若者よマルクスを読もう・韓国語版序文

2011-07-16 samedi

石川康宏先生との往復書簡『若者よマルクスを読もう』 韓国語版のためのまえがきを書きました。
韓国語版だけについているものなので、ハングルを読めない日本人読者のためにここで公開することにしました。
すでに韓国語版としては『下流志向』と『寝ながら学べる構造主義』が翻訳されているので、これが三冊目になります。では、どぞ。


韓国の読者のみなさん、こんにちは。内田樹です。
このたびは私と石川先生の共著の「若者よマルクスを読もう」をお買上げいただき、ありがとうございました。まだお買上げではなく、書店で手に取っているだけの方もおられると思いますが、これもご縁ですから、とりあえず「まえがき」だけでも読んでいって下さい。

どうしてこんな本を書くことになったのか、その事情は「まえがき」にも詳しく書いてありますが、もちろん第一の理由は、日本の若者たちがマルクスを読まなくなったからです。
マルクスは1920年代から1960年代まで、約40年間、日本におけるインテリゲンチャ(およびwould be インテリゲンチャ)にとっての必読文献でした。政治についても、経済についても、文学や演劇や音楽についても、どのようなトピックについて語る場合でも、マルクスは不可避のレファレンスでした。マルクスとまったく違う政治的意見を述べるようとするものでさえも、「なぜ、私はマルクスの主張を退けるのか」についての挙証責任を免れることはできませんでした。
ですから、韓国の若い方はあまり御存じないかも知れませんが、日本で長く政権与党であった保守政党、自由民主党の1960年代の国会議員たちの中にも実はかなりの数の「元共産党党員」が含まれておりました(私の義父もそうでした。彼は1930年代の共産党の地下活動家で、戦後自民党の代議士になったときに、そこで、多くのかつての同志に出会いました)。義父は決して例外的な人物ではありません。青年期にマルクス主義的な政治活動にコミットしていたり、それにシンパシーを感じたりしていた人々が、1960年代までは、日本社会の政財官界での中枢の重要な一部分を形成していたのです。
 ですから、「青年というのはマルクスを読むものである」というのは日本では久しく一個の常識であったのです。青年期にマルクスを読んで、そのあとに天皇主義者になるものも、仏教徒になるものも、資本家になるものもおりました。マルクスを読んだらマルクス主義者になるわけではない。というか、マルクスなんか知らないままに自然発生的に天皇主義者である者よりも、マルクスを読んで、その上で天皇主義者になった者の方が、イデオロギー的屈折がある分だけ「大人だ」と思われていたのでした。
なんだかわかりにくい話ですね。すみません。
でも、いったん「極端」まで行ってから「戻ってきた」人の方が、はじめから「そこ」にいる人よりも、自分がしていることの意味をよく理解しているというのは経験的にはたしかなことです。若いときにさんざん道楽してきた人がぽつりと「額に汗して働くことはたいせつだ」と言う方が言葉が重いでしょう?
その点で言うと、逆説的なもの言いになりますが、日本におけるマルクス主義は「マルクス主義者を作り出すため」のものではありませんでした。むしろ「大人」を作り出すための知的なイニシエーションとして活用されたのだと思います。
若いときにマルクスを読んで「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変えるべきだ」と信じた若者は、その挫折の経験を通じて、「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り替え」ようとして人間が行うことは総じて「あまり人間的ではない」ということを学習します。というのは、歴史が教える限り、「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変えよう」とした政治運動はほとんど例外なく粛清と強制収容所によってそれを実現しようとしたからです。
少年青年の頃に、マルクスを学び、マルクス主義の実践運動に少しでもかかわった人たちは「人間的で公正な社会を今ただちにここで実現するには、人間はあまり弱く、あまりに邪悪であり、あまりに卑劣である」ということを身を以て学びました。これはたいせつな経験的知見です。
それだけではありません。彼らはそういう人間を「許す」こともまた学びました(彼ら自身が多かれ少なかれそういう人間だったからです)。
久しく日本において「マルクスを読む」という営みが青年の成長改訂の必須の一段とみなされていたのは、そのような理由によるのです。
だいぶ前にその習慣が失われました。1980年代以降のことです。
若い人たちがマルクスを読む習慣を失ったことには、さまざまな歴史的理由がありますので、それはそれで仕方がないだろうと私も思います。
なにしろ、青年たちがマルクスに関心をなくした最大の理由は経済成長の成功によって、日本が豊かになったことだからです。私たちのまわりからは「ただちにラディカルに改革しなければならないような非人間的収奪」を目にする機会が激減しました。
マルクス主義へ人を向かわせる最大の動機は「貧しい人たち、飢えている人たち、収奪されている人たち、社会的不正に耐えている人たち」に対する私たち自身の「疚しさ」です。苦しんでいる人たちがいるのに、自分はこんなに「楽な思い」をしているという不公平についての罪の意識が「公正な社会が実現されねばならない」というつよい使命感を醸成します。でも、そういう「疚しさ」の対象は、1970年代中頃を最後に、私たちの視野から消えてしまいました。最後に日本人に「疚しさ」を感じさせたのは、ベトナム戦争のときにナパームで焼かれていたベトナムの農民たちでした。私たちはそれをニュースの映像で見て、ベトナム戦争の後方支援基地として彼らの虐殺に間接的に加担し、戦争特需を享受している日本人であることを恥じたのです。
でも、75年にベトナム戦争が終わったあと、日本人は「疚しさ」を感じる相手を見失ってしまいました。そして、最初のうちは遠慮がちに、やがて大声で「自分たちはこんなに楽な思いをしている。こんな贅沢をしている。こんな気分のいい生活をしている」と自慢げに声で言い立てるようになりました。
そんな社会では、誰もマルクスを読みません。
そうやって日本人はマルクスを読む習慣を失い、それと同時に、成熟のための必須の階梯の一段を失いました。それから30年経ち、人間的成熟の訓練の機会を失った日本人は恥ずかしいほど未熟な国民になりました。
金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力のある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任なのである。能力がある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるのは適切な考課の結果であり、それが社会的フェアネスなのだと広言するような人々がオピニオン・リーダーになりました。

私はそういう考え方は「よくない」と思っています。
共同体はそのメンバーのうちで、もっとも弱く、非力な人たちであっても、フルメンバーとして、自尊感情を持って、それぞれの立場で責務を果たすことができるように制度設計されなければならないと思っているからです。それは親族や地縁集団のような小規模の共同体でも、国民国家や国際社会的のような巨大な共同体でも変わりません。
もっとも弱く、非力なものとともに共同体を作りあげ、運営してゆくためには、どうしてもそれなりの数の「大人」が必要です。十分な能力があり、知恵があり、周囲から十分な敬意や信頼を得ている者は、その持てる資源を自己利益のためではなく、かたわらにいる弱く、苦しむ人たちのために用いなければならないと考える「大人」が必要です。
社会問題はぎりぎり切り詰めると、実践的には「どうやって大人を育てるか」というところに行きつきます。私はそう思います。社会全体を一気に、全体として「正しいもの」にすることはできません。でも、社会はフェアで、手触りの優しいものでなければならないと信じ、そのために自分の持てる力を用いる「大人」たちの数を少しずつ増やすことは可能です。
マルクスを読み、マルクスの教えを実践しようとすることは、近現代の日本に限っていえば、「子どもが大人になる」イニシエーションとして、もっとも成功したものでした。そして、若者たちがマルクスを読まなくなってから、目に見えて「大人」の数が減少した。私はこのふたつの現象の間には関連があると思っています。
ですから、私は「若者よ(もう一度)マルクスを読もう」という提案をすることにしたのです。それは彼らに向かって、「大人になる道筋をみつけて欲しい」ということとほとんど同義です。
同じ提案が韓国の若者たちについても適切であるかどうか。それはわかりません。でも、韓国でも、中国でも、台湾やベトナムやインドネシアでも、事情は日本とそれほど変わらないのでは、と思います。
韓国の場合、元マルクス主義者である政治家や官僚や資本家の数はたぶん日本より少ないでしょう。ですから「マルクスを読むことで成熟する」という私は説明は伝わりにくいかも知れません。けれども、世界中のどの国においても、青年たちの成熟のための階梯は「弱く貧しい人々への、共感と憐憫と疚しさ」を経由せざるを得ないということに変わりはないと私は思っています。