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2009年03月 アーカイブ

2009.03.07

ああ驚いた

更新が滞っているのは、めちゃめちゃ忙しいからである。
おもに「会議」ゆえにである、ということは昨日書いた。
「昨日書いた」はずなのに昨日更新されていないではないかと思う読者の方が多いであろうが、実は昨日更新したのである。
そこに「会議」についての一般論を書いた。
その後、ある「会議」があった。
その「会議」の終了後、オフィスに走り戻って「削除」したのである。
理由は昨日2時間半ほどだけ公開されていた「会議ネタ」を読んだ方にはすぐにご察知いただけるであろう。
「会議とはどういうものであるか」と書いたら、「そういうこと」が起きてしまったのである。
読んだ同僚はこれは自分のことか、と疑うであろう。
Don't take it personal
そう書いても言い訳が通らなそうだったので、削除したのである。
あまり予見性の高いテクストを書くものではないです。

2009.03.08

「いきなりはじめる」縁起

明日から極楽スキーなのに風邪ぎみで寝付いている。
なにしろ長いこと「休日」というものがなかったので、ひさしぶりの休日になると体調が崩れるのである。
しかし、寝ているわけにはゆかない。
スキーに行く前に締め切りの原稿を書き上げて送稿せねばならぬ。
鼻水を垂らして、咳き込みながら、釈先生の『不干斎ハビアン』(新潮選書)の書評を書く。
げほげほ。
せっかく書いたので、書評の一部をコピペしておく。

「 不干斎ハビアンは戦国時代末期の人である。はじめおそらく臨済宗の禅僧であったが、のちに改宗して、キリシタンになった。仏教・儒教・道教・神道に通暁した学識豊かなイルマン(修道士)として、際立った活躍ぶりを示した。『妙貞問答』で仏教批判の先鋒を担ったが、突然、修道女を伴って棄教。晩年に『破提宇子(はだいうす)』という烈しいキリシタン批判の書を著して死んだ。一世において禅僧、キリシタン、背教者という振幅の多い経験をした人物である。
このハビアンを近世日本史上に輝く傑物と見る人もいれば、「転向者の元祖」、日本型インテリゲンチャの原型と見る人もいるし、山本七平のように「日本教徒」の祖型と解する人もいる。それだけ謎めいた、奥行きのある人である。にもかかわらず、ハビアンについての本格的研究がなされるようになったのはかなり近年のことらしい。
本書は現在入手しうる限りのハビアンについての文献資料を渉猟して、比較宗教学者で、自身浄土真宗の僧侶である釈徹宗がハビアンの思想と生涯の宗教学的意義を論じたものである。」

ここまでが「まくら」で、ここから本文が始まるのである。
本文は『プレジデント』で読んでくださいね。

釈先生とは昨日の朝日カルチャーセンターでの対談「祈りの諸相」でご一緒したばかりである。
釈先生は如来寺の住職をされて、認知症のグループホームを運営し、兵庫大学の先生として宗教学を講じている。あれほど忙しいのに、どうしてこんな本を書く暇があるのか、わからない。(甲南麻雀連盟の例会にご来駕くださる暇さえないというのに)
去年から今年にかけて、立て続けに『いきなりはじめるダンマパダ』(サンガ)、『仏教ではこう考える』(学習研究社)、『いきなりはじめる仏教生活』(バジリコ)と出版されている。
このあとも私との共著の『現代霊性論』(講談社)が出るし、昨日やった対談も、サンガから出す本のコンテンツになるのである。
ほんとによく働く人である。
「いきなりはじめる」というのは釈先生のシリーズのタイトルとしてご愛用いただいているが、実はもともとのコピーライトは私の旧友故・竹信悦夫くんに属するのである。
1975年の初春に卒業を前にして、大学院の入試を受けるために私と竹信くんが付け焼き刃の受験勉強をしていたことがあった。
専門は私が仏文で、彼は西洋史である。
竹信くんは卒論ですでに高い評価を受けており、英語にも堪能であったので、「第二外国語のフランス語でそこそこの点数をとれば大学院に入れる」と指導教員の板垣雄三先生から太鼓判を捺されていたのである。
しかし、どんな場合もぎりぎりになるまで腰を上げないあの性格(ご存じのひとも多いであろう)が災いして、結局院試の四五日前になって私のところに駆け込んできたのである。
「ウチダ、フランス語教えてくれ」
なんと、彼はフランス語の初級文法をすでにほとんど忘れていたのである。
私たちはそれから三日間、こたつに入ったまま、ときどき失神したように仮眠を取りながら、フランス語文法の全課程を復習した。
そんなときに疲弊し果てた竹信くんがぽろりと漏らしたのが「ウチダさあ、この世に『いきなり始めるフランス語』とか『寝ながら学べるフランス語』とかいう本はないのかね」という一言であった。
結果はご賢察のとおり(おそらくは私のフランス語知識に致命的な欠陥があったせいで)、東京大学は優秀な中近東現代史学者を一人失い、かわりに朝日新聞社が優秀な記者を一人手に入れることになった。
私の脳裏にはそのあとずっと「いきなり始める」と「寝ながら学べる」というふたつの言葉が刻み込まれたままであった。
二十歳のときの私たちのような人々のためにも「いきなり始める」と「寝ながら学べる」シリーズがすべての学的領域をカバーするべきではないか、それが私の使命として感知せられたのである。
もちろんこのような大事業は私ひとりでなしうることではない。
各界の篤志者たちとのコラボレーションなしには果たせないことである。
釈先生はその消息をよくご理解くださって、このシリーズのために次々と本を書いてくださっているのである。
こたつでの受験勉強には余話がある。
そのあと、竹信くんがパリの本屋で sans peine という語学入門書のシリーズを発見して、持ち帰ったことがあった。
フランスのリセの生徒たちのためのもので、「ラテン語sans peine」とか「ヘブライ語 sans peine」というようなタイトルのものがずらりと書架に並んでいるのは私も見て知っていた。
「ウチダ、sans peine というのはどういう意味なんだ」
「『苦しみなしの』という意味だろ」
「『涙なしの』か」
そして、九品仏の暗い下宿とこたつでの勉強のことを思い出して、ふたりともしばらく黙ったのである。

2009.03.13

極楽までは何哩

恒例の極楽スキーの会で野沢温泉に行ってきた。
今年のメンバーは、ワルモノ先生とそのご令嬢ハルコさんと、ご令息フミオくん。ウエノ先生とご令嬢ミドリさん。ミスギ先生、コトコ先生、そしてニューフェイスの人間科学部のコバヤシ先生。
常連のヤマモト先生は今年もご母堂の看病のため無念の不参加。ミウラ先生はご令息の受験のため。
これまでも、どの先生もお子さまたちが受験のときは、スキーは一シーズン遠慮されるようである。
「滑る」が禁句だからである。
結婚式のスピーチでも、ひさしく「切る」とか「別れる」とかいう語が禁句とされていたけれど、もう現在ではそのようなことはない。
その中でひとり「滑る」だけが禁句として長らえている。
そのことから、受験がいまだ「言霊の佑はふ」最後の呪術的世界を形成していることが知られるのである。
たしかに、いまだに「必勝」というハチマキを巻いたり、「合格鉛筆」で答案を書いたり、絵馬に受験する学部名を大書したり、天満宮でお札を購入したりする古代的美風が残っているのは受験だけである。
天神地祇のご加護までフル動員するのは、受験がそれだけ「運」のものだということを私たち自身が熟知しているからである。
合格発表のときに歓喜するのは、「落ちるかもしれない」と思っていたからである。
ちゃんとできたつもりでも、どのような落とし穴があるかわからない。
私はかつて漢文の試験で解答欄を一つずらして解答して、完璧な答案を書いたつもりが、全問誤答になった経験がある。
そういう落とし穴が受験には至る所に設置してある。
だから実力だけでは試験には通らない。
当日、風邪を引くこともあるし(私にはあった)、電車が止まることもあるし(私にはあった)、お弁当用の魔法瓶が割れて下半身水浸しになることもあるし(私にはあった)、受験会場でいきなり兄に「おい」と背中をこずかれ「あれ、兄ちゃん、父兄は入構禁止だよ」「オレも受験生だ」という衝撃的出会いをすることもある(私にはあった)。人生いろいろである。
「滑る」くらいのことを一シーズン控えるのは親として当然の気遣いと申し上げてよろしいであろう。
その極楽スキーも今年で数えて18回目。
「最初の頃はどんなふうだったんですか?」とよく若い人に訊かれる。
しだいに私たちの記憶も曖昧模糊をしてきているので、来年はカマタ先生をお呼びして、1991年の「シーハイルの会」に遡る極楽前史についてオーラル・ヒストリーの聞き取りをしようという計画が持ち上がっている。
「そう、あれは文部省が大学設置基準の大綱化を打ち出した頃のことでした・・・」とカマタ先生が遠い目をして語り出すのを一堂息を呑んで聞き入るのである。
「その頃日本はバブルの絶頂期で、スキー人口2000万といわれ、若者たちは毎年スキー板から靴からウェアまで全取っ替えしておったものでした。そんな軽佻浮薄な流れに敢然と抗うひとにぎりのスポーツライクなスキーヤーたちがある年、オカダヤマに結集したのですじゃ・・・」
なんてね。
楽しみなことである。
今年はそういうわけで全体に平均年齢が一気に若返り、ボーダー率も上昇(若者たちはみなボーダーなのである)。
しかし、コバヤシ先生というストイックな山屋系スキーヤーが登場したおかげで、極楽スキーの伝統は若い世代に晴れてたいまつを手渡すことができそうである。
イシカワ先生、ことしもほんとうにありがとうございました。
最高に楽しい四日間でした(携帯の電波がパラダイスゲレンデまで届くことさえなければ、さらに気分がよろしかったのであるが)


2009.03.14

ポリティカルな日々

極楽スキーではウエノ、ワルモノというふたりの筋金入りマルクシストと同席することになるので、酒席の話題が政治にかかわることが多い。
とくに私はいまワルモノ先生と共著で「マルクスを読もう」という本を書いているところなので、「マルクス主義の今日的意義」や「“左翼的なもの”の消滅がもたらす政治的構図の変化」といった論件について興味深い意見交換が行われた。
御影に帰ってきたら、こんどは民主党の国会議員のみなさんと会食することになった。
お招きくださったのは京都選出の参院議員の松井孝治さん。
同席したのは兵庫選出の衆院議員の松本剛明さん、静岡選出の衆院議員の細野豪志さん、徳島選出の衆院議員の仙谷由人さん。
どなたもたいへんフレンドリーな方がたである。
どうして私が民主党の国会議員のみなさんとお会いせねばならぬのか「意味がわからん」と思っている人も多いことであろう。
私もよくわからない。
よくわからないが、最初は松井さんに民主党の研究会での講演を頼まれたので、「講演はもうしないんです。ごめんなさい」とお断りしたところ、「じゃあ、一緒にご飯でも」ということになった。
お忙しい議員さんたちがわざわざ東京や選挙区から三宮においでになるというので、私もスキー焼けの顔のまま、よろよろと雨の街にまろび出たのである。
先方が私に何の用があるのかは先方の事情であって、私のあずかり知らぬところであるが、私はご存じのように「異業種の人」の話を聴くのが大好きである。
これはほとんど「趣味」の欄に書いてもいいくらい好きなのである。
世の中には、異業種の人にまったく興味がない人がいる(そちらの方が多いであろう)。
身内で集まって、身内だけに通じる符丁で話すのが大好きという人が多いが、私はそういうのにはすぐに飽きてしまう。
それよりは「よく知らない仕事に随伴するところの、よく知らないヨロコビやカナシミ」について、その業界の人の話をうかがうほうが面白い。
「世の中の成り立ちについて、どのようなフシギな人物がこの世の中を構成しているのか、それを知りたい」という欲望が私はとくに強いようである。
ともかくそういうわけで私は鴻華園で春巻きを食べ、Re-setでジャック・ダニエルズなどを痛飲しつつ、民主党の政権交代の可能性について、総選挙はいつあるのか、「麻生おろし」のあとの選挙管理内閣首班はだれか、小沢一郎は代表の座を保てるのか、岡田克也は使い物になるのか、などなど生々しい業界情報を堪能することができたのである。
仙谷由人議員はこの4人の中では最年長で、民主党左派の重鎮であるが、やはり長く政界を泳いできている人のお話は面白い。
私はex義父が自民党の代議士で、のちに県知事をしていた人物であるので、「政治家という種族」の体感は身近に知っている。
だいたいどなたも「手触り」が暖かい。
そして、自説に固執しない。
人から聞いた話をすぐに自家薬籠中のものとして、自分の栄養にしてしまう。
そういうオープンハーテッドな人が政治家には向いている。
ネゴシエーションというのが政治家の本務なのであるから、それでよろしいのである。
昨日仙谷さんから聴いた話でいちばん面白かったのは、「政治家の器」についての質問をしたときである。
政党を問わず、いまの政界で「器の大きい人」といったら誰でしょう?と私がお訊ねすると、仙谷さんは20秒くらい「うううううむ」と腕組みして下を向いてしまったのである。
そこまで考えても、さっぱり思い浮かばないというところが切なくもリアルなのでありました。
「意外にいいやつ」というカテゴリーで山崎拓と森喜朗の名前が挙がった。
「頼む」というと、頼みの内容にかかわらず(野党議員からの頼みでも)「ああ、いいよ」と即答できるというのが二人の共通点らしい。
なるほど。
国会議員のみなさんも、国政繁忙のおりにウチダにご飯なんかおごってくれて、ありがとうございました。
鴻華園の春巻き、ほんとに美味しいですね。

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2009.03.16

げほげほ

身体の芯の方に「詰まり」がある。
そこが「咳」や「微熱」の発生源になっているような感じがする。
寝ていると、身体の中心にそれがあることがわかる。
「このまま寝てろよ」と「詰まり」は言う。
「寝ていたいなあ」と私も思う。
でも、朝から晩までスケジュールがぎっしり詰まっているので、寝ているわけにはゆかない。
起きて仕事を始めると、そのあたりの不快感は弱まるので、とりあえずやるべきことを片付ける。
でも、細かい仕事をしようとするとうまく集中できない。
ふだんすらすらできるはずのことができない。
そういう状態が10日ほど続いている。
原稿も書いているのだが、自分で読み返してもあまり面白くない。
あとでこれは全部削除することになるのかなと思うと、けっこうつらい。
三日ほどすべての用事をキャンセルして、じっと穴の奥の獣のように横になっていれば、この「詰まり」も解消してくれるのだろう。
メールを開いても、電話をとっても、郵便受けを開けても、私あてのメッセージの90%は私に「新しい用事」を要求するものである。
前に古庄先生から「ぐっすり眠るにはそれなりの体力がいる」とうかがったことがある。
「病院に行くには、病院にたどりつけるだけの気力と体力がいる」ということにも通じる。
私の場合は「体力を回復するために仕事を減らす体力」が必要なのだが、どうもそれが不足しているようである。

2009.03.18

立て、立つんだ、ジョー

ようやく風邪が癒えたようである。
まだ咳が出るが、「身体の芯の詰まり」は解消した。
ご心配をおかけしました。
朝、三宅接骨院に行って、身体を調整してもらう。
三宅先生の温顔を見ると、それだけで半分がた回復する。
続いて、宝塚南口の光安さんのところに行って、髪を切ってもらう。
火曜日は定休日なのであるが、日曜日に予約をして行こうとしたところにアダチさんから電話がかかってきて、私は『新潮45』の取材と光安さんとこをダブルブッキングしていたことが知れたのである。
ダブルブッキングはグーグルカレンダーの導入以後絶えていたのであるが、最初に時間を入力し間違えれば同じことなのである。
しかし、水曜は卒業式であり、私の頭はすでに「石川五右衛門」状態プラス「片アトム」(わかりますね)と化しており、これで式場に登壇するのははばかられる。
光安さんに泣きついて、貴重な時間を割いていただき、休日の美容院を借り切って散髪していただいたのである(光安さん、ありがとうございました)。
頭髪マッサージをしてもらっているうちに爆睡。
自分でも大口をあけて寝こけているのがわかる。
武道家として、このようなワキの甘い態度はいかがなものかとも思うのであるが(ギャング映画を観る限り、床屋でのど笛掻き切られて暗殺されるというのは日常茶飯事のようであるからして)、眠いものはしかたがない。
三宅先生に肩をほぐしていただき、光安さんに頭をほぐしていただき、すっかりリラックスする。
帰途、芦屋のラポルテに寄って、合宿用に大先生の写真を納めるフレームを購入。
発作的にレイバンのサングラスを買う(50%オフだったんだもん)。『マトリックス・リローデッド』でキアヌ・リーブスがかけてたみたいなやつ(キツネ眼になるの)。
住吉からタクシーに乗る。
そして、発作的にタクシーの運転手(とりわけ個人タクシーの方々)の中に、古賀誠に酷似した人が多いという事実に気づく。これはぜひ一度『探偵ナイトスクープ』で検証していただきたい。
家に戻り、まず河出書房新社に高橋源一郎・柴田元幸ご両人の対談集『小説の読み方、書き方、訳し方』の書評を書いて送信。
続いて日経に福岡伸一先生の『動的平衡』の書評を書いて送信。
続いて『ウォーロード』の映画評(これは公式パンフ用らしい)を書く。
正直言って、どう書いていいのかわからない。
わりと「取り付く島」のない映画なのである(いや、面白いんですけどね、すごく)。
ジェット・リー、アンディ・ラウ、金城武が太平天国と清軍の内戦の中で軍閥としてのしあがってゆき、やがて悲劇的な対立に巻き込まれてゆく・・・という話である(英語原題のwarlords は「清末の地方軍閥の将軍たち」のことである。「ウォーロード」とカタカナ表記されてしまうと、ふつうのひとは「戦争の道」のことだと思うであろうが)。
でも、「切り口」がないんですよ、これが。
話が面白く、人物造形もそれなりに手が込んでいて、時代背景も興味深く、戦闘シーンもよくできている。
こういう映画がいちばん困る。
映画評論をしている人間としては、どこかに「馬脚」が出てないと、食いつく手がかりがないのである。
歴史的名画であれば、ひたすら賞賛していればよろしい。
でも、『ウォーロード』はウェルメイドな武侠映画ではあるけれど、歴史に残る傑作ではない。
傑作ではないが、取り付く島がない・・・これは困った。
しかたがないので、これは『昭和残侠伝』と『総長賭博』を足して二で割って胡麻油で炒めたような映画である、ということを書く。
書いては見たが、この映画をロードショーで見に来る諸君はどちらも見ていないであろうということに思い至り、この案は破棄。
つづいて、シェークスピアとギリシャ悲劇との比較演劇論的アプローチを試みるが、考えてみれば、この映画をロードショーで見に来る諸君が『マクベス』や『悲劇の誕生』を読んでいる可能性は『昭和残侠伝』以下であるので、これも途中で却下。
最後に「葛藤と成熟」という『街場の教育論』で論じたフレームワークを思いついたので、これでゆくことにする。
金城武が諸悪の根源であるという結論になったら、なんだかすっきりした。
そうなのである。
こういう話では、「もっとも純真無垢な人」が災厄として機能することになっているのである。
そういえば金城武くんは「本人はまじめで誠実なのだが、その微妙に勘違いなふるまいによって周囲にトラブルを巻き起こす人物」によって銀幕デビュー(『恋する惑星』)を果たしたのではなかったか。
そのあと『天使の涙』で、「いいやつなんだけど、すげ~はた迷惑」キャラを完成させた。
今回の『ウォーロード』はその延長上とお考えいただければよろしい。
書き上げたらもう9時になっていた。
チキンカツを作ろうと思っていたが、もう揚げ物をする時間ではない。
しかたなく、「ゆで卵カレー」をぼそぼそ食べてビールを飲む。
テレビをつけたら辰吉丈一郎がタイで復帰戦をするまでのドキュメンタリーをやっていた。
辰吉は「いい顔」になっていた。

2009.03.19

あなたの隣人を愛するように、あなた自身を愛しなさい

卒業式。
本学の学院標語のもとになった聖書マタイ伝の聖句を入学式、卒業式とあわせて16回拝読してきたが、これが最後。
不思議なもので、クリスチャンではない私でも聖書の同一箇所を4年にわたり16回も朗朗と読み上げていると、聖句の深みが身にしみてくる。
けだし儀礼の効用というべきか。
マタイ伝22章34節から40節とは次のような聖句である。

ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言いこめられたと聞いて一緒に集まった。その中のひとり、律法の専門家が、イエスをためそうとしてたずねた。「先生、律法の中で、どの掟がもっとも大切でしょうか」。イエスは言われた、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これがもっとも大切な第一の掟である。第二の掟もこれと同じように大切である。『自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい』。律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている。

現行の日本聖書刊行会の口語訳と私が読み上げる聖書の訳語は少し違っているようであるし、聖句もうろおぼえであるが、まあ、だいたいこんな感じである。
「愛神愛隣」というのが神戸女学院の学院標語である。
「神を愛し、隣人を愛す」
簡単な言葉のようだが、これは実に解釈の困難な聖句なのである。
この聖句自体はイエスのオリジナルではなく、ユダヤ教のラビたちによって古代から連綿と伝えられた口承である(と飯謙先生に以前教えていただいたことがある)。
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」という聖句をふつう私たちは「自分を愛することは容易であるが、隣人を愛することは困難である」と解する。
私たちは「自分を愛する仕方」は熟知しているが、「隣人を愛する仕方」はよく知らないと考えている。
だが、それはほんとうだろうか。
私たちは自分を愛する仕方を熟知していると言えるであろうか。
例えば、私たちの国では年間3万人を越える人々が自殺をしている。
彼らは「自分を愛している」と言えるだろうか。
家族の愛や友人から信頼を失って、「こんな私に生きている価値はない」と判断して自殺する人がいたとする。
その人の場合、「こんな私に生きる価値はない」と判断した「私」とその「私」によって死刑を宣告された「私」の二つの「私」のどちらが「ほんとうの私」なのであろう。
それほど極端な例をとらなくても、「自己卑下」や「自己嫌悪」は私たちにとって日常茶飯事である。
そもそも向上心というもの自体が「今の私では満足できない」、「私自身をうまく愛せない」という事実から推力を得ているとは言えまいか。
だから、もし「社会的上昇」や「他者からの敬意」を努力目標にすることが万人にとって「よいこと」であるというのがほんとうなら、私たちは隣人に対しても「もっと自分を嫌いになれ」と勧奨すべきだということになる。
論理的にはそうなる。
そして、隣人が自分自身を嫌いになるためにいちばん効果的な方法は「現に私はお前が嫌いだ」と言ってあげることである。
そうですよね。
人から「愛している」と言われて、「このままではいけない」と生き方を改める人間はあまりいない。
でも、人から「嫌い」と言われたら、よほど愚鈍な人間以外は、すこしは反省して、生き方を変える機会を求める。
だから、隣人たちの向上心を沸き立たせ、彼らが自己超克の努力に励み、ついには「自分探しの旅」に旅立るように仕向けるためには、隣人に向かって、「お前なんか嫌いだ」と言ってあげることはきわめて有効なのである。
現実に私たちは日々そうしている。
気がついていないだけで。
だから、まわりを見まわしても、「自分を愛する」仕方を自然に身につけている人は少ない。
それよりは権力や威信や財貨や知識や技芸によって、「他人から承認され、尊敬され、畏怖される」という迂回的なしかたでしか自分を愛することのできない人間の方がずっと多い。
だが、「他人から承認され、尊敬され、畏怖される」ほどのリソースを所有している人間はごく少数にすぎない。
だから、結局、この社会のほとんどの人間はうまく自分を愛することができないでいるのである。
資本主義市場経済というのは「私はビンボーだ」という自己評価の上に成立している。
「私が所有すべきであるにもかかわらず所有していないもの」への欲望に灼かれることでしか消費行動はドライブされないからである。
同じように、高度情報社会も格差社会も知識基盤社会も、どれも「私は今のままの私を愛せない」という自己評価の上に成立している。
「私は私によって愛されるに足るほどの人間ではない」という自己評価の低さによって私たちは競争に勝ち、階層をはいのぼり、リソースを貯め込むようになる。
私たちが私たちを愛せないのは、私たちのせいではなくて、社会的なしくみがそうなっているから当然なのである。
麻生首相は先日の記者会見で「子どもの頃からあまり人に好かれなかった」とカミングアウトしていた。
私はこれは「正直」な告白ではあるが、「事実」の一部しか語っていないと思う。
人に好かれなかった以上に、彼は「自分が嫌い」だったのである。
「こんな自分が他者から愛されるはずがない」という自己評価の切り下げを推力にして、彼は向上心にエネルギーを備給し続け、ついに位人臣をきわめた。
彼は現代的な人間形成プロセスのわかりやすい成功例だと私は思う。
彼がこれほどメディアで叩かれながら、少しもひるまないのは、どんなメディアの記者も「麻生太郎が嫌い」という点において麻生太郎に及ばないからである。
閑話休題。
私たちの生きている時代は「自分を愛すること」がきわめて困難な時代である。
自分を愛することができない人間が「自分を愛するように隣人を愛する」ことができるであろうか。
私は懐疑的である。
マタイ伝の聖句には「主を愛すること」「私を愛すること」「隣人を愛すること」の三つのことが書かれている。
本学の学院標語は「愛神愛隣」のみを語り、「愛己」については言及していない。
それは「愛己」が誰にでもできるほど容易なわざであるからではなく、その語の根源的な意味において「自分自身を愛している人間」がこの世界に存在しないことを古代の賢者はすでに察知していたからではないかと私は考えるのである。

というわけで、卒業に際して、卒業生のみなさまにひとこと「むまのはなむけ」とてタイトルのごとき一句を掲げたのである。

「人を愛すること」自体はそれほどむずかしいことではない。
けれども愛し続けることはむずかしい。
四六時中いっしょにいて、その欠点をぜんぶ見せつけられて、それでも愛し続けることはきわめてむずかしい。
けれども、努力によって、それも可能である。
そのように人を愛することが、「だいたい10人中7人くらいについてはできる」ようになったら、その人は「自分を愛する」境位に近づいたと申し上げてよろしいであろう。

ご卒業おめでとう。

2009.03.20

業務連絡

本日から22日まで合気道の合宿で神鍋高原に行っております。
ここはe-mobileの圏外なので、メールが届きません。
「もうどうにもならないくらい緊急のご用」の方はウチダの携帯メールあてにご連絡ください(でも、なるべく連絡しないでください)
ウチダの携帯メールアドレスをご存じない方は「ご縁がなかった」と思って、諦めてください。
ではさようなら~

2009.03.23

Googleとの和解

Googleとアメリカ作家組合のフェアユースと著作権をめぐる裁判が和解した結果、ベルヌ条約に参加している日本の著作権者たちも本年5月5日までの期限付きで、コピーライトにかかわる選択をしなければならないことになった。
和解条件によると、2009年1月5日以前に出版された書籍については、
(1) 著作権者はGoogleに対して、著作物の利用を許諾するかしないか、許諾する場合、どの程度かを決める権利をもつ
(2) Googleの電子的書籍データベースの利用から生じる売り上げ、書籍へのオンラインアクセス、広告収入その他の商業的利用から生じる売り上げの63%を(経費控除後)著作権者は受け取る
その代償としてGoogleは著作物の表示使用の権利を確保し、データベースへのアクセス権を(個人には有料で、公共図書館や教育機関には無料で)頒布することができる。
ただし、プレビューとして書籍の最大20%は無償で閲覧できる。
ほかにもいろいろ条項はあるのだけれど、細かい話はみなさんには関係ないので割愛。
日本の著作権者たちはこれに対して
(1) 和解に参加する
(2) 参加を拒否する
(3) 異議申し立てを行う
(4) 和解に参加するが、特定の書籍の削除を求める
などのうちどれかを選択しなければならない。
電子書籍の販売は日本でも行っていることであるので、別に問題はないだろうが、「20%のプレビューに」については権利侵害であるとして、日本文藝家協会が反対していることは、さきにこのブログでも言及した。
少し前にこの件で新聞社から電話取材があった。
私の立場はもちろん「読者が私のテクストに触れる機会を最大化するあらゆる措置に賛成」というものである。
つねづね申し上げているように、私には「言いたいこと」があり、それを「一人でも多くの人に伝えたい」と思っている。
別にそれが特段世界にとって有用な知見だからと思っているわけではない。
「ちょっと思いついたことがあるので、誰かに言っておきたい」というだけのことである。
それはガリ版にこりこりと鉄筆で個人的なニューズレターを書いて、自宅で印刷し、自費で友人たちに配布していた中学生のときからの私の変わることのない姿勢である。
私がいまブログにあれこれ書いているのは、「ガリ版」の直接的な延長であり、テクノロジーは進化したが、書いている当人のモチベーションは中学生のときと同じである。
手をインクで黒く汚してガリ版刷りをしている中学生の私のところにある日Googleがやってきて、「これこれ、そこの少年よ、君の著作物を電子的にデータベース化して、世界の読者の閲覧に供して差し上げようではないか」と申し出たら、私は熱いハグでお応えしたであろう。
私の場合は、テクストを書くことで「一円でも多く金を稼ぎたい」ということより「一人でも多くの人に読んで欲しい」ということの方が優先する。
ただ、私はそれを原理主義的に主張しているわけではない。
「専業物書き」が職業的に成立しなくなると、読者は困る。
すぐれた書き手が書くことに専念できる環境は読者の利益のためにもぜひ担保すべきものである。
そのためにはテクストの「交換価値」を生み出すための市場が必要である。
しかし、テクストは商品ではない。
テクストを商品と「みなす」のは、そうした方がそうしないよりテクストのクオリティが上がり、テクストを書き、読む快楽が増大する確率が高いからである。
「テクストを書く快楽、読む快楽」がすべてに優先しなければならない。自余のことは、その快楽を増進させる上でどれほど効果的かという尺度に基づいて考量されるべきである。
というのが私の考え方である。
著作権の保護が快楽を増進させるなら、私はそれに賛成するし、ウェブでのテクスト頒布が快楽を増進させるなら、私はそれに賛成する。著作権の保護とウェブ上でのテクスト閲覧が背馳するなら、そのどちらか、より「テクストを書き、読む快楽」を増進させる方に私は賛成する。
何度も書いたことを繰り返すが、私たちは「無料で本を読む」というところから読書人生をスタートさせる。
これに例外はない。
家の書棚にある本、図書館にある本、歯医者の待合室にある本などをぱらぱらめくるところから始めて、私たちはやがて「自分の本棚」を有するようになる。
自分の本棚に配架する本は自腹で購入した有料頒布のものに限定される。そこに公共図書館の本や他人の蔵書を並べることはルール違反だからである。
私たちは「自分の本棚」を自分の「脳内マップ」として他者の目にさらす。「こういう本を読んでいる人間」であると他人によって思われたいという欲望が私たちの選書を駆動している。そして、この欲望は多くの書籍を読み、十分なリテラシーを涵養しえた読者によってしか担われることができない。
だから、著作権者たちがほんとうに自己利益の増大を望んでいるなら、どのようにして「できるだけ多くの書籍を読み、高いリテラシーを身につけ、きわだって個性的な『自分の本棚』を持ちたいと願う読者たち」を恒常的に作り出し続けるかということを優先的に配慮するはずである。
自著がそのような書棚に選択され、「この人の書き物を書架に並べることは自分の知的・審美的威信を高めることになる」と思われることこそ(それが誤解であったにせよ)、もの書く人間の栄光であると私は思っている。
自著は「無償で読む機会が提供されたら、もう有償で購入する人はいなくなるであろう」と思っている人たちは、どこかで「栄光」をめざすことを断念した人たちである。
そういう「プロの物書き」が多数存在することは事実であるけれど、私は彼らを「物書きのデフォルト」とみなすことには同意しない。

2009.03.26

まとめて日記

朝起きて、『グラン・トリノ』の映画評を書き上げて、『AERA』の来週号の600字エッセイを書いて送稿。『中央公論』の時評の原稿を書いて送稿。そこに新潮社のアダチさんから「100字で5万円」という“おいしい”コピー仕事が入ってきたので、3分間で100字さらさらと書いて送稿。
こういう仕事が毎日あると笑いが止まらないのであるが、世の中そういうものではない。
こういうペースで毎日仕事をしているので、日記の更新さえままならぬのである。
今日だってこれから新幹線に乗って関東某所に赴き、二泊三日にわたる「温泉セミナー」でもっぱら次世代ビジネスと投資にかかわるインテンシヴなセッションに参加せねばならない。
このセミナーは時間ばかりかかるわりにはギャラが少なく、ときどき持ち出しになることもあるのだが、顔ぶれが面白いので止められないのである。
とりあえず、乗車する前に、備忘のために、先週末以来の事績について記しておく。
3月20日(金)-22日(日)合気道合宿(於:神鍋高原ときわ野)
今回で神鍋高原での合宿も12年、24回目となった。
第1回目に一年生で参加したヤベくんが計算したら、48泊72日ということで、この民宿でわれわれはざっと二ヶ月ほどを過ごしていることになる。
ほとんどホームステイ状態である。
ご主人夫妻を「ホスト・ペアレンツ」とお呼びしたいくらいである。
ご飯の献立もほとんどいつも同じである。毎食「次はこれだな・・・」と想像すると、その通りのものがでてくるので、「味が決まってきて」(@内田百閒)何を食べても美味しい。
それに今回はついに皆勤のごほうびとて、道場の畳が新調(!)されたのである。
120畳分、まっさらのふかふかのぽかぽかである。
道場は広くて気分がよいのであるが、畳が硬くて、閉口していたのであるが、それが一新されて、みんなほんとうにニコニコであった。
参加者総勢53名。最多記録を毎回更新している。
昇段は三段がPちゃん(去年審査は済んでいたのだが、合気会の方から「二段をとってからの期間が規定より短い」という理由で登録を延期させられていたのである)。
二段がイッシー、タニオさん、コニー、アライミオさん、オノくん。
とりわけ女性四人の二段昇段審査の動きは日頃の精進の成果が表れた模範的なものでした。ぱちぱち。
オオツカ“お酒は二十歳になってから”タカオさんが晴れて栄光のブラックベルツ入りを果たした。おめでとう。
“次は初段組”がタカハシさん、ムカイさん、ババさん。秋の昇段審査までがんばってね。
二級がオオハシさん、モリヤマくん、タハラさん、ハシモトさん、3級がカユカワさん、ナガオカくん、オカモトくん、4級がオオヤくん、イワイさん、フクイさん、オカヤマさん、サキヤマ“妹”カナコさん、5級がヤスモトさん。最後の三人はこれで「ザ・ハカマーズ」入り。
3時から始めて6時近くまでかかってしまった。
ふう。
東京からタカハタさんが、ブルーノくんといっしょに来てくれた。
まさか13年前にブザンソンで知り合った青年が3年前にうちの大学院聴講生だった女性に連れられて、こんなところでビールを飲むようなことになるとは思いもしなかった。
人生のめぐりあわせはまことに予測不能である。
23日(月)昼まで寝る(10時間半寝ちゃった)。14時から杖道稽古。そのあと私の家で「若さま送別会」。
みんな一品持ち寄りでやってくる。
「一品持ち寄り」メニューのクオリティで恣意的に序列化すると
一位杖道会(アベレージ最高)
二位甲南合気会(キヨエ&マサコの指令による上意下達システムになってからレベルアップ、“Pちゃんパスタ”という必殺技があるのが強み)
三位甲南麻雀連盟(画伯がメンバーから抜けてシャドーカゲウラを助手にパスタなんか作ると、別格一位)
四位専攻ゼミ(伝統的に内田ゼミは料理がダメなんだなあ)。
若さまは卒業式総代だったので、答辞を読んだ。
文中で「思えば4年前にはじめて女学院の正門をくぐったときに」と言っていたが、若さまは中高部出身なので、ほんとうは10年前に正門をくぐったのである。
「今日で私たちは岡田山を後にするわけですが」と言っていたが、若さまは大学院に残るので、ほんとうは岡田山にまだ2年いるのである。
「嘘つき」とみんなで責めたのであるが、「ふふふ」と若さまらしく笑っていた。
24日(火)三宅接骨院、教務部長室大掃除、関西大学セミナー。
関西の大学の広報関係者を集めた日経主宰のセミナーで「大学が発信すべきこと」という演題で講演をする。
大学にビジネスを持ち込むな、行政は教育に介入するな、政治家は教育を論じるな、といういつも持論をぶつ。
25日(水)朝から大学で教務部長室のお掃除。ようやく書籍の整理が終わり、大量の会議資料をシュレッダーにかける。
段ボール2箱の会議資料をシュレッドするのに1時間半かかる。
「ペーパーレス時代」という言葉もとんと聴かなくなった。
現に資料のかなりはパワーポイントのコピーである。
意味ねーじゃん。
こんなことで熱帯雨林の森林資源を浪費してよろしいのであろうか。
そのあと入試部長の引き継ぎ。
夕方から学務連絡会の送別会。
川合学長を送る最後の集まりでもある。
川合学長には3年間教務部長としてお仕えした。
部下から見ると、こんなに頼りになる人はいないという“理想の上司”であった。
川合先生はフェアで、情熱的で、そして何より紳士だった。
きっとまた別の機会に、別のかたちでお会いすることになるだろう。
川合先生の新天地でご活躍をお祈りします。

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