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2012年11月 アーカイブ

2012.11.07

田中大臣の不認可問題の影にあるもの

田中真紀子文科相は秋田公立美術大など3大学の2013年度開校を不認可とした問題について6日に大学設置認可に関するあらたな検討委員会を発足させる意向を表明した。
文科相の諮問機関である大学設置・学校法人審議会の見直しをこの委員会で行い、改めて3大学の設置認可を判断することとして、来春の開学への可能性を残す考えである。
大臣は設置審議が「許可されてから工事をするならわかるが、ビルが建って、教員も確保してから、認可申請をするというのは筋違いだ」と批判した他、設置審議会の構成が委員29名中22名が大学関係者であることを咎めて、「多くのジャンルの方の意見を聞きたい」とした。
不認可という爆弾を放り投げてみたものの、世論の袋叩きに遭って、あわてて引っ込めたということである。
政治的にはそれだけの単なる失策に過ぎないが、この失策の背後には大学教育をめぐる本質的な問題点がいくつも透けて見える。
ひとつは文科相が「大学は多すぎる。もっと減らせ」という主張にはおそらく広範な世論の支持があるだろうと事前に予測していたということである。
この予測はある意味で間違っていない。
少なくとも文科相本人はそれを願っていたはずだし、彼女の周囲の政治家や財界人も同じ意見だったはずだからである。
「大学はこんなに要らない。大学生といえぬほどの低学力のものたちを4年間遊ばせておくのは資源の無駄だ」というようなことをビジネスマンはよく口にする。
これから彼らからすればごく当然の要請である。
この6月に、首相召集の国家戦略会議で、財界人代表のある委員が「大学が増えすぎて学生の質が下がった。専門知識はおろか一般教養も外国語も身についていない。大学への予算配分にメリハリをつけ、競争によって質を上げよ。校数が減って、大学進学率が下がってもいい」と主張した。
大学生の学力が低下しているのは事実である。
別にそれは大学が増えすぎたせいではなく、中等教育で基礎学力が担保されていないからである。
ほんとうに日本人の学力低下を懸念しているとしたら、「さらに教育機会を減らせ」ということを主張することは話の筋目が通らない。
知性的な成長のチャンスは、どう考えても、教育を受ける時間の長さと相関するからである。
どれほど学力が低いとはいえ、中卒、高卒で学業を終えるより、大学まで出た方がまだましである。
四年長く学校に通っているうちに、思いがけないきっかけで爆発的に知性的活動が活発化するということは少なくない。
それは大学教員として確言することができる。
大学が増えすぎて学生の質が下がったというのは事実であるが、それは「大学が増えすぎて日本の若者の知的な質が下がった」ということとは違う。
大学が増えたことによって、日本の若者たちの高等教育を受けるチャンスは明らかに増え、全体の学力は(わずかなりとはいえ)底上げされてきた。
たしかに大学を減らせば、淘汰を生き延びた少数の大学への入学は困難になり、入学者については「平均学力が前より上がった」という結果が見込めるだろう。
だが、それは「日本の若者たちの平均学力が上がった」ということを意味しない。
若者たち全体の平均学力は下がる。
必ず、下がる。
では、なぜ若者たちの平均学歴が低下し、平均学力が低下することを財界人は要求するのか?
もちろん、それが彼らに大きな利益をもたらす可能性があるからである。
中等教育の内容を理解していないものは大学に入学させないという縛りをかければ、おそらく現在の大学生の3分の2は高卒で教育機会を終えるだろう。
そうすれば毎年数十万の低学力・低学歴の若年労働者が労働市場に供給されることになる。
財界人たちはこれを待ち望んでいるのである。
この最下層労働者群は信じられないほどの時給で雇用できる可能性がある。
生産拠点の海外移転が進むのは、国内では人件費が高いからということが最大の理由であった。
人件費が大幅に下がってくれるなら、何も海外に出ることはない。
海外は、言葉は通じないし、インフラは不十分だし、政情も不安定である。
政情の不安定がどれほど巨大な損失をもたらすか。
そのことは中国に生産拠点を移した企業が今回の反日デモで骨身にしみたことである。
中国も人件費が高騰してきたので、目端の利く企業はすでに工場はインドネシアやマレーシアに移し始めている。
いずれインドネシアやマレーシアでも中産階級が形成されれば人件費が高騰する。
そうすると今度はミャンマーかスリランカか、あるいはアフリカか。さらに人件費の安い地域を求めて工場を移転させなければならない。
この「引っ越しコスト」はすでに侮れない額に達しつつある。
それなら、社会的インフラが整備され、政情が安定している日本国内に「超低賃金労働者」を組織的に生み出す方が企業の国際競争力は増す。
スマートな考え方である。
だから、この10年、財界人たちはずっと「日本の大学教育は国際競争力がない」ということを言い続けてきた。
そこにはもちろん「だからもっと教育研究のレベルを上げろ」という激励の気持ちがこめられていた。
だが、同時に「だから低学力の大学生は低学歴・無資格状態で労働市場に大量に放出しろ」という人件費の算盤も弾いていたのである。
誤解して欲しくないが、私はそれを責めているわけではない。
先方はビジネスをされているのである。
どうすれば儲かるかを考えるのは当然であり、その筋からすれば、「大学を減らせ」というのは「選択と集中」戦略からも、「低学力=低賃金労働者の大量供給」戦略からも一石二鳥のきわめてスマートな政策なのである。
田中文科相の「大学を減らせ」はこの財界の意向を承けて述べられた。
だから、彼女は世論の圧倒的な支持が得られるだろうと思ったのである。
だが、世間の人たちは一般論としては「大学は多すぎる」という主張に賛同はしても、各論的に「じゃあ、お前勉強できないんだから、大学行かずに働け」と言われたら、「それは嫌」なのである。
大学を出ても正規雇用にありつけるかどうかはわからない。
でも、大学を出ないと正規雇用にありつけるチャンスはさらに減る。
だったら、どんなにレベルの低い大学でもいいから、数が多い方が「オレ的」には助かる。
そういう各論的な「切ない事情」があるせいで、「大学を減らせ」という一般論が財界人たちの朝食会の話題以上には拡がらないのである。
理論的には、大学を減らして、学生の学力を上げることは簡単である。
中卒者・高卒者に正規雇用と高い賃金を約束すれば、「大学行くより働きたい」という若者はいくらでも出てくるだろう。
企業の方々が高卒者に厚遇を約束すれば、お望み通りに、大学生の学力は急カーブで上昇し、不要な大学はばたばたと淘汰されて消えるであろう。
なぜ、国家戦略会議の委員たちの誰一人それを思いつかないのか?
彼らが全員致命的に愚鈍であるという可能性を除外すると、理由は一つしかない。
「人件費コストが上がる」という選択肢はいついかなる場合でも彼らにとっては「論外」だからである。
そういう雇用環境だからこそ、現に若者たちは大学に「逃げて」いるのである。
それが現実との直面を4年間先送りにしているだけのモラトリアムだとわかっていても、ひとりひとりにとっては4年間は貴重な時間である。
雇用環境が劣化すればするほど、若者たちは就業機会を先延ばしにする。
現に大学院への進学者は過去20年で6・8%から13・4%に増えた。
これを「日本の若者たちの研究志向が高まった」と解釈する人はいないだろう。
みんな「逃げて」いるのである。
劣悪な雇用環境との直面を先送りしているのである。
田中大臣は財界人と飯を食う機会はあるが、就活している学生の愚痴を聞く機会はなかったので、同じ問題に二つの面があるということを知らずにかかる放言をなしたのである。
これが問題の第一。
もう一つは、設置審のメンバーに大学人以外の「多くのジャンルの人」をという発言である。
「多くのジャンルの人」と言ったときに大臣の頭の中に、武道家とか能楽師とか小説家とか精神科医とかは浮かんでいないと私は思う。
彼女が設置審に入れたいのはビジネスマンである。
ワタミの社長とかユニクロの社長とかローソンの社長とかを呼んできて旧弊な教育観にしがみついている大学人に「がつん」と活を入れてやらねばと思ったのである。
いや、言い訳はよろしい。
それくらいのことはわかる。
どの大学が生き残りどこが退場するかは市場が決定するのだという理屈を大学人たちにたたき込んでやってくれ、と。
大臣はたぶんそう願ったのだ。
彼女が忘れているのは、どうしてこんなに大学が増えたのか、その理由である。
91年の設置基準大綱化以来の設置基準の緩和の流れが何を意味していたの、もう一度思い出して欲しい。
そのとき文科省はそれまでの「護送船団方式・親方日の丸」の教育行政から舵を切って、大学設置基準を緩和した。
大学を始めたい人はどんどん始めてよろしい。教育プログラムも好きに編制していい。教員数や図書数や校地面積についても設置基準を引き下げる。
うるさいことはもう言わない。
その代わり、潰れても自己責任だ。
そういうロジックである。
設置の門戸を広く開放すれば、ビジネスマインデッドな人々が大学経営に参入してきて、旧弊な教育観にしがみついている時代遅れの大学を市場から叩き出して、さっぱり淘汰してくれるだろうと考えたのである。
大学を減らすために、競争原理を導入したのである。
その結果、91年の510校から2012年の780校にまで大学が52%増えた。
教育機関には強い惰性がある。
学校というはある種「プリミティブな生き物」である。
一度命を吹き込まれると、必死で生き延びようとする。
大学数が増えた結果、淘汰が激化すると思いきや、各大学は進学率を上げたり、社会人入学枠を拡げたり、市民講座を開いたり、リカレント教育をしたりして、生き延びようと必死になった。
生物は生き延びる道を自分で探し出す。
『ジュラシック・パーク』でイアン・マルコム博士もそう言っていたではないか。
でも、潰れた大学もある。
ビジネスマンが作った大学である。
2004年に小泉内閣時代に構造改革・規制緩和路線の中で「株式会社立大学」が構造改革特区に認可された。
その後についてご存じだろうか。
LECリーガルマインド大学は2004年に開学、全国14キャンパスを大々的に展開したが、まったく学生が集まらず、2009年に定員160名のところに18名しか志願者が来ないで募集停止となった。
2006年開学のLCA学院大学も志願者が集まらず2009年に募集停止した。
TAC学院大学は2006年に開学申請したが、記載不備で却下されて消えた。
実務に通じたビジネスマンたちが旧弊な大学を叩き潰すために登場したビジネスマインデッドな大学はどこもたちまちのうちに市場から叩き出されてしまった。
その理由について、私は誰からも説得力のある説明を聞いたことがない。
たぶん株式会社立大学のことは関係者全員がもう忘れたいのだろう。
その気持ちはわからないでもない。
だが、「ビジネスマインドで大学経営をする人々が次々と出てくれば、要らない大学は淘汰されるだろう」という命題は「ビジネスマインドで経営をする人々の大学は要らない大学だったので次々淘汰された」という皮肉なかたちでしか証明されていないということは繰り返しアナウンスすべきだろう。
もし大臣が大学教育にかかわる教育行政にビジネスマンを関与させようと望んでいるのであれば、その前にまず「株式会社立大学はなぜ失敗したのか?」についての説明責任があると私は思う。
以上二点、田中大臣の「失敗」の背後にある「市場と大学」の利益相反について思うところを記した。

2012.11.08

大学を減らすために何ができるのか?

田中文科相はいったん不認可とした3大学を新基準で再審査する方針を断念して、現行基準での認可を認めた。
結果的に大臣決定の全面撤回というかたちになった。
それでもなお「大学は多すぎる。大学数を減らすという方向については多くの人の賛同を得ている」と自説の正しさを訴え続けていた。
興味深いのは、田中大臣の方向を官邸が当初は支持していたことである(6日の記者会見で、田中大臣自身が暴露した。)
野田佳彦首相と藤村修官房長官は1日に田中氏から不認可の事前報告を受け、首相は「そのまま進めてください」、官房長官は「大変結構なことだ」と発言したそうである。
事態が紛糾し出してから後も、官邸は大学認可は大臣の専管事項であり、官邸は与り知らないという態度を貫き、結果的に大臣ひとりに罪をかぶせて「スケープゴート」に差し出すというかたちになった。
昨日も書いたことだが、もう少し続ける。
多くの人が「一般論として」は大学が多すぎるということに同意するだろう(官邸もそれに同意したわけだし、私も同意する)。
「じゃあ減らせ」というのももっともである。
だが、それではどうやって減らすのか。
その手立てを考えるときには「なぜこんなに増えたのか」にまず答えなければならない。
体重を減らすときには、「なぜこんなにデブになったのか」にまず答えなければならないのと同じである。
食い過ぎでデブになったのか、運動不足でなったのか、薬物の副作用でなったのか、遺伝的になったのか・・・原因によって「痩せ方」は変えなければならない。
だが、今巷間で垂れ流されている「大学を減らせ」論の中に「なぜ増えたのか」についてのまともな吟味を見ることはまれである(「まれ」というか、「ない」)。
昨日も書いたとおり、大学がこれほど増えたのは大学設置基準を緩和したからである。
誰でも大学設置ゲームに参加できるように、参入障壁を引き下げたのである。
なぜ、そんなことをしたかというと(ほとんどの人は忘れているが)「大学を減らそう」と思ったからである。
大学が増えるのは、「旧態依然たる時代遅れの大学」が淘汰されないでずるずる生き残っているからである。
行政はそう考えた。
こいつらを叩き出すためには、世界標準に準拠した教育プログラム、スマートな教育技術、有用性の高い教育サービスで武装した「新設大学」がどんどん市場に参入してきて、「古顔」を追い出して、それに取って代わるのがよろしい、と。
そう考えたのである。
自由競争による淘汰圧に大学を委ねれば、マーケットは過たず「最低の教育コストで最高の教育効果を上げる大学」だけを残して、あとは一掃してくれるだろう、と。
ふつうのビジネスはそうだからである。
消費者は「新発売!」という商品に飛びついて、昨日まで愛用していた商品を惜しげもなくゴミ箱に捨てる。
新しいiPadを買ったら、ふるいラップトップは(まだ使えるのに)ゴミになる。
それと同じことが大学でも起きるだろう、と。
みなさんそう考えたのである。
でも、そんなことにはならなかった。
大学は「お店」ではなく、教育は「商品」ではないという基本のことを忘れていたからである。
「大学を減らせ」という一般論を語る方は、ほんとうはまず「要らなくなった自分の大学」を捨てるところから始めなければならなかったのである。
自分の子供が二流以下の大学に通っているなら「どうせ勉強してないんだから、大学なんか行くな」と言うべきだったのである。
大学なんか国立と私立が数十校あれば足りるんだから、偏差値60以下の大学なんか存在するだけ税金の無駄だから、そんな学校にはうちの子だけは絶対に通わせないというぐらいのご英断が欲しかった。
もちろん、自分の卒業校についても「あんな大学はなくてもいい」ということであれば、ただちに同窓生に呼びかけて「廃校運動」を起こすべきだった。
「日本の大学教育のレベルを上げるためにも、母校を廃校にして、大学を減らしましょう」というキャンペーンを「なくてもいい大学」の卒業生たちは率先して行うべきだった。
でも、もちろん、誰もそんなことをしなかった。
どんなろくでもない大学でも、自分の子供は大学という名前のところに通わせたいし、どんなろくでもない大学でも、自分の母校が淘汰されて消えることは耐えがたいからである。
つまり「要らない大学」というのは、「大学を減らせ」論者にとっては「自分に関係のない大学に限って」ということだったのである。
大学は減らさなければならないが、「うちの大学」だけは残さなければならない。
子供を大学に通わせているすべての親たちと、大学を卒業したすべての人々がそう考えた。
それでは、大学は減らない。
減るはずがない。
企業の場合にはそういうことはふつうは起らない。
オレはむかしトヨタカローラに乗っていた。いまはベンツに乗っているが、オレが「卒業」したカローラには永遠に存在してほしい。トヨタが経営不振でカローラのラインを消すという話があるのなら、多少の拠金をするにやぶさかではない、と考えるような消費者は存在しない(するかもしれないが、日本全国で30人くらいであろう)。
企業と大学は違うのである。
企業は起業した100社のうち99社は50年後にはもう存在しないが、大学は開学した100校のうち99校は50年後も生き残っている。
生命力が違うのである。
だから、「生命力のない株式会社立大学」からまっさきに淘汰されていったのである。
市場に委ねれば企業は淘汰されるが、大学は生き延びる。
その生命力の差を見落としたからこそ、大学がこれだけ増えてしまったのである。
それでもなお、今からまた「市場の淘汰圧に委ねて大学を減らそう」ということを言い出す人たちがまたぞろ出てくると思う。
そして、その結果、大学はさらに増えてゆくことになるのである。
いい加減学習したらどうか。
論理的に考えて、「淘汰」というのは新しいものの参入を認めないと意味をなさないのである。
新規参入を認めず、今ある大学だけの中で競争させれば、たしかに「出来の悪い大学」は消えて行くが、それは「出来のいい大学」が増えるということではない。
どうしても競争原理に訴えたいなら、いやでも新規参入を認めなければならない。
生存競争を激化したいのであれば、設置基準を緩和するしかない。
それは一時的に(いつまで続くかわからないが)大学が増え続けるということを受け入れることを意味している。
「大学を減らすために、大学をとりあえず増やしてみる」という政策をさらに続けてどうするのか。
逆に、設置基準を一気に厳格化するという方法もある。
こちらの方が目的限定的には合理的である(田中大臣が狙っていたのも、この線だろう)。
定員が一定の比率を割ったら自動的にその学科学部を募集停止処分にする。
もちろん新規参入は一切認めない。
そうすれば大学は確実に減る。
問題は、それが日本の学術レベルが向上したということを意味するわけではないということである。
それはただ研究教育機関の数が減って、その分だけ日本社会から研究教育機会が失われたというだけの話である。
日本人の全体に低学歴化し、平均学力が低下したというだけの話である。
だが、教育行政の主管官庁が「国民の教育機会を減らし、平均学力を下げるため」に組織をあげて努力するというのは、誰が見ても、ことの筋目が違っている。
進むも地獄、退くも地獄。
そういうところにまでわが国の教育行政は追い詰められているのである。
田中大臣の最大の失策は、日本の教育がそこまで追い詰められており、政治家や官僚やビジネスマンたちが提案する「これでたちまち解決、教育改革の秘策」なるものはどれも愚策にすぎないという事実の前に「粛然と襟を正す」ところから始めなかったことである。

2012.11.15

コンビニ化する大学と知性の危機について

田中大臣の「問題提起」を承けて、大学設置基準の見直し、「総量規制」についての議論が始まった。
不認可そのものは失着だが、「大学はなぜこんなに多いのか?」という問いが前景化されたのは、よいことである。
ものごとはできるだけラディカルに、根底的に論じる方がいい。
議論の基礎資料として、まず大学数の推移だけ抑えておこう。
日本の大学数は1949年で、国立68校、公立18校、私立92校、計178校。
私が大学に入学した1970年で、国立75校、公立33校、私立274校、計382校。
設置基準が大綱化された1991年で、国立97校、公立39校、私立378校、計514校。
そして、2011年度で、国立86校、公立95校、私立594公立。計780校。
ほぼ20年ごとの大学数推移をみるとわかることがある。
第一期(いわゆる「駅弁大学」の草創期)に、大学数は20年間で204校、214%増加した。
これは高度経済成長期に、官民あげて、労働者の高学歴化を求めていた社会的要請をくっきりと反映している。
「駅弁大学」と愚弄したのは中央のメディアの「上から目線」の話であって、実際に自分たちの街に大学を誘致できた都市は、そのことを素直に寿いでいたはずである。
第二期(「大学紛争」の後の時期、つまり、大学の「レジャーランド」化を国策的に推進した時期)は132校、134%増で、このとき急増傾向がいったん緩和していることがわかる。
大学経営というのが「なんだかさっぱり割に合わない仕事」だという倦厭感が私学経営者にあったのだろうと思う。
60年代末から70年代初期の全国学園紛争は大学のありかたにいくつか決定的な影響を与えた。
ひとつは、それまで「エリート養成教育機関」とみなされていた大学が「大衆化」したことを印象づけたことである。
エリートは「体制」を自分たちがいずれそこに参加し、そこでのプロモーションをあらかじめ約束されている「自分たちのための場所」だと思うことができる。
だが、大衆化した大学の学生たちの多くは、「体制」内部にもう「自分のために約束された席」があると思い込むことができない。
その「根を失った」感覚が大学解体のムーブメントの感性的な基礎をかたちづくった。
教員たちの中枢層はこの時期はまだ旧制高校卒業生、帝大卒のエリートたちで占められていた。
ヘルメットをかぶって、ゲバ棒や鉄パイプを手に、校舎をバリ封し、ガラスを叩き割る学生たちは、教師たちの持つ「大学生像」とは似ても似つかぬものに見えたはずである。
だから、この時期には「もっと大学を増やそう」ということについて、すでに積極的な国民的合意はなかった。
大学生自身が大学の存在理由を否定していたし、大人たちもうんざりしていた。「親の脛をかじりながら、デモなんかしやがって。そんなやつは大学なんかやめちまえ。政治運動がしたけりゃ、自分で飯を食えるようになってから、やれ」というような反大学的心情の方がずっと一般的だった。
都内の主だった大学は次々郊外に移転させられた(二度と政治闘争の拠点にさせないために)。
私自身がその時期に大学生、院生、助手をしていたから、大学に対する世間の「冷たい眼」は身にしみて覚えている。
その「大学なんて、あってもしようがない」という社会の反大学的ムードはそのあとに予想外の歪んだかたちをとった。
それが「大学を淘汰せよ」という無言の圧力である。
これが第三期に当たる。
この時期を特徴づけるのは、設置基準の緩和、外国の大学の参入、「ディグリー・ミル」の参入、評価活動の開始、株式会社立大学の認可など、「規制緩和・構造改革・市場原理による大学淘汰」趨勢である。
この第三期に、大学数は266校、152%の増。
「これまでのような大学」なら、もう要らない。
それが「体制」側の下した判断だった。
一般教養科目はもう要らない。リベラルアーツは「エリート」用の知的デコレーションであり、どうせ卒業したあと「社畜」になる身には不要のものである。
18歳からすぐに専門教育を施して、卒業したら「即戦力」になるような「人材」を育成せよ。
もう大学は「高等教育機関」ではない。そのような社会的責務は一部の「超エリート校」が担う。あとの大学は「能力がそこそこあって、互換性があって、安い賃金で働く、タフな労働者」をできるだけ安いコストで量産すればいい。
そのためには、「昔気質」の大学はもう邪魔である。
時代遅れの「建学の理念」を後生大事に抱え込み、時代錯誤のリベラルアーツ教育を、費用対効果の悪い少人数クラスで行っているような大学は「もう要らない」。
そういう賞味期限の切れた「恐竜」のような大学を淘汰するために、設置基準が緩和されたのである。
参入障壁が下がれば、ビジネスマインドに溢れ、市場のニーズを熟知し、費用対効果の高いメソッドで大学教育ができる野心的なプイレヤーたちが風を巻いて市場に参入してくるだろう。そうすれば「既得権益にあぐらをかいた」古い大学はたちまち一掃される、と。
教育行政の要路の方々はそう考えた。
だから、その時期に大学が増えたのである。
この話はこの数日書いているとおりである。
「古い大学」を淘汰して、市場の選択に耐えた「新しい大学」に教育を委ねるために規制緩和をした。
してみたら、「古い大学」はしぶとく生き残り、規制緩和に乗じて参加してきた「何をしたいのかよくわからない」大学がそこらじゅうに開学してしまったのである。
「大学を減らすために、一時的に大学の数を増やして、生存競争を激化させる」というアイディアは大失敗した。
低いハードルを利用して入ってきた大学は「低いハードル」にふさわしい中身の薄い大学ばかりであった。
しかし、それ以上に大きな問題は、そうやって無意味に生存競争を激化させたせいで、日本じゅうの大学が「生き残り競争」に追い込まれたことである。
人為的に作り出された競争的環境を生き残るために大学はどう変わるべきか。それについて鳩首凝議を重ね、数百頁の報告書を書くという仕事に大学教員が総動員された。
その結果、研究教育の時間を大幅に奪われた教員たちの研究教育のアウトプットは大きく劣化することを余儀なくされた。
大学教育の質向上のために仕掛けた淘汰圧のせいで、結果的に日本の大学は、淘汰圧をかけられる前より研究教育内容が劣化したのである。
そういうことである。
規制緩和してみたら、大学数は減らず、大学の質だけが悪くなった。
だから、今の時点で、これまでの失策を振りかえるならば、大学の設置基準の厳格化、総量規制は方向としては「正しい」。
だが、それが正しい施策に結びつくためには、いったい教育行政は「どこでボタンをかけ違えたのか?」を問わなければいけない。
メディアは気楽に「見通しもなく、むやみにした開学した大学側にも責任がある」と書くが、このときに「だから大学人はダメなんだ」というような一般論に逸脱するのはやめてもらいたい。
規制緩和の「前から」あった大学はそもそも規制緩和に賛成する理由がないからである。
参入条件のハードルを下げて、新設大学と志願者を奪い合い、倍率が下がることで大学教育そのもののプレステージが下がることに誰が賛成しようか。
旧帝大などは院生の就職先が増えることはありがたいし、新設校と競合する可能性なんかないからあるいは規制緩和賛成だったかも知れない。
だから、「設置基準をあまり緩めるのはいかがなものか」と控えめに抗議した大学人は私の記憶する限りあまりいなかった。
たぶんそう抗議してもメディアは冷たかっただろう。
「自由競争で淘汰されるのを恐れて、既得権益にしがみついているのではないか?正々堂々と勝負して、勝ってみせたらどうか。それとも勝てる気がしないのか?」と。
そう言われたら、大学人は反論できない。
「市場が正しい判断を下すであろう」という命題にそのときは誰も反論できなかった。
その結果が、「このざま」である。
繰り返し言うが、大学の数がここまで節度なく増えたのは、第一には教育行政が「そうしろ」と指導してきたからである。第二には、「大変結構なことだ」と政治家もメディアも地方自治体も歓迎したからである。
政治家やメディアに反省を期待するのは100%無駄なことだし、地方自治体にはそもそも継続的な「反省できる主体」が存在しないから、私が相手にできるのは文科省だけになるが、文科省がなすべきはこの事態の「謝罪」と「原因調査」である。
自分たちの政策的判断の誤りを吟味するところからしか、この問題に接近する方法はない。

さて、その上で、何の手も打たずに、このまま事態に推移した場合に、どういう大学が消滅することになるのか、そのシミュレーションをしなければならない。
「大学ランキング」 の小林さんが興味深いデータをおくってくれた 。
私立大学の入学定員充足率である。
577校の入学定員充足率は104・19%。
130%以上……4校
120%台……36校
110%台……146校
100%台……127校
90%台……74校
80%台……69校
70%台……47校
60%台……36校
50%台……20校
50%未満…18校

定員割れしている大学の割合は264校/577校=45・75%。
規模別の定員充足率(入学者/入学定員)は次のとおり。
100人未満 ……91.12%
100~200……88.83%
200~300……91.14%
300~400……95.38%
400~500……93.80%
500~600……93.65%
600~800……95.96%
800~1000 …101.71%
1000~1500 ……106.94%
1500~3000 ……110.55%
3000以上  ……109.62%

入学定員800人が+-の境目になっていることがわかる。
以下は小林さんのコメント。
「上記のデータを都道府県別に分類すると、規模が大きい、および定員充足率が高い大学は都市部に集中し、地方大学が厳しいという状況になります。
万が一、定員充足率が満たない大学が切り捨てられるようになれば、地方大学から削られていくことになります。
大学の特定地域への一極集中、そして、特定大学への一極集中。
これでいいのかと、大いに考えさせられます。」
まことに大いに考えさせられる事態である。
大学の設置基準を緩和し、新規参入枠を拡げた結果、地方の小規模校がその被害を蒙り、都市圏の大規模校がスケールメリットを生かして、「集客」に成功しているという絵柄がはっきり見えてくる。
いずれ、地方の小規模校が姿を消し、その「大学空白区」に「大手のフランチャイズ店」のような「出先大学」が進出してくることになるのだろう。
大学の「コンビニ化」である。
当然、いくつもの「メガ大学」が競合することになれば「価格競争」になる。
岡田斗司夫さんが予言しているように、授業料20万円とかいう「超低価格大学」が出てくるだろう。
授業料切り下げにはコストカットで対応するしかない。
同一教科書、同一プログラムの一括採用、全国共通テストの一斉実施とコンピュータ採点、授業のネット配信、アルバイトTAによるゼミと論文指導、専任教員数の減員、キャンパスそのものの縮小とできれば廃止(「駅前」貸しビルでの教室展開)などなど。
すでに大手の大学の管理部門はこの程度のことはすべて計画済みのはずである。
コンビニやスーパーの店舗開発担当者が各地の大学の「キャンパス展開企画室」にヘッドハンティングされていると聞いても私はもう驚かない。
問題は、このような「コンビニ大学」が知的なイノベーションの起点たりうるのか、ということである。
全国すべての教室で、マニュアルとおりの定型的な授業が行われるとき(センター試験のときの試験監督の様子を想像すればよろしい)、そこが知的生成の場となることが可能かという問いに「イエス」と答えることは難しい。
だが、わが国の大学は、今、まっすぐに「この方向」に向かっている。
教育研究の生産性は、教育理念、教育方法、学部構成、サイズを異にするいくつもの大学が混在することで最大化する。
生態学的な多様性が失われるとき、知性の危機が訪れる。
支持してくれる人はほとんどいないが、私はそう主張し続ける。


2012.11.19

幼児化する政治とフェアプレイ精神

できたばかりの石原慎太郎の太陽の党が解党して、橋下徹の日本維新の会と合流。太陽の党との合流話を一夜で反古にされた河村たかしの減税日本は「減税の看板をはずしたら仲間にいれてやる」と恫喝されて落ち込んでいる。渡辺喜美のみんなの党は維新への離党者が続出しているが生き延びるために維新との選挙協力の方向を探っている。
いわゆる第三極政局は「あの業界」の離合集散劇とよく似ている。
党名を「なんとか組」に替えて、笠原和夫にシナリオを書いてもらったらずいぶん面白い映画ができそうである。
残念なのは、登場人物の中に感情移入できる人物がひとりもいないことである。
状況的には河村たかしと渡辺喜美が『総長賭博』の中井信次(鶴田浩二)や『昭和残侠伝・人斬り唐獅子』における風間重吉(池部良)の役柄に近い「引き裂かれ」状態にある。甘言を弄しあるいは恫喝を加えて縄張りを奪おうとする新興勢力に抗して、なんとか平和裏に組を守ろうとするのだが、うち続くあまりの理不尽な仕打ちにぶち切れて、全員斬り殺して自分も死ぬ・・・という悲劇的役どころは彼らにこそふさわしいのだが、ふたりともそこまでの侠気はなさそうである。
この二人を見ていると、級友にいじめられて、「パン買ってこい」とパシリに使われている中学生が、それでも「オレはいじめられてなんかいないよ。あいつら、オレの友だちなんだから。みんなオレのマブダチなんだ」と言いながら、だんだん目がうつろになって、しだいに狂ってゆく・・・という姿がオーバーラップする。
橋下徹という人はほんとうに「いじめ」の達人だと思う。
どうすれば、人が傷つき、自尊感情を奪われ、生きる意欲を損なわれるか、その方法を熟知している。
ある種の才能というほかない。
減税日本とみんなの党の「いじめ」方をみていると、それがよくわかる。
人をいじめるチャンスがあると、どうしてもそれを見逃すことができないのだ。
たぶんこれがこの人に取り憑いた病なのだろう。
テニスで、相手がすべって転んだときにスマッシュを控えるのは英国紳士的な「フェアプレイ」であり、これができるかどうかで人間の質が判断される。
テニスの場合、強打するか、相手の立ち上がりを待つかの判断はコンマ何秒のうちに下される。政治的思量の暇はない。
フェアプレイ精神が身体化されていない人間にはそういうプレイはしたくてもできない。
だから、英国人は「そこ」を見るのである。
テニス技術の巧拙や勝敗の帰趨よりも、そのふるまいができるかどうかが、そのプレイヤーがリーダーとしてふさわしいかどうかのチェックポイントになるからである。
ジョン・ル・カレの新作『われらが背きしもの』に興味深い場面があった。
オックスフォード大学で文学を教えている青年ペリーはバカンスで訪れたリゾート地の海岸で、ふとしたきっかけからロシアの犯罪組織の大物であるディマとテニスの試合をすることになる。
力量の差に気づいたペリーは少しのんびり試合を進めようとした。一方的な「虐殺」ではなく、家族たちが見守っている前で必死で走り回るディマのプライドを配慮して、ゲームらしいかたちに整えようとしたのである。
「サイドを変えたとき、ディマに腕をつかまれて、怒声を浴びせられた。
『教授、あんたおれをバカにしたな』
『僕が何をしました?』
『さっきのボールはアウトだった。あんた、それがわかっていたのに、わざと手を出した。おれはデブの半年寄りで、半分死にかけているから、手加減してやろうとでも思っているのか?』
『さっきの球は、ラインを割ったか割らないか、ギリギリのところでしたよ』
『教授、おれは賭けでテニスをやるんだ。やる以上、何か賭けよう。おれが勝つ、誰もおれをバカにしない。どうだ、1000ドル賭けないか?試合を面白くしようぜ』
『お断りします』
『5000ドルでどうだ?』
ペリーは笑いながら、首を振った。
『あんた、臆病者だな?だから賭けに乗れないんだな』
『たぶんそういうことですよ』とペリーは認めた。」
そして試合が終わる。ペリーが勝った。ディマはペリーを熱く抱きしめてこう言う。
「『教授、あんたはものすごいフェアプレイ精神のイギリス人だ。絵にかいたようなイギリス紳士だ。おれはあんたが好きだよ。』」(ジョン・ル・カレ、『われらが背きしもの』、上岡伸雄他訳、岩波書店、2012年、43~44頁)
この一言がきっかけでペリーとディマはありえないような不思議な絡み合いの中に引き込まれてゆくのであるが、それはともかく、テニスを通じてイギリスの紳士たちは「勝つこと」だけでなく、「どう勝つか」を学習する。
「敗者を叩き潰す勝ち方」ではなく「敗者に敬意をもたれるような勝ち方」を学ぶことが指導者になるためには必要だからだ。
いまのイギリス人がどうかは知らないが、ジョン・ル・カレが遠い目をして回想する大英帝国の紳士たちはそういう勝ち方をパブリックスクール時代に学んだ。
それは理想主義的ということではない。労働者階級や植民地原住民たちを支配する訓練の一環として学んだのである。
自分が上位者であり、相手の立場が弱いときに、あえて手を差し伸べて、「敵に塩を送って」、ゲームのかたちを整えるというのは、実は非常に費用対効果の高い統治技術であり、ネットワーク形成技術だからである。
倫理的思弁が導いたのではなく、統治の現場で生まれたリアルでクールな知恵である。
ただし、重要なことは、それは政治的オプションとして「選択」することができないということである。
脊髄反射的にできるものでなければ、「フェアプレイ」とは言われない。
熟慮の末に、「こうふるまえば自己利益が増すだろう」と思って選択された「敵に塩」的パフォーマンスはただの「マヌーヴァー」である。
考えている暇がないときにも「フェア」にふるまえるか、「利己的」になるか、その脊髄反射にその人が受けてきた「統治者たるべき訓練」の質が露呈する。
ふりかえってわが国の「ウッドビー統治者」たちのうちに「フェアプレイ」を身体化するような訓練を受けてきた政治家がいるだろうか。
繰り返し言うが、それは「上品な政治家」とか「清廉な政治家」とかいう意味ではぜんぜんない。
統治者としてリアルな力量があるかどうかを「フェアプレイ」を物差しで見ようとしているだけである。
その基準で言えば、「政治的技術としての身体化されたフェアプレイ精神」を示すことのできる政治家はいまの日本にはほとんどいない。
ほんとうを言うと、「ひとりもいない」と書きたいところである。
だが、どこかに「フェアな政治家」がまだ絶滅危惧種的に残存しているかもしれないので、そのわずかな希望を「ほとんど」に託しているのである。
繰り返し書いていることだが、また繰り返す。
今の日本の政治システムが劣化しているのは、システムのせいではない。
人間の質が劣化しているのである。
だから、制度の改変や政策の適否について、百万語を費やしても無駄である。
政治的公約や連帯の約束を一夜にして反古にすること、「勝ち馬に乗る」ことを政治家として生き残るためには「当たり前」のことだと思っているような人間たちばかりが政治家になりたがっている。
統治者になるための訓練を受けたことがない人間たちが統治システムに群がっている。
中学生的な「いじめの政治学」には長けているが、「フェアプレイ精神」については聴いたこともないという「こども」たちが政治の世界に跳梁している。
日本の政治は12月の総選挙で少しは変わるのだろうか?
私にはわからない。
これ以上政治が幼児化することがないように祈るだけである。

2012.11.28

『菊と刀』と領土意識について

寺子屋ゼミで『菊と刀』についての報告を聞いて、ディスカッション。
もうずいぶん久しく手にとっていないけれど、引用箇所を読み返すと、ほんとうによくできた本である。
ツイッターにも書いたけれど、ルース・ベネディクトはこの文化人類学的研究を文献と日系市民からの聞き取り調査だけでなしとげた。研究の依頼主はアメリカ国務省戦時情報局海外情報部。
戦争に勝つためにアメリカには敵国戦争指導部の意思決定プロセスを知る必要があったし、さらに進んで戦勝後の日本占領のために日本人の考え方・感じ方をしっかり把握しておく必要があった。
同じ種類の仕事を大日本帝国の戦争指導部が行っていたのかどうか。
していなければならないはずである。
だが、外務省の外交史料館や防衛研究所のアーカイブを見ないとわからないけれど、たぶんないと思う。
それがないというのは、はじめから「戦争に勝つ気がなかった」ということである。
だから負けたのだ。
同じ仕事をアメリカは同時にドイツ、イタリア、(ヴィシーの)フランスともしかするとフランコのスペインについても行っていたはずである。
『鷲と剣』とか『カエサルとドンファン』とか『百合とギロチン』とか。
タイトルを妄想するだけでも読みたくなってくる。
ワシントンの公文書館はきっとあるはずである。
誰か探し出して訳してほしいが、たとえ見つかっても残念ながらルース・ベネディクトのレベルには達していないであろう。
『菊と刀』は誰が見ても天才的な人類学者の仕事である。
『菊と刀』にはアジアの「未開人」に対する白人種の蔑視を含んだ自民族中心主義的なバイアスがかかっていると批判する人もいるが、およそこの世にある書物で「自民族中心主義的なバイアス」がかかっていないものなどひとつもない。
そもそも記述に際してある国語を選択するというだけで、もうその言語のコスモロジーの虜囚となることは避けられないのである。
United States of America を「アメリカ合衆国」と訳した段階ですでに日本語にはアメリカにおける「State」という概念が存在しないことが露呈される。
だから、State がなんであるかを知らぬままに私たちは話を進めることになる。
そういうものである。
価値中立的なしかたで他国民・他民族・他集団について記述することは原理的にできない。
原理的にできないことをあたかも知的・倫理的努力さえあれば「できる」かのように不当前提しておいて、他人の仕事に難癖をつけるのはよろしくないと思う。
その記述は「アメリカ人は・・・であるが、それと違って日本人は・・・である」という形式を基本的には採用している。
これを「アメリカの価値観を絶対化している」という批判もあるようだが、これも無理筋の批判だろう。
ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』は文化人類学の先駆的業績だが、全編「ヨーロッパではこうだが、日本ではこうだ」という並列的記述「だけ」で埋め尽くされている。
そう書かないと日本文化の独自性を際立たせることができないからフロイスはそうしたのである。
そんなものを書くなとフロイスに言ってもしかたがない。
現に、その資料のおかげで私たちは戦国時代の日本人がどんな生活をしていたのかを今ありありと想起できるのである。
とにかく『菊と刀』は第一級の文化人類学的研究である。
さて、その中で昨日の議論の中心になったのは、以下の箇所である。
「日本がその戦争を正当化するために用いた前提そのものが、アメリカのそれとは正反対であった。日本は国際情勢を異なった仕方で規定した。アメリカは枢軸国の侵略行為が戦争の原因であるとした。日本、イタリア、ドイツの三国はその征服行為によって、不法にも国際平和を侵害した。枢軸国が権力を握った所が満州国にせよ、エチオピアにせよ、ポーランドにせよ、それは彼らが弱小民族を抑圧する邪悪な進路に乗り出したことを証明する。彼らは『共存共栄』、あるいは少なくとも自由企業に対する『門戸開放』の国際間の掟に対して罪を犯したのである。日本は戦争原因について別な見方をしていた。各国が絶対的主権をもっている間は、世界に無政府状態がなくなることはない。日本は階層的秩序を樹立するために闘わねばならない。この秩序の指導者は、それはむろん日本である。なんとなれば、日本は上から下まで真に階層的に組織されている唯一の国であり、したがっておのおのがその『所』を得ることの必要性を最もよく理解しているからである。」(ルース・ベネディクト、『菊と刀 日本文化の型』、長谷川松治訳、講談社、2005,34-5頁)
いささかわかりにくい記述だが、ベネディクトの「自民族中心主義」がもっともあきらかに露出しているのはここである。
ベネディクトはここで「門戸開放・共存共栄=ひとりひとりが自由に世界を移動し、自由な活動をすることを最高価値とする組織原理」を「国際間の掟=ユニバーサルな真理」とし、日本が採用している「ローカルな真理」である「階層的秩序=ひとりひとりが『所を得る』ことを最高価値とする組織原理」と対比させている。
私はこの対比のさせ方は正しいと思う。
ただ、門戸開放・共存共栄が不可侵の「掟」であり、階層的秩序が「違法」であるというふうには考えない。
昨日ツイッターに書いた議論をもう一度繰り返せば、これは「グローバライズ」と「ローカライズ」の、「世界の均質化」と「地域の個性化」の、「開国」と「鎖国」の、「世界標準」と「ガラパゴス標準」の原理的な対立を映し出している。
私はそう考える。
大日本帝国の朝鮮半島・台湾出兵、満蒙進出はそのつどつねに「ここを取らないと日本は滅びる」という「生命線論」の話形で正当化されてきた。
外形的には誰が見ても「海外侵略」だが、日本人の主観においては、これは「祖国防衛」のための止むに止まれぬ自衛行為であり、「うちの地所を護るための塀をつくる」というタイプの「既得権益保守」のための軍事行動であった。
ベネディクトはこの「既得権益保守」という「受け身」の行動、武道的に言えば「後手に回って、あわてて取り繕っている」タイプの行動を、主体的に選択された計算づくの侵略行動というふうに解釈したようである。
これは少し見立てが違うと私は思う。
日本がやったことは客観的には侵略だが、主観的には祖国防衛なのである。
この奇妙な心理機制を見落とすと、日本人がどうしてあのような「危険な行動」をとるのか、その理由がわからなくなる。
これについてはかつて丸山眞男がはっきりと大日本帝国の戦争指導部には「戦争目的がなかった」ということを指摘している。
丸山はさきの戦争について、これを主導した「世界観的体系」や「公権的基礎づけ」がないことに注目した。
「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っているに違いない。然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起しながら、我こそ戦争を起したという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか。」(『超国家主義の論理と心理』)
現に、日本の行った戦争には綱領的な指導理念がなかった。
もちろん「五族協和」とか「八紘一宇」とか「四海同胞」とかいうスローガンはあった。けれども、それは被侵略国民に対して「私たちとあなたは同類である」ということをさまざまに言い換えたにすぎない。
「ご存じなかったかもしれませんが、あなたの住んでいるここは実は『うちの地所』でもあるんです。だから、私たちがここに建てた『塀』はあなたを守る『塀』でもあるのです」というロジックで日本は東アジアや太平洋諸島の占領を倫理的に正当化した。
丸山のいう「ずるずる」というのは、要するに、その政治的行為を主宰する主体がいない、ということである。
ある決定の初発の意図を説明し、それを指導的に遂行し、それがもたらす功罪のすべてについて固有名において責任を取る人間がいない。既成事実の前に無限に屈服してゆき、個人としての責任の引き受けはこれを拒否する。
つまり、日本は侵略して自国の領土を「拡げよう」としたのではなく、「ここまでを自国領土にしておかないと、自国領土が保全できない」という被害者意識に駆り立てられて、軍事行動を起こしたのである。
ここで「自国領土」同一語が文脈によって多義的に用いられていることが日本のふるまいの没論理性として外からは見えるのである。
それは現在の竹島・尖閣諸島の領土問題や北方四島の領土問題を語る語法とも通じている。
「尖閣で譲歩したら、たちまち東シナ海、南シナ海全域を中国戦艦が跳梁跋扈し、日本の領海は脅かされることになる」というのが「尖閣での武力衝突も辞さず論者」に共通する言い回しだが、「ここを譲ったら、あとはずるずるだ」という論に日本人は弱い。ほんとうに弱いのである。
「ここを譲って、その代わりにあちらを取る」というタイプの「取り引き」をどうしても思いつけないのである。
それができないのは、「ここ」が切れば血の出る「わが身の一部」として観念されているからである。
ノモンハン事件で資源もなにもない広漠たるハルハ河畔の草原を奪い合って2万人の戦死傷者を出した。
辻政信が起草した「満ソ国境紛争処理要綱」には「国境線明確ならざる地域に於ては、防衛司令官に於て自主的に国境線を認定」し、「万一衝突せば、兵力の多寡、国境の如何にかかわらず必勝を期す」とある。
この文言から、関東軍参謀の観念していた「国境」が国際法上の実定的な境界線ではなくて、むしろ「皮膚感覚」に近いものであったことが察せられる。
だからこそ、防衛司令官には「自主的に国境線を認定」する権限が賦与されていたのである。
自分の身体が切り刻まれているときに気がつかないやつはいないからである。
日本が軍事行動において歯止めが効かないのは、実は「侵略的意図がない」からである。
自分の身体が切り刻まれて血を流していると思っているのである。
その痛覚が行動の理由なのであるから、わんわん泣きながら腕をぶんぶん振り回して、そこらじゅう走り回っても、治らないものは治らない。
「すでに十分な利得を得たのだから、もうここらで矛を収めよう」という見切りができない。
アメリカはあきらかに侵略的意図を以てメキシコから領土を奪い、スペインからキューバとフィリピンを手に入れ、ハワイ国王を追放した。
自分が何をしているのか、よくわかっている。
ちゃんと大義名分がある。「市場の開放」と「世界の民主化」である。
市場が開放されれば収奪がなくなり、世界中の人が良質な商品を適正な価格で手に入れられるようになる。世界が民主化されれば、世界中の人が人権を守られて幸福な生活を送れる。
そういう人たちから見ると、日本人の「他国の領土に入り込んで、そこに『うちを守る塀』をつくって、必死に閉じようとする傾向」の意味がわからない。
わからないだろうと思う。
自分の「うち」を守りたいなら、列島に逼塞していればいいではないか。
なぜ外に打って出るのか。
それは外に「ここを破られたらうちが危なくなる」という生命線があるという言説に対して、日本人がまったく無抵抗だからである。
抵抗できないのである。
実を言うと、「どこまでが『うち』なのか」がよくわかっていないからである。
だから、「うち」を守ることを最優先する人たちがまっさきに口走るのは「非国民」という言葉である。
「うち」の中に「そと」が入り込んでいることを恐怖する心性と、「そと」に「うちの塀」がなければならないと思い込む心性は裏表ひとつのものである。
ベネディクトが「階層的秩序」といったのは、平たく言えば「うち/そと秩序」ということになる。
つまり、『菊と刀』の引用箇所はほんとうはこう書かれるべきだったのである。
「日本は戦争原因について別な見方をしていた。日本は『うち/そと』秩序を樹立するために闘わねばならない。この秩序の指導者は、それはむろん日本である。なんとなれば、日本は上から下まで真に『うち/そと』的に組織されている唯一の国であり、したがっておのおのがその『うち』にあることの必要性を最もよく理解しているからである。」
こう書き換えると、ベネディクトの洞察が現代日本の外交的な意味不明さをみごとに説明していることに気づくはずである。

2012.11.30

「フェードアウト」について

日本維新の会の選挙公約が「日替わり」状態になっている。
少し前に、「今度の選挙では告示前日まで選挙公約が二転三転するだろう」とあるメディアに書いた。
どうしてもこれだけは実現したいという政策があるわけではなく、どうしても議席が欲しいから選挙に出ている人たちにとって喫緊の問題は「どういう政策を掲げれば票が集まるか」だからである。
日本維新の会の選挙公約「骨太2013-2016」では焦点の原発問題については「結果的に30年代までにフェードアウト」という意味のよくわからない文言を採用した。
「30年代までに原発ゼロ」は当初橋下市長自身の主張だった。先月24日にそう言明した。その後、原発推進派の石原慎太郎の太陽の党との合流合意で「脱原発依存」についての言及そのものが消えた。
それによって、維新の会の支持者のうち「脱原発」政策に好感していた人々の支持が目減りした。
危機感を持った維新の会は、原発についての公約を再び掲げることにした。
「結果的に原子力発電は2030年代までにフェードアウトする」というのがそれである。
これはこの政党の原発政策をみごとに表わしている。
それについて書きたい。
この文の主語は誰が読んでも「原子力発電」である。
原子力発電が人格を持っていて、おのれの意思によって、2030年代までに「徐々に見えなくなる」。
そう書いてある。
「明日の夕方までには雨は上がるでしょう」というようなのと同じ表現である。
諸般の事情でたぶんそうなるだろうという「見込み」を語っているだけで、政党の主体的関与については何一つ語っていない。
だから、仮にこの文の通りに原発が「フェードアウト」しなかった場合でも、それは「原子力発電」の側の事情であって、フェードアウトを予測した政党には何の責任もない。
もっと重要なのは「フェードアウト」という英語の動詞の語義である。
あるかなしか不分明であるというのが「フェードアウト」という語のニュアンスである。
あるかないかわからないのであるから、「フェードアウト」した原発はまだその辺で稼働しているかも知れない。
視野から消えれば、視野の外に存在していても、立派な「フェードアウト」である。
フェードアウトのかんどころか存否の事実を問うていないことにある。
だから、「フェードアウト」は「しぼむ」「衰える」の意味で用いられる。
この場合はもちろん事物的には存在する。
量的に減じたり、目立たなくなっても、「フェードアウト」である。
この文言を考えた維新の会の人間はそういうことを全部わかっていてこの語を選んだはずである。だから、石原代表にもそう説明したはずである。
「石原さん、ご心配なく。『フェードアウト』っていうのは『なくなる』っていう意味じゃありませんよ。たぶん有権者はそう誤解して『脱原発』だと思い込むでしょうけれどそうじゃありません。全発電量のうち原発のシェアが1%でも減れば立派な『しぼみ』です。あちこちにちらばって建っていた原発を少しまとめて一目に立たないところにまとめれば、これも立派な『おぼろげ』です。そういうことなんですよ。こんな英語にころっと騙されるやつがバカなんです」
そう説明されて、有権者はほんとにバカだからなあと笑顔を交わしている石原慎太郎と橋下徹の姿が想像できるようである。

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