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2011年05月 アーカイブ

2011.05.06

4月11日から5月5日までの日記

4月10日からブログを更新していない。
めちゃくちゃ忙しくて、書けなかったのである。
ブログを書くのは、朝起きてすぐ、午前中に書き終えてしまうのだが、このひと月、朝起きてすぐに仕事に出かけるか、メールの返信をするだけで午前中が終わってしまうか、あるいは前日(あるいは前々日)締め切りの原稿を起きると同時に書き出すか、具合が悪くて寝ているか、のいずれかであったために、ついに一日もブログ更新ができなかった。
私にとってブログ日記を書くというのは、単に備忘録にとどまらず、資料のアーカイブであり、また萌芽状態のアイディアを転がすための実験室であもあり、ここに書いたものをコンピレーションして出した本も数知れず。たいへんにたいせつな場であり、一月も何も書かずに放置していたというのは、かつてない。
それだけ生活のペースがout of control になっていたということである。
自分の足元を見る暇もない生き方というのは、よろしくない。
この期間に書き飛ばしたものについても、クオリティ的にはずいぶん不満である。
これから出る自分の本に呪いをかけるようで気の毒なのだけれど、あと一回推敲する時間があれば、もう少しリーダブルなものにできたのにと思うとまことに心残りである。
というわけで、4月23日に骨折してから、深く反省し、もうオーバーペースで仕事をするのは止めにした。
「断筆宣言」はもう「禁煙宣言」と同じくらいしたが、ほんとうにもう「頼まれ仕事」は心を鬼にして断らなければいけないと、この十年で十回目くらいに自戒。
とりあえず、4月10日からあとのできごとについて備忘のために記す。
4月11日(月)
関西テレビでコンプライアンス研修会。
テレビを見ない人間なので、テレビ局に呼ばれて何を申し上げてよいかわからないままに、マスメディアの社会的責務について、一般論を申し上げる。
私の話を聴いて、かなり怒っている人もおられたし、深く頷いている人もおられた。
いろいろ。
関西テレビは例の「あるある大事典」問題で、総務省に睨まれ、マスメディアの仲間たちからも集中攻撃を食らったというトラウマ的体験があり、「マスメディアって、あまりにひどいなあ・・・」という(常識的)実感を持っている。
その点が関西テレビの強みになるのかも知れない(わかんないけど)。
4月12日(火)
東京へ。
昭和大学で理事会。
この4月に昭和大学の理事を拝命することになった。
昭和大学の理事長は小口勝司くん。日比谷高校のときのお友だちである。「かっちゃん」という愛称で、このブログにも何度か登場している。
そのかっちゃんから「理事やって」と頼まれたので、お引き受けした。
医療と教育は社会的共通資本の根幹をなす制度であり、いずれも政治と市場とマスメディアに挟撃されて、この30年間孤立無援の状態で、「癒し」と「学び」のためのフロントラインを守ってきた。
医学教育ということは、いわばその両方の負荷が集中的に加わった現場ということである。
最初の理事会の最後に、震災への救援活動についての短い報告があった。
昭和大学は3月11日の午後8時にはもう救援活動をスタートさせて、医療チームの第一陣を送り込んでいる(理事会時点までに7チーム、のべ150人)。
地方自治体からの要請があったわけではないし、厚労省からの指示があったわけでもない。
誰からも要請がないままに自己決定自己責任での医療チーム派遣である。
派遣される医師、看護師、スタッフたちもすべて自発的に手を挙げた希望者たちである。
「医療者というのは、そういうものだから」とかっちゃんは淡々と言っていた。
95年の阪神大震災のときには、行政からの公式指示を待っているうちに、医療チームの派遣が遅れたことを深く反省して、災害時には「行政からの指示がなくても、とにかく派遣する」ということにしたのだそうである。
「ヒポクラテスの誓い」の方が自治体の要請に優先するのである。
メディアは支援の側のサプライと被災者の側のニーズの「ミスマッチ」について、困ったものだと渋い顔をしている。
そんなことでわざわざ渋い顔をすることはないだろうと私は思う。
平時においてさえ需給関係は原理的にミスマッチなんだから(すべての需給関係が一致することを「欲望の二重の一致」と呼ぶが、これは経済学では「ありえないこと」の同義語である)。
「ニーズの確定を待たずにサプライが先行する」ことでよいと私は思う。
それを嫌うから「300枚の毛布が送られてきたが、避難所に500人いたので、不公平にならないように、一枚も配布しなかった」というような事例が起きるのである。
需給の一致がなければ、贈与は成立しないというのは幼児の発想である。
4月13日(水)
午後、東大の本郷キャンパスにて、柴田元幸さんとNational Story Project Japanの単行本のための対談。
日本人の書く「物語」と、アメリカ人の書く「物語」のあいだの本質的な差について語る。
たいへん面白い対談でしたので、本出たらみなさん買ってね。
それから立川に移動して、朝日カルチャーセンターにて平川くんと対談。
原発のお話。前の週の中沢新一さんをまじえての鼎談の続き。
池上先生がおいでになったので、さっそく身体を見てもらう。
たいへんよろしくないということで翌日に診療をお願いする。
平川くんの車で等々力まで送ってもらい、等々力泊。
4月14日(木)
朝、アシュラムノヴァへ。池上先生に身体の歪みを補正していただく。だいぶ悪いそうである。とほほ。
五反田へ移動して、成瀬雅春先生と対談本のための最後の対談。
これはもうすぐ出ます。
いったん学士会館に戻って、寸暇を惜しんで寝る。
15分ほど寝たところで、松井孝治さんがお迎えに来る。
東京財団というところで、講演とディスカッション。
加藤秀樹さんと松岡正剛さんがコーディネイターで、学者、民主党自民党の政治家のみなさんが十数名ほど。
こちらが知っているのは松井さんと、松本剛明さんと、先日ご飯をご一緒した古川元久さんだけ。ほかに新聞やテレビで見知った顔(樽床伸二さん、河野太郎さん)も。
原発問題に露呈した日本のエリートたちの無能力について、これをどう補正すべきかについて私見をご提言申し上げる。
そのあと10時まで、そのテーマでディスカッション。
帰りぎわに細野豪志さんが飛び込んで来る。
「原発は供養する心がけでやります」といううれしいお言葉を頂く。
ぐったり疲れて学士会館で死に寝。
4月15日(金)

新幹線で帰郷。新大阪で途中下車して歯医者へ。
抜糸だけなので、すぐ終わる。
4月16日(土)
合気道。すごい人数。算えたら、60人近い。
夕方神吉くんたち来る。
重要なご報告。
祝杯を上げに奥さんもいっしょに四人で並木屋へ。
重大なご報告でどっと疲れたらしく、神吉君カウンターで居眠り。
ずいぶん緊張してたんだね。お疲れさまでした。
4月17日(日)
かなちゃんの合気道芦屋道場の十周年演武会。
お稽古してから、30分ほど説明演武。
芦屋道場は道場生のべ160人に及ぶそうである。
10年続けるというのは、たいしたものである。
ご協力くださったみなさん、ありがとう。
それから芦屋で多田塾甲南合気会運営委員会。
会員数が100名を越し、秋からは専用道場が出来て、毎日稽古という体制になるので、組織改編を行わなければならない。
事務方を預かってくださるみなさんと運営委員会を定期的に開いて、秋以降の運営体制について相談することになった。
月謝をどうするか、減免措置をどうするか、道場の掃除をどうするか、法人化の手続きをいつ始めるか・・・などなど私の苦手とする経営問題を優秀な運営委員のみなさまに考えてもらうのである。
4月18日(月)
朝、三宅先生のところ。それから大学へ。名誉教授授与式。それから杖道のお稽古。
4月19日(火)
お休み、終日原稿書き。
4月20日(水)
10時から上棟式。
地鎮祭は神主さんが来たけれど、上棟式は棟梁が差配する。
神事も、餅撒きもはじめてのことである。
光嶋くんの「法被と地下足袋」姿がけなげでありました。
詳細は光嶋くんのブログhttp://www.ykas.jp/jp_news.htmと中島工務店のブログhttp://www.npsg.co.jp/residences/reports/cat36-1.htmlをご覧ください。リアルタイムで工事の進行状況が報告されております。
お忙しい中、おいでいただきましたみなさまにお礼申し上げます。
4月21日(木)
東京へ。第三回伊丹十三賞授賞式へ。
第一回は糸井重里さん、第二回はタモリさん、そして第三回の受賞ということで、「この文脈は何を意味しつつあるのか?」
よくわからないですね。
選考委員の周防正行、中村好文、平松洋子、南伸坊のみなさん。事務局の伊丹プロの玉置泰さん、松家仁之さん、そして宮本信子さん(銀幕のままの笑顔)とご挨拶。
周防さんは奥さまの草刈民代さん(おお、オーラが)もご同行。
中村さんから盾を頂き、平松さんから「そ、そこまで言っていただくと身の置きどころがありません」的授賞理由のスピーチを頂き、宮本信子さんから副賞の賞金を頂く。
それから謝辞を申し上げて、あとはパーティ。
久しぶりに橋本治さんとお会いする。一時は20キロ痩せられたそうだけれど、だいぶ戻られたようで、ほっとする。病み上がりの身体をおして来て頂いて、ほんとうに感謝です。
糸井重里さんとも初対面。なんだか初対面のような気がしないのは橋本さんと中沢新一さんと一緒だったから。
うちの光嶋くんが「ほぼ日」でお世話になるので、どうぞよろしく。
あとはじめてお会いしたのは、岸田秀先生。
岸田先生とは対談本を出す企画がある。ぜひ伊丹十三の話も聞きたいものである。
サバティカルからお戻りの加藤典洋さんともお久しぶりにご挨拶する。加藤さんとの対談本はどうなったのかしら・・・
びっくりしたのは仙谷由人さん。来て、握手して、ぴゅっと帰って行きました。
鈴木晶さん、松井孝治さん、小堀さん、のぶちゃん・かなちゃん、矢内さん、仲野センセ、ドクター、平尾さん、大迫くん、阿部くん、石やん、母上、兄上、シンペーくん、るんちゃん・・・とても数え切れないけど、みなさん、お忙しい中お運びいただきまして、ほんとうにありがとうございました。
二次会は新潮社の足立さんが仕切ってくださって、編集者主体のパーティ。乾杯のご発声は関川夏央さん。心のこもったお言葉ありがとうございました。鶴澤寛也さんが駆けつけて一節弾いてくれました。
三島さん、安藤さん、鈴木さん、三野さん、野木さん、加藤さん、岡本さん、大村さん、白石さん、井之上さん、兵庫さん、大波さん、鳥居さん、杉本さん・・・これまでいっしょに仕事をした編集者の方々、ほとんどが顔を揃えてくれました。
途中からさすがに疲れて、中村好文さん、平松洋子さん、南伸坊さんとのんびりした話をする。平松さんと橋本麻里ちゃんが長いお知り合いと聞いてびっくり。南伸坊さんとは養老先生つながりでぐるりと円環が繋がる。
るんちゃんと連れ立って夜の六本木を歩いて帰る。
はふ~。
4月22日(金)
朝10時から朝日新聞で紙面審議会。
もうさすがにへろへろ。
それでも最後のエネルギーを振り絞って、朝日の紙面についてご意見を具申する。
新聞の文体の定型性については『街場のメディア論』にも書いたとおり、書いている記者自身の「身体実感」が紙面に反映していないことによってもたらされている。
デスクが繰り返し修正しているうちに、記者たち全員が「同じような語り口」になってしまっている。
その結果、一部の記者たちは「記者自身があたかも地声で語っているかのような文体」という定型さえ身につけてしまう。
「定型に落とし込まれた個性」に対する嫌悪が人々を新聞から遠ざけていることについて、記者たちはもう少し厳粛になるべきだろう。
4月23日(土)
そして、疲れ切って帰ってきたところで、合気道の稽古の前に更衣室で足を滑らせて骨折。
でも、こうやってそれまでの10日間を備忘録に書き出すと、「骨折くらいで済んでよかった」と思う。ほんとに。
痛みをこらえつつ2時間半稽古指導。
稽古後、学長対談のゲストに神戸女学院大学に来ていた福岡伸一ハカセを足をひきずりながらお迎えにゆく(この時点ではまだ「捻挫」だと思っていた)。
飯謙学長をまじえてしばらくおしゃべりしてから、福岡ハカセを三宮のKOKUBUにお連れする。
前週も光嶋くんをお連れしたので、二週連続のKOKUBUです。
福岡ハカセとたいへん愉快なひとときを過ごしてから、足をひきずって家に帰る。
4月24日(日)
例会。
足は痛いけれど、3戦して2勝。着実に勝率アップ。
4月25日(月)
朝起きたらもう動けない。
三宅先生のところに這うようにして行って、診断を仰ぐと「第五中足指ぽっきり骨折」とのご診断。全治3週間。
ぐるぐるにテーピングして、松葉杖をいただいて帰る。
すぐにあちこちに連絡して、今後に2週間の全予定をキャンセル。
昼から死に寝。
4月26日(火)~29日(水)
三宅先生のところに行ってテーピングしてもらう。家で死に寝。ときどき起き上がって安藤さんのゲラを直す。
4月30日(土)
下川先生のところに、新人ひとりをご紹介しにお連れする。
ひさしぶりに『安宅』の稽古。仕舞の稽古はもちろん不可。
夕方から青木くんのところでたこ焼きパーティ。
歩くのがしんどいのでパスしようかなと思っていたら、光安さんがお迎えに来てくださいました(泣)。
美味しいたこ焼きと部長のサラダ、光安さんのゴルゴンゾーラのペンネなどばりばり食べて、ちょっとしあわせになる。
5月1日(日)
ほんとうは丸亀で講習会があるはずだったけれど、家でサバ眼寝。
5月2日(月)
終日サバ眼寝。夕方光嶋くんが来て、和楽で打ち合わせ。
5月3日(火)
灘高文化祭で講演。これは家からすぐだし、バイクで行けるので、三節棍みたいな杖(父の形見)を突きながら教壇に登って、高校生たち相手に「諸君!」と獅子吼すると、まるで『セント・オブ・ウーマン』のアル・パチーノみたいでかっこいいかも・・・と思っておでかけ。
「次世代に望むこと」というお題で、東郷平八郎と『安宅』の話をする。
高校生諸君はまじめに聴いてくれておりました。
都立大仏文時代の後輩の松本雅弘くん(鳥取大学)のご令息が偶然にもお二人とも灘高生で、「息子の文化祭のパンフレットをぱらぱら見てたら、ウチダさんが講演やるって書いてあったので・・・」おいでになる。
講演後、久闊を叙す。10年ぶりくらいかな。
今度の次郎くんのところのヒロ子さんの七回忌にもお見えになるそうである。
どうも松本くんとは法事がご一緒ということが多い(故・岸本浩を「送る会」のときも、松本くんと二人だった)。
そういえば、難波江和英さんは岸本の神戸時代の同人仲間で、岸本が死んだあとしばらくして、二人とも相次いで神戸女学院大学に着任し、しばらくして友だちになってから、「死せる共通の友人」がいることを知ったのである。
死者はしばしば「存在するとは別のしかたで」、残された人間の生き方に影響を与える。
5月4日(水)
恒例の「美山町の小林家に山菜てんぷらを食べに行く会」。
去年から光嶋くんが同行している。
光嶋くんはそのあと仕事の打ち合わせで美山町を前後3回訪れているので、もう小林家のみなさんとはすっかり顔なじみである。
今回は『芸術新潮』の取材も兼ねているので、編集の前田さん、カメラの筒口さん、そして足立さんがご一緒。
わらびのおひたし、筍のキッシュ、山菜てんこ盛り冷や奴、そしてコシアブラ、タラ、ウド、タケノコの天ぷら・・・ああ、書き出しているだけでくらくらしてくる。
天ぷらとお酒があまりに美味しいので、取材組5人は異常にハイになって、途中までぜんぜん仕事にならない。
夜がだいぶ更けてから、由紀ちゃんとご夫君の菊池くんが林業の現状について熱く語り出して、ようやく取材らしくなってきたが、その前の与太話盛り上がり過ぎて、ウチダはすでに酔眼朦朧。
5月5日(木)
10時ごろ起きて、例の如く小林家のみなさんを相手に、頭も尻尾もないようなおしゃべり。この時間が一番愉しい。
美山町の宿屋に分宿していた『芸術新潮』組が合流して、まずは記念撮影。それから一同揃って井上さんが土を掘っている現場へ。
美山の土は粘度が高く、また色味もよく、これを漆喰に混ぜる。
すると、美山杉の柱と、その杉を育てた土の壁が隣り合うことになる。
オーストリアから切り出した集成材に中国から輸入した漆喰が並んでいるのとは、家の表情が違ってくるのである。
どこが違うということは数値的には言えないけれど、違うものは違うのである。
お好み焼きと猪肉を囓りながら、そのまま小林家の台所で左官談義。
職人の人の話は、ほんとうに面白い。
日が傾いてきたので、小林家のみなさんに別れを告げて、BMWで新緑の由良川べりのワインディングロードを走り抜ける。
ここは私のもう一つのふるさとである。
淡路島のタチバナさんのところがいずれ「第三のふるさと」になるのだと思う。
今年こそ行かないとね。

2011.05.07

弁慶のデインジャー対応について

5月3日に灘高の文化祭で生徒会主催の講演をした。
そのときの話を少し書いておきたい。
生徒会主催の講演に呼ばれたのは、これがはじめてのことである(そういえば、大学の文化祭というのにもあまり呼ばれた覚えがない)。
お題は「次世代に望むこと」
原発事故以来、また繰り返し集中的にしている「リスクとデインジャー」の話をここでもした。
その話はもういいよ、という人もいるかも知れないけれど、はじめての人はちょとお付き合いください。
危機には「リスク」と「デインジャー」の二種類がある。
「リスク」というのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のことである。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない危険のことである。
喩えて言えば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、2点のビハインドというのは「リスク」である。
このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性がある。
試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デインジャー」である。
対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。
だが、そういう場合でも、四囲の状況を見回して「ここは危ない、あっちへ逃げた方が安全だ」というような判断をできる人間がいる。
こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確率が高い。
でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに行くと『厭なこと』が起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定をキャンセルして、家でふとんをかぶっている人間である。
WTCテロの日も、「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が何人もいた。
彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス・ベースで示すことは誰にもできない。
「ただの偶然だ。理屈をつけるな」と眼を三角にして怒る人がいるけれど、そういう人には「そうですよね」と言ってお引き取り願うしかない。
けれども、「どうして私だけが生き残ったのか、理由がわからない」ということは、よくある。その場合に「単なる偶然である」と言って済ませることのできる人はきわめて少ない。
ほとんどの人は「自分だけが生き残った理由」について考える。
少なくとも、ホロコーストを生き延びたエマニュエル・レヴィナスやエリ・ヴィーゼルやウラジミール・ジャンケレヴィッチはそうした。
もちろん、「自分だけが生き残った理由」はわからない。
「おそらくはゲシュタポの気まぐれによって」とジャンケレヴィッチは書いている。レヴィナスはそれをそのまま引用しているので、たぶん「同じ気分」だったのだろう。
けれども、人は他人の「気まぐれ」で手に入れた人生をそのままに生きることはできない。
生き延びた理由は「気まぐれ」でも、そのまま長生して、いざ死ぬときにふりかえって「私が生き残ったことにはやはりそれなりの意味があった」と言い切れなければ、自分が生き残ったときに死んだ人間に申し訳が立たない。
だから、自分自身の人生に加えて、「死んだ人の分まで生きる」という責務を自らに課すことになる。
「あの人があのとき死ななければやっていたかもしれないこと」は「生き残った私」の宿題になる。
その宿題を完了したときにはじめて、「ゲシュタポの気まぐれ」という「人の生き死にに、理由なんかない」という非-人間的無底(anarchie)を人間的意味と人間的秩序が少しだけ押し戻すことができる。
だから、もし大災厄を生き延びた場合には、どんなことがあっても、「生き残ったことは単なる偶然であり、生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」というような発言をしてはならない。
それは死者を二重に穢すことになるからである。
私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちはそのつど「なぜ私は生き残ったのか?」と自問しなければならない。
「他ならぬ私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想でもオカルトでもなく、人間的意味を「これから」構築するための必須条件なのである。
だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは当然のことなのである。
そうすべきなのである。
私が生き残ったことには意味があると思わなければ、死んだ人間が浮かばれないからである。
誰かがそう思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになるからである。
そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、ほんとうに「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」ということを身を以て証明しなければならない。
だが、私たちの社会は戦後66年間あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察しない習慣が定着してしまった。
「デインジャー」に対処できる能力はどうすれば開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかつて聴いたことがない。
今回の原発事故は「デインジャー」である。
「リスク対応」は十分であったと政府と東電と原子力工学者たちは言う。
たしかに、その通りなのかも知れない。
だが、「デインジャー対応」という発想は彼らにはなかった。
「デインジャー対応」というのは事故前の福島原発を見て、「なんだか厭な感じがする」能力のことである。
その「厭な感じ」が消えるように設計変更を行ったり、運転の手順を換えたり、場合によっては操業を停止したりする決断を下せることである。
それができる人間がそこにいれば、そもそも事故は起こっていない。
事故が起こっていないから、そのような能力を発揮した人が巨大な災厄を未然に防いだという「事実」は誰にも知られない。
それは「事実」でさえないのだから、知られなくて当然である。
けれども、そこから、そのような能力は「存在しない」という結論を導くことは論理的にはできない。
私たち人類は久しく「後一歩のところで破局を迎えたはずの事態」を繰り返し回避したことによって今日まで生き延びてきた。
むろん、「存在しなかった災厄」について、たしかなことは誰にも言えない。
けれども、「存在しなかった災厄は、それを無意識のうちに感知して、それを回避する策を講じた人がいたせいで存在しなかった」という仮定はあきらかに人間的能力の向上に資する。
能の名曲に『安宅』がある。歌舞伎で『勧進帳』と呼ばれる物語である。
これはよく考えると不思議な物語である。
富樫の立てた新関の前で困惑した弁慶は「ただ打ち破って御通りあれかしと存じ候」といきりたつ同行の山伏たちを抑えて、「なにごとも無為(ぶい)の儀が然るべからうずると存じ候」と呟く。
そして、弁慶の「不思議の働き」によって、安宅の関では「起こるはずのこと」(富樫一党と義経一行の戦闘)は起らなかったのだが、それは「白紙の巻物」を「勧進帳と名づけつつ」朗朗と読み上げる弁慶の「ないはずのものが、ある」というアクロバシーと構造的には対をなしている。
『安宅』が弁慶の例外的武勲として千年にわたって語り伝えられているのは、「ないはずのものをあらしめることによって、あるはずのことをなからしめた」という精密な構造のうちに古人が軍功というものの至高のかたちを見たからである。
『安宅』は「存在しないものをあたかも存在するかのように擬制することによって、存在したかもしれない災厄の出来を抑止する」というメカニズムを私たちに示してくれる。
ここでいう「存在しないもの」が「災厄の到来を事前に感知する能力」である。
弁慶の武勲は何よりも白紙を朗朗と読み上げた点に存する。
これはひとつの異能である。
勧進帳を読み上げているときの弁慶は、東大寺建立のため重源上人に北陸道に派遣された山伏に「なりきっている」(強力に化けた義経を打擲するときも)。
この弁慶の憑依力・物語構成力によって、安宅の関には、「そこに存在しない世界」が幻想的に出来する。
この幻想的に構築された物語が、現実の災厄の出来を抑止する。
私が「デインジャー対応能力」と呼ぶのは、ひとつの「物語」である。
そう言いたければ「幻想」と言い切っていただいても構わない。
けれども、幻想を侮ってはいけない。
「存在するはずだったのに、しなかった現実」と均衡するのは、理論的には「存在しないはずなのに、存在してしまった幻想」だけだからである。
それはシーソーのような構造になっている。
それが今日の核戦略における「抑止力」と構造的に相同的であることはまことに皮肉と言う他はないけれど。

2011.05.08

浜岡原発停止について

MBSの「辺境ラジオ」も今回で4回目。
不定期収録、収録時間毎回違う、放送時間毎回違うという、いかにもラジオ的にカジュアルな番組である。
精神科医名越康文先生、MBSの西靖アナウンサーと僕の三人のthree-man talk をガラス窓の向こうから伊佐治プロデューサーが顔を赤くしたり青くしたりしながら見ているという四人組ベース。
今回は「震災」テーマでのトークである。
菅首相が浜岡原発の停止を要請したが、それについての評価から話が始まった。
名越先生も私も、これは官僚や電力会社への根回しが十分にされた上での結論ではなく、総理のトップダウンでの「私案」に近いのではないかという意見だった。
浜岡原発の運転の可否についての議論はもちろん専門的な機関で行っているのだろうが、結論はわかっている。
「安全性に問題はない」である。
でも、東海大地震が起きて、放射性物質が漏出するような事態になったら、政府機関も中電の経営者も原子力工学の専門家たちも、口を揃えて「想定外の事態だった」と言うに決まっている。
福島に続いて静岡で原発事故が起きたら、もう「日本というシステム」に対する国際社会の信用は回復不能のレベルにまで下がるであろう。
メーカーへの送電や、株主への責任や、天然ガスの手当てといったレベルでの不安はあるだろうが、それは首都圏が福島・静岡の事故に挟撃された場合に日本が失うものとは比較にならない。
だから、菅首相の判断を私は支持する。
官僚たちはさぞやご不満であろうし、撤回させるために、いま全力を尽くしているところだとは思うけれど、民意が「反原発」に完全に傾いた今となっては、もう原発推進に舵を切ることはできないだろう。

それにしても、高い確率で大地震が起こる地盤の上に原発を建てた人間はいったい何を考えていたのか。
何も考えていなかったと私は思う。
「2000年問題」というのがあった。
2000年になるとコンピュータが誤作動を起こすかもしれない。どのような事故が起きるか想像もつかない・・・と1999年の12月31日にはみんなどきどきしていた(さいわいたいしたことは起こらなかった)。
なぜこんな問題が起きたかというと、コンピュータの設計をしていた人たちが「そのうち紀元2000年が来る」ということを考えていなかったからである。
もちろん、彼らだって「そのうち紀元2000年が来る」ということは高い確率で想定していたはずである。
しかし、そのことを考えに入れると、コンピュータの設計を変えないといけない。年号表示を2桁増やすことで失われるメモリー量が「もったいなかった」ので、「2000年は、2000年までは、来ない」ということにして(これは命題としては正しい)、考えるのを止めたのである。
それと同じである。
大地震は、大地震が来るまでは、来ない。
命題としては、正しい。
だが、そこから「大地震が来るまでは、大地震のことは考えないでもよい」という実践的命題を導くことはできない。
こういう発想をする人を私が好まないのは、もちろん「無責任」ということもあるけれど、それ以上に「どうせ来るなら、そのときは破局的な事態になった方がいい」という無意識的な願望を抑制できなくなるからである。
「姉歯事件」をご記憶だろうか。
構造計算をごまかして、耐震性の弱い建築物をどんどん建てた人たちがいた。
彼らが単にコストカットして金儲けをしたかった、というのならそれほど罪はない(あるけど)。
でも、彼らは地震が起きて、適正な構造計算をした建物だけが残り、虚偽の構造計算をした建物だけが選択的に倒壊するという事態を怖れた。
その場合にのみ彼らの悪事は満天下に明らかになるからである。
それゆえ、彼らはこう願った。
もし地震が起きるとしたら、中途半端な規模のものではなく、すべての建物が倒壊するようなものでありますように、と。
彼らの犯罪は「自分たちの悪事が露見しないためには、すべての人が破局的な目に遭うことが必要である」というかたちで構造化されていた。
それが何より罪深いと思う。
そのためには彼らは朝な夕なに「どうせ来るなら、日本列島が全壊するような地震が来ますように」と祈る他ないからである。
祈り(というより呪い)の効果を軽んじてはならない。
活断層の上に原発を建てた人たちは地震については何も考えていなかった(というより、考えたくなかった)。
もし地震について何かを考えていたとしたら、姉歯たちに近いことだろうと思う。
「どうせ地震が来て、原発事故が起きるなら、日本列島が全壊してしまうような規模の破局の方がありがたい」と。
というのは、そのとき(つまり、『北斗の拳』的世界においては)、彼らの旧悪を追求するような司直の機能はもう日本列島上には存在していないはずだからである。
だから、無意識的に彼らは活断層の上に原発を建てることを選んだのである。
私はそう思う。
安全に対する手立てを講ずることを怠る人間は、自分が「なすべきことを怠っている」ということを自覚している。
だから、必ず、「どうせ何かが起きるなら、安全について手立てを講じた人間も、手立てを講じなかった人間も、等しく亡びるような災厄が訪れますように」と祈るようになる。
それはその人と属人的な資質とは関係がない。
夏休みの宿題を終えないうちに8月31日を迎えた子どもが、「学校が火事になればいい」と祈るのと同じである。
別にそう祈る子どもが格別に邪悪なわけではない。
宿題をしなかった子どもは必ずそう祈るようになる。
人間の無意識的な祈りと呪いの力を過少評価してはならない。
だから、浜岡原発を停止することに決めたのはよいことだと私は思う。
繰り返しいうように、私は原子力テクノロジーに対しては何の遺恨もない。
テクノロジーは価値中立的なものである。
テクノロジーに良いも悪いもない。
でも、愚鈍で邪悪な人間たちに原子力テクノロジーの操作を委ねることには反対する。
そして、「愚鈍で邪悪な人間たち」というのは端的に「人間というもの」と言うのとほとんど同義なのである。

2011.05.17

国旗国歌と公民教育

 橋下徹府知事率いる大阪維新の会は「君が代斉唱時に教員の起立を義務化する条例案」を今月の府議会に提出する。
府教委はこれまで公立学校に対しては「教育公務員としての責務を自覚し、起立し斉唱する」ことを文書で指示してきた。この三月には卒業式の君が代斉唱時に起立しなかったとして、公立中学教諭が戒告処分を受けている。
維新の会は「思想信条の問題ではなく、従来の教委の指導を遵守するように求める条例である」と説明している。府知事は、教育公務員が教委からの指示に従わないのは業務命令違反であり、今後とも指示に従わないというのなら辞職すべきであるという、さらに強い態度を取っている。
国旗国歌問題については、これまでも何度も書いてきた。私が言いたいことはいつも同じである。
国旗国歌は国民国家の国民的統合の象徴である。
そうであるなら、ことの順番としては、まず「自分が帰属する国民国家に対する、静かな、しかし深く根づいた敬意をもつ国民」をどのようにして創り出してゆくか、ということが問題になるはずである。
もちろん、それ以前に「国民国家なんか要らない」というラディカルなお立場の方もおられる。
「要らない」というのは原理的にはわかる(レーニンを読めば、ちゃんとその理由が理路整然と書いてある)。
でも、原理的に「要らない」というのと、実践的に「じゃあ、なくしましょう」ということのあいだには千里の逕庭がある。
理論的には「なくてもいい」はずなのだが、いきなりなくすわけにはゆかないものはこの世にはたくさんある。
一夫一婦制度も、資本主義経済も、墳墓も、宗教も、賭博も、ヤクザも、ハリウッドバカ映画も、どれも理論的には「なくてもいい」はずなのだが、急にはなくせない。
国民国家も「急にはなくせない」ものの一つである。
もっとよいシステムについての代案が出るまで、これを使い延ばすしかない。
EUが華やかな成功を収めて、ヨーロッパから国民国家というものがなくなってから、「じゃ、アジアでもなくしますか」という議論に入っても遅くはない、と私は思う。
とりあえず国民国家はある。
ある以上、その制度が機能的に、気持ちよく、できるだけみんながハッピーになるように統御することは、私たちの喫緊の実践的課題である。
だから、「自分が帰属する国民国家に対する、静かな、しかし深く根づいた敬意をもつ国民」を組織的かつ継続的に送り出すことは必要である、と私は考えている。
その任を担うのが、学校である。
だから、国旗国歌について論じるとき、教師としては、何よりもまず国民国家という政治的装置の基盤をなす「公民意識」を子供たちにどう教え、いかにして彼らを成熟した市民に形成してゆくのかという教育の本質問題が論件の中心にならなければならない。
だが、刻下の国旗国歌論を徴する限り、ほとんどすべての論者は「法律で決められたことなんだから守れ」といったレベルの議論に居着いており、「国民国家の成熟したフルメンバーをどうやって形成するか」という教育的論件に言及することはまずない。
いわゆる「国旗国歌法」によって国旗国歌は1999年に定められた。
その法律制定当時の首相であった小渕恵三は衆院本会議で、共産党の志位和夫議員の質問に答えて、こう述べた。
学校における国旗国歌の指導は「国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております」
さらにこう続けた。
「政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません」。
私はこの首相答弁はごく常識的なものだと思う。私が首相でも、似たようなことをしゃべったはずである。
国旗国歌法制定の趣旨は「国民として必要な基礎的、基本的な内容」の習得である。
それだけである。
だとすれば、「国民として必要な基礎的、基本的な」学習内容とはいかなるものかという教育論がそこから始まるはずである。
始まらなければならないはずである。
だが、始まらない。
始まったのは教員の処分と違憲訴訟だけである。
この法律は公民教育を督励するためのものであり、教員に儀礼的ふるまいを義務化するものでも、個々の教員の教育理念や教育方法を制約するものでもない。私はそう理解している。
というのも、まさに「公民教育はいかにあるべきか」という激烈で生産的な議論が終わりなく現場の教師たちによって、あるいは親たちによって、あるいは教育学者や教育行政官や政治家を巻き込んで続けられ、その過程でひとりひとりの教員が自説を論証するために、多様な教育方法を創案し、工夫することこそが、日本の子どもたちを市民的成熟に導く捷径であると私が考えているからである。
だが、私に同意してくれる人はきわめて少ない。
話を大阪のことに戻す。
維新の会は条例案を思想信条にかかわる問題ではなく、単なる公務員の服務規定違反の問題であるとしている。
だが、政党が発議し、知事が反対者の免職を示唆し、それに抗して「違憲ではないか」と疑義を呈する人々がいる以上、これは政治問題以外の何ものでもない。
これを怠業とか背任とか情報漏洩とかいった公務員の服務規程違反と同列に論じることはできまい。
繰り返し言うが、国旗国歌問題は「公民意識を涵養する教育はどのようにあるべきか」という、すぐれて教育的な問いとしてとらえるべきだと私は考えている。
だから、橋下知事が主張するような施策によって、子どもたちの公民意識が劇的に向上するという見通しが立つなら、私はそれに賛成してもよい。
いや、ほんとうに。
私はそういう点ではきわめてプラグマティックな、計算高い人間である。
日本がそれで「住み易い国」になるという見通しが立つなら、私は誰とだって同盟するし、誰の靴だって舐める。
けれども、残念ながら、橋下知事は国民国家の公民意識を涵養するために学校教育は何をなすべきかという論件には一片の関心も示していないし、それについてのアカウンタビリティも感じていないようである。
橋下知事は着任以来、大阪府の教育関係者を、教育委員会も、現場の教職員もひとしく罵倒することで有権者のポピュラリティを獲得してきた。
その結果、大阪府民の学校制度に対する信頼と期待はずいぶん低下したと思う。
ある意味、これこそ知事の最大の功績と言ってもいいくらいである。
知事の学校不信・教員軽視は有権者である大阪府民のうちにも拡がり、当然のことながら、大阪府の子どもたちにも深く根づいた。
今の大阪府の子どもたちは、おそらく日本でもっとも学校の教師に対する信頼を傷つけられた集団であろう。
それだけの否定的評価にふさわしい出来の悪い教師たちなのだから、彼らが子どもに侮られ、保護者に罵倒されるのは自業自得だ、と。そう知事は言いたいのかも知れない。
なるほど。ほんとうに、そうなのかもしれない。
現に、おそらく多くの府立学校の教師たちは、知事の期待通り、この条例が可決された後、ずるずると教委の指示に従って、不機嫌な顔で起立して、国歌を斉唱するようになるだろう。
だが、子どもたちはそれを見てどう思うだろうか。
おそらく彼らを「処罰の恫喝に怯えて、尻尾を巻いた、だらしのない大人」だとみなすだろう。
たしかにそう言われても教師たちは反論できまい。
だから、子どもがいっそう教師を侮る趨勢はとどめがたい。
この条例がもたらすもっとも眼に見える教育的効果はそれだけである。
だが、教師たちを脅え上がらせ、上司の顔色をおどおどと窺うだけの「イエスマン」教師を組織的に創り出すことを通じて、いったい知事は何を達成したいのか、それが私にはわからない。
たしかに、教師たちをさらに無気力で従順な「羊の群れ」に変えることはできるだろう。そして、そのような教師を子どもたちが侮り、その指示を無視し、ますます教育崩壊を進行させることはできるだろう。
私にわからないのは、それによって子どもたちは学校教育からいかなる「よきこと」を得るのか、それによって子どもたちの公民意識はどのように向上するのか、ということなのである。

2011.05.20

脱原発の理路

平田オリザ内閣官房参与は17日、ソウル市での講演で、福島第一原発で汚染水を海洋に放出したことについて、「米国からの強い要請があった」と発言したのち、翌日になって「不用意な発言で、たいへん申し訳なく思っている」と発言を撤回して、陳謝した。
発言について平田参与は「この問題には全くかかわっておらず、事実関係を確認できる立場でもない」として、事実誤認であることを強調した。
内閣官房参与、特別顧問の「失言」が続いている。
平田参与の前に、3月16日には笹森清内閣特別顧問が、菅首相との会談後に「最悪の事態になった時には東日本がつぶれることも想定しなければならない」という首相の発言を記者団に紹介した。
4月13日には松本健一内閣官房参与が「原発周辺には10~20年住めない」という首相発言を紹介したのち、撤回した。
震災直後に内閣官房参与に任命された小佐古敏荘東大大学院教授は、政府の原発事故対応を「場当たり的」と批判して、4月29日に参与を辞任した。
私はこれらの官邸に近いが、政治家でも官僚でもジャーナリストでもない方々の「ぽろり」発言はおおむね真実であろうと解している。
彼らはある意味「素人」であるので、官邸に実際に見聞きしたことのうち、「オフレコ扱い」にしなければならないことと「公開してもいいこと」の区別がうまくつかなかったのだろう。
私だって、彼らの立場になったら、「ぽろり」と漏らす可能性がたいへんに高い人間なので、とりわけご本人の篤実なお人柄を存じ上げている平田さんには同情を禁じ得ないのである。
顔見知り相手に内輪で「いや、驚いた。ここだけの話だけどさ、実はね・・・」というふうに言うのまではOKだが、マスメディアやネット上で公開してはならないコンフィデンシャルな情報というものは、官邸まわりに出入りしていれば、ごろごろ転がっているであろう。
「それは言わない約束でしょ」という、「あれ」である。「あるけど、ない」とか「ないはずだけど、ある」というときの「あれ」である。
「そういうもの」がなければ、政治過程だって意思疎通はできない。
それは政治家の方たちと多少お話をする機会があるとわかる。
彼らだって、一皮剥けば「ふつうの人」である。喜怒哀楽があり、パーソナルな偏見を抱えており、あまり政治的に正しくないアイディアだって抱懐している。
それをある程度開示しなければ、自分が政治家として「ほんとうは何がしたいのか、何を言いたいのか」をまわりの人たちに理解させることはできない。
それは「自分のメッセージの解読のしかたを指示するメッセージ」、すなわちコミュニケーション理論でいうところの「メタ・メッセージ」として、通常は非言語的なしかたで(表情や、みぶりや、声のピッチや、あるいは文脈によって)指示される。
顧問や参与のみなさんの「失言」は、発言者が「どういう文脈でそれを言ったか」というメタ・メッセージの聞き違えによって発生したものと思われる。
その「文脈のとり違え」は「私のような『ふつうの人間』に『そういうこと』を平気で言うというのは、『そういうこと』はいずれ天下に周知されることなのだ」という解釈態度によってもたらされたのだと私は思う。
つまり、参与や顧問の方々はご自身を「政治家たちの中に立ち交じっている非政治家」だとは自覚しているのだが、それをつい「ふつうの人間」のことと勘違いしたのではないかと、私は思うのである。
「私のようなふつうの人間」にむかって、「こんなこと」がぺらぺら話されるというのは、「こんなこと」は別にクラシファイドではないのだ、という情報の機密度評価を彼らはなしたのではないか。
ところが、彼らは「クラシファイド情報を開示してもいいクラブ」のメンバーに実はリストされていたのである。
ただそのことがご本人には、はっきりとは伝えられていなかったのである。
「そういうことは、先に言ってくれよ」と平田さんも、松本さんも思ったのではないであろうか。
以上、すべて想像ですので、「ちげーよ」と言われたら、それっきりですけど。
ともかく、私は上に名を挙げた方々はすべて「官邸内で実際に聴いたこと」をそのまましゃべったものと理解している。
おおかたの日本人もそう理解しているはずである。
興味深いのは、マスメディアがこれらの発言が「撤回」や「修正」されたあとに、あたかも「そんなこと」そのものを「なかったこと」として処理しようとしていることである。
「たぶん『ほんとうのこと』なんだろう」という前提から、「『失言』の裏を取る」という作業をしているメディアは私の知る限りひとつもない。
私はこの抑圧の強さに、むしろ驚くのである。
それはつまり、政治部の記者たちは自分たちを「インサイダー」だと思っている、ということである。
政治家たちがリークする「クラシファイド」にアクセスできるのだが、それは公開しないという「紳士協定」の内側で彼らは仕事をしているのである(そうじゃないと「政府筋」の情報は取れない)。
だから、今回のような「クラブのメンバーのはずの人間の協定違反」に対してはたいへん非寛容なのである。
たぶんそうだと思う。
おおかたの読者も私にご同意いただけるだろう。
以上、マクラでした。
さて、その上で、平田発言を吟味したい。
これは私がAERAの今週号に書いたことにだいたい符合している。
私はこう書いた。そのまま採録する。

菅首相が浜岡原発の停止を要請し、中部電力がこれを了承した。政治的には英断と言ってよい。メディアも総じて好意的だった。でも、なぜ急にこんなことを菅首相が言い出し、中部電力もそれをすんなり呑んだのか、その理由が私にはよくわからない。経産省も電力会社も、「浜岡は安全です」って言い続けてきたのだから、こんな「思いつき的」提案は一蹴しなければことの筋目が通るまい。でも、誰もそうしなかった。なぜか。
政府と霞ヶ関と財界が根回し抜きで合意することがあるとしたら、その条件は一つしかない。アメリカ政府からの要請があったからである。
もともとアメリカが日本列島での原発設置を推進したのは、原発を売り込むためだった。ところがスリーマイル島事故以来、アメリカは新しい原発を作っていない。気がつくと「原発後進国」になってしまった。でも、事故処理と廃炉技術では国際競争力がある。
福島原発の事故処理ではフランスのアレバにいいところをさらわれてしまい、アメリカは地団駄踏んだ。そして、「ではこれから廃炉ビジネスで儲けさせてもらおう」ということに衆議一決したのである(見たわけではないので、想像ですけど)。
だから、アメリカはこの後日本に向かってこう通告してくるはずである。「あなたがたは原発を適切にコントロールできないという組織的無能を全世界に露呈した。周辺国に多大の迷惑をかけた以上、日本が原子力発電を続けることは国際世論が許さぬであろう」と。
その通りなので、日本政府は反論できない。それに浜岡で事故が起きると、アメリカの西太平洋戦略の要衝である横須賀の第七艦隊司令部の機能に障害が出る。それは絶対に許されないことである。
だから、アメリカの通告はこう続く。「今ある54基の原発は順次廃炉しなさい。ついては、この廃炉のお仕事はアメリカの廃炉業者がまるごとお引き受けしようではないか(料金はだいぶお高いですが)」。
むろん「ああ、それから代替エネルギーお探しなら、いいプラントありますよ(こちらもお高いですけど)」という売り込みも忘れないはずである。
ホワイトハウスにも知恵者はいるものである。(引用ここまで)

驚いたことに、菅首相の浜岡原発操業中止要請を中部電力が承諾した時点から、ほとんどすべての新聞の社説は(週刊誌を含めて)、ほぼ一斉に「脱原発」論調に統一された。
福島原発において日本の原子力行政の不備と、危機管理の瑕疵が露呈してからあとも、政府も霞ヶ関も財界も、「福島は例外的事例であり、福島以外の原発は十分に安全基準を満たしており、これからも原発は堅持する」という立場を貫いており、メディアの多くもそれに追随していた。
それが「ほとんど一夜にして」逆転したのである。
私はこれを説明できる政治的ファクターとして、平田オリザさんが漏らしたように「アメリカ政府の強い要請」以外のものを思いつかない。
MBSの子守さんの番組でも申し上げたように、日本が脱原発に舵を切り替えることで、アメリカはきわめて大きな利益を得る見通しがある。
(1) 第七艦隊の司令部である、横須賀基地の軍事的安定性が保証される。
(2) 原発から暫定的に火力に戻す過程で、日本列島に巨大な「石油・天然ガス」需要が発生する。石油需要の減少に悩んでいるアメリカの石油資本にとってはビッグなビジネスチャンスである。
(3) 日本が原発から代替エネルギーに切り替える過程で、日本列島に巨大な「代替エネルギー技術」需要が発生する。代替エネルギー開発に巨額を投じたが、まだ経済的リターンが発生していないアメリカの「代替エネルギー産業」にとってはビッグなビジネスチャンスである。
(4) スリーマイル島事件以来30年間原発の新規開設をしていないせいで、原発技術において日本とフランスに大きなビハインドを負ったアメリカの「原発企業」は最大の競争相手をひとりアリーナから退場させることができる。
(5) 54基の原発を順次廃炉にしてゆく過程で、日本列島に巨大な「廃炉ビジネス」需要が発生する。廃炉技術において国際競争力をもつアメリカの「原発企業」にとってビッグなビジネスチャンスである。
とりあえず思いついたことを並べてみたが、日本列島の「脱原発」化は、軍事的にOKで、石油資本的にOKで、原発企業的にOKで、クリーンエネルギー開発企業的にOKなのである。
「日本はもう原発やめろ」とアメリカがきびしく要請してくるのは、誰が考えても「アメリカの国益を最大化する」すてきなソリューションなのである。
私がいまアメリカ国務省の小役人であれば、かちゃかちゃとキーボードを叩いて「日本を脱原発政策に導くことによってもたらされるわが国の国益増大の見通し」についてのバラ色のレポートを書いて上司の勤務考課を上げようとするであろう(絶対やるね、私なら)。
勘違いして欲しくないのだが、私は「それがいけない」と申し上げているのではないのである。
私は主観的には脱原発に賛成である。
そして、たぶん日本はこれから脱原発以外に選択肢がないだろうという客観的な見通しを持っている。
けれども、その「適切な政治的選択」を私たち日本国民は主体的に決定したわけではない。
このような決定的な国策の転換でさえも、アメリカの指示がなければ実行できない、私たちはそういう国の国民なのではないかという「疑い」を持ち続けることが重要ではないかと申し上げているのである。
不思議なのは、私がここに書いているようなことは「誰でも思いつくはずのこと」であるにもかかわらず、日本のメディアでは、私のような意見を開陳する人が、管見の及ぶ限り、まだ一人もいないということである。
原発のような重要なイシューについては、できるだけ多様な立場から、多様な意見が述べられることが望ましいと私は思うのだが、こんな「誰でも思いつきそうな」アイディアだけを誰も口にしない。

2011.05.31

国旗問題再論

卒業式での君が代斉唱時の不起立を理由に、東京都教委が定年後の再雇用を拒否したのは「思想や良心の自由」を保障した憲法に違反するとして都に賠償を求めていた訴訟について、30日最高裁判決が下った。
「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする判断を下し、原告の上告を棄却した。
判決は「起立斉唱行為は卒業式などの式典での慣例上の儀礼的な性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではない」とした。
しかし、起立斉唱行為は教員の日常業務には含まれず、かつ「思想と良心に間接的制約となる面がある」と留保を加え、「命令の目的や内容、制約の様態を総合的に考慮し、必要性と合理性があるかどうかで判断すべき」との判断基準を示した。
今回の判決では、公務員は職務命令に従うべき地位にあるということを根拠に、「間接的制約が許される必要性や合理性がある」と判断して、教委による処分を違憲とした東京地裁判決を取り消した高裁の逆転判決を確定させた。
国旗国歌問題については、これまでの折に触れて書いてきた。
この問題についての私の立場ははっきりしている。
国民国家という制度はパーフェクトなものではないが、とりあえずこの制度をフェアにかつ合理的に運営してゆく以外に選択肢がない以上、集団のフルメンバーは共同体に対する「責任」を負う必要がある、というものである。
責任とは、この共同体がフェアで合理的に運営され、それによって成員たちが幸福に暮らせるための努力を他の誰でもなく、おのれの仕事だと思う、ということである。
「このシステムにはいろいろ問題がある」と不平をかこつのはよいことである。けれども、「責任者出てこい。なんとかしろ」と言うのはフルメンバーの口にする言葉ではない。「問題のうちいくつかについては私がなんとかします」というのが大人の口にすべき言葉である。
そのような大人をどうやって一定数継続的に供給するようなシステムをつくるか。私はそのことをずっと考えてきており、そのために実践的提言も行ってきた。
いくつかの政策的選択がある場合には、「公民意識の高い成員を継続的・安定的に作り出すためには、どちらがより効果的か」ということを基準にその当否を論じてきた。
私が国旗国歌に対する地方自治体の「強制」的な構えに対して批判的なのは、それが公民意識の涵養に資するところがないと思うからである。
同じ事件について7年前にブログに書いたことを採録する。私の意見は基本的に変わっていない。

東京都教育委員会が、今月の卒業式で「君が代」に起立しなかった都立校の教職員180名に戒告などの処分を下した。
起立しなかった嘱託教員は今年度で契約をうち切る方針である。
東京都教育委員会にお聞きしたい。
あなたがたはこのような処分を敢行してまで、「何を」実現しようとされているのか?
愛国心の涵養?
まさかね。
繰り返し書いているように、「愛国心」というのは「自国の国益を優先的に配慮する心的態度」のことである。
「国益」とは理念的に言えば、国民の生命幸福自由の確保のことであり、リアルに言えば、実効的な法治と通貨の安定のことである。
私たちが国益を優先的に配慮するのは、「そうするほうが私的な利益を最大化できるから」である。
当たり前のことだが、独裁者が暴政を揮い、貪吏が私利を追い求め、盗人が横行し、通貨は紙くず同然、交通通信電気などのインフラが整備されていない社会に住むより、そうでない社会にいるほうが、私たち自身の生命身体財産自由が確保される確率は高い。
私たちが国益を配慮するのは、私たち自身の私利の保全を配慮しているからである。
というのが近代市民社会論の基本の考え方であり、この原理に異を唱える人は、とりあえず日本国憲法遵守の誓約をなしてから就職したはずの日本の公務員の中にいるはずがない。
もちろん東京都教育委員会のメンバーの中にもいるはずがない。
どういう手だてをとれば、国益を最大化できるか(それはただちに私自身の私利を最大化することに通じている)を考えることに優先的に頭を使うこと、それが「愛国心」の発露である。私はそう考えている。
しかし、その「愛国頭」が出した結論については、一義的な国民的合意はない。
あるはずがない。
国益は国際関係の文脈に依存しており、ある国が単独で決することができるような問題はほとんどないからである。
たとえば、日本の外交戦略がとるべきオプションは、アメリカの国際社会における威信や影響力が「あとどれくらいもつか」についての評価の違いによって、まったく変わってしまう。
しかし、「あとどのくらいもつか」は未来予測であり、未来について確言できる人間は世界にひとりもいない。
わずかな偶然的ファクターの介入によって状況が一変する可能性はつねにあるからだ。
だから日本が外交上とるべき「ベストのオプション」を確言することは誰にもできない。
できるのは誰の未来予測がもっとも蓋然性が高いかを、データを積み上げて吟味することだけである(それもしばしばはずれるけれど)。
それでも、私はこのような知的作業をていねいに行うことが「愛国心の発露」だと思っている。
というふうに国益と愛国心について基本的な確認をした上で、東京都の教育委員会におたずねしたい。
あなたがたは、今回の処分と「日本の国益のための最適オプション採択の蓋然性の向上」のあいだにどのような論理的関係があるとお考えなのか。
どう考えても、あるようには思えない。
「君が代」と「日の丸」は日本国の象徴である。
「君が代」と「日の丸」に儀礼的な敬意を払うのは、「日本国」に対する敬意を象徴的に表現するためである。
日本国に敬意をもつ人間であれば、誰に強制されなくても自然に国旗には頭を下げ、国歌には唱和する。
神社仏閣を訪れる人間は、誰に強制されなくても自然に頭を下げている。
別に誰かが「こら、頭を下げろ、さげないと処分するぞ」と命令しているからではない。
具体的に私たちに対して何の利益も不利益ももたらしていないような天神地祇に対してさえ、私たちはほのかな敬意を抱き、それを自然にかたちにする。
ましてや具体的に私たちの日々の平穏な暮らしを保障してくれている国家に対して敬意と感謝の念を抱くことがそれほどむずかしいことだと私は思わない。
私自身は、国旗に敬礼し、国歌を斉唱する。
私が生まれてから今日まで、とりあえず戦争もせず、戒厳令も布告されず、経済的なカタストロフも、飢饉も、山賊海賊の横行もなかったこの国に対して、私なりのひかえめな敬意と感謝の念を示すためである。
私が日本国に対して抱いている「ほのかな敬意」は、親日派の外国人が日本に対して抱いている「ほのかな敬意」に質的にはかなり近いのではないかと思う。
それは別にファナティックなものではなし、万感胸に迫るというようなものでもない。
けれども、経験に裏打ちされたものである。
そのような敬意を象徴的に表現することに抵抗を覚える、という方がいるとしても、私はそれはしかたのないことだと思う。
それは世界観の問題というより、経験と経験の評価の差によるものだからだ。
いま、この国の国民であることが、それ以外の国の国民であることより「かなりまし」であるということ、この国に生まれたことが「わりとラッキーだった」ということに気づくためには、それなりの「場数」というものを踏まないといけない。
政情が不安定であったり、経済が混乱していたり、インフラが整備されていなかったり、特権階級が権益を独占していたり、文化資本の階層差が歴然としている社会をあちこちで見て来たあとになると、なんとなく「ふーん、ま、ぼちぼちいい国なんじゃんか、日本も」という気分になってきたりする。
もちろん、まったくそういうふうに感じられない人もいる。
たとえば、個人的に行政や司法から理不尽な扱いを受けた経験のある人が「国家への敬意なんて、持てるわけがない」と思うことは誰にも止められない。止めるべきでもない。
国民国家における市民社会はつねに「私と意見の違う人」「私の自己実現を阻む人」をメンバーとして含んでいる。
その「不快な隣人」の異論を織り込んで集団の合意を形成し、その「不快な隣人」の利益を含めて全体の利益をはかることが市民の義務である。
国旗国歌に敬意を払うことを拒否する市民をなおフルメンバーの市民として受け容れ、その異論にていねいに耳を傾けることができるような成熟に達した市民社会だけが、メンバー全員からの信認を得ることができる。
そのようにして異論に耐えて信認された集団の「統合の象徴」だけが、メンバーから自然な敬意を受けることができる。
私はそう思っている。
自分に敬意を払わない人間を処罰する人間は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した人間である。
ふつう、そのような人間に敬意を払う人はいない。
国家に敬意を払わない人間を処罰する国家は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した国家である。
ふつう、そのような国家に敬意を払う人はいない。
今回の東京都教育委員会の行った処分によって、世界全体で「日本が嫌いになった」人間と「日本が好きになった」人間のどちらが多いかは問うまでもないだろう。
日本を嫌いになる人間を組織的に増やすことによって、東京都教育委員会は、日本の国益の増大にどのような貢献を果たしているつもりなのか、私にはうまく想像することができない。(2004年3月31日)

ご存じの通り、アメリカ合衆国の最高裁は「国旗損壊」を市民の権利として認めている。自己の政治的意見を表明する自由は国旗の象徴的威信より重いとしたのである。
私はこの判決によって、星条旗の威信はむしろ高まっただろうと思う。
国旗国歌の良否について国民ひとりひとりの判断の自由を確保できるような国家だけが、その国旗国歌に対する真率な敬意の対象になりうるからである。
当たり前のことだが、「敬意を表しないものを罰する」というやり方は恐怖を作り出すことはできるが、敬意そのものを醸成することはできない。
「公民」は恐怖や強制によって作り出すことはできない。

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