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2011年07月 アーカイブ

2011.07.05

暴言と知性について

松本復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。
この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。

松本大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご本人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。
Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。
仮に日本語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。
傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような重大な事由ではない(それが理由になるなら、石原慎太郎はとうに辞任していなければならない)。
だから、問題は発言のコンテンツにはないのである。
発言のマナーにある。
自分の言葉を差し出すときに、相手にそれをほんとうに聞き届けて欲しいと思ったら、私たちはそれにふさわしい言葉を選ぶ。
話が複雑で、込み入ったものであり、相手がそれを理解するのに集中力が必要である場合に、私たちはふつうどうやって、相手の知性のパフォーマンを高めるかを配慮する。
たいていは、低い声で、ゆっくりと、笑顔をまじえ、相手をリラックスさせ、相手のペースに合わせて、相手が話にちゃんとついてきているかどうかを慎重に点検しながら、しだいに話を複雑な方向にじりじりと進めてゆく。

怒鳴りつけられたり、恫喝を加えられたりされると、知性の活動が好調になるという人間は存在しない。
だから、他人を怒鳴りつける人間は、目の前にいる人間の心身のパフォーマンスを向上させることを願っていない。
彼はむしろ相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。
どうして、「そんなこと」をするのか。
被災地における復興対策を支援するというのが、復興大臣の急務であるとき、被災地の首長の社会的能力を低下させることによって、彼はいったい何を得ようとしたのであろうか。

人間が目の前の相手の社会的能力を低下させることによって獲得できるものは一つしかない。
それは「相対的な優位」である。
松本復興相がこの会見のときに、最優先的に行ったのは、「大臣と知事のどちらがボスか」ということを思い知らせることであった。
動物の世界における「マウンティング」である。
ある種の職業の人はこの技術に熟達している。
大臣のくちぶりの滑らかさから、彼が「こういう言い方」を日常的に繰り返し、かつそれを成功体験として記憶してきた人物であることが伺える。
それ自体はいいも悪いもない。
ひとつの政治技術である。
それが有効であり、かつ合理的である局面もあり、そうでない場合もある。
今回彼が辞職することになったのは、政府と自治体の相互的な信頼関係を構築するための場で、彼が「マウンティング」にその有限な資源を優先的に割いたという政治判断の誤りによる。

気になるのは、これが松本大臣の個人的な資質の問題にとどまらず、集団としてのパフォーマンスを向上させなければらない危機的局面で、「誰がボスか」を思い知らせるために、人々の社会的能力を減殺させることを優先させる人々が簇生しているという現実があることである。
「ボスが手下に命令する」上意下達の組織作りを優先すれば、私たちは必ず「競争相手の能力を低下させる」ことを優先させる。
自分の能力を高めるのには手間暇がかかるけれど、競争相手の能力を下げるのは、それよりはるかに簡単だからである。
ある意味で単純な算術なのだが、この「単純な算術」によって、私たちの国はこの20年間で、骨まで腐ってきたことを忘れてはいけない。

コミュニケーションを順調に推移させるためには、「相手が自分の言うことを理解できるまで、知的パフォーマンスを向上させるためにはどうすればいいのか?」という問いが最優先する。
少なくとも30年間の教師生活において、私はそのことを最優先の課題としてつねに考えてきた。

学生に向かって「お前はバカだ」とか「お前はものを知らない」というようなことを告げるのは(たとえそれが事実であったとしても)、教育的には有害無益である。
「お前はバカだ」と言われて、頬を紅潮させ、眼をきらきらと輝かせて、「では、今日から心を入れ替えて勉強します」と言った学生に私は一度も会ったことがない。
教師として私は、若者たちに「知性が好調に回転しているときの、高揚感と多幸感」をみずからの実感を通じて体験させる方法を工夫してきた。
その感覚の「尻尾」だけでもつかめれば、それから後は彼ら彼女らの自学自習に任せればいい。
いったん自学自習のスイッチが入ったら、教師にはもうする仕事はほとんどない。
読みたいという本があれば貸してあげる、教えて欲しいという情報があれば教えてあげる、読んでくれという書きものをもってきたら添削する、行きたいという場所があれば案内する、会ってみたいという人がいれば紹介する・・・それくらいのことである。
それで十分だったと教師生活が終わった今でも思っている。

現状認識やなすべき手立てについて、自分と考え方が違う人と対面状況に置かれたときに、多くの人は、両者の意見の相違の理由をもっぱら「オレが利口で、あいつがバカだから」と思い、口にもする。
だが、当人が言うように、知的力量にほんとうに天地ほどの差があるのなら、相手を説得するくらいのことはできてよいはずである。
クリアーなロジックで、平明な文体で、カラフルな比喩を駆使し、身にしみる実例を挙げて、「なるほど・・・そう言われれば、そうですね」というところまで導けるはずである。
でも、そういうふうな話し方をする人を、私は論争場裏では見たことがない。
論争的場面において、人々は詭弁を弄し、論点をすり替え、相手の思考を遮り、相手が「むずかしいことも理解できるように知性が好調になること」を全力で妨害している。
それは論争の目的が、相手の知性を不調にさせて、ふつうなら理解できることも理解できなくなるように仕向けることだからである。
論争相手を知的に使い物にならなくすることによって「どちらがボスか」という相対的な優劣関係は確定する。
この優劣の格付けのために、私たちは集団全体の知的資源の劣化を代償として差し出しているのである。
よほど豊かで安全な社会であれば、成員間の優劣を決めるために、競争相手を効果的に無能力に追い込むことは効果的だろう。
けれど、それは「よほど豊かで安全な社会」にだけ許されたことであって、私たちの社会はもうそうではない。
私たちは使える知的資源のすべてを最大化しなければどうにもならないところまで追い詰められている。
その危機感があまりに足りない。
メディアの相変わらず他罰的な論調を見ていると、メディアにはほんとうの意味で危機感があるようには思えない。
どうすれば、日本人の知的アクティヴィティは高められるのか、ということを政治家や官僚やビジネスマンやジャーナリストは考えているのだろうか。
たぶん考えていない。
できるだけ「バカが多い」方が自分の相対的優位が確保できると、エスタブリッシュメントの諸君は思っているからだ。
松本大臣の「暴言」は単なる非礼によって咎められるのではなく(十分咎めてよいレベルだが)、この危機的状況において、彼の威圧的態度が「バカを増やす」方向にしか働かないであろうこと(それは日本の危機を加速するだけである)を予見していない政治的無能ゆえに咎められるべきだと私は思う。

2011.07.16

若者よマルクスを読もう・韓国語版序文

石川康宏先生との往復書簡『若者よマルクスを読もう』 韓国語版のためのまえがきを書きました。
韓国語版だけについているものなので、ハングルを読めない日本人読者のためにここで公開することにしました。
すでに韓国語版としては『下流志向』と『寝ながら学べる構造主義』が翻訳されているので、これが三冊目になります。では、どぞ。


韓国の読者のみなさん、こんにちは。内田樹です。
このたびは私と石川先生の共著の「若者よマルクスを読もう」をお買上げいただき、ありがとうございました。まだお買上げではなく、書店で手に取っているだけの方もおられると思いますが、これもご縁ですから、とりあえず「まえがき」だけでも読んでいって下さい。

どうしてこんな本を書くことになったのか、その事情は「まえがき」にも詳しく書いてありますが、もちろん第一の理由は、日本の若者たちがマルクスを読まなくなったからです。
マルクスは1920年代から1960年代まで、約40年間、日本におけるインテリゲンチャ(およびwould be インテリゲンチャ)にとっての必読文献でした。政治についても、経済についても、文学や演劇や音楽についても、どのようなトピックについて語る場合でも、マルクスは不可避のレファレンスでした。マルクスとまったく違う政治的意見を述べるようとするものでさえも、「なぜ、私はマルクスの主張を退けるのか」についての挙証責任を免れることはできませんでした。
ですから、韓国の若い方はあまり御存じないかも知れませんが、日本で長く政権与党であった保守政党、自由民主党の1960年代の国会議員たちの中にも実はかなりの数の「元共産党党員」が含まれておりました(私の義父もそうでした。彼は1930年代の共産党の地下活動家で、戦後自民党の代議士になったときに、そこで、多くのかつての同志に出会いました)。義父は決して例外的な人物ではありません。青年期にマルクス主義的な政治活動にコミットしていたり、それにシンパシーを感じたりしていた人々が、1960年代までは、日本社会の政財官界での中枢の重要な一部分を形成していたのです。
 ですから、「青年というのはマルクスを読むものである」というのは日本では久しく一個の常識であったのです。青年期にマルクスを読んで、そのあとに天皇主義者になるものも、仏教徒になるものも、資本家になるものもおりました。マルクスを読んだらマルクス主義者になるわけではない。というか、マルクスなんか知らないままに自然発生的に天皇主義者である者よりも、マルクスを読んで、その上で天皇主義者になった者の方が、イデオロギー的屈折がある分だけ「大人だ」と思われていたのでした。
なんだかわかりにくい話ですね。すみません。
でも、いったん「極端」まで行ってから「戻ってきた」人の方が、はじめから「そこ」にいる人よりも、自分がしていることの意味をよく理解しているというのは経験的にはたしかなことです。若いときにさんざん道楽してきた人がぽつりと「額に汗して働くことはたいせつだ」と言う方が言葉が重いでしょう?
その点で言うと、逆説的なもの言いになりますが、日本におけるマルクス主義は「マルクス主義者を作り出すため」のものではありませんでした。むしろ「大人」を作り出すための知的なイニシエーションとして活用されたのだと思います。
若いときにマルクスを読んで「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変えるべきだ」と信じた若者は、その挫折の経験を通じて、「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り替え」ようとして人間が行うことは総じて「あまり人間的ではない」ということを学習します。というのは、歴史が教える限り、「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変えよう」とした政治運動はほとんど例外なく粛清と強制収容所によってそれを実現しようとしたからです。
少年青年の頃に、マルクスを学び、マルクス主義の実践運動に少しでもかかわった人たちは「人間的で公正な社会を今ただちにここで実現するには、人間はあまり弱く、あまりに邪悪であり、あまりに卑劣である」ということを身を以て学びました。これはたいせつな経験的知見です。
それだけではありません。彼らはそういう人間を「許す」こともまた学びました(彼ら自身が多かれ少なかれそういう人間だったからです)。
久しく日本において「マルクスを読む」という営みが青年の成長改訂の必須の一段とみなされていたのは、そのような理由によるのです。
だいぶ前にその習慣が失われました。1980年代以降のことです。
若い人たちがマルクスを読む習慣を失ったことには、さまざまな歴史的理由がありますので、それはそれで仕方がないだろうと私も思います。
なにしろ、青年たちがマルクスに関心をなくした最大の理由は経済成長の成功によって、日本が豊かになったことだからです。私たちのまわりからは「ただちにラディカルに改革しなければならないような非人間的収奪」を目にする機会が激減しました。
マルクス主義へ人を向かわせる最大の動機は「貧しい人たち、飢えている人たち、収奪されている人たち、社会的不正に耐えている人たち」に対する私たち自身の「疚しさ」です。苦しんでいる人たちがいるのに、自分はこんなに「楽な思い」をしているという不公平についての罪の意識が「公正な社会が実現されねばならない」というつよい使命感を醸成します。でも、そういう「疚しさ」の対象は、1970年代中頃を最後に、私たちの視野から消えてしまいました。最後に日本人に「疚しさ」を感じさせたのは、ベトナム戦争のときにナパームで焼かれていたベトナムの農民たちでした。私たちはそれをニュースの映像で見て、ベトナム戦争の後方支援基地として彼らの虐殺に間接的に加担し、戦争特需を享受している日本人であることを恥じたのです。
でも、75年にベトナム戦争が終わったあと、日本人は「疚しさ」を感じる相手を見失ってしまいました。そして、最初のうちは遠慮がちに、やがて大声で「自分たちはこんなに楽な思いをしている。こんな贅沢をしている。こんな気分のいい生活をしている」と自慢げに声で言い立てるようになりました。
そんな社会では、誰もマルクスを読みません。
そうやって日本人はマルクスを読む習慣を失い、それと同時に、成熟のための必須の階梯の一段を失いました。それから30年経ち、人間的成熟の訓練の機会を失った日本人は恥ずかしいほど未熟な国民になりました。
金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力のある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任なのである。能力がある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるのは適切な考課の結果であり、それが社会的フェアネスなのだと広言するような人々がオピニオン・リーダーになりました。

私はそういう考え方は「よくない」と思っています。
共同体はそのメンバーのうちで、もっとも弱く、非力な人たちであっても、フルメンバーとして、自尊感情を持って、それぞれの立場で責務を果たすことができるように制度設計されなければならないと思っているからです。それは親族や地縁集団のような小規模の共同体でも、国民国家や国際社会的のような巨大な共同体でも変わりません。
もっとも弱く、非力なものとともに共同体を作りあげ、運営してゆくためには、どうしてもそれなりの数の「大人」が必要です。十分な能力があり、知恵があり、周囲から十分な敬意や信頼を得ている者は、その持てる資源を自己利益のためではなく、かたわらにいる弱く、苦しむ人たちのために用いなければならないと考える「大人」が必要です。
社会問題はぎりぎり切り詰めると、実践的には「どうやって大人を育てるか」というところに行きつきます。私はそう思います。社会全体を一気に、全体として「正しいもの」にすることはできません。でも、社会はフェアで、手触りの優しいものでなければならないと信じ、そのために自分の持てる力を用いる「大人」たちの数を少しずつ増やすことは可能です。
マルクスを読み、マルクスの教えを実践しようとすることは、近現代の日本に限っていえば、「子どもが大人になる」イニシエーションとして、もっとも成功したものでした。そして、若者たちがマルクスを読まなくなってから、目に見えて「大人」の数が減少した。私はこのふたつの現象の間には関連があると思っています。
ですから、私は「若者よ(もう一度)マルクスを読もう」という提案をすることにしたのです。それは彼らに向かって、「大人になる道筋をみつけて欲しい」ということとほとんど同義です。
同じ提案が韓国の若者たちについても適切であるかどうか。それはわかりません。でも、韓国でも、中国でも、台湾やベトナムやインドネシアでも、事情は日本とそれほど変わらないのでは、と思います。
韓国の場合、元マルクス主義者である政治家や官僚や資本家の数はたぶん日本より少ないでしょう。ですから「マルクスを読むことで成熟する」という私は説明は伝わりにくいかも知れません。けれども、世界中のどの国においても、青年たちの成熟のための階梯は「弱く貧しい人々への、共感と憐憫と疚しさ」を経由せざるを得ないということに変わりはないと私は思っています。

2011.07.31

140字の修辞学

Twitterに「愚痴」、ブログに「演説」というふうに任務分担して、書き分けることにしたら、ブログへの投稿が激減してしまった。
たしかにTwitterは身辺雑記(とくに身体的不調の泣訴や、パーソナルな伝言のやりとり)にはまことに便利なツールであるけれど、ある程度まとまりのある「オピニオン」を書くには字数が足りない。
わずかな字数でツイストの効いたコメントをするというのも、物書きに必要な技術のひとつではあろうが、「それだけ」が選択的に得手になるのは、あまりよいことではない。
というのは、「寸鉄人を刺す」という俚諺から知られるように、「寸鉄」的コメントは破壊においてその威力を発するからである(「寸鉄人をして手の舞い足の踏むところをしらざらしめる」というような言葉は存在しない)。
何より、一刀両断的コメントは、書いている人間を現物よりも150%ほど賢そうに見せる効能がある。
一刀両断的コメントの名人に「引き続き、そのテーマを5000字ほど深めて頂きたい」と頼んでも、出てくるものはずいぶん無惨な出来栄えであろう。
むろん、「寸鉄型」コメンテイターだって、物理的に「長く書く」ことはできる(同じ話を繰り返しせばいいんだから)。
でも、それでは読んでいる方がすぐ飽きる。
長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールが必要である。
そして、そのためには「前言撤回」というか、自分が前に書いたことについて「それだけではこれ以上先へは進めない」という「限界の告知」をなさなければならない。
おのれの知性の局所的な不調について、それを点検し、申告し、修正するという仕事をしなければならない。
それがないと、「内側に切り込むように書く」ということはできない。
前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の5ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て250ページ繰り返すことしかできない。
最初の5ページに書いてあることのうちにはすでに情報の欠如があり、事実誤認といわぬまでも事実評価に不安があり、推論上の不備があるということを、「最初の5ページを書いている、当のその時に」開示できるものだけが、「内側に切り込む」ように書くことができる。
私はそう思っている。
「寸鉄型」のコメントに慣れるものは、それによって得られるわずかな全能感の代償として、多くのものを失う。
自分の命をかけられるような命題は140字以内では書けない(1400字でも、14000字でも書けないが)。
だから、そこに書かれる言葉は原理的に「軽い」ものになる。
誤解してほしくないが、私は「軽い言葉」を語るなと言っているわけではない。
「軽い言葉」だということを自覚して語って欲しいと言っているだけである。
というようなことを書くと、「ふざけたことを言うな」というご批判が早速あると思うが、如上の理由により、私宛のご批判は「5000字以下のものは自動的にリジェクト」させて頂くので、皆さまの貴重なプライベートタイムはそういうことに浪費されぬ方がよろしいであろう。


「存在しないもの」との折り合いのつけ方について

ニ期倶楽部というところがやっている「山のシューレ」という催しに呼ばれて、那須高原で二日過ごした。
能楽師ワキ方の安田登さんが対談の相方にお呼び下さったのである。
お題は「能の身体性、能の霊性」。
これまで安田さんとは能楽について何度か対談している。そのつど、だんだん話が深くなる。
先方は玄人、こちらは馬齢は重ねても所詮素人であるから、専門的なことはよくわからない。
けれども、二人とも興味があることが近い。
それは「存在しないもの」とのコミュニケーションである。
「存在しないもの」、端的には「死者」のことあるが、より広く「絶対的他者(Autrui)」と呼ぶこともできる。
神も悪魔も、すべての神霊的なもの、天神地祇、妖精も鬼も河童も山姥も含めて、「存在しないもの」と呼ぶことができる。
「存在しないもの」は「存在するとは別の仕方で」(autrement qu'être) 私たちに「触れてくる」。
端的には「夢を見ているとき」がそうである。
夢の中で私たちが経験する出来事や、そこで出会うものたちは「存在しない」。
けれども、夢の中ではありありと存在している。
そこで私たちが経験する不安や恐怖は「本物」である。
ただし、私たちはそこから逃げることができる。
夢の中で耐えがたい苦痛や恐怖を経験しているとき、それがある閾値を超えると、私たちは厭な寝汗をかいて、はっと目を覚ます。
そして「ああ、夢だったのか・・・」と呟くことができる。
けれども、それはやはり一種の経験であって、夢の中の出来事を経由したことによって私たちのものの見方は変わる。
『邯鄲』の夢枕で盧生は粥の炊けるまでのわずかな時間のあいだに夢の中で数十年に及ぶ人生を駆け抜けるように生きる。そして、目覚めたときにはその分だけ年を取って「現実」に戻ってくる。
もちろん、その経過時間は脳内現象であって、身体的には数分前のままとほとんど変わらない。
けれども、盧生は「主観的には」それだけの歳月を生きたのである。
現に、その夢のあと、盧生は大悟解脱を求めるはずの旅を打ち切って、故郷に戻ってしまう。
それが現実の人間の生き方を変えてしまうのであれば、この夢の中で経験したことは、盧生にたしかに「触れた」ことになる。
「存在するとは別の仕方で」とは、このことである。
私たちは「存在しないもの」に囲繞されている。
私たちの外部にある「自然」は先へ先へと触手を伸ばすと、どこかで「そこから先にはもう手が届かない境位」に達する。私たちは「宇宙の果て」のさらに先に何があるかを私たちが理解できる言語や感覚に即しては語ることができない。
だとすれば、それは定義上は「存在しないもの」である。
私たちの内側に垂鉛を下ろしていっても、同じである。
分子の向こう、原子の向こう、素粒子の向こう・・・と現に存在している私たち自身の内部に深く深く踏み込んでゆけば、やがて、私たちの言語や感覚に即しては語ることのできない境位に達する。
私たちが「存在する」とか「存在しない」とかいう識別法を当てはめて論じることのできる範囲は実は非常に狭い。
「存在する/存在しない」という二分法が適用できる界域は果てしのない「存在しないもの」に覆われているのである。
そのような捉え方をすれば、私たちにとってとりあえず進化上の喫緊の課題が何かはわかるはずである。
それは「存在するもの」の領域をすこしずつ押し拡げ、「存在しないもの」を「存在するもの」に繰り込むことである。
宇宙開発も、分子生物学も、その意味では同じことをしている。
だが、私たちが論じているような「ゲートキーパー」の仕事は、「ゲート」を大きく拡げて、人間たちの領域を拡大することよりもむしろ、「ゲートを守る」ことに軸足を置いている。
「ゲートキーパー」は境界線を超えて「漏出」してくる「もの」たちを防ぎ止めることを主務としている。
ただし、「防ぎ止める」というのは「追い出す」ということではない。
そうではなくて、「お引き取り願う」ということである。
むりやり境界線の向こうに押し戻すのではなく、できることなら、自主的に「帰る」ように仕向けることである。
でも、「じゃあ、帰る」と言わせるためには、その前にひとしきり、彼らが「じたばた」するのに耐えなければならない。
デリケートな仕事である。
「存在しないもの」たちと「交渉する」ためにはどのような能力が要るのか、どのような技法がありうるのか。
「存在しないもの」は秩序の周縁に、理性の統御が弱まるところに出現する。そこをある種の「受信能力」を備えたものが通りかかると、それを手がかりにして、「それ」は境界線の向こうから「漏出」してくる。
能におけるワキの多くは「旅の僧」である。
彼は秩序の周縁である土地に、日のくれる頃に、疲れきってたどり着く。
彼はそこに何らかの「メッセージ」をもたらすためにやってきたわけではない。
むしろ、何かを「聴く」ためにやってきたのである。
彼はその土地について断片的なことしか知らない。だから、その空白を埋める情報を土地のものに尋ねる。
そして、その話を聴いているうちに眠りに落ち、夢を見る。
これが「存在しないもの」との伝統的な「交渉」の仕方なのである。
そして、その一場の劇が終わったとき、「それ」は立ち去り、私たちの世界と「存在しないもの」の世界のあいだの「壁」の穴は修復され、「ゲート」は閉じられる。
そのような仕事を私は「インターフェイスのメンテナンス」と呼んでいる。
この仕事は、「一回やったらおしまい」というものではない。
「どぶさらい」と同じように、エンドレスで行い続けなければならない。
それは積極的に何か目に見える「価値」や「意味」をもたらすわけではない。
「災厄が起こらなかった」というのが、彼らの仕事が順調に推移している証拠なのだが、「起こらなかった災厄」をカウントする計数能力が私たちにはない。
だから、彼らはふつう誰からも感謝されず、誰からも敬意を示されない。
かつて「遊行の民」と呼ばれた人々は、この社会的な責務を担っていた。
その「呪鎮」儀礼は古代から、もっぱら音楽と舞踊と詩歌の朗唱を通じて行われた。
だから、私たちはせいぜいこの芸能を享受したり、巧拙を論じたり、それについての美学を構築するような迂回的な作業を通じてしか、この働き人に報いる方法を知らないのである。
西行は源平の戦いの後、国内を巡歴して、死者たちのために鎮魂歌を歌った。
その時代における最大の「祟り神」は崇徳上皇の怨霊であった。
西行は崇徳上皇が葬られた白峯陵に詣でて、一首を詠み、上皇の霊はそれによって鎮まったと伝えられている。
安田さんによると、芭蕉の「奥の細道」もほとんど趣旨は同じ呪鎮の旅だそうである。
芭蕉が鎮魂しようとしたのは、源義経一行である。
義経と弁慶もまた、その供養の仕方を誤ると、巨大な「祟り神」として王土に障りをなす可能性のある存在だった。
だから『平家物語』から能楽(『鞍馬天狗』、『橋弁慶』、『船弁慶』、『安宅』、『正尊』、『摂待』などなど)に至る無数の芸能によって慰撫されなくてはならなかったのである。
芭蕉の旅はその最後の大きな試みであり、それを芭蕉は「西行のまねび」というかたちで実行した(というのが安田説)。
私自身は武道の修業というのは、この「『異界』とのゲートのメンテナンスができるような心身の能力開発」と共通する要素が強い、と考えている。
芸能であれば、美的な観点からそれを賞美するというかたちでインセンティブが示されるが、武道の場合はやや違う。
「ゲートキーパー」の「メンテナンス能力」は「災厄の接近」を予兆的に感知する「アラーム」の能力に近く、また芸能による呪鎮の原基的形態である「群舞・群唱」は「気の感応」や「合気」という機微に通じる。
能については、そんな話をしたのである。
あまりに変な話なので、会場の皆さんには気の毒なことをした。
でも、それにも懲りずに、そのあとはさらに安田さんと今度は「論語」をめぐって、同じ位(もっとかも)変な話を2時間にわたって繰り広げたのである。
さいわい、この二つのセッションは音声を収録してあるので、活字化することに
安田さんと衆議一決。
3秒考えて、新潮社の足立さんに頼みましょう、ということになりました。足立さん、よろしくね!


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