、ダブル選挙にも平松陣営の一人としてかかわることになった。
震災と維新の会さえなければ、もっと穏やかな退職生活が過ごせたことは間違いないが、事実を前には、言ってもせん方ないことである。
ともあれ、久しぶりに、ほんとうに久しぶりに、電話もメールも届かない僻遠の地に逃れ出ることができたのである。
6日間ゆっくり骨休めするのがもちろん第一であるが、忙しさにかまけて更新を怠っていたブログに毎日日記を書き、落ち着いて考えることのかなわなかったトピックについてこの機会に再考してみたいと思う。
幸い雨季のバリは、毎日長い時間豪雨が降り、海岸にもプールサイドにもいられない。雨が降り続ける間は(一日続くこともある)部屋で昼寝をするか、持ってきたシャーロック・ホームズを読むか、書き物をするかしか、時間の過ごしようがない。

今は飛行機の中。
9時関空集合で、集まったのは「内田家社員旅行」にご参加の13人プラス赤ちゃんひとり。
リピーターは、私の他には、ジロちゃん、ともちゃん、ジュリー部部長、総務部長、フクダくんの6名。残りは新顔である。「ジュリー部長令嬢」「総務部長令嬢」「赤ちゃん」「ナカノ教授」「教授夫人」「ヒラマツ氏」「ヒラマツ夫人」「アカボシくん」である。
定時に全員集合し、シモヤマくんに案内されて、とりあえず無事出国。
ラウンジでビール、機内でシャンペン、ワイン、ビール、ブランデーをきこしめして、午後2時段階ですでに酩酊状態である。
ただいま東シナ海上空を飛翔中。
昼食後爆睡。入国手続き(機内で済ませちゃうのだ)で一度起こされたが、再び爆睡。次に目が覚めたらもうデンパサール近く。
この飛行機寝心地よいですね。
前に(タムラくんとクロやんと)乗った時はガルーダは機材がボロいという印象があったが(実際に長くヨーロッパ路線に就航が許されなかった)、ずいぶんきれいになったものである。
インドネシアも急速に経済成長を遂げているのである。
あと10分で着陸。

2月18日
バリ島二日目。
今回もいかなるアクティヴィティにも参加せず、ひたすらプールサイドとビーチとベッドで時間を過ごす予定である。
「バカンス」というのはご案内のとおり「空虚」というのが語源である。
だから、「アクティヴィティ満載の空虚」というのはほんらい論理矛盾なのである。
できる限り何もしない。
部屋の中を歩く時も、できるだけゆっくり歩く。ビールもできるだけゆっくり飲む。シャワーを浴びるときもかなうかぎり緩慢に身体を洗う。
「日本一のイラチ男」であるところのウチダにとっては、それこそが「バカンス」なのである。
それくらいのことなら日本にいてもできそうだが、これができない。
だから、それだけのことをするために、わざわざ7時間も飛行機に乗って来たのである。
バリ島ではそれが可能になる。
だって、バリの人たちって、私のこの理想をその執務態度のうちにすでに体現されているからである。
嘘だと思ったら、どなたでもいい、それぞれのお仕事をされているバリ島のみなさん(税関職員でもバスの運転手でもホテルのベルボーイでも)の写真を任意に撮影して、そこに「ふきだし」をつけて「いいよ、べつに」という文字を書き込んでご覧なさい。
もう、これ以外にないというくらいにジャストフィットすることがわかるであろう。
take it easy
それがバリ島の皆さんが全身から発信してくるメッセージなのである。
うちの奥さんは「ハワイの方がいい」とおっしゃるけれど、ハワイの皆さんはここまでレイドバックしていない。もうちょっと勤勉であるし、ビジネスマインデッドである。
けれども、ウチダが餓えるように求めているのは、何よりもこの「わし、どーでもえーけんね感」なのである。
レイドバック。
それこそ私に本質的に欠如している感覚である。
「無聊を託っているウチダ」というものを見た方はおられるだろうが(それとて最近は稀だが)、「無為に頽落しているウチダ」というものを見た方はまずおられないと思う。
余人の眼から私がきわめて無為に見えたのは、おそらく駿台予備校に通っていた18歳のころであると思うが、そのときは受験生だったので、無為以外の時間はずっと受験勉強をしていたのである。
無為といっても、映画を観て、麻雀をやって、本を読んで、ジャズを聴いていたのだから、ある意味ではほとんど「勤勉」だったとも言える。
ともかく、ぼんやりしていることができない。
バカンスだって、こうやって「私はいかにして楽しくレイドバックしているか」ということを早起きしてばりばりiPadに向かって入力しているわけであるので、ぜんぜん空虚じゃないじゃない。
さあ、そろそろ朝ごはんをLagoonaに食べにゆくとするか。
途中でイグアナを見つけたら、写真撮影をせねば。

朝ごはんの席にてナカノ先生ご夫妻と「中国人はなぜあのように声が大きいのか」「中国人はなぜ列を作ることをあれほど忌避するのか」「中国人はなぜあのように不機嫌な顔をデフォルトにしているのか」など、中国人問題について学術的な意見交換を行う。
話題の選択と隣席が中国人であった事実との間にはいかなる内在的な関連性も存在しない。
朝食後、イグアナを探して散策。発見して、フルタ君に送信。

では、仕事を始めようと思ったが、配線がこんがらがっている。
コンセントからiPad とiPodとgalaxy の充電の電源を取っていて、かつiPodからヘッドフォンのコードが伸びているので、全部で四本の線がデスク上で絡み合っている。
なぜ、コードは放置しておくと解決不能な仕方で絡み合い、放置しているうちにきれいに整列するということが起きないのであろう。
エントロピーの法則と関係があるのだろうか。
今度森田くんに聴いてみよう。

プチ仕事が一段落ついたので、ではプールにでも行こうかと思ったら、にわか雨が降って来た。
そういうもんですよね。
というわけでで、さらに仕事を続ける。
前回は雨の降るときはベランダで『Onepiece Strong Words』の解説を書いていた。
ずいぶん長いものを書いたけれど、それはそれだけ長い時間雨が降っていたということである。
今やっているのは昭和女子大学でやった講演録のゲラチェック。
これはどなたがテープ起こししたのか知らないけれど、クオリティの高い仕事である。
このまま手を加えなくてもいいくらいきちんと刈り込んであって、聞き漏らしもない。
でも、そういう素材をもらうと、こちらはすっかりいい気分になって、じゃあもっと加筆しようという気になる。
そのせいで、どんどん元の講演とは違う内容になってしまうのだが、そういうふうに創作欲を刺激してくれるのがよい「テープ起こし」である。
でも、申し訳ないけれど、新聞雑誌の対談や取材のテープ起こし原稿の大半はそのままでは使えない。
たぶん、インタビュイーの方たちの多くは、そんなこと気にしないでそのまま活字化することを許可してしまうのだろうが、私は「たしかにこんな『内容』のことは言ったけれど、『言い方』が違うでしょう・・・」というのが気になる。
こういう「言い方」をする人間だと思われたくない。
メディアによって、こちらのメッセージは必ず「縮減」される。
込み入ったロジックは忌避され、英語や漢語は簡単な類義語に置き換えられる。
でも、私はなぜかそういう「言い方」がしたいのである。
したいんだから、させて欲しい。
ある単語一つがきっかけで、思いがけない精神の風景が広がるということがある。
メディアはそういう単語ひとつ、音韻ひとつ、修辞ひとつのもつ生成的なインパクトを過小評価する傾向にある。
短いエッセイや映画評を読んで、すぐにAmazonに走って「まとめ買い」するということは決して稀ではないが、ジャーナリストについてはそういう経験をしたことがない。
コンテンツ的には立派なことが書いてあるが、その人の書いた本を、金を出してまでは読む気になれないのである。
それでいいのだ、という言い分もわかる。
ある種の匿名性がジャーナリストには課せられている。だから個体識別できない文体であえて書いているのだ。それはむしろわれわれのプロフェッショナリズムの現れなのだ、と。
そうかもしれない。
でも、そのプロフェッショナリズムは「繰り返し読む気になれない」文体をあえて選ぶことを求めているのだろうか。
私のような固有名で生きている書き手に「個体識別できない文体」を要求して、メディアはいったい何を得るつもりなのだろう。
私にはよくわからない。


ふと気がついて振り返ると、雨が上がっている。
とりあえずパンツと靴下を洗濯。ポロシャツはランドリーサービスに出す。
日が照って来たら、海水パンツにはき替えてビーチに出かけよう。
時計をみると、まだ11時過ぎ。お昼ご飯にはちょと早い。
泳いでから、プールサイドのレストランで、ハンバーガーとビールのお昼ご飯にしようっと。

快晴のプールサイドでヒラマツさんと並んでサンバーン。
ときどき泳ぐ。
去年は旧正月に当たっていたので、中国人がたいへんに多かったけれど、今年は少ない。
日本人のグループや新婚さんもいない。
多いのは相変わらずロシア人。
プールサイドのレストランのメニューも英語・ロシア語・日本語である。
バリ島のこのグレードのホテルは「各国の小金持ち」がクライアントのヴォリュームゾーンを形成しているので、定点観測していると、今はどのあたりの国が「小金持ち」を輩出しているかを知ることができる。
今は中国とロシアなんですね。
日本人はそれほどいないけれど、たぶん「いい顧客」だと思う。
従業員の「わりとなれなれしい接客態度」からそれと推察される。
あまりクレームもつけないし、大声も出さないし、ホテルがわからすれば気楽なお客さんなのであろう。
ロシア人も静かである。
かつてバリ島はオーストラリア人とアメリカ人中心のリゾートであったが、もう時代はずいぶん変わってしまったようである。アメリカ人なんか、もうどこにいっても、みかけることがなくなった。

ヒラマツさんご夫妻とプールサイドでご飯。
フローズンダイキリ、クラブサンド、バリハイドラフト。
空は限りなく青く、お腹は一杯、微醺を帯びて、すっかりいい気分になり、一度のお部屋に戻って、葉を磨いてお昼寝することにする。
目が覚めたら今度は海で泳ごうう。

ビーチで昼寝。海で一泳ぎしていたら雨が降ってきたので、部屋に戻って熱いシャワーを浴びて、バリハイビールを飲んだら、また眠くなってきた。ずるずるベッドに移動して、7時半まで爆睡。
よく寝るなあ。
起きるとさすがに暗い。
またシャワーを浴びて、私と同じく相方のいないともちゃんを誘って、Lagoonaへ。
同行の皆さんの大半はオプショナルツアーで夕陽を見るツアー(晩御飯付き)にお出かけなのである。
レストランに行くとナカノ教授ご夫妻がいたので、ご一緒させて頂く。
ナカノ教授は人も知る座談の名手である(おかしいことを言った後、聴衆がそのおかしさに気づく前に「自分受け」で笑い出すという特技をお持ちである。武道的に言うとこれは「先を取る」と言って、たいへん高度な技なのである)ので、談論風発、話頭は転々として奇を究め、要約することが叶わぬのである。
晩御飯はSurf and Turf Platter (「磯波と芝生の大皿」、すなわち海産物とお肉の一緒盛り)。ステーキ、鶏の手羽先、ツナ、海老、蟹、烏賊のグリルとフレンチフライとサラダが一枚の大皿にどんと乗っている。それにバリハイビールとハッテン・ロゼの1/2カラフ。
爆笑と満腹でたいへん満ち足りて、お部屋に戻る。
iPod でビーチボーイズを聴きながら寝酒のChivas Reagalの水割りを飲み、シャーロック・ホームズの冒険の続きを一頁読んだあたりで、睡魔に襲われる。
おやすみなさい。

2月19日
朝、7時起床。
外は薄曇り。
午前中は仕事をして、日が出てきたらプールで泳ぎ、午後はバリニーズマッサージに行くことにする。
8時にラグーナに朝ご飯にゆくと、ナカノ先生ご夫妻がいたので、前夜に続いて、ご一緒。
フクダ君と相方のアカボシ君も同席して、潮風に吹かれながら、たいへん快適な朝ご飯。
話題は例によって、爆笑続きの医療ネタ。
あまりに危ない話ばかりだったので、一つとして採録がかなわぬことが残念である。

朝ご飯の後、これでおかえりになるナカノ先生ご夫妻にさよならを告げて、部屋でプチ仕事。
外を見ると、きれいな青空が広がっている。
はやく泳ぎにゆきたいが、仕事のケリがつかない。
ようやく11時に一段落したので、海パンに着替えてプールサイドへ。
ともちゃんが一人でいるので、お隣に座る。
ゆく途中、コモド大トカゲがプールサイドを歩いているのを見て一驚を喫する。
イグアナがいることは前年知ったが、まさかコモドドラゴンまで。
ともちゃんの証言によると、私に出会う前にプールを悠々と泳ぎ切っていったそうである。
ドラゴンに噛まれたとか、そういう場合にアヨドヤリゾートは責任をとってくださるのであろうか。
爬虫類に囓られるのを回避するのは自己責任でしょうと言われそうな気がする。蚊に刺されたからといってホテルの責任を問う人はおらんでしょうと言われたら、反論できないし。
コモドドラゴンが肉食がどうかは知らないけれど、プールで会ったときにはそうっと逃げることにしよう。

お昼はバリハイドラフトと揚げ春巻(美味い)と軽め。
今日は夜がみんなでおでかけなので、控えめにしておくのである。
あまりに日差しが凄いので、ビーチに行ってさらに太陽光を摂取するというともちゃんと別れてお部屋に戻り、仕事の続き。
これが一段落したらスパにゆくのである。
鏡を見ると、もう真っ赤に日焼けしている。
立派なvacancier である。
あと二日さらに焼き上げるのであるから、雪の日本に帰ったら、きわめて場違いな風貌となるであろう。

夜はひさしぶりに全員で晩御飯。ホテルの外のシーフードレストランにゆく。
インドネシアのお店は暗い。昭和20年代の東京のお店もこれくら暗かったなあ・・・と思い出す。
お蕎麦やさんとか、昼間は真っ暗、夜だってぽつんとちびた白熱電球が下がっているだけだった。
なんだか懐かしい暗さである。
そこで、鰯みたい魚に魚醤をかけたものや烏賊の串焼きなどを食して、ぬるいビンタンビールを飲む。
なんだか昭和20年代の高架下の居酒屋にいるような(行ったことないけど)気分がしてくる。
ブータンに取り憑かれたように通う人がいるけれど、彼らもそこに「昔の日本の風景」があるような気がするらしい。
棚田に松並木に冠雪したヒマラヤに「ぐっ」と来るのだそうである。
バリ島が「来る」のも、たぶんそれに近い。
がたがたの道路舗装、きたないドブ、縁台に座り込んで所在なげな人々。
そういうのを見ると「なんか、なつかしい」と思う。

2月20日
朝、7時起床。
Twitterで岡田斗司夫さんが公開読書で「パブリック」という本を取り上げて、新しいタイプの公共性について書いている。
たいへん面白かった。
とくにプライバシーと社会性はトレードオフの関係にある、という指摘に同意。
不思議なことだが、個人情報を公開するほどに、安全性は高まる。
これは家を建てるときにセキュリティの専門家から教えてもらった。
いちばん無用心なのは「塀が高くて、中が見えない家。道路ではないもの(暗渠とか空き地)に接している家」だそうである。
いちばん安全なのは、「塀がなくて、家の中まで道路から見える家、人の出入りが多い家」だそうである。
前に学校に乱入して教員や児童が殺傷された事件が続いたことがあった。
その後、ほとんどの学校は学校は閉鎖的なものにした。
これは学校教育にとってきわめて危険なことだろうと私は思った。
学校は(とくに初等教育は)「地域に開かれている」ことが必要だ。
子供たちを地域社会の人たちがいつも見守っていられるというのが、学校の安全のためにはたいせつな条件なのである。
子供たちが「私たちはあなたたちを見守っている」という人々のメッセージを全身に浴びながら学校に通うという経験は、学校教育にとってきわめて本質的なことなのである。
だが、ほとんどの学校は「危機管理」の要請によって、重い鉄の扉で学校を閉鎖し、中を見えないようにした。
そうしろと保護者たちに要求されたら断れないでしょうとある学校で聞いた。
きっぱり断るべきだったのだが、教員たちに「学校は地域に開放されているべきだ」という確信がないのである。
そのための理論的基礎づけがなければ、「危機管理をしっかりしろ」という要請の前には屈服するしかないだろう。
教育実習のためにある中学校を訪問したとき、がっちり閉まった鉄の扉の前で立ち往生していたら、校舎の二階の窓から子供たちが声をかけてくれた。
「そこのインターフォンで名前を言うんだよ!」
なるほど。
「どうもありがとう」と二階の窓に鈴なりになっている子供たちにお礼を言った。
私がその学校について覚えているのは、二階から大声で入り方を教えてくれた子供たちの笑顔だけである。
もし、あれが入り口の扉の前に立っても学校の内側がまったく見えないような設計だったら・・・と思うと、ひどく気鬱になる。
そのときに校長先生に「扉に厳重に施錠していますが、地震とか火事とかあったときに、どうやって子供を逃がすんですか?」と訊いたら、「そうなんです。それが心配なんです・・・」と答えていた。
ほんとにね。

岡田さんの話はネット上での匿名性に及んでいた。
匿名であることによって得られた発言の自由は、それがどのような個人によって担保されているかが公開されていないことによって、信頼性を損なわれる。
この「言論の自由と信頼性のゼロサム関係」について、匿名の発信者はあまりに楽観的だと私は思う。
私自身は、匿名で発信された情報は基本的に信用しない。
たぶん、同じようなプリンシプルを持っている人は多いと思う。
私が情報の信頼性の判定基準にしているのは、発信者の「生身の人間としての、ほんとうらしさ」であって、「コンテンツのほんとうらしさ」ではないからである。
「生身の人間としてのほんとうらしさ」は本人に会って、その声を聞いてみないとわからない。

150人という「ダンバー数」は、おそらく情報について「裏を取れる」作業の限界でもある。
それくらいまでなら、「その話、ほんと?」という追加質問が可能である。
「ダンバー数」とは「ものを頼める人」の数の上限のことだが、「ものを頼む」ことのうちには、「質問」も含まれるだろう。
「このトピックについては、この人の情報や情報評価は信頼できる」という人がさまざまな分野にわたって150人いれば、私たちの世界認識はかなり精度の高いものになるだろう。
そのためには、そういう人たちの質の高い情報を一方的に受信できるというだけでは足りない。
「こちらからの質問に対してかならず誠意ある応答がある」という条件を要する。
この条件はきびしい。
私にもいろいろな質問をネット経由でしてくる人がいる。
答える場合もあるし、答えない場合もある。
「これまで本に繰り返し書いてきたこと」を質問してきた場合には答えない。
調べる手間を惜しむ人に、その時間を節約させてあげる義理はこちらにはない。
私が必ず回答するのは、「その人に、いずれこちらからも質問する可能性がある人」である。
よほど博愛的な気分になっているときを除くと、私が質問に答えるのは、「これから先も互恵的な情報のやりとりがあることが高い確度で予想される場合」に限られる。
その数の上限が150人くらいではないかと思うのであるが、この数は「生身の人間の生物としてのキャパシティ」ということを勘定に入れないと出てこない。

ジュリー部長、総務部長、アカボシさんとだらだら朝ごはんを食べてからおしゃべり。
雨がしとしと降っている。
今日の午前中は泳げそうもない。
部屋で二つ目のプチ仕事を仕上げる。

雨が上がって、青空が見えてきたので、プールサイドへ。
寝転んで、「The sign of four」 の続きを読む。
う~む、ちょっと構成に難ありかな。
最後の「告白」がちょっと長過ぎる。
でも、セポイの乱の「反乱軍に殺される側」の恐怖を描いたところは、けっこうどきどきする。
時代が時代だから、恐れを知らぬ差別表現の乱れ打ちである。
昔読んだときは「すごいこと書くなあ。旧時代の書き物なんだなあ」といささか当惑しながら読んだのだけれど、今読むと「すごいこと書くなあ。こんな「政治的に正しくない」書き方、今だったら校閲が真っ赤に入って、絶対許されないもんな。ガッツあるなあ」とむしろその剛胆に感心してしまう。
「時代の流れ」を感じる。

戻って、熱いシャワーを浴びて、Getz /Gilbert を聴きながら、きんきんに冷えたバリハイビールを飲む。
遠くで「ぼわいん」というバリの晩鐘(みたいなもの)の音が聴こえる。
ぼわいん。

7時にロビーで待ち合わせして、ヒラマツさんご夫妻、ともちゃん、フクダ君とBali collection へ。
UNOというイタリアへゆく。
バリ島のイタリアンはなかなかのレベルである。ピザとパスタがちゃんとしている。
ビンタンビールとカロボナーラと赤ワインと白ワインでプチ酩酊しつつ、フクダ君の恋愛事情とビジネス事情について、いろいろうかがう。

若い人たちはほんとうに労働条件が悪く、その中で真剣に「老後」の生活について考えているので、胸が痛む。
「老後」についての予測が割に合うのは、社会のかたちがこのまま推移する場合に限られる。
でも、今の世界をみていると、どう考えても、「社会のかたちがこのまま推移する」とは思われない。
アメリカが没落し、EUが解体し、中国の経済成長が止まったときに、日本社会に何が起こるかを正確に予測できる人間なんかいない。
移行期には、危機耐性のつよいライフスタイルを構築するしかない。
さまざまな職業、さまざまな階層、さまざまな技能、さまざまな知恵を持っている生身の人たちと互酬的・互恵的なネットワークを「平時から」構築しておくのである。
そういうものは「危機」のときに、金で買うことができないし、メール一本で配達してもらうこともできない。
というか、「危機」というのは、「それまでなら誰でも金さえあれば手に入ったものが、手に入らなくなるとき」のことである。
そういうネットワークの構築には長い時間とこまやかな配慮と自分の側からの絶えざるオーバーアチーブが必要である。
それは、植物を育てるように、毎日丹念に手入れして、たいせつに作り上げてゆくものなのである。
自分の生命を託す自動車のエンジンや制動装置や足回りをこまめに点検するのとそれほど違う仕事ではない。「壊れてからJAFを呼べばいい」ということが「できない」ときのための備えなのである。

日本の戦後67年の繁栄と平和がもたらした最大の「平和ボケ」症候は「危機耐性のつよいライフスタイルを作り上げる」ということの必要性を人々が真剣に考えなくなったということである。
みんな「自分さえよければそれでいい」と思っている。「競争的環境」や「格付けによる資源分配」が「できる」ということそのものが「平和と繁栄」のうちにおいてだけであるということを忘れている。
競争や、資源の奪い合いなんか「危機」でもなんでもない。ただの「ゲーム」である。
ルールがあって、レフェリーがいて、ランキング委員会があって、アリーナがあるときにしかそんなことはできない。
危機というのは、そういうものが全部吹っ飛んでしまった後にどうやって生き延びるのか、という切迫のことである。

歴史が教えているように、競争的なマインドの人間は危機を生き抜くことができない。
危機とは「一人では生きてゆけない」状況のことだからである。
だから、それを生き延びるためには、他の人々とある種の「共生体」を形成できる能力が必要である。
論理的に考えれば誰でもわかることだが、自己利益よりも、帰属する集団の公共的な利益を優先的に配慮するという習慣を深く内面化させた人間たちでかたちづくる共生体がもっとも危機耐性が高い。
個人的にどれほど強健であっても、「自分さえよければそれでいい」と思っている人間たちの集団は脆い。疑心暗鬼を生じ、わずかのきっかけで崩壊する。
だから、「危機に備える」というのは、貯金することでも、他人を蹴落として生き延びるエゴイズムを養うことでもなく、「自己利益よりも公共的な利益を優先させることの必要性を理解できる程度に知的であること」である。
いま「 」で括った部分を一言に言い換えると、「倫理的」となる。

現代社会で「喧嘩腰」で生きている人間は総じて「平和ボケ」に罹患していると見て過たない。
穏やかな笑みをたたえて、「袖擦り合う」まわりの人々との互恵的関係をたいせつにしている人の方が、はるかに真剣に危機の到来に備えていると私は思っている。

2月21日
朝から快晴。
バリ最終日である。
夕方のチェックアウトまで、プールとビーチで泳いで、ピナコラーダ飲んで、真っ黒に日焼けして飛行機に乗る。
ふつうなら一日に二回はスコールがあるのだが、それもなく、終日晴れ。
のんびりした、まことによいvacancyでありました。
旅行の手配にお気遣い頂きました、ジュリー部長はじめ皆さまに感謝です。
また来年もぜひお願いします。
来年は平川君、わっしい、小田嶋さんにもお声かけしてみます。皆さん忙しい身の上ですけれど、きてくれると楽しいですね。

2012.02.27

沖縄の基地問題はどうして解決しないのか?

沖縄タイムスの取材で、沖縄の基地問題について少し話をした。
この問題について私が言っていることはこれまでとあまり変わらない。
沖縄の在日米軍基地は「アメリカの西太平洋戦略と日本の安全保障にとって死活的に重要である」という命題と、「沖縄に在日米軍基地の70%が集中しており、県民の91%が基地の縮小・撤収を要望している」という命題が真っ正面から対立して、スタックしている。
デッドロックに追い詰められた問題を解くためには、「もう一度初期条件を点検する」のが解法の基本である。
まず私たちは「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」という問いから始めるべきである。
ところがまことに不思議なことに、沖縄の基地問題を論じるためにマスメディアは膨大な字数を割いてきたが、「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」といういちばん大本の問いにはほとんど関心を示さないのである。
どこを仮想敵国に想定し、どこを仮想同盟国に想定し、どういう軍事的緊張に、どういう対応をすることを基本とする軍略であるのか、といういちばん重要な問いをメディアはほとんど論じない。
例えば、米露関係や米中関係、米台関係、米韓関係は、多様な国際関係論的入力によって短期的に激変する。
東西冷戦期には、米露がその後これほど親密になり、ほとんど「パートナー」といえるほどに利害が近接することを予想した人はいないだろう。
中国についても同じである。iPadの商標問題でアップルが焦っているのは、中国市場がiPad、iPhoneの巨大市場であり、中国との友好関係なくしてアメリカ経済の維持はありえないことを知っているからである。米中関係ではイデオロギーよりもビジネスが優先しており、両国の間に軍事的緊張関係を生じることは仮にホワイトハウスや中南海が腹をくくっても、米中の財界人たちが絶対に許さない。
米韓関係もデリケートだ。南北関係が緊張すれば「北から韓国を守る」米軍への依存度は高まるが、統一機運が高まると「アメリカは南北統一の妨害者だ」という国民感情が噴き出してくる。その繰り返しである。
その韓国ではすでに米軍基地の縮小・撤収が進んでいることはこれまでブログで何度も取り上げた。基地全体は3分の1に縮小され、ソウル駅近くの米軍司令部のあった龍山基地は2004年にソウル市民たちからの激しい移転要請に屈して移転を余儀なくされた。
フィリピンのクラーク空軍基地、スービック海軍基地はベトナム戦争のときの主力基地であり、アメリカ国外最大の規模を誇っていたが、フィリピン政府の要請によって1991年に全面返還された。
これらの事実から言えるのは、「アメリカの西太平洋戦略とそれに基づく基地配備プラン」は歴史的条件の変化に対応して、大きく変動しているということである。
当然、これらの全体的な戦略的布置の変化に即応して、沖縄米軍基地の軍略上の位置づけも、そのつど経時変化をしているはずである。
だが、その変化について、それが「沖縄における米軍基地のさらなる拡充を求めるものか」「沖縄における米軍基地の縮小撤収を可能にするものか」という議論は政府もメディアも扱わない。
というのは、沖縄の米軍基地はこれらの劇的な地政学的変化にもかかわらず、その軍略上の重要性を変化させていないからなのである。
少なくとも、日本政府とメディアはそう説明している。
だが、もし地政学的条件の変化にかかわらずその地政学的重要性を変化させない軍事基地というものがあるとすれば、論理的に考えれば、それは「その地域の地政学的変化と無関係な基地」、つまり「あってもなくても、どちらでもいい基地」だということになる。
そのような基地の維持のために膨大な「思いやり予算」を計上し、沖縄県民に日常的な苦痛を強いるのは、誰が考えても政策的には合理的ではない。
つまり、沖縄基地問題がスタックしている第一の理由は、「沖縄に基地はほんとうに必要なのか?必要だとすれば、どのような機能のどのようなサイズのものがオプティマルなのか?」というもっともリアルでかつ核心的な問いについて、日本政府が「それについては考えないようにしている」からなのである。
もっともリアルで核心的な問いを不問に付している以上、話が先に進むはずがない。
だが、そろそろこの問いに直面しなければならない時期が来ているのではないか。
アメリカの共和党の大統領候補であるロン・ポールは沖縄を含む在外米軍基地すべての縮小・撤収を大統領選の公約に掲げている。
これが公約になりうるということは「在外米軍基地はアメリカの国益増大に寄与していない」という考え方がアメリカ国内でかなり広く支持されてきているということを意味している。
アメリカの世論調査会社ラスムセンによると、米軍が安全保障条約によって防衛義務を負っている56カ国のうち、アメリカ国民が「本気で防衛義務を感じている」国は12カ国だそうである(その中に日本が入っていることを願うが)。アメリカが「本気で防衛義務を感じない」国々を守るために他国の数倍の国防予算を計上していることに4分の3の米国民はもう同意していない。
大統領選の行方はまだ未知数だが、オバマが再選されても、共和党の大統領が選ばれても、国防費の削減はまず不可避である。
そのときにアメリカが日本の基地に対してどういう提案をしてくるか。
考えられるのは二つである。
(1)在日米軍基地の管理運営コスト、兵器のアップデートに要する費用、兵士の給与の大半または全額を日本政府が負担すること
(2)在日米軍基地の大胆な縮小・一部の撤収(この場合は、アメリカの国防上必須な軍事的機能の一部を、日本の自衛隊が安全保障条約の同盟国の義務として担うことも条件として付される)。
どちらもやたらに金がかかる話だから、財政規律の立て直しに必死な日本政府が「そんなことは考えたくない」と思うのはよくわかる。
気持ちはよくわかるが、いずれこの提案はアメリカから出てくる。
「もっと金を出す」か「自前で国防をするか」どちらかを選べと必ず言ってくる。
そして、今の日本政府には金もないが、国防構想はもっとないのである。
戦後67年間ずっとアメリカに日本は国防構想の起案から実施まで全部丸投げにしてきた。
自分で考えたことないのである。
国防はもちろん軍事だけでなく、外交も含む。
日本のような小国が米中という大国に挟まれているわけだから、本来なら、秦代の縦横家のよくするところの「合従連衡」の奇策を練るしかない。
だが、「日米基軸」という呪文によって、日本人はスケールの大きな合従連衡のビッグピクチャーを描く知的訓練をまったくしてこなかった。
ここでアメリカに去られて、自前で国防をしなければならなくなったときに、対中、対露、対韓、対ASEANで骨太の雄渾な東アジア構想を描けるような力をもった日本人は政治家にも外交官にも学者にもいない。どこにも、一人も、いない。
だって、「そういう構想ができる人間が必要だ」と誰も考えてこなかったからである。
日本のエスタブリッシュメントが育ててきたのは、「アメリカの意向」をいち早く伝えて、それをてきぱきと実現して、アメリカのご機嫌を伺うことのできる「たいこもち」的な人士だけである。
アメリカが日本の国防を日本の主権に戻した場合に、日本にはその主権を行使できるだけの力がない。
できるのはとりあえずは自衛隊の将官たちを抜擢して、閣僚に加え、彼らに国防政策の起案と実施を丸投げするだけである。
国民のかなりの部分はこれに賛同するだろう。既成政党の政治家より制服を着た軍人さんたちの方がずっと頼りになりそうだし、知的に見えるからだ。
だが、政治家たちも霞ヶ関の官僚たちもメディアも「軍人に頥使される」ということを想像しただけでアレルギーが出る。
さきのいくさの経験から、軍人たちを重用すると、政治家と官僚が独占してきた権力と財貨と情報が軍部にごっそり奪われることを知っているからである。
だから、「日本に国防上の主権を戻す」という、独立国としては歓呼で迎えるべきオッファーを日本政府は必死で断ることになる。
国防上の主権は要りません。
主権を行使する「やり方」を知らないから。
これまで通り、ホワイトハウスから在日米軍司令官を通じて自衛隊に指示を出してください。
それが日本政府の本音である。
だから、日本政府に残された選択肢は一つしかないのである。
アメリカが帰りたがっても、袖にすがりついて、「沖縄にいてもらう」のである。
金はいくらでも出します。消費税を上げて税収を増やすので、それを上納しますから。どうかいかないで。Don’t leave me alone
それが日本政府の本音である。
だから、「アメリカの軍略の変化」については言及しないのである。基地問題がスタックしているのは、「スタックすることから利益を得ている当事者」がいるからである。
ひとりは「もめればもめるほど、日本政府から引き出せる金が増える」ということを知っている国防総省であり、ひとりは「いつまでもアメリカを日本防衛のステイクホルダーにしておきたい」日本政府である。
交渉の当事者双方が、「話がつかないこと」の方が「うっかり話がついてしまうこと」よりも望ましいと思っているのだから、沖縄の基地問題の交渉は解決するはずがないのである。
悲しいけれど、これが問題の実相なのである。
別に沖縄問題の裏事情に通じているわけではないが、新聞を読みながら推理すると、こう考えるしか合理的な説明が存在しないのである。
というお話をする。
たぶんこれほど長い話は紙面に出ないと思うので、ここに録すのである。

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