田中大臣の「問題提起」を承けて、大学設置基準の見直し、「総量規制」についての議論が始まった。
不認可そのものは失着だが、「大学はなぜこんなに多いのか?」という問いが前景化されたのは、よいことである。
ものごとはできるだけラディカルに、根底的に論じる方がいい。
議論の基礎資料として、まず大学数の推移だけ抑えておこう。
日本の大学数は1949年で、国立68校、公立18校、私立92校、計178校。
私が大学に入学した1970年で、国立75校、公立33校、私立274校、計382校。
設置基準が大綱化された1991年で、国立97校、公立39校、私立378校、計514校。
そして、2011年度で、国立86校、公立95校、私立594公立。計780校。
ほぼ20年ごとの大学数推移をみるとわかることがある。
第一期(いわゆる「駅弁大学」の草創期)に、大学数は20年間で204校、214%増加した。
これは高度経済成長期に、官民あげて、労働者の高学歴化を求めていた社会的要請をくっきりと反映している。
「駅弁大学」と愚弄したのは中央のメディアの「上から目線」の話であって、実際に自分たちの街に大学を誘致できた都市は、そのことを素直に寿いでいたはずである。
第二期(「大学紛争」の後の時期、つまり、大学の「レジャーランド」化を国策的に推進した時期)は132校、134%増で、このとき急増傾向がいったん緩和していることがわかる。
大学経営というのが「なんだかさっぱり割に合わない仕事」だという倦厭感が私学経営者にあったのだろうと思う。
60年代末から70年代初期の全国学園紛争は大学のありかたにいくつか決定的な影響を与えた。
ひとつは、それまで「エリート養成教育機関」とみなされていた大学が「大衆化」したことを印象づけたことである。
エリートは「体制」を自分たちがいずれそこに参加し、そこでのプロモーションをあらかじめ約束されている「自分たちのための場所」だと思うことができる。
だが、大衆化した大学の学生たちの多くは、「体制」内部にもう「自分のために約束された席」があると思い込むことができない。
その「根を失った」感覚が大学解体のムーブメントの感性的な基礎をかたちづくった。
教員たちの中枢層はこの時期はまだ旧制高校卒業生、帝大卒のエリートたちで占められていた。
ヘルメットをかぶって、ゲバ棒や鉄パイプを手に、校舎をバリ封し、ガラスを叩き割る学生たちは、教師たちの持つ「大学生像」とは似ても似つかぬものに見えたはずである。
だから、この時期には「もっと大学を増やそう」ということについて、すでに積極的な国民的合意はなかった。
大学生自身が大学の存在理由を否定していたし、大人たちもうんざりしていた。「親の脛をかじりながら、デモなんかしやがって。そんなやつは大学なんかやめちまえ。政治運動がしたけりゃ、自分で飯を食えるようになってから、やれ」というような反大学的心情の方がずっと一般的だった。
都内の主だった大学は次々郊外に移転させられた(二度と政治闘争の拠点にさせないために)。
私自身がその時期に大学生、院生、助手をしていたから、大学に対する世間の「冷たい眼」は身にしみて覚えている。
その「大学なんて、あってもしようがない」という社会の反大学的ムードはそのあとに予想外の歪んだかたちをとった。
それが「大学を淘汰せよ」という無言の圧力である。
これが第三期に当たる。
この時期を特徴づけるのは、設置基準の緩和、外国の大学の参入、「ディグリー・ミル」の参入、評価活動の開始、株式会社立大学の認可など、「規制緩和・構造改革・市場原理による大学淘汰」趨勢である。
この第三期に、大学数は266校、152%の増。
「これまでのような大学」なら、もう要らない。
それが「体制」側の下した判断だった。
一般教養科目はもう要らない。リベラルアーツは「エリート」用の知的デコレーションであり、どうせ卒業したあと「社畜」になる身には不要のものである。
18歳からすぐに専門教育を施して、卒業したら「即戦力」になるような「人材」を育成せよ。
もう大学は「高等教育機関」ではない。そのような社会的責務は一部の「超エリート校」が担う。あとの大学は「能力がそこそこあって、互換性があって、安い賃金で働く、タフな労働者」をできるだけ安いコストで量産すればいい。
そのためには、「昔気質」の大学はもう邪魔である。
時代遅れの「建学の理念」を後生大事に抱え込み、時代錯誤のリベラルアーツ教育を、費用対効果の悪い少人数クラスで行っているような大学は「もう要らない」。
そういう賞味期限の切れた「恐竜」のような大学を淘汰するために、設置基準が緩和されたのである。
参入障壁が下がれば、ビジネスマインドに溢れ、市場のニーズを熟知し、費用対効果の高いメソッドで大学教育ができる野心的なプイレヤーたちが風を巻いて市場に参入してくるだろう。そうすれば「既得権益にあぐらをかいた」古い大学はたちまち一掃される、と。
教育行政の要路の方々はそう考えた。
だから、その時期に大学が増えたのである。
この話はこの数日書いているとおりである。
「古い大学」を淘汰して、市場の選択に耐えた「新しい大学」に教育を委ねるために規制緩和をした。
してみたら、「古い大学」はしぶとく生き残り、規制緩和に乗じて参加してきた「何をしたいのかよくわからない」大学がそこらじゅうに開学してしまったのである。
「大学を減らすために、一時的に大学の数を増やして、生存競争を激化させる」というアイディアは大失敗した。
低いハードルを利用して入ってきた大学は「低いハードル」にふさわしい中身の薄い大学ばかりであった。
しかし、それ以上に大きな問題は、そうやって無意味に生存競争を激化させたせいで、日本じゅうの大学が「生き残り競争」に追い込まれたことである。
人為的に作り出された競争的環境を生き残るために大学はどう変わるべきか。それについて鳩首凝議を重ね、数百頁の報告書を書くという仕事に大学教員が総動員された。
その結果、研究教育の時間を大幅に奪われた教員たちの研究教育のアウトプットは大きく劣化することを余儀なくされた。
大学教育の質向上のために仕掛けた淘汰圧のせいで、結果的に日本の大学は、淘汰圧をかけられる前より研究教育内容が劣化したのである。
そういうことである。
規制緩和してみたら、大学数は減らず、大学の質だけが悪くなった。
だから、今の時点で、これまでの失策を振りかえるならば、大学の設置基準の厳格化、総量規制は方向としては「正しい」。
だが、それが正しい施策に結びつくためには、いったい教育行政は「どこでボタンをかけ違えたのか?」を問わなければいけない。
メディアは気楽に「見通しもなく、むやみにした開学した大学側にも責任がある」と書くが、このときに「だから大学人はダメなんだ」というような一般論に逸脱するのはやめてもらいたい。
規制緩和の「前から」あった大学はそもそも規制緩和に賛成する理由がないからである。
参入条件のハードルを下げて、新設大学と志願者を奪い合い、倍率が下がることで大学教育そのもののプレステージが下がることに誰が賛成しようか。
旧帝大などは院生の就職先が増えることはありがたいし、新設校と競合する可能性なんかないからあるいは規制緩和賛成だったかも知れない。
だから、「設置基準をあまり緩めるのはいかがなものか」と控えめに抗議した大学人は私の記憶する限りあまりいなかった。
たぶんそう抗議してもメディアは冷たかっただろう。
「自由競争で淘汰されるのを恐れて、既得権益にしがみついているのではないか?正々堂々と勝負して、勝ってみせたらどうか。それとも勝てる気がしないのか?」と。
そう言われたら、大学人は反論できない。
「市場が正しい判断を下すであろう」という命題にそのときは誰も反論できなかった。
その結果が、「このざま」である。
繰り返し言うが、大学の数がここまで節度なく増えたのは、第一には教育行政が「そうしろ」と指導してきたからである。第二には、「大変結構なことだ」と政治家もメディアも地方自治体も歓迎したからである。
政治家やメディアに反省を期待するのは100%無駄なことだし、地方自治体にはそもそも継続的な「反省できる主体」が存在しないから、私が相手にできるのは文科省だけになるが、文科省がなすべきはこの事態の「謝罪」と「原因調査」である。
自分たちの政策的判断の誤りを吟味するところからしか、この問題に接近する方法はない。
さて、その上で、何の手も打たずに、このまま事態に推移した場合に、どういう大学が消滅することになるのか、そのシミュレーションをしなければならない。
「大学ランキング」 の小林さんが興味深いデータをおくってくれた 。
私立大学の入学定員充足率である。
577校の入学定員充足率は104・19%。
130%以上……4校
120%台……36校
110%台……146校
100%台……127校
90%台……74校
80%台……69校
70%台……47校
60%台……36校
50%台……20校
50%未満…18校
定員割れしている大学の割合は264校/577校=45・75%。
規模別の定員充足率(入学者/入学定員)は次のとおり。
100人未満 ……91.12%
100~200……88.83%
200~300……91.14%
300~400……95.38%
400~500……93.80%
500~600……93.65%
600~800……95.96%
800~1000 …101.71%
1000~1500 ……106.94%
1500~3000 ……110.55%
3000以上 ……109.62%
入学定員800人が+-の境目になっていることがわかる。
以下は小林さんのコメント。
「上記のデータを都道府県別に分類すると、規模が大きい、および定員充足率が高い大学は都市部に集中し、地方大学が厳しいという状況になります。
万が一、定員充足率が満たない大学が切り捨てられるようになれば、地方大学から削られていくことになります。
大学の特定地域への一極集中、そして、特定大学への一極集中。
これでいいのかと、大いに考えさせられます。」
まことに大いに考えさせられる事態である。
大学の設置基準を緩和し、新規参入枠を拡げた結果、地方の小規模校がその被害を蒙り、都市圏の大規模校がスケールメリットを生かして、「集客」に成功しているという絵柄がはっきり見えてくる。
いずれ、地方の小規模校が姿を消し、その「大学空白区」に「大手のフランチャイズ店」のような「出先大学」が進出してくることになるのだろう。
大学の「コンビニ化」である。
当然、いくつもの「メガ大学」が競合することになれば「価格競争」になる。
岡田斗司夫さんが予言しているように、授業料20万円とかいう「超低価格大学」が出てくるだろう。
授業料切り下げにはコストカットで対応するしかない。
同一教科書、同一プログラムの一括採用、全国共通テストの一斉実施とコンピュータ採点、授業のネット配信、アルバイトTAによるゼミと論文指導、専任教員数の減員、キャンパスそのものの縮小とできれば廃止(「駅前」貸しビルでの教室展開)などなど。
すでに大手の大学の管理部門はこの程度のことはすべて計画済みのはずである。
コンビニやスーパーの店舗開発担当者が各地の大学の「キャンパス展開企画室」にヘッドハンティングされていると聞いても私はもう驚かない。
問題は、このような「コンビニ大学」が知的なイノベーションの起点たりうるのか、ということである。
全国すべての教室で、マニュアルとおりの定型的な授業が行われるとき(センター試験のときの試験監督の様子を想像すればよろしい)、そこが知的生成の場となることが可能かという問いに「イエス」と答えることは難しい。
だが、わが国の大学は、今、まっすぐに「この方向」に向かっている。
教育研究の生産性は、教育理念、教育方法、学部構成、サイズを異にするいくつもの大学が混在することで最大化する。
生態学的な多様性が失われるとき、知性の危機が訪れる。
支持してくれる人はほとんどいないが、私はそう主張し続ける。
(2012-11-15 15:42)